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第五十九話 軍人の実力は

 肉の焼ける匂いが、鼻腔を刺激する。

 これが台所や飲食店から漂ってくるのなら、食欲をそそるのだろう。

 しかし、ここは戦場だ。

 すすけた死体達が匂いの発生源であり、その背丈は人間の子供と大差ない。

 その正体はゴブリンだ。息絶える前は、人間を簡単に殺せるほどには脅威だった。

 南北を山脈に挟まれたこの地で、向かい合うように近づく二つの人影。

 片方は軍人だ。黄色髪は短く、前だけを向いて寡黙に歩いている。腰の鞘に片手剣が収まっていない理由は、既に男の右手がそれを握っているからだ。

 もう片方は、異質な雰囲気をまとったゴブリン。その鎧は他とは異なり、雪のように白い。黒色に塗装し忘れたのではなく、手間暇をかけて白く塗り替えた。

 王国軍がこの地に攻め込んで、まだ一時間とたっていない。

 しかし、タイミングはどうあれ、こうなることは初めから決まっていた。

 第一遠征部隊と第二遠征部隊がゴブリンごときに後れを取るはずがなく、ましてやここまで牽引したのはたった二人の軍人だ。

 ジーターとダブル。それぞれが部下を率いる隊長であり、彼らの部隊は遥か後方で待機している。

 陣頭指揮に励むべき隊長が前に出ている理由は、この二人だけでゴブリンの大多数を殲滅できると自負しているからだ。

 強者こそが最前線で戦うという戦術を、イダンリネア王国は千年以上も採用し続けた。優秀な人材を失う危険性は伴うものの、被害を最小限に抑えることが可能なため、理に適っているのだろう。


「さて、どれほどのものか」


 朝陽が差し込む谷底を、その男は悠然と歩く。右手側には大きな川が流れており、彼の歩みと水流は反対だ。

 いかに長身と言えども、頭の位置は対戦相手よりも低い。この地は高低差が激しく、西から東へ下ることから、その魔物を見上げることになってしまう。

 その色合いは非常に白い。真っ黒な鎧も異質だが、たった一体という希少さも相まって純白の鎧は目を引く。

 その背丈は一メートルをわずかに上回る程度か?

 つまりは児童のようにも見えるが、ゴブリンという種族においてはこれが普通だ。

 プレートアーマーによって全身は完全に覆われている。顔に関してもフルフェイスゆえにその表情はうかがい知れない。

 細い右腕は片手斧を携えており、一見すると薪割り用の手斧にも見えるがれっきとした凶器だ。

 それを前後させながら、ゴブリンは歩く。

 ジーターもまた、片手剣を握ったまま前進中だ。

 互いが互いを目指しており、その距離はズンズンと縮んでいる。

 多数の部下に見守られながら。

 対戦相手を凝視しながら。

 彼らはついに相まみえる。


(小さな体に巨人以上の圧迫感。侮れない)


 両者の身長差は歴然だ。

 ジーターは見下ろし、ゴブリンは見上げる。向かい合った場合、そのような構図が出来上がる。

 男の背丈は二メートル近いため、白鎧の頭頂部は彼の腹部に届く程度だ。

 そのはずだが、ジーターはこのタイミングで思い知る。

 見上げたくなるほどの存在感。小柄なはずのその体からは、ただならぬ闘志が漏れ出ている。この軍人だからこそ怯まずに済むも、居合わせた人物が一般市民ならば、恐怖のあまり腰を抜かすだろう。

