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第六十三話 赤髪の魔女と純白の本

 木々と腐葉土の匂いが、顔に張り付く。

 空気が濃密な理由は、ここが自然豊かな土地だからだ。

 荒野の片隅にひっそりと広がる、奇妙な森林。

 二人はついにたどり着いた。

 落ち葉を踏みしめながら、エウィンが感嘆の声を漏らす。


「思ってたより広そうですね」


 奇しくも、少年の姿は迷彩のようだ。

 緑色の頭髪。

 同色の上着。

 ズボンは黒く、リュックサックは黄土色。

 森と一体化しそうな風貌ながらも、当然ながら狙った服装ではない。

 そのすぐ後ろを歩くアゲハも色合いは落ち着いており、樹木と大地に溶け込めている。


「普通の森に、見えるけど、なんだか、不気味。なんて言うのかな、ざわざわする……」


 灰色のチュニックと真っ黒な長ズボンを着こなす姿は、まぎれもなく傭兵のそれだ。

 もっとも彼女の場合、野暮ったい服装であろうと色香を振りまいてしまう。豊満な胸が布地を大きく押し上げるためだ。

 小さな背負い鞄には彼女の荷物だけが収納されており、腰の短剣は本物ながらも抜かれることは滅多にない。


「迷いの森って言ったって、今のところはさっぱりですね。やっぱりただの迷信なのかな?」


 エウィン達は道なき道を進む。

 立ちはだかる木々はそのどれもが長身だ。侵入者を拒むように群生しており、奥を目指す際は避けながら進むしかない。


「王国から、すごく離れてるから、手が付けられてないって、本には書かれてたけど、逆に言うと、情報はそれだけ……。森の広さも、生息する動物や、魔物についても、未掲載。本当に、不思議……」


 アゲハも同様に首を傾げる。

 迷いの森。ミファレト荒野の南西に位置する、静かな森。

 二人は亀裂の観光に満足した後、ここを目指した。道中、ミファリザドを改めて狩り、昼食代わりに焼いて食べたのが先ほどのことだ。


「僕、ここについては最近まで知らなかったんですよね。歴史の教科書にはさっぱり登場しなくて……」

「地理学の本、買って正解だったね」

「はい。まぁ、名前と場所くらいしか書かれてませんでしたけど」


 それでもここに足を運んだ。その理由は、知人に勧められたためだ。


「エルディアさんが、色々、教えてくれたよね」

「魔物がいないとかなんとか? 本当かなーって感じですけど」


 エウィンが疑う理由はシンプルだ。

 魔物はこの世界のあちこちに生息しており、例外は限られる。

 海の中。

 一部を除く、山地。

 そして、土地と土地の境界付近。

 魔物は、隣接する地域に近づこうとしない。

 マリアーヌ段丘とルルーブ森林の場合、草原ウサギは森に近寄ることはあっても、せいぜいが遠目から眺める程度だ。

 縄張り意識が強いのか?

 生息エリアから外れることを本能的に恐れているのか?

 理由は不明ながらも、魔物は自分達の活動範囲を明確に定め、遵守し続けている。

 ゆえに、そういった習慣を逆手に取り、傭兵や商人は土地の境界付近で夜を明かすことが多い。安全地帯ゆえ、賢い旅の仕方と言えよう。


「今のところ、見当たらないね。あとは、森の奥に、川があるとか……」

「そんなことも言ってましたねー。今日はそこで野宿しましょう。ただまぁ、迷わずに進めるのかな?」


 勘ぐる理由は明白だ。

 迷いの森が名付けられた由来でもあり、アゲハがこの話題に追従する。


「森に入ったら、方向感覚を失って、気が付いたら、森の外に出ちゃう。だから、迷いの森……」

「その名前は伊達じゃないってことなんですかねー? 今のところ、真っすぐ歩けてるような気はしますけど……」


 道もなければ、目印すらも見当たらない。完全に手つかずの土地であり、荒野で一泊するよりは快適そうだが、不安な気持ちは拭えない。

 それでも今は、ぐんぐんと進む。

 アゲハだけが寒気を覚えるも、対照的にエウィンの表情は明るい。


(本当だ、魔物の気配が全くしない。ミファレト荒野は数こそ少なかったけど、たまに感じ取れた。だけど、森の中はさっぱり……。こんなことってあるんだな。まるで……)


