表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
58/76

第五十八話 開戦、ケイロー渓谷

 山と山を区分するように、その川は流れている。

 太陽の陽射しを水面で浴びており、青色の絵具が混ざったように真っ青だ。

 その河川を眺めながら、男達は道なき道を歩く。

 二人は深緑色の軍服を着ており、両者はありえないほどに背が高い。

 そのすぐ後ろを追従する、緑髪の傭兵。子供ではないのだが、背格好を比べてしまうと小さく、そして幼く見えてしまう。

 左右を異なる山に挟まれていることから、彼らの足元が基底だ。

 右を向こうと。

 左を眺めようと。

 巨大な岩山がそびえ立っている。

 このような地形を谷と呼ぶのだが、川が流れていることから渓谷が正しい。

 左右の山は禿げ上がっており、所々が緑色ながらも、人間が住むには過酷過ぎる。幅広な川が水源にはなりえるものの、この地を選ぶくらいならシイダン耕地へ移り住むべきだ。

 軍人二人の後ろ姿を眺めながら、エウィンはアゲハについて考えを巡らせる。


(テントでお留守番してもらったけど、大丈夫かな? これがベストだと思ったから、野営地に置いてきちゃったけど……。軍人さん主導の掃討戦なんて僕にとっても始めてだし、アゲハさんを守りながらはさすがに荷が重い。この人達に迷惑をかけるわけにもいかないから、僕だけが参加っていう決断は間違ってないと思う、多分。アゲハさんには洗濯や鞄の中身整理をお願いしたから、退屈はしてないはず……)


 今回の作戦は、第一遠征部隊の隊長が立案した。

 ジーターとダブル。突出した強者が先行し、第一遠征部隊と第二遠征部隊がぞろぞろと後方から追従する。

 基本的には二人の隊長がゴブリンを殲滅し、漏れた個体を数の暴力で蹂躙するという極めてシンプルな方針だ。

 しかし、作戦の立案者であるジーターは最後まで悩まされた。不確定要素でもある傭兵二人の扱いを決めかねたからだ。

 エウィンの参加は織り込み済みだ。実力だけでなく、索敵要員としても秀でた存在ゆえ、喉から手が出るほどの人員と言えよう。

 問題はアゲハだ。傷を癒せる能力は魅力的ながらも、彼女を同行させる場合、ゴブリンの奇襲やクロスボウによる射撃から都度庇わなければならない。

 つまりはお荷物ゆえ、ジーターとしては同行を許可したくなかった。

 しかし、彼女は病的なまでに他者を恐れており、一時的とは言え、エウィンから引き離しても良いものか、判断に困る。

 この時点で方針は二つに絞られた。

 二人を連れて行くか。

 二人には帰国してもらうか。

 理想はエウィンだけを作戦に組み込みたいのだが、震えるアゲハから彼を奪うことは難しく、作戦会議は一旦中断となる。

 そのような状況において、助け舟を出したのがエウィンだ。アゲハが足手まといになることは重々承知しており、だからこそ、野営地に残るよう提案し、了承してもらう。

 その結果がこれだ。

 ケイロー渓谷をグングンと進む集団のそのさらに先を、三人の強者が練り歩く。

 第一遠征部隊の隊長、長身ながらも細身なジーター。

 第二遠征部隊の隊長、筋肉隆々な肉体を誇るダブル。

 そして、部外者のエウィン。

 大男が肩を並べて歩いており、そのすぐ後ろが少年の立ち位置だ。


「エウィン、ゴブリンはどうだ?」


 重い声は筋肉の塊から発せられた。

 軍服が膨張するほどの巨躯だ。その背丈は、エウィンよりも頭一つ分は高い。

 角刈りの頭は散髪直後のように整っており、危険地帯でありながら男は無防備に振り返る。

 その視線に促され、傭兵は左右の山を見比べながらも説明を開始する。


「丁度反応があって、今数えている最中です」

「お、すげーな。見た限り……、全然いねーけど」


 ダブルが唸るように周囲を見渡すも、はげ山に挟まれた窮屈な風景しか見当たらない。


「正面に四、川の向こう側、少し上の斜面に六。繰り返しになりますが、そいつらがゴブリンかどうかまではわかりません。このペースで進むと、二、三分で接敵することになりそうです」

