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第二十九話 彼女の名前はエルディア

 その女性は知る人ぞ知る傭兵だ。実力も去ることながら、悪意のない行動が悪名をとどろかせている。

 新人潰し。

 そう呼ばれる理由は明白だ。

 この傭兵は困っている新人を見かけると、親切心から手を差し伸べる。

 ここまでならありふれた話だ。

 しかし、その先が少々異なる。

 次の日も。

 その次の日も。

 彼女はその若人に付きまとう。

 悪気はない。ただただ助けたいだけだ。

 問題はここからだ。

 彼女は新人を連れまわすのだが、実力に見合わないオーバーワークを強いてしまい、さらにはそれを当然のように何日も続けてしまう。

 例えるなら、五十メートル走の記録が八秒の人間に対し、六秒で走れるまでトレーニングを強いるようなものか。

 もちろん、悪気はない。彼女は好意でそうしてしまう。

 その結果が、逃亡だ。

 傭兵という世界に飛び込んだ若者が、その過酷さに耐えかね挫折する。

 そして、彼女から逃げる。

 その先は二パターンに分かれる。

 傭兵そのものを止めてしまうか、他者に助力を求めるか。

 どちらにせよ、彼女は一人になってしまう。

 そして、次の獲物を探してしまう。

 その繰り返しだ。

 その結果が、新人潰しという悪名だった。

 エルディア・リンゼー。二十五歳の傭兵。

 身長は高く、アゲハは当然ながらエウィンでさえ見下ろせる。

 愛用している武器は背中の大剣だ。鋼鉄製のそれはスチールソードと呼ばれており、幅広な刃はあらゆる魔物を両断する。

 首元から鳩尾までをカバーする鎧はスチールアーマー。両腕についても灰色の防具で保護している。

 一方で下半身は守られていない。

 履いている着衣はロングスカートだけ。オレンジ色のそれは裾が地面に届きそうなほどに長く、その結果、素足を完全に隠れている。

 彼女は傭兵だ。

 同時に、魔女でもある。

 その瞳の虹彩部分には赤線で描かれた円が内包されており、人はそれを魔眼と呼ぶ。

 この女性のことを、エウィンは当然ながら知っている。傭兵の端くれとして、彼女のあだ名くらいは把握済みだ。

 実は、それだけではない。

 エルディアという人物は以前こそただの傭兵だったが、今ではそれなりに名の知れた人物だ。

 そのような魔女に話しかけられたのだから、エウィンとしては戸惑ってしまう。

 とは言え、名乗り出られた以上、一先ずの応対は必要か。


「いえ、僕はエウィンって人ではありません。人違いだと思います」

「あ、そっかー。めんごめんご!」


 悪びれない嘘だ。

 しかし、保身のためにはやむを得ない。

 緑髪の少年が目当ての人物ではなかったことから、エルディアと名乗った魔女が気まずそうに立ち去る。

 一方、残された二人は少々複雑だ。彼女の目的がわからないことと、嘘をついてしまったことへの罪悪感から、こそこそと話し出す。


「い、いいの?」

「はい。実はこういうことが前にもありまして……。その時はどういうわけか、痛い目を見ました」


 謎の二人組、ネイとキールに襲われた件はすっかり過去のことだ。

 それでも忘れることはない。彼らの目的は未だ不明ゆえ、エウィンとしても身構えてしまう。

 エウィンとアゲハは朝食を食べ終えた直後だった。

 ギルド会館の食堂は値段がお手頃な上、量も申し分ない。

 ゆえに傭兵は仕事抜きでもここに通うのだが、二人もそういう意味では同類だ。今日という一日の予定を立てておらず、とりあえずは習慣のように掲示板エリアで依頼を物色するつもりでいた。

 その道中でエルディアに話しかけられたのだが、少年は他人の振りをすることであっさりとやり過ごす。

 隣で案山子のように立っていたアゲハとしても、この状況には首を傾げてしまう。


「あの人、何の用事、だったのかな?」

「さぁ? エルディアと言えば、そこそこ有名な傭兵なんですけど、少なくとも僕と接点はないはずです、多分……」

「綺麗な人だったね。背も高くて、多分、スタイルも……」


 女性のアゲハですら、その魅力には唸るしかない。

 最低限ながらも整えられた、茶色い髪はボブカット。

 蠱惑的な、分厚い唇。

 何より、魔眼はそれだけで神秘的だ。赤い丸が描かれていること以外は何も変わらないのだが、その有無がやはり大きい。

 一方で、彼女のボディラインは不明瞭だ。スチール製の胸部アーマーを身につけていることと、長過ぎるスカートがシルエットを隠している。


「腕は確かでしょうし、そういう意味では体は鍛えられてそう。ちなみにあの人、以前は一介の傭兵でしたが、今では魔女を束ねる代表みたいなことをしてて、だからこそと言いますか、そんな人が僕なんかに用事があるとは思えないんです」


