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第七十一話 異世界の手がかりは

 太陽の出番を奪うように、無数の星が輝いている。

 森が不気味なほどに黙る中、その家の中は騒がしい。


「白紙大典って、人間だった頃はどんな感じだったんですか?」


 テーブルの上には多数の皿が並んでいる。

 その一つ一つに食事が盛られており、豪勢ではないものの量だけは申し分ない。

 頬張った肉を飲み込み、緑髪の少年が問いかけた結果、居間に久方ぶりの沈黙が訪れる。

 悪気もなければ他意もない。思いついただけの質問なのだが、ハクアはキャベツの千切りをシャリっと噛み締めると、モグモグと口を動かす。


「素敵な人よ。みんなにも愛されていて、その笑顔がどれほどの支えになったことか……」


 三人と一冊はテーブルを囲んでの夕食中だ。

 他人同士ながらも和やかな雰囲気が漂う理由は、エウィンとアゲハが既に二週間も滞在しているためか。

 依然としてアゲハは無口なままながらも、ハクアの料理を手伝える程度には溶け込めており、大皿に並べられた薄い肉は彼女の手によって作られた。

 ミファリザドの肉を薄く切り、卵をあえて焼いたこれはピカタ。この世界には存在しない料理だ。


「その頃からおっぱいおっぱい言ってたんですか?」

「ノーコメント」

「それって答えじゃ……」


 ハクアが右手の箸でプチトマトを器用に持ち上げると、そのまま口へ放り込む。

 それは同時に返答を拒むという意思表示なのだが、エウィンは呆れるように視線を落とす。

 その先には真っ白な本が皿に混じって鎮座しており、人間の頃はマリアーヌと呼ばれていた。


「ん? 言ってたけど?」

「容疑者はそう供述しておりますが……」

「……」


 犯人を庇うも、その行為は無駄に終わる。

 白紙大典があっさりと自供したことから、エウィンとしても追及せざるをえない。


「てっきり本になった反動から、ないものねだりでおっぱいおっぱい言い出したのかと思ってました。まぁ、うん、昔から変わらない人なんですね」

「そだねー。あの頃からハクアにはちょっかい出してたしー」

「ちょっかいって?」

「抱き着いたり、髪の毛ハムハムしたり」


 犯人のさらなる供述が、少年に箸を置かせる。

 もちろん、まだまだ満腹には程遠い。

 しかし、今は眼前の料理よりも大事なことがあった。


「ハムハムとは?」

「甘噛みみたいなもんかなー。ハクアって、昔は今みたいに髪伸ばしてなかったんだよ。だから、顔近づけないとなかなかハムハム出来なくてねー」


 この説明を受けて、エウィンは大きく息を吐く。

 その意味するところは女性陣に伝わらないものの、ハクアはどこか居心地が悪い。


「マリアーヌ様、そんなことまでばらさないでください」

「えー、いいじゃーん。ハクアだって、くすぐったいですー、とか言って嬉しそうだったしー」

「ちょっ⁉」


 いかに千年を生きる魔女であろうと、この本には頭が上がらない。

 その結果隙が生じるも、エウィンは当然のように見逃さない。


「くすぐったいですー、ぷぷ。ハクアさんにもそんな時代があっ……、嘘ですごめんなさい許してください」


 主従関係という意味では、エウィンもこの魔女には逆らえない。

 ハクアは椅子から立ち上がると、左手で握り拳を作っただけなのだが、その意味するところはゲンコツだ。

 エウィンはその行為と殺気に震えながら、早々に手のひらを返して命乞いに徹する。

 その惨めな姿を見下ろしながら、家主は釘を刺さずにはいられなかった。


「次はないわよ」

「こわっ……。と言うか、女の人って髪の毛触られるの嫌いってイメージがあるんですけど、アゲハさん的にはどうなんですか?」


 珍しい話題ゆえ、エウィンは隣人にも話を振る。

 眼前の魔女ほどではないものの、アゲハの黒髪も十分長い。この世界に転生を果たして以降は質の悪いシャンプーを使っているものの、未だ痛んではおらず、その髪はありえないほどに美しい。