「うお、そこまで、魔物の位置と数がこうもハッキリわかっちまうなんて……。ジーター、やっぱこいつスカウトしよーぜ!」


 茶色い髪ごしに頭皮をポリポリかきながら、ダブルが大口を開いて笑い始める。エウィンが平然とやってのけた索敵に驚いた結果であり、勧誘したいという発言は紛れもない本音だ。

 この軍人は灰色の両手剣を背負っているのだが、その重量は成人男性一人分に匹敵する。

 にも関わらず、ピクニックのようにステップは身軽だ。大人を背負っているとも言えるのだが、この男にとっては空のリュックサックと大差ない。

 盛り上がる親友を他所に、右隣の軍人は至って冷静だ。


「ケイロー渓谷に侵入して、十分ちょいと言ったところか。エウィン、この状況をどう捉える?」


 クールぶっているわけではない。これこそが素の態度であり、隣の大男が騒げば騒ぐほど、ジーターの寡黙さが際立つ。

 彼らは百九十センチメートルを上回る長身であり、その差は誤差レベルで等しい。

 しかし、受ける印象は異なる。

 ダブルが暑苦しい巨漢ならば、ジーターはスマートな二枚目だ。

 痩せているのではなく、無駄な筋肉が見当たらない。愛用する武器も腰から下げたスチールソードゆえ、お手本のような外見をしている。

 口数が少ないものの、全く話さないわけでもない。無駄口を叩かないだけであり、エウィンに問いかけた理由も情報交換ゆえだ。


「そうですね、もっとドッカンドッカン攻めてくると思ってました。だけど、違った。昨日の今日だから、ゴブリンも警戒してるとか……」

「昨日の今日という部分には同意だな。ただし、ここまで侵入を許した理由は、警戒ではないだろう」

「と、言いますと?」


 エウィンは二人に追従しながら、問いかける。

 ゴブリンの巣窟に、ここまで土足で踏み入れられた理由は、人間を恐れているから。

 この予想は、一つの可能性としては正しいのだろう。

 しかし、ジーターの見解は異なる。


「昨日は逃げられた。今日は逃がさない。だから、もっと奥まで来い。こんなところか?」

「あ、なるほど……」


 反論の余地などない。

 ゴブリンは知能が高い魔物だ。言葉を話し、文化を育み、武器や防具の生産さえ実現している。

 ジーターが作戦を立案したように、ゴブリンの中にも知恵を絞る個体がいるのだろう。

 襲われることなく黙々と進めてしまったが、招き入れられたとこのタイミングでエウィンも気づかされる。

 仮にそうであろうと、男達は歩みを止めない。


「はっはっは! 来る者拒まずはこっちも同じだ。このまま前進して、片っ端からやってやるぜ」


 ダブルの鼻息は荒い。やる気の表れであり、包囲されることも気にも留めず、両足を交互に前へ進める。

 その一方で、エウィンはかしこまらずにはいられない。


「お二人が頼もしいから、僕は出番が来るまで裏方に徹してます」

「おう。逐一知らせてくれよ。ゴブリンの数と方角を」


 ダブルとしても、エウィンの同行は心強い。

 戦技の中にも魔物の探索が可能なものはあるのだが、この傭兵のレーダーと比べるといささか劣ってしまう。

 ゴブリンの居場所がリアルタイムで把握出来るのだから、見通しの悪さが苦にならないだけでもありがたい。


「あ、ゴブリンの数が増えました。正面が四から五へ。右は六のままです。む? 左前方の山に二、三、四……、四体潜んでます。あ、右とか左より、方角で話した方がいいですか?」

