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第7話 焦がれるほど愛した瞳

 今宵も俺は処刑台の夢を見る。斧が振り下ろされた瞬間、首を断たれた錯覚が蘇る。


── 最後に言い残す言葉はあるか。

 

「……ないに決まっているだろう!」


 夢の中の声に返事しても、あのとき同様、無駄だと分かっている。


──天から陽が、降り注いでいる。


 暗い地下の拷問部屋に何日も閉じ込められ、焦がれに焦がれた陽の光。それが、いつか目に焼き付けた「紫の瞳の男」と重なる。


「見ている……あいつが。あの男が……紫の、瞳が……」


 悪夢はそこで途切れ、跳ね起きた。額にはびっしりと汗が浮いていた。


「はぁ……はぁっ……ッ……夢か」


 深夜だ。リオンの寝息が聞こえる。今夜の彼女は悪夢に魘されていないらしい。窓から射す月明かりに照らし出され蒼白く見える横顔を微笑んで見つめながら、そっとベッドを抜け出す。手持ちの燭台に火を灯し、鏡面台の前まで向かった。


──鏡の中で幽鬼のように揺れる紫水晶(アメジスト)

 

「俺は……この紫の瞳に既視感がある」


 首を刎ねた手応えが今も残っているじゃないか。




 ダリウスの作法指導という名目じみてきた朝食を終えれば、今日も今日とて剣術訓練だ。夢の残滓が胸に(おり)となって沈んでいたが、身体を動かせばそれもすぐに吹き飛ぶだろう。

 

「構え、よし! 斬りかかれ!」


 今行っているのは実践訓練だ。教官の号令を聞いて、一人の騎士見習いがこちらに木剣を振りかぶった。

 

「いくぞ、殿下!」


 だが、ふいに例の「紫の瞳」が頭の中に明滅した。まただ。また見ている、あの瞳。


「うっ……!」


 紫の瞳に睨まれた瞬間、腕から力が抜けた。木剣は指先から滑り落ち、土に突き立つ音が鼓膜を打った。教官が弾かれたように声をかけてくる。

 

「殿下!? どうされた!」


 いつものように隅で訓練を眺めていたリオンまでもが駆け寄ってきた。


「カイル!? 大丈夫!?」


 そこで、身体が己のものではなくなったかのごとく言うことを聞かなくなった。鉛のように重い全身が沼に引き摺り込まれていく錯覚と共に、視界が闇に染まった。




 額にひんやりとしたものが当てられる感触にようやく目を覚ました。濡れ布巾を当てられているのだ、と分かった。

 

「目を覚まされましたか、カイル。……お加減は?」


 それは、今一番会いたくなかったレティシア王太后の声だった。なぜ会いたくないのかまで理由の言語化はできないが。


「……なぜ、あなたがここに」


 レティシアはわずかにため息をついた。何を当たり前のことを、とでも言いたげだ。

 

「母でしょう? あなたが倒れたと聞いて、居ても立ってもいられなかったのです。……何があったのです?」


 尋ねられたので、正直に返す。


「……夢を見たんだ。処刑台の、夢だ」


 レティシアは目を逸らし、眉を曇らせた。

 

「……紫の、瞳が出てきましたか?」


「なぜ、それを知ってる」


 だが、レティシアはかぶりを振る。

 

「いいえ、ただ……あなたの瞳を見ていると、思い出すのです。あの方のことを」


「誰を……?」


「……ごめんなさい。今は、休むことが大切です」


 そう微笑んで、レティシアは俺の額に手を触れようとしてきた。とっさにその手を払う。まだその優しさを受け入れられなかった。


「やめろ」


 手を離してから、レティシアは睫毛を伏せた。

 

「なぜ、あなたはそんなに、優しいんだ。過剰に。……まるで、何かを隠すように」




 その晩は寝付けなかった。眠りに落ちてしまったら、またあの処刑台の夢を見てしまう。紫の瞳が俺を見ている。あの陽の光が見ている。……俺が首を断たれる瞬間を。

 

 紫の瞳は俺の最期を嗤って見ていた。その瞳を今、俺が持っている。「あいつ」と同じ色の瞳を。


 ***


 王宮の朝は早い。夜明けとともに鐘が鳴り、回廊の銀燭台が一斉に消されると、白大理石の床を磨く侍女たちの足音が規則正しく続いた。


 昨夜ほとんど眠れなかった王太后レティシアは、寄り添う女官を下がらせ、単身で窓辺に立った。十年前、アルセヴァ王国の第一王子が生まれてわずか数刻で誘拐されたあの夜……赤子の泣き声が風にさらわれ、産着だけが残された夜以来、王太后の眠りは浅い。


「十年……」


 呟きをかき消すように、訓練場から剣戟の乾いた音が届いた。何かの胸騒ぎに突き動かされ、レティシアは裾を払って廊下を進む。蒼白い朝の光が鎧を照らし、巡邏の騎士たちが頭を垂れた。王室の象徴である双頭竜のタペストリーをくぐると、半開きの硝子窓から冷たい風が吹き込む。


 中庭に面した訓練場に、稽古用のシャツを纏った少年カイルがいた。まだ齢十歳、小柄な体躯。けれどその足捌きには、十年で身に付くはずのない研ぎ澄まされた重心の移動があった。刃を模した木剣は一太刀ごとに空気を裂き、守兵の練士がわずかに肩をすくめる。


 その瞬間、少年が振り返った。紫水晶の瞳。鮮烈な朝陽を反射して煌めくその色は、亡き夫セイランとまったく同じはずなのに、レティシアの胸は凍りついた。


(違う……あの目は……)


 瞳の奥に宿った、どこか遠くを見る冷徹な静けさ。目を覆いたくなるような拷問を受け、肉体を削られながらも死を怖れず、処刑台の上で陽の光をじっと見つめていた、あの騎士の目によく似ていた。

 

──十年前の彼だ。


 なぜ、そう思ったのだろう……レティシアは近くの壁にもたれかかった。胸を突く鼓動が耳を塞ぐほどに大きくなる。


「王太后様、お顔色が……」


 側仕えの侍女が気遣う声をかけたが、レティシアは手を振って制した。


「構わぬ。……少し、風に当たるだけだ」


 カイルは再び木剣を構え、見習いの(けん)(せん)をいとも容易く弾き落とした。その、躊躇わぬ殺気が……昔日の処刑台で、剣を帯びぬまま立ち尽くしていたあの男の眼差しと重なった。


「まさか……」


 言葉は白い吐息となって霧散した。

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