 あるいは、死を悟ったがゆえに意識を手放すか。

 どちらにせよ、その者は殺される。ただの人間ではゴブリンに抗えるはずもなく、ましてや戦う気概さえなければ万が一にも勝ち目などない。

 しかし、この男は例外だ。

 軍人であり、第一遠征部隊の隊長。その肩書に偽りはない。そうであると主張するように、右手の剣を音もなく振り下ろす。

 言葉が通じない以上、挨拶など不要だ。

 戦いのゴングを鳴らす人員も見当たらない以上、自分達のタイミングで始めればよい。

 その結果がこれだ。

 ジーターの斬撃が、白い鎧の左肩に迫る。板金を穿ち、肉を切り裂く先制攻撃ゆえ、見てからの対応などおおよそ不可能だ。

 そのはずなのだが、それを可能とする存在がこのゴブリンということになる。

 振り抜かれるはずの刃が、強烈な金属音と共に遮られてしまう。

 純白の鎧に阻まれたわけではない。片刃の斧が、火花を散らしながら受け止めた結果だ。

 この事実がジーターの体を硬直させるも、男の顔は無表情を貫く。

 驚きはしたが、それ以上でもそれ以下でもない。心境は依然として冷静なままだ。

 もっとも、この一手をもって攻守は入れ替わる。

 ゴブリンの反撃だ。弾いた刃が再度迫る前に、右腕を振り抜く。

 身長差も相まって、狙う箇所は人間の太ももだ。深緑色の軍服ごと、両脚を切り裂くつもりでいる。


「なるほど」


 お手本のような攻撃に、男は敵ながらも感心してしまう。

 そうであろうと、斬られるつもりは毛頭ない。ジーターは跳ねるように下がると、斧を華麗にやり過ごす。

 両者の距離が開いたことで、異様な静寂がこの地を包む。

 足音すらも聞こえない。観客達は固唾を飲んで見守っているため、その場から動くという選択肢を無意識に除外する。

 多数の視線に晒されながら、ジーターもまた、石像のように動かない。


(やはり、か……)


 戦う前からわかっていた。

 王国軍は巨人族および魔女と戦うための戦力だ。

 その一方で、他の魔物を狩ることも少なくない。草原ウサギがその筆頭なのだが、ゴブリンも例外ではない。

 ゆえに、ジーターも様々な外敵との戦いに慣れている。

 そのはずだが、今回ばかりは慎重にならざるを得ない。

 子供のように小柄な体に宿った、巨人と同等かそれ以上の怪力。

 いかに相手のリーチが短くとも、不用意には踏み込めない。低い位置からの斬撃によって、足や腹部を斬られる可能性があるからだ。

 そういった事情から、ジーターは戦いづらさを覚える。苦手意識にも似た感情ゆえ、気持ちを切り替えるか打開策が必要だ。

 残念ながら、そのような猶予は与えられない。

 静観を決め込む人間を前にして、白鎧が次の一手を繰り出したからだ。

 魔法の詠唱を意味する、わずかな発光現象。同時に泡のような光が次々と生まれては消えゆく中、準備はあっさりと整う。

 片刃の斧が炎を宿した理由は、これがそのための魔法だからだ。

 ジーターは感心するように唸ってしまう。


「コールオブフレイム、支援系のゴブリンか」


 強化系に位置するこの魔法は、拳や武器に炎を宿すことが可能だ。

 ジーターの言う通り、戦闘系統が支援系の人間ないし魔物が、鍛錬の果てに習得する。

 殴る、斬るという行為に付加価値をもたらすことから、魔源の消耗を受け入れられるのなら使わない理由がない。

 もっとも、この行為によって魔物は手の内を明かした。

 白鎧のゴブリンは支援系だ。強化魔法と弱体魔法の使い手であり、右手に片手斧を握っていることから接近戦を得意とするのだろう。


(奇しくも、か……。ダブルのような魔攻系でないのなら、こちらもしても好都合)


