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第五十話 三人で走る

 矢継ぎ早に生み出される、突風を従えた轟音。

 その正体は彼らが殴り合い、蹴り合っているがゆえの激突音だ。

 腕や足が、相手を破壊せんとばかりに襲い掛かる。

 そして、肉と肉がぶつかり合う。

 その繰り返しが幾度となく空気を震わせ、その度に雑草達を驚かせてしまう。

 彼らは、解き放たれた獣だ。隙を伺うように駆け、チャンスと判断したのなら即座に打ち込む。

 それでも痛打とならない理由は、実力が拮抗しているためか。

 足の裏を押し付けるような蹴りを跳ねるように避けるも、エウィンは避難するように後退する。


(はぁ、はぁ、やばい……かも)


 実は、呼吸を整えたい。スタミナが枯れたわけではないのだが、五体満足とも言い難い。

 その様子は、外見からも明らかだ。

 顔や腕にはかすり傷が散見され、緑色のカーディガンに至っては長袖が破けて半袖と化した。

 黒いズボンにも無数の穴が出来上がっている。蹴り合えば、こうなってしまうのも仕方ない。


「これが、エルディアさんの本当の実力……」

「うむ! でもでも、君も本当にすごいよ? と言うかさ、なんで倒せないのか、これがわからない」


 ある意味で、これは不公平な手合わせだ。

 エウィンは素の状態のまま戦わなければならない一方で、エルディアは魔眼の第二形態を発動させて身体能力を向上させている。

 手札の違いも含めて実力なのだろう。

 それをわかっているからこそ、この少年は不平不満を漏らさずに食い下がっている。


(僕はけっこうボロボロなのに、エルディアさんはまだまだ元気。いや、よく見たらけっこう傷だらけか。また鼻血出してるし……)


 エウィンの観察は正しい。

 エルディアもまた、あちこちを負傷している。ロングスカートもボロボロに破けており、太い脚がチラリと見えてしまっている。

 それでもなお、彼女の気力は上限一杯だ。


「う~む、こうなったら奥の手を使っちゃおうかなー」

「え? まだ何かあるんですか?」


 エルディアの独り言が、少年を驚かせる。

 当然だろう。彼女は既に魔眼を用いており、これ以外は何もないはずだ。

 そのような思い違いは、あっさりと正される。


「むっふっふー、お忘れかな? 私は魔防系なのだ! つまりはそういうことなのだ!」

「あ……」


 痛む右腕をグルグルを回していたエウィンだが、気づいた以上、固まってしまう。

 エルディアの戦闘系統は魔防系。たったそれだけのカミングアウトでしかないのだが、その意味するところはそれ以上だ。

 戦闘系統とは、人間の種類と言い換えられる。

 肉体的性別に男と女があるように、人間は生まれながらに十一種類の戦闘系統に分類可能だ。

 戦術系。

 加速系。

 強化系。

 守護系。

 魔防系。

 技能系。

 探知系。

 魔攻系。

 魔療系。

 支援系。

 召喚系。

 これらは言うなれば素養の種類であり、それぞれ異なる戦技や魔法を習得する。

 強化系ならば、肉体強化の戦技を。

 魔攻系ならば、破壊に特化した魔法を。

 そして、魔防系の場合、その内容は多岐にわたる。


「私が使える戦技は三つ。ウォーボイス……は一対一だとなーんの役にも立たないけど、せっかくだから使っておくか」

「えぇ……」


 有言実行だ。

 眉をひそめる対戦相手に、エルディアはその戦技をおみまいする。

 彼女が気合を入れると、突風のようなプレッシャーが放出され、それがエウィンを飲み込む。

 しかし、変化は何一つとして見当たらない。これはそういう戦技であり、両者はそれを承知ゆえ、見つめ合っている。

 ウォーボイス。魔防系の傭兵ないし軍人が、最初に習得する戦技。これを受けた者は、攻撃対象を発動した人物にのみ制限される。効果時間は十秒、再発動までに三十秒待たなければならないため、永続的な拘束は不可能だ。

