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第七十七話 対峙の時

 鬱蒼と茂った森の中を、二人は突風のように走っている。

 見渡す限りの針葉樹が立ちはだかる中、軽快に避け続ける運動神経はさながらオオカミのようだ。

 むせ返るような匂いは腐葉土と木々が醸している。悪臭ではないものの、その濃厚さには面食らう者も少なくない。

 塊のような空気が顔にぶつかろうと、二人はひたすら走り続ける。

 目的地はもう近い。

 それをわかっているからこそ、軍人は額に汗を浮かべながら提案する。


「エウィン、そろそろだ。念のため、ペースを落とすぞ」


 男の名前はジーター・バイオ。森に溶け込む軍服は遠征討伐軍を意味し、彼はその中の第一遠征部隊を任されている。

 黄色い短髪が湿っている理由は、ひとえに発汗が原因だ。

 腰の片手剣は飾りではない。これから魔物を狩るため、支給品のスチールソードを携帯している。

 前を走る同行人へ声をかけた結果、その足取りは当然のように減速する。


「わかりました。もうすぐなんですね、気を引き締めないと……」


 緑髪の傭兵はやる気だ。

 エウィン・ナービス。十八歳ゆえに成人ながらも、童顔も相まって風貌は若い。

 服も緑色ということから、背後の軍人同様にある程度は森の風景に溶け込めている。

 小さなリュックサックには着替えや小物が詰め込まれており、その風貌は傭兵そのものだ。

 背後の軍人とは異なり汗一つかいていない理由は、身体能力の差から生じている。

 止まるよう指示されたわけではないのだが、エウィンはゆっくりと立ち止まると、鞄から革製の水筒を取り出す。


「あ、これどうぞ。念のため、僕からもお伝えしたいことが……」

「ありがたい」


 ジーターに遠慮は見られない。

 エウィンの実力を既に認めており、長距離走ですら勝てないことを受け入れている。

 水筒の中にはただの水が入っているのだが、乾いた喉には格別だ。

 四十歳の軍人が直立のまま喉仏を揺らす最中、エウィンは淡々と話しだす。


「周囲の魔物は二十くらいです。進行方向にも二体いますが、どっちも特異個体ではなく黒トラだと思います」


 レーダーのような索敵能力は、この少年だけが保有する天技だ。未だ命名していないのだが、不便を感じたことはないため、名付ける予定はない。

 この報告を受け、ジーターは口元を袖で拭きながら息を吐く。


「そうか。すまんが、やはり少しだけ休ませてくれ。おっと、年寄り臭いか?」

「そんなことはないですけど。アゲハさんと走る時はもっと休みますし、なんならもっともっとスローペースです。僕としても、ジーターさんが走るの速くて助かってます」


 もっとも、この傭兵は全力を出していない。体力もあり余っており、今すぐにでも戦闘可能だ。

 対するジーターだが、ズボンが汚れることを気にも留めずに座り込む。


「慰めになっていないのだが、まぁ、おまえの方が優れているしな。昨日の件で痛いほど実感させられた」

「模擬戦のことですか?」

「それもあるが、午後の移動だな。オーバースペックを使っても、本気のおまえには追い付けなかった。まさか十八歳の若者に加減して走ってもらうことになるとはな……」


 昨日の出来事だ。

 試験を兼ねた模擬戦は午前中に終わり、昼食後、二人はジレット大森林を目指して出発する。

 イダンリネア王国から始まったマラソンは、終始エウィンがリードした。競争ではないのだが、ジーターとしては負けを認めざるをえない。

 足音が消えた森は怖いほどに静かだ。木々の枝葉がささやく音さえ耳に届く。

 エウィンは静寂を破ることにためらうも、沈黙の方が居心地が悪い。


「僕は傭兵らしく、毎日のように走ってますし」

「ふ、そういうことにしておこう。しかし、想定よりも早く着きそうだ。エウィンのコンディションは……問題なさそうだな」


 座り込む軍人をよそに、エウィンは息すらあがっていない。