 ジーターは動じない。

 それどころか安堵している。

 支援系の特性を理解しているからこそ、一対一の決闘は続行だ。

 そうであると裏付けるように、男は前進を開始した。片手剣を揺らしながら、悠々と距離を詰める。

 対戦相手の態度を受けて、ゴブリンも呼応するように歩き出す。


「ギギィ」

「いくぞ」


 会話など成り立たない。

 それでもなお、両者は同時に加速する。

 次の瞬間にも両者は向かい合うも、速さ比べはゴブリンが優勢だ。

 炎が揺らぐ片刃を、右から左へ走らせる。力任せな一閃であろうと、最小限な動作ゆえ効率的な攻撃だ。

 並の軍人なら、反応すらままならない。受け入れるように腰を両断されて絶命だ。

 これはそれほどの斬撃であり、コールオブフレイムの有り無しに関係なく、人間を殺せてしまえる。

 それでもこの魔法を使った理由は、眼前の人間を認めたからだ。

 手ごわい。

 侮れない。

 それゆえに、出し惜しみだけはありえない。全力で屠るため、斧を振るう右腕には限界まで力を注ぐ。

 強烈なその一撃だが、ジーターの対応はシンプルだ。脇を締めながら、片手剣で迎え撃つ。相打ち覚悟で斬りかかれば負けはないのだろうが、ゴブリン一体の討伐で命を散らすつもりなど毛頭ない。

 またも刃と刃がぶつかり合うも、結果は異なる。


「ぐっ⁉」


 まさかの力負けだ。

 ジーターはふわりと浮かび上がりながら、押されたように後方へ着地する。


(これほどのゴブリンが……)


 世界の広さを改めて痛感した瞬間だ。

 両者の体格差は倍近い。

 にも関わらず、巨体の軍人が腕力勝負に敗れ去った。

 無傷ゆえ顔を歪めはしないが、ジーターは右腕の痺れを隠さずにはいられない。

 この攻防を合図に、白いゴブリンが猛攻を仕掛ける。力量差を見抜けた以上、二度目の水入りはもはや不要だ。

 間髪入れずに距離を詰めて、斧で何度も斬りかかる。刃がかすりさえすれば裂傷以外に火傷も負わせられるため、連撃は不格好ながらも有効だ。

 ジーターは押されながらもその全てを片手剣でさばくが、その光景は明らかに劣勢のそれだ。

 遠巻きに眺めているエウィンとしても、心配せずにはいられない。


「このままだと、ヤバイんじゃ?」


 この発言は独り言ではない。隣の大男に語りかけた。

 角刈りの軍人は地べたに座り込んでおり、あぐらをかいたまま当然のように言ってのける。


「大丈夫だろ」

「そ、そうなんですか? 押されてますけど……」


 ダブルは第二遠征部隊の隊長だ。遥か後方には二つの部隊が待機しており、その半分をこの男が率いている。

 エウィンの発言に偽りはなく、事実、ジーターは攻めあぐねており、反撃の機会を得られていない。

 このままでは負けてしまう。

 そう思うことは間違いではないはずだが、ダブルは立ち上がろうとすらしない。


「あいつは、良くも悪くも慎重なんだよ。神経質と言ってもいい。まぁ、見てな」


 信頼しているがゆえの傍観だ。

 ここまで言われてしまったら、エウィンとしても頷くしかない。


「わかりました。それにしてもあのゴブリン、思ってた以上に手ごわいですね」

「あんなのがいるんだな。砦を攻め込まない限り、あれほどの巨人族ともなかなか出会えないぞ」

(あ、やっぱりこの人達、場数が違う。この前戦ったからわかったつもりでいたけど、巨人族もピンキリなんだな……)


 人間がそうであるように、巨人やゴブリンは身体能力がバラバラだ。

 樹木を片腕で引き抜く個体。

 オオカミよりも足が速い個体。

 傭兵に狩られる個体。

 人間を殺す個体。

 得意不得意はあれど、強者と弱者が入り乱れている。

 もっともそれは、王国の民にも当てはまる。

 人間の場合、それぞれの専門分野で活躍すれば済む話だが、魔物の存在価値は人間の掃討だ。

 その矛先が自分達に向けられている以上、軍人や傭兵は努力を怠ってはならない。

 数ある職業からそのような生き方を選んだ時点で、彼らの覚悟は本物だ。魔物に立ち向かい、殺し合える時点で常人からはかけ離れている。

 あるいは狂人なのか?

