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第二十四話 第三の神秘

 その地の樹木は硬く頑丈だ。枝葉を横へ横へ広げるため、日光を遮ってしまうことから昼間であろうと薄暗い。

 立ち込める匂いは腐葉土のそれであり、独特な甘さは塊のように濃厚だ。

 ルルーブ森林。人間と魔物が行き交う土地。

 残念ながらその交錯は一瞬だ。

 殺すか。

 殺されるか。

 もしくは、どちらかが逃げるか。

 そういう意味では、今回はイレギュラーと言えよう。


「ここです」


 森の中を、少年のハツラツとした声が走る。

 髪の色も、長袖のカーディガンも、若葉のような緑色だ。

 ゆえに森に溶け込めているのだが、その行いは自然破壊に近い。

 本来は凶暴かつ危険なウッドファンガーを、両手で持ち上げ笑顔をこぼしている。

 エウィン・ナービス。十八歳の傭兵だ。

 少年の呼び声に釣られ、もう一人の人間が顔をしかめながら駆け寄る。


「ぜえ、ぜえ……」


 汗だくの女性は坂口あげは。長い黒髪は先端だけが青く、体の振動にあわせて踊るように乱れている。


(あ、飛ばし過ぎたか……)


 エウィンが後悔するほどには疲労困ぱいに見える。

 彼女のおでこや鼻筋には小粒の汗が浮かんでおり、灰色のチュニックもほんのりと湿っぽい。


「と、とりあえず、これどうぞ」


 落ち葉だらけの地面を踏みしめながら、少年は巨大キノコをアゲハに向ける。

 それは魔物ゆえ、傘や茎を揺らし、触手のような根を動かして全力で抗うも、エウィンは落とさないどころか驚きもしない。

 ウッドファンガーの大きさはおおよそ一メートル。小さな子供と同程度くらいか。

 それが大人以上の力で暴れるのだから、本来ならば掴んでなどいられない。

 それでもそれが可能なのが傭兵であり、この少年だ。

 眼前の女性へ、生贄のように差し出す。

 このような状況は一度や二度ではない。アゲハは肩で息をしながらも、右手を捧げものへ運び、撫でるようにそっと触れる。

 たったそれだけの行為ながらも、彼女の異能は魔物の命をあっさりと奪ってみせる。

 前触れもなしに、青い炎に包まれる巨大キノコ。

 その際にエウィンの両手も巻き込まれてしまうのだが、動じる必要はない。この炎は燃やす対象を選別することが可能だ。

 今回の獲物はウッドファンガー。

 ゆえに、支えているその手は焼けないどころか、熱さすら感じずに済む。


「相も変わらず、すごいもんですね」


 エウィンも唸るしかない。

 触るという行為をトリガーに、対象を問答無用で焼却する。触らなければ発動しないというデメリットは存在するものの、塵一つ残さず燃やし尽くせてしまう。

 それゆえに扱いには細心の注意が必要だ。


「もしもアゲハさんの手がキノコではなく僕の手に当たっちゃったら、叫ぶ暇もなくぽっくり死んじゃうのかな?」

「あ……、え?」


 単なる冗談なのだが、言われた側がどう受け止めるかが重要だ。

 アゲハの顔が、一瞬にして青ざめてしまう。

 彼女の変化を目の当たりにした結果、エウィンは己の失言に気づき、即座に取り繕うことから始める。


「大丈夫です。僕もちゃんと警戒してますから。アゲハさんが本気を出したところで僕には指一本触れませんよ」

「ほ、本当?」

「本当本当。試しにどうぞ」


 言われるがまま、アゲハは先ほどのように右腕を動かし、指の先端で触れることを試みる。


「い、いやいや、そんなゆっくりじゃなくて、もっとシュバッと」

「あ、うん。そう、だよね」


 少年が指摘した通り、彼女の動きは非常に遅かった。ウッドファンガーを始末する際はこの動作で事足りるからだが、今回は鬼ごっこのように俊敏さが求められる。

