第八十八話 強くなれるよ
未開の大地に彼らは集う。
太陽は東から昇り、頂点を目指している最中だ。
荒野がゆっくりと温まるも、緊張感は緩まらない。
それぞれの視線は意味合いが全く異なる。
エウィンからアゲハへ。間に合ったことへの安堵。
アゲハからエウィン。零れる涙は止まらない。
長身の魔女から緑髪の少年へ。新たな敵だと認識中だ。
遠方の魔女からその少年。突然の再会ゆえ、警戒せずにはいられない。
立ち位置も立っている地点も異なる中、エウィンも実は困惑している。
(こういう時はハンカチを手渡すべきなんだろうけど、そんなこじゃれた物持ってない……)
浮浪者ゆえに身だしなみは最低限だ。
通常ならば、最低限の中にハンカチは含まれるのだろうが、エウィンは衣服で拭く癖がついているため、残念ながら持ち合わせていない。
カーディガンの袖ならアゲハの涙を拭えるも、何日も洗濯していないためそれはそれでためらわれる。
そもそも彼女は泣き止んでいない。それほどに感極まっている。
ならば、自分に出来ることをやるまでだ。
「間に合ってホッとしました。後は、僕に任せてください」
脅威は未だ健在だ。
その数は二。
一人目は、プレートアーマーをまとった男勝りな魔女。その迫力は凄まじく、離れていてもなお長身であることが見て取れる。
二人目は、いつか出会った襲撃者だ。より遠方で棒立ちながらも、その姿を見間違えたりはしない。
(魔女が二人……。あいつがいるから、そういうことか)
五か月前の出来事だ。
ジレット大森林の東部に位置する軍事拠点が、たった六人の手で壊滅させられた。
五十三番。彼女らは自分達をそう呼ぶも、その正体は魔女であること以外わかっていない。
付け加えるなら、ハクア達とは異なる派閥ということか。
その集団はイダンリネア王国を敵視しており、戦力低下を狙って王国軍を殺して回っている。
この地に現れた魔女は四人。
その内の二人がエウィンの前に立ちはだかっているのだが、遠方の人物はジレット監視哨を襲撃した生き残りだ。
ゆえに、五か月前の大虐殺と今回の件が結びつく。
(こいつらがアゲハさんを……。あれ? もう一人いる。アゲハさんが倒したのか? いや、違う……)
少年の瞳が三人目を捉えた。
その人物は遠く離れた位置で倒れており、死体のように動かない。
「アゲハさん、あっちの魔女の近くに誰か倒れてますけど、お知り合い?」
「うん、ユーカリさん……。わたしと、うぅ、トカゲを狩ってて……。た、助けて、あげて……」
嗚咽を伴いながらの懇願だ。
エウィンはこの説明で状況把握を完全に終える。
やるべきことは明白だ。
「わかりました。すぐ戻ります」
その視線は目標地点に固定される。
血だまりに横たわる、ユーカリという名の女性。
大声で呼びかけようと、決して届かない距離だ。そもそも自力で立てないからこそ、伏したまま動かない。
ならば、エウィンの方から出向く。
もっとも、その前に位置関係の確認が必要だ。
救助対象は遥か前方。
その向こう側には、喪服のようなワンピースを着た魔女が立っており、直立不動を維持している。
もう一人の魔女は、エウィンとユーカリの中間付近。その先へ赴くためには、この大女がどうしても邪魔だ。
(今の僕なら……!)
