悪夢
風が重い。
そう感じるほど、ヒロムはドリブルのスピードをあげていた。
相手ディフェンダーがヒロムの前に立ちあがる。
ダメだ。ゴールまであとちょっとなのに、これじゃシュートが打てない。
「ヒロム、パスをまわせ!」
フリー状態で走ってきたセイジが手をあげる。
ヒロムがセイジにパスを出そうとしたとき――
ヒロム、そばにいて。
「え……」
どこからか母さんの声が聞こえて、あたりがまっくらになった。
相手も仲間も、そして見慣れた河川敷の景色も何もかもが消える。
ヒロムは、たったひとり暗闇の中にとりのこされてしまった。
「お願い、ヒロム。お母さんのそばにいて」
ふりかえると、すぐそばに母さんが立っていた。
あたりは暗闇で何も見えない。
なのに、なぜか母さんだけは、はっきりと見ることができる。
「母さん、おれ……」
「お母さんにはあなたしかいないの。だからいつまでもお母さんのそばにいて」
母さんがヒロムを抱きしめる。氷のようにつめたい腕に抱かれて、ヒロムのからだは動かなくなった。
「ずっと一緒にいてね、ヒロム」
母さんのからだが地面に吸いこまれはじめた。
それにともない、ヒロムのからだもまっくらな地面に吸いこまれてゆく。
「いやだ! 母さん、はなして!」
母さんからはなれようとして、ヒロムは必死にもがいた。
けど、どれだけ力をこめても、からだが動かない。
「ヒロム、いつまでもお母さんと一緒にいてね」
母さんの顔が地面に吸いこまれてゆく。
そしてヒロムの顔も……。
★ ★ ★ ★ ★ ★
「うわあああ!」
悲鳴をあげて飛び起きると、たくさんのプラモデルの箱が目に飛びこんできた。
「よかった、夢か」
安心したとたん、肩の関節パーツがくにゃりと曲がった。
「こっちも夢だったらよかったんだけどな」
フィギュアの肩をなでながら、ヒロムはグミのベッドからおりた。
サトミとエイルはベッドを移して、べつのコーナーで寝ているので、ここにはいない。
となりのベッドではヤマトがいびきをかきながら眠っている。
あれ? セイジのベッドが空だ。
(セイジのやつ、どこ行ったんだろ?)
時刻は8時20分。
セカンド・ラウンドでおこなうゲームの説明は8時50分からなので、それまでヒロムはセイジをさがすことにした。
そういえば……。
きのう、あれだけ走りまわったのに、お腹がまったくすいていない。
同じフィギュアでも戦闘員はまんまるショコラを食べていたが、もしかしたら自分たちには食事が必要ないのかもしれない。
そんなことを考えていると、いつの間にかレジコーナーの近くにきていた。
コン コン コン
何かが壁にあたるような音が聞こえた。
「セイジ……?」
そっとお菓子棚から顔を出すと、セイジがまんまるショコラを壁に蹴っていた。
壁にあたって跳ね返ったまんまるショコラを足の内側でとめる。そして、また蹴り返す。
セイジがしているのは壁当てというキックの練習だった。
何度か壁当てをしたあと、セイジはドリブルの練習をはじめた。
最初にゆっくりとドリブルしたあと、つぎにまんまるショコラを遠くに蹴り、全力ダッシュで追いかける。1年生のときから、ずっとビクトリーズでやってきた練習だった。
ダッシュするセイジを見ていると、ヒロムはからだがウズウズしてきた。
サッカーがしたい。
練習でもいい。
もう一度セイジと一緒にサッカーをしたい。
セイジがこちらに向かって、まんまるショコラを蹴った。
(いまだ!)
