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第九十二話 神様からのプレゼント

 渡り鳥の襲撃から一夜明け、里は本来の活気を取り戻す。

 新たな一日の幕開けだ。

 綿菓子のような雲が点々と浮かぶ中、太陽は今日も遠慮を知らない。降り注ぐ朝陽は眩しく、森と里を存分に暖める。

 あるいは、その熱気がそう感じさせるだけか。

 広大な空き地は鍛錬場ながらも、多数の人間で賑わっている。

 もっとも、押し寄せた者達はほとんどが野次馬だ。観客とも言い換えられるが、どちらにせよ部外者であることに変わりない。

 彼らが見つめる先では、二人の男が向かい合っている。

 緑髪の少年はエウィン。今日も若葉色のカーディガンを着ており、黒いズボンはあちこちが痛んでいる。既に純白のオーラをまとっていることから、臨戦態勢と言えよう。

 もう一人はモーフィス。白髪の老人ながらも、エウィンよりも遥かに長身だ。全身に膨大な筋肉を搭載しており、上半身は肉体美を見せつけるように何も着ていない。

 縦にも横にも厚みのあるこの男は、現役を退いてなおハクアに次ぐ実力を保持している。

 若者達の鍛錬を一時中断してでも、この二人が戦う理由。それはエウィンの成長度合いを調べるためであり、里長の業務命令だ。

 この騒動を聞きつけ里の者達が興味本位で足を運ぶも、ハクアは咎めることなく二人へ話しかける。


「モーフィス、やり過ぎないように!」

「わかっとる」

「エウィン、もしも勝てたら、そうね……、特に考えてなかったわ」

「え、だったら晩御飯を豪華に……」


 エウィンはまさかの肩透かしによろめくも、咄嗟に要望を思いつく。

 この発言を受けて、ハクアが左隣へ顔を向けた理由は明白だ。そこにはアゲハが付き添っており、確認せずには何とも言えない。


「食材とか、大丈夫?」

「うん、献立次第、だけど……」

「それもそうね。何食べたいの⁉」


 ハクアは審判も兼ねているため、いくらか離れた位置に陣取っている。

 また、観客はわきまえるように遠方で並んでおり、模擬戦に巻き込まれる心配はない。

 エウィンはリードアクターを維持したまま、顎に手を添え考える。食に対する執着は人並以下ゆえ、こういった問いかけには即答出来ない。


「だったら、焼きおにぎりで!」

「あんたねー、昨晩も食べたでしょ? 他にないの?」


 ハクアとしても、眉間にしわを寄せてしまう。

 もしもこの案を採用した場合、二夜連続で焼きおにぎりだ。そのこと自体に不満があるわけではないのだが、ご馳走に対する返答がこれでは、彼女としても呆れてしまう。

 愚痴る家長の態度から、エウィンは急ぎ代替案を提示する。


「んー、じゃあ、タルタルソースで」

「あ、あんた、殴られたいの?」

「え⁉」


 純白の闘気で身体能力を大幅に高めていようと、ハクアの怒気には恐れおののく。

 しかし、彼女としても言い分があった。


「タルタルソースは主食でもなければおかずでもないでしょうに。調味料みたいなものなの。そんなこともわからないの?」

「だって~、他に思いつかなくて……」


 今回ばかりはハクアが正しい。

 しかし、アゲハがこのタイミングで助け船を出す。


「タルタルは、サラダにかけるね」

「さっすがー、後はお任せします!」


 夕食の献立が一品だけ決定だ。

 もっとも、エウィンが勝たなければ採用されず、ハクアはその可能性はないと誰よりも理解している。

 なぜなら、両者の実力は残念ながら並んでいない。

 エウィンが一か月前にこの里を発つまで、モーフィスとの手合わせは毎日のように行われていた。

 その全てがエウィンの惨敗だ。リードアクターを使ってもなお、ただの一勝も掴めていない。