やれるはずだ。
エウィンは己を鼓舞するように駆け出す。
自信の源泉はアゲハの涙ではない。直近一か月の涙ぐましい努力から生じている。
だからなのか、その疾走は魔女の反応を置き去りにした。
先ずは、進路上の魔女が吹き飛ばされる。顔面を殴られたのだから、そうなって当然だ。
エウィンはそれで満足しない。鍛えた足腰を目一杯稼働させ、瞬く間に目的を達成する。
この早業が、アゲハを驚かせると共に涙を止めてみせる。
当然だ。眼前には、傷だらけのユーカリが差し伸べられている。
アゲハが呆然とする中、エウィンはエウィンで驚きを隠せない。
「これは酷いな。アゲハさん、急いで治した方が……」
二人の敵を出し抜きながら、いともたやすくユーカリを救助してみせた。
もっとも、この少年に出来ることはここまでだ。この先は、アゲハでなければ務まらない。
「う、うん……」
ユーカリは顔も含めて全身が血だらけだ。流血が作り出す血の池に浸っていたのだから、そうなっても仕方ない。
何度も地面に叩きつけられたことで、頭部だけでなく両腕や上半身が壊されている。
心臓が止まるほどの損壊ながら、アゲハは諦めることを拒むようにユーカリの顔へ手を伸ばす。
エウィンに支えられながら。
アゲハに触れられながら。
彼女の傷が早送りのような速度で癒される。回復魔法であろうと、こうはいかない。アゲハが授かった能力はまさに神業であり、だからこそ、命が一つ救われた。
「う……あ……、アゲハ、ちゃん?」
「よかったね、よかったね……」
ユーカリが意識を取り戻す。その魔眼は嬉しそうな顔を見つめるも、全身は依然としてだるく、動くこともままならない。
残念ながら、流れ出た血液はそのままだ。出血過多ゆえ、危険な状態からは抜け出せていない。
とは言え、傷の治療は完了した。これ以上の出血は避けられるのだから、エウィンはユーカリを任せて立ち上がる。
「あの二人を倒してきます」
少年の着衣は真っ赤だ。ユーカリを運んだ結果ゆえ、エウィン自体は傷ついていない。
両手にも血がべったり付着するも、無意識に長ズボンで拭いてしまう。
行儀が悪かろうと、戦闘準備は完了だ。
先ほど殴った魔女は、今まさに立ち上がろうとしている。
とどめを刺すためにも、エウィンはそこを目指さなければならない。
(たいして効いてない感じか? まぁ、雑魚じゃないよな。髪の毛青いアゲハさんだけでなく、カ、カリカリさん? アゲハさんのお友達もボコボコにしてるんだし。いつか戦った魔女さん達より格上だと思った方がいいか。だけど……)
勝てない相手ではない。
そう思える理由は、やはり鍛錬のおかげか。
ずんずんと歩きながら、この一か月間を振り返る。
(あいつのせいで逮捕されて、帰国と同時に牢屋にぶちこまれて早一か月……)
あいつとはオーディエンのことだ。
水の洞窟に足を踏み入れた結果、第五先制部隊に連行されてしまった。
そこは禁足地ゆえ、王族の許可なしには立ち入ることは許されない。破った際は極刑すらもあり得るのだが、この少年は一か月の拘束で済まされる。
(朝と夕方にご飯を食べさせてもらえて、しかも雨風しのげるから、貧困街で寝泊りするより快適だったけど……)
浮浪者らしい感想だ。
事実、エウィンの住まいは朽ちかけた倉庫であり、老朽化が原因で壁や天井がひび割れている。
(事情聴取が終わってからは、筋トレ三昧。その成果がこれなのかな?)