 どちらにせよ、正常でないことだけは確かだ。

 傭兵とはそういう人種であり、一方で軍人は正義感を伴った健常者なのかもしれない。

 民を守る。

 祖国のために戦い抜く。

 その信念は本物であり、だからこそ、厳しい訓練にも耐えられる。

 そういう意味では、この男は完成形の一人だ。


「魔法を使うまでも、ない」


 左右、あるいは足元からの猛攻を全て切り払いながら、ジーターは淡々とつぶやく。

 そう、この男は魔法の使い手だ。

 しかし、現時点で何一つ披露していない。

 使うタイミングを逸したからではなく、その必要がなかったためだ。


「ダブルの方が、まだ手ごわい」

「ギャッ⁉」


 白いヘルムの内側で、悲鳴が木霊する。

 当然だ。片手剣の刃がゴブリンの左腕を切り落としたのだから、痛がらない方がおかしい。

 純白の鎧ごと両断する、無慈悲な斬撃。その力強さは魔物をよろめかすばかりか、戦意すらも奪うほどだ。

 この瞬間、エウィン達は勝ちを確信するも、ジーターだけは見下したまま動かない。

 正しくは、対戦相手の動向を窺っている。

 なぜなら、残った右腕は未だ武器を手放してはいない。子供のような細腕ながらも、凶器を握れるほどには強靭だ。

 一度は後ずさった魔物だが、壊れたようにピタリと立ち止まる。左腕の切断面からは滝のように血液が漏れ出ており、この傷では手当など不可能だ。

 立ったまま息絶えたのか?

 そうではないと、白いゴブリンが行動で示す。


「ガァ!」


 手放しかけた闘志を復讐心で補いながら、噛みつくように片手斧を叩き込む。

 片腕を失おうと人間を殺すことは可能だ。そう主張するような反撃からは、魔物としての自尊心がうかがい知れる。

 このゴブリンは諦めてはいない。この地に集った理由は別件ながらも、本能が人間の排除を欲する以上、眼前の軍人を殺さずにはいられない。

 ましてや、片刃の斧は綺麗なままだ。人間の血肉で汚れていない。

 これが玩具ではないと示すためにも、右腕を目一杯振り抜く。

 虚を突くような一撃だ。

 ましてや、両者が手を伸ばせば届くほどの位置関係ゆえ、見てからの反応では間に合うはずない。

 さらには、ジーターはまだ片手剣を構えてすらおらず、ゆえに執念の反撃は当然のように成立してしまう。

 残念ながら、そのような常識は通用しない。

 何が、起きた?