「あ、相手に、よるかな……」

「なるほど。例えば、ハクアさんにハムハムされたらどうしますか?」

「え……」

「二人してこっち見るな。しないわよ、いや、本当に……」


 白紙大典だけがケラケラと笑う中、ハクアは静かに呆れる。

 アゲハが極度の人見知りであることは既に見抜いており、過剰な干渉は避けるよう心がけている。

 一方で、二人で食事を作れる程度には距離を縮まったとも考えており、だからと言って髪を噛もうとは思わない。

 至極当然な返答を受けて、タルタルソースがかかったキャベツの千切りに箸を運びながら、エウィンが思いついたことをつぶやく。


「ハクアさんがいてくれるなら、アゲハさんも大丈夫そうですね。あー、タルタル美味しい」


 すっかり虜だ。

 マヨネーズ主体の濃厚なソースに過ぎないのだが、エウィンはすっかり気に入っている。

 一人喜ぶ少年を他所に、アゲハは眩暈を覚えてしまう。

 捉え方次第では、突き放されたと感じしまう発言だった。

 もちろん、そういった意味で発したわけではないのだが、そのような可能性があり得るという意味ではあながち間違いでもない。

 エウィンはアゲハを庇って死にたいと考えている。

 源泉は、一人生き残ってしまったがゆえの罪悪感だ。

 故郷から追放され、母親と二人でイダンリネア王国を目指すも、傭兵を雇う金などなく、ルルーブ森林でゴブリンと出くわしてしまい、六歳のエウィンだけが運よく生き残ってしまう。

 その結果が、この思い込みだ。

 誰かを庇って死んでしまいたい。

 そうすることで自分は許されると考えており、その対象をアゲハに定めてしまった。

 もちろん、彼女を元いた世界へ帰したいとも思っている。

 だからこそ、口の中を空っぽにしたタイミングで別の話題を提供する。


「オーディエンに頼れないとなると、異世界についてどう調べたものか……」


 ハクアとの出会いが、二人から目標を奪ったことも事実だ。

 アゲハを地球へ帰すためには、オーディエンを倒せば良い。

 困難ながらもわかりやすいロードマップが二人の道しるべとなっていたのだが、眼前の魔女によってそれが否定された以上、手がかりを探すところからやり直しだ。

 エウィンはそのアプローチとして、アゲハと共に本を漁り始めた。この家は多数の書物を保有しており、居間の奥はさながら本屋のような有様だ。


「ここにそういった本はないわよ。異世界の観測すらもままならない現状において、そういった専門書がホイホイ出回るわけないもの」


 ハクアの言う通りだ。

 光流暦千十八年の時点で、わかっていることは少ない。

 魔物が雑草のように自然発生する理由は、別の世界からエネルギーのような何かがこちら側へ流れ込んだ結果なのだろう、という推測。

 その世界の候補が、精霊界と呼ばれる異世界であること。

 魔物の中でもとりわけ奇異な存在である精霊の出現と消滅が、精霊界に大きく関わっていること。

 ここまでが研究の成果だ。残念ながら予想混じりの考察ゆえ、本として出版するには情報が少なすぎる。


「ハクアさんってオーディエンと仲良しですよね? 何か手がかり的なものは……」

「ないない。あいつは他人を騙すことが生き甲斐だから、相談相手としては最悪なの。あら、このお肉、思ってたより味が濃厚ね」


 大皿に並べられた、薄切りの黄色い肉料理。ミファリザドの硬い肉に小麦粉をまぶして溶き卵とからめて焼く。

 この味との遭遇は、ハクアとしても初めてだ。


「バターを使って、焼いてみたから……」

「横目で見てたけど、これいいわね。から揚げとも違うから、バリエーションが増えて助かるわ」


 女性二人が盛り上がる一方で、エウィンは話に参加出来ない。おおよそ料理というものをしたことがないため、タルタルソースがかかったサラダを黙々と食べ続ける。


(アゲハさんって、料理作るのが趣味みたいなこと言ってたし、宿屋生活よりこういった環境の方が幸せなのかな?)


