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第四十四話 真相は残酷に

 焦げ臭い異臭が、鼻腔を刺激する。

 匂いの発生源は、彼らの背後に積まれた巨大な瓦礫群だ。

 攻撃魔法のグラットンが軍事基地を倒壊させ、インフェルノが軍人ごと建物を焼き払った。

 その結果がこれだ。山のように建材が重なり合っており、その内側には多数の死者が埋もれている。

 第四先制部隊の最終的な生存者はたったの一名。隊長のマークだけが、魔女との死闘を生き抜けた。

 正しくは、救われた。

 その立役者が、よろめきながらも彼らの元へ歩み寄る。

 エウィン・ナービス。十八歳の若き傭兵。

 魔女の掃討に続き巨人達との三連戦を終えた今、この少年は疑いの余地がないほどに満身創痍だ。


「痛い。お腹も空いた」


 緑のカーディガンは破かれたように原型を留めておらず、黒い長ズボンもあちこちに穴が空いている。

 鼻血や吐血のせいで顔は汚れており、右腕は骨折ゆえに腫れあがったままだ。

 草色の髪を揺らしながら、エウィンはよろよろと歩く。

 巨人族が去った今、最優先事項はアゲハとの合流だ。

 彼女は日本人ゆえに魔法を使えないが、この世界に転生した際、神から特別な力を与えられた。

 触れるだけで傷を癒せる異能。

 つまりは回復魔法の類似品なのだが、出自が何であれ、骨折すらも治せてしまう。

 だからこそ、エウィンは重たい体を引きずるように歩く。空腹についてはいくらでも我慢出来るのだが、右腕の激痛は耐え難く、涙がこぼれるのも時間の問題か。

 その姿が、アゲハを突き動かす。もはや邪魔する者もいないため、長い黒髪をたなびかせながら恩人の元を目指す。


「エウィン、さん……!」

「お、折り紙で治して欲しいです~」

「う、うん、任せて」


 エウィンがリクエストした折り紙は、四角い紙ではない。アゲハの治癒能力を指しており、彼女自身が名付け親だ。

 寄り添う二人を、マーク達は静かに見守る。

 勝利を喜んではいるのだが、今は声を出せない。

 なぜなら、この結末は信じ難いからだ。

 エウィンが二体の巨人族を倒した。ここまでは理解出来る。

 問題は三戦目。ヘカトンケイレスに追い詰められるも、この傭兵は魔法とも戦技とも異なる方法で逆転してみせた。

 何をした?

 それを問わずには何も始まらない。

 つまりはそういうことなのだが、ここには異物が紛れ込んでおり、どういうわけかこの魔物だけが全てを察していた。

 それは女性のような両腕を使い、賑わすように拍手を始める。


「素晴らしイ! コれヲ! コれを見たかっタ!」


 オーディエン。髪と胴体が炎に置き換わった、言葉を話す異形な魔物。

 顔の造形はまごうことなく人間の女性であり、黙っていれば美人なのだが、顔が歪むほどに笑うため、やはり魔物にしか見えない。

 拍手の音がから回るように生まれ続けるも、マークは意にも介さず疑問をぶつける。


「エウィンは、何をした?」

「聞きたいかイ?」


 意地の悪い反応だ。

 はしゃぐ姿は道化師のようだが、それを咎められる者はここにはいないため、弱者は大人しく受け入れるしかない。

 もっとも、エルディアもまた平然と言ってのける。


「聞きたい聞きたい! 今のってさ、まるで……」

「ソの通リ。彼ト……、イや、白紙大典と同じ力かもしれなイ……。ソれが何を意味するのカ、キミならわかるだろウ?」

「え? あ、えっと、そ、そうそう! びゃ、白紙大典と一緒かもね! だから、その……、一緒かもね!」


 今回ばかりはオーディエンの負けだ。

 残念ながら、エルディアは何一つわかっていない。

 一緒だと錯覚するほどには似ている。その事実こそが答えなのだが、彼女はこの魔物ほど聡明ではなかった。


「エウィンには資格があル。ワタシ達の前に立ちはだかル、ソの資格ガ……」

「わ、私もそう思ってた! 確かにエウィン君って四角いよね。その、あの、色んなところが! むぐ!」


 なぜか強がるエルディアだが、このタイミングで背後から口が塞がれる。

 実行犯は魔女のリリ。自分達を束ねる長の不甲斐ない姿を見かねた犯行だ。

 邪魔者が黙ったことから、軍人が静かに問いかける。


「びゃくしたいてん、とは何だ?」

「アー、キミ達はそこからわかってないのカ。マぁ、エウィンも知らないと思うシ、仕方ないカ。ソう……ダね、気分がイイから教えてあげル。キミ達が巨人戦争と呼んでいるあの争いハ、白紙大典が終わらせタ」


