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第四十話 勝者のいない戦場

「何を……」

「どういうこと?」


 少年は瓦礫の下から。

 女は瓦礫の上から。

 それぞれ、問いかけずにはいられない。

 ここはかつての軍事基地。面影がないほどに破壊され、さらには焼かれてしまった。

 草原地帯と森林地帯に挟まれたここはジレット監視哨。本来は王国軍で賑わう場所なのだが、今は血まみれの戦場と化した。

 襲撃者は、謎の魔女集団。

 六人の内、五人は地に伏したが、最後の一人は健在だ。

 赤髪の彼女こそがリーダーなのだが、涙を流さないばかりか無表情を貫く。

 部下が死んでも悲しくないのか?

 こうなることは織り込み済みだったのか?

 どちらであろうと。

 両方であろうと。

 そんなことは関係ない。

 折れた刃を確認してから、エウィンは改めて語りかける。


「これ、新品のスチールソードです。僕なんかじゃ逆立ちしたって買えない高級品です。でも、ポッキリ折れてしまいました。その腕の、もしかしてスチールより頑丈だったりするんですか?」


 灰色の片手剣は、その刃が半分を残して砕けてしまった。

 斬りかかり、こうなってしまったのだから、ありえない現実から目を背けたい。

 しかし、右手が証拠品を握っている以上、緑色の髪を傾けながら先ずは問いかける。


(僕の剣術は素人みたいなもんだから、そのせいかも、だけど……)


