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第三十一話 追跡

 三人が草原を駆け抜けると、眼前には隆々と並ぶ木々が現れる。

 イダンリネア王国を出発して、未だ二時間足らず。行商人ならば三日前後はかかる道のりなのだが、彼らが走ればあっという間だ。

 マリアーヌ段丘の北西に位置するここは、アダラマ森林。千年前はこの地で王国軍と巨人族が存続をかけて殺し合ったのだが、今では傭兵が腕を磨くための狩場でしかない。

 野原から森へ突入した瞬間、空気の質が移り変わる。樹木や地面から立ち込める匂いが、むせ香るほどに濃厚なためだ。

 塊のような空気が顔にぶつかるも、少年が減速する理由は他にあった。


「エルディアさん、少し休みませんか?」


 森林地帯であろうと人間の往来がある以上、道は用意されている。

 その上を走れば木々との衝突は避けられるのだが、エウィンはこのタイミングで速度を落としたい。

 その理由はアゲハだ。

 彼女の身体能力は確かに向上した。自動車のような速度で草原を横断してみせたのだから、疑う余地などない。

 しかし、ここにはそれ以上の実力者が二人も同行している。

 彼らと比較した場合、その差は歴然だった。


「おっけー。とりあえずはここまで来れたしねー。アダマ……、アダラ……、アダラマ森林? むむぅ、相変わらず言いづらいー」


 先頭を走る傭兵はエルディア・リンゼー。減速に伴い、乱れていた茶髪が本来のボブカットへその姿を取り戻す。

 ミディアムヘアーがふわりと内側へ向かうと、顔の輪郭をぼやけさせる。これはそういう髪型ゆえ、流行に左右されないヘアースタイルの王道だ。

 黒のロングスリーブを着ており、重ね着のように灰色の胸部アーマーを身につけている。それは首元からわき腹までしか保護しておらず、腹部や肩から先は無防備だ。

 防御性能を補うため、彼女は両腕にスチール製のガントレットを装着している。この武装ならば魔物との接近戦においても不自由しない。

 エウィンの提案を受け、立ち止まるように速度を落とす。オレンジ色のロングスカートが落ち着く頃には、その内側で二本脚があっさりと立ち止まった。

 次いで、少年も直立へ移行する。

 森に溶け込む、若葉色の短髪。

 やはり緑色の長袖と、黒一色の長ズボン。

 背負っているリュックサックは他二人と比べると倍以上も大きい。二人分の荷物を詰め込んでいるのだから当然と言えば当然か。


「アゲハさん、大丈夫ですか?」


 振り向き、問いかける。

 視線の先には、最後尾を走るアゲハ。毛先だけが青い黒髪と大きな胸を揺らしながら、力なく歩いている。

 幸薄そうな顔は苦しそうに歪んでおり、本来は小さいその口も今は開きっぱなしだ。

 青空を見上げながら、彼女はゆっくりと立ち止まる。


「う、うん……」


 その返事が空元気であることは、一目瞭然だ。

 灰色のリネンチュニックには汗で染みが作られており、額にも大粒の水滴が浮かんでいる。

 なにより、先ほどから足が上がっていない。

 おおよそ百キロメートルを二時間で走破してみせたのだから、もしもここが地球ならば、トップアスリートさえひれ伏すだろう。


「いっきにマリアーヌ段丘を越えましたし、キリがいいので休憩です」


 笑顔を振りまくエウィンだが、その顔には汗一つ見当たらない。

 エルディアも同様だ。彼女もまた、体力をほとんど消耗していない。


(あちゃー、思ってた以上だなー。このペースだと、絶対に追いつけないのう。まー、でも、なんとかなるか!)