 恐怖心を追い払うように。

 もしくは、安全であることを確認したいがために。

 一旦引っ込めた右腕を、今度は殴るように突き出す。

 アゲハは眼前の腹部を小突くつもりだった。

 しかし、そうはならない。

 勝者はエウィンであり、彼女の拳は当然のように空を切った。

 少年はその場からほとんど動いていない。

 裏を返すと、わずかに立ち位置を変えている。

 迫る手をやり過ごすように、右へずれた。たったそれだけの動作ながらも、アゲハにはその予備動作さえ視認出来なかったのだから、実力差の証明はこれにて完了だ。


「ふっふっふ。どうです?」

「すごい……。てい」

「無駄無駄ぁ」


 勝ち誇るエウィンと、負けてもなお嬉しそうなアゲハ。ここには二人しかいないのだから、じゃれ合うのは必然だ。

 右腕が追いかける。

 かかんでやり過ごす。

 アゲハが二敗目に屈した瞬間だ。

 それでもなお、彼女は諦めない。


「てい、てい」

「ふん! とぉ!」


 ついには左腕も加勢する。

 ブンブンと振り回される両腕に対し、エウィンは一切怯まない。

 右へ。

 左へ。

 器用にその軌跡を避け切ってみせる。

 あえて下がらない理由は自身の強さを誇示するためであり、アゲハもついには不安を振り払うことに成功する。


「す、すごい……。全然、触れない……」

「そうでしょう? だからご安心ください」

「あれ? 鼻血、出てるよ?」

「なにー⁉」


 指摘され、エウィンは慌てふためきながらも鼻を抑える。

 流血の理由は殴られてからではない。

 彼女の腕が振り抜かれる度、大きな胸が暴れるように波打っていた。

 この少年は抜け目なく、眼前のたわわな果実を鑑賞していたのだが、あまりに刺激が強かったため、結果はご覧の有様だ。

 十八歳の男の子ゆえ、その本能にはなかなか抗えない。


「だ、だいじょうぶ?」

「はい。頭を振り過ぎたせいかもしれません」


 咄嗟の言い訳に自画自賛するエウィンだが、迫る足音には気づけない。

 もっとも、警戒する必要などなかった。彼らは顔見知りな上、名前さえ言い当てられる。


「森の中でもイチャイチャしてるとは、本当にお熱いね」


 冷やかすような笑い声だ。

 つまりはおちょくられているのだが、エウィンの顔も自然とほころぶ。


「あ、ハイドさんとメルさん」

「朝ぶりだね。元気そうで何より。って、鼻血出てるよ」

「ここで会えたのも何かの縁。これをやろう」


 赤髪の男がハイド。若く見えるが二十代後半ゆえ、四人の中では最年長だ。

 剣を携え、革鎧をまとう風貌は傭兵のそれであり、それでいて二枚目なのだから非の打ち所がない。

 長身の方がメル。白髪は幾分長く、ぶっきらぼうな表情も相まって威圧的だ。赤黒いローブもまた奇妙さを演出するも、実際には口下手なだけで情に厚い。

 そうであると裏付けるように、この男は鞄から緑色の饅頭を二個、手早く取り出す。


「これは?」


 突然の再会に驚いている最中ゆえ、メルの奇行にはエウィンも首を傾げるしかない。


「草餅。美味いぞ」

「あ、ど、どうも……」


 大人しく受け取り、片方を背後のアゲハにそっと手渡す。二人が現れた時点で、彼女は隠れるように避難済みだ。


「はは、メルの好物でね。確かに美味しいよ? 疑いようがない。でもね、俺はもう食べ飽きたよ……」

「そうなんですか。はむ……、おぉ? 初めて食べますが、うん、甘さの中に草のような独特な風味が。だけど、嫌じゃない。むしろ、だからこそ美味しい」


 ハイドが一人静かにたそがれる一方、エウィンはすきっ腹を喜ばせるように緑色の饅頭を頬張る。昼食を食べ終えて既に数時間は経過しており、おやつとしては丁度良い頃合いだ。

