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第四十九話 エウィン対エルディア

「死ぬかと思ったゼ」

「おおげさな……。いやまぁ、痛かったとは思いますけど」


 目つぶしが決まり手となり、練習試合のような何かはあっさりと終了した。

 アゲハの異能、折り紙がエルディアの魔眼を治療したことから、早々に二試合目の準備が進められる。

 もっとも、やるべきことは何もない。

 戦う二人が向かい合うだけで済むのだから、先ずは前置き代わりの雑談だ。雑草を踏みしめながら、普段通りに言葉を交わす。


「うぅ、迂闊!」

「あんな負け方、人類史上初めてなんじゃ?」


 項垂れるエルディアと、呆れるエウィン。これから戦うにも関わらず、雰囲気は非常に柔らかだ。

 なぜか勝ててしまったアゲハだけが、ここにはいない。過程はどうあれ模擬戦が終了した以上、二人から離れて見守っている。

 樹木すらも見当たらない、なだらかな草原の上で、エルディアは時間を稼ぐように口を開く。


「揉みたかったなー」

「だから自分の揉めばいいでしょうに。そ、その、ご立派なものをお持ちのようですし……」


 エウィンが言い淀む程度には、眼前の胸は大きい。

 スチールアーマーを外して以降、エルディアはタイトロングスリーブのままだ。例えるなら黒いタイツゆえ、裸ではないものの非常に色っぽい。


「これはこれ。それはそれ。アゲハちゃんのは別腹なんだよねー」

「意味がわからないです」

「いやいや、さっきの見た? すっごいボインボインしてたよ?」


 この問いかけが少年を怯ませる。

 実は、言われるまでもなく目に焼き付けた。

 アゲハがパンチを繰り出す際、二つの果実が上下左右に暴れまわっていた。

 その光景を見逃すほど、この少年は愚かではない。

 ゆえに、偉そうなことを言えないのだが、自身を棚に上げて指摘する。


「だからと言って迂闊過ぎです。僕ならささっと避けられました」

「見たって部分は否定しないんだ」

「う⁉」


 十八歳の若人が墓穴を掘った瞬間だ。

 思春期ゆえに仕方ない。そう主張することも出来たのだろう。

 しかし、エウィンは黙ることで耐え忍ぶ。

 反論を諦めただけなのだが、対照的にエルディアは持論を述べる。


「もしかしたら、王国で一番でかいかもねー。あんなに揺れて痛くないのかな?」

「エルディアさんはどうなんですか?」

「私は鍛えてるから、へっちゃら」

「そういうもんなんですか」

「そういうもんよー。話を真面目な方に戻しちゃうけど、アゲハちゃんはまだまだ鍛えないといかん。魔療系みたいに後方待機もありだとは思うけどねー」


 魔療系は戦闘系統の一種であり、主に回復魔法を会得する。

 つまりは負傷者の手当に特化した人員であり、傭兵がチームを組んで遠征する場合、一人は組み込みたい。


「いっぱしに走れるようにはなったので、次は体術かなぁ、とは僕も思ってます。ただ、他人に教えられるほど詳しいわけでもないので……」

「気にしない気にしない。みーんな我流なんだから。まぁ、私は元軍人だから少しはわかってるつもりだけど。でも、座学は寝てたからなー」


 エルディアの経歴は異質だ。

 イダンリネア王国で生まれ、武器屋の娘として育ち、高い身体能力を活かすために軍属となる。

 しかし、空気が合わなかったのか、あっさりと退役すると、勢いそのままに傭兵試験に合格してみせる。


「だから、軍人さんにも顔が広いんですね」

「んー、あんまり関係ないかも? 魔女の代表って方が関係してると思う。王国に戻る前から、ちょいちょいつるむこともあったし」

「へー、例えばどんな?」


 二人は出会って久しい。

 そうは言っても昨日今日の間柄ではないのだが、互いのことを把握出来ているわけではない。

 だからこその反応だ。エウィンは淡々と驚くも、エルディアはさらなる爆弾を投下する。


「その一つが、オーディエン」

「え? それって……」