 この戦闘は一対一ゆえ、互いが互いだけを狙い続ける。そういった背景から、エルディアはウォーボイスを不要だと発言した。

 もっとも、本番はここからだ。


「んでー、これが、暗黒拳パワー!」

「ネザーエナジーですよね」


 少年の指摘を無視するように、魔女が右手を突き上げる。

 それを合図に拳が黒いオーラをまとうも、正式名称はエウィンの方が正しい。

 ネザーエナジー。魔防系が習得する、二つ目の戦技。その効果は筋力の増強。シンプルゆえにあらゆる局面で役立つも、効果は三十秒しか続かない。次の使用までには二分間の待ち時間が発声することから、ウォーボイス同様に使いどころを見極めたい。


「ちなみにエレメンタルアーマーも使えるゼ!」


 エレメンタルアーマーは三つ目の戦技だ。攻撃魔法に対してわずかに打たれ強くなることから、そういった相手と戦う際は大いに役立つ。

 しかし、今回は不要だ。エウィンは魔法の使い手ではないのだから、声高々に叫びながら、猪突猛進に突っ込む。


「どりゃあぁ!」

「く⁉」


 その思い切りの良さに、少年はたじろぐしかない。

 ましてや、状況は確実に変化した。

 エルディアの腕力はネザーエナジーによってさらに高まっており、つまりはあめのおきてとの二重強化に他ならない。

 迫る拳は、依然として禍々しい闘気を宿したままだ。

 威力が増していることは疑いようがなく、だからこそ、エウィンは空ぶらせるためにも後ずさる。

 しかし、今回は読まれていた。


「フェイントだゼ!」

「な⁉」


 後方へ跳ねた愚行を、エルディアはあっさりと否定する。

 殴る素振りは意表を突くためだけの動作だ。そうであると主張するように、彼女は距離を詰めることにまい進する。

 その結果、両者は吐息がかかるほどに接近した。

 それは同時に、攻撃の準備が整ったことを意味する。


「これでー!」


 大振りの打撃は当たらない。ここまでの攻防で得られた知見だ。

 だからこそ、らしくないと自覚しながらもフェイントを絡めて懐に潜り込んだ。

 ここから攻撃を繰り出すのだが、エルディアが選んだ一手は、小さく前ならえのようなボディーブローだった。


(避けられっ⁉)


 このタイミングで未来予知のような直感が働くも、時すでに遅い。腹部を殴られると察知しながらも、今回ばかりは反応が間に合わない。回避行動よりも早く拳が到着するのだから、出来ることは覚悟を決めるだけか。

 そうであろうと諦めない。

 なぜなら、今回だけは負けたくないからだ。

 後方へのステップや左右への避難は間に合わない。それをわかっているからこそ、今回は両腕を可動させる。


「う⁉」


 うめき声はエウィンの口から漏れ出た。

 しかし、それよりも大きな激突音が草原地帯を賑わしたため、誰の耳にも届かない。

 吹き飛ぶ対戦相手を眺めながら、エルディアは静かにぼやく。


「これすらも防がれたかー。でも……」


 彼女の言う通り、遠方のエウィンは両腕で即席の壁を作り、ボディーブローをせき止めた。

 にも関わらず、顔をしかめながらふらついている理由は、ダメージを受けた証だ。


(いなしきれなかった。内臓……と左腕がやられたかも。涎が出るくらい痛いし、パンチなんて絶対無理! さすが、ネザーエナジー……)


