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第七十二話 王立図書館

 灰色の壁が、地平線の彼方に現れる。

 緑の草原は途切れなく続くも、そこが終端であり、この少年にとっては目的地だ。

 マリアーヌ段丘の北東部に位置するここはイダンリネア王国。城下町は巨大な壁で囲まれており、文字通り鉄壁の守りとして王国と民を保護している。

 もっとも、その壁は西側と南側にしか設けられていない。それ以外の面は無防備でも構わないからだ。

 東部は海と面しており、港らしく多数の船で賑わっている。魔物は海に生息していないため、無防備でも構わない。

 北側に関しては壁よりも高い岩山が君臨しており、中腹には貴族や王族が暮らす上層区画が存在している。

 このエリア一帯をイダンリネア王国と定められているのだが、立地的にはコンティティ大陸の最東部に位置する。周囲の魔物は非常に弱く、食材としても適していることから、居住地としては最も適した場所と言えよう。


(ふぅ、やっと着いた)


 額から大粒の汗が滴っている。何時間もの間、走り続けた結果だ。

 緑色の短髪もしっとりと濡れており、張り付く衣服が気持ち悪い。

 エウィンが迷いの森を旅立ったのは午前中だ。アゲハとハクアに見送られ、以降はがむしゃらに走り続けた。


(さすがに疲れたなぁ。なんだかんだ五時間以上はかかってるわけだし……)


 マリアーヌ段丘は快晴だ。雲一つ見当たらないため、頭上を見上げたら薄い青色しか見当たらない。

 わずかに咳き込みながら、エウィンは思考を巡らせる。


(し、信じられないけど、ハクアさんが本気を出したら三十分もかからないって……。本当なんだろうか? いや、きっとそうなんだろうけど)


 生物学的にありえない。

 迷いの森とイダンリネア王国は五百キロメートル以上も離れている。徒歩なら魔物の対処も混みで一か月前後は見込まなければならないのだが、赤髪の魔女は平然と言ってのけた。

 私? 丁度二年前に王国へ出向いたわよ? けっこう急いだら、三十分もかからなかったわね。あんたは? え? 遅すぎ。せめて一時間は切りなさいよ。


(めちゃくちゃ言う。何をどうすれば、そんなに強くなれるのやら……)


 ハクアは、時速五百キロメートルで走れと言っている。

 そのような速度は自動車ですらたどり着けない領域であり、今のエウィンも十分過ぎるほどに速い。

 だからこそ、陽が沈む前に帰国出来た。

 久方ぶりの王国はいつにもまして頑丈そうな外壁に守られており、少年は汗だくのままその門を通過する。

 入国した直後こそ人の往来はまばらながらも、大通りをそのまま北上すれば、あっという間に騒がしい。

 道沿いには建物が所狭しと並んでおり、行き交う人々もそれぞれの目的地に向かってせわしなく歩いている。


(本当に久しぶりって感じ。あれから一か月は経ってないと思うけど、それくらいはここを離れてたんだよな)


 エウィンとアゲハがイダンリネア王国を出発した理由は、ミファレト荒野を観光するためだ。その地は何もない荒れ地ながらも、あちこちに巨大な亀裂があることから、アゲハのリクエストでそこを目指した。

 その結果が、ハクアとの邂逅だ。

 迷いの森に立ち寄り、そのまま魔女の集落へ。

 野宿のために足を踏み入れただけなのだが、炎の魔物オーディエンが仲介役となり、二人はハクアの自宅で世話になった。

 帰国した理由は本を読み漁るためだ。

 正しくは異世界について調べるためであり、エウィンは疲れた体に鞭打って大通りをそのまま北上する。


(先に我が家に帰る……のは遠回りになっちゃうか。歩いてれば汗だって乾くだろうし)


 城下町は広大だ。

 大きな道が十字に走っており、スラッシェ通りと呼ばれている。

 先ほど通過した門が、エリシアの大門。そこからニ十分ほど歩けば中央広場に到着だ。そこには噴水が設けられており、ボーゼ広場という名と共に人々の憩いの場と化している。

 この時点で、すれ違った人数は三桁で確定だ。日中ゆえに王国民の往来は多く、今日は平日ながらも足取りは途絶えない。


(今晩は何食べようかな。お昼はおにぎりだったし、安いパンでも買って帰ろう)