 深みのある灰色は鋼鉄の証だ。その頑丈さと加工の難しさが、武器や防具の価格を釣り上げる。

 スチール製の刃で斬れない物などない。人間は当然ながら、樹木や岩も切断可能だ。

 さらに頑丈な魔物がいたとしても、この武器ならば通用するだろう。

 それほどの切れ味を誇ることから、スチールの武具を身に着けることが一種のステータスとなっている。

 承認欲求や物欲が欠損しているエウィンでさえ、スチールダガーには恋焦がれていた。武器屋を訪れ、買えない商品を眺めてしまう程度には魅力的な武器だ。

 今回は短剣ではなく片手剣だが、違いは重量やサイズくらい。

 どちらにせよ、この刃で断てないものはない。この少年もそれをわかっているからこそ、迷いのない斬撃を敵に浴びせた。

 しかし、眼前の魔女には通用しなかった。

 細腕の腕甲が、刃を防いだからだ。

 魔女の名前はティットス。

 彼女もまた、この状況には困惑している。


「私の魔眼は絶対。二十八年生きてきて、こんなことは一度もなかった。あなた、何をしたの?」


 その服装はブラックフォーマル。肌の露出は少なく、顔と首元、拳、膝下だけが肌色を晒している。

 赤い髪を傾けながら、問わずにはいられなかった。

 魔眼の能力名はパレード。視界に捉えた人間の、前進を阻むことが出来る。ある種の催眠術のようなものだが、意志の強さや運動神経に関係なく、確実に縛ってみせる。

 そのはずだった。


「特段別に何も……。確かに、最初はうんともすんともって感じでしたが、力んだら走れました」

「ふざけないで」

「え? ふ、ふざけてないです」


 両者の認識はかみ合わない。

 魔女の魔眼を無視した傭兵。

 スチールソードを砕いた腕甲。

 どちらも異質ゆえ、答え合わせは必須だ。

 割って入るように、エルディアが持論を述べる。


「魔眼を受け付けない体質……、ってことはないか。私のドーン・ブルーはバリバリ効いてたもんね」

「あぁ、あのムラムラするやつ。そうですね、もう二度と使わないでください、本当に」


 彼女が魔眼を青く輝かせるだけで、男は前屈みになってしまう。抗えない生理現象ゆえ、その姿勢を維持するか開き直るしかない。

 数時間前、エウィンは強制的に劣情を催した。

 つまりは、魔眼への耐性など持ち合わせてはいない。

 にも関わらず、ティットスの魔眼には抗えた。

 その理由を問うたところで本人にもわからない以上、質疑応答は時間の無駄か。


「自覚も無しに私の……。おまえは危険。いっそここで始末すべき?」


 王国の人間達を見下しながらの自問自答だ。

 この魔女は部下を全員殺された。

 つまりは失態のはずだが、悪びれる素振りを見せない。

 そればかりか、その立ち姿は一貫して冷静だ。

 もしくは冷酷か。

 どちらにせよ、彼女の脳内に敗北の二文字は浮かんでいない。

 眼前の傭兵や軍人がいかに手強くとも、既にその力量は測り終えた。

 だからこそ、導き出せた結論であり、多勢に無勢であろうとこの魔女は勝てると自負している。

 そうであろうと。

 そうでなかろうと。

 この少年には関係ない。

 誰かを守ると決めた以上、食い下がることから始める。


「お望みなら、いくらでも相手します。ただ、その前に教えてください。両腕のそれ、てっきりアイアンかと思っていましたが、スチール以上だったりしますか?」


 武器や防具のランクは、素材によって決定される。

 最底辺はブロンズだ。銅を主成分としたスズとの合金なのだが、それらの産出量が多いことからこれを用いた刃物は比較的安く購入出来る。草原ウサギを狩るのなら、ブロンズソードやブロンズダガーでも十分だろう。

 次点がアイアン。強度と重量が増すため、それ相応の腕力が求められる。

 そして、スチールだ。不純物を取り除いたアイアンであり、その剛性は加工の困難さという負の側面を生み出すものの、だからこそ、傭兵の要求水準を満たせる。

 エウィンが報酬として譲り受けたスチールソードは、ある意味で一人前の証だ。斧や槍でも構わないのだが、スチール製の武具を購入することが、傭兵にとってのある主のステータスと言えよう。

 それほどの強度や切れ味を誇るも、ブロンズやアイアンで妥協する者も少なくない。

 なぜなら、素材のランクが一つ上がる度に、武器防具の価格が跳ね上がってしまう。

 例えば、ブロンズダガー。総合武器屋リンゼーではきっかり一万イールで売られている。

 アイアンダガーが八万イール。

 そして、スチールダガー。その価格は六十万イールと高額だ。

 十倍とはいかずとも、値段の上がり方はそれに匹敵する。

 アゲハと出会う前のエウィンは、一日の稼ぎが千イール前後だった。その中から食費を捻出しなければならないのだから、貯蓄など夢のまた夢だ。

 一般家庭の収入が一か月で二十万から三十万イールと言われており、一方で傭兵の大半がそこに届かない。

 依頼達成時の報酬が高額でないことと、魔物の生息域まで何十キロメートル、もしくは何百キロメートルと移動しなければならないことから、チープな仕事であろうとそれ相応に時間がかかってしまう。

