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第四十六話 新たな目的地はミファレト荒野

 神は再現するため。

 神はその願いを叶えるため。

 始まりはたったこれだけのことだった。

 神は扉を開く。

 神はその維持に努める。

 そこには無限のエネルギーが充満しており、だからこそ、思い描いたように器は完成した。

 神は戦技を作った。

 神は魔法を作った。

 世界の理が整うも、不足分を補うためにはもう一手が必要だ。

 神は精霊を呼び出した。

 神はその精霊を進化させた。

 神秘の発動条件は、こうして達成された。

 神は生き物を配置する。

 神は病を降らす。

 多種多様な生命で、大地と海が賑わいだした瞬間だ。

 世界創造はこうして成された。

 世界の名はウルフィエナ。人間と魔物が殺し合う、地獄のような理想郷。



 ◆



 少年はうどんをズズズとすすって食す。

 音を立てながらの食事は、価値観によっては下品なのだろう。

 しかし、ここには咎める者などいない。周囲はそれ以上に騒がしいのだから、賑わいを彩るつもりで朝食を楽しめば良い。


(具がなくてもこんなに美味しくて、しかもたかだか三百イール。贅沢言っちゃうともう少しだけ量が欲しいけど、そこは我慢。追加注文の余裕なんてないし……)


 真っ白な太麺が黄金色の汁に浸っており、それを箸で持ち上げ口元に運ぶ。

 そして、吸い込み咀嚼する。

 その繰り返しだ。

 火傷しそうな熱さにも慣れた頃合いに、少年はフゥと息を吐く。

 短くも長くもない髪は若葉色。

 長袖のトップスも同色だ。

 黒いズボンはあちこちがダメージ加工のように破けているも、傭兵ゆえに当然か。

 十八歳よりは若く見える顔立ちながらも、その人生は壮絶と言う他ない。

 エウィン・ナービス。うどんの弾力を味わうも、このタイミングで箸を休める。


「そのスパゲティ、美味しそうですね」


 独り言ではない。眼前の女性に話しかけた。

 小さなテーブルを挟んで、向こう側に座る黒髪の日本人。長い髪を器用にあしらいながら、静かに食す姿は美麗と言う他ない。ここが荒者達で溢れかえる場所ゆえ、その佇まいは一層際立つ。


「うん。トマトソースと、貝やエビが喧嘩してなくて、すっかりリピーターに、なっちゃった」


 その黒髪は先端だけが光るように青い。

 怯えるような表情ながらも、そう思わせる理由は猫背のせいか。

 着ている服はワンピースのようでそうではない。茶色のチュニックであり、同時にれっきとした防具だ。素っ気ないデザインながらも、彼女がまとえばその妖艶さが男達の視線を集める。

 その胸はありえないほどに大きい。ダボっとした生地は持ち上げられており、さながら胸部に大きな果実を二つ、隠しているようだ。

 ましてや備え付けのベルトを巻くことで、体のラインを強調している。

 真っ黒なズボンはその内側にスリットがあり、歩く度にチラチラと肌色が露出するも、今は座っているため関係ない。

 坂口あげは。二十三歳の転生者。漁師風パスタとも呼ばれるそれはペスカトーレであり、炒めた魚介類をトマトソースであえている。


「それ、食べたことないんですよねー。スパゲティに貝~? って変な先入観があって……」

「美味しいよ。ひとくち、食べる?」

「えっ⁉」


 エウィンが怯んだ理由はシンプルだ。

 彼女がフォークをくるくる回すと、ソースまみれの麺が手繰り寄せられる。それを口元に運ばないということは、行先は少年の返答次第だ。


(か、間接キス⁉ キスすらしたことないのに⁉)