 エウィンは朝食を食べ終えた後、いくらかくつろいでから出発した。

 その際にアゲハがおにぎりを用意してくれたため、昼食は道中で手早く済ませられた。

 左右の商店が商売繁盛で盛り上がる中、エウィンは大きな鞄を背負い直して歩き続ける。

 すれ違う人々は皆幸せそうだ。それぞれがそれぞれの人生を謳歌していると表情からうかがえる。

 充実感に浸れているという意味では、この少年もその内の一人だ。

 草原ウサギを狩り続けなければ、その日のパンすら買えない貧困層。それが以前のエウィンであり、浮浪者ながらも仕事にありつけている時点で本当の意味での最底辺ではないものの、貧しい生活に変わりない。

 しかし、今は異なる。少ないながらも所持金は増え、そうであると裏付けるようにアイアン製の短剣さえも購入出来た。衣服もボロ雑巾から脱却しており、ズボンは泥だらけながらもこれは一日中走ったがゆえの必然だ。

 最大の幸福は、生きる目標を見つけられたことか。

 アゲハを庇って死にたい。

 アゲハを地球へ戻してあげたい。

 相容れないながらも両方が本心ゆえ、今回は後者のために遠路はるばる帰国した。

 そして到着だ。

 建物は古めかしく、窓から覗き見える館内は日中にも関わらず薄暗い。

 ギルド会館ほどではないのだが、仰々しい施設だ。通行人が見向きもしない理由は、その不気味さに気圧されたがゆえか。

 あるいは、別の理由があるのか。

 エウィンは手の汗を服で拭うと、恐る恐る入口へ歩み寄る。

 その際に味気ない看板を見上げることになるのだが、そこにはこう書かれていた。

 王立図書館。

 年代ものの扉を開くと、エウィンは目を細めずにはいられない。塊のような空気が顔にぶつかったため、反射的に顔をしかめてしまう。

 それでも怯まず、一歩前へ。

 その結果、眼前には見知らぬ空間が現れた。


(うわ、この本棚全部がそういうこと? 確かにこれは、調べるだけで何日、いや、何十日かかるのやら……)


 高い天井。

 広すぎる館内。

 規則正しく並べられた本棚。

 この光景がエウィンを怯ませるも、足を止める理由にはならない。少年は空気をかき分けるように入館を果たす。

 その時だった。


「失礼、オクタカードのご提示をお願いします」


 女の声は事務的だ。

 それもそのはず。これは彼女の業務であり、それ以上でもそれ以下でもない。

 足音が近づくにつれ、エウィンは言葉の意味するところをぼんやりと理解する。


「あ、えっと、ここに来るのは初めてで……」


 入館には手続きが必要らしい。

 知識が一つ増えたと喜びたいところだが、今は眼前の女性を観察することで精一杯だ。

 彼女がここの職員であることは間違いない。

 茶色い髪は長く、眼鏡が似合う顔立ちだ。

 青色の制服はここの仕事着なのだろう。彼女以外の職員も同様に着ている。

 身構えるエウィンとは対照的に、この女性はどこまでも冷静だ。機械のように説明を開始する。


「オクタカードはお持ちですか?」

「お、おくた?」


 聞き慣れない単語だ。

 エウィンとしても、繰り返すことしか出来ない。


「はい。ここ、王立図書館を利用するための許可証です」

「う、そうなんですね。すみません、持ってないです」

「それでは、お引き取り願います」


 対応はこれにて終了だ。そう主張するように、職員が腰を折って丁寧に頭を下げる。

 こうなってしまっては、エウィンとしても帰るしかない。

 それでも、オクタカードが必要だとわかった以上、食い下がるように問いかける。


「あ、あの、そのカードはどうやれば?」

「申し訳ないのですが、それすらもお伝えすることは出来かねます」

「え? どこで売ってるとか、そういうことすらも、ですか?」

「はい。申し訳ございません」


 職員の対応は丁寧ながらも、マニュアル通りに過ぎない。

 だからこそ、素っ気ない雰囲気を伴ってしまうのだが、エウィンが選べる選択肢は退館のみだ。


「わかりました。お騒がせしました……」


 眼前の職員を脅して入手方法を聞き出すわけにはいかない。そんなことをすれば、この女性を傷つけるばかりか、治維隊に通報されて最終的には捕まってしまう。

 ゆえに、大人しく引き下がるしかない。

 オクタカード。

 資格がある者にだけ発行されることは間違いない。それが誰なのかまではわからないが、浮浪者が例外であることはあっさりと看破出来てしまった。

 なぜなら、並外れた動体視力で館内を盗み見た際、利用者全員が小奇麗な服をまとっていると気づかされた。そういう身分であることは容易に想像出来るため、不衛生な傭兵は追い出されても仕方ない。

