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第六話 恐れることなく、前へ

 三半規管が狂うほどの静けさの中で、傭兵は休息欲しさに腰を下ろす。

 完全な暗闇だ。頭上の枝葉が月光さえも遮ってしまっている。

 汗まみれのまま腐葉土に座り、物言わぬ樹木に背中を預けるも、呼吸はすぐには整ってはくれない。

 木々の幹は頑丈だ。その太さは少年を守るように受け止めてくれるため、どれだけ寄りかかろうと倒木の心配はいらない。

 沈黙に支配された森林に、荒々しい呼吸だけが響く。

 後先を考えずに走った結果だ。エウィンは額の汗を拭うことすらせず、大口を開けて新鮮な空気を肺に送る。


(もう着いた、すごい。すごいけど、疲れた。このままちょっとだけ、休ませて……)


 現在地はルルーブ森林、その境界線間際。数分戻れば、マリアーヌ段丘に帰還出来る程度には浅い部分だ。

 それゆえの安全地帯なため、少年は警戒心を手放して休憩に専念する。

 理由は解明されていないのだが、土地と土地の境目部分には魔物が生息していない。寄り付くことさえしないのだが、縄張り意識がそうさせるのか、別の要因があるのか、学者も傭兵も明確にその理由を説明出来ずにいる。

 そうであろうと、休めることに変わりない。周囲に魔物がいないのだから、このまま眠ることさえ可能だ。

 もちろん、そんなことはしない。急ぐだけの事情があるのだから、体力が戻り次第、前進を再開させる予定だ。


(静かだ。あの時のことを思い出す。お母さん、ごめん……)


 夜逃げ同然の形で、親子は家を飛び出した。

 その結果、エウィンの目の前で母がゴブリンに殺された。正確にはその瞬間を目撃したわけではなく、矢の発射音とうめき声からの推測だ。

 その後のことは何もわからない。

 自身はイダンリネア王国に逃げ切れたが、母の死体は埋葬されたのか、ゴブリンは傭兵に討伐されたのか、情報は何も得られてはいない。

 残念ながら、楽観視など不可能だ。もとより、期待などしていない。

 母は死んだ。その事実は疑いようがなく、当時のエウィン、すなわち六歳の子供は、飢えながらもその現実を受け入れた。

 孤独の始まりだ。

 港で拾った生魚をかじり、腹を壊しながらも飢えを誤魔化した。

 王国の西側に設けられた軍区画に足を運び、彼らの鍛錬を盗み見て戦い方を学んだ。

 センスだけはあったのか。

 拾った包丁の切れ味が優れていたのか。

 七歳のエウィンは草原ウサギの討伐に成功し、その結果、傭兵試験を突破してみせた。

 しかし、壁が立ちはだかる。

 成長の限界値。

 毎日のように腕立てや腹筋で自身を追い詰めようと、草原ウサギを欠かさず狩り続けようと、ある日を境に身体能力の向上が止まってしまった。

 珍しいケースながらも、実は時折見られる現象だ。

 言ってしまえば、傭兵としての適性がなかった。

 この言い回しに尽きる。

 ならば夢を諦め、転職するしかないのだが、エウィンは浮浪者ゆえにそれすらも難しく、この生き方にしがみつくしかなかった。


(アゲハさんのためにも、がんばらないと……)


 新たな一歩だ。

 今回の獲物はウッドファンガー。歩くキノコとも呼ばれており、全長は一メートルゆえ、小さな子供と同程度の大きさだ。

 この魔物には目がついていない。見た目は巨大なキノコそのものなのだから、顔に該当する部位すら存在しないのだろう。

 それでも、人間を見つけ次第、執拗に襲い掛かることから、その凶暴性には注意を払うべきだ。


(退院出来たら、アゲハさんだけでも宿に泊まってもらおう。そのためにも……)


 今まで以上の収入が求められる。

 ウッドファンガー狩り。正しくは、その傘部分を三個持ち帰る。

 報酬は一万イールゆえ、アゲハと出会う以前と比べれば破格の金額だ。


(ギルド会館のご飯って美味しいし、一日一回は食べられると嬉しいな。メニューもいっぱいあるし、そんなに高くないし、量も申し分ないし)