 突然の説明が、この場の空気を凍らせてしまう。

 当然だろう。白紙大典という何かとエウィンには関連性があり、さらには千年以上も昔の出来事と繋がっていると明かされてしまった。

 これには誰もが黙るしかない。

 巨人戦争。イダンリネア王国が建国された理由であり、人間と巨人族との間に勃発した、最も大規模な戦争だ。

 発生したタイミングは曖昧ながらも、終結はハッキリと後の世に伝わっている。

 光流暦六年の十一月。

 最初の王、オージス・イダンリネアが巨人族の長を討伐、帰国したことで何年にも渡った争いは一応の区切りを迎えた。

 もはや、おとぎ話だ。現代を生きる者にとっては絵本の中の出来事でしかない。


「むぐ! むぐぅ!」


 何か言いたそうなエルディアが魔女三人に抑え込まれる一方、マークは軍人として問わずにはいられなかった。


「おまえは、いったい何者なんだ?」


 この状況において、最も適した質問だ。

 オーディエンについて知ることが出来れば、様々な情報を王国に持ち帰ることになる。

 この魔物が何を企んでいるのか?

 エウィンに何をさせたがっているのか?

 巨人戦争とどう関わっているのか?

 そして、どれほどの人間を殺したのか?

 全ては無理だとしても、一つ二つは判明するかもしれない。


「ワタシはワタシ。ソう思いたいけド、実際のところはどうなのかナ? ア、シいて言うのなラ、キミ達ニンゲンの味方かもネ」

「しらばっくれるな。最も古い記録だとおまえは四百年前に、軍を丸ごと一つ潰している。俺達が把握出来ていないとでも思ったか?」

「ヘ~、スごいすごイ、ソんな昔のことまデ。ア、悪気はなかったんだヨ? アの頃はニンゲンがどういう生き物カ、ワかってなかったからネ」


 この魔物は嘘つきながらも、この発言自体は紛れもなく本心だ。

 そうであるか否かは居合わせた者達にわかるはずもないのだが、マークだけは見抜いている。


「軍の壊滅といった派手なことはしていないようだが、おまえは未だに人間を殺している。例えば、七年前のドクトゥル夫妻の殺害および放火」

「ン~? 七年前? 放火? 船なら丸ごと燃やしタ……、イや、思い出しタ。ウん、確かに殺しちゃっタ、ソの二人ヲ」

「なぜだ? いや、ちょっと待て、船を燃やした、だと? 王国の港でそのような事件は聞いたことがないが……」


 その時だ。

 エウィンとアゲハが治療を終えて今まさに合流を果たすも、少年は右腕の骨折が完治したにも関わらず青ざめてしまう。


「まさか、いや、そんなことが……。おまえ、それって、ルルーブ港の漁船……?」


 うろたえる姿は病的だ。先ほどまで巨人族と戦っていた強者とはまるで別人であり、事情を知らぬ者であろうと息を飲んでしまう。

 しかし、オーディエンだけは冷静だ。さらには、即座に見抜いてしまう。

 大きな瞳をわずかに細め、薄い唇を嬉しそうに歪ませる。無意識に表情が緩んでしまった理由は、この状況が心底楽しいからだ。


「完全に思い出せたヨ。ニンゲンが何人も乗っていテ、魚を網で集めて運んでいタ。十二年前ノ、ウん、確かニ、ルルーブ森林の港だっタ。エウィン、モしかしテ、モしかしテー?」


 オーディエンがなぜ笑うのか、その理由は誰にもわからない。

 そして、エウィンが震える理由も不明だ。

 実は、アゲハもついに理解したのだが、この問答に加われるほどの勇気がない。

 少年は絞り出すように問いかける。既に疑問が確信へ変わりつつあるのだが、それでもなお、進むしかない。


「なんで……、なんで漁船を! 父さんを燃やした!」

「ファファファファファ! アの中にいたんだネ! キミの家族が! 最高じゃないカ! ヤはりワタシ達は運命! 出会うべくしてこうなっタ!」


 吠え猛るエウィンと、狂ったように笑うオーディエン。

 対照的な両者だが、それゆえに第三者は割り込めない。彼らが息を飲んで見守る中、少年は怒りながらも涙を浮かべる。


「なんでだって訊いている!」

「答えてあげるサ、キミのためなラ……」


 このタイミングで、魔物は静かに口を閉じる。

 水色の空と土色の大地に挟まれながら、オーディエンは呼吸を整えるように話し始める。


「ワタシはネ、本当に本当に長い間、探していタ。デもネ、苦ではなかったヨ? イつか見つけられるト、思っていたかラ。ソれでモ、我慢し難いこともあル。エウィン、当ててご覧?」