「うん、君のお父さんを殺した魔物。君が倒そうと思ってる、あの魔物」


 そして、静寂が訪れる。

 空気が重たい理由はその単語が原因だ。

 オーディエン。体と頭髪が炎で再現された、人間と瓜二つの化け物。意思疎通すらも可能なため、前回の邂逅時に様々な情報が開示された。

 その一つが十二年前に乗組員ごと漁船を燃やしたという自白であり、その船の船長こそがエウィンの父親だ。

 さらには、アゲハが異世界人であることも暴露されてしまったが、そのことを知る者は少ない。ここにいるエルディアはその内の一人だ。


「エルディアさんも、オーディエンと戦ったことが……?」

「手も足も出せなかったけどねー。残酷なことを言っちゃうけど、君じゃどうやったってあれには勝てないと思う。強さの質が、根っこの部分から違うから……」


 決めつけるような指摘だ。

 しかし、経験から基づく推論でもある。

 それほどに、オーディエンは手ごわい。

 エルディアは様々な魔物と十年近くも戦ってきたが、この化け物と比肩する存在は皆無だった。

 だからこその忠告だ。いかに復讐心を原動力にして修行に打ち込もうと、越えようとしている壁はあまりに高い。

 つまりは、無駄に終わると彼女は言っている。

 そうであろうと、エウィンは立ち止まらない。


「今の僕じゃ、リードアクターを使ったところで軽くあしらわれると自覚してます。仮に発動時間をグンと伸ばせても、やっぱり無意味なんでしょうね。それでも僕は諦めません。それに……」


 敗北の果てに殺されたとしても、それはそれで本望だ。

 そうすることで両親との再会が果たされるのだから、挑まないという選択肢は見当たらない。

 その意志の強さに面食らうわけでもなく、茶髪の毛先を右手でつまみながら、エルディアが一呼吸を置いて口を開く。


「諦める必要はないけどさー、勝てる見込みがない内は、あいつが挑発してきても口車に乗らない方がいいと思うよ。ほんっと神出鬼没なやつだからねー」

「それはそう思います。実際問題、あいつってどのくらい強いんですか?」

「んー、知り合いの言い方を真似しちゃうと、この時代にあれを倒せる人間はいないとか何とか……」

「この時代? 変な言い回しですね」


 エウィンの言う通りだ。

 誰も倒せない。

 そう言えば済むのだが、どこかの誰かは異なる表現を用いる。


「色々あってね。まぁ、オーディエンを倒したいっていう君の気持ちや事情くらいは察してあげられるけどさ。んー、これも知り合いからの受け売りになっちゃうけど、あれを倒したいのなら五百年は体を鍛えないと話にならないらしい」

「五百……? それまた気の遠くなるような、というか現実的ではないような……」


 人間の寿命はせいぜいが七十年や八十年、長生きでも九十年そこらか。

 何百年もの鍛錬など不可能であり、つまりは諦めろと遠回しに言っているのだろう。

 エウィンは真意をくみ取れなかったため、その年数にたじろいでしまうも、エルディアは先ほど外した胸部アーマーを拾いながら言ってのける。


「オーディエンはさ、どういうわけか気に入った人間を殺さない。そういう意味では、君は運が良いと思うよ。いつまで待ってもらえるのかは、あいつに訊くしかないけどさ」


 エルディアは何かを知っている。

 だからこそ、曖昧ながらも忠告のようなものが出来ている。

 対して、エウィンはまだまだ無知だ。殺したい相手のことを、何一つとしてわかっていない。


「オーディエンの目的って……、僕に何をさせようっていうんですか?」

「知らん」

「う、そうですよね……」

「だけど、知ってそうな人なら心当たりあるよ」

「え⁉」


 まさかの返答が、少年の思考を停止させる。

 もっとも、その人物はこのやり取りの間に数度登場しており、エウィンは思い出したように眼前の魔眼を見つめ返す。


「その人も魔女。私とは年季が全然違うけどねー。オーディエンとまともに戦えるとしたら、その人くらいかも? ってくらいには強いよ。死ぬかもしれんけど私なら勝てるって豪語してるし」