 城下町にいるようだ。そう錯覚するほどには、身構える必要がない。

 むせ返るような土の匂いを吸い込みながら森の奥を目指すも、異変の発見はエウィンの方が早かった。


「あ、猫! アゲハさん、猫がいます!」


 木の幹に隠れるように、一匹の野良猫が侵入者二人をじっと見つめている。

 額は黒く、対照的に鼻から喉元にかけて白い。体も黒と白の二色で構成されており、アゲハの顔もこのタイミングで綻ぶ。


「ハチワレちゃんだ。野良にしては、顔が優しいね」


 まるで飼い猫のようだ。

 もちろんそんなことはないはずだが、エウィンは当然のように進行方向を変える。


「触らしてくれるかなー。もう何日も撫でてないから、そろそろ発作が……」

「前も、そんなこと、言ってたよね。こういう時に備えて、ミファリザドの肉、少し残しておけば、良かったかな」

「あー、確かに。少し硬かったけど普通に美味しかったので、全部食べちゃいましたもんね。塩コショウでああも味が良くなるなんて、さすがアゲハさん」


 完食したがゆえの弊害か。

 もっとも、この状況を見据えることなど不可能ゆえ、手ぶらで近寄るしかない。

 腰を折り、忍び足で進むエウィンだが、その姿を眺めながらアゲハがさらなる報告をもたらす。


「あ、キジトラちゃんが、あっちにいる」

「え⁉」


 条件反射で吠えてしまった。

 その結果、警戒心の高い猫が逃げ出すも、エウィンは涙を堪えながら持論を述べる。


「もしやここは、猫の森では⁉」

「魔物がいないなら、そういう生態系が、出来上がってるのかも……」

「今だけはエルディアさんに感謝! さぁ、もりもり進みましょう。猫を探しながら!」


 本気を出せば、野良猫を捕まえることなど造作もない。

 なぜなら、この少年は猫より早く動けてしまう。それをしない理由は驚かせたくないからだ。

 ゆえに、逃げない猫を探さなければならない。この森に猫が繁殖しているのなら、エウィンの願望は実るはずだ。

 改めて二人は森の奥を目指すも、野良猫は例外なく人間を近寄らせない。

 悲しみに暮れるエウィンを他所に、アゲハは一人淡々と状況把握を終える。


「猫以外、見かけないね。もしかしたら、ここの猫ちゃん達が、他の動物を、食べちゃうのかな?」

「え、何それ怖い。いやまぁ、猫は肉食ですけども……」


 猫好きゆえに、その程度のことは知っている。

 それでも、口に出されて言われてしまうと、さすがのエウィンも戸惑わずにはいられない。

 もちろん、アゲハとしても悪気はないため、異なる可能性を伝える。


「あるいは、きちんと餌を、もらえてる、とか……」

「え? それって誰かが住んでるってことですか? この森に……」


 あり得る話だ。

 迷いの森には、魔物がいない。

 さらには、理由は不明なれど方向感覚の喪失により、第三者の侵入が困難だ。

 この森はひっそりと暮らすには最適な土地であり、アゲハの予想もある一点を除けばあり得てしまう。


「でも、毎日のように、迷子になっちゃうかも?」

「僕達も実は同じところをウロウロしてる可能性がありそうですしね。いやまぁ、そんなことはないのか?」

「うん、色んな猫ちゃんと、会えてる」


 少なくとも、本人達は真っすぐ進んでいるつもりだ。野良猫を見かける度にふらふら追いかけはいるが、方角までは見失っていない。


「あ、三毛猫発見。こうも逃げられちゃうと、本気出したくなりますね」

「怪我させないなら、構わないと、思うけど……」

「その加減が難しそうで。ちょっと力むだけでも、石ころ程度なら握り潰せますし」


 対象が小動物なら、肉塊ということか。

 調理して食べるのなら自然の摂理に反しないが、エウィンにその気がない以上、慎重に撫でなければならない。