 その二つに順番などないのだが、エウィンは錯乱気味ゆえ、仕方ない。

 そうであろうと判断は迅速だ。悟られないよう気取りながら、眼下のどんぶりに左手を添える。


「僕はうどん一筋なので。ずずず」

「エウィンさん、うどん、好きだよね」

「そんなつもりはないんですけど、ついつい選んじゃいます」


 所持金と価格の影響だ。

 ここはギルド会館。傭兵達が仕事を求めて集う巨大施設。

 しかし、その半分は食事処として機能しており、二人の周辺にはテーブルと椅子が規則正しく並んでいる。

 エウィン達以外にも多数の男女が食事中だ。彼らは全員が傭兵であり、金属や革製の鎧を着こむ者、素っ気ないローブをまとう者が散見されることから、ここを仮装会場と見間違ったとしても不思議ではない。


(本当は、僕もラーメンとかスパゲティとかも食べてみたいけど……)


 エウィンが頻繁に素うどんを食べる理由は二つ。

 外食でありながら、その提供価格はたったの三百イール。おにぎり三個分ゆえ、具なしであろうとお手頃だ。

 そして、これだけで腹がそこそこ満たされてくれる。汁を飲み干せば、喉も十分潤ってくれる。


「この前食べた、お肉たっぷりの、汁なしうどん、すごく美味しかったよね」

「粗挽き羊肉の汁なし月見うどん」

「そ、そうそう。粗挽き、えっと……」

「粗挽き羊肉の汁なし月見うどん。食べる前は卵が邪魔なんじゃって勘ぐってましたが、まさかまさかって感じでしたね。でも、卵無しこそが王道な気もしますし、悩ましい限りです」