 白鎧が茫然と立ち尽くす。右手は片手斧を握っており、今まさに振り下ろす寸前だ。

 殺意をこめて軍服ごと切り裂くつもりでいた。それが出来ない理由がわからないため、ゴブリンは唖然としてしまう。

 わかることはただ一つ。まるで時間が停止したかのように、全身が動かない。

 斧を握る指先も。

 白いヘルムに覆われた顔の筋肉も。

 右足や左足も同様だ。前へ進むことも後退すらも叶わない。

 許された行為は傍観だけだ。自身の首が斬り落とされる情景を、受け入れるように淡々と見届ける。

 すれ違いざまの斬撃。ジーターが最後に選んだ一手であり、これをもって決着を迎える。

 勝者が武器を納め、敗者が横たわる様子を眺めながら、エウィンは問わずにはいられない。


「最後のって、魔法ですか?」


 そう思う理由はシンプルだ。わずかな時間だったが、ジーターから詠唱特有の発光現象が見られた。

 答えを知る者として、ダブルがゆっくりと立ち上がる。


「ああ。支援系が覚える、最後の魔法だ。おまえさんもいっぱしの傭兵だろ? 当ててみな」

「支援系ですと、あれ? オーバースペック……は違いますよね?」

「惜しいがハズレだ。オーバースペックは一つ前で、まぁ、珍しいって意味では同類なんだがな。希少魔法って知ってるか?」


 砂汚れをはらうため、巨漢が自身の尻を叩きながら眼前を眺める。

 その方角にはジーターが立っており、警戒のためか周囲を見渡している最中だ。


「単語くらいなら聞いたことがあります。覚えてる人がめちゃくちゃ少なくて、だから希少魔法って呼ばれてるとか何とか……」

「正解だ。ジーターが最後に使った魔法がそうでな、グリムス、これも聞いたことくらいはあると思うが」


 ダブルの口から答えが提示される。

 グリムス。支援系が最後に習得する弱体魔法。詠唱にかかる時間はコンマ一秒。その短さゆえ、ほとんど一瞬で発現する。


「教科書か何かで見たことあるかも……。でも、だとしたらどんな魔法なんですか?」

「知らなくて普通か。なんせ、グリムスを使えるのはジーター一人だしな」

「え⁉」

「それほどに珍しいってことだ。あぁ、効果な。相手の動きをコンマ五秒だけ完全に停止させられる。この意味、わかるだろう?」


 種明かしと同時に、エウィンは攻防の意味を理解する。

 左腕を斬り落とされてもなお、白ゴブリンは反撃に転じた。

 後は斧を振り下ろすだけのタイミングでその手を止めた理由は、まさにこれだ。

 攻撃をためらったわけではなく、動くことそのものを妨害されてしまった。

 その時間は、一秒にも満たない。子供同士の喧嘩ならば、勝敗を左右しない程度の横やりなのだろう。

 しかし、これは強者同士の殺し合いだ。コンマ五秒を与えられれば、対戦相手を殺せてしまえる。

 ゆえに、第一遠征部隊の隊長は決して負けない。一対一という条件において、不敗を誇れる理由がまさにこれだ。


「確かに、すごい魔法です。グリムス、希少魔法、うん、覚えました」


 エウィンも唸るしかない。

 傭兵でありながら、知らなかった。

 その事実を恥じながらも、今は黙って勝者を眺める。

 深緑色の軍服は魔物の返り血でしか汚れておらず、肩で風を切る姿は勝者のそれだ。


「お待たせ」

「おう、最後は本気を出したな」


 ジーターの帰還を、ダブルは嬉しそうに迎える。

 両者は既に武器をしまっており、周囲には多数の死体しか見当たらない。

 本気という表現は的を射ている。

