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第七十話 おとぎ話

 ある日突然、大きな魔物が現れました。

 お父さんよりずっとずっと大きくて。

 お母さんよりもっともっと大きくて。

 魔物達はドスンドスンと地面を揺らしながら、大勢で襲いかかってきました。

 勇敢な者達は立ち向かいます。

 相手を見上げながら武器を振るうも、大きな体はドシンドシンと歩みを止めません。

 魔物は自分達のことを巨人族と名乗ったばかりか、怒鳴るように言い放ちます。

 人間は皆殺しだ!

 長い長い戦争の始まりです。

 大人達は果敢に挑むも、次々と疲弊し、やがては負けてしまいます。

 剣は砕かれ、槍も折れて、弓も通用しない。

 村は壊され、子供達は泣きながら逃げ惑います。

 マリアーヌ段丘から始まった戦争は、巨人達の圧勝でした。

 ルルーブ森林でも巨人族の勝ち。

 シイダン耕地でも、巨人族の勝ち。

 生き残った者達は、いよいよ追い詰められてしまいました。

 その時です。

 一人の若者が立ち上がりました。

 彼の名前はオージス。漁師でありながら、木こりの斧を握りしめて、巨人の大群に戦いを挑みました。

 斧が巨人をバッタバッタと倒すも、押し寄せる数はそれ以上。使い込まれた斧は無残にも壊れてしまいます。

 それでも、この若者は諦めませんでした。

 大きな腕に殴られようと。

 太い脚に蹴られても。

 オージスは丸腰のまま果敢に戦いました。

 故郷を守る壁として、彼は巨人達の前に立ちはだかります。

 だけど、数も大きさも魔物の方が圧倒的。勝てる見込みなどありはしません。

 誰もが諦める中、オージスが叫びます。

 うおおお。

 巨人達が怯んだその時でした。

 若者の手には、光り輝く剣が握られていました。

 後に、光流剣と呼ばれるその剣は、一振りで巨人達を次々と薙ぎ払います。

 それでも、数の劣勢を覆すには至りません。

 一対百。あるいはそれ以上に魔物は多く、光の剣が一本では足りるはずもありませんでした。

 追い詰められてもなお、オージスは足掻き続けます。

 その勇気が、目覚めた能力を使いこなすきっかけだったのかもしれません。

 若者の頭の上に、二本目の光流剣が現れます。何もない場所から生まれた剣は、見る者を虜にするほど輝いていました。

 それは号令も無しに、音もなく発射されました。

 まさに流れ星のような一閃です。

 たくさんの巨体がバタバタと倒れる中、生き延びた巨人達は恐れおののきます。

 なぜなら、オージスの頭上には三本目の剣が浮かんでおり、四本目も光の粒が合わさって瞬く間に完成です。

 それらが矢のように発射されれば、魔物達に逃げ場などありません。

 こうして、たった一人の若者が、故郷を守ってしまいました。

 彼の名前はオージス・イダンリネア。

 六年後、その名前からあやかって、イダンリネア王国は建国されます。


(あ、寝てしまいましたか。ここから巨人戦争が本格的に始まるのですが……)


 絵本を閉じて、黒髪のメイドが幸せそうに目を細める。

 彼女が見つめる先では、小さな少女がベッドで寝息を立てており、長い髪は宝石のような瑠璃色だ。


(おやすみなさい、パオラ様)