 この魔女にとって、アゲハの同行は想定外だ。

 しかし、エウィンがそれを望んだ以上、拒むことは出来なかった。

 その結果がこれだ。

 当初思い描いていたよりも、明らかに進めていない。

 言い方を変えるなら、彼女はただただ足手まといだ。

 当然ながら、エルディアはアゲハのことを何も知らない。声をかけたエウィンのことさえ、掴みかねている。

 ゆえに、多少の遅れは織り込み済みだ。

 それでも、この進行ペースは遅すぎる。声には出さないものの、心の中で愚痴ってしまう。

 一方、エウィンは異なる視点で思案せずにはいられない。


(わからないんだよなぁ。同郷の人達がヤバイことになるのなら、僕なんかを勧誘してないでさっさと後を追いかければいいのに。あぁ、考え方が違うのかな? 丁度良いタイミングで僕のことを見かけたから、戦力に組み込んでやろうって魂胆なのかも。だとしても、そんなふわふわした方針で動くのは悪手にしか思えないけど……)


 わからないことだらけだ。

 急いでいるはずなのに、あまりに悠長過ぎる。

 つまりは、エルディアの立ち振る舞いには違和感を抱いてしまう。


(言うことを聞かずに出てった魔女は、四人。たったの四人……。目的地はその人達が住んでた里で、今はもう滅びてる。んでもって、襲撃してきた魔女に乗っ取られてるっぽい? いやはや、大惨事と言うか、僕達の知らないところでそんなことが起きてるなんて……。敵討ちしたいって気持ちも、そりゃわかるけど)


 無謀過ぎると断じてしまえばそれまでか。

 千人を越える里は、たった一晩で壊滅させられた。

 犯人は彼女らとは別派閥の魔女。その数は六人。

 つまりは、魔女同士で殺し合ったということだ。

 魔女とはつまり、魔眼を持った女性であり、イダンリネア王国に住まう者同様、人間に他ならない。

 この世界は魔物で溢れている。それらは脅威に他ならないのだが、それでもなお人間同士で争っているのだから、エウィンとしても首を傾げずにはいられない。


(なんで協力し合えないのかな? 人間宣言、魔女は魔物ではなく人間だって女王様が通達を出したのに……。あ、生き残った人達と僕達は隣人になれたのか。むぅ、一枚岩じゃないって言えばそれまでの話なのかな)


 王国の中にも多種多様の考え方があるように、魔女の中にも様々な事情や思惑が存在するのだろう。

 そう結論付けながら、エウィンはアゲハに寄りそう。

 彼女は完全に疲労困憊だ。支えなしでは立つことも困難な程度には苦しそうに息を乱している。


「お茶どうぞ」

「あ、うん……、ありがとう……」


 巨大な鞄から革製の水筒を取り出し、そっと手渡す。中にはイダンリネアティーが入っており、喉ごしも相まって水分補給としては申し分ない。

 ゆっくりとお茶を飲むアゲハに安堵しつつ、エウィンはその場を離れる。

 これからの進み方についてエルディアと相談しなければならない。目的地は明白ながらも、今回は追いかけっこのようなものゆえ、進むペースについても考慮すべきだ。

 そうであると理解しているからこそ、能天気な依頼人に違和感を覚えながらも仕事を真っ当するつもりでいる。

 なぜなら、エウィンは既に報酬を受け取っている。

 背負っている灰色の片手剣。スチールソードという名称通り、鋼鉄製の非常に頑丈な武器だ。

 もしも武器屋で購入する場合、カウンターにて七十万イールもの大金を支払わなければならない。平均的な仕事の月収に換算したら二、三か月分に達してしまう。

 アゲハの下着を女医に売却したことで手持ちに余裕はあるものの、それでも買えないほどには高額な片手剣だ。

 スチール製ゆえ、その性能は申し分ない。

 エウィンが今まで愛用していた短剣はブロンズ製だった。

 つまりは最底辺の武器なのだが、それでも草原ウサギ程度なら問題なく殺すことが出来た。

 次点のランクがアイアンに該当するのだが、アゲハの短剣がここに位置する。マリアーヌ段丘だけでなく、隣接する土地へ活動範囲を広げる程度なら十分過ぎる武器と言えよう。

 その次がスチール製の武具だ。

 これを所持することが、一人前の証だと考えられている。

 なぜなら、この武器ならば巨人族とさえ渡り合えるからだ。頑丈な上に切れ味も申し分ないのだから、遠征する者にとっては必需品と言っても過言ではない。

 エウィンの武器が折れたブロンズダガーでは心もとない。そう考えたエルディアが、今回の同行を依頼する際に対価として提案した。

 報酬は金ではなく、スチールソードでどうだろうか、と。

 実は、一石二鳥のアイデアだ。

 実家が武器屋を営んでいるため、簡単に用意出来ること。

 そして、エウィンの戦力を底上げ出来ること。

 この提案を断る理由などなく、少年は疑いながらも二つ返事で了承した。


「エルディアさーん」

「んー?」


 巨大な鞄を置き去りにして、エウィンが歩き出す。

 その先には長身の女傭兵が退屈そうに立っており、肩の上で揺れる茶髪をクリクリといじっていた。

 そんな二人が話し込む様子をこっそりと眺めながら、アゲハは一人静かに落ち込んでしまう。


(わたし、足引っ張っちゃってる……。エウィン君が、すごいのはわかってた、けど……、あの人も……)