 わずかな吐血も去ることながら、戦力の低下を嘆く。

 戦闘の継続は可能だ。

 しかし、戦局が傾いたのも事実だ。

 ここからは左腕を庇いながら、戦わなければならない。

 それでも両足が動いてくれる理由は、勝利への執着か。


「まだまだ……!」

「おー、いいね! 私も不完全燃焼だよー」


 気張るエウィンとは対照的に、魔女は余裕しゃくしゃくだ。もちろん、空元気でもなければ演技でもない。

 彼女はこの時間を楽しんでおり、勝ち負けよりも一秒でも長く戦いたい。ただそれだけだ。

 アゲハに見守られながら、両者はじわりじわりと距離を縮める。

 ここは青空と大地に挟まれた、マリアーヌ段丘という名の戦場だ。

 模擬戦の開催理由が余った時間の浪費であろうと、傭兵同士がぶつかればただの喧嘩では済まない。

 命までは奪わないが、その気になれば殺せてしまえる。

 これはそういう戦闘であり、だからこそ、彼らは手を抜かない。


「今度は……!」


 エウィンから仕掛ける。

 後手にまわりたくない理由は、エルディアのネザーエナジーを警戒しているためだ。

 殴られた結果、防ぎきれないことが判明した。追撃は受け入れ難いため、攻守を入れ替えたい。

 だからこそ、飛びかかると同時に膝を打ち込む。

 エルディアはわずかに驚くも、左手だけで膝を受け止める。目にも留まらない速さながらも、直線的な奇襲ゆえ、彼女ならば造作もない。

 そうであろうと、主導権はエウィンが握ったままだ。

 動かせない右足はそのままに、自身が落下するよりも早く、左足を蹴り上げる。


「ぐっ⁉」


 足で繰り出したアッパーカット。

 それがエルディアの下顎を直撃した以上、長身はよろめいて当然だ。


「う、う……」


 茶髪を揺らしながら、魔女が崩れるように尻餅をつく。視界は定まっておらず、自身に何が起きたのかの把握すら出来ていない。

 これで決着か。

 しかしながら、エウィンにその判断は困難だ。


(とどめを刺した方がいいのかな? 今なら殴る蹴る、なんでもありだけど、さすがにやり過ぎな気もするし……。後ろにまわって首を締める? う、う~ん、どうしたら……)


 思案に割けられる時間は無制限ではない。

 その証拠に、エルディアは顎を押さえながら静かに唸っている。

 間もなく、意識を完全に取り戻すだろう。そのタイミングで立ち上がることは必然ゆえ、残された時間は少ない。

 背後からの裸締めは、確かに効果的だ。ギブアップを促すことも可能だろう。

 そのはずなのだが、エウィンは焦ったがゆえに別の選択肢を選んでしまう。


(これだ!)


 未だ起き上がれないエルディアの真正面へ移動。即座に屈むと、彼女の足首をそれぞれガッシリと掴む。


「んあ?」


 意識を朦朧とさせながらも、エルディアが反応を示す。突然、両足を持ち上げられたのだから、反射的に眼前の少年を眺めてしまう。


「一度やってみたかったんです、これ」


 自身を支点にして、コマのように回り始める。

 その最中もエルディアを掴んで離さない理由は、これがそういう技だからだ。


「あわわわわわ」

「あ! これやばい!」


 なぜか二人が同時に悲鳴を上げる。

 遠心力に晒され、バンザイのポーズでグルグル回るエルディア。

 ジャイアントスイングを実行しているエウィン。

 構図としては敗者と勝者なのだが、この少年は己の過ちに気づいてしまう。


(黒のパンツが丸見え!)


 エルディアは丈の長いスカートを履いている。この手合わせであちこちが破けてしまうも、下着を隠すことは出来ていた。

 しかし、今は違う。

 傘で例えるのなら、普段が折りたたまれた状態なのに対し、今は突風が原因で裏返ってしまった状態だ。

 彼女の太い生足だけでも蠱惑的にも関わらず、黒色の下着が露わになってしまっている。

 エウィンは罪悪感に苛まれながらも、目は離せない。

 同時に、ゴクリと喉を鳴らす。

 残念ながら、十八歳はそういうお年頃だ。


(あぁ、なんだろう。こういうのを幸せって言うのかな? でも回し続けちゃう!)