「わかるはずないだろ」

「ツれないなァ。マぁ、イいサ、簡単なことだヨ。ワタシが探すのはイイ。ダけど、ワタシを見つけることハ、許さなイ。ダって、サ……、ワタシはまだ探してる最中なんだヨ? ソんなの不公平じゃないカ。ダから、殺しタ。キミの……、大事な家族ヲ」


 不条理な発言だ。魔物らしいと言えばその通りなのかもしれないが、エウィンを納得させるには至らない。

 しかし、この少年は一点だけ、思い当たる節があった。


「と、父さんは……、すごく目が良かった。あの時も船の上で、なぜか空を見上げてた……。そういうこと……」


 エウィンの言う通り、父の視力は人並外れていた。

 だからこそ、親子三人でルルーブ森林に出向き、川遊びに興じることも出来た。多数の樹木が視界を遮るのだが、それでもなお、魔物の姿を見落とさずに済む理由は視力の良さに他ならない。

 呆然と俯く姿は、絶望に飲み込まれた結果だ。涙が頬を濡らすも、拭くことさえ今は出来ない。

 対照的に、炎の魔物はさらに盛り上がる。


「アの人間ガ? ワタシを見つけたニンゲンガ、キミの……? ファファファ! アりえなイ! ソんなところまデ、ウイルと似るなんテ! ネぇ、キミもそう思うだろウ?」


 驚き、笑い、顔の向きを変える。

 オーディエンがエルディアを見つめる理由は、返答と共感を求めているためだ。

 既にリリ達から解放されていた彼女は、淡々と持論を述べる。


「うん、ウイル君とほとんど同じ。彼の場合、お母さんがあんたに殺されかけたのと、薬でなんとかなったから色々と違うけど。それでも、ありえないくらい似通ってるし、あんたがエウィン君に入れ込む理由もわかった。運命かどうかはさておき、可能性はあるかもね」

「ハクアはハクアで無駄なことをしてるようだけどサ、ワタシはエウィンに賭けるヨ。今度こソ、間違いなイ。ア、正しくハ、エウィンとアゲハの二人に、ダね」

「アゲハさんも特別なの? 確かに、覚醒者ではあるけどさ」

「エウィンの能力はアゲハ由来、ソういうことサ」


 オーディエンが全てを晒すも、嘘偽りない事実だ。

 エウィンがまとった白い闘気は、アゲハとの契約によって発現した。その仕組みを当事者達は全く理解していないのだが、二人三脚の能力であることに変わりない。

 エルディアはこの中でオーディエンの次に事情を知っている。

 だからこそ納得することが出来たのだが、エウィンは当事者でありながら理解が追い付かない。

 父親が漁船共々燃えた理由はわかった。

 知ってしまったがために涙があふれてしまうのだが、八つ当たりのようにつぶやく。


「ウイルって誰だよ……。僕に何をさせたいんだよ……」


 巨人達との三連戦を終えた今、この少年は浮浪者よりも酷い有様だ。

 長袖の衣服は右半分が失われており、ズボンも穴だらけ。裸足の理由は戦闘ではなく移動の過程で靴が裂けてたからだが、その姿は瓦礫の周辺に横たわる死体よりも痛ましい。

 ましてや、その顔は泣き止まない子供のそれだ。喚き散らさないだけ大人なのかもしれないが、眼前に父親の仇がいる以上、涙と殺意は止められない。

 この状況が、寄り添うアゲハを困惑させる。

 同時に、胸を痛めてしまう。

 励ますことが出来ない。

 慰めることすら、出来ない。

 かける言葉が思いつかないため、無力感に打ちひしがれながらの棒立ちが精一杯だ。


「エウィン、さん……」


 彼女の指が、少年の腕にそっと触れる。

 この世界に転生しようと。

 傭兵として魔物を屠ろうと。

 内向的な性格は、アパートに引きこもっていた頃のままだ。

 やるべきことは、わかっている。

 エウィンはオーディエンを倒して父親の仇を取りたい。

 そこまで理解してもなお、出来ることは寄り添うだけ。

 力も、勇気もないからだ。

 恩人のために何かしたい。そう思ったところで、その術が見当たらない。

 眼前の魔物を倒すことなど、現状では不可能だ。これはそれほどに強く、全員で一斉に仕掛けたところで軽くあしらわれてしまう。

 ましてや、エウィンはヘカトンケイレスを倒すために切り札を使ってしまった。身体能力を大きく向上させるオーラは十秒と持たない上、その負担から二度三度の使用には至れていない。