 エウィンは一礼と共に、逃げるように立ち去る。

 大きなリュックサックも。

 腰から下げた短剣も。

 ここには不釣り合いだ。

 緑色の服は皺と染みにまみれており、長ズボンは泥遊びを終えた直後のように汚れている。

 ため息を我慢しながらも、落胆の気配までは隠しきれない。

 手がかりを求めてここに来たにも関わらず、利用する権利すら与えられないとは夢にも思わなかった。

 こんなことで落ち込みたくはないのだが、手立てを失った以上、不貞寝のために貧困街を目指すしかない。

 先ほどと異なり、扉を開くために引こうとしたタイミングで、小さな声が手を差し伸べる。


「あなたは、傭兵ですか?」


 先ほどの職員だ。声質は凛々しいままながらも、まるで内緒話のように語りかけてきた。

 扉に右手を伸ばしたまま、エウィンは右足を軸にしてわずかに振り返る。


「あ、はい、そうです、けど……」

「でしたら、ギルド会館の窓口をお訪ねください。あそこならイレギュラーな対応も慣れっこですから、相談に乗ってもらえるかもしれません」

「なるほど、確かに……」

「私からは以上です。またのご利用をお待ちしております」


 最後はマニュアル通りの接客だ。一歩引くと同時に、一語一句ハキハキと述べながら頭を下げる。

 そうであろうと、エウィンは礼を述べずにはいられない。


「ありがとうございました」


 一先ずは撤収だ。入館の資格がない以上、長居は許されない。


(オクタカード……だっけ? 売ってないとしたら紹介制なのかな? 考えてもわからないし、ギルド会館に行こう)