 今回のゴブリンは支援系であり、そういう意味ではジーターと同種だった。

 しかし、軍人は剣術だけで互角にやり合う。

 実は、グリムスで拘束せずとも勝てていた。

 それでも、最後の最後で魔法を使った理由は、相手に敬意を払ったからだ。

 それが魔物であろうと、本気の意思を見せつけられたのなら全力でぶつかるしかない。

 ジーターはそう判断し、奥の手でもある希少魔法を切り札とした。

 そういった事情を看破したからこそ、親友としてダブルは白い歯を見せる。

 その隣で、エウィンも声をかけずにはいられない。


「圧勝でしたね」


 率直な感想だ。

 事実、この軍人は傷一つ負っていない。黄色い短髪も乱れておらず、胸を張れるほどには完全勝利だ。

 そのはずだが、ジーターは言い淀む。


「そう、見えたか。実際は、それほどの差はなかったと思っている」

「まぁ、そうかもな。俺達がいなければ、あいつ一体で後ろの部下三百人を……、ってのはさすがに誇張し過ぎかもしれんが……」

「どうだろうな。今まで出会ったどのゴブリンよりも手ごわかった。並の巨人族なら、余裕で圧倒するだろう」


 隊長二人が認めるほどには強敵だった。

 それでも勝者はジーターであり、恐れをなしたゴブリン達は一目散に逃げ出した。

 ゆえに一息つけるのだが、ダブルは既に休んでいたため、西方面を入念に眺める。


「敵さんは見当たらない、と。白い奴が負けて、てんやわんやってところか」


 事実、そうなのだろう。

 今回のゴブリンを例えるならば、王国軍で言うところの隊長に相当するのかもしれない。

 手下を率いるばかりか、突出した実力で侵入者を殲滅する。白い鎧がそのための証だとしたら、兵士達の士気は間違いなく下がるはずだ。


「ふむ、だったら、部下達も含めて少し休もう。ダブル、すまないが私の部隊にも伝えてはもらえないか?」

「おう、任されてー」


 ジーターの発言を受けて、ダブルが足早に東へ歩き出す。

 その方角には彼らの部隊が待機しており、それぞれ百五十人、総勢三百人の軍人が立ち止まりながらも周囲を監視している。

 一人が去ったことで最前線には二人が取り残されるも、長身は戦闘の疲労を感じさせずにエウィンへ語りかける。


「エウィンは私の戦いを見て、どう思った?」

「え? やっぱり魔法はすごいなって思いました」

「ほう……」


 少年の返答に、軍人は驚いてしまう。

 想像とは異なる内容ゆえ、元から口数が少ないとは言え、淡泊な反応がやっとだった。

 訪れた沈黙を受け、エウィンは淡々と話し続ける。


「かれこれ十年近くは傭兵をやってますが、魔法とはほぼほぼ無縁だったんです。情けない話なんですが、魔法を駆使する人や魔物を見ると羨ましく思ってしまいます」

「まぁ、それは、そういうものだろう」

「あ、ジーターさんの立ち振る舞いもなかなかのものでしたよ。さすが隊長さんって感じでした」


 お世辞抜きの感想だ。

 しかし、どこか偉そうな言い回しになってしまう。この部分こそが本音であり、ジーターにとってもそここそが最大の感心ごとだ。


「正直に言ってくれて構わんのだが、おまえならさっきのゴブリン、何秒で倒せる?」


 返答に困る質問だ。

 その理由を、エウィンは言い訳のように話さなければならない。


「ま、先ず前提条件が違うってことをことわっておきたくて……。僕は白いやつの強さを理解してしまったから、それを考慮して戦いを挑めば、そりゃあ、瞬殺出来てしまいます」