 押し寄せる劣等感。当然ながら抗う術などなく、ましてやそれが事実である以上、体のだるさと共に受け止めるしかない。

 森に足を踏み入れた直後であろうと、周囲には無数の落ち葉が横たわっている。その内の一つを人差し指で跳ね飛ばしながら、アゲハは自身の立ち位置を再確認する。


(速く、走れるようには、なった……。でも、足りてない。わたしは、もう、ヘトヘトなのに……)


 エウィンとエルディアは、出発する直前のように元気いっぱいだ。

 つまりは全力を出していないどころか、この距離を疾走してもなお、散歩以下の負荷なのだろう。

 ありえない。

 ありえないのだが、これが傭兵だ。

 もちろん、アゲハの実力も申し分ない。彼女の身体能力は見違えるほど向上しており、ウッドファンガーを素手で倒せたことがなによりの証拠だ。

 そうであろうと、テンションは上がらない。

 自身を励ますことすら出来ずにいる。


(うぅ、ついていかない方が、いいのかな……。戻るって、言った方が……)


 しかし、そう提案する勇気すらない。

 不甲斐なさに押し潰されながら、倒れ込むように座り込む。喉を潤すことで体力の回復に努めており、逆説的にはこれ以外は何一つ出来ない。

 日中であろうと、森の中は静まり返っている。陽が沈めば虫の合唱が始まるのだろうが、今は無音のような静けさだ。前方で話す二人の声さえ、届かない。

 そうであろうと警戒は必要だ。

 ここは魔物の生息域。カニやヒツジがうろついており、奥地にはカマキリさえも潜んでいる。それらは動物や昆虫ではなく、正真正銘の魔物だ。駆け出しの傭兵程度なら返り討ちに出来てしまう。

 ゆえに本来ならば気を緩めてはならないのだが、今回に関しては問題ない。ここには腕の立つ傭兵が二人もいる上、土地と土地の境目付近には魔物が寄り付かないことから、作戦会議にはもってこいだ。


「アゲハさん、大丈夫そー?」

「まぁ、休めば」


 エルディアとしても心配せずにはいられない。

 アゲハがこれほどに疲弊するとは予想していなかった。確認不足でしかないのだが、今は盗み見るように彼女のことを観察する。


「君は元気そうだねー。お母さんが言ってた通り、なかなか強そうじゃん?」


 厚みのある唇を釣り上げながら、エルディアが笑みを浮かべる。

 手合わせせずとも、身のこなしからある程度は推測可能だ。

 この少年は只者ではない。

 そう直感した以上、戦力として当てにしたいと考える。


「その、自分のことながらも曖昧で……。このペースだと、森を超える頃には夜になっちゃいますけど、どうしますか?」


 現在地は、アダラマ森林の入り口。

 ここを越えるとバース平原にたどり着くのだが、目的地はさらにその先だ。

 つまりは、今日中には絶対にたどり着けない。それをわかっているからこそ、エウィンは判断を委ねる。


「う~ん、あの子達、ぼちぼち着いてそうだしなー」

(まぁ、そうだろうな。その人達は朝一で出発したんだから……。いや、あり得ないくらい速いけど、だけど、そういう人達だから勝てると思っちゃったのかな)