エウィンにあてがわれた牢獄は、凶悪犯ゆえに一人用だ。話し相手がいない以上、トレーニングは捗ってしまう。
腕立て伏せ。
腹筋。
スクワット。
偏ったメニューながらも、エウィンはこれらしか知らない。
この三つを朝から消灯時間までこなし続けるのだから、体が鍛えられて当然だ。
さらには、牢屋の鉄格子を腕力だけでへし折るも、当然ながら脱獄のためではない。その棒を武器と見立てての素振りをメニューに付け加える。
残念ながらこの行為は見回りの軍人に見つかってしまい、没収と共に長々と叱られてしまう。
(色んな人のおかげで出られたみたいだし、無駄にならなくて良かった)
少なくとも当人は、トレーニングのおかげで強くなれたと思い込んでいる。
もちろん、筋肉が増量したことは間違いない。
それが身体能力をどれほど向上させたかは定かではないが、急激な成長はアゲハのおかげだ。それを知る術がない以上、誤った認識は今後も正されない。
(敵は二人。先ずは、こっちのおばさんから……)
その巨躯はエウィンを大きく上回る。
背丈。
横幅。
腕の太さすら彼女が上だ。
タイガー。渡り鳥を名乗る四人組の一人。先ほどは顔を殴られ、不覚にも弾き飛ばされてしまった。それでも悠々と立ち上がったばかりか、不敵な笑みさえ浮かべられる。
「おい、坊主」
男のような重低音だ。
それでも音色は女性のそれであり、エウィンは返答のためにも立ち止まる。
「はい」
「名前は?」
「エウィンです」
本来ならば、名乗るべきではない。
相手は出生不明な魔女であり、ましてや殺し合いの最中だ。
それでも名前を告げた理由は、訊かれたからだ。
つまりは何も考えておらず、個人情報をあっさりと与えてしまった。
その気概を気に入ったのか、魔女は左頬を摩りながら大声で笑う。
「そうかい! 良いパンチだ、なかなかのもんだったぞ! オレの名前はタイガー。おまえらを殺す人間だ」
「なんで僕達を?」
「そういう命令だからな。あー、でも、おまえさんがそこの森と無関係って言うのなら、そうだな、オレの娘と小作りしねーか?」
意味不明な提案だ。
エウィンもこの発言には目を丸くしてしまう。
「え? ご、ご紹介、頂けるのですか?」
なぜか前のめりな反応だ。
それもそうだろう。この少年は十八歳ながら女性と手を繋いだことすらない。アゲハは恩人ゆえ、そういう対象ではないことから、若気の至りで食いついてしまう。
「おう! こちとら七人産んで、その内の五人が女だ。まぁ、息子二人が巨人族に、娘も一人が王国に殺されたから、残ってるのは四人だけなんだがな。どうだ? その気があるなら里まで案内するぞ。そんだけ強ければ、ババアも認めてくれるだろ」
多数の情報が押し寄せる。
エウィンはその一つ一つを一生懸命受け止めるも、頭の中は騒がしい。
(四人の中から選べちゃう? そんな贅沢、許されるのか?)
相手にも選ぶ権利はあるのだが、感情が高ぶっているため、冷静な思考は困難だ。
もっとも、浮気を許容するほど、彼女は寛大ではない。
エウィンの額に、大粒の汗が浮かぶ。殺気を感じ取った影響であり、その発生源は後方だ。
「エウィン、さん?」
「え⁉ じょ、冗談ですって! あ、いや、スパイですって! こいつらの里に乗り込んで、一網打尽のつもりだったんです!」
アゲハが黒髪を逆立てている。そういった能力はないはずだが、エウィンの目にはそうのように映る。
それゆえの言い訳だ。こうなってしまっては、がむしゃらに弁明するしかない。
その姿は情けないばかりか、隙だらけだ。
なぜなら、敵を正面に捉えていたにも関わらず、振り返って背を向けている。
この隙を見逃すほど、彼女は愚かではない。
左頬を殴られた仕返しとばかりに、距離を詰めて殴りかかる。その突進は巨体とは思えないほどに速く、丸太のような腕は破壊エネルギーの塊だ。
ましてやこれは、死角から繰り出された。
避けられるはずがない。絶命必死の暴力だ。
そういった常識を跳ね除けられることも、この少年の強みと言えよう。
迫る拳よりも俊敏に、エウィンは右手方向へ体をずらす。視認せずに攻撃を察知出来た理由は、持ち前の危機感知が作用したおかげだ。
この事実がタイガーを唖然とさせるも、驚くにはまだ早い。
エウィンの左隣を追い越した刹那だ。腹部に、強烈な痛みが走る。