 エウィンが熱弁するほどには、お気に入りのうどんだ。

 汁なしうどんの上に大量の肉が乗っかっているだけなのだが、その味は格別であり、この傭兵は当然のように魅了されてしまった。

 しかし、残念ながら贅沢品だ。

 その金額は六百イール。素うどん二杯分という強気な価格だ。生卵を添えるとさらに五十イール上乗せされることから、貧困にあえぐ者にとっては早々に食せない。


「わたしには、ちょっと、重たかったかな。あ、だけど、すごく美味しかった」

「お肉で蓋をして、その上に粗挽き肉がどばっと乗ってますからね。完全に暴力ですよ、お肉の」


 アゲハが圧倒されるほどには、うどんらしからぬうどんだった。

 肉をかきわけると断層のように新たな肉が現れるのだから、傭兵にうってつけの料理と言えよう。

 周囲の大人達も食事と会話を楽しむ中、アゲハはこの話題を展開させる。


「エウィンさんって、麺類だと、何が一番、好き?」

「ん~、粗挽き羊肉の汁なしうどんって言いたいところですが、麺類っていう枠組みだと……、こってり系のラーメンなのかな~。ちなみに、僕はどちらかと言うとお米派です」

「うん、知ってるよ。焼きおにぎり、大好きだもんね」

「はい。チャーハンも。あ、でも、チャーハンはさっぱり系が好みかも?」


 他愛ないやり取りだ。

 この二人は夫婦でもなければ恋人ですらないのだが、醸し出される空間には何人であろうと入り込めない。

 残念ながら、このタイミングで例外が現れた。近づく足音がその正体であり、通い慣れた場所ゆえ、彼女の足取りは軽快だ。


「いきましょー」


 能天気かつ、裏表のない笑顔に偽りはない。

 その髪型はボブカット。顔の輪郭をなぞるように茶髪がカーブしている。

 傭兵らしく、胸部をスチールアーマーで保護しており、両腕に関しても鋼鉄の腕甲を装着済みだ。

 鎧の下は、全身タイツのような黒いタイトロングスリーブ。

 下半身はオレンジ色のロングスカートで守っているのだが、こちらに関しては防具ですらない。

 巨大な両手剣を背負っており、その重量は大人でさえ運搬を諦める。

 それを飄々と持ち運んでいるのだから、彼女の実力は本物だ。


「あ、エルディアさん。おはようございます」


 この状況は初めてではないため、エウィンは平然と反応してみせる。

 彼女の名前はエルディア・リンゼー。その両目は魔眼と呼ばれる特異体質であり、俗に言う黒目の内側、その外周付近をなぞるように赤色の線で描かれた円が存在している。

 気さくな人柄は彼女の性格そのものだ。

 だからこそ、魔女を束ねる立場にあっても重圧に潰れることなく責務を全う出来ている。

 一年と少し前までは、遠く離れた地で同胞達共々ひっそりと隠れ住んでいた。魔女はそれだけで排除の対象だからだ。

 しかし、半数が七人の襲撃者によって殺され、集落も完膚なきまでに破壊された。

 今は王国に移住しており、エルディアが魔女達の代表として王国との間に立っている。


「今日はどこ行くのー? お姉さんも、ま・ぜ・て」

「昨日も言いましたけど、二十五歳ってお姉さんなんですか?」


 訪問客が不敵な笑みを浮かべる一方、エウィンは眉をひそめてしまう。

 同時に、ズズズとうどんをすするも、失言を罰するように不幸が訪れる。


「まーたまたー。どう見てもピチピチじゃーん」

「ぶふっ⁉」


 悪意はなかったのだが、エルディアはエウィンの背中をバンバンと叩く。意味合いとしてはツッコミでしかないのだが、タイミングが悪かった。

 その衝撃が少年をむせさせ、その結果、うどんが一本、鼻の穴から飛び出してしまう。


「あ、ごめんごめ……。え、すごい。どうやったの、それ?」


 悪意がないからこその発言だ。

 エルディアは魔眼を見開きながら、被害者の顔を凝視する。

 この状況はエウィンにとってただただつまらない。鼻腔の異物感も不快でしかないため、屈辱的ながらも鼻からうどんをすする。


「この恨み、いつか晴らしますからね。ん? アゲハさん、どうかしました?」


 復讐を誓うと同時だった。

 エウィンは対面のアゲハが俯きながら震えていることに気づく。

 皿にはペスカトーレが半分近くも残っており、少なくとも満腹ではないはずだ。

 突発的な腹痛を疑いながら声をかけるも、心配は杞憂に終わる。


「は、鼻から、うどん……。鼻から……」


 小刻みに震えている理由は、笑いを堪えているためだ。

 そうであると気づけた以上、エウィンは安堵しながらも驚きを隠せない。


(アゲハさんが爆笑してる? こ、こんなことで? もしかして、ここまで喜んでもらえたのってこれが初めて……かも)


 ギルド会館特有の喧騒に包まれながら、少年は一瞬の思案と共に答えを導き出す。

 もっとも、その認識は誤りだ。

 アゲハはエウィンと同じ時間を過ごせるだけで、大いに救われている。

 さらには、言葉には出さないだけで日常を楽しめており、もちろんその感情の源泉はこの少年が隣にいてくれるからだ。

 残念ながら、そこまでの洞察は難しい。

 ゆえに、エウィンはくみ取れた範疇で持論を述べる。


「楽しんでもらえたようでなによりです。あ、リクエストにお答えして、もう一回出しましょうか? なんちゃって」


 もちろん冗談だ。二度目は無いと考えている。

 しかし、エルディアには通じない。


「お、だったら背中叩いてあげるよー」

「え? 何でエルディアさんがやる気満々なんですか?」

「いいからいいからー」

「いやいや。何がいいのかわかりませんし、鼻からうどんなんて再現出来ませんって」


 意味不明な方向へ話が進むため、エウィンとしては軌道修正を試みたい。

 それを無意識に阻むのがこの魔女だ。ケラケラと笑いながら、子供のようにそそのかす。


「もう一回、やっちゃおうゼ」

「凛々しい顔で言われても……。あんなん、偶然と人体の神秘が織りなした奇跡であって……」


 そう言いながら、エウィンは渋々うどんをすする。

 最低限の粗食をえて飲み込むも、そのチャンスをエルディアは見逃さなかった。

 促すように、少年の背中を平手でババンと叩く。

 先ほどはこの衝撃によって一発芸のような状況が作り出されたのだが、エウィンは鼻で笑うように言ってのける。


「ほら、何も起きないでしょ?」


 勝ち誇った表情だ。

 事実、何かに勝ったのだろう。

 対照的に、エルディアは言葉を震わせながら状況を伝える。


「いや、また出てるよ? しかも、今度は逆の穴から」

「え⁉」

「ブフっ!」


 食べ物で遊んでいるのだから、これはさすがにマナー違反だ。

 しかし、エウィンにとっては事故でしかないのだから、許されるのかもしれない。

 少なくとも、アゲハの貴重な笑顔が見れたのだから、そう思いたくなる気持ちは偽善ではないのだろう。


(僕がこんな目に合うだけで笑ってもらえるのなら、嫌な気分じゃないな)