 本人に確認すれば済む話だが、今は口を挟まない。肉の調理法について熱く語っているため、食べる専門の少年は残念ながら蚊帳の外だ。

 出された夕食が美味なため、それならそれで構わない。エウィンは薄切り肉を口いっぱいに頬張ると、多彩な風味と共に味を楽しむ。

 その様子を眺めながら、赤髪の魔女がこのタイミングで妙案を提示する。


「そういえば、王国には図書館があったはず。何千、何万って本が貯蔵されてるはずよ」

「へー、知らなかったです」

「なんで知らないのよ」

「え、だって所詮は浮浪者だし……」


 見苦しい言い訳だが、事実その通りだ。

 家の所有すら許されない差別階級ゆえ、王立の施設については一切知らされていない。

 ハクアは呆れるように目を細めると、背中を押すように提案する。


「この二週間で、あんた達のことはだいたい把握出来たわ。エウィンも本当ならもっと鍛えないといけないのだけど、あんたは後回しでいいから、今の内に調べてきたら?」

「今の内にって?」

「アゲハの強化が最優先ってことよ。自分の身は自分で守れないと、いつか痛い目見るもの」


 ポカンと口を開くエウィンとは対照的に、ハクアの表情は凛々しい。冗談は言っておらず、箸を持つ右手も行儀よく待機している。

 そんな中、アゲハの反応はワンテンポ遅い。。


「わたし、だけ、ここで?」

「そうよ。守られっぱなしってのも不本意でしょう? それとも、この先もずっとエウィンの足を引っ張りたいの?」


 厳しい言い回しだ。説教ですらあるのだが、真実を物語っている。

 空気の変化がエウィンを困惑させる中、赤髪の魔女は止まらない。


「今のままじゃ、エウィンの役に立てないし、なんなら成長の機会を奪ってさえいる。だってそうでしょう? 二人旅ってことは、劣る方のペースに合わせないといけないもの。知ってるかしら? エウィンの全力疾走って相当に速いわよ」

「あ……」


 図星ゆえ、アゲハは背を丸め俯いてしまう。

 確かに、甘えていた。

 この恩人に。

 なぜなら、居心地が良いから。

 自分を大事にしてくれるから。

 しかし、ハクアの言い分は的を射ている。

 傭兵として金を稼ぐ場合、先ずは魔物の生息地を目指さなければならない。

 その距離は、徒歩だと何日どころか何週間もざらだ。

 かける時間は実力によって自由に決めばよいのだが、エウィンとアゲハの場合、どうしても彼女の体力を考慮しなければならない。

 その速度もアゲハの限界が上限ゆえ、エウィンは滅多に全力を出さない。

 正しくは、出せない。

 ハクアはそれを指摘している。

 肉体に負荷のかからない運動では、鍛錬としては不合格ということだ。

 アゲハもそうであると気づいてしまったため、押し黙るしかない。

 ゆえに、エウィンが割って入る。


「ぼ、僕はアゲハさんにいっぱい助けられてますよ。怪我を治してもらったり、ご飯作ってもらったりで……」


 庇うようなこの主張も事実だ。

 そうであろうと、ハクアは一切揺るがない。


「もしかして気づいていないの? あんた達はこの先、二つの勢力から狙われるのよ?」

「二つ?」


 突然の宣告に、エウィンとしても首を傾げるしかない。

 自分達の立ち位置を理解していない証左だ。

 だからこそ、赤髪の魔女が事実を言い渡す。


「一つはオーディエン。正しくは、セステニア。もう一つが、エルの里にちょっかいを出した魔女」

「え? オーディエンはわかりますけど、なぜ魔女さん?」

「あんたねー、自分が何をしでかしたのかわかってないの? エル達を助けるついでにあいつらを何人か殺して、あまつさえ魔眼を跳ね除けたんでしょう? そんなの、マークされるに決まってるわ。それに……、アゲハ。あんたはもっとやばい」


 この瞬間、顔を伏せるアゲハがわずかに体を震わせる。

 なぜなら、その理由がわからない。

 ジレット監視哨の攻防において、活躍したのはエウィンの方だ。

 彼女は後方での治療に徹していたため、謎の魔女から優先的に狙われる理由がない。

 残念ながら、そのような思い込みはハクアがあっさりと砕いてしまう。


「あいつらが何を企んでいるのか、そこまではわからない。でもね、エルとエウィンの話しから推測するに、敵は確実にアゲハを目撃してしまった。だとしたらもう手遅れ。何が何でもアゲハは狙われる。殺すか連れ去るかまでは、あいつら次第だけどね」