 今回の遠出はただの旅ではなく追跡だ。

 先行する四人の魔女に追いつき、さらには説得しなければならない。

 早まるな。

 諦めろ。

 どのような言葉をかけるのかまではエウィンにもわからない。

 何はともあれ、追いついてからの話だ。

 ここで休んでいる時間など本来ならばないのだが、アゲハの同行を許可した時点でエウィンには想定出来ていた。


「お伝えしていませんでしたけど、アゲハさんは傭兵になったばかりで……。それこそ、先月? 先々月? そんな感じです」

「え、そうなの? 君とペアを組んでるから、てっきり長いものかと」

「僕だって、実はこっち方面に来るのは初めてです。だから、ここから先の道がわかりません」


 エウィンは経歴だけなら誰よりも長い。

 傭兵試験に合格したのは十一年前。当時はまだ七歳だった。

 しかし、その後はマリアーヌ段丘で草原ウサギだけを狩り続けたことから、アダラマ森林への遠征は初めての経験だ。


「大丈夫、道沿いにモリモリ進めばオッケー。だけど、そっかー。傭兵になったばっかりかー……。え? 本当に?」

「はい、そうですけど……」


 この瞬間、エルディアはマネキンのように静止する。

 実は、ありえないことをこの少年は言い放った。

 だからこそ、彼女は困惑するように黙ってしまう。


(んー? たったの数か月で、ここまでってこと? だとしたら、相当にヤバイな)


 エルディアの思考は概ね正しい。

 普通の人間ならば、マリアーヌ段丘を駆け抜けることなど出来ない。

 ましてやそれを二時間でやってのけたのだから、その身体能力は紛れもなく傭兵のそれだ。

 問題は、その段階に至った期間。

 アゲハに関してはあまりに短すぎた。いかに魔物を狩ろうと、それほどの急成長は人外のそれだ。

 エルディアは多数の傭兵と関わってきたことから、誰よりもその異常さを理解出来てしまう。


(変な子だとは思ってたけど、やっぱり普通じゃないなー。足手まといかもだけど、連れてきて正解だぁ。なんか面白いものが見れそう)


 非常事態にも関わらず、魔女が静かに喜ぶ。同胞が騒ぎを起こすかもしれないという危機感よりも、疲弊中の玩具に興味をそそられた瞬間だ。

 一方でエウィンは分析を進めずにはいられない。左脚に重心を傾けながら、核心的な質問を投げかける。


「この感じだと、追い付く頃にはあらかた終わってそうです。いやまぁ、ぶっちゃけ、初めからわかってましたけど。だって、四人の魔女さんは朝一番に出たんですよね?」

「そだよー」

「今更なんですけど、なんでさっさと追いかけなかったんですか? いや、止めなかったんですか?」


 この少年がそう思うことは至極当然だ。

 少なくとも、自身を探して勧誘している場合ではない。戦力が必要ならば、仲間内で補充すべき案件だからだ。


「んー? 説得なら毎日のようにしてたよー。まぁ、でも、ダメだったねー。仕方ないと言えば確かにその通りで、だって、二か月前にも同じようなことがあったんだけど、結局誰一人として帰って来なかったから」

「え? 初耳なんですけど……。その人達は何人で?」

「九人。みーんな、なかなかの手練れで、里が襲われてからは毎日のように鍛えてたから、やり返せるって確信を持ってたはず。だけど、ダメだった。まぁ、多分なんだけど」


 仇討ちのための遠征は、今回が初めてではない。

 一回目の結果については定かではないのだが、二か月経った今なお帰還する者がいない以上、そうであることはほぼほぼ確定か。


「あー……、だから今回の四人は焦ってて、封鎖が解けるのを待っていられなかった、と。もしかすると、その九人が生き残ってて、戦ってるのかもって考えたのか。確かに、居ても立っても感じだな」


 もしくは相手の魔女に敗北し、囚われてしまったか。

 希望的観測を持つのなら、遠いその地で今なお互角の戦いを繰り広げているのだろう。

 しかし、そうでないことを魔女の長は誰よりもわかっている。

 なぜなら、相手は常軌を逸する強者だった。

 それゆえに、楽観的な妄想には浸れない。


「そだねー。私とお母さんは諦めてるけど、その子達は諦めなかった。そういう意味でも強い子なのよー」

「強いって言いますけど、実際にはどのくらいなんですか?」

「えっとねー、本気を出した私相手に、四人がかりなら少しだけ競っていられるくらい?」

「なるほどなるほど……」


 エウィンは納得する素振りを見せるも、心の中では首を傾げてしまう。

 わかるはずがない。

 眼前の女性について何一つわかっていないのだから、ものさしとして不適切だ。


「リリちゃんが一番で、次がパニスさん。んで、ミイトちゃんとモルカカちゃんって感じかなー」

(一斉に名前を言われてもなぁ、一人も覚えられぬ……)