 よって、傭兵の収入は安定しない上に低い。

 かつてのエウィンのような、草原ウサギしか狩れない未熟者ならば猶更だ。

 しかし、今は違う。アゲハの涙が奇跡をもたらした結果、この少年は大きく飛躍した。

 草原ウサギに蹴られようと痛くも痒くもない。

 さらには、マリアーヌ段丘のその先へ出向くことさえ可能となった。

 スケルトンやゴブリンと言った強敵すらも圧倒することが出来ることから、依頼を要領良くこなすだけである程度は稼げるはずだ。

 そうであろうと、油断は出来ない。高額な武器を買えたとしても、通用しない化け物が存在する。

 瓦礫の上の魔女も、その内の一人だ。


「いい加減しつこい。わかった、教えてあげる。これはミスリルの装甲」


 淡々と明かされた事実が、居合わせた全員を驚かせる。

 当然だ。

 その素材であるミスリル鉱石は滅多に見つからない。加工されたそれは頑丈なだけでなく、金属でありながら非常に軽いことから、その価値は宝石よりも高い。

 傭兵にとって、ミスリルの武器防具は夢のまた夢だ。誰もが手にしたいと望むも、実際には誰もが諦めている。

 それほどに高額であり、王国軍への支給すらも限定的だ。

 材料の産出が少ないのだから、当然と言えば当然か。

 だからこそ、エウィン達は唖然としている。

 もっとも、この少年とエルディアに関しては金額面のことしかわかっておらず、第四先制部隊の隊長だけが冷静に分析する。


「お、おまえ達はミスリルの発掘と加工技術を確立しているとでもいうのか?」


 だとしたら大問題だ。

 イダンリネア王国という巨大国家でさえ、多額の投資を行って科学技術を向上、維持している。

 職人と専用の設備が揃って初めて武器や防具を生み出せるのだが、王国はこれを魔物や魔女にはない強みだと捉えていた。

 例外はゴブリンか。それらは手先が器用な上、知能もある程度高いことから、魔物ながら鋼までの精錬技術を確立している。

 巨人族は石斧程度しか作れないのだが、巨体そのものが凶器なことから、ゴブリンよりも遥かに手ごわい。

 問題は魔女だ。当然ながら、知能レベルは王国の民と大差ない。

 しかし、様々な要因が積み重なった結果、技術水準には大きな開きが存在している。

 領土の広さ。

 立地の安全さ。

 人口。

 そして、設備の有無。

 これらが王国に高度な加工技術をもたらしているのだが、ティットスの両腕には色褪せた腕甲が装着されており、彼女曰くそれはミスリル製らしい。

 だからこそ、マーク・トュールは問いかける。

 にわかには信じ難い。

 しかし、エウィンのスチールソードを跳ね返したのも事実だ。

 ミスリルの武器や防具は銀色に輝くのだが、その腕甲は使い込まれた鉄製の骨董品にしか見えない。

 実演された上に所有者がそう言ってのけたのだから、信じるべきだ。

 そうだと頭では理解しようと、やはり様々な要因から疑ってしまう。

 答えを欲した軍人に対し、魔女はつまらなそうに解答を与える。


「そんな面倒なことはしない。だって、王国軍から奪えば済む話だから。これもそう。誰かが殺して、手に入れた。何十年、もしくはそれ以上も使いまわしてる。手入れなんてしないから、こんな見た目」

「なるほど、な……。合理的だし、おまえ達らしいとも言えるのか? 悪いがもう一つだけ教えてくれ。五十三番がおまえ達六人の呼称らしいが、そういうことなのか?」


 ミスリル製防具の出自は判明した。

 追加の質問はそのついでだ。

 もちろん、知りたいという欲求に偽りはない。


「ふーん。この子達、弱い癖にそんなことまで喋ったんだ。本当に使えない……。あ、そういうことってどういうこと?」

「お前たちが五十三番だとしたら、こんな連中が他にも五十近く、いや、それ以上いるのかと訊いている」

「あぁ、なるほど。的外れな考え方」


 エウィン達が得た情報は極わずかだ。

 チームの名前は五十三番。

 リーダーはティットスであり、他五人は部下。

 せいぜいがこの程度か。

 その名前が設立の順番を指しているのなら、マークの言う通り、王国は五十以上もの独立部隊を警戒しなければならない。

 今回の襲撃によって、ジレット監視哨は完膚なきまでに破壊された。

 建物も。

 常駐していた軍人も。

 どちらも取り返しがつかない被害だ。

 これをたった一個のチームがやり遂げたのだから、イダンリネア王国は新たな対抗策を検討しなければならない。

 そのためにも、情報は必要だ。

 マークは生き残った軍人として、ダメ元とわかりながらも問い続ける。


「どういうことだ?」

「五十三番は五十三番。それ以上でもそれ以下でもない、ただの馬骨」


 赤髪を揺らしながら、ティットスは平然と答えるも、残念ながらその真意は誰にも伝わらない。

 実際には、アゲハだけが何となく察している状況だ。

 ゆえに、エウィンは申し訳なさそうに口を開く。


「バケツ?」

「死ね」

(う! これ以上ない罵倒! 普通に傷つく!)


 正しくはバコツ。

 詳細については、魔女ではなくアゲハがもたらしてくれる。


「馬骨。馬の、骨……。役に立たないとか、そういう、意味……」

「お~、さすがアゲハさん、物知り。ところで、ウマって何ですか?」


 エウィンの反応は至極当然だ。

 イダンリネア王国が存在するこのコンティティ大陸には、馬という動物が生息していない。

 ゆえに首を傾げてしまうのだが、アゲハは日本人ゆえ、その知識を持ち合わせていた。


「えっと、その、四本足で、走るのが速い、動物、なんだけど……」

「ほほう……」


 もっとも、これでは情報不足だ。

 エウィンは猫のような小動物をイメージするも、残念ながら正解にはほど遠い。

 ゆえに、マークが割って入るように補足する。


「オレも実物は見たことないが、東のさらに東で確認された、図体がでかい割には臆病な動物らしい。それの骨が役立つかどうかは知らんが、こいつらはそういう意味合いで使っている、と。センスがあるのかないのか、いまいちわからん話ではあるが……」

「なるほどなるほど……」


 姿かたちはわからないままながらも、エウィンはとりあえず納得する。

 馬がどのような動物かは、本題とは無関係だ。それについて知ったところで、最後の魔女を倒せるわけではない。

 少年は話を戻すようにティットスを見据えるのだが、その表情は酷く狼狽していた。


「あ、あなた……、いったい何? く、来るな、それ以上近寄るな!」


 瓦礫の上で、魔女が一歩後ずさる。

 誰に対して言っているのか?

 何に対して怯えているのか?