 無力な二人を前にして、魔物はマイペースに語る。


「ウイルはワタシの知り合いサ。資格があったかラ、生かしタ。キミのようニ、ネ。怒らせちゃったのなラ、家族を殺した件についてハ、謝るヨ。目障りだかラ、燃やしただけなんダ。ゴメンネ」


 言い終えるや否や、オーディエンは声高々に笑い出す。

 漁船と乗組員を、自慢の炎で完膚なきまでに燃やした。その時の記憶が蘇った結果、思い出し笑いを止められない。

 炎に包まれ、悶え苦しむ人間達。その姿があまりに滑稽だったため、この魔物は当時も今も大口を開いてはしゃいでしまう。

 オーディエンとしては、悪気などない。衝動を抑えられなかっただけなのだが、エウィンの神経を逆なでるには十分過ぎた。


「おまえだけは……、おまえだけはぁぁ!」


 咆哮と共に、少年は白い闘志を再びまとう。手続きは先ほど済ませたばかりゆえ、今回は省くことが出来た。

 しかし、一瞬だ。走り出す直前に、光は霧散してしまう。


「ぐ、うぅ……」


 同時に、エウィンは膝から崩れ落ちる。肉体が二度目の発動に耐えられず、悲鳴を上げてしまった。

 アゲハが慌てた様子で支えるも、少年は病人のように動けない。

 対照的に、オーディエンはどこまでも冷静沈着だ。


「フーン、マだ使いこなせてないんダ。焦る必要はないけどサ、ワタシの予想だト、最低でも十時間は維持出来るようになってもらわないト」

「じゅ、十時間? そんな長期戦、ありえない……。アゲハさん、もう大丈夫です。ありがとうございます」

「あ、う、うん……」


 礼を述べるエウィンだが、実はまだ立てない。

 ゆえに、アゲハの腕から解放されるや否や、大地にペタリと座り込む。口論には適さない姿勢だが、今はこれが精一杯ゆえ、少年は相手を睨みながら口を開く。


「おまえを倒すには、それくらいの時間が必要ってこと?」

「イやいヤ、ワタシなんてきっとあっさりだヨ。デもまぁ、今はそういうことにしとこうカ。ソの方がわかりやすいよネ?」

「煙に巻くような言い回しを……。言われなくたって、もっともっと強くなって、いつか必ず、おまえを殺す。アゲハさんのためにも、復讐のためにも……」


 言い切る度量が本物であろうと、現状では絵に描いた餅だ。

 白いオーラは十秒と続かない。

 しかも、使用は一回こっきり。

 つまりは、現状ではオーディエンの要望に程遠い。

 圧倒的な実力不足。

 わかってはいたが、立てない己の不甲斐なさにエウィンは苛立ちを覚えてしまう。


「方向性ハ、キミが判断すればイイ。時間を伸ばス? 使える回数を増やス? マぁ、両方だろうネ。トころでサ、アの光の名前は何なんだイ?」

「名前? 決めてない。必要ないし……」

「トんでもなイ! 決めるべきダ! アゲハもそう思うだろウ?」


 しかし、返答はない。

 アゲハは萎縮するように後ずさると、エウィンの背中に隠れてしまう。もっとも、腰をかがめたところで座っている少年の方が小さいのだから、その行為はほとんど無意味だ。

 そうであろうと、オーディエンは賛同を求めて顔を動かす。