「たーすーけーてー」


 事実上の降参だ。エルディアが力なく叫ぶも、エウィンは煩悩に支配されており、回転を止めない。

 依然としてロングスカートはひっくり返っており、その生地は下半身ではなく上半身を隠してしまっている。

 ゆえに局部が露出しているのだが、血走った瞳は一瞬たりともそこから視線を動かさない。

 その結果が、これだ。


「エウィン、さん?」

「は、はい!」


 その声は静かに怒っている。

 それを察知したからこそ、エウィンは物理法則を無視するように、一瞬にして静止してみせる。

 同時にエルディアを手放してしまうのだが、敗者は敗者らしく悲鳴と共に吹き飛んだ。


「あーれー。ぐえ」


 地面にぶつかったタイミングで再度苦しむも、少年はそれどころではない。

 彼女はジャイアントスイングがギリギリ届かない位置に立っており、方角としては真後ろだ。

 顔を引きつらせながら、言い訳と共に振り返る。


「わ、悪気はなかったんです、本当に……」


 しかし、返答はない。

 その黒髪は先端だけが青く、そして長い。

 リネンチュニックは本来は地味な防具ながらも、ベルト付きゆえにそれで締めれば彼女の大きな胸部が強調される。

 黒色のズボンはタイツのようにピタッと脚部のラインを晒しており、その太さはアスリート選手のようだ。


「アゲハさん……?」


 聞こえなかったのかな? そう思いながらエウィンはその名を口にする。今はこれしか出来ない以上、彼女の無表情な顔に語りかけるしかない。

 遥か彼方でエルディアが悶え苦しむ中、重々しい静寂はアゲハによって破られた。


「なんで、ジャイアントスイング?」

「あ、その、本当に思いついただけで、悪気はなかったんです……」

「でも、じっと見てた」

「えっと、見えてしまったがゆえの過ちと言いますか……」


 嘘は言っていない。正しくは若さゆえの過ちなのだが、どちらにせよ、狙ってやったことではない。

 そうであろうと、説教は継続だ。


「よくない」

「あ、はい、その通りです……」


 アゲハの怒気が、エウィンに正座を強要させる。

 膝をたたみ、背を丸める姿は、勝者ではなく敗者のそれだ。


「なんで、ずっと見てたの?」

「その~、あの~、僕も男の子なので、そういう生き物なので……。本当にすみません」

「手合わせとは、関係ない」

「はい、その通りでございます……」

「許可もなく、見ちゃ、ダメ」

「はい、以降気を付けます……。あ、でも、風が吹いた時のパンチラとか、あ、何でもないです……」


 この調子でエウィンは反省を促され続けるも、アゲハは見た目からはわからないが怒り心頭のままだ。

 単なる嫉妬心でしかないのだが、彼女は延々と正論を振りかざすため、反論の余地などない。

 その様子を眺めながら、復帰したエルディアが首を傾げる。


「どういう状況? あちこち痛いから、治して欲しいんだけどなー」


 そういう意味ではエウィンも傷だらけだ。

 そうであろうと、正座のまま縮こまっている。

 突発的に開催された模擬戦、その二回戦。

 勝者はエウィンでよいのだろう。

 リードアクターを先走って使ってしまってもなお、今回はこの少年の勝ちだ。

 エルディアが弱かったわけではない。魔眼の第二形態は決して侮れないドーピングであり、エウィンは確実に追い込まれた。

 それでも勝利をもぎ取れた理由は、偶然かあるいは作戦勝ちか。

 引き換えに何かを失ってしまうも、エルディアの黒い下着を目に焼き付けられたのだから、不幸ではないはずだ。

 思春期には、それほどに強烈な光景だった。



 ◆



「いやはや、強かった。完敗しちゃったゼ」


 三人は歩く。

 どこまでも続く草原の上を、肩を並べて歩き続ける。

 帰国を急ぐのなら、走ればあっという間だ。

 それでも歩く理由は、今すぐにでも感想を述べたいという欲求がそうさせる。

 三人は横一列で進んでおり、緩衝材代わりのエルディアが真ん中だ。

 エウィンは彼女の左隣。意気消沈のまま、トボトボと歩いている。


「紙一重だったと思いますけど。むしろ僕みたいなゴミが勝ってしまって申し訳ないくらいです」

「またまたー、謙遜しちゃって。ほら、胸張らないと!」


 エルディアは何も知らない。

 振り回された際にスカートがめくれていたことも、下着を凝視されていたことにも気づかぬまま、今は楽しそうに歩いている。

 だからこそ、あっけらかんと笑っているのだが、エウィンのテンションが低いため、鼓舞せずにはいられない。左手で少年の尻をバシンと叩くも、手応えとは裏腹に反応は微妙だ。


「本当にたまたまだったと思います」

「いやいや、膝からの蹴りも去ることながら、最後のグルグルもすごかったよ? 完敗よ完敗、がはは」


 決定打は、顎を打った蹴り技で間違いない。

 そういう意味ではジャイアントスイングは追い打ちでしかないのだが、エウィンはこのタイミングで目を閉じる。


(ふっふっふ、目に焼き付いてくれた。一刻も早く帰りたい!)