 エウィンやマークにはわかるはずもない。

 そんな中、エルディアだけが見抜けていた。


(ふーん、私以外にもいるのか。と、なると、魔眼が関係してるのかな? おー、美人さんがすっごい顔でビビってる。まぁ、無理もないよねー、アゲハさんって絶対普通じゃないし)


 エルディアもまた、盗み見るようにその女性へ視線を向ける。

 先端だけが青い、黒髪。

 トップスには灰色のチュニックを着ており、備え付けのベルトを巻くことで豊満な胸が強調されている。

 黒いズボンはその内側にスリットが設けられており、これはエウィンの好みでしかない。

 自信のなさそうな表情と猫背は彼女の性格そのものであり、大きな声を出すことが苦手なことから、馬の骨について説明するため、この日本人は魔眼の拘束を無視してエウィンに歩み寄った。

 坂口あげは。二十四歳の転生者。

 しかし、それ以上でもそれ以下でもない。

 先の魔物狩りで体力は向上したが、肉体の強度は傭兵の平均値にすら届いていない。

 そうであろうと、アゲハはエウィン同様に、パレードを跳ね返してみせた。

 これも十分、脅威なのだろう。

 だからこそ、ティットスはエウィンを危険視した。

 しかし、アゲハへの態度は全くの別物だ。

 警戒ではなく、恐怖。

 彼女は確かに前進したが、だとしても過剰過ぎる反応だ。

 実は、エルディアも猜疑心を抱いていた。

 アゲハはその内側に真っ黒な何かを宿している、と。

 単なる思い込みでないことが、証明された瞬間だ。

 エルディアとティットスの共通点は魔眼なのだが、ここには他にも魔女がいた。

 ゆえに、一歩踏み込む必要がある。


(魔眼は私達以外にもいっぱいいるのになー。うーん、わからん!)


 エルディアの思考が停止した瞬間だ。

 アゲハが何者なのか?

 なぜ、自分達だけがそう思えるのか?

 残念ながら、何一つとしてわからない。

 ゆえに、今は敵の動向を窺う。アゲハの正体を知ることよりも、この一戦を切り抜ける方が重要だからだ。


「本当に人間?」

「さっきから何を……」


 ティットスの戯言に、エウィンは眉をひそめる。

 同時に、その魔女を見つめながらも思考を巡らせずにはいられなかった。


(この人、僕じゃなくて後ろを……、アゲハさんを見て言ってる? 髪が長くておっぱいが大きいだけだろうに……。あぁ、この世界の人間じゃなかったか)


 だとしても、大げさな反応だ。

 ましてや、それを見抜けるはずがない。

 外見的違いは存在せず、言葉さえ通じる以上、世間知らずな肉付きの良い女性だ。

 少なくともエウィンにはそう見えているのだが、この魔女が抱いたイメージは異なる。


「王国にはこんな化け物が……。確かに、一筋縄にはいかない。急いで報告しないと」


 その魔眼を青く輝かせながら、女はついに動き出す。

 しかし、彼女の行先は前ではない。瓦礫の山から飛び降りるように、後方へ大きく跳ねた。

 その行動が、エウィン達を驚かせる。


「あれ? 逃げた……のかな? いや、警戒はしないと、か」


 傭兵らしい心構えと言えよう。

 敵の姿は見えなくなったが、その方角は大森林ゆえ、身を隠すにはもってこいだ。

 しかし、軍人は異なる視点で分析する。


「仲間が全員倒された以上、素直に逃げたと考えたいな。奴の魔眼を体験したこちらには、追いかけるという選択肢はないのだから……」


 マークの言う通りだ。

 パレードは前進を拒む。エウィンとアゲハにはどういうわけか通用しないのだが、裏を返せばマークやエルディアは追いかけられない。

 断言は出来ないものの、ここが戦場でなくなった可能性は非常に高い。

 だからこそ、生き残った魔女が声を上げる。


「パニス! ミイト!」


 後頭部で束ねた髪を揺らしながら、魔女のリリが駆け出す。アゲハの治療によって一命を取り留めた一人だ。

 弓使いのモルカカも生き延びたのだが、こちらは意識を失ったままゆえ、眠るように横たわっている。

 敵が去ったということは、ここには生き残った者とそうでない者が取り残された。

 第四先制部隊のほとんどが建物の倒壊に巻き込まれてしまったが、その周辺にも多数の亡骸が散見される。

 その中には軍服を着ていない女性が含まれており、それらが魔女に敗れたパニスとミイトだ。

 走り出したリリの背中を一瞬だけ眺めてから、エウィンが静かに指示を出す。


「アゲハさん、お願いします」

「あ、うん」

「僕は念のため、逃げたあいつの警戒を」


 適材適所と言えよう。

 エウィンは回復魔法が使えない。戦うことしか出来ない傭兵だ。

 襲撃者が現れないとも言い切れないため、瓦礫の山を迂回しながら森の方へ移動する。

 遠方には無数の針葉樹が立ち並んでおり、その森を人々はジレット大森林と名付けた。

 今はそこを目指す必要はないのだが、この少年は一歩、二歩と歩みを進める。


(こっちにも軍人さんが……。既にこと切れてる)


