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第五十三話 荒野を目指して

 清閑な森を抜けると、その先には広大な平原が広がっている。

 見渡す限りの大地には草と花が色を付けており、まばらな木々も風に吹かれて涼しげだ。

 真球の太陽が遥か彼方で輝く中、二人は突風のような速度で走り続ける。

 なぜなら、急がなければならない。目的地はまだ遠く、日が暮れる前には着きたいと考えている。

 そのための疾走だ。

 もっとも、先頭の少年は全力を出していない。後方の仲間を置き去りにしないためであり、二人旅である以上、正しい配慮と言えよう。


「シイダン川はもうちょっとだと思います。休憩もそこで」


 若葉色の髪で風を切りながら、エウィンは平然と言ってのける。

 当然のように呼吸は乱れていない。散歩と呼ぶには長すぎる距離を走ってもなお、余力を残せるほどには体力が無尽蔵だ。

 その証拠に、緑のカーディガンは汗で濡れていない。背負い鞄には二人分の荷物が詰まっているのだが、その重量を感じさせないほどには軽快な足取りだ。

 少年の背中と風景を眺めながら、後方のアゲハが反応を示す。


「はぁはぁ、うん……」


 彼女も全力疾走ではないのだが、その理由はエウィンとは異なる。

 これは短距離走ではなく、マラソン以上の長距離走だ。ノルマは四十二キロメートルどころではないため、己のスタミナと相談しながら走る必要がある。

 もっとも、彼女の走力は並大抵ではない。日本人でありながら傭兵として金を稼げているのだから、エウィンの助けもあったとは言え、その努力は見事実った。

 それでも、今のアゲハでは手も足も出ない。

 それがこの少年であり、後方を気にしながらも両眼はついにそれを捉える。


「あ、見えてきました。見つけられるかなー、ワクワク」


 まさにピクニック気分だ。周囲に魔物の気配が感じられず、はしゃいだところで咎める者などいない。

 なにより、この川そのものに興味があった。

 風景に現れた河川は、これといった特徴などない。冷たそうな水が淡々と流れており、横幅はいささか広いものの、水遊びが可能な程度には浅い。

 探せば川魚がいるはずだ。

 しかし、それを食べるつもりもなければ、捕まえる予定すらない。

 エウィンの目当ては別だ。


「あるかなあるかなー」


 到着するな否や、川辺に立って覗き込む。靴を脱いで侵入しても良いのだが、そうせずとも河底の観測は十分可能だ。

 少し遅れてアゲハが追い付くも、雑草の上にへたり込む。

 顔をつたう汗は疲労そのものだ。大粒のそれらが競うように流れるも、彼女にはそれらを拭う体力すら残っていない。

 灰色のリネンチュニックはびっしょりと濡れており、水分補給が必要なことは誰の目からも明らかだ。


「ふー、ふー……。おうけつ、ぐん、だよね?」


 甌穴群。河底で見つけられる、えぐられたような穴の集団。一見すると人工物のようだが、そうではない。創造主は、水流で運ばれた小石の類だ。


「そうです。前から興味がありまして。具体的には、歴史の教科書を見た時からなんですけど。確か、石っころが川底のくぼみに入り込んで、それで穴が出来上がるとかなんとか。原理とかはさっぱりですけど……」

「多分、どんどん削られていって、あ、その、川の流れが、石を動かすから……」


 アゲハの言う通りだ。

 流された石が小さな穴に入り込み、水流で転がるように動き続けてた結果、くぼみは拡張されるように球状の穴へ削り取られる。

 その大きさは場所によってまちまちだが、シイダン川の場合、握り拳とほどか。


「へー、さすが物知り。お、ありましたありました! アゲハさーん、あれがそうっぽいです」


 そう言いながら、エウィンが嬉しそうに歩き出す。

 上流の方へわずかに移動し、そこから河底を覗き込めば、それらが目当ての穴だとハッキリと確認出来た。


「おー、魚の巣みたい。いや、にしては丸すぎるな。これが甌穴群かぁ、ふむふむ、なるほどなるほど……」


 独り言のように感想を述べるも、言葉が続かない理由はシンプルだ。

 しかし、今は言わない。アゲハに見せてからでも遅くはないからだ。


「あ、わたしも、見たい」


 体は休息を望むも、今回ばかりは好奇心が勝った。たいした距離ではないため、アゲハはしんどそうに立ち上がると少年の隣を目指す。

 エウィンが地蔵のように黙る中、彼女もついにその穴達を視認する。


「これが、甌穴群……。イメージしてたよりも、丸い。テニスボールが、すっぽり納まりそう」


 視線の先には、いくつもの穴がまばらに存在している。水が流れていようと肉眼で見て取れる程度には球状の穴だ。そのどれにも魚の姿が確認出来ないことから、巣でないことは間違いない。