 それでもこうして模擬戦を強制させる。

 本人は一か月間の筋肉トレーニングを熱弁しており、ハクアとしても無視出来ない。

 ましてや、昨日の襲撃者を二人も退けたことからも、その実力は紛れもなく一級品だ。


「わかったから、そろそろ始めなさい」


 審判がため息をつくように促したことから、ルール説明も兼ねた話し合いは終了だ。

 その結果、訓練場の空気がひりつく。長身の老戦士が気合を入れた影響だ。


「よし、始めるぞ。おまえさんには感謝しておる。だからこそ、本気でぶつかって来い」

「はい。感謝と本気うんぬんはよくわかりませんが、僕も少しだけムキムキになりましたし、可能な限りは食らいついてみせます」


 エウィンも劣ることは自覚している。

 それでも怖気づかない理由は、これが命の奪い合いではないからだ。

 負けても構わないという安心感が、肩の力を抜いてくれる。

 眼前の老人は、確かに強敵だ。渡り鳥よりも手ごわいことは間違いない。

 そうであろうと、エウィンは一歩も引かない。真っ白なオーラも力強くたなびいており、その姿は闘争本能の塊だ。

 この状況が、モーフィスにらしくない発言をさせる。


「ほれ、さっさと来い。さもなくば、一瞬で終わらせてしま……」


 挑発は失敗だ。

 正しくは不要だ。こんなことをせずとも、エウィンは奮い立っている。

 そうであると裏付けるように、少年の拳が襲いかかる。

 地面が爆ぜるほどの急発進。瞬く間に懐へ飛び込むと、むき出しの腹筋へ拳をめり込ませる。

 アッパーカットのような打撃には十分な破壊力が宿っており、モーフィスとしても己の迂闊さを恨むしかない。


「ぶほっ⁉」

「どうだ!」


 挨拶代わりの一発だ。

 エウィンは十分な手応えを感じつつも、反撃を恐れて一旦後ずさる。

 同時に、モーフィスの反応には目を疑ってしまう。


「く、これほどとは……。昨日の嬢ちゃん達が、敵わんはずじゃ」


 腹を摩りながら、老戦士がうろたえている。

 少なくともエウィンの記憶には、このような姿は見当たらない。

 モーフィスは頑丈な男だ。以前の模擬戦では一度たりとも、痛がるような素振りを見せなかった。

 そのはずだが、今回は冷や汗を抑えられていない。

 エウィンの筋力が向上した結果だ。

 その事実に驚きながら、老戦士は右手で挙手する。


「里長、タンマじゃ」

「何?」


 突然の停戦だ。

 ハクアとしても、腕組みのまま次の言葉を待つしかない。


「本気でいかせてもらう。戦技を使っても、よいかのう?」


 誰もが予想しなかった宣言だ。

 エウィンや野次馬は当然ながら、ハクアも息を飲んでしまう。


「好きになさい。周りを巻き込むんじゃないわよ」

「わかっとるわい」


 作戦会議は終了だ。

 上長の許可が得られた以上、モーフィスとしても遠慮はしない。腹部の痛みを気合で消し去りながら、エウィンへ不敵な笑みを浮かべる。


「すまんな。もう手を抜いたりはせん」

「ぼ、僕まだ死にたくないんですけど……」

「俺の戦闘系統は強化系。痺れるような一発をおみまいされた以上、肉質向上を使うとするかのう」


 モーフィスの戦闘系統は、己の肉体を部分的に強化することが可能だ。

 その候補は三つ。

 腕力。

 脚力。

 そして、全身の頑丈さ。

 同時に複数を高めることは出来ず、これらは上書き関係にある。

 この老人が選んだ戦技は、肉質向上。打たれ強さを高めなければならないと判断した。

 モーフィスが一瞬だけ黄色い光をまとうも、これが戦技発動の合図だ。

 この事実と気迫が、エウィンを引きつらせる。


「戦技なんてずるい!」