 その先にはエルディアが暇そうに立っており、両者の視線が交錯した。


「ドうかナ?」

「まぁ、あった方が便利かもねー。あ、私がつけてあげようか? ん~……、よし! キラキラパワーなんてどうよ?」

「ワタシが考えるとしよウ」

「ま、魔物には私のセンスが理解出来ないかー。え? なんでみんなしてそっぽ向いてるの?」


 負け犬の遠吠えを聞き流しながら、オーディエンが黙々と考え込む。

 その姿は人間そのものだが、エウィンは憎しみをぶつけるように言い放つ。


「勝手に話を進めるな。だったら僕が考える。ん~……、よし! スーパーミラクルスーパー……」

「リードアクター。安直だけド、キミの道しるべとしてはピッタリダ。ドうかナ?」


 当人の命名を鼻で笑うように、魔物は代替案を提示する。

 発言を被せられたことと、何よりオーディエンは父の仇ということから、賛同など不可能だ。


「ふ、ふざけ……、アゲハさん、どういう意味?」

「主役、あ、ううん、主役を演じる人、主演俳優、かな?」

「なるほど。ちょっとかっこいい……。あ、いや、おまえの言うことなんか聞いてたまるか! 僕の能力なんだから、後でじっくり考えてやる!」

「ウン、決めてくれるのなラ、ソれで構わないヨ。ワタシはネ、遠くかラ黙って見ていたいだけだかラ……」


 エウィンが取り繕うように吠えたところで、オーディエンは動じない。

 この魔物の立ち位置は、やはり不明だ。会話が出来るほどの距離で向かい合っていながらも、目当ての人間だけでなく魔女や軍人にすら敵意を向けない。

 あやふなや言動が彼らの神経をすり減らす。

 同時に、オーディエンを楽しませる。

 しかし、この時間はカーテンコール。部下が敗れた以上、今日の演目は既に終了している。

 そうであるとわかっているからこそ、炎の魔物がゆっくりと浮上を開始する。


「次の再会までニ、ソの能力を使いこなしてネ。少しだケ、時間をあげるからサ」

「偉そうに。言われなくたって、おまえを倒すためにもっと強くなってやる」

「ソう、ソの意気込みダ。ワタシの部下ハ、マだ三体……。今しばらくハ、待機を命じておくヨ」


 この発言がエウィン達を凍り付かせる。

 ヘカトンケイレスのような強敵は、今回限りではない。

 今日に関しては勝利をつかみ取れたが、次も同じ結果になるとは限らないため、冷や汗を止められずとも臆病者ではないはずだ。


「く、詳しく!」

「ファファファ、エウィンのそういうところガ、面白イ。最後まで諦めないでヨ。今度こソ、見届けたいかラ……ネ」


 そう言い終えた時だった。

 風船のように上昇を続けた魔物が、忽然と姿を消す。

 透明になったわけではない。

 消滅したわけでもない。

 地上のエウィン達を置き去りにするような速度で、そこから立ち去っただけだ。

 つまりはそれほどの実力者ということであり、エルディアが愚痴るようにつぶやく。


「あいっかわらず意味不明な奴だねー。私だってあの頃よりは強くなれたはずだけど、まだまだ追い付けてないっぽいし、あれの相手は誰かに任せるしかないのかなー? 諦めたくないなー」