 アゲハも背中を丸めながら隠れるように草餅をかじるのだが、その味には驚きを隠せない。


「つぶあん……。それと薬草かな? 両方がしっかり主張してて……、これは……」


 日本の草餅が完全に再現されている。

 そう思わずにはいられないほどの味だった。

 そもそもこれは和菓子だ。

 それゆえに異世界で食せること自体がおかしいのだが、ギルド会館においては和食以外に洋食や中華料理さえ注文出来てしまう。

 この世界はそういう場所なのだと自分に言い聞かせていた彼女だが、草餅との遭遇には違和感を抱かずにはいられない。

 しかし、疑問よりもその味に屈してしまった。綺麗な緑色はそれだけでも食欲をそそる上、既に一口食べてしまった以上、途中で止めることなど不可能だ。


「これは、デザートの選択肢が増えますね」

「うん、すごく、美味しかった……」


 喜ぶ二人を前にメルは無表情を貫くも、内心ではご満悦だ。

 ハイドもまた楽しそうに見えるも、その理由は草餅ではない。


「狩りは順調かい?」

「はい。今日だけで三、四十くらいのキノコを狩れたと思います」

「すごいな。うじゃうじゃいるけど、それにしても多いね」


 帰り道に知り合いと出会えた。たったそれだけのことながらも、ハイドの笑顔に偽りはない。

 傭兵という職業は非常に危険だ。そうであると理解しているからこそ、互いの無事を喜んでいる。


「ハイドさんとメルさんは帰り道ですか?」

「あぁ。残念ながら俺達の方は失敗してね。これ以上粘っても仕方ないから、明日に備えて撤収。な?」

「予想より手こずる可能性あり。イエスじゃない」


 落ち込んではないようだが、ハイドは苦笑いを浮かべてしまう。

 メルは仮面のように無表情を貫くも、計画が狂ったことを嘆かずにはいられない。


「特異個体狩り、ですよね? 何かあったんですか?」

「出会えなかった。よくある話さ。報酬額からして手ごわい相手ではなさそうなんだけど、なかなかどうして大変そうだ」


 特異個体と戦うためには、当然ながらその生息域まで出向かなければならない。

 その後、標的を探す必要があるのだが、すぐに見つかることもあれば、空振りに終わることも珍しくはない。

 今回は後者だった。

 そういうことなのだろうとエウィンは予想する。


「日没にはまだ早い気がしますけど……」


 現在の時刻は午後の三時過ぎか。

 だからこそ、問いかけてしまう。

 眼前の二人組は歴戦の傭兵ゆえ、日が暮れてからの撤収でも問題ないはずだ。

 少なくともエウィンはそう思ってしまうも、今回の特異個体がそれを許さない。


「俺達の獲物、レッドハットは午前中にしか出現しないらしくてね。ダメ元で少し粘ってみたけど、どうやら本当らしい」

「なんかアサガオみたいですね」

「ハハ、違いない」


 少年の発言にハイドは笑みを浮かべる。

 魔物は動物や昆虫のように多種多様だ。

 草原ウサギやジレットタイガーのような動物らしい種族もいれば、ゴブリンや巨人族といった人間に近い魔物も存在する。

 姿かたちだけに留まらず、強さ、凶暴性、そして活動時間に至る全てが多岐にわたる。これこそが魔物の特徴と言っても差し支えない。

 ハイド達の獲物は、朝方だった。そうであろうと何ら不思議なことではない。


「レッドハットってどんな魔物なんですか?」

「赤いウッドファンガーらしい。報酬は八万イールで、若い傭兵が既に二人殺されている。だからこその賞金首ってわけさ」

「は、八万……、すごい」


 提示された金額にエウィンの目がくらむ。

 もしも一日で稼げたのなら、少なくない報酬だ。


(具の入ってるおにぎりが一個百二十イールくらいだから、えっと、うん、大金だ!)