 肩を落としながらもほくそ笑む姿は不気味だ。

 もっとも、アゲハは当然のように見過ごさない。


「エウィン、さん?」

「あ、はい! 反省しております!」


 煩悩と反省の板挟みだ。

 いかに注意されようと、エルディアの両脚および黒色の下着を忘れることは出来ないため、一瞬でも油断したら顔が綻んでしまう。

 一方、当人は何も知らないため、他人事のように笑い始める。


「もー、さっきからどうしたのー? おねえさんも、ま・ぜ・て」

「大丈夫です、間に合ってます。むしろ、ある意味で主役ですので、そのまま前だけを向いて歩いててください」


 突き放すような返答だ。

 もっとも、彼女を想っての隠匿ゆえ、アゲハも何食わぬ顔で黙る。


「そっかー、よくわかんないけどわかったゼ」

(なんで納得してくれるのか、さっぱりわからない。ありがたい限りだけど……)


 エウィンだけが首を傾げるも、エルディアは当然のように満面の笑顔だ。

 彼女は負けた。その事実は揺るがない。

 それでもなお笑い飛ばせる理由は、精神的に強いためか。


「まさか、あめのおきてを使っても勝てないなんてね。ほんと、すごいと思うよ?」

「い、いやー、それほどでも……」


 お世辞ではないのだろうが、エウィンは素直に喜べない。叱られた直後ゆえ、テンションの急上昇は困難だ。


「次までにはもっと使いこなせるようになっとくから、それまでは首を洗って待っててね」

「え? 魔眼ってもっと上があるんですか?」

「そだよー。私なんてお母さんと比べたらまだまだだし、未熟者の処女だし」

「最後のは余計ですけど」


 魔眼を宿す者は、極稀に特別な力を発現する。

 それが魔眼の第一形態であり、見るだけで何かしらの現象を引き起こせる。

 例えば、透視。

 他には、視界内の人間に暗示のようなものをかけ、前へ進むことを阻害する魔女もいる。

 エルディアの場合、男に限定されるも欲情させることが可能だ。

 こういった魔眼の特殊能力は、魔女全員が使えるわけではない。

 割合としては一割にも満たない。

 それほどに希少なのだが、魔眼には次の段階が存在する。

 それが第二形態であり、その名をあめのおきてと呼ぶ。

 千年の歴史において、ここに至った魔女は数名しか確認されていない。

 そういう意味でも、エルディアおよびその母親は類稀なセンスの持ち主だ。


「もっともっと強くなって、次こそはリベンジじゃ」

「つ、次は負けちゃうかもしれませんねー、あはは……」

「武器ありでも戦ってみたいんだけど、危ないしなー」

「その場合、僕は手も足も出せないんじゃ……」


 エルディアの武器はスチールクレイモア。鋼鉄製の巨大な剣であり、カテゴリーとしては両手剣に分類される。

 その重量は二十キログラムを上回るため、片手でブンブンと振り回すことなど不可能だ。

 それゆえの両手剣なのだが、この魔女は手ぶらのような速さで振り抜いてみせる。

 対するエウィンだが、腰には短剣を下げているものの、残念ながら単なる飾りだ。鞘の中の刃は折れており、凶器としては使い道がない。

 本来ならば、新調すべきだ。

 そうしない理由は、所持金が心もとないことと、素手でも問題なく魔物を狩れるためか。


「私があげたスチールソードも、あっという間に折れちゃったしねー」

「いやはや、ほんとに……。悪いのはオーディエンなのか、意味不明な魔女軍団なのか、なんかもうごちゃごちゃしてて思考が追い付きません」

「あはは、災難だったねー。本当は二本目をプレゼントしたいんだけどさー、そうポンポンあげられるほどウチも裕福じゃなくて。世知辛い話だゼ」


 武器や防具は高額だ。安物ならば話は別だが、スチール以上の武具となると五十万イールを軽く超えてしまう。

 その金額は、一般的な月収のおおよそ倍。常日頃から貯蓄をしていれば手が届くのだろうが、浮浪者には捻出など不可能だ。

 傭兵は出費がかさむ。あまり知られていない事実と言えよう。

 六本の足が大地と雑草を踏みしめる。

 その音がリズミカルに継続される中、エウィンはこのタイミングで思い出す。


(あ! 僕が勝ったんだから、おっぱい! エルディアさんのおっぱいを揉ませ……て……、って言える空気じゃない!)