「があ⁉」
鎧の上から蹴られた。
にも関わらず、脳が混乱するほどの激痛に襲われてしまう。
飛翔距離も今日一番だ。偶然ながらも、二人の魔女が合流を果たす。
「タイガー、大丈夫?」
「う、ごほっ。おう、なんとかな」
この二人は回復魔法を使えない。
タイガーは強化系。身体能力を高める戦技を会得している。
ここまで傍観していたティットスだが、こちらは加速系だ。俊敏性を向上させることは出来るが、魔法の類は使えない。
タイガーは痛む腹部を確認するように起き上がると、砂埃を払いながら口を開く。
「ところでよー、おまえさん、魔眼さぼってないか?」
「そんなことはない、発動させてる」
ティットスの魔眼はパレード。その名称とは裏腹に、見られた側は前へ進めない。
そのはずだが、エウィンは荒野を思うがままに走れている。
その仕組みまでは不明ながら、ティットスはこのタイミングで新たな情報を開示する。
「あれにも、私のパレードは通用しない。あの二人は、そういう存在」
「おいおい、マジかよ。まぁ、いいさ。だったら本気を出すまでだ。パレードと違って、オレの魔眼は効く効かないじゃないからな」
鼻息荒く、大女が歩き出す。重鎧は腹部がへこんでしまったが、もとより傷だらけの中古品だ。戦闘の継続に支障などない。
一方で、エウィンはこのタイミングでアゲハとの合流を果たす。敵が二人同時に迫る以上、アゲハ達を孤立させるわけにはいかない。
「その人の調子はどうですか?」
「手当は済んだよ。後は、安静にしつつ、水分補給とか、お肉とか……」
「あー、急ぎ食事をってことですね。干し肉で良ければ、あったはず……」
血液の補充が必要だ。
そうとわかれば、リュックサックからカチカチの肉片を取り出す。
ベーコンのようなそれは、傭兵御用達の携帯食だ。貧困にあえぐエウィンだが、これの常備は欠かさない。
「とりあえずこれどうぞ。飲み物の方は、そうだな……。あいつらを倒したらミファリザドを狩ってきますので、少々お待ちください。あ、魔物の血って飲んでも大丈夫ですよね?」
「え? わ、わからない……。ダメ元で、試してみよっか」
(私、実験台にされるっすか⁉ でも、反論する元気も気力もないっす……)
ユーカリは具合が悪いだけで、眠っているわけではない。
恩人二人の会話は聞こえており、顔色が悪くなった理由は症状の悪化ではないはずだ。
「んじゃ、さっきは殺し損ねましたが、次こそは必ず……」
物騒な物言いだが、ここは戦場だ。
エウィンはそう理解しているからこそ、人間相手にも殺意を向けられる。
宣誓と共に、アゲハ達に背を向け歩き出そうとするも、その手間は省かれた。
二人の魔女が、現在進行形で接近中だ。肩で風を切って歩いており、タイガーに至っては傷ついてもなお笑顔を絶やさない。
「坊主! 遊びは終わりだよ! おまえさんは強い、それについては素直に認めてあげる」
エウィンの登場で戦況はひっくり返った。
魔女としてもそう理解しており、一対一にはこだわらない。
だからこそのティットス同伴だ。
この少年には二人で挑む。侮らないからこそ、盤石の布陣だ
エウィンに十分近づけたことから、タイガー達は歩みを止める。
「こいつはティットス。仔細は知らないけど、顔見知りなんだろう?」
この問いかけに対して、エウィンは胸を張る。
「そうです。ジレット監視哨で、僕はあなた達のお仲間を殺しました。そこのお姉さんには逃げられましたけど」
「そうかい、五十三番をやったのはあんたか。まぁ、いいさ。あいつらは姉妹のおもちゃだったしね。かわいそうな連中だったよ、死ねて本望さ。そうそう、オレ達の自己紹介が途中だったね。オレとティットス、さっき言った姉妹とチームを組んでいてね、渡り鳥なんて呼ばれている」
眼前の人間を敵だと認めたからこそ、自分達の素性を明かしたい。
タイガーは大声で情報を晒すも、エウィンは首を傾げてしまう。
「四人? 残りの二人は?」
「あいつらは別の場所で仕事中さ。まぁ、そうだな、隠す必要もないか。今頃はおまえさん達の森を焼いている最中だ。オレ達は姉妹がやり損ねた連中を逃がさないための……防波堤ってところかね」
だからこそのパレードだ。
ティットスの魔眼ならば、逃亡者を視界に捉えるだけで前進を阻めてしまう。
エウィンは内心驚きながらも、情報の精査を欠かさない。