 ゆえに、身構えてしまう。

 咄嗟に嘘をついてしまったが、相手が相手なだけに気になるのも事実だ。


「あっさりと引き下がったね。もう見当たらないけど、追ってみる?」

「いえ。意地悪な言い方になっちゃいますけど、こっちは何もありませんから。んじゃ、掲示板でお仕事探しましょう。臨時収入のおかげで小金持ちになれましたけど、武器や防具を買えば一瞬でなくなりますし、コツコツ稼ぎましょう」


 帰国後、エウィンは女医のアンジェに新たな取引を持ちかけた。

 アゲハが転生時に身につけていた下着だ。ショーツに関しては所有者たっての希望により除外したが、ブラジャーだけでも手駒としては十分だった。

 数千イールから高いものでも数万イールで買えるはずのそれに、女医は三十万イールを提示した。

 ありえない金額だ。一般的な仕事の月収に匹敵するのだから、血迷っているとしか思えない。

 しかし、それほどの価値があると、この医者は見抜いている。

 なぜなら、アゲハの着衣は未知の物体だからだ。

 使われている繊維。

 加工方法。

 デザイン。

 その全てが地球のものであり、つまりは異世界の産物だ。

 イダンリネア王国では作ることすら出来ない。

 だからこそ、希少価値が高いどころの騒ぎではなく、本来ならば見ることも触れることも出来ない代物だ。

 調査せずにはいられない。

 否、調査したいに決まっている。

 アンジェはそれをわかっているからこそ、アゲハのジャージ、ジーパン、さらには下着をポケットマネーで購入、知り合いの研究者に横流ししている。

 文明が遥かに発達している地球の生地を、この世界で研究しても良いのか?

 そういった道徳的問題はあるのだが、綺麗ごとでは腹は満たされない。エウィンは生きていくために彼女の衣服を買い取ってもらった。

 もちろん、アゲハも承知の上だ。


「お金、いっぱいだね」

「アゲハさんさまさまですよ。僕としては、そろそろバースレザーアーマーを買いたいなぁ、なんて思ってたり。確か、十万だか二十万なので手が届いちゃう」

「うん、今度はエウィンさんの、鎧を買わないと、ね」


 アゲハは既に武器と防具を揃えている。

 アイアンダガーとリネンチュニック。残念ながら一級品とは呼べないものの、新人にしては豪勢か。

 一方、エウィンは素手な上に安い服しか着ていない。腰の短剣は折れたブロンズダガーゆえ、単なる飾りだ。

 それでも問題ない理由は、この少年が魔物を殴って倒せるから。

 草原ウサギも。

 ウッドファンガーも。

 スケルトンやゴブリンですら、完膚なきまでに殴り殺せてしまう。

 この時点で実力は本物だ。人間のほとんどが草原ウサギにすら勝てないのだから、エウィンという傭兵がいかに屈強か、実績が物語っている。

 しかし、ここはギルド会館。腕っぷしを自慢したところで仕事は見つからない。自らの足で掲示板に赴き、羊皮紙に記載された依頼内容を吟味する必要がある。

 ゆえに、二人は改めて向かうのだが、その足は再度止められてしまう。


「むっふっふー、やっぱり君がエウィン君なんだねー」


 驚いた時には、もう遅い。

 去ったはずの魔女が、意気揚々と再び現れた。

 エルディア・リンゼー。先ほどの女性だ。


(な⁉ さては人混みに紛れて……)