 アゲハが感想を述べたことで、エウィンはゆっくりと口を動かす。


「どうです、これ?」

「え? う、うーん、穴だなー、とは、思うけど……」

「不思議ではありますよね」

「そう、だね。大きさや、形に、バラツキはあるけど、これが、甌穴群、なんだ、って感じ……」


 そして二人は黙り込む。

 なぜなら、それ以上の感情がこみあげてこない。

 これが人工物だったら、話は変わっていた。誰がどのような目的で作ったのか、考察のし甲斐があるからだ。

 しかし、犯人は小石であり、共犯者は水流。それ以上でもそれ以下でもないのだから、観光名所としては少々パワー不足か。


「まぁ、見られたからヨシ! んじゃ、先はまだ長いので休みましょう」

「うん」


 今回の遠征は明確な目標が定められている。

 ゴールはミファレト荒野。

 そして、その地の亀裂を自分達の目で確かめることが目的だ。

 傭兵らしからぬ動機だが、傭兵でなければ叶えられない。道中は魔物が立ちはだかる上、等級二以上の傭兵でなければ通れない場所があるからだ。

 現時点でシイダン耕地にたどり着けており、進捗としては申し分ない。

 王国を出発したのは今朝。正しくは武器屋でアイアンダガーを購入してから旅立った。

 昨日、エルディアからケイロー渓谷封鎖について教えてもらえたことから、エウィンは遠征を提案、アゲハは当然のように承諾する。

 マリアーヌ段丘を南下し、勢いそのままにルルーブ森林を越えたことで、二人はシイダン川の甌穴群を眺められている。

 ここからさらに西へ向かえば、状況はどうあれそこはケイロー渓谷だ。山と山に挟まれた険しい谷にそのような地名が与えられているのだが、最西部には巨大な洞窟が立ちはだかる。その入り口には結界が張られているため、本来ならば通れない。

 しかし、今の二人は通行手形を持ち合わせている。邪魔されることなく往来が可能だ。

 そのはずだった。


「順調に進めてますし、シイダン村にはあっさりと着けそうですね」


 靴と靴下を脱ぎながら、エウィンは新たな話題を振る。

 そのまま、返答を待たずに川へ一歩を踏み出せば、蒸れた足の浄化は一瞬にして完了だ。

 水の冷たさ。

 流れが生み出すこそばゆさ。

 どちらもただただ心地よい。

 左足も水中に浸せば、幸福度は二倍に高まってくれる。

 幸せそうな後ろ姿を眺めながら、アゲハも胸を撫で下ろさずにはいられない。


「あと、一時間くらいかな?」

「んー、どうなんですかね? 僕もここには初めて来たので……」


 本日はシイダン耕地を西へ進まず、南を目指す。

 なぜなら、その先にこそ本日の目的地が存在している。

 シイダン村。農業で栄えた、大きな村。

 イダンリネア王国で消費される穀物や野菜の類は、その多くがこの地で作られ、輸出される。

 この村が魔物や魔女に落とされた場合、王国の民は飢える可能性すらあるため、防衛のために王国軍が常に常駐している。

 つまりは重要な地域なのだが、シイダン村にはとある施設が存在しない。


「ギルド会館が、ないって、本当なのかな?」

「教科書にも新・地理学六版にもそう書いてありましたね。確かに、意味がわからない」


 川の水に癒されながら、エウィンが頭髪を揺らすように首を傾げる。

 当然だ。ギルド会館という建物がないということは、傭兵の拒絶と同義でもある。

 シイダン耕地にも魔物がいるのだから、彼らの力を借りることで様々な恩恵を得られるはずだ。

 にも関わらず、この村は傭兵制度が発足された二百年前から今に至るまで、傭兵を拒み続けている。


「不思議、だね」


 日本人のアゲハでさえ、傭兵という職業がいかに重要かを理解している。

 魔物は単なる脅威ではない。

 肉は食材となり、皮や牙は加工されて様々な用途で使われる。

 なにより、魔物は狩っても狩っても魔法のように出現してしまう。

 つまりは、共存するしかない。

 凶暴な隣人であることは拭えないが、それらと付き合っていくしかない以上、傭兵の居場所を作ることは重要だ。

 そのはずなのだが、シイダン村はそれを拒む。

 理由はわからない。

 いらないの一点張りであり、イダンリネア王国が再三話し合いの場を設けようと、歴代の村長は聞く耳を持たない。

 もっとも、傭兵に助力を求めることまでは禁止されていないらしく、村民はそれぞれのやり方で傭兵を頼っている。


「野菜を運ぶために傭兵を雇うってのは有名な話なんですけど、ギルド会館がないとなるとどうやってるのやら? 遠征討伐軍の人達を探すついでに、村の中を見てまわりましょう」