 ここは巨人の襲来に備えた拠点だ。

 そして、それらは西から現れ、東を目指す。

 ゆえに、ジレット大森林方面こそが監視すべき方角であり、そのための軍人が配置されている。

 残念ながら、彼らは既に屍だ。

 エウィンは歩み寄り、死体を一つずつ確認するも、誰一人として息をしていない。順番としてはこちら側の軍人から殺されたのだから、即死を免れたとしても助かる可能性は低い。


(考えてみたら、人間の死体って初めてなんだよな。父さんは船ごと燃えちゃったし、母さんとは……。う~ん、こうして落ち着いていられるのは、草原ウサギをたくさん殺したから……なのかな? と言うか、僕達が知らなかっただけで魔女と戦争してて、だけど、そうでない魔女さんもいて、なんかもう三つ巴みたいなことになってる、と)


 軍服を着た死体に別れを告げ、少年はゆっくりと歩き出す。

 その先には巨大な森が佇んでおり、エウィンにとっては未知の領域だ。


(ジレット大森林……。すごい、これだけ離れてても魔物の気配がいっぱい……。全部が黒トラだとしたら、確かに儲かるはずだ。案外遠くなかったし、ここのドタバタが落ち着いたらアゲハさんに提案してみよう)


 ジレットタイガー。全身を黒毛で覆われた、凶暴なトラだ。鋭利な爪で人間を引き裂き、巨大な牙で骨ごと砕く。機敏な動作も去ることながら、その筋力は傭兵さえもねじ伏せる。

 通称、黒トラと呼ばれるこれが生息していることから、この森は非常に危険だ。

 それでも腕に覚えのある荒くれ者がこぞって通う理由は、ジレットタイガーの牙に高値が付くためだ。

 武器や防具だけでなく、家具や小物にさえ使われることから、需要は常に高い。

 この金策の欠点は二つ。

 ジレット大森林が王国から遠いことと、黒トラそのものが手ごわいことか。

 そうであろうと堅実な稼ぎが見込めることから、強者にとっては選択肢の一つになり得る。


(あっちに逃げ込まれたら、追うなんてとてもとても……。相手が魔物なら気配でわかるけど、そうじゃないんだし……)


 魔女は人間だ。

 女王がそう宣言せずとも、今のエウィンにはハッキリとわかる。

 しかし、その殺意が自分達に向けられた以上、殺し合うしかない。

 この世界は強者だけが生き延びることを許されているのだから、弱者であろうと足掻くしかない。


(あの人、アゲハさんを見て青ざめてた。でも、何で? もう……ほんとに……、何もかもがわからない。スチールソードは折れちゃうし、靴も壊れちゃったし、はぁ、死体から武器をもらうなんてのはご法度だろうから、当分は折れたままでがんばろう。ぶっちゃけ、困らなそうだし……)


 前向きな思考ながらも、的外れではない。

 この傭兵は、ブロンズダガーを愛用していた。

 その短剣と比べた場合、刃が半分しかなくともスチールソードは上位互換でしかない。

 壊れかけゆえ長持ちはしないだろうが、ブロンズ製の武器よりは遥かに頼もしい。

 ゆえに、無駄足ではなかった。

 そして、少ないなりにも他者を救うことが出来た。

 そう自分に言い聞かせると、エウィンは踵を返す。


(大丈夫なんて言いきれないけど、ここから見てても時間の無駄か。みんなのところにいても守ることは出来そうだし、一旦戻ろう)


 森に背を向け、歩き出す。

 六人目の魔女には、逃げられてしまった。

 しかし、戦果としては申し分ない。被害は甚大だが、全滅だけは免れた。

 現時点で把握出来ている生存者は三名。

 軍人のマーク。

 許可なしに先行してしまった魔女のリリとモルカカ。

 手当が間に合えば、他にも救える命はあるはずだ。


(あぁ、生き埋めになってる人もけっこういそう。さすがに内側までは焼けてないだろうし、急いで救出しないと……)