「頼もしいような、そうでもないような……。その人って何者なんですか?」

「んー、言いふらすなって言われてるし、まぁ、君達ならいずれ会うことになるっしょー。今はそういう魔女がいるってことだけ覚えておけばだいじょぶ」


 煙に巻くような言い回しだ。

 事実、エルディアはその魔女について教えるつもりなどない。

 意地悪ではなく、口では説明が困難だからだ。

 会って話さなければ理解が出来ない。

 つまりはそれほどの人物であり、エウィンが部外者か否かは曖昧ながらも、今は彼女の名前すらも明かさない。


「そういう魔女……ですか」

「紹介してあげたいのはやまやまなんだけど、気難しい人だからなー。つまみ食いしたらすーぐ怒るし」

「それは普通のことなんじゃ?」

「えー? 台所のパンを片っ端から食べただけなのにー?」

「ふむ、怒られて当然です」

「くぅ、世知辛いゼ!」


 このやり取りが空気を和ませるも、エウィンは二つの理由で違和感を拭えない。

 オーディエンとやり合えるほどの強者が、この世界にいること。

 そして、眼前の女性から放たれる圧迫感が、現在進行形で高まっていること。


「ところで、このプレッシャーって戦技か何かですか?」


 問わずにはいられない。

 殺気のような刺々しい何かが、エルディアから漏れ出ている。

 これから戦うのだから至極当然なのかもしれないが、そうであろうと仰け反りたくなるほどの息苦しさはただただ不気味だ。

 伏せる理由もないことから、答え合わせはあっさりと済まされる。


「ふっふっふー、これが魔眼の第二形態。エウィン君のキラキラパワーみたいに、私もスーパーパワーアップが可能なのだ!」


 大きな胸を隠すように、スチールアーマーを装着し終えたエルディア。説明しながらも胸を張る姿は、自信の表れだ。

 そうであろうと、エウィンは後ずさったりはしない。


「あぁ、そんなこと前にも言ってましたね。なんか、ジレット監視哨の時よりも鬼気迫ると言うか……」

「お、わかる? あの時は力を解放しきれなかったからねー。だけど、今回はきわきわを攻めさせてもらうよー。ちなみに、第二形態の名前は、あめのおきて。って、これも前説明したか」


 魔眼はただの瞳ではない。

 これを宿す女性を魔女と呼ぶのだが、その中には戦技とも魔法とも異なる能力を宿す者がいる。

 魔源を消耗しないばかりか、見るだけで固有な現象を引き起こせるこれこそが魔眼の第一形態。

 その次の段階こそが第二形態なのだが、過去を振り返っても該当者があまりに少ないため、魔女であってもこれを知る者は極少数だ。

 エルディアとその母親は第二形態に至った。

 親子ゆえの必然なのか?

 奇跡のような確率がもたらした偶然なのか?

 どちらにせよ、エルディアはその力を発動させている。

 実はまだ使いこなせてはいないため、能力の行使には長い準備が必要だ。

 そのためにエウィンとの問答で時間を稼いでいたのだが、空気が震え始めた以上、もはや隠すことなど出来ない。

 少年はこのタイミングで、先ほどの悪手を悔いる。


「もしかして、リードアクターを使えない僕ってなかなかにピンチなのでは?」

「どうかなー。あ、もうちょっとだけ待っててね。ほんと、後ちょっとだから……」


 まっさらな状態での殴り合いならば、エウィンが勝つのだろう。

 魔女との乱戦にて、この傭兵が最も活躍したことからも明らかだ。

 しかし、その時のエルディアは本当の実力を出し切れてはいない。

 あめのおきてと呼ばれる第二形態は、湯を沸かすようにそのための準備が必要だからだ。途中で切り上げた場合、水がぬるいように、力の発現は中途半端に終わってしまう。


「なんか、顔色悪くないですか?」


 引きつりながらも、エウィンは問いかける。

 事実、彼女の顔面は血の気が引いたように青い。

 茶色い髪を揺らしながら。

 オレンジ色のロングスカートをたなびかせながら。

 エルディアは平然と言ってのける。


「むっふっふー、もういいかな。お待たせー。理由はさっぱりなんだけどさ、第二形態を目一杯発動させると、肌の色がちょい変わるんだよねー。ほら、顔だけじゃなくて手とかも。これって薄紫色でいいのかな? 肌色と大差ないような気もするけど、お母さんも変わってたし、そういうもんなんだろうねー」


 何はともあれ、準備完了だ。

 その雰囲気は、別人のようにひりついている。

 本来は和やかな大人の女性なのだが、今は殺意と色気を混ぜ合わせて大地に立っている。

 肌が薄紫色へ変色していることも、インパクトが大きい。

 髪の色も、着ている服も同様なのだが、普段のエルディアでないことは明白だ。

 今からこの人物と戦う以上、エウィンとしても気が気でない。


「そ、その力があれば、この前の魔女さんを一人で片付けられたんじゃ?」

「んー、わかんないなー。守りながらの戦闘だったし、君がパパパっと何人か倒してくれたからこそって気もするし。さてと、それじゃ……、始めよっか」


 おしゃべりはここまでだ。

 そう主張するように、エルディアが闘志を燃やす。リードアクターのようなオーラをまもっているわけではないのだが、空間が歪むほどの重圧が体から漏れ出ている。勘違いだと思いたくとも、そのように見えてしまうのだから、この事実を受け入れるしかない。