 この状況は二人が急いだ結果なのだが、その甲斐あって間もなくたどり着ける。


「僕は元気です。お昼前には終わっちゃいそうですね。無事勝てたら、ですけど……」

「油断は厳禁だ。と言いたいところだが、足を引っ張るとしたら私の方だな。いざとなったら助けてくれよ」

「ふふ、死ぬ時は一緒ですね」

「言う相手を間違えているぞ。そういうのは、私ではなくアゲハに言ってやれ」

「アゲハさんのことはちゃんと守り切るつもりなので」

「だったらその気概で私のことも……」


 そして二人は笑い出す。普段は不愛想なジーターも、今は口角を上げてしまう。

 休憩も兼ねた雑談は、今に始まったわけではない。昨日の午後から二人っきりゆえ、既に気心知れた間柄だ。

 そうであろうと、軍人は短時間で休憩を切り上げる。目的を忘れておらず、スッと立ち上がったことで意志を示す。


「待たせたな。さぁ、行こう」

「はい。スローペースで?」

「ああ」


 これはピクニックでもなければ、徒競走でもない。

 特異個体を狩るための遠征だ。そのために、遠路はるばるここまで来た。

 標的は目と鼻の先にいる。周囲は変わり映えしない風景ながらも、ジーターは走った時間で現在地を把握済みだ。

 針葉樹しか見当たらないここは、既にこの森の北東部。いかに速度を落とそうと、水の洞窟には瞬く間に着けてしまう。

 ジョギングのように走り出した二人だが、異変の察知はエウィンの方が早い。

 すれ違うように樹木を追い越した瞬間だった。


「真っすぐ進んだ先、まだまだ離れてはいますが、孤立した魔物が一体。まがまがしいこの感じは、殺気の塊みたい。きっとこいつは、黒トラじゃないです」

「そいつだろうな。やれやれ、気配の違いすらも感じ取れるとは……。頼もしい限りだ」

「た、たまたまです。それくらい別格だから、僕でもわかるってだけで……」


 便利ではあるものの、万能ではない。

 エウィンはそう言いたいのだが、持たざる者からすれば羨ましい限りだ。

 空気が緊張を伴ったことから、彼らの足取りは鈍くなる。慎重な足取りへ移行した結果であり、ここからは気づかれないことも重要だ。

 もっとも、二人の現在地は森の中。多数の木々が立ちはだかるため、前だけを凝視したところで魔物の姿は見つけられない。


「もう少しで森を抜ける。奴はその先にいるぞ」

「はい」


 そのタイミングこそが、互いを認識し合う時だ。

 今だけはエウィン達だけが標的の現在地を把握するも、戦うためには近づくしかなく、そのメリットは結局のところ何の意味も成さない。

 そうであろうと、二人はグングンと進む。

 蜘蛛女と命名されたそれが、敵であることは確定だ。少なくない人間が殺されたことから、敵討ちも兼ねて誰かが討伐するしかない。

 その役目に名乗り出たのが、この傭兵だ。

 エウィンは逸る気持ちを押さえながら、歩くように走る。

 しかし、順調な進行はここまでだ。新たな異変が少年の足取りを鈍らせる。

 その方角は上空ゆえ、エウィンとしても驚きを隠せない。


「な⁉ そんなところで何を……」


 独り言にしては大きな声量だ。

 ジーターも呼応するように立ち止まる。


「どうした?」

「蜘蛛女だけじゃないです。オーディエンもいます。高みの見物とでも言いたそうに、空に浮かんでます」


 エウィンの顔が正面上を見上げる理由は、その先に敵がいるためだ。

 針葉樹が邪魔をするため、青い空はわずかにしか見えない。

 そもそもその魔物は視認性が悪く、いかに傭兵の視力であろうと見つけることは困難だ。

 ジーターも真似るように空を見上げるも、枝葉の隙間からは澄んだ水色と白い雲しか見当たらない。


「そうか。どうする? 今ならまだ引き返せるぞ」

「いえ、進みます。あいつが蜘蛛女と一緒にいないってことは、手出ししないって意思表示だと思うので……」


 エウィンはオーディエンを信用していない。父親を殺した宿敵ゆえ、当然と言えば当然だ。

 その一方で、襲われる心配はないとも考えている。

 自分に何をさせたいのか?