「それって、アゲハさんからただならぬ気配がうんぬんかんぬんってやつ……?」

「そう。んでもって、エウィンも確実に危険視されている。確か、見られてる間は前進出来なくなる魔眼、だったかしら?」


 おおよそ五か月前の出来事だ。

 傭兵であり魔女でもあるエルディアからの依頼で、エウィン達はジレット大森林を目指した。

 そこには要塞のような軍事基地が存在しており、そのタイミングで六人の魔女が姿を現す。

 一方的な虐殺が始まった瞬間だ。

 火の攻撃魔法が建物を完膚なきまでに燃やしたばかりか、生き延びた軍人は隊長を除いてあっさりと殺されてしまう。

 この戦闘において、エウィンは獅子奮迅の活躍をみせた。

 五人の魔女達と互角以上に戦い、隊長およびエルディアの部下達を救うことに成功する。

 しかし、最後の一人には逃げられた。

 その魔女はエルディア同様に魔眼の力を覚醒させており、その能力は視界内の人間から前進という選択肢を奪うことが可能だ。

 この魔眼に晒されながらも、鼻息荒く前へ歩き出した少年こそがエウィンであり、つまりは無自覚に抗えたのだがその理由まではわかっていない。


「はい。あいつらって何者なんですか?」

「さぁ? 正直に言うと、この里も狙われてるの、あいつらに。だから本当に迷惑。こっちはセステニアの抹殺に集中したいのに……」


 初耳だ。

 エウィンは目を見開いて驚くも、ピカタと呼ばれる肉料理を頬張ることだけは止めない。


「ふぁくあふぁんまふぇ?」

「食べながらしゃべらない。確信はないのだけど、ここにちょっかいを出してる連中が、今回はどういうわけか矛先をエルの里とジレット監視哨に向けた。そう考えたいし、やり口からしてそうとしか思えない」


 ハクアは淡々と述べるも、エウィンとしては理解し難い。口の中を空っぽにすると、改めて問う。


「あいつらの、やり口?」

「ええ。想像してみなさい。私がいるこの森を襲ったら、そいつらはどうなると思う?」

「あー、絶対に負けますし、なんなら瞬殺です」

「そういうこと。連中は人員を捨て駒として使う。ほら、あんたの時と一緒でしょう?」


 事実、ジレット監視哨を襲撃した魔女の内、五人はエウィン達に殺され、一人は高みの見物の後に飄々と逃げた。

 言い換えるなら、一人が五人を切り捨てたとも表現可能か。


「う、うーん、僕にはさっぱりなんですけど、ハクアさんならそいつらを捕まえられるでしょうし、そのまま吐かせちゃえばいいのでは?」

「じ、尋問する前に殺しちゃうの。ちょっとなでただけで死んじゃうから……」

「うわ……。僕、何回もハクアさんに殴られてますけど、実は何回か殺されてる?」


 魔女の言い分が、少年を青ざめさせる。

 躾けのようなゲンコツが頭頂部に叩き込まれた回数は、一度や二度では済まない。


「魔女って一言で言ってもね、一枚岩じゃないの。そんなことは、あんた達も十分理解してるでしょうけど」

「まぁ、そうなんだと思います。良い人、悪い人、王国を頼る人、恨んでる人……。あ、そういうこと?」

「そうでしょうね。魔女は千年もの間、虐げられてきた。だったら、積もりに積もった恨みも相当でしょうね。ここやエルの里を攻め込む理由も、地固めに過ぎないと考えれば腑に落ちるもの……」


 イダンリネア王国に攻め込む場合、迷いの森の魔女達は目障りだ。タイミング次第では背後からの奇襲を許してしまうため、本命を落とす前の下準備に励んでいる可能性は大いにあり得る。

 そしてそれは、エルディア達の集落にも当てはまってしまう。それはジレット大森林の北西に位置することから、謎の魔女達も無視するわけにはいかない。


「そいつらの拠点って、どこにあるんですか?」

「さぁ? おそらくだけど、ここみたいな結界を使って身を隠してそうね。話を戻すけど、そんな連中に目を付けられたの、あんた達は。だったら、特にアゲハ。あんたは一刻も早く強くなりなさい。ここにいる間は私が守ってあげられるけど、最終的には元いた世界に帰りたいんでしょう? そのためには、あっちこっち走り回ることになるでしょうし。あんただけが死ぬか、エウィンも巻き込むか、二人揃って生き延びるか、選べはしないけど、選ぶくらいの気概は見せなさい」