 メイド服を揺らしながら、若い従者がそっと椅子から立ち上がる。。

 灯りが消され、彼女が退室したことから、豪華な室内が黒一色に染まる。窓の外も闇に支配されており、街灯と月明りだけが儚げに輝いている。

 巨人戦争。

 それを知らぬ者はいない。

 親から子へ。

 あるいは、絵本や小説で。

 現代においても、脈々と語り継がれている。

 光り輝く光流剣の使い手、オージス王。

 あるいは初代王とも呼ばれる彼が軍勢を率いて、巨人族を打ち取ったのが光流暦六年の出来事だ。

 それは巨人戦争の終戦を意味するのだが、真実を知る者は多くない。

 王と四人の英雄。

 王が討ち取った、巨人の王。

 絵本にはこれらが英雄譚として記されているのだが、大衆娯楽である以上、様々な部分が改ざんされている。

 子供にも読みやすくするため。

 あるいは、恐怖から目を背けるため。

 どちらであろうと、オージス・イダンリネアが戦争を終わらせたことだけは間違いない。



 ◆



 壁や床から木材の匂いがかすかに香るも、それらは決して不愉快ではない。

 ましてや、滞在していればあっという間に慣れてしまえる。

 天井は高く、カーペットに寝そべったまま右腕を伸ばしたところで届くはずもない。

 ここは他人の家であり、そして居間だ。

 それでもこうしてリラックスしていられる理由は、既に二週間近くも滞在しているためか。

 緑髪が乱れることさえ気にも留めず、少年はゴロンと寝返りを打つ。一仕事終えた後ゆえ、ダラダラと過ごすことも許されており、心地良い疲労感は重労働を終えた証と言えよう。

 エウィン・ナービス。十八歳の傭兵。普段はイダンリネア王国の貧困街に住み着いているのだが、ここは遠く離れた魔女の里であり、雨風が完全にしのげる空間はただただ快適だ。

 緑色の衣服はいささか傷んではいるものの、黒いズボンほど汚れてはおらず、不衛生とは言い難い。

 この建物は魔女の家だ。エウィンは居候の身なのだが、その条件として仕事を一つ任された。

 ミファリザド狩り。

 つまりは食料の調達であり、その肉はいささか硬いものの、調理次第で老人でも問題なく食せる。

 この里は迷いの森に隠されており、つまりはミファレト荒野と隣接していることから、ミファリザドは狩り放題だ。

 もちろん、仕留められるだけの力量は求められるのだが、エウィンならば問題ない。刃物すら使わず、ただ殴るだけで息の根を止められることから、労働の大部分は二メートル近いそれの運搬だ。

 自分よりも重たいそれを、この少年はおぶってせっせと運ぶ。

 片道だけでも数キロメートルから遠い時だと数十キロメートル。

 人間離れした運動量だが、エウィンはこれを何往復でも可能だ。

 ゆえに、里への貢献は計り知れない。

 荒野と森を駆け抜ければ、当然ながらズボンは汚れてしまう。

 そして今に至るのだが、夕食にはいささか早い時間帯ゆえ、少年としては外で野良猫を愛でるかくつろぐしかない。

 今回は家主に話しかけられたことからカーペットに寝転がっているのだが、その話題は巨人戦争についてだった。

 赤髪の魔女は椅子に腰かけており、エウィンは彼女の魔眼を見つめ返しながら返答する。


「さすがに僕だって知ってますよ。子供の頃、絵本を読みましたから」


 オーソドックスな学び方だ。学校に通える子供は特権階級に限られるため、エウィンのような庶民は独学か親から教わるしかない。

 この返答を受けて、家主は見下すように目を細める。予想通りの反応ゆえ、次の言葉は用意していた。


「だったら、説明なさい」


 彼女の名前はハクア。この里の代表であり、その髪はありえないほど長い。血の様に赤いことから、白衣も相まって非常に目立つ。

 年齢については明かさないが、落ち着いた雰囲気から二十代よりは上に見える。

 つまりは高齢ではないのだが、彼女の人徳はこの里を束ねるには十分だ。

 ハクアの高圧的な態度にはすっかり慣れたことから、エウィンは叩きつけられた挑戦状をあっさりと受け止める。


「いいですよ。えっと、王様が光の剣で、巨人族をバッタバッタと倒す。んで、部下を率いて敵陣に乗り込んで、一番大きな巨人を倒して戦争に勝利。めでたしめでたし、ですよね?」