「よう言うわい。だったら、おまえさんのそれはどうなんじゃ?」

「これはこれと言いますか、使わないと勝負にすらならないんで……」


 リードアクターは異常なドーピングだ。戦技による上昇度合いはおおよそ一割から二割程度と言われる中、この天技はその比ではない。

 モーフィスもそうであると見抜いているからこそ、呆れるように指摘してしまう。

 当然ながら、エウィンにこれ以上の反論は不可能だ。口ごもるようにうろたえるも、その隙を見逃すほどこの老人は優しくなかった。


「再開すると言った!」

「う⁉」


 問答を切り上げるように、モーフィスが走り出す。

 まるでイノシシのような突進だ。

 その迫力に飲まれたわけではないのだが、エウィンの反応は間に合わない。

 ただただ愚直な、しかし、迷いのない体当たり。その破壊力は、モーフィスの体重と速度に比例するため、仮に観客の中へ突っ込めば死者は一人や二人では済まない。

 エウィンは両腕を盾に見立てて正面から受けるも、大きく吹き飛ばされてしまう。

 それでも転倒は免れた。尻餅すらつかずに踏ん張れた理由は、リードアクターだけのおかげではない。


(な、なんて力強さ……。でも、耐えられた)


 両腕がビリビリ痺れるも、その程度だ。

 モーフィスがもたらす運動エネルギーは、大型トラックとの正面衝突に等しい。人体を損壊させるには十分過ぎる威力ながら、この傭兵は無傷で耐えてみせた。

 両者の距離が開いたことから、一瞬の静寂が訪れる。

 しかし、これが嵐の前の静けさだと、見守る誰もが気づいている。

 殴り合いだ。両者が駆け出した次の瞬間、轟音がとめどなく響き始める。その衝撃は凄まじく、野次馬達を仰け反らすばかりか、森の木々すら揺らすほどだ。

 それほどの威力で、彼らは相手を殴っている。

 両者の背丈は頭二つ分離れており、モーフィスは見下ろすように、エウィンは見上げる姿勢で両腕を稼働させる。

 互いに一歩も引かないばかりか、防御すらも後回しだ。

 凄惨な暴力に観客やアゲハが目を背けようとするも、ハクアだけは戦況を見極める。


「まずいわね」

「え?」


 そのつぶやきに、アゲハとしても驚きを隠せない。

 彼女の瞳には、殴り合う二人の実力は近しいように映る。

 しかし、ハクアの魔眼はより正確な情報を捉えていた。


「そろそろ限界よ。あ、ほら」


 彼女の言う通り、戦局が傾く。

 勇敢にも殴り合っていた彼らだが、その内の片方が仰け反ってしまう。

 緑髪を揺らし、鼻血を拭きだすエウィン。このタイミングでダメ押しの一撃を頬に受け、地面を擦りながら吹き飛ぶ。

 熾烈な力比べは、この結果だけを切り取ればモーフィスの圧勝だ。

 しかし、ハクアの分析は異なる。


「リーチと身長が原因なんだけど、その意味、わかる?」

「う、ううん……」

「モーフィスはエウィンの顔を好き放題に殴れる。腕が長いから。だけどエウィンは、リーチの差でそうもいかない。体を寄せて何度か殴れてたけど、そのワンアクションが痛打をもらうはめになってた。まぁ、打たれ強さに関しても、モーフィスの方が上かもね」


 ハクアは審判らしく、どちらも応援していない。

 一方でアゲハは完全にエウィンの味方だ。祈るように拳を重ねながら、動かない恩人を凝視し続ける。


「が、がんばって……」

「もっと腹から声出しなさいよ。まぁ、安心なさい。あいつはまだ立てるから」


 事実、その通りだ。

 仰向けで倒れていた少年が、よろめくように起き上がる。鼻や口からの流血が負傷具合を物語るも、本人は腕を振り回す程度には元気だ。


(痛いけど……、まだ戦える。と言うか、食い下がれた自分を褒めたいぐらいだ。負けるにしろ、もうちょっと踏ん張ってから……)