「なついてくれる子も、いると、思うよ」

「ですよねー。今日はもうここで野宿ですし、森の猫を全部追いかけるつもりで歩き回りましょう」

「それは、何日かかるか、検討もつかないような……」


 迷いの森は狭くない。アダラマ森林やジレット大森林と比べれば規模は劣るも、端から端まで歩いて横断する場合、一日では足りないだろう。

 それでも慌てる必要などない。

 現在の時刻は昼過ぎ。昼食を食べ終えたばかりゆえ、体力と気力は満タンだ。

 逃げ惑う猫を追いかけながら、二人は森の奥へ踏み込む。

 あるいは導かれているのか。

 偶然であろうと。

 必然であろうと。

 この地で彼らは巡り合う。

 台本に書かれていなくとも、彼らは演じるように立ち振る舞うしかない。



 ◆



「ハクア様、ご報告したいことがございます」


 戸の向こう側から、女の声が響く。

 この家の家主にとっては見知った音色だ。居間の中心で椅子に腰かけたまま、つまらなそうに本を閉じる。


「入りなさい」

「失礼します」


 何度も繰り返されたやり取りゆえ、両者の動作はスムーズだ。

 扉を開き、玄関に足を踏み入れた女。両眼の虹彩には赤線で円が描かれており、この瞳を人々は魔眼と呼ぶ。

 黒髪は少年のように短く、一方で物腰は静かだ。十代の妹を持つ姉として、里長を前にしても慌てふためくつもりなどない。

 同様に、家主も不自然なまでに落ち着いている。客人が訪れたにも関わらず、立ち上がる素振りすら見せない。自身の方が偉いと自負しているためだ。


「なに?」


 催促するように、問いかける。

 あるいは、用件を早く言え、と急かしているのか?

 どちらにせよ、ボールは投げた。

 次は受け取った側が口を開くしかない。


「侵入者です。二人……、二人と言っていいのか……」


 単なる報告のはずだ。

 しかし、この魔女は言い淀んでしまう。


「二人は二人でしょう? それとも、分裂したりくっついたりしてるの?」

「い、いえ、そういうことでは、なくて……」

「報告はハッキリと。その目で見たんでしょう?」


 椅子に腰かけたまま、苛立つように促す。

 玄関に立つ魔女は信頼の置ける部下ながらも、今回ばかりは無意識に睨んでしまう。

 こうなってしまっては、いかに大人であろうと萎縮せざるを得ない。女は視線を落としながら、改めて報告に務める。


「片方は男で、髪も服も緑色。おそらく傭兵で、短剣使いと思われます」

「そう、もう一人は?」

「もう一人は……、少なくとも私には、人間に見えなかった。化け物……、化け物としか、言いようがありません」


 恐怖から目をそらすように、魔女がカーペットの模様を眺め続ける。

 怯えるその姿を眺めながら、ハクアと呼ばれた彼女だけは冷静さを手放さない。


「その化け物は、あなたのように黒髪の女だった?」

「はい、そのように、見えた気がします」

「ふーん、もういいわ。引き続き、そいつらの監視を続けなさい」


 実は、一人目について聞かされた時点から察しはついている。

 ゆえに、部下を帰そうとしたのだが、その足は動かない。


「わ、私には無理。あれっていったい何なんですか? ハクア様ならご存じなんですよね?」

「私だって詳細は知らないわ。ただ、おそらくは、エルから連絡があった二人組でしょうね。男の方は、あなたの妹を使って実力を測ろうとした傭兵よ。だから安心なさい。とって食われるようなことはないから」

「ですが、女の方は完全に化け物……。遠くから見ただけで、心臓がわしづかみにされたような……。あんなのを見張るくらいなら、いかにハクア様の命令であっても無視して引きこもります」