「ざっくりし過ぎ。今時の子供でも、もう少し詳細に話すわよ」

「うぐぐ……」


 この指摘には、エウィンとしても唸るしかない。

 大筋は正しいのだが、王国の建国にすら触れていない以上、これが試験なら落第だ。


「なら問題。王様の名前は?」

「オージスです。さすがにわかりますよ、それくらい……」

「戦争を終わらせるために、王様は何人の部下を連れてった?」

「え? う、うーん、千人くらい?」


 相手は巨人族の大軍だ。人間がイダンリネア王国を築いたように、巨人達も各地に砦を設け、襲撃に活かしている。

 それらを壊しながら進むのだから、エウィンが提示した人数は大げさではないはずだ。

 しかし、ハクアは無表情のまま一蹴する。


「二十一人。オージス様を含めると二十二人」

「たったそれだけで?」

「ええ。だけど、十分だった。巨人が何十、何百押し寄せようと、オージス様一人で片付くもの……」


 ありえない話だ。

 だからこそのおとぎ話なのだろう。

 しかし、この魔女が自身の魔眼で見たかのように話すため、少年としても食い下がるしかない。

 ゆっくりと体を起こすと、あぐらをかいて問いかける。


「光流剣、ですよね?」

「そう。オージス様の天技。最大で七本の剣を作り出して、それらは任意のタイミングで発射可能。手に取って振るうことも出来るから、オージス様はいついかなる時も手ぶらで戦える。まさに一騎当千だったわ。光流剣を一本放つだけで、何十もの巨人が絶命するんだもの」


 イメージとしては、ありえない話だが貫通し続ける矢か。

 巨人族の強固な肉体に当たろうと、その剣はあっさりと貫通、その先の新たな巨体を同様に貫く。

 それを射程限界まで延々と続けるのだから、押し寄せる軍勢はオージスにとってただの的でしかない。

 さらには、光の剣を同時に七本形成出来てしまう。

 ハクアの言う通り、王の戦闘力ならば戦争を終わらせることさえ可能なのだろう。


「なるほど。絵本の中の王様は、ピカピカ光る剣を握ってましたけど、小説とか専門書だとそこまで詳細に書かれてるんですね」

「オージス様は部下を率いて、西へ西へ向かったわ。道中、巨人達を根絶やしにする勢いで……。壊した砦の数も、一つや二つじゃ済まない。そして、私達はたどり着いた。あいつの……」

「え? ちょ、ちょっと待ってください。私達って?」


 話しの腰を折るように、エウィンが割って入る。

 当然だ。ハクアがありえないことを口走ったのだから、そこを確認せずには前に進めない。

 少年の声量がいくらか上がったことを受け、居間にいる三人目が目を見開いて驚く。

 居間の隅で、彼女は歴史書に目を通していた。普段から無口ゆえ、会話に参加することは滅多になく、エウィン達が除け者にしているのではなく、彼女自身がそういった扱いを好んだ結果だ。

 坂口あげは。二十四歳の日本人。その髪は濡羽色で美しい。毛先だけが青い理由は、転生の影響だ。

 イダンリネア王国でも上位に入るほど胸が大きく、ダボっとした灰色のチュニックを着ているのだが、本来はみすぼらしい衣服にも関わらず、彼女がまとう空気は妖艶と言う他ない。

 エウィンとアゲハの二人に見られながら、ハクアはテーブルに語肘をついて平然と言ってのける。


「だっていたから、私」


 この瞬間、室内から音がいなくなる。

 エウィンは理解が追い付かないため、凍り付いて動けない。

 アゲハも黙るものの、ある意味で普段通りだ。表情にも変化は見られず、その点もいつもと変わらない。

 静寂は、エウィンの震える声が破る。


「ま、またまたー。そんなのありえない……」


 そうとしか言えない。

 なぜなら、巨人戦争は実話ながらも千年前の出来事だ。光流暦千十八年の現代において、当時のことを知るためには本を漁るしかない。

 そのはずだが、赤髪の魔女はさらなる事実を明かす。


「そう思うのも無理ないわ。私のことを、一つ教えてあげる。私もあんた達と同様に覚醒者なの。つまりは天技を習得してて、まぁ、名付けてはいないのだけど、三十歳を超えた辺りから年を取らなくなった。不死ではないんだけどね」