 そういうことだ。

 白鎧の個体は、他のゴブリン達とは比べ物にならないほどには手ごわい。

 腕力。

 瞬発力。

 それでいて支援系の魔法が使えること。

 それらを加味した場合、特異個体として懸賞金がかけられても不思議ではない。

 しかし、今のエウィンなら一方的に狩ることが可能だ。

 なぜなら、対戦相手の実力を把握出来ており、様子見の類が不要だからだ。

 ジーターが戦闘を長引かせた理由は、慎重な性格ゆえにゴブリンの力量を推し量らずにはいられなかったから。

 臆病な戦い方かもしれないが、ケイロー渓谷のゴブリンを掃討するという使命を帯びている以上、情報収集は欠かせない。

 そういった事情をくみ取るがゆえに、エウィンは歯切れ悪く回答した。

 ジーターもそれを理解しているからこそ、笑みを浮かべるように頷く。


「わかっている。むしろ安心したし、やはりそうなのだな、と納得した」

「と、言いますと?」

「ジレット監視哨を守ったのだろう? その報告に偽りはなかったということさ」

「はぁ……」


 独特な言い回しゆえ、エウィンは理解した振りが精一杯だ。

 この隊長は職務上、様々な書類に目を通す。

 その中にはジレット監視哨の襲撃に関する報告書も含まれており、第四先制部隊の全滅には心底驚かされた。

 しかし、隊長のマークは生き延びる。

 その立役者こそがエウィンやエルディアであり、この少年がいなければ魔女や巨人族を退けられなかった。

 ゆえに疑ってはいなかったのだが、先ほどの感想を聞いて改めて納得する。

 この傭兵の実力は本物だ、と。

 白い鎧のゴブリンは雑魚ではない。

 それでも、瞬殺出来ると豪語した以上、実績も相まって信じるに値する。

 しかし、わからないことが一つあった。


「私の記憶だと、軍はおろか貴族や英雄すら、エウィンの働きに対して報酬の類を贈っていなかったと思うが、違うか?」

「え? はい、何ももらってませんけど……」


 予想通りだが予想外の返答だ。

 ジーターは記憶違いではなかったと再認識するも、首を傾げずにはいられない。

 なぜなら、軍隊を一つ滅ぼすほどの敵を、この傭兵は返り討ちにした。隊長格の魔女には逃げられたとは言え、その働きは褒められてしかるべきだろう。

 事実、帰国後は連日のように呼び出され、軍人に囲まれながら報告書の作成を手伝わされた。

 しかし、それだけだ。この少年は一イールも受け取っていない。

 通常ならありえない対応だ。

 第四先制部隊が隊長以外殺された上、ジレット監視哨も建物は完膚なきまでに破壊されたものの、その功績が色褪せるわけではない。

 マークを救った。

 魔女を退けた。

 巨人族も追い払った。

 十分過ぎる働きだ。

 しかし、エウィンは褒められはするも、報奨金の類はもらえないまま今に至る。


「なぜだ? 断ったのか?」

「いえ、もらえるものなら普通に受け取りま……、あぁ、そういうことかも」


 問答の途中ながらも、エウィンは一人で納得してしまう。

 遠方ではダブルがありえない跳躍で川を飛び越えており、つまりは伝令役に励んでいる。


「どういうことだ?」

「僕、貧困街に住んでるので……」


 正しくは、不法滞在だ。

 放棄された区画には多数の建物が放置されており、その多くが廃墟ながらも、それゆえに帰る場所を失った者達が勝手に住み着いている。

 エウィンはその内の一人だ。故郷を追われ、六歳でイダンリネア王国へ逃げ延びた。

 しかし、住む家がない以上、港近くの朽ちた倉庫にひっそりと隠れ住む。

 そして今に至るのだが、ジーターもついに理解を終える。


「なるほど。それなら、仕方がないのかもな……。申し訳ない」


 謝罪は本音だ。

 イダンリネア王国の仕組みが、エウィンから報奨金を奪った以上、ジーターは軍人として頭を下げる。


「いえ、こういうのは慣れっこなので」


 エウィンは強がるも、十二年間の苦労は本物だ。

 貧困街の浮浪者。彼らは言ってしまえば、王国の民ではない。城下町に住んでいるという意味では同様ながらも、いくつかの権利がはく奪されている。

 その内の一つが、居住権の喪失だ。家がないのだから居住権以前の話しながらも、そういう意味ではない。

 住む場所を国に申請することも、家の建築すらも拒否されてしまう。

 底辺まで落ちた人間を這い上がらせないための施策であり、つまりは見せしめ以外の何物でもない。

 これこそが、王国が浮浪者に与えた役割だ。

 ゆえに、軍もその上も、エウィンに対価を支払えない。

 例外は傭兵組合くらいか。

 浮浪者であろうと試験に合格さえすれば、傭兵として金を稼ぐことが許される。

 人手が足りていないという事情もあるのだが、それほどに危険な仕事とも言えよう。

 つまりは、魔物を狩る過程で浮浪者が死ねば、それはそれで都合が良い。ネズミのような連中が勝手にその数を減らすのだから、貧困街がパンクせずに済む。


「行動を共にする間は、腹いっぱい食べてくれて構わない」

「あ、はい、ご馳走になります」


 ジーターとしても、こう言う他ない。

 気まずい空気が沈黙を運ぶも、ダブル抜きでは取り繕うことも困難だ。


(気にしなくていいんだけどなー)


 エウィンはそう思いながら、山と山に挟まれた空を眺める。

 昨日は曇っていたが、今日は上々の晴天だ。周囲にゴブリンの亡骸が多数転がっていなければ、ピクニック気分に浸れただろう。

 しかし、ここは戦場だ。一刻の休憩は仮初の時間でしかない。

 相当数のゴブリンを屠り、白い鎧の個体すらも撃退出来た。現時点での成果は申し分ないのだが、引き返すにはまだ早い。

 彼らは進む。

 何時間だろうと、歩き続ける。

 そして、立ち塞がる魔物達を殺し続ける。

 王国軍が派遣された理由であり、人間が生き延びるためにも魔物は狩らなければならない。

 そういう意味では、この世界そのものが戦場だ。

 残酷な話だが、それほどに魔物がはびこっている。

 残念ながら、抗えない者から殺されてしまう。

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