 嬉しそうに白い歯を見せる魔女とは対照的に、傭兵は言葉に詰まってしまう。

 模擬戦を拒むつもりなどない。そのために彼女と向き合っているのだから、やる気だけは健在だ。

 それでもなお、怯んでしまった理由は殺気に飲み込まれたためか。

 もしくは、本能が察しているのかもしれない。

 魔眼の第二形態。これが飾りではないと、肌で感じてしまった。

 一先ずは、返答だ。

 もしくは、首を縦に振るだけでも良い。

 どちらを選ぶかはエウィンに委ねられているのだが、その思考は無駄に終わる。


「先手必勝!」

「くっ⁉」


 エルディアが獣のように飛び掛かる。

 模擬戦の二試合目が始まった瞬間だ。

 今回も両者は素手で競う。エウィンの武器が折れたブロンズダガーゆえ、エルディアのスチールクレイモアと釣り合わないためだ。

 そうであろうと、気は抜けない。

 迫る拳骨を避けられなければ、意識が刈り取られることは明白だ。

 鬼気迫る打撃を、エウィンは紙一重ながらも仰け反って避けてみせる。


「やるぅ!」

「だけど!」


 何も殴れなかった結果、エルディアは勢いそのままに対戦相手を追い越してしまう。

 それでもなお、主導権は彼女が握る。

 減速と共に反転すると、二つの魔眼は獲物に釘付けだ。

 一方、エウィンは自身の劣勢を認めている。既に体を起こし終えたものの、敵は背後ゆえ、視認すら出来ていない。

 次の一手は何だ?

 予想は可能だが、仮に正解したところで反応出来るか否かは別問題だ。

 当然のように、エルディアが追撃を開始する。


(もらった!)


 彼女が選んだ必殺の一撃は、右足を振り抜く回し蹴り。

 振り向かれるよりも前に距離を詰め、その過程で既に体勢を崩す。倒れるためではない。スカートを履いていることさえ気にも留めず、少年の背中を眺めながらその右わき腹を蹴り飛ばすためだ。

 当たれば軽傷では済まない。

 そして、避けられるはずもない。

 そう確信しながら歯を食いしばるも、エルディアはこのタイミングで思い知る。


「ぐ、まだまだぁ!」

「嘘ぉ、受け止めた⁉」


 エウィンは見ていない。顔だけを動かすことさえ間に合わなかったのだから、死角からの奇襲に対する対処など不可能だ。

 そのような常識が通用しないことを、今まさに証明した。

 右腕を盾のように配置し、エルディアの太い足を受け止める。その衝撃をいなしきることは出来なかったため、押されるように立ち位置をずらされたが、戦闘の継続には支障がない。


(久しぶりの直感に助けられた!)

(後ろにも目が? と言うか……)


 予想を上回る頑丈さだ。

 右腕でせき止めようと、蹴られたことに変わりない。

 にも関わらず、エウィンは痛がる素振りを見せないばかりか、仕切り直すために跳ねながらも振り返る。

 この傭兵が反応出来た理由は、未来予知のおかげだ。自身が攻撃に晒された場合、全てではないにしろ、事前に察知出来てしまう。

 今回の場合、見ていないにも関わらず、回し蹴りの到達を看破してみせた。

 そのおかげで防御が間に合ったのだから、ここからは反撃に転じたい。


「今度は……!」


 エウィンの順番だ。

 地を這うように急接近。勢いそのままに地面を蹴り上げれば、後は魔女の顔に握り拳を打ち込む。

 そのはずなのだが、このタイミングで少年は気づかされる。


(う⁉)


