第八十二話 新たなスタートと共に
人間が生きて行く以上、自然破壊はやむを得ない。
伐採はその内の一種であり、集落を広げるためにも、木材を確保するためにも、彼らは森を切り拓く。
荒野に隣接するここは迷いの森。
その奥には小さな集落が存在しており、魔女達が肩を寄せ合って暮らしている。
女性を頂点とする社会構造ながらも、男女比はおおよそ半々だ。女性の方がいくらか多いのだが、それについても理由が存在する。
以前のイダンリネア王国は、魔女を魔物の一種とうそぶいていた。
実際には魔眼を宿しただけの人間でしかないのだが、どこかで事実が捻じ曲げられたのだろう、魔女を人間の姿を模倣した魔物だと定義付け、討伐対象と定める。
魔女は人間だ。
しかし、王国がそれを否定する以上、人々は従うしかない。
生まれてきた赤ん坊が魔眼を宿していたのなら、その子は魔物として殺害されてしまう。
この事例だけでも魔女が人間であることの証なのだが、いかに医者がそう嘆願しようと首を斬り落とされて終わりだ。
残酷な話だが、魔女として生まれてきた時点で、イダンリネア王国に居場所などない。
医者の善意で、病死として処理されるか。
魔女として殺されるか。
どちらも結果は変わらないのだが、その子が命を落とすことは確定だ。
この事実を受け入れられなかった存在こそが、赤髪の魔女ことハクア。
正しくは、となる人物の意思を継いだに過ぎないのだが、彼女は各地にスパイを送り込み、魔眼を宿した赤ん坊を保護し続ける。
この活動はつい最近まで行われていたことから、集落の男女比はわずかに傾いてしまう。
だからなのか。
あるいは魔眼という特異な能力が女性だけの特権だからか。
里長直属の部隊は女性だけで構成されている。
警戒班。シンプルな名称ながらも、その役割は重要だ。
迷いの森に入り込んだ部外者の監視。
ミファレト荒野のミファリザド狩り。
どちらも里にとっては欠かせない仕事であり、苛酷だからこそそれ相応の身体能力が求められる。
彼女らは、傭兵や軍人と同等かそれ以上の強者だ。
それほどに強くなれた過程はまちまちながらも、その男が貢献していることは間違いない。
モーフィス。この里随一の老戦士だ。ハクアの右腕とも言うべき存在であり、六十歳を超える老人ながらも、その肉体は筋肉の塊で包まれている。
かつては警戒班に所属するも、年齢が年齢ゆえに老後の生活を満喫中だ。
とは言え、遊び惚けているわけではない。
引退後は後進の育成に打ち込んでおり、希望者が後を絶たない以上、この老人に暇などない。
木々の伐採が里の片隅に広大な更地を作るも、そここそが鍛錬のためのグラウンドだ。
まばらに生える雑草。
朝一番の柔らかな陽射し。
森と集落の境界とも言うべきこの空間で、今日も若者達が汗を流す。
その内の一人が、黒髪の日本人だ。見るからに内向的な女性ながらも、額に大粒の汗を浮かべながら、食らいつくようにモーフィスと手合わせをしていた。
しかし今は、力尽きるように尻もちをつく。黒いロングスカートが汚れるも、気にする余力など残っていない。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
「よーし、嬢ちゃん、ひとまずはここまでだな。しかしまぁ、まだまだ体が硬すぎる。精進するんだな! ガハハハハ!」
モーフィスが笑いながら背を向ける。手合わせの相手は他にも多数いるため、この女性が休むのなら他の対戦相手を探すまでだ。
対するアゲハだが、苦しそうに息を整えることしか出来ない。負傷したわけではなく、ただただ疲弊した結果だ。茶色のチュニックは背中や脇付近がぐっしょりと濡れており、大きな胸を上下させながら俯き続ける。
その姿は敗者そのものだ。
組手相手は歴戦の猛者ゆえ、当然と言えば当然か。
この場にはアゲハとモーフィスだけでなく、遊び半分で参加した子供や、本気で強くなろうとする魔女が走り回っている。
そういった場所では動かない人間が一際目立つも、そこに歩み寄る真っ赤な髪はそれ以上だ。
「どう? 何か掴めた?」
澄んだ声だ。慰めるようなトーンではなく、現状把握のために淡々と尋ねる。
ハクアの瞳は当然のように魔眼だ。血のように赤い髪は誰よりも長く、美しい。