棚の陰から飛び出すと、ヒロムは転がってきた、まんまるショコラを足裏でとめた。
「ヒロム、おまえ――」
「うばってみろよ」
ヒロムは不敵に笑った。
それを見たセイジもニヤリ。
足を使って、まんまるショコラの取りあいをはじめた。
取っては取られ、取られてはまたチョコでできたボールを取り返す。
たのしい。そして、くやしい。
時がたつのもわすれて、ふたりはまんまるショコラを取りあった。
現実の世界じゃ、こんな時間は二度とやってこない。
それはふたりともわかっている。
だからこそ、いまこの瞬間にすべてをささげたかった。
おれたちはサッカーが大好きだ。
その気持ちををふたりで確かめあい、そして分かちあいたかった。
★ ★ ★ ★ ★ ★
そのあと、ふたりはパスの練習をはじめた。
「ヒロム、何かあったのか?」
パスボールを足の内側でとめて、セイジはヒロムにたずねた。
「きのうサトミがアイドルを辞めようとしたとき、おまえ、必死になってとめただろ。あんなに熱いおまえ、いままで見たことなかったからさ。なんかあったのかなって」
「なんでもないよ。おれだって男だぞ。ただ女の子の前でカッコつけたかっただけだよ」
「ウソをつくなら、キャラにあったウソをつけ」
「……ごめん」
「話せよ。おれとおまえの仲だろ」
セイジがやさしいパスを出した。
ゆっくりと転がってくる、まんまるショコラ。
ヒロムはそれを足ではなく、両手ですくいあげた。
「辞めようと思うんだ」
ふりしぼって出した声は想像以上に小さかった。
「おれ、サッカーを辞めようと思うんだ」
「今度はサトミのマネか? いい加減ほんとのことを――」
「ほんとだよ。おれ、本気でサッカーを辞めるつもりなんだ」
ヒロムはボールを見つめながら、つぶやいた。
「母さんにいわれたんだ。サッカーを辞めてくれって」
「おばさんが? いったいどういうことだ」
セイジがヒロムに歩み寄る。
「話せ、おまえとおばさんとのあいだに何があったんだ」
「…………」
「話せ、ヒロム。話さないと何もわからないだろ」
セイジがヒロムの肩を揺さぶった。
「わかった。ぜんぶ話すよ」
ヒロムは母さんとのあいだにおきたことを、すべてセイジに話すことにした。
「父さんと離婚したあと、すぐにばあちゃんが亡くなったこともあって、母さん、自分のまわりから人がいなくなるのをすごく怖がるようになったんだ」
ヒロムには歳のはなれた大学生のお兄さんがいる。
そのお兄さんが今年から一人暮らしをはじめたのと同時に、母さんの様子がおかしくなりはじめたのだ。
「最初は『サッカーだけじゃなくて、勉強もがんばりなさい』って、軽い忠告をするだけだった。それがだんだんサッカーの試合を見せないようにしたり、練習道具を隠すようになったり、おれをサッカーから遠ざけようとする行動が増えてきたんだ」
「それでどうしたんだ?」
「あんまりにもその回数が多いから、おれ、頭にきて、なんでこんなことをするのか問いつめたんだ。そしたら、母さん、いきなりその場に泣き崩れてさ。そのときにいわれたんだよ。おれをサッカーに取られるのが怖いんだって」
「そんな……」
まゆをひそめるセイジの顔には、呆れではなく自分が理解できないことへの恐怖が見てとれた。
「おれがこのままサッカーを続けたら、サッカーにのめりこみすぎて、自分のことを見てくれなくなるんじゃないか。母さん、それが怖くてサッカーを辞めるよう、おれにいったんだ」
そのときの母さんの、
「ヒロムをサッカーに取られるのが怖いの。だからサッカーを辞やめてほしいの」
という言葉と幼稚園児みたいに泣きじゃくるすがたは、いまもヒロムのまぶたの裏に焼きついている。
「あんな母さん、二度と見たくない。だから、おれはサッカーを辞めることにしたんだ」
「それでいいのかよ!」
セイジがヒロムを突き飛ばした。
「おまえ、それで本当にいいと思ってるのかよ!」
胸が苦しい。
突き飛ばされたからじゃない。
セイジのまなざしが必死だったからだ。
「いいわけないだろ。でも、おれがいなくなったら、きっと母さんはこわれちゃう」
セイジの必死さがつらくて、ヒロムは顔をそむけた。
「6歳のときだったよ、たまたまテレビでJリーグの試合を観て、おれ、サッカーに興味を持ったんだ。そしたら、つぎの日、誕生日でもないのに母さんがサッカーボールとスパイクを買ってくれてさ。すごくうれしかったよ」
そのときのうれしさを思い出して、ヒロムの胸はさらに痛んだ。
「どうして買ってくれたのって訊いたら、母さん、笑ってこたえたんだ。『ヒロムの目にサッカーをやりたいって書いてあったから』って。その母さんが、サッカーを辞めろっていうんだぜ。はは、おかしいよな」
「よせ、笑えねぇよ」
「……母さんは変わった。それでも、おれの胸の中には、あのときの母さんがいるんだ。だから母さんをひとりにはできない。おれがそばにいてあげなくちゃいけないんだ」
セイジはもう何もいわなかった。
けど強く握りしめたつくりもののこぶしは火の玉みたいに真っ赤に震えていた。
「サッカーを辞めることは、きのうの夕食のときに話すつもりだったんだ。けど、なかなか言い出せなくて、けっきょく何も話せてないまま待機空間に召喚されたんだよ」
「サトミにああいったのは、自分の境遇と重ねたからか?」
「まあな。大好きなことを辞めようとしている宝木さんがなんだか他人に思えなくてさ、気づいたら、ファンになるなんていってたんだ」
そのとき、
「ヒロムくーん、セイジくーん」
見ると、エイルとサトミが遠くで手をふっていた。
「早くしないと、セカンド・ラウンドの説明がはじまっちゃうよー」
エイルがピョンピョン飛び跳ねながら、頭の上にタブレットをかかげた。
「ごめん、いま行くよ」
まんまるショコラをセイジをわたして、ヒロムはふたりのほうへ歩き出した。
「こんなおわりかたでいいのかよ」
セイジのうなり声が、ヒロムの背中に突きささる。
「引退試合もしないで、このままおわっていいのかよ」
「最後におまえと練習できたんだ。最高の幕引きじゃないか」
そういいのこして、ヒロムはサトミたちのもとへ走った。
(つづく)
更新は毎日おこなう予定です。