 リリ。

 パニス。

 ミイト。

 そして、モルカカ。

 これらが、追いかけている魔女達の名前だ。

 四人が王国を飛び出してしまったがゆえに、魔女のまとめ役でもあるエルディアが追いかけることになった。

 エウィンとしては巻き込まれた形なのだが、報酬を受け取った以上、最善を尽くすつもりでいる。


「その人達は間違いなく、僕達よりも先にジレット大森林、いや、監視哨についてしまいます。そうなると……」

「王国軍と喧嘩になるかもねー。今、派遣されてるのは第四先制部隊だから、どっちも無茶はしないと思うけどー」


 イダンリネア王国の軍隊は大きく四つに分類される。

 王族の護衛に特化した、光剣守備隊。

 領土を守護する王国防衛軍。

 巨人族を討伐するため、僻地へ赴く遠征討伐軍。

 そして、監視哨に派遣される先制防衛軍。

 それぞれにそれぞれの役割があるのだが、現在のジレット監視哨には先制防衛軍の四番隊が常駐している。

 エルディアは彼らと面識があり、だからこそ最悪の事態が起きないことを確信済みだ。


「その四人の出方次第な気もしますね」

「そだねー。リリちゃんは特に血の気の多い子だからなー。食ってかかるだけならまだしも、いきなりグーパンチとかも……」


 手を出すことは悪手以外の何物でもない。王国軍相手に敵対することは、謀反を起こすと同義だからだ。

 釈明の出来ない犯罪であり、実行犯だけでなく残りの三人も囚われてしまうだろう。

 もっとも、それならそれで構わないとエルディアは考えている。

 なぜなら、少なくとも命までは奪われないからだ。

 独自のルートで謝罪すれば、四人を釈放してもらえるとも予想しており、里を襲った連中と戦わずに済むのなら悪くない結果だ。


「いかにその四人が強くても、相手は王国軍。多勢に無勢な気がします」

「そうだと思うよー。あそこの隊長さんはめちゃくちゃ強いしねー。四人で一斉にかかれば勝てるかもだけど、それだって怪しいからなー」

「へー、それほどなんですか。あ、だったら、エルディアさんとその隊長さんがサシで戦ったら?」

「わからん。そりゃまぁ、魔眼を開放すれば私だろうけどさ」


 実は、エウィンは魔眼について何もわかっていない。瞳の黒目部分に特徴的な赤円が浮かび上がっていること以外は把握出来ておらず、長年の疑問をこのタイミングで問いかける。


「魔女さんの魔眼って、結局何が出来るんですか?」

「んー? 一言だとなかなか難しいのよねー。そもそもなんだけど、目ん玉が魔眼だとしても能力の発現は……、どのくらいだ? えっとー、うちの里の場合、十人くらいだったかな?」

「それって、魔眼だとしても何かが出来る人と出来ない人がいるってことですか?」

「そゆことー。十人に一人? いや、もっと少ないか。んでもって、使える能力もみんなバラバラで、私のは……、丁度良いから見せてあげようか?」


 魔法や戦技の習得は、己の戦闘系統によって左右される。

 裏を返すなら、戦闘系統が同じ者同士ならば同じ神秘を行使可能だ。

 しかし、魔眼にはそういった法則性はなく、そういう意味では天技に近い概念なのだろう。


「何が丁度良いのかわかりませんけど、い、痛いのは勘弁してください……」

「そういうのじゃないから大丈夫ー。むっふっふ、いくぜー、ビカー」


 気の抜けそうな合図だ。

 そうであろうと、彼女の両眼が呼応するように青く輝き始める。眼球全体ではなく、虹彩部分だけが青色の光を放っており、だからなのか、赤線の円が異様な存在感を放つ。

 エウィンとしては身構えずにはいられない。

 眼前の魔女が何をしようとしているのか?

 自身に何が起きるのか?