 計算は面倒ゆえ、早々に諦めてしまうも、草原ウサギ一体を二百イールで売っていた経験から、その差にはため息しか出ない。


「特異個体としては、まぁ普通かなって感じもするけどね。ルルーブ港からそう離れていないから、もうちょっと高くても不思議じゃないんだけど……」

「傭兵ですらあまり寄り付かない場所。だから脅威は少ないって判断」


 特異個体の報酬は、被害状況と危険性によって上下する。

 傭兵という貴重な人材が何人も殺されているとしても、その魔物が遠い僻地に居ついているのなら後回しでも構わない。

 一方、死者の数が一人や二人だとしても、王国や村から近い位置に生息しているのなら、それの排除は急ぐべきだ。

 そういった要因を考慮し、傭兵組合は特異個体と定めた魔物の討伐報酬を決定する。


「それってどこなんですか?」


 エウィンは興味本位で問いかける。

 もっとも、この行為は悪手ではない。二人はこの近隣で鍛錬に励むのだから、脅威について把握することはむしろ推奨されるべきだ。


「すぐ北だよ。川を越えたすぐ先さ。道沿いからは少し外れるけど、そう遠くはないね」

「なるほど。気を付けます」


 そう言いながら、エウィンは心の中で胸を撫で下ろす。

 当面の活動範囲は漁村と川の間と定めた。それでもウッドファンガーをいくらでも見つけられることから、狭い範囲ながらも狩りに困ることはない。

 北上しながら川を渡れば、ヒツジの魔物、ウッドシープとも出会えるだろう。歩くキノコだけでは足りなくなった場合、その時に初めて出向けば良い。


「と言うことで俺達は村に戻るけど、二人はまだ頑張るのかな?」

「あ、どうしようかな……。思ってた以上に狩れましたし、アゲハさんにも無茶させちゃったから、僕達も今日は切り上げますか」

「うん、わかった……」


 少年の提案を受け、アゲハが首を縦に振ったことから、四人は帰路に就く。

 ここはまだ森の中。

 しかし、実際にはルルーブ港からそう離れておらず、アゲハの走力でもあっという間に戻れるだろう。

 エウィンが大きなリュックサックを背負えば、帰り支度はあっさりと完了だ。

 それを合図にハイドとメルが走り出そうとするも、二人は一歩目を踏み出すよりも先に立ち止まった。


(ここは……)

(二人のペースで)


 実力差を加味した配慮だ。

 エウィンだけなら自分達の速さについてこれるだろう。

 そう思う一方、ここには鍛錬中の女性が居合わせている。

 むしろ、彼女こそが主役だ。エウィンは付き添いであり、アゲハが腕を磨くために二人は旅を続けている。

 それをわかっているからこその提案だ。


「俺達は後をついていくよ」

「わかりました」


 このやり取りを合図に、四人は走り出す。

 彼らの前後左右には数えきれないほどの広葉樹が立ち並んでいる。

 それゆえに視界は悪く、真っすぐ走ることなど到底不可能だ。

 どこに魔物が潜んでいるのかわからない以上、慎重に進まなければならない。

 そういった条件を加味した上で、ハイドとメルは早々に驚かされる。


(思っていた以上に……)

(遅い)


 エウィンがゆっくりと走っている理由はアゲハのペースに合わせるためだ。

 木々が障害物になっているとしてもなお、傭兵ならばもっと速く走れるだろう。

 しかし、彼女はただの日本人だ。本人は運動能力の向上に驚いており、その体力はマラソン選手並と表現しても過言ではない。

 実際にこの速度はオリンピック選手と同等かそれ以上ゆえ、遅いという感想はむしろ不適切だ。


(アゲハさん……か。エウィン君も苦労してそうだ。この感じだと、戦系の把握もまだなんだろうな)


 ハイドにとってこの二人は他人でしかない。

 それでも同業者ゆえの親近感は抱いており、リードする側の気苦労を心配してしまう。

 もっとも、そういった感情はあっさりと吹き飛ばされる。

 足の遅さに驚かされたばかりだが、それ以上の衝撃を目撃したからだ。


(それにしても、これはすごいな……)

(大きいとは思っていたが……、エルさん以上か?)