「おまえさんの言いやすい方で構わないぞ。しかしまぁ、お手本のような待ち伏せだな」


 長身を活かして川の上流を眺めるも、やはり魔物の姿は見当たらない。

 それでもダブルは、ゴブリン達の思惑を看破してみせる。

 ここより先は、いよいよ危険地帯だ。

 待ち受ける側は地の利を活かせるため、エウィン達は不利を承知で進むしかない。

 そうであろうと、二人の隊長は構わず進む。

 地理的にも数の上でも劣勢であることは百も承知だ。足を止める理由にならない以上、右手の河川をなぞるように直進する。

 緊張感が漂う中、ジーターは普段以上に冷静だ。そうであると裏付けるように、淡々と話し始める。


「エウィンの言った通り、か」

「んあ? ゴブリンを見つけられたのか?」

「ああ。右の山、狭い山道に隠れている。左、斜面のくぼみ、いや、盛り上がっている部分に身を潜めている」


 高い位置から見下ろせるゴブリン達と比較して、彼らの視野は限定的だ。

 それでも、軍人二人が敵の姿を視認する。方角がわかっていれば、はげ山に潜む黒い鎧を見落とすはずがない。

 少し遅れて、エウィンも魔物達を見つける。


「ほんとだ、目を凝らすとなんとか……。これだけ離れてると、クロスボウでブスリと射られる心配はまだなさそうですね」


 この傭兵の言う通りだろう。

 それほどに、両者の距離は離れている。いかに弓やクロスボウであろうと、放たれた矢が届くはずがない。

 この発言に対して、ダブルが呆れるように食いつく。


「ブスリってお前さん……、撃ち抜かれたことでもあるのか?」

「はい、お腹と首をグサグサッと。あれは……、本当に痛かったです。普通に死ぬかと思いました」

「そりゃそうだろうよ。と言うか、どんな状況だ……」


 よそ見は厳禁なはずだが、巨漢は歩きながらも上半身を捻って振り返る。

 ジーターも聞き耳だけは立てており、この話題は四十代の軍人にとってもそそる話題だ。


「アゲハさんと出会った直後なので、半年くらい前です。マリアーヌ段丘でウサギを狩ろうとしたら、どういうわけかゴブリンと出くわしまして。逃げることもままならず、グサグサっと。アゲハさんがいなかったら絶対に死んでました」

「そ、そうか、苦労してるんだな……」


 この説明では、重要なことが何も伝わらない。

 アゲハがどうやってエウィンを助けたのか?

 その後、そのゴブリンから無事逃げられたのか?

 もしくは、倒したのか?