 聞き耳を立てていたのだろう。アゲハがその名前を口にした直後ゆえ、エウィンの予想は正しい。

 エルディアの表情は満面の笑顔だ。美人でありながら子供のように笑っており、そのアンバランス具合が彼女の魅力を引き立てる。

 驚く少年とは対照的にに、魔女は心底嬉しそうだ。探していた傭兵が見つかったのだから、当然と言えば当然か。


「そんな警戒しなくてもいいのにー。お姉さんは悪い傭兵じゃないよー。ところでさー」


 一旦言葉を区切りながら、エルディアの魔眼がその視線を隣の人物に移す。

 エウィンからアゲハへ。

 その意味するところが何なのか、二人にわかるはずもない。

 ゆえに沈黙しか選べないのだが、答え合わせはあっさりと済まされる。


「お、おっぱい、でっか! 私と同じくらいあるんじゃ……、すげー」


 言い終えるや否や、ケラケラと笑い出す。

 何が面白いのか理解出来ないことから、エウィン達はうろたえることしか出来ない。


「あの~、僕に何の用ですか? それともアゲハさんに?」

「あ、ううん、キミキミ」


 こうなってしまっては観念するしかない。

 エウィンは改めて向き合うと、本題を催促する。

 しかし、先ずは勘ぐらずにはいられなかった。


「そもそも、どうやって僕の名前を?」

「ん? 私のお母さんだけど?」

「え……」


 予想外の返答が、少年の思考を停止させる。

 エウィンとエルディアに接点などない。

 ましてや、彼女の母親についても同様だ。

 そのはずだが、眼前の魔女は母親からの指示でここを訪れたらしい。

 状況が飲み込めないことから、エウィンはポカンと口を開いてしまう。


「私も傭兵の端くれだから、君とはちょこちょことすれ違ってたけど、こうやって話すのは初めてだねー。ヨロシク!」

「はぁ、どうも。あ、こちらはアゲハさんです」


 このタイミングであろうと、挨拶は挨拶だ。相手の目論見がわからないまま、二人は一先ず歩み寄る。

 とは言え、アゲハは喋らない。人間不信は治っていないため、どうしても萎縮してしまう。


「アゲハさんねー。あ、どうしよ? お母さん、エウィン君のことしか言ってなかったんだよなー、困ったゼ」


 周囲には多数の傭兵がいるのだが、それゆえに彼らの話し声や足音が建物内を賑わしている。

 そうであろうと、エルディアの声がきちんと聞こえる理由は、腹から声が出ているおかげだ。

 つまりは問題なく聞き取れるのだが、それでもなお話が見えない。エウィンは急かすように問いかけてしまう。


「あなたのお母さんが、僕に何の用事が?」

「ん~、何から話せばいいのかな? えっとね、あ、立ち話もなんだからそこでどう? パインジュースおごるよ?」

「え⁉ パインってかなりお高いですよ……」


 エウィンが驚くのも無理もない。

 パインジュース。鱗のようなもので覆われたパインというフルーツの搾り汁だ。

 お茶が百イール前後で買えるのに対し、これは一杯が二千イールと非常に高い。

 奮発すれば庶民でも手が届くのだろうが、浮浪者のエウィンには高嶺の花だった。

 ゆえに、飲んだことがないのだが、この魔女は平然と言ってのける。


「ふっふっふ、お母さんからお駄賃もらったから、余裕だゼ」


 二十代半ばの女性とは思えない発言だが、少年は既に錯乱している。


「ゴチになります」

「よし、いきましょー」


 アゲハだけが無言を貫く中、そうであろうと状況は進行してしまう。

 踵を返し、三人は食堂エリアへ。

 空いている四人席に陣取ると、エルディアが早速パインジュースを注文する。


「んーじゃ、本題に入っていいかな?」


 壁際にはエルディアだけが座っており、彼女から見て真正面にエウィン、その左隣にはアゲハが着席している。

 眼下の四角いテーブルには何も置かれていない。コップの到着にはもうしばらく待つ必要がある。


(パインジュースに釣られてしまったけど、今回ばかりは……。だって飲んだことないし!)


 エウィン・ナービス、十八歳。二千イールを払う勇気はなかったものの、以前から飲んでみたいと思っていた。

 それゆえにアゲハの同意も無しに三人でテーブルを囲んでしまうも、話を聞くだけなら身構える必要はないだろうと考え、眼前の魔女に対し小さく頷く。

 説明会の始まりだ。


「ジレット大森林の封鎖については、知ってる?」

「はい。理由とかはさっぱりですけど……」


 エルディアからの問いかけに、エウィンは率直に答える。

 ジレット大森林。普段なら大勢の傭兵で賑わう森林地帯だ。生息する魔物を狩るだけで金を稼げるのだから、そのわかり易さも相まって腕に覚えのある連中が足しげく通っている。


