第7章「水城ほのか、ラストスピーチ」
放課後の美術室。
曇天の外光が差し込む中、5つの椅子が円を描いて置かれていた。
その中央に、水城ほのかは立っていた。
昨日と変わらない制服。昨日とは違う、まっすぐな目。
「……来てくれて、ありがとう」
小さな声だったけど、誰の心にもはっきり届いた。
集まったのは5人。
秋津遼介、伊佐坂笑美、藤野凪、中嶋ケンゴ、そして——水城自身。
水城はゆっくりと息を吸い、吐いた。
「“こじらせルーム”、今日で終わりにします」
一瞬、沈黙が落ちた。
ケンゴが小声で「……マジか」とつぶやき、凪はそっと視線を落とす。
「正直、始めた理由なんて、最初から曖昧だったの」
水城は笑った。いつもの“優等生の仮面”じゃない、本当の笑顔だった。
「誰かの恋の失敗とか、感情のこじれを聞いて、“ああ、みんなも同じなんだ”って思えば、自分は特別に痛い存在じゃなくなる気がしてた」
「……でも、それって逃げだった」
秋津が少しだけ目を伏せる。
「私、ずっと昔に言われたの。“感情を全部ネタにする人って、本気の恋できるの?”って」
それは自嘲にも似た独白だった。
「たぶん、できなかったんだと思う。できた“つもり”でいたけど。誰かに憧れて、でもそれを本気でぶつけるのが怖くて、“一歩引いたフリ”をしてた。……演技が、上手すぎたのかも」
彼女の声が、少しだけ震えた。
伊佐坂が、口を開いた。
「……あんたが怖かったのって、たぶん“本気を見せる”ことじゃない。“本気を笑われる”ことだったんじゃないの」
水城は、目を見開いた。
「それ、私がそうだったからわかる。……演技してる間は、痛くない。バカにもされない。“あ、そういうキャラね”って済むから」
その言葉は、まるで自分に向けた刃のようだった。
でも、痛みは、共有されると少しだけやわらぐ。
「私は……」
水城は言った。
「今なら、ちゃんと好きって言える気がする。叶わないってわかってても、ちゃんと、伝えて、終われる気がするの」
そして——彼女は、秋津をまっすぐに見た。
「秋津くん。……中学のとき、あんたのこと、好きでした」
凪が、伊佐坂が、ケンゴが、静かに息を飲む。
「でもね、今はもう違うの。ちゃんと、終わったの。ようやく、過去にできたの」
秋津は——何も言わなかった。ただ、真っ直ぐな目で、水城を見返していた。
「ありがとう。……“過去の自分”に、付き合ってくれて」
水城は微笑んだ。そして、言った。
「“こじらせ”って、たぶん、誰にも理解されない痛みじゃない。“自分でもちゃんと扱えない”って思ってる未整理の気持ちのことなんだと思う」
その言葉に、誰もがうなずく。
ゆっくりと、美術室の空気が変わっていった。
「じゃあ、これで解散。……みんな、ここからはそれぞれの“こじらせ”と、自分で向き合ってね」
そう言って、水城は円の中心から一歩引いた。
けれど、秋津がぽつりとつぶやいた。
「……なあ、今日だけはもうちょっと、話しててもいいか?」
「……え?」
「なんか、“終わった”って言うには、ちょっと惜しいメンツだと思うんだよ。俺はさ」
水城が、ふっと笑った。
それは、ようやく「演技」じゃない素の笑顔だった。