 諦めているのか、そうではないのか、エウィン自身も把握出来ていない。

 それでも足は前に進んでくれる。

 その姿を眺めながら、ハクアは表情を緩めずにはいられない。


「モーフィスに本気を出させた時点で上出来よ。さすがに勝てはしないでしょうけど、焼きおにぎり作ってあげなさい」

「うん。タルタルと、新メニューの、きんぴらとトカゲ肉の味噌焼きも……」

「え? 何それ美味しそう。私にも教えて」


 審判と一人応援団が夕食の献立で盛り上がる中、模擬戦は次のステージへ移行する。

 倒しきれなかったにも関わらず、モーフィスは笑顔を隠そうとはしない。


「エウィン、相当に腕を上げたな。筋トレの成果は伊達じゃない、と」

「ありがとうございます。あっという間に服がずたぼろですが、まだまだがんばります」


 緑色の袖で鼻血を拭きつつも歩き続けるエウィン。

 大樹のように、そこから動かないモーフィス。

 会話が途切れた結果、足音だけが響くも、静かな時間はここまでだ。

 緑髪の傭兵がそこから姿を消した瞬間だった。重々しい低音が周囲を驚かせる中、モーフィスが苦しそうによろめく。

 なぜなら、右足を蹴られた。

 エウィンは急発進で距離を詰めると、対戦相手の左側へすれ違う刹那、へし折るように右足を蹴とばす。

 もちろん、その試みは失敗だ。体勢を崩すことは出来たが、筋肉の壁に致命傷を阻まれてしまう。

 そうであろうと問題ない。この老人が頑丈なことは百も承知だ。

 エウィンは加速するように追い越すと、隙だらけの背中へ飛び蹴りを命中させる。


「ぐぅ⁉ だがな!」


 モーフィスは堪えつつも即座に振り向き、丸太のような右腕でエウィンに殴りかかる。

 この思い切りの良さが少年を驚かせるも、成果としてはそこまでだ。

 エウィンはステップを踏むように右方向へ跳ねると、対戦相手の左手側へ移る。

 反撃の時間だ。硬そうなわき腹へ、打撃を四発めり込ませる。

 しかし、深追いはしない。モーフィスが左腕を伸ばすより前に、少年は後方への避難を終える。


(真っ向勝負はダメだ。スピードで翻弄!)


 エウィンが善戦出来ている理由は、モーフィスの得意分野を避けたからだ。

 パワー比べや殴り合いでは、勝ち目がない。

 そう気づけた以上、異なるアプローチで攻める。

 一撃離脱だ。

 実践するように、エウィンは改めて間合いを詰める。

 そして、姿勢を低くしながら鳩尾へキック。足の裏を押し付けるような蹴りながら、効果は絶大だ。

 モーフィスが顔を歪ませようと、欲張らず後退。

 もっとも、少年は攻撃の手を緩めない。

 跳ねるように飛び掛かると、皺だらけの顔を振り抜くように殴る。

 その結果が、モーフィスの尻餅だ。

 これが格闘技の興行ならば、審判が大声でカウントダウンを始めるだろう。

 しかし、ハクアは動かない。

 その理由を知らないままに、エウィンは様子見も兼ねてゆっくりと間合いを取る。


(もしかして、このまま勝てちゃう?)


 そう思いたくなるほどには優勢だ。

 事実、戦闘方針を変えてから、ただの一度も反撃を受けていない。

 エウィンは改めて鼻血を拭うと、対戦相手の出方を静かに見守る。

 静寂はほんの数秒だ。

 大きな笑い声が、沈黙を破った。


「がはは! 見違えるような身のこなしじゃ! 思わず見惚れるほどにな!」


 劣勢ながらも、モーフィスは楽しそうだ。降参の二文字は頭にないらしく、何事もなかったのかのように立ち上がる。

 その姿を眺めながら、エウィンとしても問わずにはいられない。


「あんまり効いてない感じですか? 手加減なんかしてないんですけど……」

「安心せい、ズキズキしとる。ただまぁ、我慢は出来るがのう」


 つまりは、致命傷とは程遠い。

 ハクア達と観客が見守る中、二人の距離が縮まった理由は、モーフィスがドスンドスンと歩き出したためだ。

 対照的に、エウィンは動かない。互角以上に戦えているという状況把握が幻想だと気づかされた以上、次の一手が必要だ。

 しかし、思いつかない。


(真正面から殴り合ったら負けちゃう。スピードで翻弄しても倒しきれない。やっぱり勝ち目なんか……)