「理由は単純よ? 巨人族が押し寄せてるから。まぁ、数じゃなくて質がやばいみたいで、ってそんなことはさておき」

(さておきなんだ。けっこう大事なことだと思うけど……。そうか、やっぱり巨人族と軍隊が戦ってるからか)


 もたらされた情報に対し、少年は冷静だ。傭兵ならば予想出来る範疇だったため、緑色の髪ごしに頭をかきながら沈黙を選ぶ。


「封鎖中だから、軍人以外は通れない。だけど、突破しようとしてるの。私達の仲間が」

「仲間? それってまさか……」

「そゆこと。去年、ここに移り住んだ魔女。あ、全員が魔眼ってわけじゃないから、魔女の関係者って言った方が正しいか。まぁ、どっちでもいいや」


 眼前の女もそうなのだが、魔女はその瞳が魔眼だ。

 一方で、魔女の子供が必ず魔眼を宿すわけではない。生まれてくる子供は、ただの人間ということだ。


「魔女が、なぜ、監視哨を越えようと?」


 ジレット大森林の入り口には軍事基地が建設されている。

 ジレット監視哨と呼ばれるそこが封鎖されていることから、その先にはたどり着けない。


「ん~、話すと長くなっちゃうなぁ。聞きたい?」

「いえ、あんまり……」

「女王様が発表したから知ってると思うけど、去年、私達の里が壊滅しちゃってね」

(あ、こっちの意志はお構いなしのパターンか。まぁ、いいけど……)


 何のための意思確認だったのか疑問に思いながらも、エウィンは渋々黙る。いずれ届くであろうパインジュースのために、今は我慢せざるを得ない。


「それで王国に避難したと言うか、受け入れてもらえたと言うか。人間宣言のおかげでトントン拍子に事が進んだからね」

「そうみたいですね。すごい時代になったと思いますよ」

「そだねー。それとまぁ、自分で言うのもアレなんだけど、私っていう見本? お手本? あ、違う違う、証拠がいたってのも大きいと思うよ。なんせこちとら、この目は三年前まで普通だったから。武器屋の娘がある日突然魔女になって帰国したもんだから、魔女は魔物ですなんて作り話はもう通らん、と……」


 この証言は嘘ではない。

 エウィンの記憶の中のエルディアは、確かにその瞳が魔眼ではなかった。

 長年、ギルド会館に通っていれば、二人がすれ違うこともあるだろう。そういった機会が繰り返されれば、顔を覚えることはごく自然なことだ。

 眼前の傭兵は魔女だ。

 しかし、以前は魔女ではなかった。

 この事実を否定することが出来ない以上、王国にはびこる常識が一つ壊されてしまう。

 魔女は魔物だ。

 王国の民ならば誰もが親からそう教わった。

 魔女とは、進化の果てに人間の姿を模倣することに成功した魔物だと考えられていた。

 言葉を話す理由も単なる真似であり、意思疎通は不可能だと思われていた。

 そういった言い伝えは、作り話でしかなかった。

 魔女とは、魔眼を宿しただけの女性であり、正真正銘人間だ。

 なぜ、そのような嘘が千年もの間、信じ込まれていたのか?

 それを知る者はここにはいない。

 しかし、エルディアという稀有な存在と女王による宣言によって、この国は真実へたどり着く。

 魔女は人間。

 イダンリネア王国の頂点とも言うべき女王がそう発表した以上、国民は受け入れるしかない。

 これらは光流暦千十七年、つまりは一年前の出来事だ。


「皆さんの里が魔物に襲われたことと、今回の話にどういった関係が?」

「まぁ、話は単純よ。私達は襲われた。家族や友人が殺された。お母さんの能力と引き換えになんとか逃げ延びれた。ここに移り住めた。以上! そのはずだったんだけど……」


 恨みや怒りが静まることはなかった。

 賑わう食堂の中で、エウィンは静かに続きを促す。


「だけど?」

「里を襲ったあいつらを、許せるはずもない、と。まぁ、復讐ってわけ。ね、単純でしょ?」

「ふむ、そうかもしれませんけど、相手がどこの誰で、今どこにいるのか、そういったことがわかってたら、の話ですよね? 僕だったら、魔物の顔なんて見分けがつきませんけど……」


 例外はオーディエンと名乗った炎の化け物くらいか。

 顔は人間の女性。

 手足もやはり女性。

 しかし、頭髪は赤く燃えており、胴体に至っては火球だった。

 このような魔物を、エウィンは見たことがない。

 特異個体なのか?