 男二人の視線が、ある一点に吸い込まれてしまう。

 アゲハは灰色のローブをまとっているのだが、胸付近がスイカを二個収納されており、その部分が縦横無尽に揺れ動いているのだから、下心の有無に関係なく覗き見たとしても罪ではないはずだ。

 彼らは傭兵ではあるが良識ある大人ゆえ、すぐに視線を前方に戻す。

 先頭のエウィンとアゲハは当然ながら、後方のハイド達も木々を避けながら進まなければならない。そういう意味でもよそ見は厳禁ゆえ、ここからは黙々と走るつもりでいた。

 森の中を、少年の声が元気に響き渡る。


「すみません、あっちの方にキノコか何かがいるので、ちょっと寄り道してもいいですか?」


 エウィンが走りながら左前方を指差す。

 問いかけられた以上、ハイドは返答しなければならない。

 しかし、口を動かしながらも眉をひそめてしまう。


「それは構わないけど、本当かい? 見当たらないけど……」


 この発言を裏付けるように、メルもその方角に魔物の姿を見つけられていない。視界に映るものは、森を構成する樹木達だけだ。


「このペースなら二十秒くらいで遭遇出来ると思います」

「お、おう、行ってみよう」

「ほう……」


 エウィンの提案に二人は首を縦に振るも、内心では驚きを隠せない。

 その理由は、この少年がおかしなことを言いだしたこともあるが、この状況に見覚えがあるからだ。

 四人はわずかに左方向へ進路を変える。

 木々を避けながら走り続けた結果、先ほどの発言が嘘でないことが証明される。

 巨大なシイタケが、根のような六本の足でゆっくりと移動している。

 ウッドファンガーだ。人間を探し求めているのか、無造作な前進には意志の類が感じられない。

 この状況はエウィンとアゲハにとっては自然であり当たり前なのだが、後ろの二人にとっては理解不能だ。

 だからこそ、問いかけてしまう。


「エウィン君、どうしてあれがいるってわかったんだい?」


 眼の良し悪しではない。

 そんなことはハイドも重々承知だ。

 ここが草原地帯ならば、それも可能なのだろう。

 しかし、ここはルルーブ森林であり、数えきれないほどの樹木が周囲を取り囲んでいる。

 障害物が少し先の情報さえも阻害してしまうのだから、遠方の巨大キノコなど見つけられるはずもない。


「あ、そうか。えっと、その……」


 この瞬間、エウィンは己の迂闊さに気づかされる。

 隠す必要はないのだろうが、自身の奇異な特技を披露してしまった。

 死線を潜り抜けた結果、身に着いた勘の良さ。これのおかげで魔物の位置を目視無しに言い当てることが可能となった。

 それゆえにアゲハの鍛錬が捗るのだが、知らない者には摩訶不思議な言動に映るだろう。


(こういうのって隠した方がいいのかな? いや、もう手遅れか。この二人になら、うん……)