 加齢を止める天技。

 つまりはそういうことなのだが、エウィンは目を見開いたまま動けない。与えられた情報を咀嚼するにはいくらか時間が必要なため、たどたどしく問いかけることから始める。


「えっと、ハクアさんは千うん十歳のババアってこと?」

「誰がババアよ。次言ったら殴るからね」

「す、すみません……。暴力反対……」


 居候の身ゆえ、家主には逆らえない。

 ましてや、腕力ですら敵わない以上、以降は失言を控えるべきだ。


「当時は魔眼が珍しくてね。まだ魔女とすら呼ばれていなかった。私を筆頭に、九人の魔眼保有者が入隊させられてね、オージス様の遠征にも同行したの」


 彼女は淡々と述べるも、エウィンは飲み込めていない。あぐらの姿勢でカーペットに座り込んだまま、体を振り子のように揺らすも、ついに音を上げてしまう。


「意味がわからないー。アゲハさんはついていけてます?」

「あ、うん、なんとなく、だけど……」


 か細い声量ながらも、透き通った声だ。

 アゲハは大きな瞳でエウィンを真っすぐ見つめてから、挙動不審に視線を落とす。

 この世界に転生してから、半年以上が過ぎ去った。

 ハクアの家に招かれてからは読書に励めているため、知識量だけなら浮浪者にも負けはしない。

 一方で、エウィンは困り顔のままだ。


「うー、ハクアさんが千年を生きるバ……、お姉さんとして、まぁ、これはそういうものとして、でもなんで魔女が王国軍に?」

「だから言ってるでしょう? 当時は魔眼を持つ子が生まれ始めたばかりで、だから珍しかったの。魔眼っていう稀有な能力が発見されたから、魔女は全員……って言っても九人なんだけど、戦力として組み込まれたってわけ」


 ハクアの説明に不自然な点は見られない。

 そのはずながらも、エウィンは首を傾げてしまう。


「でもでも、魔女は魔物だってつい最近まで言われてたじゃないですか。王国の常識でしたよ」


 正しくは、近隣の漁村や村でもそのように言い伝えられていた。

 ルルーブ港出身のエウィンでさえ周囲からそう教わったことから、魔女が魔物の一種であることは一般教養とさえ言えるだろう。

 しかし、ハクアは魔女として、巨人戦争に加わったと過去を振り返る。

 二年前の人間宣言によって誤った知識は正されたのだが、巨人戦争は千年以上も過去の出来事だ。

 当時から迫害されていなければ、矛盾が生じてしまう。


「昔はね、そういうのがなかったの。この話はまた今度してあげるから、話を巨人戦争に戻すわよ」

「あ、はい……」


 魔女と王国の対立は、巨人戦争の本筋とは関係ない。

 実際には深く絡んでいるのだが、ハクアは一旦この件を伏せる。


「光流暦が採用されるより前の時代、オージス様はまだ漁師で、誰よりも働いたの。巨人のせいで人手不足だったから……。朝早くから漁に出て、昼間は魔物を狩って肉を持ち帰ったり、木を伐採して木材を確保したり。みんなを飢えさせないために必死だった、って言ってたわ」

(いい話なんだけど、突拍子もなさ過ぎて反応に困るな。とりあえず黙って聞いておこう)


 この状況には、エウィンとしても戸惑うしかない。

 なぜなら、千年を生きる魔女が、千年前の出来事について語っている。

 嘘を言っているとも思えないため、聞き手としては黙るのが正解か。

 対照的に、ハクアは思い出を紡ぐように話し続ける。


「私が十二歳か十三歳の頃、村に巨人が押し寄せてね、もう顔すら思い出せないのだけど、両親もその時に殺されたわ。私はなんとか救い出されたけど、本当に酷い有様で、このまま全員殺されるんじゃって子供心に恐怖したわ。だってそうでしょう? 見知った風景が全部壊されて、親も友達もぐちゃぐちゃにされたんだから」

「そういうことも、まぁ、あったんでしょうね。絵本は美化と言うか、省略せざるを得ないでしょうし」


 エウィンの言う通り、巨人との戦争はどこまでもグロテスクだ。

 丸太のような腕には人間を粉砕するだけの腕力が秘められており、力を持たない凡人が殴られれば肉片に成り下がってしまう。

 家族も、隣人も、建物さえも破壊する存在が魔物であり、巨人族だ。

 十歳そこらの少女が生き延びられたことは、奇跡と言う他ない。


「巨人の目を盗んでなんとか逃げた後、私達は南へ向かったわ。北側はもう、巨人達のテリトリーだったから。だけど、あいつらは執拗に追いかけてきてね。翌日だったと思うのだけど、ついに追い付かれて、殺されるのかと諦めたら、どういうわけか心が楽になったのをぼんやりとだけど覚えてるわ」