白衣のポケットに両手を入れて歩く姿はどこか偉そうだが、事実それだけの地位に収まっている。
「い、いえ……。どうしたら、いいのか……」
まるでわからない。アゲハとしても、そう答えるしかない。
むしろ、これこそが当然の反応だ。
彼女は生粋の日本人であり、この世界に転生してまだ一年と経っていない。
多数の魔物を狩ったことで、トップアスリート以上の身体能力を得られたものの、周りの異世界人はそれ以上だ。
例えば、エウィン。自動車よりも速く走れるだけでなく、その肉体はクロスボウの矢すら通さない。
今のアゲハはマラソン選手以上のスタミナを持つも、単身で魔物に立ち向かえるかどうかは別問題だ。
以前よりは強くなれた。
しかし、傭兵としてエウィンと肩を並べるには力不足。
彼女の現状はそれ以上でもそれ以下でもないのだが、突破口を見いだせずに今に至る。
鍛錬を言い渡した大人として、ハクアとしても進言せずにはいられない。
「焦る必要はないわ。方向性は定まっているし」
「方向、性?」
「ええ。体を鍛えつつ、戦い方も学ぶ。そして、例の力を使いこなせるようになりなさい。もっともここらへんのことは、エウィンにも当てはまることなんだけど」
エウィンは強い。
アゲハは弱い。
この事実は揺るがないも、ハクアからしたら両名共に赤子同然だ。
傭兵として金を稼ぐだけなら、今のままでも問題ない。ギルド会館の掲示板には多種多様な依頼が貼りだされており、それらをこなすだけで生活費を稼げるはずだ。
しかし、地球への帰還となると話は変わってしまう。
オーディエンという化け物を倒すためには、ハクアと同等かそれ以上に強くならなければならない。
それがあまりに遠すぎる。
エウィンですら、モーフィスに手も足も出ない。
そのモーフィスもまた、ハクアには軽くあしらわれてしまう。
現状はそういう立ち位置であり、オーディエンの討伐など夢のまた夢だ。
そうであろうとエウィンは諦めておらず、その道筋をぼんやりと思い描いている。
対照的に、アゲハは袋小路で立ち止まったままだ。
引きこもっていた頃と比べれば成長著しい。
しかし、エウィンと肩を並べるには力不足を痛感しており、居残りの鍛錬を言い渡されようと甘んじて受け入れる。
その後は毎日のようにモーフィス主催の訓練に参加するも、残念ながら成果は見られない。一週間前後で急激に強くなれるはずもないのだが、アゲハは己の不甲斐なさに項垂れてしまう。
「でも、どうしたら……」
成長の仕方が見いだせない。
ゆえにそうつぶやくしかないのだが、ハクアは年長者として代替案を言い渡す。
「モーフィスが強すぎるせいで練習にならないのなら、相手を変えれば良い。ユーカリ!」
「はいっす!」
もう一つの足音が、合図と共に駆け寄る。
勢いそのままにハクアの真横で立ち止まるのだが、その魔女は満面の笑顔を浮かべており、太陽のように明るい。
「紹介するわ。この子は警戒班のユーカリ、あなたと同い年よ。実力は、そうね……、少なくともあなたよりは上かしら」
「ユーカリっす! よろしく!」
降り注ぐ陽射しが、オレンジ色の短髪を輝かせる。
くったくない笑顔に偽りはなく、ハツラツな態度は彼女の性格そのものだ。
袖のないベストは衣服ではなく、魔物の皮から作られた革鎧。腰の左右にはそれぞれ短剣を下げており、二刀流であることがうかがえる。
ユーカリ。迷いの里で生まれ育った、二十四歳の魔女だ。年齢よりも若く見える理由は、良い意味で大人らしくないからだろうか。
見知らぬ人物に声をかけられたことから、それが挨拶であろうとアゲハは委縮してしまう。
「あ、その……」
「遠目からはちょこちょこ見かけてて、前から話しかけたいなって思ってたっす! そう言えば、もう一人の男の子は?」
「エウィンなら帰国中。その内また来るでしょうから、それまではアゲハの面倒を任されてくれない? あ、ちゃんと加減なさいよ」
ハクアにとって、アゲハは単なる居候ではない。
知識欲を刺激する転生者。
オーディエンが指名した戦力。
そして、人間の姿を模倣した化け物。
今でこそ慣れたが、ハクアですらアゲハを一目見た際は怯まずにはいられなかった。
この件に関しては、未だ何もわかっていない。
アゲハが別世界から訪れた人間だからか?
だとしたら何がそう思わせるのか?