(敵は四人……。迷いの森に残りの二人がいるってことか。だとしたら急ぎたいけど、なんとか班って人達やモーフィスさん、それにハクアさんがいるからとりあえず任せても問題ないのか? うぅむ、わかんない……)
自分達の置かれた状況は謎だらけだ。
ゆえに、エウィンは素直に問うことから始める。
「この前はジレット監視哨を襲って、今度は迷いの森にちょっかいを出した。なぜですか?」
「ああ? そんなの下準備に決まってるだろう?」
「なんのための?」
「王国を滅ぼすためだって。わかってて訊いて……、いや、本当にわからないのか……」
タイガーの表情が曇る。
俯く姿からは哀愁さえ漂うも、エウィンにその意味は悟れない。
荒野に訪れた、一刻の静寂。魔女にとっては、黙とうと言っても差し支えない。
イダンリネア王国は建国千年を越える大国だ。
その歴史は巨人族との戦争そのものと言えるのだが、王国の敵は魔物だけではない。
魔女。魔眼を宿した、女性達。
つまりは単なる人間なのだが、王国はある時を境に魔女を魔物だと定義してしまった。
魔女狩りの始まりだ。
流れた血液は一滴どころではない。
王国軍が勝てば、魔女が死ぬ。
魔女が返り討ちにすれば、軍人が息絶える。
この千年はその繰り返しだ。
ハクアのように、王国との共存を謳う魔女もいるのだが、そうではない勢力がこの大陸に潜んでいる。
渡り鳥はその一派だ。
タイガーはそうであると主張するように、自身について話し始める。
「オレには子供が七人いるって、話したろう?」
「はい」
「娘が王国に殺されたとも、説明したよな?」
「はい」
過去の過ちを認めた人間宣言。これの発表は一年前ゆえ、裏を返すとつい最近まで両者は殺し合っていた。
過去の出来事だと、切り捨てることは出来ない。
ましてや、当事者ならば怒って当然だ。
タイガーはその内の一人であり、つらつらと言葉を紡ぐ。
「両親も王国軍に殺された。友人も、最初の旦那も、隣人も……。大事な人を殺されたから、オレ達は殺し返す。なぁ、これって、間違ってるか?」
言葉に詰まる問いかけだ。
事実、エウィンは即答出来ない。
「う、う~ん、僕は学がないので、そういう難しいお話にはついていけません。ただ、あなた達が殺そうとした魔女の皆さんとは、城下町で一緒に暮らせてます。迷いの森の人達は……、あー、うまいこと隠れられてるだけ? と、とにかく、あなた達のことは同情します。でも、一つだけ言わせてください」
「おう、なんだい?」
「迷いの森に住んでる人達を巻き込まないでください。無関係じゃないですか」
付け加えるのなら、五十三番に壊滅させられた魔女達も完全に被害者だ。生き延びた半数はエルディアと共にイダンリネア王国へ移住するも、裏を返せばもう半数が虐殺された。
エウィンにとっては正論ながらも、タイガーの胸には刺さらない。
「王国と裏で繋がってる時点で同罪さ。攻め込む際に後ろから狙われないためにも、森と連中は焼かせてもらう」
「く、こういうのを垂直線って言うんでしたっけ?」
正しくは平行線だ。
ウサギ狩りの収入では本を買うことすらままならなかった。運よく教科書を拾えたことから、エウィンは浮浪者にしては教養を持ち合わせている。
今回は誤った知識を披露してしまうも、本題は別にあるため、スルーされる。
「坊主、今更だけど、森住まいなのかい?」
「ちょっと違いますが、そんな感じです」
「ハッキリしない物言いだね。まぁ、いいさ。関係者なら、容赦しないよ。どの道、そいつらを庇った時点でおまえさんは敵だ」
説得など不可能だ。
ましてや、迷いの森へ火を放った時点で作戦は始まっている。
タイガーとティットスは後方支援ながらも、与えられた使命は重要だ。
森から逃亡した魔女を、一人残さず殺す。
つまりは二段構えであり、エウィンは偶然にも居合わせてしまった。
(魔女さんはみんな被害者なのか。だとしても、こんなのは許せない)
腹をくくる。
それが模擬戦ならば肩肘張る必要はないのだろうが、これは命の奪い合いだ。魔物を殺し過ぎて感覚は麻痺しているが、人を殺すことにはいくらかプレッシャーを感じてしまう。
エウィンが雑念を払拭する一方で、タイガーは白い歯を見せる。
「ここからは全部使う。ビビるんじゃないよ、これがオレの魔眼……」