 そういった枠組みですらないのか?

 現状では何もわかっていない。


「里を襲ったのは魔女だからねー」

「な、え?」


 あっけらかんと言ってのけるエルディアだが、エウィンは対照的に言葉を失う。

 意味がわからない。

 なぜなら、魔女と魔女が殺し合った。

 正しくは一方的な虐殺だったのだろうが、そうであろうとやはり理解出来ない。


(魔女同士で戦ってるってこと? なぜ? そんな話、聞いたことすらない……)


 魔女が王国を敵視する理由なら、容易に想像出来る。

 自分達を人間ではなく魔物扱いする相手に対し、友好的でいられるはずもないからだ。

 事実、王国は軍隊を派遣し、過去に何度も魔女を虐殺してきた。

 そういった歴史が互いの溝をさらに深めるのだから、去年の人間宣言はまさに歴史が変わった瞬間だった。


「魔女と一言で言っても、派閥みたいなものがあるわけよ? その内の一つが、私達に牙をむいたってわけ。その理由まではわかんないけどねー。いやはや、ほんとに酷い有様だったわけで、みんなで抵抗したんだけど、連中強いのなんのって。防戦一方と言うか、お母さん一矢報いるのがやっとって感じ」


 背もたれに体を預けるエルディアだが、その表情は心底寂しそうだ。

 彼女の魔眼は天井を見上げており、高すぎるそこに手は届かないのだが、淡々と木目を眺めてしまう。


「被害って、いったいどのくらい?」


 動揺した心がエウィンにそう問いかけさせる。

 魔女の移住にこのような背景があったとは、露にも思わなかった。当事者が目の前にいる以上、目を背けることは出来ない。


「子供もジジババもお構いなしに、半分近くが殺されちゃった。たったの一晩で」

「それは……、酷いですね。相手は、相手の魔女は大勢で攻め込んできたんですか?」

「ううん、七人」


 エルディアは当然のように言ってのけるも、その返答に少年は固まってしまう。思考の停止が原因なのだが、それゆえに確認せずにはいられなかった。


「その七人が、一晩で何人殺し……、いや、半分が生き残ったってことは、そういうこと……」

「里の人口は全部で千二百人。その半分、六百人が殺されて、残りの六百人が避難出来た、と。いやはや、お母さんが伝説の魔女じゃなかったら全滅してたかもねー」


 死傷者の数に、エウィンは当然ながらアゲハさえも眩暈を覚える。

 その被害規模から、彼女は長距離ミサイルや絨毯爆撃の類を連想するも、ここはウルフィエナ、近代兵器など存在しない異世界だ。

 六百人がたった七人に殺された。

 もちろん、一方的な蹂躙ではなかったはずだ。

 眼前の魔女を筆頭に、戦える者は最後まで抵抗したのだろう。

 それでも里の半数が殺されてしまったのだから、地獄絵図だったことは間違いない。


「そいつらは、今どこに?」

「私達の里に居ついてるっぽい? お、来た来た。待ってました」


 張り詰めていた空気が、第三者の登場によってふわっと和らぐ。

 茶色い制服の上にエプロンを着用した女性。食堂エリアで働く職員であり、お盆にはコップが三個乗せられている。


「こちら、パインジュースでございます」

「どもー」


 白みがかった黄色いジュースが三人の眼前に置かれたことで、エルディアは魔眼を輝かせながら笑みを浮かべる。


「さぁ、飲んで飲んで。くぅ、私だって超久しぶりー」


 パインジュースは高級品だ。

 パインことパイナップル自体が高価な果物ゆえ、傭兵にとっても敷居が高い。


「僕なんか生まれて初めてかも。アゲハさんもどうぞどうぞ」

「あ、うん、いただき、ます……」


 おごられる側であろうと、今回ばかりは遠慮しない。

 エウィンに至っては初めての味だ。

 どれほどに甘いのか、想像するだけで口の中が唾液まみれになってしまう。


「ふふ、遠慮しないで飲んで。あ、おかわりは無理よー、予算的に。さて……」


 一番乗りはエルディアだ。

 コップを口元に運ぶと、色気さえ漂う厚い唇で液体を受け入れる。


「う! 甘酸っぱくて美味しい! ウイル君は日常的にこんな美味いもん飲んでるのか、羨ましいゼ!」

(誰だろう? と言うか、いちいち騒がしい人だな。アゲハさんとは正反対と言うか……)