理屈も仕組みも不明ながらも、魔眼を宿した女性はこの日本人を視界に入れるだけで恐怖心を抱かされてしまう。
とは言え、例外もいる。
魔眼という特別な瞳を持ちながらも、その能力を開花させていない者達だ。
つまりは、大多数の魔女はアゲハを恐れずに済むのだが、このユーカリもその内の一人と言える。
「任されたっす! ところで、なんで私なんすか?」
「あんたは平気だからね。アゲハを見ても何も感じないでしょう?」
「そうっすね、何とも? むしろおっぱいの大きさがえげつないっす!」
同性でさえ魅入るほどの巨乳だ。
アゲハにとってはコンプレックスでしかないのだが、女性同士ということからユーカリは遠慮なく感想を述べる。
この発言がアゲハをさらに縮こませるも、赤髪の魔女は呆れ顔だ。
「あんたも大きい方でしょうに。顔合わせも済んだことだし、今日は私も居てあげるから、先ずは軽く手合わせでもなさい」
「あ! その前に質問があるっす!」
「何よ?」
「特に班長とかがそうなんすけど、なんでアゲハさんにビビるんすか?」
警戒班を束ねる魔女の名は、サタリーナ。魔眼を使いこなす希少な人材であり、腕も立つことから部隊をまとめあげている。
ユーカリにとっては上司であり頼れる存在ながらも、アゲハを異常なほどに恐れる姿は滑稽で仕方ない。
「詳しいことはわかってないのだけど、魔眼を発動させられることと何か関係があるのかもね。あんたはまだまだ未熟だから、関係ないけど」
「そうなんすね。あれ? さりげなく叱られた?」
「気づけたのなら、アゲハを鍛えつつあんたも精進なさい」
「はいっす!」
挨拶と状況説明が済んだ以上、ここからは模擬戦の時間だ。
アゲハの疲労もいくらか解消されたことから、空き地の一画で二人の女性が向かい合う。
審判役はハクア。今日は白紙大典を携帯しておらず、この戦いを冷静に見届けるつもりだ。
「アゲハ、あの力を使わずに戦ってみなさい」
「は、はい……」
このタイミングで、ハクアが釘を刺す。
アゲハには切り札があるのだが、実はまだ使いこなせていない。
それゆえに素の力で模擬戦に挑ませるのだが、現状把握を目的とするのなら当然だ。
「あの力ってなんすか?」
「いいから。とりあえず武器の使用は禁止。二人共、一先ずは素手で殴り合いなさい」
「っす!」
多少の怪我なら問題ない。
折り紙。そう名付けた能力をアゲハは宿しており、触れるだけで傷をたちまち癒せてしまう。
これがあるからこそ、実戦形式の試合が可能だ。今回のルールは武器の使用を禁止するも、覚悟さえあれば刃物を用いても問題ない。
対人戦において、アゲハは切り札を隠し持っている。
もう一つの人格とも言うべきネゼから力の一部を借り受けることで、身体能力を大幅に向上させることが可能だ。
ネゼが何者なのか?
どういう仕組みで強くなれているのか?
一切が不明ながらも、アゲハは一時的に強くなれる。
残念ながら使いこなすことは叶わず、発動後は数分程度しか維持出来ない。
そういった不安定さから、ハクアはそれ無しでの手合わせを言い渡す。
「始めるわよ」
「どんと来いっす!」
「あ、は、はい……」
頭上の空は、吸い込まれそうなほどに澄んだ水色だ。
流れる雲は少なく、静止するように流れている。
今日という一日は始まったばかり。
集落の片隅で、模擬戦は一秒もかからず決着を迎える。
◆
「で、どうだった?」
敗者の介抱を終え、ハクアが勝者に歩み寄る。
開口一番の問いかけだ。
これに対し、勝者は唸るしかない。
「アゲハさんって、本当に王国の傭兵さんなんすか? 今のままじゃ、ミファリザドにすら勝てないっすよ」
ユーカリとしても心配だ。
先ほどの手合わせは、一瞬で終わってしまった。
スタートの合図と共に、ユーカリは本気ですらない速度で間合いを詰め、無反応な対戦相手のおでこを軽く小突く。
その結果、アゲハは後方へ倒れ込むのだが、その際に後頭部を地面に打ち付けてしまう。
たったこれだけの攻防だ。
しかし、アゲハが脳震とうを起こした以上、審判は終わりを告げるしかなかった。
「草原ウサギくらいなら一人でも狩れるみたいだけど、実力としては下の下と言ったところかしらね」
「はえー、そうなんすね。悪いことしちゃったかな?」
ユーカリとしても、同情せざるを得ない。