 この瞬間、エウィンは模擬戦の最中に集中力を切らす。

 その隙を、モーフィスは見逃さない。歩みを進めながら、右腕を持ち上げて握り拳を作る。


(終わりだな)


 そう確信してしまうほどに、エウィンは無防備だ。

 殴る前から結末がわかっていようと、右手は振り下ろされてしまう。

 これは模擬戦だ。

 どちらかが降参するか、審判がジャッジを下さない限りは戦わなければならない。

 両者の距離は十分縮まった。

 それに伴い、モーフィスの右手は急降下と共に振り抜かれる。

 寸止めも一つの気遣いだろう。

 それでも今回は相手の力量を認めたがゆえに、容赦なく殴る。

 その結果がこれだ。

 老戦士は目を見開きながら、自身の巨躯を硬直させる。

 当たるはずの拳が、どういうわけか空気を殴った。

 当然だ。エウィンはその軌跡を察知していたため、避けられないわけがない。


「あぶなかった……」

「なんじゃと?」


 両者共に驚きを隠せない。

 叱るようなビンタではなく、頬骨を砕くような打撃だった。エウィンはやり過ごせてもなお、恐怖する。

 もっとも、モーフィスとしても目を疑ってしまう。

 身構えてすらいなかった対戦相手が、今日一番の回避行動を披露した。

 種明かしはシンプルだ。

 危機察知による、疑似的な未来予知。

 エウィンが持っている天技の一つであり、この瞬間、彼らは共通の認識に至る。


(この戦い……)

(ここからじゃ)


 諦めるにはまだ早い。

 勝ちを確信するなど愚かだ。

 そう気づかされた以上、二人は至極当然のように殴り合う。

 しかし、最初の攻防と異なる点が一つ。

 エウィンは積極的に攻めようとはしない。逃げの姿勢ではなく、モーフィスの猛攻をいなしてからの反撃に徹している。

 卑怯とは誰も言わない。巨大な拳は弾丸のような速度で突き進んでおり、これを避けられる者など、この里においてはハクアだけだ。

 部外者を含めても良いのなら、二人目がこの傭兵と言うことになる。

 この状況、ボクシングで例えるなら、二人の選手は共に手を出し合うも、挑戦者は機敏なフットワークで相手のグローブを避け切っている。

 その合間にしっかりとカウンターを命中させており、仮に試合が最後まで続こうものなら判定勝ちは確実だ。

 エウィンとモーフィスの攻防はまさしくそれであり、もちろん、地球人とは別格の身体能力で近接戦闘を繰り広げている。

 空ぶった拳が突風を作り出し、その威力は観客に尻餅をつかせるほどだ。

 先ほどの例えとは裏腹に、この模擬戦は足技も許される。

 殴ると見せかけたフェイントに、エウィンがギョッとした瞬間だった。

 モーフィスの回し蹴りが、人体を上下に分断するかの如く襲いかかる。

 こんなものは、そう来るとわかっていなければ避けられない。

 だからこそ、この少年ならば対応可能だ。

 落とし物を拾うように、太すぎるその足を屈んでやり過ごす。

 とは言え、その迫力には気圧されてしまった。エウィンは体勢を立て直すためにも、反撃を諦めて数歩下がる。

 その後も紙一重なワンサイドゲームが続くのだが、ハクアはこのタイミングで気づかされる。


「か、考えてもみなかった。まさか、こんなことが……」


 このつぶやきには、隣のアゲハも反応を示す。


「え? どうしたの? エウィンさん、負けちゃう?」

「あ、ううん、そういうことじゃないの。そうね、あんたは頭が良いから教えてあげる。私とマリアーヌ様が倒そうとしている、あの女について……」

「セステニア?」

「そう。あいつは不老不死だから、初代王でも倒せなかった。だから、マリアーヌ様がその身を犠牲にして封印するしかなかった。仮に、仮によ? 今の私がセステニアより強くなってたとして、だとしたら勝てると思う?」