 腹をくくるしかない。

 魔法や戦技が存在するのだから、そこからはみ出した神秘が一つや二つあったところで負い目を感じる必要はないはずだ。

 そう自分に言い聞かせ、少年は真実を打ち明ける。


「魔物の気配を感じ取れるんです、多少遠くても……。さすがに種類まではわかりませんが……」

「それはすごいね。実は俺達の知り合いにも同じことが出来る奴がいてね。おっと、今は貴族様だったか。奴呼ばわりは失礼だな」


 身構えていたエウィンだったが、ハイドの反応は想定外のものだった。

 それゆえに呆けてしまうも、次いでメルが言葉を紡ぐ。


「懐かしい。ここ二年くらいはすっかり顔を出さなくなった。家業を継ぐ以上、仕方ないのだろう」

「だろうね。時折、パオラちゃんを見かけるくらいか。あぁ、その特技のおかげでキノコ狩りが順調なんだね。羨ましい限りだよ」


 当人を他所に、ハイドとメルだけが盛り上がる。

 この男が言う通り、エウィンの能力は傭兵ならば喉から手が出るほどに貴重だ。

 実は似たような戦技が存在するのだが、索敵能力だけで比較した場合、エウィンの直観力が上回るだろう。

 前方のウッドファンガーに警戒されないギリギリの位置で立ち止まりながら、四人はなお話し込む。


「僕以外にも、こんなことが……?」

「ああ。まぁ、かなりのレアケースだから、本当に偶然なんだと思うよ? それって天技なのかい?」


 天技。戦技とも魔法とも異なる、第三の技法だ。これを習得する者は極めて稀であり、少なくともハイド達はエウィン以外にもう一人しか知らない。


「僕自身、よくわかってなくて……。昔から、子供の頃から身についてたっぽいとしか……」


 自覚したタイミングは、傭兵試験に合格した後だ。

 広大なマリアーヌ段丘を走りながらのウサギ狩り。

 この森の魔物とは異なり、草原ウサギは個体数が少なく、ちょっとやそっと探したところでなかなか出会えない。

 ましてやこの魔物は小柄な上、その体毛はむき出しの地面に溶け込んでしまう。

 それでも十年以上も草原ウサギを狩り続けられた理由は、それでしか稼げなかったという事情も去ることながら、持ち合わせていた野生の勘が大きい。

 おそらくは、単身でイダンリネア王国に逃げ延びた経験のおかげなのだろう。

 故郷を追われ、ルルーブ森林でゴブリンに襲われるも、母親に庇われ、自身だけが生き延びる。

 当然ながら、六歳の子供に圧し掛かる重圧は精神を壊すほどだ。

 恐怖心。

 後悔。

 そして、絶望。

 そういった負の感情に苛まれながらも足を止めなかった結果、エウィンは無自覚にこの能力を身に着け、危機を脱した。


「傭兵は天職と言うことか。君の戦系は?」

「あ、まだ不明です」


 この瞬間、ハイドはエウィンのことを把握し終える。

 戦系とは戦闘系統の略称であり、その数は全部で十一種類。人間は生まれながらにその内のどれかに分類される。

 戦術系。

 加速系。

 強化系。

 守護系。

 魔防系。

 技能系。

 探知系。

 魔攻系。

 魔療系。

 支援系。

 召喚系。

 これらによって個人の身体能力等が左右されることはないのだが、会得する戦技や魔法が決定される。

 例えば、魔攻系。攻撃魔法を習得する唯一の戦闘系統であり、魔療系は数少ない回復魔法の使い手だ。

 自身の戦闘系統を知る術は、現状一つしかない。

 トレーニングや魔物の討伐等で実力を磨き、初めて習得出来た戦技ないし魔法がそれを開示してくれる。

 攻撃魔法なら魔攻系、回復魔法なら魔療系で確定だ。

 日本人のアゲハはこのルールにのっとっていないため、完全に例外だ。

 エウィンの場合、本来ならば何かしらの神秘を使えなければおかしい。そのタイミングを逸してしまった理由をこの少年は偶然か何かだと考えているのだが、ハイドは今のやり取りから原因を見抜いてみせる。


「多分なんだけど、エウィン君は覚醒者だ。その探知能力は天技なのかもしれない」

「オレもそう思う。ゴブリンやスケルトンを倒せるほどの実力者が、何も覚えていないなんてありえない」


 白髪を揺らしながら、メルは断言するように同意する。

 覚醒者とは天技を習得した者を指す単語だ。その人数はイダンリネア王国に限定した場合、数十人程度と言われている。

 つまりは、貴重な存在だ。

 だからと言って誇れるわけではないのだが、実は背負うべき弊害が傭兵にとっては致命的だった。


「僕が、覚醒者?」

「その可能性は十分高い。だから、本来覚えるべき戦技や魔法が身についていない」


 天技に目覚めた人間は、それと引き換えに新たな神秘の獲得を手放してしまう。

 つまりは、順番に覚えるはずだった戦技や魔法が、一切使えない。既に習得した能力は引き続き使えるのだが、この少年の場合、己の戦闘系統を知ることすら不可能になってしまった。


「これって天技だったのか。確かに、普通じゃない、か……」


 驚けばよいのか、落ち込むべきなのか、エウィンは測りかねてしまう。

 考えるまでもなく、悲惨な境遇だ。

 傭兵にとっての一歩目が傭兵試験の合格ならば、二歩目が戦闘系統の把握であり、これを知った上で己の戦闘スタイルを定める必要がある。

 攻撃魔法の使い手ならば、剣や斧ではなく杖を持ちたい。

 味方を庇うための戦技を会得したのなら、盾の購入を急ぐべきか。

 残念ながら、人間は自身の戦闘系統を選べない。生まれながらに決められており、喜ぶか落ち込むかは発覚後のお楽しみだ。


「俺の知る限り、傭兵の覚醒者は二人だけ。もう一人も本来覚えるはずだった魔法を使えない。だけど、落ち込む必要はないよ。なぜなら、結局のところは腕っぷしがものを言う世界だから」