四つの魔眼が見つめる先では、黒髪の女性が一人ポツンと体育座りの最中だ。他人を寄せ付けないオーラを振りまいており、長い髪や衣服は砂にまみれている。
「あんたから見て、アゲハはどの程度?」
「んー、警戒班に入りたいって言いだしても面接で絶対に落とすくらいはよわよわっす。近づく私に反応すら出来てなかったし」
ユーカリは優秀な戦士だ。
だからこそ、ハクア直属の部隊、警戒班に所属することを認められている。
対照的に、アゲハはまだまだ未熟だ。この模擬戦で、その事実は一層際立ってしまう。
それはそれとして、赤髪の魔女は異なる視点で持論を述べる。
「ゼロから始めて半年足らず……、そう考えたら成長著しいと言えるのでしょうけど」
「魔法とかは使えないんすか?」
「あの子は覚醒者よ。残念ながら天技しか使えない。それはそれですごいことだし、使える天技はなぜか三つ。意味わかんないでしょう?」
覚醒者とは、天技を習得した者を指す。
通常、この世界の人間は、自身の戦闘系統に依存する魔法ないし戦技を会得する。
それが普通であり、本来ならばそれ以外ありえない。
しかし、極稀に天技という神秘の使い手が確認される。
魔法とも戦技とも異なる第三の理であり、アゲハの治療や青い炎がまさにこれだ。
「はえー。非常識っすねー」
「普通は一つ。まぁ、天技の時点で普通じゃないんだけど。あの子は触れるだけで傷を治したり、フレイムよろしく燃やすことが可能なの」
「キュアとフレイム? すっごい便利じゃないっすか! あれ? 三つ目は?」
「戦技で言うところの、腕力向上と肉質向上、さらに脚力向上の全部乗せよ。消耗が激しいみたいで、数分しか維持出来ないことが課題なんだけど」
憶測混じりの分析談義で盛り上がる二人を他所に、アゲハは敗者らしく落ち込み続ける。
大きな胸を潰すように体育座りのまま、動かない。
ここは毎日開かれる鍛錬の場所ゆえ、巨漢のモーフィスを中心に若者達が汗を流している。
その片隅でポツンと座り込む姿は痛ましい。
心身共に傷づいている最中ゆえ、彼女らしくウジウジと思い悩んでしまう。
(どうして……、何が……、情けなくて、もう……)
完敗だ。同い年の女性相手に、成す術なく倒されてしまった。
自室に引きこもっていた頃と比べれば、急激な成長を遂げている。
しかし、足りていない。
一人で細々と生きて行くだけなら、今のままでもなんとかなるだろう。
(エウィンさんと、一緒に……)
その少年は傭兵であり、巨人族すら単独で倒せてしまう。
アゲハが同行を望むのなら、さらなる成長が必要だ。
(でも、どうやったら……)
実は、やり方ならいくらでもある。
残念ながら、日本人のアゲハにはそれがわからない。
ゆえに、負の感情をため込みながら、自問自答が精一杯だ。
(独りだと、何も、変わってない……)
子供の頃からそうだった。
他者の視線に怯え、友人すら作れなかった日々。孤独であることに苦痛を感じることはなくとも、家から一歩でも出れば胸の中は恐怖心でいっぱいだ。
大学在籍中の就職活動にて、圧迫面積により心は完全に砕かれた。自尊心の崩壊と言っても差し支えない。
つまりは鬱であり、大学に通えなくなった以上、退学は必然だった。
そこから始まった引きこもり生活は、ある日突然、終焉を迎える。
謎の爆発音を伴う、アパートの火災。アゲハは自身に何が起きたのかすら把握出来ないまま、二十四年の人生に幕を閉じる。
そのはずだった。
(エウィン、さん……)
涙腺がジワリと刺激される。
この世界の名はウルフィエナ。日本でもなければ地球ですらない。
エウィンに寄り添いたくとも、彼は帰国中だ。
ゆえに、独りぼっち。
アゲハはそう思い込むも、そのような思い違いはあっさりと砕かれる。
「ウジウジしていないでそろそろ起きなさい。次はあの力を使って、もう一度ユーカリと戦いの」
「あ、奥の手ってやつっすね! 楽しみっす!」
赤髪の魔女がそっと触れる。
知り合ったばかりの魔女が、ニシシと笑う。
ここには一人ではなく、三人だ。友人ではなく知人でしかなくとも、孤独でないことは間違いない。
坂口あげは。その若さで命を落とすも、転生という形で生まれ変わる。
彼女は神によって選ばれた。
その意味は知らずとも、新たな世界で生き延びるしかない。