 まるでなぞなぞのような問いかけだ。

 前方では男二人が生傷を作りながら戦っている。

 それでも今は、この気づきをアゲハと共有したかった。


「無理、だと思う。だって、ハクアさんがどんなに、強くても、相手は死なないから……」


 その通りだ。

 不死の相手と戦ったところで、無意味な消耗戦に終始してしまう。

 その結果、ミスやスタミナの消耗が原因でハクアが確実に負ける。


「そういう側面もあるのだけど、実はもっと根本的なところで勝てないの。あいつは死なないだけでなく、痛がる素振りすら見せないから。これがどういう意味か、わかる?」

「えっと……、痛覚がないか、克服した? あ、ううん、そうじゃなくて、あ、わかったかも……。だとしたら、そんな相手に戦いを挑むなんて、自殺行為。殴っても、斬っても、お構いなしに反撃されるから……」

「正解。だから、誰もあいつには敵わない。防御も回避も怠って、ひたすらに反撃してくる相手がセステニア。有効な手立ては、遠距離からの一方的な攻撃くらいかしら? まぁ、それも、あいつは炎を撃ち込んでくるから何とも言えないのだけど」


 アゲハもこの説明で思い知る。

 セステニア。この化け物がいかに手強いか、ついに理解することが出来た。

 確かに、倒せるはずがない。

 年を取らないばかりか、無尽蔵に生き返る。

 さらには、自身の損壊を気にも留めない戦闘スタイル。

 厄介な相手だ。

 人間や魔物は痛がる生き物ゆえ、だからこそ身を守り、そして隙を作る。

 しかし、セステニアにはそういった常識が通用しない。

 殴られながら、殴り返してくる。

 心臓をえぐられながら、えぐり返してくる。

 同じ土俵に立たなければ、勝てるはずがない。

 否。それでもなお、引き分けが限界だ。


「そんなの、どうしようもない……」


 アゲハの顔が曇る。

 絵に描いたような絶望だ。確かに、封印以外の手段が思いつかない。

 そのはずだが、ハクアは異なる視点で語り始める。


「だからこそ、初代王と同じタイプの超越者を探すしかなかった。後継者を見つけて私がとことん鍛えれば、あるいは可能性が……ってね。あんた達にはまだ紹介出来てないのだけど、パオラって名前の少女が、ついに見つかった最有力候補なの」