 その思惑まではわからないが、この魔物を信頼するしかない。

 視界不良な森の中を進むこと数分。最後の木々を追い越すと腐葉土の香りから解き放たれたばかりか、二人の視界には真っ青な草原が映り込む。

 ジレット大森林の最北部に到達した瞬間だ。

 北側は山脈に面しており、そこがこの地域の行き止まりとなっている。

 ゆえに、本来ならば引き返すしかない。

 それでも彼らが進む理由は、その麓に倒すべき相手がいるためだ。


「あいつが……」

「そうだ。まだ離れてはいるが、油断はするな」


 森を背に、二人は一旦立ち止まる。

 一変した景色。

 その先に立ちはだかる、壁のような岩山。

 それら自然と比べれると彼らは小さな存在だ。

 そういう意味では、遠方に佇む魔物もその内の一体に過ぎない。

 一見すると、黒いロングスカートを着用した女性のようだ。

 もっとも、このような場所には不釣り合いゆえ、目を凝らさずにはいられない。

 互いの顔すら認識出来ない距離ながらも、エウィンは目を細めてつぶやく。


「体は確かに女の人っぽいですね。だけど、腰から下が完全に蜘蛛……」


 人間に似通った姿だからこそ、異形さが際立つ。

 細い八本足で自身を支えており、その在り様は間違いなく蜘蛛だ。

 そのはずだが、そこから人間の胴体が生えている。服を着ているのか、半裸なのか、そこまでは判別不能ながらも、右腕と左腕、そして頭部が見て取れる。

 例の特異個体であることは間違いない。その背後には水の洞窟があるのだろうが、こちらに関しては見つけられない。

 目的地へたどり着けたとは言え、標的は未だ遠方だ。

 狩るためにも近づく必要があるのだが、ジーターはこのタイミングで確認する。


「エウィンが先行、私が後ろから支援。問題ないな?」

「大丈夫です。んじゃ、行きま……」


 返事が途切れた理由は、少年の思考が乱されたためだ。

 当然ながら、隣の軍人は何もわからない。だらしなく空を見上げるエウィンへ、問いかけずにはいられなかった。


「どうした?」

「あ、あいつ、急にグルグル飛び回って……、く、はしゃいでる!」


 未だ肉眼では見つけられていないのだが、上空に潜む魔物が動き出した。

 それが何を意味するのか、エウィンだけが察するも、ジーターは飲み込めない。


「オーディエンか? どういうことだ?」

「あいつは、僕の魔物探知を知っています。だからそれを逆手にとって、僕に合図を送っているんだと思います。がんばって戦ってね、みたいな……」

「なるほど。特等席から見守っている、と。だとしたらすごい魔物だな」


 オーディエンについての予想は、そのほとんどが無駄に終わる。

 その理念や動機は人間のものさしでは測れないため、的中率は極めて低い。

 それでも今回は、エウィンの言う通りだ。

 雲に触れられるほどの上空から、それは大地を見下ろしている。

 正しくは部下とその周辺であり、その甲斐あって今まさに待ち人が訪ねてくれた。

 緑髪の少年を目撃した瞬間、それは感情の昂ぶりを押さえられない。

 声をかけたいがここから動くわけにもいかないため、エウィンへの挨拶代わりに空中で円を描く。城下町の中央広場で、噴水の周りを走り回る子供のように。

 それほどに、その魔物は喜んでいる。

 対照的に、エウィンとしてはただただ不快だ。

 オーディエンを喜ばせるためにここまで足を運んだわけではない。

 しかし、苛立ちながらも頭は急速に冷める。


「あいつ、もしかして僕が来るのを待っていた? 最初から僕が目当て?」


 その可能性に気づかされた結果、エウィンは一瞬だけ錯乱する。

 なぜ?

 何が目的で?

 何もかもがわからない。

 この発言には、ジーターとしても首を傾げてしまう。


「そんな回りくどいことを?」

「わかりません。だけど、オーディエンはそういう奴です。考えるだけ、時間の無駄なんだと思います。だけど……、だから、前座に構ってなんかいられません」


 エウィンは歩き出す。

 今回の遠征は、蜘蛛女を倒して八万イールを稼ぐことだ。

 しかし、予定が変わった。

 オーディエンとの接触は最優先事項ゆえ、遥か頭上にいるそれを引きずり下ろす必要がある。

 そのためには何をすべきか?