「わかります。僕も一人で王国に避難しましたから。真っ暗な森は怖くて、どこに魔物がいるのかわからないから本当に怖くて、母さんも僕を庇って殺されちゃって、方角があってるかどうかもわからないまま、足が痛いのに歩くしかなくて……。あ、僕のことはどうでもいいですね、どうぞどうぞ」


 エウィンは茶化すつもりなどないため、そそくさと口を閉じる。

 同時に、気づいてしまった。

 父をオーディエンに殺され、母をゴブリンに殺されたエウィン。

 巨人戦争で戦災孤児となったハクア。

 そういう意味では、自分達は似ている、と。

 付け加えるのなら、アゲハも近いと言えよう。

 ウルフィエナに転生し、今は一人。地球に帰還出来れば母親と再会出来るため、その点だけは一致しない。


「地平線を埋め尽くすほどの巨人達に、私達は絶望するしかなかった。あいつらの方が足が速いし、まぁ、当然よね。だけど、私達は生き延びれた。オージス様が、駆け付けてくれたから……」


 ハクアは喉を潤すように、テーブルのコップを手に取って口元へ運ぶ。薄緑色のガーウィンスティーは喉越しがよく、鼻腔を通り抜ける香りも爽やかだ。

 二人の客人に見守られながら息を吐くと、彼女は淡々と思い出を語る。


「正直に言うと、あの時のオージス様は劣勢だった。日常的に魔物を狩っていたとは言え、今回の相手は巨人だもの、仕方ないわ。だけど、信じられないことに戦いの中で掴んでみせたの」

「光流剣を?」

「そう。そこからは嘘のように一方的だったわ。そして、私達人間が、反撃に打って出る記念すべき日でもあった。オージス様と光流剣はそれほどにすごくて、オージス様が北上すればするほど、勢力図が塗り替わる感じだったわ」


 嘘みたいな話だが、これは過去に起こった史実であり、おとぎ話ではない。

 オージス・イダンリネア。初代王とも称されるこの男にはそれほどの殲滅力が宿っている。


「さすが、最初の王様って感じですけど、ここまでは絵本の通りなんですね」

「巨人戦争に関する文献にはね、絵本もそうなんだけど、嘘が二つ書かれてるの」

「嘘?」


 エウィンの口は半開きだ。

 なぜなら、全くわからない。

 絵本を用いて子供を騙す理由。

 そんなものを言い当てられる自信は皆無だ。

 答えられない以上、ハクアの説明を待つしかない。


「さっきも言った通り、オージス様の最後の遠征には、私達魔女が付き添った。魔女が九人、腕に覚えのある戦士が七人、そして、後に四英雄と呼ばれる四人、いえ、五人。合わせて二十一人とオージス様で二十二人」

「質問。四英雄が五人ってどういう……」


 わざとらしく、エウィンが右手で挙手する。

 至極当然な疑問だ。

 四英雄はイダンリネア王国を支える四柱であり、その地位は貴族の上に位置する。

 つまりは王族の次に偉い存在であり、千年たった現代においてもその血脈は引き継がれている。

 四英雄は、巨人戦争でオージスに次いで活躍した猛者達だ。

 四人だから四英雄。そう定義されたのだが、ハクアはその事実をあっさりと覆す。


「五人いたってことよ。オージス様ほどじゃないけど、一騎当千の強さを誇る超越者が。私なんて、その方々と比べたら草原ウサギみたいな雑魚だったわ」

「やーい、草原ウサギー、ざーこざー……、嘘です冗談です、暴力反対……」


 赤髪の魔女が立ち上がり、握り拳を握ると、エウィンは己の浅はかさを悔いるように猛省する。

 彼女のげんこつはそれほどに痛く、避けることすら出来ないため、素直に殴られるか謝るしかない。


「あんたが読んだ絵本にも、うちにある絵本にも、四英雄としか書かれていないわ。加えて、大軍を率いて西を目指した、って感じでね。五人目にも魔女にも触れていないの。正しくは、誰かがどこかのタイミングで闇に葬ったってことかしらね? これが一つ目の嘘。そして、ここからが本題……、巨人戦争の真実こそが、二つ目の嘘」