 そのような淡い期待は、皆との合流によってあっさりと否定されてしまう。

 未だ焦げ臭いその場所に響く、甲高い泣き声。発生源はアゲハでもなければエルディアでもない。

 襲撃者との戦闘において、最後まで気を失わなかったリリだ。真っ赤な水たまりに座り込んだまま、死体を抱えて泣き叫んでいる。


「あ、エウィン、さん……」


 少年の帰還に気づくや否や、アゲハが悲しそうに歩み寄る。その手は赤色で濡れており、血だらけの死体に触れたことでその色に染まった。


「あの人も……、魔女?」

「うん。あっちの人は、間に合ったけど……」


 周囲に寝そべる死体は十を超えている。

 しかし、アゲハの言う通り、そのほどんどが手遅れだった。

 唯一、治療が間に合ったのは双子の片割れだけだ。剣と盾で応戦するも、右腕を切断され、頭を踏まれたミイトだけが一命を取り留めた。

 一方、リリが抱きかかえている死体は年長者のパニスだ。幾度となく切り刻まれるも、自身の回復魔法で延命を続けた結果、出血多量で絶命してしまう。

 起き上がらない他の者達は、全員が軍人だ。

 残念ながら、例外なく絶命しており、その中には副隊長のコッコも含まれている。

 絶望的な空気の中、エウィンは絞り出すように発言する。


「あ、崩れた建物の中を探さないと……」


 百人以上を収容出来る建物は、既に存在しない。

 グラットン。この攻撃魔法が多数の岩を生成、それらが雨のように降り注いだことで、巨大な基地は完膚なきまでに砕かれてしまった。

 それだけなら望みもあったのだろう。

 しかし、第四先制部隊の隊長を務めた男が、悔しそうにつぶやく。


「既に何人か掘り出せたが、誰だかわからないほどに焼かれてしまっている。追い打ちのインフェルノが、あまりに痛かった……」

「そんな……」


 瓦礫の下には、黒焦げの死体しか見当たらない。

 それが潰れているか否かの差はあれど、皮膚と軍服の境目がわからないほどには炭化しており、外見からは性別すらも見分けがつかない。

 全ての建材をどかしたわけではないのだが、この時点で絶望的であることには変わりない。

 それをわかってしまったからこそ、マークは震えるように涙を堪える。

 リリの泣き声で空気の振動を感じながら、エウィンもまた肩を落とすことしか出来ない。


「僕がもっと早く駆けつけていれば……」


 この独白に対し、マークは誰よりも早く反応を示す。


「君のせいじゃない。むしろ、君のおかげでオレ達は助かった。本当に感謝している」


 エウィン達が駆けつけなければ、この軍人とリリ達を救えなかった。

 この事実は揺らがないため、エルディアは魔女の長として口を開く。


「そうそう。偉そうな女はいなくなっちゃったけど、あいつは後から加わった奴だし、今回の勝利で敵討ちは終わったって感じ。新たな遺恨は、生まれちゃったけどさー」


 エルディア達の里は襲われ、半数の住民が殺されてしまった。

 残りは命からがら逃げ延び、今は王国に移り住んでいる。

 安らかな日常を取り戻せたが、彼らにはトラウマが植え付けられた。前触れもなく、大事な人達を奪われたのだから、その傷は決して浅くない。

 だからこそ、ある者は心を病み、ある者は怒りに震えた。

 復讐のために旅立ったリリ達がその一例だ。

 しかし、四人は敗れ去る。エウィンの加勢がなければ、全員が殺されていた。

 血まみれのパニスを抱えながら、彼女は涙を流し続ける。

 敗者ゆえに奪われた。

 弱者ゆえに仲間を失った。

 たったそれだけのことだ。この世界では、こういったことが当然のようにまかり通る。


「第四先制部隊の隊長として、エルディア殿にも感謝を述べたい」

「んー? まぁ、私も守られた側だからなー。あの時はお母さんに、その次はウイル君に、そして今回は……」


 二人の視線が、今回の主役へ向けられる。


「え? 僕ですか?」


 落胆しながらも、同時に驚いてみせる。このタイミングで話を振られるとは思っていなかったため、反応はどうしても淡泊だ。

 生き残った者の中で、心身共に最も疲弊しているのは軍人のマークだろう。

 リリは大粒の涙で頬を濡らしているが、対してこの男は心の中で泣き続けている。

 それでも二本の脚で立てている理由は、隊長としての意地だろうか。


「君のことは覚えている。オレ達のことを覗き見ながら、木の枝で素振りをしていたな」

「そ、そんな昔のことを……。懐かしいし、恥ずかしいです」


 古い思い出だ。