宣言通り、彼女の魔眼が青く発光する。
この現象は、能力発動の合図だ。
エウィンは身構えるも、その結果には目を疑ってしまう。
「え? おばさんが……増えた?」
白い物体が三個、地面からキノコのように生える。それらは瞬く間に人間の形へ変化すると、最終的にはタイガーと瓜二つの姿で落ち着く。
もっとも、本物と見間違えることは難しい。それらは色を塗り忘れたように白く、一方で表情や仕草は本人そのものだ。
「ホワイト・タイガー・フィールド。能力は見た通りだ。オレの複製を同時に三体出現させる」
「な……」
この事実にはエウィンも言葉を失う。
当然だ。対戦相手が二人から五人へ増えてしまった。この状況は想像以上に危うい。
「先に教えてやるよ。こいつらはスピード、パワー、共にオレと同じだ。でもね、完璧じゃない。所詮はまがい物、案外脆くてね、すぐ壊れちまう」
「そうなんですか。お気遣い、ありがとうございます」
「は! 感謝されるいわれはないよ。なんせ、これで終わりじゃないからね」
ここまでは魔眼の披露だ。
ホワイト・タイガー・フィールド。実態を伴った分身を同時に三体作り出せる異能。打たれ弱かろうと、この局面においては切り札になりえる。
なぜなら、倒すべき相手はエウィン一人だけ。正しくは、その後方にアゲハとユーカリもいるのだが、彼女らでは戦力になり得ない。
この魔眼によって、戦力の人数差は五対一へ変わった。
既に盤石ながらも、ダメ押しは続く。
「こいつらは、オレ同様に戦技が使える!」
彼女の戦闘系統は強化系。
そうであると裏付けるように、複製体達が一斉に戦技を発動させる。
赤い発光は腕力向上。
黄色い光は脚力向上。
二体が一瞬ながらも赤く輝き、残り一体が黄色を選んだ。
そして、タイガー本人は青色だ。
「肉質向上。自慢の体がさらに硬くなったぜ。さぁ、坊主! どうする⁉」
魔女側の準備は完了だ。
ティットスは棒立ちのままながらも、右手は既に短剣を握っている。彼女の戦技は十秒しか維持出来ないため、このタイミングでは発動させない。
タイガーがフライング気味に戦技を使った理由は、効果が一時間も続くためだ。
一方で、腕力向上や脚力向上は上書き関係にある。対戦相手によって使い分けるしかない。
荒野で睨み合う、一人と五人。どちらかの人数がゼロになれば、その時が決着だ。
この状況には、エウィンとしても息を吐くしかない。緑色の髪で太陽光を浴びながら、前だけを見据える。
「アゲハさんとカリカリさんを殺そうとしたあなたを、僕はやっぱり許せません。だけど、真正面から戦ってくれるあなたには敬意を表します。だから、僕も全てを出し切ろうと思います」
「おう、それでいい。さぁ、来な」
両者の視線が交わる。二人は今日出会った間柄ながらも、阿吽の呼吸で意思統一は成された。
ここからだ。
背後のアゲハとユーカリを救うため。
眼前の敵を打ち破るため。
奥の手を披露する。
「色褪せぬ記憶は、永久不変の心を顕す」
この瞬間、二人の魔女は異変を察知する。
震える大気。
謎の突風。
発生源については、考えるまでもない。
「争いの果てに、涙を散らす者達よ……」
エウィンから漏れ出る圧迫感が、タイガー達に恐怖心を植え付ける。
それほどのプレッシャーだ。
もっとも、ここはまだ道半ば。
願うように。
寄り添うように。
詩を代弁する。
「我らの旅路を指し示し、絢爛の明日へと導きたまえ」
台風のような突風は、決して幻ではない。
雲は逃げるように遠のき、大地は武者震いのように振動している。
「在りし日の思い出と共に、色褪せぬ幻影を抱きし者よ……」
この詩は願望だ。
忘れられない記憶達だ。
その性質上、どれほどの年月が過ぎ去ろうと、眩い日々は色褪せない。
もっとも、エウィンは何も知らない。
知る術がない。
それでも今は紡ぎ続ける。
そうすることで、アゲハを救えるのだから。
「揺蕩う理想郷で、色褪せぬ想いに寄り添う者よ……」
狂おしいほどに愛した。
だからこその嫉妬だ。
この世界は正と負の感情で支えられるも、エウィンは何も知らない。
知らされていない。
そうであろうと、突き進むのみだ。
手続きは、間もなく完了する。
「祝福されし幼子達を、見守りたまえ。蔑みたまえ」
この声よ、天に届け。
アゲハから始まった物語は、果たしてどのあたりか?