 そういったことが一切わからないながらも、隊長二人は情報の開示を求めない。

 少なくともエウィンは背後を歩いており、クロスボウで射られながらも生き延びたことは確かだ。

 わからないまま、一先ずは納得する。苦い思い出を掘り返さない配慮であり、ジーターは別の話を振ることで空気を変える。


「そろそろ接敵だ。三方向に分散している以上、私も手伝うが?」

「いや、挨拶代わりに三発お見舞いしてやる。厄介なのが出てくるまでは、力を温存してくれ」

「わかった」


 作戦自体は昨晩の内に決めていた。このタイミングで慌てる必要など一切ない。

 そうであると主張するように、ダブルは背筋を正して歩く。

 この地を訪れた理由は、ゴブリンを掃討するためだ。シイダン村の農家が襲われた以上、一刻も早く対処しなければならない。

 そのために派兵だ。

 そのための部隊だ。

 驕りながらも油断はしない。矛盾するような気概を胸に、彼らは谷の奥を目指す。

 そして、その時が訪れる。

 真正面に現れた、小さな人影達。その数は五つあり、それらは侵入者を迎え撃つため、見下すようにその姿を露わにした。

 河川は西から東へ下るように流れており、侵入者はどうしても低い位置に立たされてしまう。


「おいでなすったな」


 相まみえたタイミングで、ダブルが嬉しそうにつぶやく。

 互いの認識が完了したとはいえ、その距離はまだまだ遠い。大声で話しかけたところで相手に届くはずもなく、距離を詰めるためにもさらなる前進が必要だ。

 段差を飛び降り、淡々と歩みを進める魔物達を眺めながら、エウィンは足を動かしつつも分析に励む。


「杖を持ったゴブリンが先頭で、鎧連中がその後ろで横一列。不思議な陣形ですね」


 傭兵ならではの感想と言えよう。

 本来ならば、打たれ強い前衛が前に出て魔法の使い手が追従する。

 これがオーソドックな配置だ。

 鎧は自身や他者を守るための防具であり、その一方で布製のローブでは斬撃だけでなく弓やクロスボウすら防げない。

 理に適った考え方であり、傭兵がチームを組めば、話し合いなどなしに自然とこのような陣形に落ち着く。

 しかし、遠方から徐々に近づくゴブリン達は正反対だ。頭巾のような布切れで顔を覆い、ローブを着こんだ個体がリーダーのように四体を率いている。後方のそれらは黒い鎧をまとっているのだが、だからこそ、その立ち位置には違和感を覚えてしまう。