 エルディアは完全に失念しており、ならばエウィンが言い出すしかない。

 しかし、それは不可能だ。

 なぜなら、先ほどの件でアゲハが目を光らせている。

 つまりは、絶望的だ。

 勝利を手中に収めた以上、次は未知数な感触と触れ合えるはずだった。

 その目論見は、自業自得ながらも露と消えた。

 トホホと肩を落とすエウィンを他所に、新たな話題がもたらされる。

 提供者は当然のようにエルディアだ。


「それでも、やっぱり今のままじゃ、君はオーディエンに勝てない」

「そう……なんでしょうね。リードアクターの状態であいつの顔を殴ったことがあるんですが、ビックリすることに傷一つ負わせられませんでした」


 嫌味のような意見であっても、少年は淡々と反応を示す。

 なぜなら、その通りだと納得済みだからだ。

 その魔物はアゲハを帰還させるための手がかりなのだが、現時点では討伐の目途など立てられない。


「私の知り合いにさー、オーディエンの顔をぶった切った子がいるんだけど」

「え、すごい」

「でもね、倒せなかった。血の代わりに炎がボワボワって出て、あっという間に再生ってわけよ」


 にわかには信じ難い証言だ。

 そうであろうと、エルディアが嘘をつく理由が見当たらないため、エウィンは歩きながらも顔をしかめる。


「じゃあ、どうやって倒せば……」

「そこは簡単な話だと思うよ? あいつより強くなって、何度も何度も斬って、何度も何度もぶん殴る。ハクアさんは倒せるって言ってるし、ってことは不死身じゃないっぽいし」