 ハイドは慰めるように持論を述べる。

 しかし、所詮は綺麗ごとだ。

 身体能力が高いことは大前提でしかない。

 そこからのさらなる積み上げが戦技や魔法の行使だ。

 それが出来ないのだから、エウィンはハンディキャップを背負ってしまった。

 この事実だけは決して覆すことが出来ない。

 もちろん、ハイドもそうであることは重々承知している。

 それでもなお、落胆が早計であると言ってのけた理由は、もう一人の覚醒者が王国の常識を覆したからだ。


「腕っぷし、ですか」

「ああ。何も使えなくてもね、彼は俺よりも遥かに強いよ。俺は支援系、強化魔法や弱体魔法をそこそこ使いこなせてると自負してるけど、総動員したところで勝てない相手には勝てない。その内の一人が彼ってこと。光流武道会って知ってるかい?」

「いえ……」

「軍人が強さを競って、その様子を王様やらなんやらに披露する場なんだけど、金を払えば俺達傭兵も出場が許されている。だけどね、聞いた話だと傭兵はほぼ間違いなく一回戦で敗退するらしい。なぜだかわかるかな?」


 光流武道会。二年毎に開催される、軍人による軍人のための大会だ。観客として貴族や王族が参列することから、王国軍は選りすぐりの軍人を選出、この大会に出場させる。


「傭兵が、勝てない? わかりません……」


 エウィンにわかるはずもない。

 もちろん、アゲハも無言を貫きながらも首を傾げる。

 トーナメント方式で二人が腕っぷしを競う以上、勝者が次の試合へ進み、敗者が涙を流すのは当然だ。

 しかし、傭兵は必ず負けてしまう。

 その理由を問われたところで、解答用紙に記せるはずもなかった。

 ゆえに、答え合わせの時間だ。


「軍人の方が、圧倒的に強いから。残念だけどこれが現実なんだ」


 シンプルな解答だ。

 ハイドは平然と言ってのけるも、一方でエウィンは眉をひそめてしまう。


「え? そうなんですか?」

「まぁ、僕も又聞きなんだけどね。だけどまぁ、きっとそうなんだろう。あちらさんは基礎からみっちり叩き込まれて、最終的には巨人族との実戦も用意される。目を付けた傭兵をスカウトすることもあるらしい。環境、才能、経験値。そういったもののバランスが良いんだろうね。俺達は数こなして無理やり強くなってるようなものだから、どこか歪なんだろう」