 衣食住の向上を想像するだけで、エウィンの顔が綻ぶ。貧困街の住人であろうと、妄想だけなら自由であって然るべきだ。

 ましてや汗水垂らして働いている以上、稼いだ金の使い道も好きにして構わない。

 両膝を抱え、体育座りの姿勢で体を休ませる。そのまま両目を閉じて心と体を落ち着かせると、無音の中で時間だけが過ぎ去っていく。


(行こう)


 狩りの時間だ。

 十五分程度は休めただろうか。汗を吸い込んだ衣服は相も変わらず濡れたままだが、疲労はすっかり消えてくれた。

 立ち上がると、眼前はやはり暗闇だ。

 当然ながら、何も見えない。この地には街灯すら設置されていないのだから、真っすぐ歩くことさえ困難だ。

 そのはずだが、森と言えども土地全てが樹木に覆われているわけでもない。

 この大陸に人間が住み着いて既に千と百年。人々の往来によって大地は踏み固められ、気づけば自然の遊歩道が出来上がっている。その周辺なら晴れの日限定ながらも月明かりが降り注いでくれる。

 空き地のような道をゆっくりと走るも、未だ魔物の姿は見当たらない。

 ならば、さらなる奥地へ向かうまでだ。この地も広大ゆえ、越えるためには何日も歩かなければならない。


(見つけた……と思う)


 少年の目には、不気味な夜の光景しか映ってはいない。

 数えきれないほどの広葉樹が左右に立ちはだかっており、それらは棒立ちながらも存在感は抜群だ。

 一方で、異物の類は見当たらない。

 人間も。

 小動物も。

 魔物さえも、就寝中なのだろう。

 見落としている可能性はある。それほどに暗いのだから、ネズミやリスがいたところで発見はおおよそ不可能だ。

 そのはずだが、エウィンは減速しながらも左前方を凝視する。

 やはり、お化けのような樹木しか見当たらない。

 にも関わらず、その方向に魔物がいると直感的にわかってしまった。

 もしくは、そう感じ取れた。


(草原ウサギだけじゃなかったんだ。野生の勘ってやつなのかな? まぁ、行って確かめてみよう)


 以前から違和感のようなものは覚えていた。

 マリアーヌ段丘で草原ウサギを狩る際、当然ながら、先ずは走り回って探すことから始めなければならない。

 魔物とは言え、このウサギは幼児のように小柄だ。さらに体毛が土色なことから、見つけるだけでも一苦労だった。

 個体数が少ないため、運が悪いと何時間もかかってしまう。収入が上がらない最大の要因だ。

 何はともあれ、探し方はシンプルだ。

 目を見開きながら走り回る。これ以外にはありえないのだが、この傭兵に関しては当てはまらない。

 視覚するよりも早く、それらの気配を感じ取れてしまう。

 異物感のような殺気。

 もしくは、人間とは根本的に異なるその在り様か。

 エウィンはそういった何かを探知し、その方角を目指すことで魔物と出会うことが出来た。

 長年の狩りで身に付いた特技なのだろう。そう思い込んでいた。

 十年以上も草原ウサギだけを狩り続けてきたのだから、無意識にそれらの生息域を覚えられたとも分析していた。

 しかし、事実は異なるようだ。

 ここはマリアーヌ段丘ではない。

 草原ウサギは生息しておらず、別種の魔物が陣取っている。

 それでもなお、不思議な直感が機能してくれたのだから、自分のことでありながら首を傾げながらも道から外れ森の中へ足を踏み入れる。

 顔に張り付く匂いは土壌が生きている証だ。

 その中を泳ぐようにかきわけながら、そして樹木を避けながら、あえてゆっくりと前へ進む。

 時間にして数分足らずか。答え合わせはあっさりと済まされる。


(本当にいた。と言うか、想像してたより大きくてちょっと怖い。殺気が高まった気がするし、さすがに近づきすぎたか)


 エウィンが標的の姿を捉えたように、その魔物も人間の接近に気づいたということだ。

 ウッドファンガー。その見た目はキノコそのものだ。造形としては、しめじが最も近い。

 赤茶色の傘。

 白い柄。

 そして、根っこのような足が六本生えており、それらを触手のように動かすことで自身を運ばせる。

 全長はやはり一メートル程度。エウィンと比べた場合、傘のてっぺんが胸元にまで達してしまう。

 見た目こそ巨大キノコでしかないが、直立したまま走る以上、魔物であることを疑う者はいない。

 草原ウサギとは対照的にウッドファンガーの気性は荒く、人間を見つけ次第、体当たりという手法で襲い掛かる。

 単なる衝突ではあるのだが、その威力は命を容易く断てるほどだ。

 破壊力は木づちで殴られた時以上だろう。大振りの一撃であろうとこれには届かない。

 闇に紛れた白いキノコ。それがエウィンの接近に伴い、歩みを止めた。

 進行方向を見つめているのか?