 何もかもがわからない以上、心臓の鼓動は興奮するように高まってしまう。

 そう。魔眼の効果は、少年を既に蝕んでいた。


「う? え? これって、まさか、そんな……」


 昂る感情に驚きながら、エウィンはよろけるように後ずさる。

 どこかが痛むわけではない。

 しかし、妙な息苦しさを覚えてしまう。

 その正体をこの少年は理解しており、だからこそ戸惑わずにはいられない。

 なぜなら、ありえないからだ。このタイミングでそのような感情を抱く理由がなく、それゆえに解答を待ちわびる。


「お、効果てきめんっぽい? どう? ムラムラした?」


 心底嬉しそうに、エルディアが笑みを浮かべる。まるでいたずらが成功した子供のようだが、その発言は意味不明だ。


「は、はい……。何ですか、これ?」

「私の魔眼の影響だよー。能力名はドーンブルー、見るだけで相手を欲情させるゼ」

「うわ、とんでもない。確かにこんな魔法や戦技は存在しないけど……」


 エルディアの魔眼は、異性限定ながらも強制的に発情させることが可能だ。戦闘に役立つものではないため、彼女がこれを使う機会は滅多にない。

 エウィンはこの状況を理解しつつも、こうなってしまっては手遅れだ。生理現象ゆえに抗うことも出来ず、ゆっくりと前屈みになって誤魔化す。


「ぶふっ! やっぱりそういう姿勢になっちゃうんだ! ウイル君もよくなってたなぁ」

(だから誰なんだその人……。うぅ、とんでもない、本当にとんでもないぞ、この人……。二度と関わってたまるか)


 見られたら最後、強制的に欲情させられる。

 時と場所を選ばない上、抗う術すらないのだから、男にとっては最悪の魔眼だろう。

 エウィンは動けないまま、様々な何かが治まるのを待つしかない。


「とまぁ、これが私の魔眼で、普通はここまでなんだけど、私とお母さんは特別だったみたいで、その次があるの」

「その次?」

「百年だか五百年だかに一人の割合で発現する、魔眼の第二段階。おー、自分のことながらもなんかカッコイイ」


 イダンリネア王国の建国が、今から千十八年前。

 もしも彼女の言うことが本当ならば、確かに希少な何かであることは間違いない。


「年数に随分とひらきがあるような……。まぁ、いいです。第二段階って何ですか?」

「んとねー、第一段階が、こういう一人ひとり違う能力でー、ビカー」

「うわ! もう止めてください! お、襲うぞこの野郎!」

「ぷぷ、怒った怒った。お姉さんに勝てるかなー? こう見えても強いよー?」


 またも訪れた、抗えない欲情。体の奥底からムラムラしてしまうも、それが魔眼によるものゆえ、エウィンとしても腹を立てずにはいられなかった。

 アゲハは少し離れた地点で休憩しており、このやり取りは聞かれていない。今しがたの叫び声は届いたはずだが、相対するエルディアが楽しそうに笑っていることから、理解は困難だろう。


「だ、第一段階はわかりましたから……。その次を教えてください」

「そこまで言うのなら教えてしんぜよう。お姉さんにムラムラしながら、耳をかっぽじって聞きたまえ」

(く、こいつ……!)


 誰のせいで発情しているのか、それを考えるだけでエウィンはさらにご立腹だ。

 しかし、今は黙ることに徹する。暴れるのは答えを知ってからでも遅くはない。


「私とお母さんだけがたどり着けた、次の領域。魔眼の第二段階、あめのおきて」


 そして静寂が訪れる。エウィンは当然ながら、講師役も黙ってしまったためだ。

 ゆえに、促さずにはいられない。


「ん? 見せてくれないんですか?」

「あれ、見たいの?」

「そりゃまぁ、ムラムラさせられた手前、期待しちゃいます」


 二人が首を傾げる理由は、意味不明なやり取りが原因ではない。

 あめのおきて。それについては名称しか明らかにされなかった。

 実演してもらえると思っていたことから、エウィンとしては肩透かしだ。


「ちょっち疲れちゃうからなー。その内ねー」

(なん……だと……)