 右腕が痛む。

 動かせないほどではない。事実、今まさに殴り終わる。

 しかし、その鈍痛は如何ともしがたい。

 ぼやけた感覚が蝕むようにじわりじわりと広がっており、この事実が一連の動作をわずかながらも鈍らせてしまう。

 ゆえに、この結果は必然だ。


「おっとー」

「こ、こうもあっさりと……」


 迫る拳を、エルディアは左手だけで受け止めた。

 余裕ぶりたいわけではないのだが、彼女は眉一つ動かさない。そればかりか笑みさえ浮かべており、もちろん対戦相手を見下しているわけではなく、この攻防を楽しんでいるためだ。

 一方、エウィンは怯まずにはいられない。


(侮れないぞ、魔眼の第二形態……)


 模擬戦は始まったばかりだ。

 両者の優劣を決めるには情報が足りていないが、少年は気合を入れ直す。

 勝利にこだわる必要はないのだろうが、大人しく負けるつもりもない。

 だからこそ、掴まれた右手を引っ込めながら、軽快なステップで後退する。


「あめのおきて、でしたっけ? すごそうですね」

「まぁねー。んじゃ、ここからは力比べといこうか」


 返答など待たない。そうしたいと望んだ以上、彼女は肉食動物のように飛びかかる。

 彼らの背丈を比べた場合、エルディアの方が顔半分程度は大きい。

 つまりは離れているようで近いのだが、取っ組み合いは彼女の圧勝だ。


「うぐぐ、なんてパワー⁉」

「そう! パワーこそパワー!」

「い、意味がわかりません!」


 筋力が互角ならば、少年の右手が魔女の左手を受け止め、魔女の右手が少年の左手を掴んでジリジリと押し合うはずだった。

 しかし、現実は異なる。

 エルディアがボブカットを垂らしながら覆い被さっている。

 力比べでエウィンが押し負けた結果だ。

 その光景が、観客のアゲハを心底驚かせる。


(エウィンさんが、押し負けるなんて……。魔法の岩すら、投げ飛ばせるのに……)


 草原で一人ポツンと佇みながら、震えずにはいられない。

 無意識の贔屓は必然だ。エウィンに依存しているということもあるが、過去の実績がそうさせる。

 魔法の岩とはグラットンであり、上位の攻撃魔法に準ずるそれは上空に多数の大岩を生成するばかりか、隕石のようにそれらを降らす。

 その大きさは詠唱者の魔力に左右されるも、アゲハが体験したグラットンは小石ではなかった。

 平均的な家屋を潰せるほどの大岩だった上、彼女はそれに潰されかけた。

 それでも生きながらえた理由は、エウィンが受け止めてくれたばかりか、最終的には放り投げたからだ。

 その重量が軽くないことをアゲハは知識として知っている。

 一トンどころでは済まないだろう。少なくとも、自家用車など比較にならない。

 それを持ち上げるばかりか投げ飛ばせるのだから、傭兵がただの人間でないことは明白だ。

 もしくはエウィンが特別なのか。

 どちらにせよ、この少年は人間離れした腕力を秘めている。

 そのはずなのだが、この模擬戦においては劣勢だ。

 エルディア・リンゼー。少なくとも彼女の方が腕力では勝っているらしい。


「なかなかやるじゃん」

「そ、そう言われてもー!」


 押し倒されまいと抵抗を試みるエウィンだが、両腕だけでなく全身を奮い立たせてもなお対戦相手を跳ね除けられない。

 このままでは背中と地面がくっついてしまう。

 押し合いに負けたところで手合わせが終わるわけではないのだが、その積み重ねが勝敗に行き着くと理解している以上、この攻防においても抗ってみせる。


(侮ってなんかなかったけど! でも!)