 そう思いながら、鼻でうどんを飲み込む。

 この行為もまた、女性陣を一層楽しませた。

 騒がしいギルド会館の中で、彼らは負けじと笑う。

 大人であろうと、時には子供のようにはしゃぎたい。

 傭兵ならば、なおのことだ。

 二人から三人に増えた朝食は、慌ただしくもあっさりと終わる。

 ゆえにここからは新たな局面だ。

 傭兵として一日の過ごし方を、正しくは金の稼ぎ方を議論せねばならない。


「僕としては、昨日に引き続き手頃な依頼を。金欠ゆえに……」


 堅実な意見だ。

 掲示板には多数の羊皮紙が張り出されており、その一枚一枚には依頼者の要望が記載されている。

 一般的に、難易度と報酬は比例関係にあるのだが、どう難しいかはそれこそ千差万別だ。

 狩ろうとしている魔物が手ごわいのか。

 僻地に生息しているため、移動に時間がかかるのか。

 そもそも見つけにくい獲物なのか。

 エウィンとしては、大金狙いは避けたいと考えている。

 なぜなら、先ずはこじんまりとした金額しか稼げずとも、確実に手持ちを増やしたい。

 そうしなければ、アゲハが宿屋から放り出されてしまう。

 彼女がこの世界に転生した直後、当然のように貧困街の廃墟にて野宿のような生活を強いてしまった。

 その結果、体調を崩したばかりか入院が必要となったことから、清潔かつ暖かなベッドは必須だと考えを改める。

 つまりは、資金が尽きるまでに宿代だけは確保し続けたい。そう思う以上、ギャンブルじみた依頼は除外する。


「特異個体狩りとか、どうよ?」


 対照的に、エルディアはマイペースだ。

 あるいは、自身の欲望に忠実なだけか。

 空席から拝借した椅子に腰かけながら、注文したてのオレンジジュースをゆらゆらと揺らす。


「確かに報酬は美味しいですよ。でも、どうせ遠方ですし、探すのも大変だからなぁ」

「エウィン君の天技なら簡単に見つけられるかもじゃん」

「まぁ、そうなんですけど。いや、断言は出来ませんが……」


 特異個体。ギルド会館がその首に賞金をかけるほどには強敵と認定した魔物だ。

 爪や牙が大きく発達したもの。

 皮や体毛が変色したもの。

 巨大化したもの。

 このように見た目が異なるだけなら問題ない。

 実際には、周囲の個体よりも遥かに手ごわく、凶暴だ。

 むしろ、容姿が異なるのなら、傭兵としてはありがたい。外見から判別可能だからだ。

 危険ではあるが、討伐時の見返りも大きい。

 特異個体狩りはそういう部類の挑戦であり、エルディアは鼻息荒く言ってのける。


「やっちゃおうゼ」

「そのやる気はいったいどこから……。まぁ、選択肢の一つとしてはありかもですけど。なんか良さげな特異個体とか張られてたんですか?」

「知らん」

「そうですか。後でついでにチェックしましょう。アゲハさんは何かありますか?」


 テーブルを囲んでいるのは二人だけではない。

 エウィンの対面にはアゲハが縮こまるように座っている。エルディアの登場が彼女を萎縮させてしまった。

 もっとも、この状況は今日だけではない。

 ここ数日続いており、未だに適応出来ない理由はアゲハが極度の人間不信だからか。


「あ、その、ミファレト荒野を、視野に入れて、そっち方面を、開拓するとか……」

「お、いいですねー。お金を稼ぎながら見聞も広げる。まさに一石二鳥」


 二人は金欠のため、金を稼がなければならない。

 その一方で、次の目的は決定済みだ。