 こちらについては明白だ。

 エウィンは独り言のように謝罪する。


「今からとっておきを使います。今まで隠してて、ごめんなさい」

「昨日は手を抜いていたと?」

「いえ、模擬戦はちゃんと戦ったつもりです。でも、ジーターさんにオーバースペックがあるように、僕にも奥の手が……。だから、これが本当の本当の本気です」


 いかにジーターが屈強な軍人であろうと、これを使うわけにはいかなかった。手加減を誤った場合、殺してしまう恐れがあった。

 ただし、今回は出し惜しまない。

 相手はただの魔物ゆえ、最初から殺すつもりでいる。

 アゲハとの契約により、譲り受けた能力。

 正しくは彼女の中にいるもう一人こそが真の所有者なのだろう。

 ネゼと名乗ったそれが誰なのか、未だに不明だ。

 今から使う能力についても何もわからない。

 それでも、これは既にエウィンの一部だ。恐れることなく踏み出す。


「色褪せぬ記憶は、永久不変の心を顕す」


 歩きながら。

 前へ進みながら。

 その言霊達をつらつらと並べる。

 時を同じくして、背後の森が揺れ始めるも、無関係ではない。空気が震えるほどの闘気は、舞台の幕が上がり始めた証拠だ。


「争いの果てに、涙を散らす者達よ……」

「こ、これは? エウィンの、仕業なんだな……」


 少年の体から発せられる、異常な圧迫感。その正体を知る者はこの世にいないのだが、ジーターを驚かせるには十分過ぎた。


「我らの旅路を指し示し、絢爛の明日へと導きたまえ」


 蜘蛛女目指して進み続ける。

 両者の距離はまだ遠い。大声で話しかけようと、返事は期待出来ない。


「在りし日の思い出と共に、色褪せぬ幻影を抱きし者よ……」


 その闘気は、さらなる膨張を続ける。

 上空の雲すら巻き込みながら、とどまることなく世界を揺らす。


「揺蕩う理想郷で、色褪せぬ想いに寄り添う者よ……」


 世界の名前はウルフィエナ。人間と魔物が争い続けるここは、誰にとっての楽園なのか。

 今はまだわからない。

 未来永劫、わからないのかもしれない。

 どちらにせよ、エウィンにとっては他人事だ。

 この力が何であれ、魔物を殺すために使わせてもらう。

 そのための手続きも、今まさに完了する。


「祝福されし幼子達を、見守りたまえ。蔑みたまえ」


 この瞬間、大地は泣き止み、大気も沈黙を取り戻す。

 祈りのような詠唱は、このために行われた。

 エウィンがまとう、真っ白な闘気。これに名前を与えることは不遜かもしれないが、オーディエンの案を採用し、少年はリードアクターと名付けた。

 その意味するところは、主人公に抜擢された演者。

 自分には不釣り合いと自覚しながらも、その響きを気に入ったことから使い続けるつもりだ。


「これが僕のとっておきです。それじゃ、倒してきます」


 返事すら待たずに、エウィンは軍人を置き去りにする。

 共闘の放棄が悪手であろうと、逸る気持ちがそうさせた。

 この状況に対して、ジーターは驚くことしか出来ない。


「こ、これほどか」


 表情は普段通りながらも、感嘆の声が漏れてしまう。

 それほどのスピードだ。

 さらには、エウィンが別人ように思えた。のらりくらりとした少年と同一人物とは思えない迫力に、軍人でありながらも萎縮してしまう。

 こうなってしまっては、言われた通りに見守るしかない。

 蜘蛛女は遠方ゆえ、その姿は米粒のように小さい。

 一方で、隣にいたはずの傭兵も同じサイズへ縮まった。

 敵同士が邂逅を終えた瞬間だ。

 それは同時に、エウィンと魔物が互いの姿を把握し終えたとも言える。


(美人だけど……)