 エウィンは傭兵になるため、試験に受からなければならなかった。

 しかし、戦闘経験などない六歳の子供には、そのための力など備わっていない。

 ましてや、帰る場所も両親さえも失ってしまったのだから、身寄りのない浮浪者として、泥水をすすりながら這い上がるしかなかった。

 本来ならば、心が折れていただろう。

 故郷では村民から悪意を向けられ、逃げ出した矢先にゴブリンと遭遇、母親を殺された。

 そうであろうと、走り続けた。

 涙を流しながら森を抜けた。

 イダンリネア王国こそが、親子で目指した新天地だからだ。

 しかし、母はゴブリンに殺された。

 我が子を庇って、クロスボウで射抜かれてしまった。

 王国にたどり着けたエウィンだが、頼れる者がいない以上、吸い込まれるようにその場所へ行き着く。

 貧困街。放置された、再開発の予定すらない区画。

 少年は朽ちかけた倉庫に身を潜め、空腹に苛まれながら思考を巡らせる。

 父は燃えた。

 母は殺された。

 では、自分は?

 結論は、飢え死ぬ前に見つけられた。

 母がそうしたように、他者を庇って死にたい。

 目に焼き付いた光景と叫び声が、六歳の子供にそう思わせた。

 逃げなさい!

 母の最期の言葉だ。

 多数の樹木がおばけのように並ぶ中、視界の隅には黒いフルプレートを着こんだゴブリンが、その手に機械仕掛けの弓を携えていた。

 自分だけが助かってしまった絶望感。

 母を見捨ててしまった罪悪感。

 それらが混ざり合った結果、この少年は死ぬために生きることを選んだ。

 そして、十二年の月日が流れて、エウィンは運命の出会いを果たす。

 それがアゲハだ。

 彼女の涙が、奇跡をもたらした。

 襲撃者と渡り合えたのも、一重に彼女のおかげだろう。

 もっとも、それを知る者はどこにもいない。当人達もわかりかねているのだから、マークやエルディアは尚更だ。


「草原ウサギを狩り続けていると、風の噂に聞いていたのだが……。所詮は噂でしかなかったな。すごいものだ」

「私よりも足速かったから、もしやとは思ってたけどねー。あ、呼ばれたからあっち行ってくる」


 長として頼られているのだろう。エルディアが話の輪から一人離れる。

 その先には意識を取り戻した双子が待機しており、あちらはあちらで語らいだす。

 リリの嗚咽がいくらか音量を下げる一方、エウィンは傭兵として身の振りを考えなければならない。


「今更ですが、アゲハさんは体調大丈夫ですか?」

「あ、うん、だいじょうぶ、だけど……」

「おんぶしてる間、ずっと揺らしちゃってたので。それに……」


 この光景だ。

 彼らの足元には、多数の死体が転がっている。

 魔女に殺された軍人が、おおよそ十人。

 戦いに敗れた魔女が五人。

 普段から魔物を殺して生計を立てているとは言え、目を背けたくなるほどの地獄絵図だ。

 免疫がない人間ならば、吐き気を催したとしても不思議ではない。

 しかし、アゲハならば耐えられる。一人では無理だったが、エウィンが近くにいてくれるのなら、落ち着いていられる。

 精神力が強いわけではなく、支えがあるからこその忍耐か。


「エウィンさんこそ、疲れて、ない?」

「ぶっちゃけると、ヘトヘトです。こんな大移動、生まれて初めてですし。えっと、マリアーヌ段丘、アダラマ森林、バース平原をいっきに走ったのか。いやはや、自分のことながらも驚きです。帰ったら疲れを癒すためにも、野良猫を探してめちゃくちゃヨシヨシします」

「あ、わたしも、したいな」


 貧困街は港に隣接していることから、猫が浮浪者同様に住み着いている。漁師や近隣住民からおこぼれをもらうことで生き抜いているのだが、それゆえに人懐っこい。


「わざわざこっちに来なくても、宿屋の近くにもいたような?」

「あ、うん、時々、見かける、けど……、その……」


 アゲハとしてはエウィンと同じ時間を共有したいだけなのだが、この少年は機微な心情をくみ取れない。

 そればかりか、アクセスの悪さを危惧してしまう。貧困街は城下町の東側に位置しており、宿屋からは幾分遠い。

 そういった事情から、アゲハはアゲハで近隣の野良猫を探せば良いだろうというのがエウィンの主張だ。

 乙女心がわからない少年と、甘えたい大人。

 そんな二人を横目に、軍人は物思いにふける。


(部隊の全滅はオレの責任だ。罰は受ける。受けるが、その前に部下を弔ってからだ。そうは言っても、こいつらに手伝ってもらうわけには……)