 エルディアはそのことを知らないため、当然のように食いつく。


「んー? ミファレト荒野がどしたのー?」

「準備が整い次第、行ってみようって話し合ったんです。あそこのミファレト亀裂を見てみたくて」


 エウィンは女性二人を見比べるように視線を動かす。

 眼前のアゲハ。

 自身の右隣に陣取ったエルディア。

 状況としては、二人用のスペースに三人が居合わせている。

 もっとも、周囲にはその何倍もの傭兵が着席しており、人だかりの一部でしかない。


「あー、あの亀裂かー。落っこちたことあるけど、全然浅いよ?」

「え? そうなんですか?」

「うん。そーだなー、あ、ここの天井くらい?」


 そう言いながら、エルディアは魔眼を上に向ける。

 ギルド会館は巨大な施設だ。

 だからこそ、何十もの傭兵が押し掛けたところで容易く受け入れられる。

 天井もそれ相応に高く、アゲハがコンサートホールや映画館を連想するほどには、広まった空間と言えよう。

 エウィンは釣られるように天井を仰ぐと、眉間にしわを寄せてしまう。


「いや、けっこうな高さじゃないですか。普通なら怪我しますよ、これ」

「えー、そうー?」

「なぜ語尾を上げるのか、小一時間問い詰めたいくらいです。まぁ、僕達ならへっちゃらでしょうけど……」


 十メートルはあるだろうか。

 つまりは三階建ての建物に相当しており、もしも飛び降りた場合、無傷では済まない。

 もっとも、傭兵ならば話は別だ。エウィンに至っては擦り傷すらもありえないだろう。


「ふむー、ミファレト荒野かー。ってことは、二人とも等級は二より上なの?」


 エルディアのこの発言が、少年の首を傾げさせる。

 なぜなら、意味がわからない。

 このタイミングで傭兵の等級について指摘されるとは思ってもおらず、ゆえに一瞬ながらも黙ってしまった。


「え? いえ、僕もアゲハさんもバリバリの一ですけど……」


 恥ずかしいカミングアウトだ。

 等級。傭兵制度における階級であり、試験に受かった者には等級一が与えられる。

 その後、八十個の依頼を達成したら、等級は二へ。

 さらに四百個で等級は三。

 一般的にはここが傭兵の終着点だ。

 なぜなら、等級四を目指す場合、過酷な試験に挑まなければならない。等級四を目指すメリットがないことから、傭兵の多くが等級三で停滞することを受け入れている。

 エウィンは未だに等級一のままだ。六歳という若さで傭兵試験に合格するも、以降は草原ウサギだけを狩って生計を立ててきた。

 アゲハに関しては至極当然だろう。

 ウルフィエナに転生してたかだか数か月。金を稼ぐために依頼をこなしたものの、その数は十にも満たない。


「あー、そっか。ミファレト荒野の手前にね、蛇の大穴って呼ばれる洞窟があるんだけど、そこって等級が二以上じゃないと通れないの。なんか、そういう結界が張られててねー。まぁ、ケイロー渓谷自体がけっこう危ないから、等級二ですら門前払いな感じは否めないけどさー」


 ケイロー渓谷は、ミファレト荒野の手前に位置する山間部だ。これらを繋ぐ巨大洞窟が蛇の大穴であり、エルディア曰く、通過には通行手形が求められる。

 説明を終えるや否や、彼女はオレンジジュースを口に含むも、対照的にエウィンは石像のように動けない。


「は、初耳です……」

「訊かないと教えてくれないしねー。私は等級三だから連れてってあげてもいいんだけど、例えば私が死んじゃったら帰れなくなっちゃうし、せっかくだから等級二になっといた方がいいと思うよ」