「なるほど、一理ありそうです。ん? この話と覚醒者にどういった繋がりが?」


 エウィンの疑問はもっともだ。

 天技を身につけたてしまうと、以降、戦闘系統に由来する能力は身につかない。

 それと軍人の大会は無関係のはずだ。

 その指摘は正しいのだが、ハイドは腰の剣を手を乗せながら、説明を再開させる。


「もう一人の覚醒者がね、わけあって出場したのさ。そして、決勝まで勝ち進んだ。前代未聞の出来事さ」

「お~、そんなことが……」


 他人事ながらも、少年は同業者として喜んでしまう。

 顔も名前も知らない誰か。それでも親近感が抱いてしまう理由は覚醒者繋がりだからか。


「俺が言いたいことは、天技一つで食べていくしかないとしても悲観する必要はないってことさ。それに、君のはめちゃくちゃすごいと思うよ?」


 ハイドの言う通りだろう。

 視覚情報に頼ることなく、魔物の位置を言い当てられる。傭兵の仕事が魔物討伐である以上、この上ないメリットのはずだ。

 だからこそ、メルも同意せざるを得ない。


「便利という範疇を越えている。胸を張って良い。その天技、イエスだ」

「ど、どうも。その~、ものすごく言いづらいことがありまして……」


 ここまで褒められるとは思ってもみなかった。

 天技の習得者が珍しいと実感した瞬間なのだが、エウィンはこのタイミングでさらなる告白を続ける。


「なんだい?」

「実は、こちらのアゲハさんも、その、覚醒者っぽいです、多分……」


 この瞬間、四人を取り巻く空気が凍り付いてしまう。

 ハイド達が驚きながらも唖然としてしまった結果なのだが、それゆえに実演で示すしかない。


「アゲハさん」

「う、うん……」


 目配せは意思の確認であり、エウィンが単身で駆け出せば状況はいっきに動き出す。

 魔物が人間の接近に気づくも、時既に手遅れだ。巨大キノコは呆気なく捕縛されると、生きたまま人間の元へ運ばれる。


「アゲハさんの天技、それは……」


 今日だけでも何十回と繰り返した合同作業だ。

 エウィンがウッドファンガーを捉え、拘束。

 アゲハは差し出されたそれへ、そっと触れる。

 たったこれだけのことだ。

 しかし、条件の達成がそうである以上、魔物はその命を奪われるしかない。

 接触部分を起点に、青い炎が吹きあがる。

 それがあっという間に巨大キノコを焼却した以上、ハイドとメルは問いかけるしかなかった。


「これは?」

「フレイムじゃ、ない」

「はい。アゲハさんは魔法を使えません。だけど、今みたいに触れるだけで魔物を燃やすことが出来ます」


 無口なアゲハに代わって少年が説明するも、実はそうだと断言することは出来ない。

 彼女のこれは完全なるイレギュラーだ。

 アゲハは日本で生まれ、二十四歳の若さでその命を落とした。

 それを神が嘆いたのか?

 全く別の理由なのか?

 どちらにせよ、彼女はこの世界に転生を果たした。

 その際に与えられた能力が、これだ。

 青い炎。

 深葬と名付けたこれは、魔法と異なり魔源という燃料無しに対象を焼き尽くせてしまう。燃えカスを一切残さない火力には恐怖すら感じるも、武器である以上ためらうことなく活用し続ける。


「すごいな……。確かに天技で間違いないだろうね。いやはや、何と言ったらいいのやら……」

「オレ達が知らないだけで、覚醒者は多いのか?」

「いや、それは違うと思う。少なくとも傭兵にはいなかったはずだ。彼と出会うまではね。二人目と三人目がここにいて、偶然にも同じ時代に集中した。って解釈するしかないと思うけど、俺の頭はもうパンク寸前だ。ハハ……」


 ハイドも苦笑いでこの状況を乗り切るしかない。

 それほどに信じられないことが、覚醒者との邂逅だ。

 そのような逸材が目の前に二人もいるのだから、脳が疲労を訴えたとしても仕方ない。

 疲れたという意味では他三人も同様だ。

 メルも同様の理由で。

 エウィンは自身が覚醒者らしいことから。

 そして、アゲハは純粋に体力をすり減らしてしまった。

 改めて撤収だ。もとよりそのつもりだったことから、四人は足早に漁村を目指す。

 口数が少ない理由は、走っていることもあるだろうが、彼らがそれぞれに情報をかみ砕いているためか。

 エウィンとアゲハ。この二人は特別だ。

 十一年もの間、最弱の魔物を狩り続けた傭兵。

 別の世界から流れ着いた、日本人。

 ありえない組み合わせだ。

 そうであろうと今は肩を並べて走っている。ここから先も、同じ道のりを進むのだろう。

 戦技。

 魔法。

 そして、天技。

 それらを内包する世界の名はウルフィエナ。人間と魔物が争い続ける、終わりなき闘争の世界。

 神がそう望んでいる。

 神が終わらせようとしている。

 ならば、人間は抗うしかない。

 エウィンもその内の一人だ。

 彼女を地球へ戻すため。

 死に場所を見出すため。

 笑顔の裏に狂気を宿しながら、その機会を探し続ける。

 だからこその撤収だ。

 疲れた体を休めるためにも。

 明日という一日に備えるためにも。

 太陽が沈むよりも先に、宿屋を目指す。

 今日をどう過ごすかは傭兵の自由だ。

 この奔放さこそが、傭兵の特権なのだから。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 今回も良かったです。傭兵は様々な行動ができるのですね。
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