「ハクアさん? あぁ、さっき言ってた、すごい魔女さんの名前」

「あ、やべ、ばらしちゃった。まぁ、名前くらいならいいか。てへ」


 本来は反省すべきだ。

 それでも笑って誤魔化すのがエルディアであり、事実、その名を知られようと誰も困らない。


「その人にオーディエンの討伐を頼むってのは……」

「ん~、どういうわけか、そのつもりはなさそうなのよねー。と言うか、親の仇だろうに、そこは譲ってもいいんだ」

「どうしても勝てない時は、まぁ……。僕が長生き出来るとも限りませんし……」


 無駄死になど望まないが、アゲハを庇って死ねるのなら、それが本望だ。

 そう自覚している以上、オーディエンを倒す役は誰かに譲らなければならない。

 可能なら殺したい。

 しかし、こだわらない。

 正しくは、こだわれない。

 死を望む以上、全てを欲することなど不可能だ。


「あー、その考え方って、ハクアさん、すっごく嫌いそう。もし会うことがあったら、俺が絶対に倒すぜ、くらいは宣言した方がいいと思うよ」

「そうなんですか。まぁ、僕が魔女さんとつるむ機会なんてなさそうですし、それこそエルディアさんくらいな気が……。覚えておきますけど……」


 エルディアからのアドバイスであろうと、自分とは無関係だと捉えてしまえば、血にも肉にもならない。

 ましてや、ハクアがどこにいるのかさえもわからない以上、興味を持てという方が不可能だ。


「むっふっふー、この世界は案外狭いよ。まぁ、今は等級上げに専念する時だねー」

「そうですね。見聞を広げるためにも、目指せ、ミファレト荒野って感じです」


 その地に足を運びたい理由は、アゲハの要望に起因する。

 ミファレト荒野自体は寂れた土地なのだが、ミファレト亀裂と呼ばれる大地の裂け目が存在しており、二人は観光気分で見に行きたいと考えている。

 もっともそのようなわがままは、傭兵だけの特権だ。

 イダンリネア王国からは遠く離れており、当然ながら行く先々で魔物と出くわしてしまう。

 それらをやり過ごしながら進むしかないのだが、それを可能とする連中が傭兵に他ならない。

 実際には軍人もその枠組みに収まるものの、彼らは王国を守ることに尽力しており、自由気ままな旅に興味を示さない。

 魔物と戦えるという意味では同種ながらも、傭兵と軍人は似て非なる存在だ。状況に応じて手を取り合うことはあっても、相互理解までは難しい。

 自由奔放な傭兵。

 国と国民を守ることに徹する軍人。

 どちらも己の命をベットして、我が道を突き進む。その一点においては、似た者同士と言えるのだろう。


「このペースだと、来月、いや、再来月くらいにはなっちゃいそうだけど」

「う……、ですよね~」


 エルディアの指摘に、エウィンは天を見上げる。

 嫌味のようで、そうではない。至極まっとうな予想であり、反論など不可能だ。

 等級一が傭兵のスタート地点であり、依頼を一定数こなすことで昇級する。

 その条件は、依頼八十個の達成。

 本来は急ぐ必要などないのだから、多いようでそうではないノルマと言える。

 しかし、二人はミファレト荒野へ遠足に行きたい。

 そのためにはいくつもの土地を横断し、最終的には巨大な洞窟を突破しなければならない。

 その洞窟の入り口は結界で封鎖されており、等級二以上のギルドカードが通行手形の役割を果たす。

 十二年間も草原ウサギだけを狩り続けたエウィンと、傭兵試験に合格して日が浅いアゲハは当然のように等級一のまま。

 ゆえに、日々を金策も兼ねて依頼に費やしているのだが、一日一個のペースでは単純計算で八十日もかかってしまう。


「いいじゃん。お金貯まるし、アゲハちゃんの修行にもなってるし、なにより楽しい。一石三鳥!」


 無邪気に喜ぶエルディアだが、その言動は子供のようだ。嘘偽りない本音であり、両腕を交互に突き出しながら笑みを浮かべる。

 こう言われてしまっては、エウィンとしてもはにかむしかない。


「たしかに。と言うか、エルディアさんって毎日のように一緒にいますけど、魔女の長って暇なんですか?」

「いやー? やること色々あるよー? だから、お母さんとかにぶん投げてこうして同行してる!」

「偉そうに言われても……。大丈夫なんですか、それ?」

「大丈夫なんじゃーい? 帰ったら毎日のようにブチブチ言われるけど……」


 エルディアがあっけらかんと言ってのける一方、少年は疑うことしか出来ない。

 魔女は千年もの間、魔物として迫害を受けてきた。

 当然ながら、魔女も王国に対し反撃を試みるも、戦力差は歴然ゆえ、小規模な戦争に発展しようと一方的に狩られるだけだった。

 しかし、歴史は変わる。

 光流暦千十七年、一月。女王によってもたらされた、人間宣言。

 その中身は、魔女が自分達同様に人間であると謳っており、だからこそ、民の多くは驚きを隠せなかった。

 正しくは、常識を根底から覆された。

 ショッキングな出来事は、幸か不幸か続いてしまう。

 魔女同士の争いが勃発、敗れた側がイダンリネア王国へ移り住むことになるのだが、このタイミングで否定的な意見は鳴りを潜める。

 移民組の魔女をまとめる者こそがエルディアの母だったのだが、今はその娘が地位を継いでいる。

 そのはずなのだが、こうして傭兵の真似事に明け暮れている理由は、元傭兵としての血が騒ぐためか。もっとも、死なない限りは傭兵の資格を失わないため、彼女もれっきとした傭兵だ。


「そういうのを親不孝って言うんじゃ……」

「気にしない気にしない!」

「自分で言うことじゃ……。まぁ、はい……」


 エウィンは口をつぐむ。何を言っても無駄だと諦めた瞬間だ。

 対照的に、エルディアの口は止まらない。


「明日はどこ行こっかー? 早く帰ったら店番やれって言われそうだし、掲示板で物色しようぜー」

「ソウデスネ。んじゃ、このまま歩いてると日が暮れちゃいますし、そろそろ走りますか」


 マリアーヌ段丘は広大だ。徒歩で往来する場合、片道だけでも三日から五日程度は見込む必要がある。

 それでも、彼らが走れば話は別だ。


「お、んじゃ、競争だ!」

「いや、しませ……」

「ゴー!」

「し、しませんってー!」


 走り出したエルディアの雄姿を、エウィンとアゲハは見守ることしか出来ない。進行方向は三者で共通ながらも、テンションの差が足並みを狂わしてしまう。

 こうなってしまっては、ため息をつきながらも腹をくくるしかない。

 エウィンはうなだれた後に、右側へ顔を向ける。


「僕達も走りますか」

「う、うん……」


 そして二人も走り出す。

 若葉色の短髪を揺らしながら。

 長い黒髪を躍らせながら。

 傭兵達がマリアーヌ段丘を駆け抜ける。


「わはははは! 私が一等賞!」


 太陽の陽射しは暖かく、雑草達も日光浴を楽しんでいる。

 魔眼を宿し、運命に翻弄されようと、前だけを向いて笑顔を振りまく姿はまさしく花のようだ。

 その後ろ姿を追いかけながら、エウィンとアゲハも満足感と疲労感を共存させて大地を踏みしめる。

 仕事を終えるには、まだ早い時間帯だ。

 そうであろうと問題ない。

 傭兵ならば、そういう生き方も許されるはずだ。

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