 現れた人間を凝視しているのか?

 それには目も鼻も口さえも見当たらないのだから、魔物狩りの専門家と言えども、察することは難しい。

 少年は寄りかかるように広葉樹へ手を伸ばし、ウッドファンガーの動向を窺う。

 右から左へ移動していたようにも見えたが、今はその場に静止中だ。

 キノコの真似事のようにも映るが、だとしたらあまりに不出来だろう。サイズ感が全く異なるのだから、見間違うはずもない。


(ブロンズダガーはもう使えないけど……)


 闘志をみなぎらせながら、エウィンが威風堂々と歩き出す。

 愛用の短剣は折れてしまった。刃はわずかに残るも、凶器としては落第だろう。

 つまりは手ぶらなのだが、ここまで遠征した理由は勝算があるからだ。

 殴る。

 蹴る。

 ぶつかる。

 スマートとは言い難いが、ゴブリンを殺せたという実績がある以上、勝算はあるはずだ。

 夜の森は闇で満たされている。目を凝らしたところで何も見えない。

 それでも白いキノコを知覚出来ている理由は、思い込みでもなければ妄想でもない。そこに存在することを確信出来ているため、虚ろな造形を脳内で補正した結果だ。

 少年はそこを目指して一歩を踏み出した。

 落ち葉を踏みしめ。

 大地を踏み固め。

 右足、左足の順に体を運び、ついはグンと走り出す。

 それを合図に戦闘開始だ。

 魔物は初めから警戒していた。あちらから近寄って来てくれるのなら、真似るように駆け出すだけだ。

 左肩を突き出して体当たりを試みるエウィン。

 頭突きのような要領でぶつかろうとするウッドファンガー。

 距離は縮まった。

 これは殺し合いであり、力比べだ。

 もしくは、強者を示し合わせるための通過儀礼か。

 次の瞬間、静まり返った森で勝者が確定する。

 枝葉を揺らすほどの轟音は衝突の結果だ。

 そして、勢いと頑丈さに敗北した巨大キノコが、木々をなぎ倒しながら大砲玉のように吹き飛んでいく。


(お、おぉ、これほどとは……。あ、追いかけよう)


 一瞬、自分の勝利に呆けてしまったが、改めて自身の肉体に感心してしまう。

 それほどに強くなれた。

 その実感は既にあったのだが、今回の標的を上回れたことは自己肯定感を遺憾なく高めてくれた。

 静まり返った森林地帯ゆえ、樹木が倒壊する際の悲鳴は怖いほど響く。その方向にウッドファンガーがいるのだから、傭兵の足取りは迷うはずがない。


(あ、いたいた。寝転がって動かないけど、倒せたってことなのかな? 草原ウサギと違って何とも言えない……)


 ゆえに警戒は必要だろう。

 もっとも、おそるおそる持ち上げてもなお微動だにしないのだから、絶命したと考えるべきか。


(あ、ウッドファンガーの場合ってどうすればいいのかな? 傘が必要なんだからここだけ引きちぎっちゃっていいのかな? それとも、このまま持ち帰った方が鮮度的な理由で喜ばれる? う~ん、わからないし、まるごと持って帰ろう)


 エウィンは傭兵ではあるものの、草原ウサギ以外はからっきしだ。今回の魔物に関しても知識すら持ち合わせてはいない。

 そうであろうと、問題なく勝てた。

 むしろ圧勝だ。

 しかし、問題はここからだ。

 依頼内容はウッドファンガーの傘を収集、個数は三個。

 一つ目を無事入手出来たのだが、頭部分を切り落として持ち帰れば良いのか、かさばるもののこの巨体を抱えて提出すべきなのか、その判断がつかない。

 ゆえに安全策を選ぶも、柄の部分すら太いため、運ぶとなると脇に抱えるしかない。


(あれ、左手が塞がった。二体目で右手が塞がるとなると、三体目はどうやって持って帰ろう……)


 新たな問題が浮上した瞬間だ。

 リュックサックには入らない。体積からして収容など不可能だ。無理やり突っ込んだとしても、柄の下半分が限界と言ったところか。


(がんばれば、小脇に二体抱えられるかな? 二体目倒したら試してみよう)