(やばい、頭がパンクしそう。アゲハさんは平然と聞いてるっぽいけど、頭の作りがきっと違うんだろう。これが、学校に通ったかそうでないかの差ってことか……)


 エウィンが頭を抱えるように唸るも、説明は道半ば。

 ましてや、ここからがクライマックスゆえ、授業を受ける生徒のように聞き入るしかない。


「オージス様がほとんど一人で時間を稼いでくれたから、人々は生活を立て直せたばかりか、鍛錬に打ち込めたの。まさに好循環ってやつね。オージス様も天井知らずに強くなられて、光流剣を使うまでもなく巨人の大群を準備運動のように殲滅してたわ。そして、グングンと前線を押し上げた結果、イダンリネア王国が建国されるに至ったの。私もその頃に、魔眼持ちの孤児ってことで徴兵されてね、毎日死ぬほど鍛えられたわ。血反吐なんて当たり前……」

「はい! 質問です!」


 ハクアがため息をこぼした瞬間だ。

 エウィンが元気いっぱいに右手を挙げる。

 その声はやかましく、居間の空気が驚くほどだ。

 それを煩わしく思ったのか、ハクアは促すように顔を動かすと、質疑応答が開始される。


「ハクアさんが千歳のおば……、お姉さんということはわかりました! んでもって思い出しました! そこのエロ本が巨人戦争に居合わせたって言ってました! 本当ですか⁉」

「エロ本⁉」


 突然過ぎる言葉の暴力に、真っ白な古書が沈黙を破る。

 それはテーブルの上に置かれており、分厚い本でありながら文字の類が一切書かれていない。制作過程な本のように白いのだが、これ自体が言葉を話す以上、本のようでそうではないことは確定だ。

 事実、エウィンからの悪口に悲鳴をあげており、さらには鼻息荒く反論すら始めてしまう。


「わたしの! どこが! エロ本なの!」

「いや、朝から晩までアゲハさんの胸について熱く語る時点で、言い逃れなんて出来ないと思うんですけど……。大きいだけじゃない、とか。形もイイネ、とか。エルディアさんととアゲハさんに挟まれてみたい、とか」

