第5章「水城ほのか、笑えない本音」
「……おい、ちょっと待て」
放課後の美術室、空気が止まったままだった。
凪が、はにかむように「秋津くんです」と言ってから、全員の時間が止まっていた。
秋津は立ったまま微動だにせず、伊佐坂は腕を組み、ケンゴは口を半開きにし、水城は、ずっと無言だった。
「……さっきのは、演技の一環とかじゃなくて?」
秋津の声は、ひどく現実的だった。
「……本気でした。わたし……本当に、好きだったんです。今は……もう、だいぶ、過去の話ですけど」
凪の声は揺れていなかった。
だが、その「本気」が場にしこりのようなものを残していく。
「……ああもう、こうなると思ったわ」
ついに重い口を開いたのは、伊佐坂だった。
「だから“再現劇”とか言ってる時点でヤバいって言ったのに。誰だよこんな会を主導したのは」
「……私、だけど?」
それまで黙っていた水城ほのかが、静かに言った。
「……水城?」
秋津が振り返る。
その目の奥にあるのは、微かに動揺——いや、恐る恐る、というべきか。
「私は別に、責められるつもりでやったわけじゃない。でも……ちょっとだけ、知りたかったのかもしれない」
「知りたかった?」
「“本当にこじらせてるのは誰か”ってこと」
水城の言葉は、どこか寂しくて、それでいて鋭かった。
「私はさ、自分の気持ちなんて全部整理できてるつもりだった。失恋も、恋心も、友情も……全部、客観的に見てるつもりだった。でもさ」
彼女は微笑んだ。
けれど、それは見慣れた笑顔ではなかった。
「いざ、他の誰かが本気で“好きでした”とか言うのを聞いたら、すごくイヤだった。ムカついたわけでも、悲しかったわけでもない。ただ、どうしようもなく、冷えた」
「……それって」
秋津が口を開こうとした瞬間、水城が制するように言った。
「違うよ、私が好きだったのは秋津くんじゃない。……いや、正確には、もう違うと思ってた。ちゃんと諦めたつもりだったの」
その場の誰もが、言葉を失った。
「でも、“諦めたつもり”って一番厄介だよね。感情は、完了形にならない。自分でピリオド打ったつもりでも、句読点の後でまた、勝手に続きが始まっちゃう」
水城はそれ以上、何も言わなかった。
ただ立ち上がり、静かに美術室を後にしようとした。
「……待てよ、水城」
秋津の声が止める。
「それ、本気で言ってんのか」
彼女は振り向きもせず、ぽつりとだけ言った。
「ねえ秋津くん。自分が“こじらせてる側”だって、ちゃんと自覚してる?」
そして、扉を閉めた。
その背中に、誰も何も言えなかった。