 力量差は歴然だ。ただの飛行すらも目で追えないのだから、オーディエンに立ち向かったところで勝負にすらならないだろう。

 その事実を受け入れつつも、彼女は悔しがる。この捉え方がストレスにならないのなら、成長が見込めるということか。

 対照的に、軍人のマークは項垂れることしか出来ない。


「オーディエン、という名前なのか。やれやれ、報告することが増えてしまったな。エウィン、おまえはあんなのと戦おうとしているのか」

「はい、そのつもりです。そうしないといけない理由が、増えてしまいま……、増えてしまったな」

「ふふ、少し、似てる……」


 突発的な物まねに対して、アゲハが誰よりも早く反応する。残念ながら似ていないのだが、恋は盲目ゆえ、仕方ない。

 一方、真似された本人は青髪を傾けながら顔をしかめる。


「あれは相当に手ごわいぞ。先ほどの、白い輝き……」

「キラキラパワー!」

「呼び方は何でも構わないが、それを使ったところでどうなるか、といった感じか? そもそもあれも天技なのか?」


 おそらくはこの中で、マークが最も知識不足だ。

 教養がないわけではない。

 経験不足なわけでもない。

 オーディンとエウィン。この両者に関する見聞だけが圧倒的に足りておらず、だからこそ、エルディアの横やりに怯むことなく矢継ぎ早に質問を投げかける。


「リードアクターのことですか? ぶっちゃけますと、僕もいまいちわかってなくて……」


 不本意ながらも、エウィンはその命名を採用する。

 オーディエンのことは憎くて仕方ないが、エルディア案よりは遥かにまっとうと考えた妥協だ。

 しかし、彼女は食い下がる。


「キラキラパワーを使いこなしたいなら、良い人紹介するよ?」

「使いこなしたいです、リードアクター」


 まさかの申し出だ。訂正は欠かさないが、エウィンは間髪入れずに首を縦に振る。


「私の知り合いにね~、そういうのに詳しい魔女がいるの。台所のご飯をこっそりつまみ食いすると、めちゃくちゃ怒る怖い人だけど」

「え? 普通、誰でも怒りません?」

「え? お父さんは怒らないけどなー」

「それはまぁ、肉親ですし……」

「とにかーく、ドタバタが落ち着いてからになっちゃうけど、紹介しようか?」


 エルディアの言う通り、しばらくは多忙な日々が待っている。

 なぜなら、ジレット監視哨が破壊された。

 常駐していた第四先制部隊もまた、隊長を除き全員が死亡してしまった。

 近年稀にみる大惨事だ。

 ましてや、この事件はそれだけに留まらない。

 オーディエンという謎の魔物の登場。

 巨人族の大群およびヘカトンケイレスの出現。

 そして、それらを退けた立役者が、一介の傭兵に過ぎないという事実。

 帰国後にこれらについて事細かに報告する必要があるのだが、それは軍人の仕事ながらも、エルディアは他人事では済まない。

 彼女はイダンリネア王国に移住を果たした魔女の長だ。

 同時に、今回の事件の関係者でもある。

 里を壊滅させ、住民を半数近くも虐殺した魔女達を倒すことが出来た。そういう意味では胸を撫で下ろせるのだが、危機が去ったわけではない。

 襲撃者を取りまとめていたリーダー格の女には逃げられた。

 名前はティットス。その魔眼は見るだけで相手の前進を阻む。

 殺傷能力はなくとも、面倒極まる性質と言えよう。彼女を追うことが出来ない以上、倒し損なった場合、逃亡を許してしまう。

 頭痛の種は、もう一つある。


「もちろん、その内で大丈夫です。ちなみにドタバタって?」

「色々よー。まぁ、私の場合、軍の取り調べ的なもんに呼ばれるんじゃないかなー。こう見えて私って偉いし。あと、ほら、オーディエンが言ってたじゃん、部下がまだ三体いるって」

「言ってましたね。ヘカトンなんとかみたいな化け物が控えてるってこと、なんですかね?」


 つまりはそういうことだ。

 王国は謎の魔女集団だけでなく、オーディエンが率いる強大な魔物に対しても対策を講じなければならない。


「大っぴらには出来ないんだけど、あいつってちょいちょい厄介な魔物をこっちにぶつけてくるの。今回も居合わせちゃったから、方針会議的なものにも呼ばれまくるんだろうなー。と言うことで、しばらくは傭兵っぽいことは出来そうにないねー」

「そうですか、がんばってください」

「あれ? 他人事のように言ってるけど、エウィン君ともしかしたらアゲハさんも召集かかると思うよ?」

「僕達も? 明日から、がんばってお金稼がないといけないのに……」


 エウィンの眉間にしわが寄る。

 一時的に財政難が解消された理由は、アゲハの衣服を高値で売ることが出来たからだ。地球産ゆえ、デザインだけでなく生地すらも未知のものゆえ、その希少性から知り合いの医者に買い取ってもらえた。

 しかし、要領よく金を稼げていないことから、所持金はじわじわと減ってしまう。

 ましてや、今回は帰国後に色々と買い足さなければならない。

 エウィンの服は靴を含めて損壊しており、もちろん安物で済ますつもりでいるのだが、痛い出費であることに変わりない。


「軍にお金せびってみたら? 魔女を倒したのは俺だー、変な巨人も倒したーって言えば、いくらかもらえるんじゃない?」


 ボブカットを揺らしながら、エルディアは平然と言ってのける。

 そのついでに軍人の方へ視線を向けるも、その表情は渋い。


「オレからは何とも言えん。今回の件で降格は間違いないし、そもそもオレは軍人としても失格だ。部下を弔った後、もう一度剣を握れるかどうかもわからん。ここの再建には関わりたいと思っているが……」

「マークさんの実力は本物だと思うけどねー。今回は相手とシチュエーションがまずかっただけっしょー。あいつらの奇襲がどれほどやばいかは、私もわかってるつもりだしねー」


