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母と息子

 どれぐらい時間がたったのだろう。

 気がつくとヒロムは自宅のダイニングテーブルにすわっていた。

 ずいぶん長いあいだ、穴の中にいた気がするが、デジタル時計を見ると日付はきのうのまま。

 時刻も待機空間に召喚された19時のままだ。


「ヒロム、どうしたの?」

 真向かいの席にすわった母さんが、ヒロムの顔をのぞきこんだ。

「もしかしてハンバーグ、おいしくなかった?」

「あ、いや、そんなことないよ」

 あわててヒロムはハンバーグを口にはこんだ。

「うん、おいしい。すごくおいしい」

「よかった。きょうのハンバーグね、ふわふわ感を出すために隠し味にナガイモのすりおろしを使ってみたの」

「そうなんだ。あのね、母さん――」

「そうそう、気づいた? おとなりの()(とう)さん、またあたらしいワンちゃんを飼いはじめたんですって」

「それなら知ってるよ。そんなことより母さん――」

「えーっと、犬種はたしかチワワだっけ? あ、もしかしてマルチーズだったかも。あはは、まぁなんでもいっか」

 母さんがあっけらかんと笑った。

「あ、ヒロム、スープ入れてないじゃない。待ってて、母さんが入れてきてあげるから」

 母さんがイスを引いて立ちあがった。

「母さん、大事な話があるんだ」

 ヒロムも席を立って、母さんのそばへ行く。

 いうんだ。ちゃんと自分の気持ちを母さんにつたえるんだ。

「母さん、おれ、これからもサッカーを続けたい」

 母さんの動きがとまった。

「おれはサッカーが大好きだ。だからこれからもサッカーを続けたい」

 ヒロムは母さんの目を見つめた。

 けど母さんはそれから逃げるように目を伏せた。

 母さんだって、自分のいったことを忘れたわけじゃない。


 ヒロムをサッカーに取られるのが怖いの。だからサッカーをめてほしいの。


 その言葉をおぼえているはずだ。

 けど――いや、だからこそ母さんは忘れようとしているんだ。

 すべてを「なかった」ことにして、いままでと同じ日々をヒロムと送るために……。


「最初はサッカーを辞めるつもりだった。けど、やっぱり自分の心にウソはつけない。おれはサッカーが好きだ。だから、これからも大好きなサッカーを続けたいんだ」

 ヒロムの言葉を聞いて、母さんは頭をふった。

 それは息子の気持ちを否定しているのではなく、日常が崩れる恐怖を払いのけようとしているみたいだった。

「大丈夫、母さんをひとりになんかさせない」

 歩み寄ると、ヒロムは母さんをやさしく抱きしめた。

「約束するよ。母さんをひとりにはさせない。ぜったいに」

「ヒロム……」

「だっておれ、サッカーだけじゃなくて母さんのことも大好きだから」

 からだを密着させると、母さんの心臓の鼓動こどうが胸につたわってきた。

「だから、ちゃんとおたがいの気持ちを話しあおうよ。ふたりで前に進むために」

「そうね、前に進まなくちゃね」

 母さんがヒロムの背中に腕をまわした。

 そして――。

「ありがとう、ヒロム」

 自分がしてもらったように、母さんもヒロムをやさしく抱きしめてくれた。


(つづく)



次回はいよいよ最終回! 前後編となるエピソードを2つ投稿します。

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