 逆のはずだ。エウィンはそう主張するも、眼前の大男が嬉しそうに口を開く。


「なーに言ってんだぁ。俺達だってそうじゃねーか。なぁ?」


 ダブルの発言は真実そのものだ。

 そうであると気づかされた以上、少年は静かに息を吐く。


「言われてみたら、確かに……」


 三百人もの部下を率いて、二人の隊長が遥か前方を歩いている。正確には傭兵を一人同伴しているため、三人が孤立するように突出している。

 その内の一人が魔法の使い手なため、選んだ戦術はゴブリンと似たり寄ったりだ。


「あちらさんが魔法をぶっ放すように、こっちも負けじと暴れてやるぜ」


 ダブルは鼻息が荒い。今にも走り出しそうなテンションだが、陣形を崩すほど愚かではない。

 その隣を歩くジーターだが、このタイミングでなぞなぞを投げかける。


「エウィン」

「あ、はい」

「今から何が起きると思う?」


 考えるまでもない。

 歩みを止めずに振り向く長身を眺めながら、エウィンは思った通りに口を動かす。


「魔法が届く間合いに入ったら、ダブルさんとあっちの杖持ちが魔法を撃ち合います。そんでもって、流れ弾が僕に当たって怪我をします。なんちゃって」

「流れ弾うんぬんは置いておくとして、実は不正解」

「え? それってどういう……。まさか、ダブルさんは何もしないとか?」


 提示した解答は誤りだった。

 だからこそ、驚かずにはいられない。

 同時に、質問せずにはいられない。

 攻撃魔法が飛び交う戦闘は既に経験済みだ。その際は誰もが思い描いた魔法戦が眼前で繰り広げられたことから、エウィンは自身の予想に落ち度を見つけられない。

 ジーターは鞘に収まった片手剣をカチャリと鳴らしながら、仏頂面を貫くように説明を開始する。


「あまりに知られていないが……」


 言葉を一旦区切った結果、三人分の足音と川のせせらぎだけが彼らの耳に届く。

 この沈黙はただの前振りだ。もったいぶっているとも言えるのだが、黄色い短髪で日光を受けながら、男は静かに続きを話す。


「前提として、魔法の威力は使う者の魔力に左右される。ここまではいいか?」

「もちろんです」


 緑色の髪を揺らしながら、当然のように頷く。

 魔法と魔力の因果関係。これは誰もが知っている一般教養だ。

 しかし、話しはここで終わらない。


「言い方を変えるなら、魔力が高ければ高いほど、魔法の威力が増す。そういうことになるが、実は正しくない」

「え?」

「ダブルが実演するから、よく見ておけ」


 この発言を合図に、二つの巨体が歩みを止める。

 立ち止まった理由はシンプルだ。答え合わせも兼ねて、左の軍人が右腕を突き出す。


「目玉かっぽじってな。詠唱は既に始まってるぞ」


 ダブルの言う通りだ。

 この男の全身からは、泡のような何かが繰り返し生まれては消えている。

 魔法の詠唱に伴う発光現象だ。

 これを受け、エウィンは目を丸くする。


「いや、ゴブリンはまだまだ遠いような……」


 そうであると裏付けるように、遠方の魔物達はこちらを目指して進行中だ。

 魔法の射程はおおよそ四十メートルと言われており、両者はその倍以上も離れている。

 届かない。

 届くはずがない。

 だからこそ、杖を持ったゴブリンが人間を目指しているのだが、ダブルは意にも介さず言ってのける。


「あいつらにとっては……な」


 次の瞬間、山と山に挟まれたこの地に轟音が響き渡る。

 その音量は凄まじく、エウィンでさえ身をすくめるほどの爆音だ。

 ダブルの右手から飛び出した、巨大な雷撃。それは瞬く間に前方へ進むと、遥か彼方の魔物達を一瞬にして飲み干してみせた。

 この魔法はそれだけに留まらない。

 龍のような雷撃はただ進むだけでなく、周囲に厄災を振りまくように雷を落としながら直進している。

 その被害は広大だ。ゴブリン達だけでなく、川沿いの地面があちこち焼け焦げてしまった。


「ジャッジボルト。いわゆる上位の攻撃魔法って奴だな。エウィンは初めてか?」

「は、はい、ビックリしました。インフェルノとグラットンなら見たことあったんですけど……」


 ジャッジボルト。攻撃魔法の一種。魔攻系に属する人間が、十一番目に習得する。

 巨大な雷撃を放出することで、対象およびその周辺を焦がすことが可能だ。威力も去ることながら、雷ゆえに回避など間に合うはずもなく、その使い勝手は随一と言っても過言ではない。

 驚くエウィンへ、ジーターが振り向きながら補足する。


「これが答えだ。魔力は威力だけでなく、射程にすら影響を及ぼす。攻撃魔法が届く距離は四十メートル、これはほとんどの人間に当てはまる。しかし、ダブルのように魔力が飛びぬけて高いと……」