「うん」


 ケイロー渓谷は後回しだ。

 先ずは、ゴブリンの集結について情報を収集したい。

 さらには、王国軍との連携が可能かどうかも見定めたいため、彼らが滞在しているであろうシイダン村への寄り道は必須事項だ。

 立ち話が一旦終わったことで、エウィンは川の中をジャブジャブと歩く。貧困街にも川は流れているため、この状況が珍しいわけではない。


「なんだろう。こうして川に立っていると、服脱いで洗濯したくなる……」


 悲しい習性だ。六歳以降、この少年は浮浪者らしくそうやって暮らしてきた。

 アゲハと出会い、傭兵として金を稼げるようになってもなお、川での洗濯は継続中だ。

 この発言を受けて、アゲハが至極当然な指摘を口にする。


「エウィンさんも、宿屋の洗濯機、使えばいいのに……」


 アゲハの言う洗濯機は、地球製のものではない。魔法の力で動く魔道具であり、この世界で発明された類似品だ。


「だって有料なんですもん。だったら自分で洗います。そのお金で……、おにぎりや干し肉を食べたい!」


 食いしん坊なわけではない。十年以上も貧困にあえいだ結果、そのような心情を抱いてしまうようになった。

 青空を見上げながら声高々に吠えるも、残念ながら共感は得られない。

 代わりに、新たな話題が提供される。


「晩御飯、どうしよっか?」

「あ、そうか。ギルド会館がないとなると、適当なお店探さないとですね。そこらへんもシイダン村に着いてからということで……」


 この場で考えても答えなど見つけられない。

 シイダン村は初めて訪れる場所だ。地理の教科書を読みこんだところで、店の詳細までは書かれていない。

 農家が大勢住んでいることから、食事処がないはずもなく、何を食べるかはその時の食欲や気分次第か。

 その後も二人は談笑にふけるも、綿菓子のような雲が去っていったタイミングで休憩を切り上げる。

 改めて、シイダン村に向けて出発だ。大きな鞄を背負うと、右足を大きく踏み出す。

 もっとも、ここまで来れたのだから焦る必要はない。


(マリアーヌ段丘と似てるようで、けっこう違うんだな。木がちらほら生えてるからかな? 平たいところも……か)