 マークは部下を八十人も殺された。

 一方、エルディアは里の同胞を六百人も失っており、五十三番と名乗った魔女達がいかに脅威だったかは疑いようもない。

 その化け物を撃退したのがエウィンだ。

 実際には六人の内三人をこの傭兵が始末し、マークとエルディアも一人ずつ殺した。

 最後の一人には逃げられたが、戦闘を収められたことは紛れもない事実だ。

 引き換えにこの地が更地と化し、軍人もほとんどが死んでしまったのだから、勝利ではなく敗北なのだろう。

 それでもここには生存者が集っており、エウィンは大地に座り込みながら意志を述べる。


「ものすごく今更なんですけど、敵の魔女さんとは話し合いとかでなんとかなったりしないんですか? と言うか、あの人達って何者なんですか?」


 魔女は人間だ。言葉が通じるだけでなく、本来は手を取り合って魔物と戦わなければならない。

 エウィンでさえそこまでわかっているのだから、大人達はより深い意見を持ち合わせているはずだ。

 そのような幻想は、エルディアによって砕かれる。


「なーんもわかんないし、きっと最後まで分かり合えないと思うよー」

「え、最後って?」

「どっちかが全員死ぬまで。あいつらは人間の皮を被った化け物だよ。もしかしたら魔物よりも質が悪い。だから、この戦争は終わらない。殺して、殺されて、また殺して、ずーっとその繰り返し。人間宣言のおかげで私達は命拾いしたけど、当てはまらない魔女もいるってことなんじゃないかなー。知らんけど」


 魔女だからこその考察か。

 正しいか否かはこの場の誰にもわからないが、空気が冷えるほどには説得力があった。

 反論が困難ゆえに皆が押し黙る中、エウィンが傭兵として意見する。


「相手が魔女さんでも、戦うしかないってことですね。あの人達を殺した時点で、僕も完全に巻き込まれたって考えるべきでした。理由はわかりませんが、魔眼に抗える体質みたいですし」

「不思議だよねー。おかげでさっさと追い払えたけどさ」


 同意するエルディアだが、実は隠し事をしている。

 前進を拒む魔眼をエウィンは跳ね除けた。

 しかし、実際にはアゲハもまた、意に介さず前へ歩いていた。

 その事実を伏せる必要はないのだが、エルディアはこのタイミングでは口外しない。

 なぜなら、何一つとして不明だからだ。

 エウィンとアゲハが特別なことは間違いない。

 しかし、他者と何が違うのか?

 これがわからない。

 だからこそ、今は不必要な情報として内に秘める。エウィンはともかく、アゲハにはそれ相応の謎が残っているのだから。


(私だけでなく、あちらさんにもアゲハさんがヤバイって見抜ける奴がいた。ほんと、この人って何なんだろう? 怖いと言うか、直視したくないと言うか、まぁ、今はもう慣れてきたけど)


 エルディアだけが見抜けている。

 魔女としての直感がそう思わせるのか。

 シンプルに、女の勘か。

 あるいは、もっと根源的な何かが察知しているのか。

 何であれ、この魔女と敵の魔女は、アゲハが普通ではないと一目で看破した。理由も原因も不明ながらも、恐れてしまったことは間違いない。

 エルディアが黙々と思案する一方、マークもまた、アゲハについて考えていた。


「言える範囲で構わないから教えてくれ。オーディエンが言っていたが、アゲハが別世界の人間というのは本当か?」


 この問いかけが、エウィンを怯ませる。

 オーディエンが全てをばらしてしまった。

 この事実は、もはや誤魔化しようがない。

 嘘だと主張するにしても手遅れゆえ、渋々ながらも振り返る。


「アゲハさん、この人達には話しちゃっても、いいかな?」

「う、うん……」


 長い黒髪を揺らしながら、アゲハが首を縦に振る。その表情は怯えているようにも見えたが、この状況では無理もない。

 異質な出生を知られるという恐怖。

 また、人間不信ゆえに、多数の視線を向けられることも耐え難い苦痛だ。

 二つが合わさった結果、彼女は普段以上に背を丸めるも、代わりにエウィンが座ったままながらも背筋を正す。


「あいつの言ってた通りです。アゲハさんは、地球という場所からやって来ました。なんとその世界には魔物がいないらしくて、だから食べ物に困りそうなもんですが、それも全然問題ないとか。あとは……、あぁ、子供はみんな学校に通うから、僕みたいな浮浪者とは比べ物にならないくらい頭が良いみたいです」

「う、うぅむ、にわかには信じ難いが……。いや、オーディエンもそう言っていたし、きっとそうなのだろう。だが、信じるに足る証拠がなくては……な」


 マークの言い分はもっともだろう。

 眼前の女性は、異世界からやってきた地球人だ。

 そう言われたところで、外見的にはこの世界の人間と瓜二つ。疑って当然か。


「証拠、証拠……。あぁ、着てた服とかがそうだったのかな? でも、アンジェさんに売っちゃったからなぁ。そうだ、三毛猫が全部メスの理由を披露しましょう。すごいですよ、僕はさっぱりですけど」