「パオラ、ちゃん?」

「生まれた時点で超越者。こんな才能、英雄や王族以外じゃあり得ない。だから、私はパオラに希望を見出した。だけど……」


 前方の模擬戦を見守りながら、ハクアが息を飲む。

 さすがのエウィンも、モーフィスの猛攻を完璧にさばき切れてはいない。その証拠に、左腕は骨折しており、顔面や体の負傷も増える一方だ。

 この試合は間もなく終わる。

 勝者に関しては、言うまでもない。


「オーディエンが正しかったのかも……」

「え?」


 ハクアの独白に、アゲハが目を丸くする。このタイミングでその名を耳にするとは思っておらず、エウィンの雄姿を目に焼き付けたいのだが、思わず視線を動かしてしまう。


「あいつは最初から、エウィンに可能性を見出してた。私は否定したけど、こんなのを見せつけられたら、改めて信じるしかない」

「こんなの?」

「あの子は、先読みのような直観力で致命傷を避け続けてる。天技らしいけど、私は重要視しなかった。だって、圧倒的な力量差を埋めるには至らなかったから……」


 ハクアの指摘は正しい。

 エウィンの未来察知は、一寸先の危機を見通せるに過ぎない。

 さらには、遥かに格上の相手と相対した際は、無意味に終わってしまう。

 その一つが、ハクアに殺されかけた時の出来事だ。

 彼女の方が圧倒的に素早いため、先読みで自身の危機を感じ取ろうと、回避行動が間に合わなかった。

 ゆえにハクアは、エウィンのこの天技を軽視していた。

 しかし、思い違いだったと気づかされる。


「でも、セステニアと互角かそれ以上に強くなれれば、不条理な反撃は不条理じゃなくなる。だって、先読みで対処出来るもの」

「あ、確かに……。エウィンさんの強みは、リードアクターだけじゃ、なくて……」

「むしろ先読みの方が、あの女と戦うための必須技能かもね。さぁ、終わるわよ」


 ハクアの言う通り、どちらが強者か確定する。

 勝敗を分けた一撃は、傭兵の拳から繰り出された。

 半裸の老兵へ密着後、天を衝くように突き上げた拳が、モーフィスの顎を穿つ。

 アッパーカットだ。その威力が、巨体をふわりと浮かび上がらせる。

 傷の多さや出血量だけなら、エウィンの方が痛ましい。

 モーフィスもあちこちに青あざが浮かぶも、裂傷や骨折と比べれば軽傷か。

 そうであろうと決着だ。

 直立のまま着地した巨体が、ゆっくりと背後へ倒れる。

 そして、地面を轟音と共に揺らす。


「そこまで!」


 審判の声が空き地に響き渡る。

 その瞬間、観客達がざわつくも、予想が外れたのだから当然だ。

 ハクアは赤髪を揺らしながら、少年の元へ歩み寄る。


「勝者はエウィン!」


 誰の目にも明らかだ。

 白髪の老人は仰向けのまま寝そべっており、動こうとはしない。

 対照的に、緑髪の傭兵は二本の足で立ったままだ。痛そうに左腕を押さえるも、骨が折れたのだから無理もない。頭部からの流血が少年の顔を汚すが、最たる負傷は骨折の方だ。

 里長がエウィンの名を告げた結果、観客はついに歓声を挙げる。

 モーフィスは誰もが認める強者だ。その実力はハクアに次ぐことから、里の住民は彼に敬意を表する。

 もちろん、模擬戦に敗れたからと言って、この老人を貶すような真似はしない。

 今回に関しては、ただただ単純に勝者を称えるだけだ。

 トカゲ狩りで貢献していた傭兵が、改めて認められた瞬間だ。

 野次馬達が満足そうに騒ぐ中、アゲハが少し遅れてエウィンに駆け寄る。


「すぐ、治すね」


 そう心配したくなるほどには傷だらけだ。

 しかし、エウィンはこの提案に頷かない。


「先にモーフィスさんを。僕はその後で大丈夫です。くっそ痛いですけど……」


 勝者の方が明らかに重症だ。

 それでも意識を保てており、負傷者の手当を優先させる。

 この気遣いに感心するハクアだが、里長として口添えせずにはいられない。


「アゲハ、先にエウィンを治してあげなさい。モーフィスは軽く意識を失ってるだけ……。あ、下顎が砕けてるし、他にも何本が折れてるわね」


 実は重症だ。

 ハクアが腰を落として素人なりに診断した結果、敗者の症状を見抜く。

 どちらにせよ命に別状はない。アゲハはエウィンを手早く治療すると、すぐさまモーフィスも傷も癒す。

 模擬戦が終わって観客が各々の仕事に戻る中、ハクアは若者二人を帰宅させる。

 しかし、彼女だけはその場から動かない。

 広大な空き地には赤髪の魔女と老戦士だけ。この状況を作りたかった。


「で? エウィンは強かった?」


 白衣のポケットに両手を突っ込んだまま、独り言のように問いかける。

 森からのそよ風が長い髪をわずかに揺らすも、彼女は微動だにしない。


「ご覧の通りとしか言いようがないのう。夢でも見とるようじゃ」


 透き通るような空を眺めながら、モーフィスが感想を述べる。

 負けた。

 この決着を否定するつもりはないのだが、腑に落ちないのも事実だ。


「でしょうね。どう思う?」

「わからん。あやつは筋トレうんぬんと言っておったが、だとしても強くなりすぎておる。言い訳に聞こえるじゃろうが、次やれば俺が勝てるかもしれん。ただまぁ、それぐらいには拮抗しておる」