 年長者からの助言でもあり、覚悟を問いてもいる。

 ここは地球ではなく、ウルフィエナ。殺すか殺されるかの世界であり、そのように設計されている以上、弱者から殺されてしまう。

 ハクアも本能で理解しており、だからこそ、アゲハを鼓舞せずにはいられない。

 迷いの森に隠れ住む間は、確かに安全だ。眼前の魔女はそれほどの強者であり、ましてや不老ゆえ、寿命で死ぬとしたらアゲハの方が確実に早い。

 にも関わらず、ここが安全地帯だと言い切れない理由がある。

 それがオーディエンであり、それを従えるセステニアだ。

 ハクアなら、オーディエンと刺し違えることも可能かもしれない。

 あるいは負けるかもしれない。

 ましてや、それの背後にはセステニアという名の化け物が控えている。ハクアでさえ勝ち目がないと自覚している以上、この世界に安全な場所はないと同義だ。

 ゆえに、アゲハは静かに顔を上げる。


「つ、強く、なりたい、です」


 弱々しくも力強い宣言だ。

 エウィンとしても、彼女の決意には胸を打たれてしまう。


「だったら僕は、アゲハさんのためにも図書館って場所で帰り方を調べてみます。と言うことでハクアさん」

「ん?」

「出発は明日にしようと思うので、アゲハさんのこと、よろしくお願いします」

「任せなさい。モーフィスや警戒班の子らに、時間を作るよう言っておくわ」


 警戒班とは、この里を守るための精鋭部隊を指す。

 迷いの森には特殊な結界が張られており、侵入者は方向感覚を失った後に森の外へ放り出されてしまう。

 そうであろうと、警戒は必要だ。仮に侵入者が結界に抗える者だった場合、里に侵入されてしまう。

 エウィン達が警戒班に襲われなかった理由は、ひとえにアゲハのおかげだ。

 彼女が内包する重圧が、魔女の戦意をあっさりと奪ってしまったため、二人は結界をものともせず里へたどり着けてしまった。


「アゲハさんは足が太いので、きっと足技が似合うと思いますよ」

「はう!」

「あ、あんたって本当にデリカシーがないわね……」


 エウィンの提案がアゲハの顔を赤らめさせる。悪気はないのだが、悪口と紙一重なことには変わりない。


「そうだ。帰国ついでにアゲハさん用のミニスカートとかホットパンツ買っておきましょうか? きっと似合うと思いまイタッ! え、なんで殴られたの?」


 年長者の握り拳が、十八歳の頭頂部をガツンと殴る。

 家庭内暴力と言えばその通りだが、今回ばかりはエウィンが悪い。


「アゲハはあんたの着せ替え人形じゃないのよ。下心丸出しなのが見え見えで、いっそ潔いのが逆にムカつくわ」

「ぼ、暴力反対……」


 思惑を見透かされ、エウィンとしてもバツが悪い。

 アゲハは十代の頃から肉付きが良く、退学後の引きこもり生活が彼女の体重をさらに増やしてしまう。

 その結果、学生時代の衣服が着られなくなるも、一方でその体格がエウィンの目には健康的に映る。

 大き過ぎる胸。

 掴める程度の脂肪を蓄えた腹部。

 アスリートのように太い脚。

 傭兵として長距離を走れるようになったものの、体重の低下は見られず、現状には彼女自身もヤキモキしている。

 もっとも、ダイエットを抜きにしてもアゲハは鍛錬が必要だ。

 その理由をハクアが淡々と述べる。


「ふぅ、どの道、青い炎が万能でないとわかった以上、足技だろうとなんだろうと身につけなさい。敵が魔物だけとは限らないのよ」

「は、はい……」


 この魔女は、居候二人に食事と寝床を与え続ける一方で、様々な検証を行った。

 その内の一つが、アゲハの炎だ。青いそれには深葬という名が与えられているのだが、その殺傷力は攻撃魔法を遥かに上回る。

 なぜなら、触れるだけでその物体を灰すら残さず燃やし尽くせてしまう。

 クロスボウの矢であろうと。

 ウサギやキノコの魔物であろうと。

 無機物、有機物問わず焼却可能だ。

 例外などないはずだった。

 ハクアだけがその万能性に疑いの目を向け、検証に取り掛かる。

 深葬は実験のように様々な物体を燃やし続けた。

 木片。

 魚の骨。

 刃が欠けた斧。

 金属に関しては、質の悪いブロンズであろうと、頑丈なスチールであっても関係なく消滅させた。

 しかし、その時は訪れる。

 ハクアの提案は、アゲハを大いに困惑させた。

 なぜなら、その日の実験対象は人間だった。

 閉鎖的な暮らしに嫌気がさし、里長の殺害を試みた青年。自由を求めての犯行であり、自身が外界から守られているにも関わらず、行動を起こした身勝手な男だ。

 横暴な態度は里にとっても害悪ゆえ、ハクアはタイミングを見計らって殺すつもりでいたのだが、深葬の実験台として有効活用することを思いつく。

 喉を潰され、拘束されたその男を、アゲハは燃やすことは出来なかった。良心が邪魔して触れられなかったわけではなく、もちろんためらいはしたのだが、最終的には青い炎を伴って男の肩に着火を試みた。