少なくとも、フィナーレには程遠い。
ここで打ち切ろうものなら、観客は怒ってしまう。
だからこそ、負けるわけにはいかない。
エウィンが抱く感情は愛情ではなく恩義ながらも、今はそれで構わない。
神に選ばれた転生者。
彼女に手を差し伸べた少年。
二人の出会いは偶然ゆえ、結末は誰にもわからない。
それでも確定していることもある。
この声は天に届く。
当然だ、契約は既に受理されている。
だからこそ、渡り鳥の遥か高みを飛翔するように、少年は真っ白な闘気をまとってみせる。
「リードアクター。これが僕の天技です」
待たせたことを詫びるように、その名を告げる。
エウィンは太陽のように眩く、その姿は魔女二人を怯ませるには十分だ。
リードアクター。身体能力を大幅に向上させる秘儀。魔法とも戦技とも異なるこれは天技に分類される。つまりはエウィンだけが持ちうる神秘であり、他の誰にも真似出来ない。
対戦相手が息を飲む中、少年は宣言する。
「守ってみせる!」
ここからが本番だ。
そうであると実演するように、戦場から三つの人影が抹消される。
真っ白なそれらは、タイガーの魔眼によって作り出された分身達。雷のようなエウィンによって、一体ずつ殴られ破壊された。
少年の勢いは止まらない。
間髪入れず、誰よりも目立つ大女の眼前へ。穿つように、右ストレートを繰り出す。その威力は凄まじく、鋼の重鎧を穿つほどだ。
板金を貫き、タイガーの鳩尾を激しく強打。
この事態には、彼女も意識を手放すしかない。
前のめりに倒れるタイガーを他所に、エウィンは次の標的へ視線を移す。
黒一色の衣服を装う魔女、ティットス。彼女は仲間が殴られたタイミングで戦技を発動させており、身体能力を高めている。
アサシンステップ。効果は俊敏性の向上。十秒限定ながらも、足の速さや腕の振りをおおよそ二割も速められる。
近接戦闘においては有効な一手だ。実力が拮抗している者同士なら、勝敗を左右するだろう。
つまりは、この死闘においては意味を成さない。
赤髪を揺らしながらティットスが詰め寄るも、振り上げた短剣は空振る。
当然だ。そこにエウィンの姿は見当たらない。純白の闘気はありとあらゆるパラメーターを向上させるため、反射神経も以前とは別人だ。
少年の現在地は、ティットスの右隣。無防備なわき腹と横顔目掛け、多数の拳を叩き込む。
「がっ⁉」
声にもならない悲鳴だ。
肋骨は砕かれ、内側の内臓達も破裂した。
頭部の被害も甚大だ。頭蓋の右半分はひび割れ、三半規管も破壊された。こうなっては、立つことさえままならない。
崩れ落ちる敗者を眺めながら、エウィンは深々と噛みしめる。
(これが筋トレの成果。さすが筋トレ、ありがとう筋トレ)
黒髪を青く染めたアゲハは、少なくとも素のエウィンよりは強い。
そのアゲハを一方的に負かしたタイガー。
彼女は強敵のはずだが、この少年はリードアクターを使いつつも圧倒してしまった。
その理由を勾留中のトレーニングに結び付けるも、残念ながら不正解だ。
真実は神だけが知っている。
エウィンにわかることは一つだけ。
(さすが……)
少年が前屈みに腰を折った理由は、眼下の短剣を拾うためだ。