「俺の場合、百メートルくらいかぁ?」

「それは……、すごい」


 嘘でもなければ見栄でもないと、今まさに実演で証明された。

 ゴブリンは四十メートルまで近づかなければ、こちらを攻撃出来ない。

 ダブルは百メートルの時点で、殺傷が可能だ。

 勝負にすらなっていない。一方的な蹂躙だ。

 もっとも、卑怯と罵る者はここにいない。実力の差が勝敗を決しただけであり、敗者は巨大な雷に打たれて絶命した結果、主張の機会さえ奪われた。

 挨拶代わりの勝利を得るも、ジーターの表情は涼しいままだ。


「ゴブリンは魔法だけでなく、クロスボウも扱う連中だ。油断はす……、あ……」


 忠告を言い終えるよりも前に、事態は急変する。

 同胞が殺されたことをきっかえに、身を潜めていたゴブリン達が一斉に動き出した。

 その結果が、クロスボウによる射撃だ。

 左右の裾野から放たれた矢が、軍人二人に牙をむく。

 本数は一本ずつの計二本。それぞれがそれぞれの標的を目指しており、長距離射撃にも関わらず、狙いは機械のように精密だ。

 この奇襲に対して、先ずはジーターが反応を示す。

 腰の鞘から片手剣を引き抜けば、準備はそれだけで完了だ。つまらなそうに右腕を走らせれば、迫る矢をあっさりと切り払えてしまえる。

 問題はダブルの方だ。

 なぜなら、ジャッジボルトの披露に満足しており、左前方からの射撃に気づけていない。

 その結果が、これだ。


「ん? なんか当たった。あぁ、矢か、これ」


 右胸を貫くはずだった矢尻が、大胸筋によってあっさりと弾かれる。

 笑うように胸を張っていたダブルだが、足元に落ちたそれを不思議そうに拾い上げるも、その光景こそが不思議で仕方ない。


「ダ、ダブルさん、大丈夫ですか?」

「おう、痛くも痒くもないぞ」

「そうですか、少しでも心配した僕が間違ってました」


 あっけらかんと言ってのける巨漢に対して、エウィンは思考を停止させる。

 実は、こうなることは初めからわかっていた。

 この傭兵がクロスボウで射られようと、結果は変わらない。過去の実績から傷一つつかないことは経験済みゆえ、心配は初めから不要だ。

 ジーターに関しても同様なのだが、この男は異なる視点で釘をさす。


「避けられる攻撃は避けるべき。軍服に穴が空いてるぞ」

「あ、ほんとだ。経費がかさむぜ」


 隣人からの指摘に、ダブルはケラケラと笑う。

 緑色の軍服は国からの支給品だ。それが痛んだ以上、代替品を手配しなければならない。

 そのための費用は部隊ごとの予算ゆえ、ジーターにとっては他人事でしかないのだが、親友ゆえに正したくもなってしまう。

 このやり取りを眺めながら、エウィンは改めて思い知る。


(このおじさん達、想像以上かも。これなら確かに、率先して前に出たいって気持ちにも頷ける。倒し損ねた雑魚は部下に任せて、自分達は進めばいいんだし)


 まさに一騎当千か。

 もちろん、この単語はエウィンにも当てはまる。

 それほどの猛者が三人も集ったのだから、彼らの前進は止まらない。


「エウィン、上位魔法の待ち時間は知ってるか?」

「えっとー、二十秒くらいでしたっけ?」


 ダブルの問いに対して、傭兵は悩みながらも答える。

 魔法や戦技は、一度使うと再発動までにいくらか待たなければならない。

 火球を発射するフレイムなら四秒。

 傷を癒すキュアなら二秒。

 それぞれに待ち時間が定まっているのだが、ダブルが先ほど唱えた魔法はさらに長い。


「三十秒だ。だから、ジャッジボルトはしばらく使えない。それでも問題ない理由は、言うまでもないな?」

「はい。他の魔法をローテーションで使えばいいから……」

「そういうことだ、インフェルノ」


 歩みを進めながら。

 背後の若者へ説明しながら。

 誰よりも大きな軍人が、淡く輝き始める。

 その光が霧散した瞬間が、反撃の合図だ。

 彼らから見て左の山脈に、巨大な火柱が四本産み落とされる。

 それらは斜面を焼きながら引き合うように収束するも、この魔法はそれだけに留まらない。

 インフェルノ。上位に位置する、火の攻撃魔法。四本の炎はそれだけでも脅威だが、その発生は前座に過ぎない。それらが混ざるように結合することで、次の段階へ発展する。

 爆ぜるようにばらまかれる、灼熱の炎。

 これに巻き込まれれば、ゴブリンと言えどもあっけない。

 黒い鎧はすすけ、その内側は炭化するほどに黒焦げだ。こうなってしまっては、個体の識別など不可能だろう。

 ゴブリンの焼死体が四個出来上がった瞬間だ。

 もっとも、ダブルは攻撃の手を緩めない。


「次はこいつだ。コキュートス」


 右前方、つまりは川の向こう側へ右手を突き出せば、ゴブリン六体の掃討は一瞬で完了だ。

 コキュートスは上位の攻撃魔法であり、指定した地面周辺から氷の刃を大量に発生させる。透き通った棘が咲き乱れるさまは美しく、獲物を串刺しにした刃が同時に散っていく儚さは咲き終えた花そのものだ。