「おっぱいは芸術なの! 仕方ないでしょう!」

「う、うるさ……。ハクアさん、このエロ本って結局何者なんですか?」


 白紙大典と書いてびゃくしたいてんと読む。この本は自分の意志で浮くことさえ可能であり、その声は鈴のように美しいものの、発言が発言ゆえに騒音でしかない。

 ハクアはたしなめるように真っ白な表紙を撫でると、観念したのか口を開く。


「このお方はマリアーヌ様。まぁ、名前はもう知ってるわよね」

「はい。ハクアさんが常日頃からそう呼んでますし……。だけど、白紙大典っていうのは?」

「白紙大典という名称は、オージス様が後から名付けたの。だから、あんた達は好きなように呼びなさい。オーディエンにも、白紙大典としか伝えていないから……」


 しかし、実はばれている。

 オーディエンには詳細を語っていないにも関わらず、白紙大典に意志があるばかりか、マリアーヌという本名さえも看破されている。

 その理由まではハクアも見抜けていないのだが、互いが互いを騙し合う以上、必要以上には踏み込めない。

 明かされた情報を噛みしめるように、エウィンが情報の整理に努める。


「白紙大典であり、マリアーヌさんであり、エロ本である、と……。んでもって、ハクアさん同様に、巨人戦争に参加した?」

「ええ。マリアーヌ様、このタイミングで全て話してもよろしいでしょうか?」

「おっけー。ハクアに任せたー」


 赤髪の魔女は千年を生きる長寿だ。その実力はオーディエンに勝るとも劣らない。

 つまりは、人間という規格を遥かに超えた化け物であり、だからこそ、里の者達は彼女を慕い、頼っている。

 それでもなお、ハクアはこの本にだけは頭が上がらない。

 その理由は、今まさに明かされる。


「マリアーヌ様は、遠征に同行した五人目の英雄なの。帰国後は、本当なら四英雄ではなく五英雄と呼ばれるはずだった。だけど、最後の戦いで……」


 ハクアが押し黙った結果、居間が沈黙に包まれる。

 この家は集落の端に存在するため、近寄る者は少なく、室内が静まればどうしても無音になってしまう。

 ゆえに、誰かが話すしかないのだが、それもまたハクアの役割だ。


「マリアーヌ様の正体は人間よ。強力な天技の使い手で、付け加えるなら超越者。オージス様に次ぐ実力の持ち主だったわ」

「いやー、どうかなー、エリシアやイグリスの方が強かったかもねー。まぁ、一対一なら負けないけど!」


 説明に異を唱えるように、白紙大典が発声する。

 エウィンにとっては知らない単語だ。有名人なのだが、少年としては問わずにいられない。


「誰です、その人達?」

「当時の仲間だよー。俗に言う、初代四英雄って奴? エリシア、イグリス、ボーゼ、スラッシェ。いやー、懐かしいねー」


 白紙大典の説明を受けてエウィンは納得するも、本来ならば一般教養だ。

 アゲハでさえ、既に学習済みであり、この少年だけがこのタイミングで学ぶも、同時に声を荒げずにはいられなかった。


「って、元人間⁉ この本が⁉」

「だからそう言ってるでしょう。とても美しくて、暖かな包容力の持ち主だったわ。あ、今でも美しいですよ!」

(その包容力とやらをどこに置き忘れたんですか、とか、人間の頃からエロかったんじゃ、とか色々言いたいけど今は黙ってよう。どうせ殴られるだけだし……)


 エウィンは沈黙を選ぶ。口は災いの元だと重々承知しており、焦るハクアを眺めながら次の説明を待ち続ける。


「マリアーヌ様は人間だったけど、最後の戦いを終わらせるために、やむなくこのようなお姿になられたの」

「最後って、この前教えてくれたセステニアって奴ですよね? 確か、そいつも人間って……」


 このタイミングで思い出す。

 迷いの森に足を踏み入れ、この集落にたどり着いた翌日。エウィンとアゲハは、ハクアからその名について教わる。

 セステニア。巨人戦争でオージス達の前に立ちはだかった、最後の障害。

 巨人族を裏から指揮した存在が人間であるという事実は受け入れ難く、少なくとも関連書籍にはそのような記載は見当たらない。


「あいつは確かに人間だった。だけど、その在り様は異常としか言い表せない。だってそうでしょう? 何十回、何百回と殺しても、あいつは死なずに襲ってきた。光流剣で体を貫かれようと、頭部を斬り落とされても、あっという間に再生して、二本の足で立ち続けた」


