第2章「こじらせたやつらの会」
こじらせルーム——その実態は、ただの旧美術室だった。
壁にはひび割れたスケッチが掛かり、棚の隅には埃をかぶった油絵具が眠っている。誰も使わなくなったこの空間に、たった四人の「心に火傷を負った人間」が集っていた。
俺、秋津涼。
主宰者(?)の水城ほのか。
そして、残りのふたりは——
「伊佐坂 笑美。一応、三年生。恋人に浮気されて、ふられた方。てか“浮気相手”が私の親友だったんだけど、さすがに笑うよねー?」
ショートカットの女があっけらかんと名乗った。だがその口調とは裏腹に、指先には癖のある緊張が宿っている。机の端に置かれたミネラルウォーターを無駄に回しているのが、それを物語っていた。
「俺は中嶋ケンゴ!二年A組。彼女にガチ恋してたけど、卒業式の日に“キミは親友止まりだよ”って言われて死んだ。以降、毎朝“お前は友達モブ!”って自分に言い聞かせてる。あ、でもメンタルはだいたい無事!」
そう叫ぶ男子は、とにかくうるさい。だが、たぶん、それは防衛本能の一種だ。陽気な演技は、内側の崩壊を覆い隠すための仮面。
水城が手を叩いた。
「じゃあ、今日の“こじらせ報告会”はこれで終わりにします」
「そんな名前だったんだ、これ」
俺がぼそりと言うと、水城は笑う。
「いや、今決めた」
自由すぎる。
だが、不思議とこの空間には、妙な心地よさがあった。
みんな、自分のダメなところをさらけ出している。傷を笑うでもなく、哀れむでもなく。ちょっとだけからかって、ちょっとだけ共感して、そしてそれで終わり。
それだけなのに、なぜか——少しだけ心が軽くなる。
「てかさ、秋津くんは? なんでここ来たの?」
突然、伊佐坂が聞いてきた。
「失恋?告白失敗?三角関係?不倫?」
「最後の選択肢重くね?」
俺はため息をついてから、言った。
「……昔、告白された。でも俺は怖くて、何も言えなかった。待たせたまま、逃げた。……気づいたときには、相手は転校してた」
静寂が流れた。
「……うわ、それ……」
「えぐいな」
「でしょ?」
俺は苦笑する。
今でも後悔してる。あのとき、ちゃんと答えていれば。なにかひとことでも言えていれば——。
「じゃあ、その子のこと、まだ忘れてないの?」
水城が静かに訊いた。
「……わかんない。ただ、あれ以来、誰かを好きになるのが、怖い」
「ふーん」
水城は、それ以上何も言わなかった。ただ、少しだけ嬉しそうな顔をしていた。
理由はわからなかった。けれど、その笑顔が、やけに心に引っかかった。
***
こじらせルームは、基本的に毎週金曜の放課後だけ開かれる。ルールは簡単。参加自由、発言自由、そして——恋愛において死んだ人間だけが入室可能。
その週の金曜。
「お、お邪魔します……」
新たなこじらせ者が、ひとり。
まるで捨て猫のように震えた肩を抱えて、美術室に入ってきたのは、赤面した女子だった。
長めの前髪で目元が隠れている。大人しそうな印象……だったのは最初だけ。
「わ、私、あの……恋を、捨てたので……! あ、あの、ここに来たら、なにか……楽になりますか?」
水城が、にっこりと微笑んだ。
「ようこそ。“こじらせ”の世界へ」