 手際の良さと魔法の威力に、エウィンとしても唸るしかない。


「こ、こうもあっさり……」

「今のでとりあえず十五体っと。よし、この調子でズンズン進もうぜ」


 ダブルの暗算は正しい。

 正面の五体。

 左前方の四体。

 そして、右前方の六体。

 これらを三発の攻撃魔法で片付けてみせた。

 もはや、その実力を疑うことは出来ず、エウィンは大きな背中を呆然と眺めてしまう。


「あ、ダブルさん」

「おう」

「今の騒音を聞きつけて、魔物が三方向から迫ってます。数は……、すぐには数えられないくらいにはいっぱいです」


 傭兵の説明は言葉足らずだが、大人二人はあっさりと頷く。

 敵の進行ルートは依然として変わらない。

 谷底。

 北の山。

 南の山。

 この三種がケイロー渓谷を構成しており、ゴブリンはその全てに同胞を配置して人間を迎え撃つつもりだ。

 戦力の分散は悪手なのだが、それが可能なほどには数が集結している。

 ましてや、この谷は多対多には適さない。山道は狭く、川沿いの平地も幅広な川が邪魔なため、混戦には窮屈だ。

 そうであろうと、この男には関係ない。


「どんどん来てくれれば、こっちとしてもありがたいってもんだ。なんせ魔源が節約出来る。それに、退屈しないで済むしな。ジーターもそう思うだろ?」

「量による」


 角刈りの軍人が笑みを浮かべる一方で、ジーターはあくまでも冷静だ。

 彼は今回の派遣が遊びではないと理解しており、数の上では劣勢だとも承知している。

 ゆえに気を緩めるつもりなどない。

 多数の部下を率いている以上、隊長としては至極まっとうな心構えだ。

 もっとも、ダブルとしてもふざけているわけではない。

 ゴブリンが多数押し寄せた場合、危機的状況ではあるのだが、都合が良いという側面も存在する。

 なぜなら、上位の攻撃魔法はその範囲が広く、一度に多数の敵を撃退出来てしまう。

 例えば、インフェルノ。

 先ほどは四体のゴブリンを黒焦げにしたのだが、その数が一体であろうと十体であろうと、消耗する魔源の量は変わらない。

 ゆえに、上位の攻撃魔法を扱えるダブルにとっては、魔物の数が増えたところで対応はそのままだ。

 仲の良い二人を真正面に捉えながら、エウィンは己の仕事に従事する。


「正面からの大群が最も近いです。数は二十以上。次いで、右の山から……、あ、左の大群が加速した? 動きを、同調させてる? こいつら、思ってた以上に頭が良いかも……」