 諦めるにはまだ早い。

 そう自分に言い聞かせながら、エウィンは奇襲に打って出る。

 まるで押し負けたように両腕を引っ込めるも、当然ながらわざとだ。

 もはや押し倒される寸前。エルディアの整った顔が目の前まで近づいており、この少年に残された選択肢はせいぜい二つか。

 降参とつぶやくか、唇を尖らせて接吻を試みるか。

 もちろん、そのどちらでもない。


「だぁ!」

「イダッ⁉」


 エウィンが試みた反撃は頭突きだ。咆哮と共に頭部を突き出すと、両者の額がゴツンと激突した。

 両者共に痛いはずだ。

 そうであると裏付けるように、彼らは酔っ払いのようによろめく。


「はぁ、はぁ、危なかった……」

「うぐぐぐぐ。や、やるぅ」


 窮地を脱したものの、エウィンに余裕などない。

 時間をかけてあめのおきてを発動させた彼女は、紛れもない強者だ。残念ながら、力比べでの一点においては劣勢だと見せつけられた。

 しかし、わかったこともある。


「痛がってはくれる、と。まぁ、僕もめちゃくちゃズキズキしてて、いっそ泣いてしまいたい」


 直立不動は単なるやせ我慢だ。そうであろうと、この傭兵は二本の足でしっかりと立てている。額がわずかに赤く染まるも、出血ではないため戦闘に支障はない。

 対するエルディアだが、おでこを押さえながらゆっくりと息を吐く。


「ふぅ、涙が出るかと思った。でもね、私のはもう枯れちゃってるから……。やっぱり君は強いよ、予想以上かも? うん、だからこそ、楽しい。あ、もっと目一杯やっちゃうけど、壊れないでね」


 戯言ではない。

 強がりでもない。

 エルディアは魔眼の力を可能な限り引き出すも、全力か否かは別問題だ。

 そうであると裏付けるように、彼女の闘志がさらに高まる。

 揺れる髪。

 踊るロングスカート。

 周囲の雑草さえも巻き込みながら、魔女が気合を入れ直したタイミングで雑談は終了だ。


(来る⁉)

「いくゼ」


 以心伝心か否かは当人達にもわからない。

 それでも、エウィンは己の危機を察知し、エルディアは有無を言わさず飛びかかる。

 戦闘再開の一手は、地面を穿つような打撃が選ばれた。空中で腰を捻り、助走をつけて右腕を振り抜けば、そこが無人であろうと殴るしかない。

 エウィンは既に後方への避難を終えているのだが、その光景が反撃の好機を失念させる。

 魔女の腕が雑草ごと地面を殴った結果、地雷が爆ぜたように小さなクレーターが出来上がった。

 単なる腕力がそれを成したのだから、少年としても驚きを隠せない。


(あ、当たらなければ!)


 活路は見いだせるはずだ。

 裏を返すと、直撃だけは避けたい。

 蹴られた右腕は未だに痺れたまま。

 打撃の危険性も今まさに披露された。

 エルディア自身がもはや凶器であり、両手剣を手放してもなお危険なことに変わりない。

 その認識自体は正しいのだが、慌てふためかずにいられる理由は、これは模擬戦だからか。

 つまりは、殺される心配はない。

 ましてや、負傷したところでアゲハに治してもらえる。

 これらが安心感につながっていることは間違いないはずだ。

 実は、もう一つ存在している。


「身のこなし、伊達じゃないね!」

「どうも!」


 リードアクターに頼らずとも、食い下がれているという事実。

 エルディアが想像以上に手ごわいことは疑いようがない。

 それでも、戦局はどちらにも傾いておらず、ゆえに互角と判断したいところだが、それもまた早計だ。

 飛び散った草や土をかき分けるように、魔女が鼻息荒く駆け出す。自慢の打撃が避けられた以上、追撃は必然だ。

 しかし、次の瞬間に思い知る。相手は案山子ではないのだから、一方的に殴ることなど不可能だと。


「あ」


 驚いた時にはもう遅い。

 距離を詰めたいと考えたのは、彼女だけではなかった。

 エウィンもまた音もなく走り出しており、無防備なその顔めがけて右腕を振り抜けば、魔女は悲鳴と共に吹き飛ぶしかない。


「ぎゃー!」

「本当にぎゃーなんて言う人、初めて見たな……」


 前進するエネルギーを上乗せした、シンプルな右ストレート。

 しかし、移動速度は放たれた矢のように素早く、腕の力も並大抵ではない。

 本来ならば、絶命だ。頭部が砕けたとしても不思議ではない。

 そのはずなのだが、エルディアの顔は原型を留めている。左頬を容赦なく殴られてもなお、口内を切ったことによる出血と鼻血だけで済んでしまう。

 つまりは軽傷だ。遠方で倒れ込んだまま悶えてはいるのだが、命に別状はない。


「イタタ……。や、やるじゃん。死ぬかと思ったゼ。やっぱり君って、壁を越えてそうだね」


 そうぼやきながら、魔女がゆっくりと起き上がる。オレンジ色のスカートに緑色と茶色の染みが出来上がるも、気にする素振りは見せない。それよりも今は、この手合わせに没頭したい。