 モーフィスの言う通り、試合は接戦だった。当たり所が悪ければ、結果は変わっていたかもしれない。

 それでも今回の勝者はエウィンだ。この老人もそれを認めた上で、驚きを隠せない。

 ハクアは正面の森を眺めながら、里長として提案する。


「明日からエウィンとアゲハをあんたに任せるから、鍛えながら成長の秘密を調べてくれない?」

「それは構わんが……。エウィンの相手は骨が折れるのう」

「だから、リードアクターは禁止よ。その上で、あんたに勝てるぐらいには鍛えなさい」


 無茶なリクエストだ。

 エウィンはその天技を使ったからこそ、モーフィスと互角に渡り合えた。その手札を禁止されたら、当然ながら勝負にならない。


「わかった。里長はどう見る? 俺にはさっぱりなんじゃが……」

「私だって同じよ。筋トレ? 無駄ではないにしろ、あんな成長曲線はありえない。まぁ、ありえないくらいじゃないと、お話にならないのだけど……」


 最終目標はセステニアの殲滅だ。

 そのためには、こんなところで足踏みしてなどいられない。

 なぜなら、人間の寿命はせいぜいが八十年から九十年。

 ハクアは数百年もの間、鍛錬に励むも、その手前で限界に達してしまった。

 残念ながら、エウィンは不老ではない。寿命が尽きる前に、セステニア以上の強者に至る必要がある。

 本来ならば無理難題だ。

 それどころか不可能だ。

 それを承知でハクアは要望を出しており、モーフィスは寝そべったまま受け入れる。


「まぁ、やってみるわい。期待せんで見守ってくれ」

「わかってる。焦ったって、疲れるだけだもの……」


 祭りのような試合が終わり、観客が立ち去ったことで、広大な空き地に若者達がパラパラと集いだす。

 鍛錬の再開だ。故郷と森を守るため、彼らは率先して強くなろうとしている。

 千歳を超える年長者との会話が途切れたことから、モーフィスとしても体を起こさずにはいられない。


「さて、こやつらの面倒見るかのう。老人に暇なしじゃ」

「明日からよろしく。私も時々顔出すから」


 ハクアはこれ以上強くなれないと自覚しているため、この場から立ち去る。

 諦めではない。

 事実から導き出した結論だ。

 人間の成長は、二つの壁によって阻まれる。

 才能。

 そして、人間という規格。

 エウィンの場合、才能がなかったがゆえに草原ウサギを狩り続けるしかなかった。

 人間の規格とは生物学的な概念であり、言い換えるならば人間という種の限界値だ。

 しかし、それすらも突破する者が現れる。

 ハクアやモーフィスがそうであり、エウィンも晴れて仲間入りだ。

 この魔女はセステニア打倒を掲げて己を鍛えるも、五百年経った頃合いに気づいてしまう。

 成長が感じられない、と。

 諦めきれずにもう百年汗を流すも、無駄な努力に終わってしまう。

 人間という規格を突き破れた彼女だが、自身の限界には抗えない。

 今の強さでセステニアを倒せるのなら、問題なかった。

 しかし、現実は非情だ。

 ならば、方針を変えるしかない。

 自身がダメなら、より優れた才能を探すまで。

 この一点において、ハクアとオーディエンは目的を合致させた。

 光流暦千十八年、ついに主演俳優が見つかる。渡された台本でぎこちなく演じるも、恩人を地球へ帰すまでは道化を演じるつもりだ。

 少年の名前はエウィン・ナービス。アゲハを経由した奇跡が、やがて全てを突破させる。

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