 聞いたことのある名前に違和感を覚えるも、エウィンは早々に思考を止める。

 なぜなら、そんなことよりも飲まずにはいられない。

 身をよじって悶えるエルディアを無視しながら、ヒヤリと冷たいコップを掴むと、おそるおそる持ち上げる。

 所詮はコップ一杯の飲料だ。

 しかし、なぜか重く感じる理由は、これっぽっちで二千イールもするためか?

 おにぎりなら二十個近くは買える値段だ。はたして何食分なのか、計算するだけで背筋が凍り付く。

 ゴクリと喉が鳴ってしまうも、パインジュースはまだ顎の下だ。

 エウィンは唇を尖らせながら、勇気を振り絞ってコップの縁に口をつける。

 次の瞬間、濁った黄色い液体が口内に流れ込むも、その刺激は少量ながらも十分だった。


「すっぱい!」


 顔面のパーツが中心に寄るような、梅干しを頬張った直後の顔だ。

 その反応にエルディアが即座に笑い出すも、隣のアゲハは動揺せずにはいられない。


「だ、だいじょぶ?」

「あ、少し遅れて甘さがやってきました。うん、これうまいです。もう一口……、う、やっぱりすっぱい! でも癖になる! なんだこれ!」


 ここはギルド会館の食堂だ。三人がいくら騒いだところで問題にならない。

 それほどに周囲も騒がしく、エウィンの叫び声は当然のように受け入れてもらえる。


「ナハハ! いいね! それでこそ若人ってもんよ。ほら、アゲハさんも飲んで飲んで」


 少年の反応に満足しながら、エルディアはアゲハにも促す。

 一言も話さずとも、彼女のことを除け者にするつもりなどない。

 そういう性分ゆえ、気遣いというわけではないのだが、結果的には大人の立ち振る舞いが出来ている。

 アゲハは俯くように、パイナップルの果汁ジュースにそっと口をつける。日本においてはありふれた飲料ゆえ、彼女としても身構えてはいなかったのだが、その濃厚さには舌を巻かずにはいられなかった。


「あ、パイナップルの独特な甘さと、濃厚な酸味が、どっと押し寄せて……、すごく上品」


 つまりは美味ということだ。地球のパイナップルが劣るということではなく、ウルフィエナにはウルフィエナの良さがある。

 もっとも、この品評が二人の闘志に火をつけてしまう。


「で、ですよね! 僕もそう思います。甘さと酸っぱさが、その、どっとやって来て、その、アレな感じで!」

「そうそう! お母さんと手合わせした後の、酸っぱい匂い? あ、いや違う違う。あれとは全然比べ物にならないスムージーな上品さ? みたいな? 独特な、ね?」


 もはや見苦しいだけで真似ることすら出来ていない。

 ボキャブラリーが足りていない二人には、大学に通っていた日本人の真似事は到底不可能だと証明された瞬間だ。

 それでも食い下がってしまう理由は、アゲハの品性に少しでも近寄りたいからか。


「僕としてはこのコップもお上品だと思います! ツルツルしてるし!」

「パインジュースの色もいいよね! 黄色いというか、何だこの色⁉」


 もはや支離滅裂だ。

 勝ち負けを競っているのか、エウィンとエルディアが意味不明なことを言い続けるも、アゲハは楽しそうに眺めながら、一人静かに喉ごしを楽しむ。

 そして、同時にこう思ってしまう。


(この人って、結局何がしたいのかな?)


 エルディアが自分達に声をかけた理由は未だ不明だ。

 真相を知るためには、二人が満足するのを待つしかない。


「さすが二千イール! 僕には絶対買えません!」

「甘酸っぱさが色々あれして、え~と、口の中でまろやかに!」


 エウィンとアゲハが王国に帰還して、まだ数日。

 次の目的地は未だ定まっていない。

 しかし、考える必要はなさそうだ。

 なぜなら、巻き込まれてしまった。

 彼女の名前はエルディア。

 傭兵であり、魔女でもあり、そして、表情をコロコロ変える、子供のような成人女性。

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エルディアとの出会いは新たな物語を生み出す。果たしてどうなるのか楽しみにしています!
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