 しかし、結果は失敗だ。

 青年は最初こそ驚いたが、炎が熱くないことに気づいてからは命乞いのようにハクアとアゲハを見つめ返す。

 一方で、アゲハは戸惑うことしか出来ない。人間を殺めずに済んだことは内心喜ばしいものの、唯一の攻撃手段が人間に通用しないと気づかされた以上、自身の脆さを再確認せざるを得ない。

 ハクアはこの男の右腕を素手で斬り落とすと、アゲハに実験の継続を促す。

 人体から離れた部位であろうと、やはり燃やせない。

 出血多量によりショック死した亡骸に関しても、青い炎はその皮膚に火傷すら負わせられない。

 これが深葬の検証結果だ。

 そして今に至るのだが、ハクアは年長者として言い渡す。


「もしかしたら、魔物の中にも通用しない奴らがいるかもしれない。それを確かめるためにも、あんたはもっともっと強くならないと」


 大げさな物言いだが、事実なのだろう。

 例えば、巨人族。この巨体を燃やせるか否かを調べるためには、それらの縄張りまで足を運ぶ必要がある。

 エウィンならそれも可能だが、アゲハにとってはあまりに遠出だ。

 ましてや、触れるためにも十分近づく必要があるため、命がけの作業と言えよう。

 エウィンがウォーシャウトのような戦技を使えれば、そのような心配はいらない。

 しかし、ないものねだりに意味などないのだから、今のアゲハには鍛錬の時間が必要だ。


「が、がんばり、ます……」


 改めての決意表明は、やはりささやくような声量だ。

 それでも、ハクアとエウィンはきちんと聞き入れる。


「多少の怪我は我慢することね。折り紙とやらで治せるようだし?」

「僕も応援してます。まぁ、こっちはかかっても一、二週間くらいだと思います」


 今後の予定が決まった瞬間だ。

 エウィンは一人でイダンリネア王国に帰国、アゲハの帰還方法を探る。

 アゲハはこの里に残り、日々の鍛錬に励む。

 二人が長期に渡って離れ離れになる機会はこれが初めてだ。

 エウィンは数週間程度を見込むも、ハクアはそれをあっさりと否定する。


「一か月以上はかかるんじゃない? 毎日通っていられるほど、金銭的な余裕なんてないでしょうし」

「え? お金取られるんですか?」

「さぁ? 仮に無料だとしても、食事代くらいは稼がないとでしょう」

「あ、それもそうか……」


 アゲハの分が浮くとは言え、毎日三食を望むのなら、一日当たりの出費は最低でも千イール前後か。

 現在の所持金ならば当面は問題ないのだが、使い切るという選択肢は精神衛生上よろしくない。

 図書館に通いつつ、気晴らしのように金策に励むべきだ。アゲハという足手まといがいないのだから、この少年ならばいかなる依頼にも挑戦出来てしまう。


「そういうことよ。アゲハの面倒は私が見てあげるから、さっさと調べてさっさと帰ってきなさ……。いや、ここはあんた達の家じゃないわ」

「お、お母さーんグエ!」

「調子に乗るんじゃない」

「暴力反対……」


 テーブルに身を乗り出し、抱き着く素振りを見せただけだ。

 しかし、家主の鉄拳制裁によってエウィンは椅子ごと後ろへ倒れてしまう。顔面を殴られたがゆえの必然だ。

 その後も夕食は盛り上がるのだが、この時はまだ誰も知らない。

 身分の壁が、山のように立ちはだかることを。

 人間不信が克服出来ていないということを。

 それでも、乗り越えるしかない。

 エウィンは傭兵として。

 アゲハも傭兵として。

 二人は新たな一歩を踏み出す。

 ここまでは肩を並べて歩いてきた。

 ここからの道のりは枝分かれしてしまう。

 エウィンにとっては、独りが当たり前だった。

 アゲハにとっても、それは同様だ。

 その道が重なるまでは、孤独と向き合って進むしかない。

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