 エルディアほどの強者が、ミファレト荒野で命を落とすとは思えない。

 そこにも例外なく魔物が生息しているのだが、彼女ならば背中の両手剣を使わずとも圧勝だろう。

 一方で、その可能性を考慮するのなら、彼女の発言は至極まっとうだ。

 ましてや、エウィンとアゲハの二人で赴きたいのなら、昇級は必須事項と言える。


「等級二……。依頼何個で上がれるんでしたっけ?」

「八十だねー。あっという間よ、一日一個で八十日!」


 エルディアはあっけらかんと言ってのけるも、少年は釈然としない。

 先ほど飲み干したうどんの汁を反芻しながら、頭の中を整理し始める。


(アゲハさんと会って以降、少しくらいは依頼を達成したけど、それでも精々が二十とか三十くらい? 仮に残りが五十として、一日二個ペースでこなせたとしても、一か月くらいはかかる計算か。ふ~む、予想外の障害にぶつかったな~。まぁ、でも、このタイミングで知れて良かった……のか?)


 前向きに捉えるのなら、事実そうなのだろう。

 もしも知らずに出発していたら、途中で引き返すしかなかった。

 そういう意味では幸運であり、エウィンは胸を張るように息を吸うと、ゆっくりと吐き出す。


「しばらくは金策に励むつもりでしたし、少し先延ばしになっちゃいそうですが、今は等級上げも兼ねて依頼をがんばりますか。アゲハさん、そんな感じでどうでしょう?」


 問いかけてはいるが、これ以外はありえない。

 もちろん、エルディアを同行させるという選択肢もなくはないのだが、非現実的だ。

 彼女に頼む場合、当然ながら報酬を用意すべきだろう。それは一般的には金銭なのだが、金欠中の二人には困難極まる。


「あ、うん、それで、いいよ。お金、稼がないと、だしね」

「はい。ついでにアゲハさんの等級も二にしちゃいますか」

「わ、わたしは、別に……」

「いやはや、等級って上げておかないと不便なんですねー」


 傭兵でありながら知らなかった。

 エウィンは無知であることが罪だと改めて思い知るも、縮こまるアゲハをよそにエルディアが補足する。


「ぶっちゃけ、等級うんぬんで通れないのは蛇の大穴くらいよ。後はまぁ、依頼を受けられないみたいなことがあったりだけど、そういうのは難易度がめちゃくちゃ高いやつだしねー」

「あー、たまーに見かけますね。巨人族の討伐とか、期限がめっちゃ短かったり」

「そうそう。特異個体狩りですら制限なんてないし、本当に稀なんだけど。そもそもさー、傭兵やってれば自動的に三までは上がるからねー」


 エルディアの言う通りだ。

 傭兵は金を稼ぐために依頼をこなす。

 毎日かどうかはそれこそ人それぞれだが、生きていくためにもギルド会館に足を運び、掲示板の前で仕事を探さなければならない。

 その結果、ある日突然、等級は二へ。

 さらに数年が経過した頃合いが、等級三のタイミングだ。

 急ぐ者には抜け道が用意されているのだが、エウィンは自身の決断を貫くつもりでいる。


「三かぁ、当分先な気がしますねー」

「そりゃまぁ、合計で四百八十個だからねー。まぁ、エウィン君の実力は等級四どころか五相当なんだけど」

「等級五って何なんですか? 四は巨人族を一人で討伐ですよね?」


 等級三の傭兵が等級四を目指す場合、専用の試験を申し込む必要がある。

 それが、巨人族の単独撃破だ。

 倒したという実績があろうと、これは試験であり、改めて挑まなければならない。

 等級三の傭兵が四を目指さない理由は、主に三つ。

 一つ目が、メリットの無さだ。等級三の時点で不自由しないのだから、数字を上げたいという欲求が湧かない。

 二つ目が、討伐対象だ。

 巨人族と相まみえた際は三人で挑まなければならない。そう教わるほどには手ごわい魔物ゆえ、一人で立ち向かう者は愚か者かよっぽどの強者だ。

 三つ目が、かかる費用だろう。試験に申し込む際に、五十万イールを支払わなければならない。

 なぜなら、この試験には立会人として傭兵組合の職員が一人同行するのだが、それだけに留まらず、護衛のために軍人も雇う。五十万イールは人件費であり、決してぼったくっているわけではない。