 うろたえるような反論が、広い居間に沈黙をもたらす。

 この女性は、誰よりも忠実な部下だ。

 そのはずだが、敵前逃亡を望んでしまっている。

 それほどに怖いのだろう。

 心が折られてしまったのだろう。

 その感情には心当たりがあるため、背もたれに体を預けたまま言葉を探す。

 その時だった。

 玄関の戸が、別人によってドンドンと叩かれる。


「ハクア様! 侵入者です! 結界を無視して里に現れました!」


 ありえない報告だ。

 そうであることを誰よりも理解しながら、家主は冷静な人間を演じる。


「わかったわ。私が対処する」

「お願いします! 一人は傭兵っぽい男の子で、どういうわけか泣いています! もう一人は根暗そうな女の人です!」


 侵入者二人に対する情報の解像度が上がった瞬間だ。

 もっとも、ハクアと呼ばれた女は椅子から立ち上がろうとするも石像のように硬直してしまう。


「泣いて……、え? どういうこと? まぁ、いいわ。あなたも一旦戻りなさい。本当は同行してもらいたいけど」

「森の監視に戻ります」


 部下達が立ち去ったことで、室内が本来の静けさを取り戻す。

 それを合図に立ち上がると、彼女の長すぎる髪がカーテンのようにふわりと揺れた。

 その色は血のように真っ赤だ。背中を完全に隠しており、臀部はおろか太ももにすら届いてしまっている。


「エルが言ってた二人っぽいねー」


 新たな声が、居間を賑わす。

 ありえない。

 なぜなら、ここには赤髪の女しか取り残されていない。

 にも関わらず、鈴を鳴らしたような声が、この魔女に語りかけた。


「そのようです。でも、どうやってここに?」


 独り言ではない。

 もう一人の同居人に対して、首を傾げる。


「わたしに訊かれてもわからんちん。ここのことはエルが教えたとして、でも、それとこれは別問題」

「そうなんです。迷いの結界は絶対。部外者はあっという間に放り出される。そのはずですが……」


 報告が嘘でないのなら、その二人組は森を突破したらしい。

 ゆえに、対応が必要だ。

 真っ赤な髪を躍らせながら。

 医者や研究者が着るような白衣を揺らしながら。

 その魔女が背筋を正す。

 彼女の名前はハクア。中肉中背の女性ながらも、先ほどまでまとっていた雰囲気は他者を圧倒するほどだ。

 しかし、今は打って変わってしおらしい。謎の侵入者に対して困惑しているということもあるが、ここには二人しかいないため、己を偽る必要がない。

 姿が見当たらないもう一人が、ハクアを急かす。


「たしかー、エウィンとアゲハだっけ? 会いに行こうよー」

「はい、行きましょう。里の者も落ち着かせないと」


 眼下のテーブルには、二冊の本が置かれている。

 片方は野草について書かれた書物であり、先ほどまで手に取っていた。

 もう一冊は真っ白だ。表紙だけでなく背表紙すらも雪のように白く、つまりは文字が一切書かれていない。

 野草の本よりもページ数が多いのだろう。いくらか厚く、白いが年季を感じる程度には古びている。

 赤髪の魔女が手に取った本は純白の方だ。傷つけないようにそっと抱きかかえると、玄関に向かって歩き出す。


「わかってると思うけど、いきなり喧嘩腰ってのはダメだからねー」

「わ、わかっております……」


 話し相手はこの本だ。ハクアの腹話術ではなく、これこそが言葉を発している。

 赤髪の魔女。

 純白の本。

 二人はついに巡り合う。

 この地で。

 この時代で。

 偶然であろうと、運命であろうと、どちらでも構わない。

 終わらせる者として。

 封印する者として。

 その役割を果たすために、彼女らは探し続けていた。

 ここは迷いの森。

 その奥地に隠された、魔女が暮らす小さな集落。

 様々な思惑が交錯する中、彼らはついに巡り合う。

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