 遺体の数は、八十を越えている。

 それらを埋葬するだけでも重労働なのだが、その多くが瓦礫の下に埋もれているため、先ずはそれらを片付けなければならない。

 体力的にはマーク一人でも可能だ。

 しかし、どうしても時間がかかってしまう。死体の腐敗は避けられないため、悪臭に耐えながら作業を進めるしかない。

 もっとも、魔女や巨人族が攻めてこない前提での話だ。

 そして、それは絵に描いた餅でしかない。


「エウィン、いや、ここはエルディア殿に頼むべきか」

「僕に出来ることなら手伝いますけど……。あ、瓦礫の撤去ですか?」

「それもあるが、帰国するのならこの件の報告と救援を頼みたい」


 第四先制部隊は隊長を除いて全滅した。

 もはや任務の遂行は不可能だ。

 ゆえに、ジレット監視哨の立て直しも含めて検討しなければならない。

 そのためには現状についての情報を持ち帰らなければならないのだが、遠距離通信の類は確立出来ておらず、帰国だけが唯一の手段だ。

 戻るのなら、軍にそう伝えて欲しい。

 マークはそう願い出るも、エウィンはただの傭兵ゆえ、それすらも困難だ。

 一方でエルディアならば、問題ない。彼女は元軍人な上、現在は魔女の長を務めている。

 王国軍だけでなく、一部の貴族にすら面識があり、エルディアが駆け合えばスムーズにことが進むだろう。


「あー、確かに僕なんかが軍区画に入り込んだら、首根っこ掴まれて追い出されそうですね」

「そこまではせんだろうが……。猫じゃあるまいし。ん? 空なんか見上げてどうした?」


 他愛ない雑談の最中、エウィンは頭上に違和感を覚えてしまう。

 当然ながら、その先には水色の空と白い雲しか見当たらない。今日も前日同様に眩しいほど晴れ渡っており、眺めたところで眼精疲労が和らぐだけだ。

 そのはずなのだが、この傭兵はゆっくりと青ざめる。


「ジレット大森林からは、魔物の気配がいっぱい感じられました」

「ほう、すごい特技だな」

「あそこには黒トラとかがいるから当然なんですけど、だとしたらこいつはいったい……」


 エウィンは知っている。

 付け加えるのなら、アゲハもこの状況を体験済みだ。

 しかし、マークにはわからない。

 わかるはずがない。


「魔物が空を飛んでいるのか? 珍しいが、なくはない話だな。しかし、見当たらないぞ?」

「僕にも見えてません。でも、確かにいます。これは、この感覚は、勘違いじゃない……」


 あれからまだ三か月と経っていない。

 ゆえに、再会は先だろうと思っていた。


「エウィン、さん……」


 少年の態度が、アゲハを心配させてしまう。

 彼女はこの件に関しては部外者ではない。

 だからこそ、本能的に歩み寄る。

 その時だった。

 エウィンが表情をこわばらせる。


「消えた? いや、そこか!」


 視認せずともわかってしまう。

 上空にいたはずのそれは、気づけば彼らの背後に浮いていた。


「ヤぁ、元気そうだネ」

「お、おまえは……」


 整った顔立ちは美人なのだろう。醜く笑っていなければ、見惚れていたかもしれない。

 赤い髪は長く、しかしそれは毛髪ではなく揺らめく炎の見間違いだ。

 手足はすらっと長く、きめ細かな肌には傷一つ見当たらない。

 これらが、胴体代わりの火球から生えている。

 魔物だ。

 誰が見ても、人間の女性とは見誤らない。


「本当ハ、黙っていなくなるつもりだっタ。デもネ、キミが退屈そうに見えたかラ……」


 女の顔で、魔物が笑う。素足は地面についておらず、ゆえに目線はほんのわずかだが下向きだ。

 エウィンは知っている。

 この化け物の名前を、ハッキリと覚えている。


「オーディエン!」


 いつかは殺し合う間柄だ。

 しかし、このタイミングは早すぎる。

 そうであろうと、二人は再び顔を突き合わせた。

 多数の命が奪われたここはジレット監視哨。

 正しくは、その跡地。

 魔女の襲撃を退けたことから、仮初の平和を手にしたはずだった。

 そのような勘違いを正すように、上空から舞い降りた魔物の名前はオーディエン。

 特等席から眺めていたいだけの存在が、今まさに介入する。

 相対する傭兵の名前はエウィン。

 全てを越えるための一歩は、もう踏み出した。

 ゆえに、ここが新たな舞台上だ。

 主役と観客が揃ってしまったのだから、アドリブであろうと演じるしかない。

 睨むように。

 楽しむように。

 両者は当然のように、視線を交わらせる。

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