灰色のそれはスチールダガー。エウィンが所有するアイアンダガーよりも高価な上に品質も高い。
傭兵にとって、スチール製の武具は一人前の証だ。
この瞬間、エウィンも彼らの仲間入りを果たすも、短剣を手に取った理由は別にある。
「まだだぁ!」
野太い雄たけびはタイガーだ。前のめりに倒れた彼女だが、激痛のおかげで正気を取り戻せた。
ティットスの仇を取るように、輝く傭兵へ襲いかかる。
打たれ強さに感服しつつも、エウィンは視界の隅で彼女の動向を窺っていた。
迎え撃つための準備は済んでいる。
タイガーが覆いかぶさるように迫るも、少年は冷静だ。その真横を通り抜ける刹那、彼女の喉元を切り裂く。
「う、ぐぷっ……。だげど……」
この裂傷がタイガーの血液を体外へ排出させるも、絶命だけは堪える。
血だまりに両膝をつきながらも、彼女は未だ敗北を認めない。
魔眼の発光は、戦闘継続の合図だ。
エウィンの周囲に、雪像のような人間が三体作られる。
ホワイト・タイガー・フィールドだ。道連れのために最後まであがく。
確かにこの魔眼ならば、自身が動けずとも相手を倒せるのだろう。
そうであると裏付けるように、エウィンは正面と左右を包囲されている。
この状況、最善の手はタイガーへの追撃だ。背後の魔女は気力だけで命を繋いでおり、呼吸すらもままならない。
振り返り、数歩進めばたどり着ける。
殴るか、蹴るか、刺し殺すか。どれであれ、とどめを刺せるはずだ。
そのはずだが、この少年は動かない。
眼前から迫る巨大な拳。
左右からのキック。
エウィンはあえて、それらを受け止める。
被弾はほぼ同時だ。
左頬を殴られ、腹を蹴られ、背中も蹴られた。
その衝撃は轟音を生み出す。人体を破壊するには十分過ぎる威力だ。
にも関わらず、エウィンは直立を維持したまま平然と言ってのける。
「これで、終わりです」
真っ白な偽物には見向きもしない。
少年は揺れるように振り返ると、瀕死の魔女に狙いを定める。
決着だ。
タイガーが拒むように両手を動かす中、彼女の首から真横方向へ血が吹き出る。エウィンがすれ違いざまに、短剣の刃を突き刺した結果だ。
この刺突により頸椎が破壊された以上、巨体は崩れるしかない。
ティットスが緩やかに息絶える一方で、タイガーは己の死を感じ取ると同時に絶命した。
エウィンの勝利だ。その事実に、疑う余地などない。
(後は……)
選択肢は二つ。
ユーカリの手当を続行するか。
迷いの森へ赴くか。
(アゲハさんと決めよう)
荒野にポツンと立ちながら、エウィンは真っ白なオーラをまとい続ける。
少年の足元には、二つの死体。ピクリとも動かないそれらは、それでもなお荒野を赤く染め続ける。
この結末が偶然なのか、必然なのか、それは誰にもわからない。
確定していることは一つだけ。
アゲハは転生者だ。この事実だけは揺るがない。
神は彼女を見守っている。
この世界ごと、見守っている。
過剰な干渉は神としても不本意ゆえ、アゲハの危機には駆け付けない。
だからこそのエウィンだ。この少年こそが、ナイトのように彼女を助ける。
あふれた涙は本物だ。
アゲハとエウィン。二人はどこまでも強くなれる。
明日を運ぶ涙と共に、際限なく突破してみせる。