 方針が決まったのだから、少年は歩き出す。

 行先は既に決めており、眼前が暗闇であろうと障害にはならない。

 既に獲物の気配は索敵済みだ。魔物の密度からして、マリアーヌ段丘とは違うらしい。

 六歳のエウィンは、ここから逃げることしか出来なかった。

 時は流れ、今は十八歳。イダンリネア王国では成人扱いではあるのだが、栄養不足ゆえにいくらか若く見えてしまう。

 痩せているわけではない。

 童顔と言えばそうなのだろう。

 緑色の髪は自分なりに整えているのだが、伸びた分を短剣で切るだけゆえ、他の浮浪者と比べればまっとうなものの、比較対象が低すぎるか。

 傭兵は歩く。

 戦利品を持ち運びながら、次のキノコを求めて目を光らせる。

 ここはルルーブ森林。

 寝静まった、夜の無人地帯。



 ◆



 書類仕事を片付けたタイミングで、女は椅子の背もたれをギィと鳴らす。

 室内は刺激臭にすら近い匂いで満たされるも、彼女にとってはこれが当たり前ゆえ、鼻はすっかり麻痺していた。

 整頓された机の上にペンを置き、桃色の髪を手櫛で撫でる。グネグネと曲がった長髪はストレートヘアーとは言い難いため、指を進ませる度に引っかかりを覚えてしまう。

 白衣は彼女の制服だ。職業を象徴しているとも言える。

 急患のせいでドタバタしてしまったが、こういったことは日常茶飯事なため、慌てもしなければ困惑もしない。

 一人っきりの診察室は静寂に包まれている。物音を生み出すきっかけは、彼女の一挙手一投足だけだ。


(当直じゃないんだけど、今日は私が泊まるしかないか。帰っても独りだし、構わないけど)


 女医の名前はアンジェ。この病院の院長であり、二十代ながらも名医として名を馳せる。

 医学の知識もこの病院も、祖父から譲り受けた。跡継ぎとして遺憾なく活躍するも、それゆえの独身か。

 魔法の力で動く壁掛け時計に視線を向けると、短針は数字の九を指している。

 寝るにはまだ早い時間帯だ。

 入院患者はぐっすりと眠っているため、手がかからないことから手持ち無沙汰になってしまった。

 職員も既に帰宅しており、大きなこの施設にはアンジェと眠り姫しか滞在していない。

 眼下の書類整理も粗方終わったことから、アゲハの様子を見に行こうかと考えていた時だった。

 廊下の方から、軽快な足音が響き始める。


(こんな時間に誰?)