「キキャー!」


 エウィンの身なりは、ありふれた若者でしかない。腰から短剣を下げていなければ、ただの王国民だ。

 しかし、今は違う。

 純白のオーラをまとっており、周囲に伝播するプレッシャーは強者のそれだ。

 既に短剣を抜き終えており、右手がしっかりと握っている。

 その眼前では、女の顔が大口を開いて威嚇している最中だ。

 その顔は情報通り、人間の女性と似通っている。顔立ちは整っており、二点を除けば美人なのだろう。

 一つ目は、横だけでなく縦にも避ける口だ。蜘蛛らしいと言えばその通りなのかもしれないが、その構造は人間とはほど遠い。

 二つ目は、皮膚を覆う鱗のような何か。それ自体が皮膚なのかもしれないが、薄茶色のそれが顔面だけでなく上半身全てを覆っている。

 無毛については、人間にも当てはまることがあるため、エウィンも特段気にしない。

 最も目を引く箇所は、やはり下半身だ。蜘蛛女という命名が適切であると頷ける程度は、昆虫の蜘蛛でしかない。

 八本の足は針のように細く、それでいて力強さを感じさせる。

 少なくとも、ジーターよりも俊敏に動けることから、その点だけを切り取っても強敵であることは間違いない。

 互いが互いを捉えたことから、挨拶も無しに戦闘が始まる。

 先手はエウィン。その首を斬り落とすため、すれ違いざまに右腕を振り抜く。

 凶器の名前はアイアンダガー。鉄製の刃ゆえ、王国近隣の魔物ならば問題なく切り刻める。

 この斬撃に対し、魔物は出遅れたことを認識しつつも、大人しく斬られるつもりもない。

 人間と瓜二つの右腕を即座に持ち上げ、これをもって急所を庇う。手首を身代わりにする算段だ。

 つまりは、犠牲なしにはこの攻撃を防げない。それほどの一閃ゆえ、蜘蛛女も強敵の出現に身震いしている。

 一瞬の攻防だ。この殺し合いは間もなく終わる。

 先ずはエウィン。追い越しざまに右腕を振り抜くのだが、その手応えには眉をひそめてしまう。

 叫び声のような高音は、魔物の悲鳴ではない。

 鉄の刃が鱗の皮膚を斬れなかったばかりか、その衝撃に耐えられずに砕けてしまった結果だ。

 この瞬間、蜘蛛女は人間の弱さを再認識しつつも、侮るのではなく体勢を立て直すことに務める。

 敵は背後だ。

 ゆえに、振り向かなければならない。蜘蛛らしく多脚をせわしなく動かして、自身を即座に反転させる。

 その結果が、これだ。


「だったら!」


 殴るまでだ。

 折れた短剣を投げ捨てると同時に、拳を目一杯握る。

 そうするしかない。

 そうすればよい。

 どちらも正解ゆえ、エウィンは飛びかかるように拳を打ち付ける。

 迷いのない判断だからこそ、予備動作は一瞬だ。

 こちらを向いてくれたその顔へ、渾身の一発を叩き込む。

 勝者と敗者が確定した瞬間だ。

 この状況を理解するために、審判役のジャッジはもはや必要ない。

 当然だろう。蜘蛛の魔物は首から上を失っており、そこにあった頭部は遠方をコロコロと転がっている。

 真っ赤な血液を噴水のように降らしながら、それは力尽きるように倒れると、当然ながら二度と起き上がらない。

 敗者のそばには、リードアクターをまとったエウィン。特異個体狩りという目的を果たしたにも関わらず、これが通過点であることを認識している。


「倒したぞ! 降りて来い! オーディエン!」


 本命の名を叫ぶ。

 空のどこを探そうとその姿は見当たらない。雲の中に潜んでいるのだろう。

 そうであろうと、この少年だけはお見通しだ。魔物感知は今なお、その気配を感じ取れている。

 その雄たけびが草原地帯に木霊する中、エウィンはやはり冷静だ。音もなく降り立ったそれへ、睨むように視線を向ける。


「ヤあ、元気そうだネ」


 女の声だ。イントネーションが狂っていようと、これがそれにとっての正常ゆえ、受け入れるしかない。

 討たれた蜘蛛女とは異なり、眼前の魔物は王国民と同色の肌だ。

 顔も。

 右腕も。

 左腕も。

 右足左足も。

 その色艶は美しく、蠱惑的でさえある。

 しかし、これが魔物であることは間違いない。胴体部分が火球に置き換わっており、頭からは頭髪を真似るように炎が噴き出している。

 オーディエン。この騒動を引き起こした黒幕。エウィンに部下を倒されたため、祝うように姿を現した。勝者であるこの人間にしか興味がないため、眼前の死体には目もくれない。

 落下速度を遥かに上回る降下を披露されようと、エウィンは毅然と振る舞える。


「何が目的だ?」

「キミを、待っていタ」


 ここはジレット大森林。

 その最北部ゆえ、周囲には雑草しか見当たらない。

 正しくは、山脈と森に挟まれた空白地帯であり、そこには洞穴が口を開いている。

 その入り口で。

 結界が張られているその前で。

 二人は久方ぶりに再会を果たした。

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