第九十五話 小話「好き嫌い」
「焼きおにぎりが好きなのはわかったから、他に何かないの?」
入浴も夕食も済ませたことで、広い居間は和やかだ。
迷いの森に夜が訪れようと、家の中は光で満たされている。消灯にはまだ早い時間帯ゆえ、就寝までの過ごし方はそれぞれだ。
エウィンは腕立て伏せ。つまりはトレーニングであり、その上下運動は非常識なほどに素早い。
アゲハは椅子に座って読書に励んでいる。
本のタイトルは魔物図鑑。傭兵ならば、必読の資料集と言えよう。
そして、声の主はハクアだ。白衣は脱いでおり、ラフな部屋着は寝間着も兼ねている。
先ほどまでは、居間の最奥で白紙大典とじゃれ合っていた。
その姿をエウィンにおちょくられた結果、話題が二転三転して今に至る。
返答のために腕立て伏せを中断、床板に座って口を開く。
「さっぱりしてるチャーハンとか、こってりしてるラーメンも好きですよ」
「なんか矛盾してない? いやまぁ、食の好みにツッコミ入れるのも野暮ってもんだけど……」
ハクアが顔をしかめるも、エウィンは真顔のままだ。
「ちなみに嫌いな食べ物は特にありません。好き嫌いなんてしてたら、浮浪者は生きていけないので」
「あっそ。確かにあんたって、出されたものなんでも食べるわね。アゲハ、少しは見習ったら?」
「う……」
聞き耳を立てつつも、会話に参加しなかったアゲハ。
しかし、年長者から痛いところを突かれたため、本を置かずにはいられない。
「な、生卵、だけだから……」
「あんたねー、食材だって限られるの。わがまま言わないで克服なさい」
「うぅ……」
正論だ。
そして、説教でもある。
この日本人は二十四歳の大人ゆえ、ハクアとしても小言の一つも言いたくなってしまう。
萎縮するアゲハを他所に、エウィンはふと思いつく。
「ハクアさんは、好きな食べ物と嫌いな食べ物って何なんですか?」
「別にないわよ。千年も生きてると、食への関心が廃れるの」
「それって、ただの老化じゃイタッ! な、殴ること……」
家庭内暴力だ。赤髪の魔女が、居候の頭頂部をガツンと殴った。
痛がる若者を見下ろしながら、ハクアが愚痴るように言い放つ。
「なめたこと言ってると、食事作らないわよ」
「だったらアゲハさんにお願いしますー」
「く、こいつ……。たまには自分で作りなさ……、今のなしで」
ハクアが自分の発言を撤廃した理由。それは、エウィンが調理に関してはどこまでも不器用だからだ。
過去に、手伝わせたことがあった。
しかし、包丁を握ろうものなら、まな板すらさっくりと切ってしまう。
つまりは、加減具合から教えなければならない。
ハクアとしても、匙を投げずにはいられなかった。
踵を返した魔女の後ろ姿を眺めてから、エウィンは視線をずらす。
「アゲハさんって、なんで卵ダメなんですか?」
「火を通せば、なんともないんだけど……。黄身と卵白を繋ぐ、カラザが、ダメで……」
「へ~……」
エウィンの反応が曖昧な理由は、カラザが何を指すのかわからないからだ。
ゆえに、補足を求めるか話題を変えるしかない。
今回は後者を選ぶ。
「あ、この前食べたタレ、もう一度食べたいです!」
「タレ? あ、お肉の?」
「それですそれです。甘辛いやつ」
思い出しただけで涎が出てしまう。
スパイシーな上に濃厚なそれは、トカゲ肉を極上の料理へ昇華させる。
エウィンさえも虜にするそのタレには、特別な名前が与えられていた。
「うん、明日作るね。焼肉のタレ」
「わーい」
若者達が盛り上がる中、ハクアは椅子に腰かけ思い出す。
(あれって確かに美味しいけど、でも、ただただ濃厚なだけじゃ……)
個人の感想だ。
少なくとも、エウィンはこのタレでトカゲ肉だけでなく、お米を何杯でも食べられてしまう。
その味を脳内で反芻しながら、スクワットを開始したエウィン。その顔はらしくないほどに満面の笑みだ。