 緊張感が彼女の背筋を正す。

 患者は起き上がれない。

 職員もいないはず。

 ゆえに、不法侵入以外はありえない。

 椅子に座ったままながらも、クルリと向きを変え、唯一の扉をじっと見つめる。それが開く瞬間を見過ごすわけにはいかないからだ。

 足音が素通りすることを期待するも、アンジェの願望は叶わない。当然のように部屋の前で静止すると、次いでドアノブがひとりでに回しだす。


「お金稼いで来ました。はぁ、さすがに疲れました……。毎回大ジャンプしないといけないってのが、なんかその、しんどいです」


 汗も滴る傭兵の登場だ。

 若葉色の短髪だけでなく、薄緑色の長袖もじわっと濡れており、風呂上りのような湯気は幻覚ではない。

 侵入者が泥棒でもなければ変質者でもないことが判明するも、アンジェは別の意味で驚かずにはいられなかった。


「あんた、もう帰って来たの? と言うか、もう稼げたの?」

「とりあえず、一万イールだけですけど……。入院代には全然足りませんが、受け取ってください」


 診察料の八千イール。

 一泊の入院代が五万イール。

 出発前に手渡した六千二百イールを足したところで、満額には程遠い。

 そうであろうと、この一万イールは精一杯の稼ぎだ。アゲハの治療を続けてもらうためにも、支払うべきお金だ。


「これ受け取ったら、あんたまた稼ぎに行くんじゃないでしょうね?」

「はい。ご飯抜きは嫌なので」


 鞄から取り出した財布には、金色の硬貨が一枚だけ。現時点の全財産であり、先ほど、ギルド会館の窓口で受け取った報酬だ。

 この金貨が一万イールの価値を担保しており、エウィンも初めて触れる硬貨に、テンションが少々上がってしまった。


「これ、どうやって稼いだの?」


 金色のそれを受け取ると同時に、アンジェが当然の疑問を投げかける。硬貨が生暖かい理由は、少年の体温がこの一瞬で移ってしまったためだ。


「ルルーブ森林でウッドファンガーを三体狩って来ました」

「嘘おっしゃい。あんたがここを発ってまだ三時間足らずよ?」


 彼女が疑うのも無理ない。

 イダンリネア王国と南の村とを行き来する行商人は、片道の移動にさえ一週間単位の計画をたてる。

 マリアーヌ段丘を南下するだけでも、四、五日といったところか。

 寝る間も惜しんで歩けば話は別だが、そんなことをすればたちまち体を壊してしまう。


「がんばったら一時間くらいでたどり着けました。帰りもそんな感じです。あ、キノコ狩りの方も問題なくて、数が多い分、ウサギ狩りより簡単だったかも」

「そう……なの」


 傭兵の発言を真正面から受け止めると、アンジェは素っ気ない反応と共に座り慣れた椅子に腰かける。

 疑ってはいない。

 疑う理由もない。

 このシチュエーションが、彼女にとってはデジャブでしかないからだ。


(この状況、信じられないくらい瓜二つ。単なる偶然? それとも……? 行先もほとんど一緒だし、経緯さえ似通ってる。どちらにせよ……)


 受け入れるしかない。

 受け止めるしかない。

 この少年は本物だ。貧困街に居つく浮浪者であろうと、その実力に疑う余地などない。

 アンジェは似たような問答を三年前に経験している。その際も傭兵が急患を連れて来たのだが、その後のやり取りもそっくりだ。

 薬の材料を求め出発した少年。今回同様にその日の内に集め終えてしまったのだが、往復で二週間近くはかかる道のりを数時間足らずで行き来したのだから、当然のアンジェは心底驚かされた。


(あの子は貴族だから身分は全然違うけど、立ち位置や結果はそっくり)


 エウィンは正真正銘の浮浪者であり、言ってしまえばこの国の底辺だ。

 そういった部分が、三年前とは似て非なる。

 それでも、この女医には同種に思えてしまった。

 他人に手を差し伸べ、この病院に連れて来た。

 自分に利益がなかろうと、汗をかいてすべきことをやり遂げた。


(第二のウイルが現れた? ううん、この子はこの子。あの子はあの子。一緒くたにしたら、どちらにも失礼ね)


 少年の名はウイル・エヴィ。

 少年の名はエウィン・ナービス。

 決して交わらないはずの両名が、一人の女性を介して繋がった瞬間だ。

 まだ出会うことはない。

 しかし、いつか相まみえるのだろう。

 そのタイミングは、神のみぞ知る。

 もしくは、神にさえわからないのかもしれない。


「まぁ、いいわ。汗まみれだし、ここのお風呂に入っていきなさい」

「え? それは申し訳ないです。いつものように川で流します」

「人の好意は無下にしないものよ。あ、湯舟のお湯はそのまま残しておいてちょうだい。後で飲むから」

「失礼します」


 傭兵が去り、診療室には女医が一人。

 本音という名の失言を後悔しつつも、王国に新たな風が吹いたことを静かに喜ぶ。


(ウイルは失敗したけど、それでもこの国を大きく変えてみせた。あの子は何を……、やり遂げるのかしらね)


 楽しみだ。

 若い男の出汁は摂取出来なかったが、焦る必要はない。アゲハが入院している以上、放っておいてもあちらから顔を出すのだから。

 慌ただしい一日は間もなく終わる。

 そして、激動の日々が間もなく始まる。

 千年の歴史を紡ぐ、イダンリネア王国。

 一万年の亡霊がこの国が亡ぼす時、全てを越えてその傭兵が立ちはだかる。

 今はまだ、目先の金を稼ぐことしか出来ない。

 ましてや、アゲハを元の世界へ戻す術さえ見つけられていない。

 一歩ずつだ。

 焦ることなく、前へ進み続ける。その先に何が待っていようと、がむしゃらに突破するだけだ。

 全てを越えて、世界の終着にたどり着く。

 少年の名は、エウィン・ナービス。

 能力の名前は、まだない。

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― 新着の感想 ―
[良い点] エウィンのこれからがどうなるのか気になりますし、今後も楽しみにしています!焦りは禁物ですね。
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