 にわかには信じ難い。

 だからこそ、エウィンは確認せずにはいられない。


「まさか、不死身?」

「不老不死と言った方が正解かもね。あいつとの戦いは熾烈を極めたわ。だけど、倒しきれない以上、疲弊するのはこっち。だから、マリアーヌ様は最後の一手を繰り出したの」

「バシッと決めてやったわ! 最終奥義! 散花と焔華!」


 純白の本がやかましく吠えるも、少年はその時の状況を想像すら出来ない。

 ゆえに、呆然と繰り返すことが限界だ。


「さんかと、えんか?」

「それこそがマリアーヌ様の奥の手。だけど、引き換えに肉体を失われたわ」

「まあねー。でもでも、悔いなし! そうでもしないと、あいつを結界に閉じ込められなかったしー」


 白紙大典の口調は軽いが、言っていることは笑えない。

 つまりは自己犠牲だ。強大な敵をその場に縛り付けるため、マリアーヌという女性は人間であることを手放した。


「なるほど。エロ本さんの天技なら、それも可能、と。グラウンドボンドの上位互換ですしね」


 エウィンの主張は概ね正しい。

 グラウンドボンドは弱体魔法の一つであり、対象を拘束することが可能だ。上半身だけなら自由に動かせるのだが、両脚が地面にへばりつき、ピクリとも動かなくなる。

 しかし、その効果時間は数秒から数十秒ゆえ、千年間もの封印は不可能だ。

 ハクアはエウィンとアゲハを交互に見定めながら、ぼやくように説明を続ける。


「どういうわけか、あんた達には通用しないけどね。火花は最終奥義ではないにしろ、モーフィスですら抜け出せないっていうのに……。本当に不思議……」


 白紙大典の天技は、六属性に起因する封印術だ。

 火花。

 氷花。

 風花。

 土花。

 雷花。

 水花。

 これらはどれであれ、対象をその場に拘束することが出来る。

 例えるならば、狭い部屋をそこに作り出し、相手をその中に閉じ込める。その効果は二十四時間続く上、途中で上書きすらも可能だ。

 魔物は食事を摂取しないためそれ以上の意味はないのだが、対象が人間ならば餓死させることさえ出来てしまう。


「不思議ですよね……」

「自分で言うんじゃないわよ。自覚がないってところが、本当に腹立つ」


 ハクアが怒る理由はシンプルだ。

 エウィンとアゲハは、白紙大典の天技を容易く破れてしまう。

 このようなことは前例がなく、だからこそ、ハクアはエウィンを殺そうとした。

 なぜなら、エウィンかアゲハをセステニアの元へ連行すれば、それの封印さえも壊せてしまえるかもしれない。

 その瞬間、オージス王ですら敵わなかった化け物が解き放たれるのだから、ハクアとしてもそれだけは避けなければならない。


「僕はまぁ、力持ちなのでわかるんですけど……」


 自画自賛だ。半分は冗談なのだが、エウィンが以前と比べて別人のように成長したことは間違いない。

 それでもなお、ハクアは鼻で笑うように否定する。


「冗談言わないで。腕力でどうこう出来るもんじゃないの。まぁ、でも、百歩譲って力押しで壊せるとしても、アゲハもなのよね。はぁ、わからない」


 千年生きる魔女でさえ、エウィンとアゲハには頭を抱えてしまう。

 それほどに謎だ。マリアーヌの封印術は絶対ながらも、この二人だけは例外らしい。

 その理由については未だ解明出来ておらず、当面の課題と言えよう。


「アゲハさんは異世界の人だからとか?」

「じゃあ、あんたはどうなのよ?」

「僕はルルーブ港出身です! 今は貧困街で浮浪者やってます! 同情するなら干し肉ください!」

「うるさい。あ、今晩の献立は、アゲハから教わったタルタルソースを作ってみるわ」

「わーい。タルタルソースー」


 問答が脱線した瞬間だ。

 ハクアは居候二人に寝床だけでなく食事も提供しており、エウィンもすっかり甘えている。

 実は、アゲハの訪問によって革命が起きている最中だ。

 彼女は日本人としての知識を持っているだけでなく、大学を中退後、料理作りに没頭した。

 そういった知識がこの里に新たな調理方法をもたらしており、タルタルソースはその内の一つだ。


「とりあえず、今回はサラダに添えてみるわ」

「野菜かぁ……」

「露骨にテンション下げるんじゃないわよ。食うだけの分際で……」


 ハクアが長い赤髪を揺らして、椅子から立ち上がる。そのまま台所へ向かったことから、話し合いは有無を言わさず終了だ。

 イダンリネア王国の歴史は、おとぎ話から始まった。

 巨人族を薙ぎ払い、王に成りあがった一人の青年の物語。

 絵本の中ではハッピーエンドを迎えるも、実際には未完のままだ。

 巨人達を扇動していた黒幕は、白紙大典の結界に閉じ込められたまま今なお生き続けている。

 散花と焔華が未来永劫機能するのなら、この結末でも問題なかった。

 残念ながらそうではないと、既に何人かが気づいている。

 最高戦力を誇る、赤髪の魔女。

 彼女が携える、真っ白な本。

 魔物でありながら、人間の言葉を話す炎の魔物。

 そして、封印されている本人。

 間もなくだ。

 この中で、オーディエンと名乗る魔物だけが明確に道筋を立てている。

 その時が訪れた時、イダンリネア王国を含む全ての人間が、彼女に殺されるだろう。

 セステニア。この女にはそれほどの闇が秘められており、残念ながら抗える者などいない。

 そのはずだった。

 貧困街の片隅で、奇跡は既に起きている。

 エウィンはアゲハに手を差し伸べた。

 オーディエンはそんな二人を見つけてしまった。

 ハクアとも、こうして出会えた。

 いくつもの偶然が交わり、少年はいつの日かたどり着く。

 されどそれは先のお話。

 今はカーペットに寝転がって、夕食が出来上がるのを待ち続ける。

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