「落ち着け。いや、別に慌てふためいてはいないか。その調子で報告してくれれば、こちらとしても十分だ」


 ダブルが歩みを止めずに振り向くも、即座に前へ向き直す。

 発言の通り、エウィンは取り乱してなどいない。これほどのゴブリンと戦ったことがないため、心臓の鼓動が高まるも、レーダーをフル稼働させることに専念出来ている。

 先ほどの比ではない数が押し寄せているという状況に対し、ジーターは改めて片手剣を構える。


「残り物は私がもらう」

「おう、好きにしてくれ。んじゃーまー、いくぞ……、ジャッジボルト」


 群れを成して押し寄せるゴブリン達。その多くが漆黒の鎧を着こんでおり、細腕は当然ながらその顔すら完全に隠れている。

 それぞれがナイフや剣、斧といった凶器を携えているのだが、それらが人間の肉を切り裂くことはない。

 それよりも早く、轟雷がその命を例外なく刈り取るからだ。

 ゴブリンにとっては、地獄絵図だろう。誰一人として獲物に近寄れないばかりか、一方的な暴力によって蹂躙されてしまう。

 どれほど急いで走ろうと。

 杖を握ったまま近寄ろうとしても。

 残念ながら、その願いは叶わない。

 空気すら燃やす、インフェルノ。

 氷の刃、コキュートス。

 全てを切り裂く、タイフーン。

 大質量の暴力、グラットン。

 刹那の雷撃、ジャッジボルト。

 激流で捻り潰す、アクアロア。

 これら六種の攻撃魔法を使い分け、ダブルは押し寄せる軍勢を完膚なきまでに殺し続ける。

 稀に、隙間を縫うように魔法を潜り抜ける個体もいるのだが、それの排除はジーター一人で十分だ。

 この状況、本来ならばあり得ない。

 上位の攻撃魔法は魔源の消耗が激しく、これほどの回数を撃てるはずがない。

 腕の立つ傭兵でさえ、その回数は五、六回が限度だろう。下位の攻撃魔法ならばその何倍も使えるのだが、上位は強力ゆえに燃費が悪い。

 にも関わらず、ダブルは澄ました顔で撃ち続けている。魔力だけでなく、それ以上に魔源が突出している証拠だ。

 つまりは才能であり、同時に努力の賜物でもある。

 現状では、後方の部下三百人に出番など訪れない。隊長二人がその全てを退けているためだが、エウィンが異変を感知したタイミングで戦況はついに動き始める。


「う、とんでもないプレッシャーが猛スピードで! 二人共、警戒を!」


 流暢な説明は不要だ。それに費やせるだけの猶予がないとも言えるのだが、傭兵の発言が軍人二人の足を止める。


「ほんと、エウィンのこれ便利だよなー。これとか天技って言うのも味気ないし、名前ないのか?」


 周囲には無数の亡骸が転がっている。この男の魔法によって狩られた敗者であり、真っ黒な鎧はそのどれもがピクリとも動かない。


「え? な、ないですけど……」


 エウィンがうろたえる理由はシンプルだ。

 進行ルートでもある川の上流方向には、いくつもの段差が存在している。簡単に越えられるものから背丈を上回る壁のようなものまで、その高さはまちまちだ。

 その一つから三人を見下す、純白のゴブリン。フルフェイスの重鎧には汚れ一つ見当たらず、太陽の光に照らされて輝くさまはどこか神々しい。

 ついに出会えた。

 出会えてしまった。

 エウィンは強烈な殺気に晒されながら、負けじと睨み返す。

 しかし、談笑は止まらない。


「せっかくの天技なんだし、さっさと名付けた方がいいぞー。ジーターもなんか言ってやれ」

「私が考えようか?」


 助言と提案はありがたい。

 しかし、今はそれどころではない。

 エウィンは遠方の敵を凝視しながら、差し支えない言葉を選ぶ。


「アゲハさんと考えますので……」

「はっはっは! それがいい! それじゃ……、あれはどっちが倒す?」


 雑談はこれにて終了だ。

 親玉か否かは不明ながらも、強敵が現れた以上、軍人二人は改めて背筋を正す。

 白い歯を見せるダブルに対して、ジーターは返答よりも早く右足を踏み出す。


「私だろう。ダブルは休んでいろ」

「別に疲れてないけど。まぁ、いい、今回は譲ってやるぜ」


 ここまでの進攻は、その手柄のほとんどをダブルが立てた。ジーターは寡黙におこぼれを仕留めただけゆえ、このタイミングで我を通す。

 そのやり取りを眺めていた白い鎧だが、ただ立ち尽くしていたわけではない。周囲の同胞に後退を指示しており、つまりは自分一人で人間三人を殺すつもりだ。

 自信があるのだろう。

 実力も備えているのだろう。

 黒いゴブリン達が避難する中、その個体だけは前のみを見つめていた。


(いよいよ……か)


 エウィンとしても、見守るしかない。

 もしもの時は加勢するつもりでいるのだが、そうするにも両者の実力を見極めてからだ。

 子供のような小さな遺体が、数えきれないほど横たわっている。

 焼かれ。

 潰され。

 切り裂かれたそれらは、強者に敗れたゴブリン達だ。

 人間が魔物を殺す理由は一言では言い表せない。

 生き延びるため。

 誰かを守るため。

 そして、金を稼ぐため。

 一方で、魔物が人間を殺す理由はシンプルだ。

 遺伝子にそう刻まれているから。それ以上でもそれ以下でもない。

 ゆえに、両者が手を取り合うことは不可能だ。殺し合うことしか出来ないのだから、今日もどこかで優劣を競う。

 その一つが、ケイロー渓谷での掃討戦だ。ここまでの過程で軍人は何百ものゴブリンを屠ったが、三人の足は強制的に止められてしまった。

 白い鎧の内側で、強者が怒りに震えている。

 弱い同胞に。

 同胞を殺した人間達に。

 苛立たずにはいられない。

 ここからは殺し返す時間だ。そう考え、眼下の三人をヘルム越しに睨み続ける。

 対照的に、その男は眉一つ崩さない。

 勝てる見込みがあるのか?

 無表情なだけか?

 どちらにせよ、こうなってしまっては戦いは避けられない。

 それをわかっているからこそ、軍人は長い脚で前に進む。

 互いに、やるべきことは明白だ。

 相手を殺す。

 方法や過程は異なるだろうが、行き着く先は変わらない。

 人間と魔物。相容れない間柄ゆえ、未来永劫争い続ける。

 これこそが、この世界の理なのだから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