 こういった背景から、傭兵の多くは等級三に留まるのだが、極稀にその数字を四に上げる変人が現れる。

 強さを誇示しているのかもしれない。

 目指せるから目指しただけなのかもしれない。

 どちらにせよ、その実力は本物だ。

 等級四にはそれだけの価値があり、本来ならばここが頭打ちだ。

 しかし、実際にはその上が存在している。


「等級五はねー、軍隊のピンチにささっと駆け付けて、みんなを助ける! みたいな」


 茶色い髪を揺らしながら、エルディアが演じるように言い放つ。残念ながら女優としては失格ながらも、その意味はきちんと伝わってくれる。


「へ~、なんか変な条件ですね。と言うか、狙ってどうこう出来るもんでもないような……」

「そだねー。まぁ、でも、君はやってのけたけど」


 ジレット監視哨で勃発した、第四先制部隊と魔女の殺し合い。

 結果は王国軍の一方的な敗北ながらも、エルディアの言う通り、エウィンが駆け付けたことで全滅だけは免れた。

 しかし、少年は同意しない。


「いや、結局は隊長さんだけしか救えませんでしたし。あぁ、後はエルディアさんとこの魔女さん三人。だから、これが試験だったら不合格です」

「どうかなー、私は合格だと思うけどねー。まぁ、等級四じゃない時点で条件満たしてないけどー」


 そう言い終えるや否や、エルディアはケラケラと笑い出す。

 エウィンもつられて笑うしかないのだが、このタイミングで妙案を思いつく。


「あ、等級五うんぬんは置いとくとして、赤い巨人族を倒したんだから、エルディアさんのコネで等級上げてもらえたり?」

「ん~、私、そこまで顔広くないからなー。あ、そうそう、思い出した。等級二に急いで上がりたい場合、お金かかるけど裏試験みたいなのがあるよ」

「へ~、それも初耳です。どんな内容なんですか?」

「確か、指定された魔物を倒すみたいな。私が知り合いを手伝った時は、ルルーブ森林のカニとスケルトンだったなー」


 懐かしい記憶なのだろう。

 エルディアの魔眼が食堂の壁を見つめるも、エウィンは補足を求めずにはいられない。


「ちなみに、お金はおいくらなんですか?」

「たーしーかー、十万イール?」

「はい、却下」


 現在の所持金は二万イールにも満たない。

 先の戦闘で衣服や靴を失ったばかりか、帰国後、金を全く稼げていないためだ。

 金欠中の浮浪者にとって、十万イールの捻出は不可能に近い。一般的な職業ならば半月程度の収入ながらも、傭兵はその枠組みに当てはまらない。

 そう遠くないタイミングで宿代の捻出すらも困難になる状況ゆえ、等級二への近道は諦めるしかなかった。


(地道に依頼をこなして、お金を稼ぎつつ等級二を目指そう)


 賢明な判断だ。急ぐ必要もないのだから、一石二鳥の手法は選択肢としては悪くない。

 不貞腐れたようにオレンジジュースを飲み干すエルディアを眺めながら、エウィンは一瞬だけ視線を真正面に向ける。


(アゲハさん、エルディアさんがいると本当にしゃべらないな。もともと無口な方だけど……。それでもこれは……)


 居心地が悪い。

 そう思ってしまうほどには、不思議な空気だ。

 アゲハは縮こまるように、口を開かない。

 実はそれだけに留まらず、エルディアと出会って以降、一度も会話が成立していない。話しかけられた時は当然ながら、挨拶にさえ怯んで恩人の背中に隠れてしまう。

 エルディアも事情を察しており、無理して声をかけるようなことはせず、こうしてエウィンにだけ話を振っている。

 重度の人間不信。

 本人も自覚しているのだが、治せないのだからこうなってしまう。

 時間をかける必要があるのか?

 荒治療でどうにかなるのか?

 エウィンにとっては、昇級よりも頭痛の種だ。

 だからこそ、その地を目指す。彼女が些細な理由であろうとそれを望んだ以上、その意志を疎かにするつもりなどない。

 新たな目的地はミファレト荒野。イダンリネア王国から遠く離れた、亀裂まみれの大地。

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