 シイダン耕地は二人にとって未知の土地だ。

 エウィンとアゲハの活動範囲は、ルルーブ森林までだった。その先に赴いたのは今日が初めてであり、だからこそ、眼前の風景が新鮮に映る。

 農地に選ばれるほどには平坦な土地。

 土壌が豊かなのだろう、まばらに木々が伸びており、花畑すら散見される。

 二本の河川が合流を果たすため、水源にも困らない。

 こういった背景から、ジイダン耕地は農業地帯として栄えた。

 それは光流暦千十八年においても変わらず、収穫された農作物は各地へ出荷されている。

 ゆえに、この地を守らなければならない。

 ケイロー渓谷のゴブリンだけでなく、シイダン耕地由来の魔物も排除すべき対象だ。


「あ、見たことない魔物がいますよ」


 エウィンが視認した、黄色い異物。草原の上にいることから、景観に溶け込めているようでそうではない。

 一見すると、円筒形の物体が横たわっているようにも見える。

 しかし、これは生き物だ。波打つように動かしており、その動作はあてもなく歩いている証拠だ。

 近づいたタイミングで、アゲハはその正体に気づいてしまう。


「う、これって……」


 エウィンに続き、彼女も減速するのだが、その顔は真っ青だ。

 対照的に、少年は笑みを浮かべている。


「芋虫の魔物ですね。でかくてきもい」


 口ではそう言いながらも、実際のところは興味津々だ。

 全長は一メートルを優に超えている。エウィンが両腕を左右へ広げた際の長さに近いことから、横たわった子供を上回るほどだ。

 一般的な幼虫は細長い見た目なのだが、これはずんぐりと太い。

 黄色い体に黒の斑点がいくつも散見される。

 下部の小さな足で這うように進む姿は、巨大であれ芋虫のそれだ。

 シイダンエルカ。この地に生息する、温和な魔物。

 よっぽど近づかない限りは、人間を襲わない。

 ゆえに、農家がこれに殺されるケースは非常にレアと言える。

 シイダン村を目指す二人だが、これとの遭遇には足を止めてしまう。

 とりわけ、エウィンは唸りっぱなしだ。無意味な戦闘は避けたいのだが、好奇心が勝ってしまう。


「僕、虫って怖くもなんともないんですけど、さすがにこれは触りたくない」

「そ、その割には、楽しそうだね……」


 アゲハが指摘するほどには、少年の言動は奇怪だ。

 嫌だと言いながらも、ジリジリと歩み寄る。


「アゲハさんってこういうの苦手でしたっけ?」

「う、うん、足がいっぱいあるのは、ちょっと……。あ、でも、最近は、慣れてきた、よ」


 免疫がついて当然だ。

 傭兵ならば、野営は避けられない。それが森の中なら、節足動物との遭遇は必然だ。

 そうであろうと、今は綺麗な顔を引きつらせてしまう。

 人間サイズの芋虫と遭遇したのだから、彼女の反応こそが正しい。


「形だけなら、アゲハ蝶の幼虫みたいですね。まぁ、あっちはもっとシュッとしてて、こっちはずんぐりと言うか、もっちりと言うか。脈打つようなこの動き、でかいと一層気持ち悪いですね」

「そ、そうだね……」

「そうだ。せっかくですし、アゲハさんの深葬で燃やせるか試してみましょう」


 単なる思い付きだ。

 しかし、彼女の能力が通用するかどうかは事前に知っておきたい。

 深層。触れるだけで対象を完膚なきまでに燃やし尽くせてしまう。眼前の魔物とは初対面なため、成否の確認は悪手ではないはずだ。

 ゆえにエウィンは平然と言ってのけるも、アゲハは首を縦に振らない。


「え、やだ」

「え?」

「え?」


 そして空気が凍り付く。

 触りたくないのだから、この返答は必然だ。

 ゆえに珍しく自己主張したのだが、エウィンは目を丸くしてしまう。

 このやりとりをえて、二人は静かに再出発するのだが、すぐさま知ることとなる。


(ふーん、この辺りには芋虫しかいないのか。しかも、かなり少ない。マリアーヌ段丘くらい平和なのかも)


 エウィンの推察は正しい。

 イダンリネア王国がマリアーヌ段丘に建国された理由は、その地が安全だからだ。

 草原ウサギが人間を積極的に襲わないことと、そもそも生息数が非常に少ない。

 また、このウサギ自体が食材に適しており、海に出れば漁すらも可能だ。

 ゆえに、マリアーヌ段丘が選ばれた。

 これと同じことが、シイダン耕地にも言えよう。


(少しくらいなら近寄っても襲ってこないっぽいし、ここが畑だらけになるのも頷けるって感じか。まぁ、アゲハさんはビクビクしっぱなしだけど)