 一方、少年は聞き間違いを疑うように問いかける。


「かべ?」

「あー、うん、気にしないで。あんまり意味のない話だしね」

「そうなんですか。それよりも、鼻血出てますよ」


 殴った張本人が指摘する、不思議な構図の出来上がりだ。

 エウィンは右足に自重を傾けながら、歩みを進める対戦相手に事実を伝える。


「うお、ほんとだ。鼻血なんていつ以来かなー。口の中も鉄の味だし、エウィン君って本当に強いよねー。まぁ、でも、おねえさんも負けないぞ、っと」


 虚勢ではない。

 肌着も兼ねたタイトスリーブの襟元を引っ張り、鼻の下を拭くと、エルディアは瞳をらんらんと輝かせながら歩みを進める。

 つまりは、模擬戦を終わらせない。彼女を怯ませることは出来たが、闘争心を鎮めるには至らなかった。


「魔眼の第二形態って、どのくらい効果がもつんですか?」


 知りたい情報だ。

 エウィンのリードアクターはせいぜいが十秒前後。非常に限られた時間だが、その効果は絶大ゆえ、オーディエン以外は打ち倒せてきた。

 短さ以外の問題点を挙げるならば、繰り返し発動出来ないこともその一つか。こういった特性も、魔法や戦技とは異なると言えよう。


「んー? 気合入れれば一時間とか維持出来るよー。さすがに疲れるけど……」

「う、すごい……」


 この返答が、エウィンの希望的観測を打ち砕く。

 強くなったエルディアは、以降も手ごわいままらしい。弱音を吐くつもりはなくとも、この事実にはうなだれてしまう。

 同時に、羨ましくもある。オーディエン討伐のためには、彼女のように長時間の身体強化が必須だと自覚しているためだ。


(もしくは繰り返し使えれば……。どっちでもいいんだけど、どっちかは実現しないとな)


 アゲハを地球へ帰還させる術は、まだ見つかっていない。

 だからこそ、オーディエンだけが手がかりだ。

 正しくは、その口車に乗るしかない。

 ワタシを殺せたラ、ソのあかつきには異世界に招待しよウ。

 真偽は不明ながらも、炎の魔物はそう言ってのけた。

 異世界を認識しており、往来さえ可能な存在。そのような何かとオーディエンは顔見知りらしい。

 にわかには信じ難いが、疑いながらも鍛錬に励む。

 なぜなら、オーディエンは直後にこのようなことを口走った。

 近い将来、王国は滅びル。ナぜなら、アルジが目覚めるからネ。

 何もかもが不明だ。

 近い将来がいつなのか?

 主とは何者なのか?

 わからないが、備えろとオーディエンが忠告した以上、エウィンはアゲハと共に強くなるしかない。


(僕に教養や人脈があれば、もっとスマートな方法でアゲハさんを帰してあげられたのかな? 実際はただの浮浪者だし、命をかけて戦うしかないけど……)


 覚悟は出来ている。

 道半ばで力尽きても構わない。

 アゲハはそれほどの恩人だ。彼女と出会えなければ、昨日も今日も明日も、マリアーヌ段丘で草原ウサギを追いかけていた。

 それしか出来ない傭兵だったのだから、変われたことが何よりも幸せだ。

 もっとも、現状には疑問を抱かずにはいられない。

 なぜ、こうも強くなれたのか?

 実は、自分のことながらもわかってはいない。

 アゲハが何かをしたことは間違いないのだが、彼女もまた、無自覚だったのか解答を持ち合わせていない。

 きっかけはゴブリンだ。

 これと遭遇し、クロスボウの矢に射られたことで、エウィンは死を覚悟した。

 錯乱しながらも、後悔だけはなかった。

 なぜなら、アゲハだけは逃がすという気概で、死にかけながらも彼女を庇うつもりだった。

 その思惑は失敗に終わる。

 アゲハは逃げないばかりか、エウィンに寄り添ってしまう。

 光流暦千十八年、四月。

 その日、当然のように奇跡が発現した。

 当然だ。神々に見守られていたのだから、そうならない方がおかしい。

 月日は流れ、今は七月。

 そう、まだ三か月しか経過していない。

 ここもまた、マリアーヌ段丘。

 エウィンの相手は草原ウサギではなく、鼻息荒い魔女。敵ではないのだが、この戦いを負けたくないと思ってしまう理由は、負けん気だけではないだろう。


「が、がんばってー」


 小さな声が、そよ風のように草原を撫でる。

 模擬戦、その二試合目はここからが本番だ。

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