 前屈みの姿勢から、崩れ落ちるように両手と両膝を地面につける。いわゆる四つん這いの姿勢だ。

 魔眼については教養を深めることが出来たものの、最後の最後でじらされてしまった。第二段階に興味があるわけではないのだが、落胆せずにはいられない。


「あっちのアゲハさんも休めたと思うし、そろそろ出発しよっか。あ、もしかしてー、プププ、まだ走れないかなー?」

「誰のせいだと思ってるんですか……。落ち着くまでもうしばらく待っててください。いや、本当に……」


 エルディアの言う通り、エウィンは立ち上がれない。前屈みのままなら起き上がれるものの、走ることはおそらく困難だ。

 眼前には茶色い地面。少年はそれを眺めながら、恨めしそうにぼやいてしまう。今なお、体の一部が猛々しく硬直しており、落ち着く素振りすら見せてくれない。普段なら意志の力である程度制御可能なのだが、今回はきっかけがきっかけゆえ、待つしかなかった。


「男の人って面白いねー」

(もういいや、好きなだけ笑って……)


 ある意味で悟りのような境地だが、諦めているだけとも言えよう。

 先行する四人の魔女。

 追いかける、即席の三人組。

 その差は歴然だ。旅立ったタイミングが半日近くもずれ込んでいるのだから、追い付けるはずもない。

 そうであろうと、今は進む。

 それが依頼人からの要望であり、報酬を受け取った者の定めだ。

 返品という選択肢はありえない。せっかく手に入れた片手剣ゆえ、エウィンとしても手放したくなかった。

 ましてや、彼女達は被害者だ。

 故郷を襲われ、身内や隣人を容赦なく殺された。

 千人を越える住民は、半数近くが葬られてしまった。

 あまりにも痛ましい事件だ。

 復讐を果たしたいという気持ちには、素直に共感出来てしまう。

 ゆえに、協力を仰がれた以上、手を抜くつもりなどない。

 アゲハは確かに足手まといだ。

 そうであろうと、問題ない。


「アゲハさーん!」


 起き上がれないまま、呼ぶことから始める。彼女の元へ向かうには少々しんどいため、あちらの方から来てもらうしかない。


「どうしたの?」

「僕が動けるようになったら出発しましょう。んでもって、ここから先は本気で走ろうと思います。だから、僕がアゲハさんをおんぶします」


 つまりはそういうことだ。

 アゲハを走らせた場合、進行速度はせいぜいが自動車程度でしかない。

 しかし、彼女を背負えば、いくらでも加速することが可能だ。


「うん、わかった。ところで、何してるの?」


 至極まっとうな質問だ。

 眼下の少年は、未だに四つん這いの姿勢を維持している。

 欲情しており、動けない。そう伝えても良かったのだが、エウィンは地面を直視したまま、当然のように言いきってみせる。


「地質調査です。ここには初めて訪れたので」

「そう、なんだ。偉いね」


 そのやり取りを眺めながら、魔女だけは笑い続ける。諸悪の根源なのだが、無自覚ゆえ、この状況をただただ楽しめてしまう。


(さーて、みんな無茶しないでねー)

(おんぶ……。ちょっと嬉しい……)

(いつ治まるんだ、本当に!)


 魔女と魔女が殺し合っているという事実。

 ジレット大森林の封鎖。

 これらが結びついた時、新たな戦いが始まってしまう。

 今のエウィンは知る由もなかった。

 その中心に、自身が立たされるということを。

 もはや引き返すことは出来ない。ここは線の上ではなく、既に飛び越えた後だ。

 戻ろうとしたところで、後ろは袋小路。前進以外はありえない。

 今回の目的地はジレット大森林。

 正しくは、先行する四人に追い付くこと。

 しかし、エウィン達はマリアーヌ段丘を越えたばかりゆえ、その後ろ姿さえ見当たらない。

 遊びは終わりだ。

 ここからが本番だ。

 依頼の詳細が明かされた以上、その足取りに迷いなど生じない。

 ましてや、エウィンの最終目標も明白だ。

 アゲハを、元いた世界へ戻すこと。

 そのためには、この段階で躓いてなどいられない。因果関係などなくとも、そう思ってしまったのだから、ひたむきに走るだけだ。

 彼女を地球へ帰してあげたい。

 そして、母親と合わせてあげたい。

 そう願う気持ちに偽りはなくとも、少年の奥底には全く別の野心が潜んでいる。

 アゲハを庇って死にたい。

 母に守られ、生き延びてしまった負い目。

 もしくは、思い込みと現実逃避から発生した呪いか。

 どちらにせよ、エウィンはその森を目指す。

 封鎖されるほどには危険なのだから、願ったり叶ったりだ。

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