 いずれ慣れるのだろう。

 しかし、今はまだその時ではないらしい。

 アゲハが普段以上に周囲の警戒を怠らない理由は、シイダンエルカの容姿が生理的に受け付けないためだ。

 そうであろうと、今は進むしかない。暖かな太陽に見守られながら、黙々と南を目指す。

 草原を踏みしめ、獣のように前へ。

 その甲斐あって、二人は新たな発見と出会うこととなる。


「お、あれは……。アゲハさん、畑が見えてきましたよ」

「ほんとだ……」


 右遠方に現れた、色違いの大地。そこは人間の手によって耕された、命を育む区画だ。

 せっかくの機会ということから、エウィンは進行方向を変える。

 進むにつれ、土の匂いが一層高まるも、異臭ではないのだから足を止める理由にはならない。

 もっとも、最終的には立ち止まる。

 彼らの眼前に現れた、無限とも思える農耕地。晴天であろうと水浸しの理由は、ここが水田と呼ばれる場所だからだ。


「なんか、ねこじゃらしみたいなのがずらーっと植えられてますね」

「稲、かな。これがお米に、なるよ」

「え、これが? すごい……」


 青々とした稲が、折れることなく直立している。

 その数を調べることなど不可能だ。それほどに多く、その整列具合にはさすがのエウィンも息を飲むしかない。

 対照的に、アゲハは冷静だ。


「稲作……、水田……、日本と、同じ。やっぱり、不思議……」


 ここは異世界だ。

 そのはずなのだが、この地の文化には違和感のようなものを覚えずにはいられない。

 その最たるが、食文化だ。

 うどん。

 ラーメン。

 スパゲティ。

 国は異なるものの、それらは地球産の料理だ。

 草餅やハンバーグ、寿司さえ存在するのだから、節操のなさは不気味と言う他ない。

 アゲハが静かに考え込む一方、エウィンは呆けるように問いかける。


「ねこじゃらしの部分がお米なんですか?」

「あ、うん、そうだよ」

「緑色ですけど……」

「乾燥させてから、えっと、脱穀だったかな? お米になるまでには、まだまだ工数が、あるの」


 エウィンは漁師の息子だ。

 六歳にて故郷を追い出され、浮浪者として十二年も過ごしてきたことから、教養不足は否めない。

 稲作の工程などわかるはずもないことから、彼女の説明には唸るしかなかった。


「へ~、農家さんって大変なんですね。感謝感謝。あ、でも、具なしおにぎりって六十イールで買えちゃうような? 安すぎません?」

「うん、そうだね。大量生産の、おかげだと、思う」

「なーるほど。僕の体は具なしおにぎりとライ麦ロールパンと干し肉で出来てるので、農家さんを守るためにも、俄然やる気がみなぎってきました」


 ライ麦ロールパンは、四個入りで百十イール。一つ一つは握り拳よりも小さいのだが、四個も食べれば腹は十分に膨れてくれる。

 浮浪者にしてはリッチな食生活なのだろう。

 もっとも、育ち盛りな子供がこれらしか食べていないのだから、不健康なことに変わりない。

 そうであろうと、今は傭兵として大成している。等級は二へ上がり、巨人族すら打ち負かしてみせた。

 ましてや、栄養不足は過去の話だ。今はギルド会館である程度は好きな料理を選べている。

 買いだめした食べ物を遠征先で食べきったとしても、アゲハが手料理を振舞ってくれるのだから、貧相な食生活とはお別れだ。


「ゴブリン、この付近までは、来てないのかな?」

「みたいですね。ケイロー渓谷の方へ行ってみないことには何とも言えませんけど。その辺の情報も、シイダン村で得られるはず……」


 農業の勉強はここまでだ。

 二人は改めて、本日の目的地を目指す。

 走り出す刹那、エウィンは率直な疑問を口にした。


「緑色のお米って、食べたら美味しいのかな?」

「う、うーん、美味しくないと、思う……」

「そうですか、残念。んじゃ、出発しましょう」


 仮に美味だとしても、眼前の水田は農家のものだ。作物のつまみ食いは犯罪なため、エウィンは後ろ髪を引かれながらもシイダン村を目指す。

 その後の進行は順調だった。シイダンエルカが穏やかな魔物ゆえ、走ることに集中出来たことが大きな要因だ。

 牧歌的な風景が目にも留まらぬ速さで移ろう中、エウィンは心の中で一人つぶやく。


(やっぱりそうだ。アゲハさん、体力が見違えるように増してる。さっきは無茶させちゃったけど、それだって置き去りにするつもりで走ってみたからだし。でも、ついてこれた。足も速くなってるし、等級上げは無駄じゃなかったんだな。だけど……)


 この四か月は戦いの日々だった。

 昇級のため。

 金を稼ぐため。

 理由としてはこの二つか。

 その副産物として、アゲハは一皮むける。魔物を狩るだけで強くなれるのだから、当然と言えば当然か。

 しかし、エウィンは腑に落ちない。


(だけど僕は……。実感出来ないだけなのか、がんばりが足りてないのか)


 自分のことゆえ、客観的な観測は困難だ。

 それでもなお、停滞感を抱かずにはいられない。

 十分強くなれたのだから、満足すべきか?

 否、それだけはありえない。

 オーディエンは遥か高みにいるのだから、今以上に強くなりたい。

 強くならなければならない。

 だからこそ、魔物を狩り続けた。

 傭兵としては正しいやり方のはずだ。


(悩んだってわからない。今はアゲハさんのためにも、目先の問題を一つずつ片付けよう)


 アゲハの要望が旅の発端だ。

 ミファレト荒野の亀裂を見たい。

 彼女が珍しく自己主張したのだから、エウィンとしては叶えてあげたい。

 そのために等級を上げた。

 そして今は、ケイロー渓谷がゴブリンに占拠されたことを受けて、その地を目指している。


(お、あれか? うん、絶対そうだ)


 二人の真正面に現れた、巨大な農村。頑丈そうな柵で囲まれており、その一方で出入口は多い。収穫し終えた野菜を搬入するためには、この形が理想的なのだろう。

 ゴブリンの動向を窺うために。

 今日の寝床を確保するために。

 訪れたここはシイダン村。

 寄り道であろうと、この地が本日の目的地だ。

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