 少年の屈託ない提案に、アゲハはさらに萎縮する。大勢の前での発表など、苦行でしかないからだ。

 ゆえに、必然的にこうなってしまう。


「ふむふむ、白毛に加えて黒と茶色の三色になるような染色体の組み合わせは、メス特有だから。だそうです!」


 耳打ちだ。

 これがアゲハの精一杯だった。

 とは言え、三毛猫がメスに偏る説明は成されたのだが、残念ながら聴衆は首を傾けてしまう。


「すまん、センショクタイとは何だ?」

「少々お待ちを。ふむふむ、でぃーえぬえー? 生物の設計図? ふむふむ、細胞の中にいっぱいあって、オスとメスでそれぞれ異なる、と。すっごい虫メガネで見ることが出来るらしいです」


 エウィンが間に挟まっているため、情報の伝達に齟齬が生じていそうだが、どちらにせよ、教養の差が理解を阻むだろう。

 そのはずなのだが、エルディアが意気揚々と反応を示す。


「そういうことね! せ、染色が三色だと三毛猫なんだ!」


 この意味不明な発言が、なぜかエウィンを焚きつけた。


「そ、そうです! 細胞の中で、なんかその、白黒茶なんです!」


 中身が伴わないやり取りがしばらく続くのだが、この軍人だけは押し黙ったままだ。雑音を気にも留めず、現状把握に務める。


(エウィンやオーディエンが嘘をつくメリットもない、か。精霊界や煉獄が存在するのなら、地球という世界があっても不思議ではないのだろう。全てを鵜呑みには出来ないが……。そして、アゲハは異世界人。はぁ、確証が得られない以上、今は伏せるべきか? 報告する情報の精査が、必要なのかもしれん)


 帰国後、この男は軍人として事細かに説明しなければならない。

 報告書と口頭での情報伝達。そういったやり取りを何回も行うのだろう。

 しかし、アゲハについては悩ましいところだ。

 地球という異世界。

 地球人。

 この事実があまりにも突拍子がなく、ましてや今日の出来事とは無関係だ。

 六人の魔女が現れた。

 ジレット監視哨が破壊された。

 第四先制部隊も全滅した。

 エウィンとエルディアの参戦によって、最終的には勝利することが出来た。

 この時点で報告内容としては既にパンクしている。イダンリネア王国としても、十分過ぎる情報量だろう。

 しかし、まだ終わらない。

 四百年からひっそりと指名手配していた魔物が姿を現した。

 オーディエンと名乗ったそれは巨人族を従えており、さらにはヘカトンケイレスという亜種さえも呼び込む。

 それを退けたのもまた、エウィンという傭兵だ。

 報告書がどの程度の厚みになるのか、マークにすら予想がつかない。


(上への報告、ここの再建、遺族への謝罪。やるべきことは山積み……か)


 帰国後も暇などないのだろう。そう自覚しながら、一人静かに天を仰ぐ。


「キジトラもかわいいと思います!」

「真っ白や真っ黒もいいよね!」


 エウィンとエルディアは相も変わらず騒がしい。話題は既に三毛猫から逸れており、その騒々しさがここでの悲惨な出来事を覆い隠す。

 そんな中、アゲハだけは見抜いていた。

 時に笑い、時に焦るエウィンだが、その表情だけを見れば心底楽しそうだ。

 しかし、そうではない。

 アゲハはこの空気に委縮しながらも、上目遣いで少年を見つめる。


(無理……してる。本当は、とても悲しいのに……)


 その通りだ。

 エウィンはついに知ってしまった。

 母だけでなく父すらも、魔物に殺されたという真相を。

 オーディエンが、漁船ごと父を燃やした。

 その存在に気づいてしまったがために。

 やるせない死因だ。なんの落ち度もない。

 その事実にエウィンは涙を流すも、今は演じるように笑っている。

 その理由はシンプルだ。

 既にオーディエンが去ったから。

 泣いたところで両親とは会えないから。

 アゲハに心配をかけたくないから。

 そのどれもが本心なのだろう。

 同時に、この少年は知っている。

 弱者は弱者として足掻くしかない、と。

 今のままでは、オーディエンに勝てない。仮に白いオーラを使いこなせたところで、その差は埋まりきらない。

 この事実を受け止めたからこそ、今は作り笑顔で自分を誤魔化す。

 諦めない。

 復讐者として奮い立つには、そうするしかないのだから。

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