 現状把握はこれにて終了だ。得られた情報を精査しながら、来た道を戻る。

 大通りはいつものように混雑しており、空は明るいものの、夜の訪れは近い。

 ここはイダンリネア王国の城下町。大通りの往来に溶け込めば、浮浪者であろうと王国民の一人だ。



 ◆



「あ、エウィンさん! お久しぶりでーす」


 名前は知らないながらも、眼前の女性とは顔馴染みだ。

 エウィンはギルド会館に到着後、右手沿いに直進してここを目指した。

 行き止まりながらも目的地であり、手続き用の窓口が複数設けられている。

 その内の一つを覗くと同時に、桃色のツインテールが傾くように揺れた。彼女はカウンターの向こう側に座っており、職員の証である薄茶色の制服を着用している。

 傭兵顔負けの反射神経で挨拶された以上、エウィンとしても笑顔を返すしかない。


「こんにちは、ちょっと遠出してました。今日はその、お聞きしたいことがありまして……」

「ほほう、何でしょうか⁉」


 職員の鼻息が荒くなった理由は、頼られて嬉しいからか。

 あるいはエウィンとの再会を喜んでいるのかもしれない。


「図書館で調べものをしようとしたら、門前払いを受けてしまって……」

「あら~、それはまた……」


 少年の身の上話が、彼女のテンションを下げてしまう。

 しかし、ここからが本題だ。


「オクタカード、どうやったら手に入るか、ご存じだったりしませんか?」


 藁にも縋る思いだ。理由はどうあれ、入手方法が公開されていない物品ゆえ、一筋縄ではいかないことだけは明らかか。

 そうであると裏付けるように、職員が桃色の髪を傾ける。


「う~、少なくともここでは取り扱っていないです。噂では、富裕層や貴族にだけ配られるとか……」

「やっぱり、そういうやつでしたか。そんな感じはしてました」


 イダンリネア王国は、図書館の利用を制限している。

 その理由はシンプルだ。

 特権階級がその地位を守るためであり、つまりは一般庶民に知識を必要以上に与えないための政策でもある。

 区別という名目の差別だ。

 しかし、このやり方が千年もの間まかり通ってきた以上、オクタカードを入手しない限りは王立図書館を利用出来ない。


「あ、でもでも!」


 職員の可愛い笑顔が花開く。

 妙案を思いついたのだろうと、エウィンとしても前のめりになってしまう。


「今月の光流武道会で優勝すれば、オクタカードの一枚や二枚は発行してもらえるはずです!」

「それって確か、二年毎に開催される……」

「それですそれです! 傭兵でも申し込めば参加可能ですよ。期日まで余裕がないので、すぐにでも手続きしちゃいますか?」


 光流武道会。王国軍の中から腕利きの軍人を選出し、トーナメント方式で競わせる大会だ。毎年ではなく隔年で開催されており、前回から丁度二年が経過した。

 教養が浅いエウィンですらも、その名は聞いたことがある。

 ゆえに、頼まないという選択肢はありえない。


「善は急げだし、お願いします」

「はい! 二年に一回のチャンスですし、丁度今が十一月。エウィンさん、運が良いですね~。少々お待ちくださ~い」


 職員の言う通り、光流武道会は隔年の十一月に実施される催し物だ。

 期日が迫っているものの、締め切られてはいないらしい。

 彼女は意気揚々と窓口から奥へ引っ込むと、事務所の机でガサガサと書類を漁り始める。

 こうなってしまっては、エウィンとしても待つしかない。時間にして数分だが、ギルド会館特有の賑わいに耳を傾けていれば退屈せずに済んでしまう。

 そして、桃色のツインテールを揺らしながら女性が窓口に戻るのだが、その表情は打って変わって暗い。


「エウィンさん、申し訳ございません。残念ながら、光流武道会には申し込めそうにありません」


 予想外の通達だ。

 出場には費用がかかることはぼんやりと把握出来ていたため、エウィンはその点を加味して問いかける。


「一応、お金なら少しだけありますけど……」


 現在の所持金は九万イール。アゲハと出会う前からは想像出来ない大金だ。おにぎり一個が百イール前後で買えるのだから、贅沢をしなければ当面は飢えずに済む。

 それでも、職員は首を縦に触れない。


「あ、あのですね、出場料も去ることながら、今年から条件が厳しくなってしまいまして……」

「じょ、条件……」

「はい。今回から、出場料が十万イールから五十万イールへ値上げ。それに加えて、等級四以上が必須となりました……」

「う、どっちも……、僕には……」


 残念ながら満たせない。

 所持金は完全に不足だ。

 等級に至っても、今は二で止まっている。

 等級を三へ上げるためには、四百個の依頼を完遂せねばならない。地道に傭兵らしい活動に励めばいつの日か満たせるだろうが、かかる期間は年単位か。

 もっとも、今のエウィンなら、そこから等級四にはすぐに上がれるだろう。

 その条件は、巨人族の単身撃破。既に実績はあるため、試験を受ければ問題なく受かるはずだ。

 つまりは、二から三への昇級が難しい。難易度は高くないのだが、急ぐとなると四百というノルマが重く圧し掛かる。


「噂でしかないのですが、前回、ウイルさんが決勝まで進出したことで、こうなったんだろうと言われています」

「ウイル? なんか、ちょいちょい聞く名前ですね」

「ウイルさんは貴族でありながら、傭兵としても活躍されていたんです。エルディアさんとペアを組んでらした方なので、エウィンさんもてっきりご存じなのかと思っていました」

「い、いえ、名前ぐらいしか……」


 この状況が、少年を落胆させる。

 なぜなら、光明が差した矢先に、それが幻だと突きつけられた。

 図書館から追い出されただけでなく、光流武道会の出場資格すら満たせない自分。その不甲斐なさには涙が溢れそうになるも、職員が申し訳なさそうに自身を見つめている以上、悟られないように耐えるしかない。

 気まずい沈黙を受けて、彼女が慰めるように言葉を投げかける。


「エウィンさんならきっと、等級三もすぐですよ。等級四も、その頃ならきっと楽勝楽勝!」


 一日二個のペースで依頼をこなした場合、二百日で昇級可能だ。等級二を目指した際と同等の勤労ゆえ、二年後の開催には余裕で間に合う。

 もっとも、今回は参加出来ない。

 その事実が、エウィンの顔を伏せさせる。


「等級って上げておかないといけなかったんですね。あ、今日のところはこれで失礼します。色々、ありがとうございました」


 立ち去るしかない。

 八方塞がりだと理解させられた以上、このまま窓口を占有することは営業妨害だ。

 気力を振り絞って作り笑顔を張り付けると、エウィンはギルド会館を後にする。

 向かう先は貧困街。城下町の東に位置するそこは雑居な廃墟で溢れかえっている。

 その一画にある物置小屋のような建物が、エウィンの自宅代わりだ。不法侵入ゆえ、治維隊に取り締まられないことを祈るしかないのだが、この十二年間で追い出されたことは一度もない。

 大通りをトボトボと歩きながら、今は静かに項垂れる。


(図書館も、光流武道会もダメ。こういうのを、みじめって言うんだろうなぁ。はぁ、アゲハさん、ごめん……)


 無力な自分が嫌になる。

 人ごみを避けるように裏道へ入ると、その後はひたすらに直進だ。

 大通り周辺の景観は煌びやかだが、そこから外れたら雑居な住宅街でしかない。

 それでも石畳の道は整備されており、土地の境界線を区切る壁は当然ながら健在だ。

 そういった当たり前が朽ちてしまった場所が貧困街。石壁は崩れ、建物もその多くが原型を失っている。

 この区画には浮浪者と野良猫が住み着いており、帰る場所がないという点においては同類か。


(久しぶりの我が家だけど、倒壊してたり……。あ、大丈夫そう)


 見知った廃墟を歩き続けた結果、潮風が漂い始めたタイミングでたどり着く。

 四角い小屋はみすぼらしいほどにひび割れている。玄関代わりに立てかけていた板も当然のように転倒中だ。


(掃除したら、水浴びして寝ちゃおう)


 太陽は健在ながらも、体力よりも気力が限界に近い。

 いくらか空腹を感じる頃合いながらも、干し肉をかじる気にもなれないため、エウィンは不貞腐れたように夕食を諦めた。

 久方ぶりの単独行動、その初日がこの有様だ。不運が続いた結果ゆえ、落ち込まずにはいられない。


(明日から、どうしたらいいのかな?)


 帰宅後、埃まみれのレジャーシートを室外へ引っ張り出す。カーペット代わりながらも、洗濯せずには使えない。

 もっとも、丸めていた予備があるため、それを床に敷けば人が住める環境の出来上がりだ。

 本日の進捗として、帰国と課題の把握は済んだと言えよう。

 王立図書館の利用には、オクタカードと呼ばれる許可証が必要らしい。

 入手方法として光流武道会への出場を検討するも、参加資格がない以上、この案は却下だ。


(とりあえずは、お金を稼ぐか……)


 掃除や川での水浴びすらも諦めるように、エウィンは横になる。地面に青いシートを敷いただけの床は硬く、それでも気にする素振りすら見せない。

 倒れ込むように瞳を閉じる。

 予定が狂った以上、アゲハの元へ戻るという選択肢もありか。

 しかし、こここそが自宅だ。挫折感を味わいながらも、夢を見るように思考を巡らせる。


(本……、あぁ、本屋で探すのもありなのかな? 見つけられなくても、二人が喜ぶような本を買えば……、何を買えばいいのかわかんない)


 二人とはアゲハとハクアだ。両者共に読書が苦ではないため、王国の土産として本を選ぶことは間違いではないだろう。


(とにかく、明日は依頼を……。本だって安くはないんだし……)


 気晴らしは必要だ。八つ当たりではないのだが、魔物を狩ることが傭兵の生業ゆえ、一石二鳥とはこのことか。


(あぁ、なんか疲れたな……)


 打ちのめされた。

 現実を見せつけられた。

 明日になったところで境遇は変わらないのだが、気力が枯渇したことから布団もなしに眠れてしまう。


(明日から、がんばろう……)


 挫けながらも諦めない。差別は今に始まったわけではなく、だからこそ精神的には鍛えられた。

 ましてやこれは、アゲハのためだ。

 彼女は恩人であり、生きる理由ですらある。失敗が続いたとしても、明日からは心機一転前へ進めば良い。

 それをわかっているからこそ、今は眠る。たったこれだけの行為で心身を癒せるのだから、そうしない理由がない。

 今にも崩れそうな廃墟の中で、少年は一人眠りにつく。

 久方ぶりの独りぼっちだ。この状況こそがエウィンの当たり前であり、アゲハと出会って全てが変わった。

 ゆえに、もう変化は訪れないのか?

 そうではないと、少年は明日、知ることとなる。

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