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第二十三話 港に朝が訪れる

 ギルド会館。傭兵が仕事を求めて訪れる施設であり、傭兵制度が発足されるタイミングで各地に建設された。

 訪問客は屈強な男女だけではない。

 子供から老人に至るまで、幅広い年代がその門を叩く。

 傭兵の力を借りるため。

 つまりは問題ごとを解決したいのだが、その内容は多種多様だ。

 もっとも、その多くが無理難題であることは間違いない。

 魔物の討伐。

 遠方への物資輸送。

 護衛。

 挙げればきりがないのだが、主流はこの三種類か。

 そのどれもが、庶民には困難だ。

 魔物の身体能力は人間を遥かに上回るため、出くわそうものならあっという間に殺されてしまう。

 ゆえに、傭兵の出番だ。

 彼らは魔物を殺すことに特化しており、金を払うだけで助力を得られるのだから存分に利用すれば良い。

 それが傭兵制度であり、発足から既に二百年が経過していることから、今では当たり前のものとなっている。


「と言うことでさくっと到着です」


 緑色の頭髪。

 あどけない顔立ち。

 緑色の長袖は新品ゆえに痛んではおらず、黒いズボンも同様だ。

 情報収集を目的とした外出ゆえ、巨大な背負い鞄は部屋に置いてきた。

 つまりは手ぶらであり、せいぜいがポッケの小銭くらいか。

 エウィン・ナービス、十八歳。傭兵なのだが、武器や防具を身に着けていないため、風貌だけで判断するとやさしそうな少年にしか見えない。

 歩を進めながらも大口を開いてあくびをしてしまう理由は、寝起き故か。


「館内のレイアウト、王国のと一緒なんだね」


 長い黒髪は艶やかだ。先端だけが青いことも美麗さを彩る。

 根暗そうな顔は性格を映す鏡なのかもしれない。

 丈の短いワンピースは味気ない灰色なのだが、彼女が着ればドレスのように華やかだ。備え付けのベルトでウエストを引き締めれば、巨大な胸が生地を持ち上げてもなお、ワンピース特有のダボダボ感はあっさりと払拭される。

 真っ黒なズボンはサイドスリットレギンス。内側に大きな切れ込みが備わっており、歩く度にちらりと肌色が現れる。

 坂口あげは。二十四歳の日本人。傭兵としては駆け出しゆえ、毎日が鍛錬の連続だ。


「少し狭いけど、サービスは変わりありませんからね。んじゃ、聞き込みの前に先ずは朝ご飯。ちょっとした罪悪感を添えて」


 つまりは朝から外食だ。ギルド会館の食堂は価格設定が抑えられているため、所得の低い傭兵であっても問題なく利用出来る。

 エウィンが後ろめたさのようなものを感じてしまう理由は、貧乏性ゆえのサガか。


「エウィンさんは、何を食べるの?」

「う~ん、久しぶりに麺類でもいっちゃおうかな。と、なると、素うどんでいいか」


 入館後、二人は進路を左前方へ定めた。

 そちら側には多数のテーブルと椅子が並べられており、屈強な傭兵達が朝食と談笑を楽しんでいる。

 朝一番ということから、満席とは言い難い。まばらに席が埋まっており、エウィン達は端の席に陣取る。

 四角いテーブルを挟んで二人は座るも、給仕を務める女性職員を呼び止めるよりも先に、何を食べるか決めなければならない。


「わたしは、どうしよう、かな……」

「漁村だけあって海鮮系がおすすめですよ。値段なんか気にせず選んでください。あぁ、寝起きだとちょっと重たいかも?」


 そう言いながらも、エウィンだけは節約するつもりだ。

 選んだ食べ物は、素うどん。その名の通り、具無しのシンプルなうどんであり、価格は手ごろな三百イール。おにぎり三個分相当ゆえ、経済的負担は少ない。


「うん、そうだね。わたしは、パンにしようかな……」


 食堂エリアはその壁に各種メニューが貼られている。周囲を見渡しながら食欲と気分によって料理を選べば良い。

 ゆえにアゲハもそうするのだが、二人が黙ったことで周りの喧騒が波のように押し寄せる。

 やれやれ、こっちの仕事はしけてるな。

 お刺身美味しいニャン。

 ゴブリンもあらかた掃討したし、次は特異個体を狙ってみよう。

 新しい魔法も試したい。イエスだね。

 おいおい、あれミスリルソードだぞ。すげーな。

 鎧もよ。王国ってやっぱり儲かるのかしら?


(確かに、王国の傭兵がチラホラいる。受付のおばさんが言ってた通りだ)


 白金の鎧をまとった好青年。

 杖を立てかけながら、満面の笑みで朝食を楽しむ女性。

 皆、傭兵らしい風貌だ。剣や斧といった物騒な武器を携えており、一見すると危険な場所にも思えるが、彼らは犯罪者ではないのだから、怖がる必要はどこにもない。

 エウィンとアゲハは情報収集のためにここを訪れた。朝食はそのついでなのだが、聞き耳を立てているだけでも得られるものはありそうだ。


「わたし、サンドイッチにするね」

「はい。飲み物はどうしますか?」

「あ、イダンリネアティーで……」


 彼女の返答を受け、少年は女性職員を呼び止める。薄茶色の制服は傭兵組合の仕事着であり、白いエプロンを身につけている場合、その女性はウェイトレスを兼ねている。

 こういった状況下において、アゲハは縮こまってしまい喋ろうとはしない。

 ゆえに、エウィンが彼女の分も注文するのが通例だ。


「さて、後は待つだけ、と。ご飯食べて聞き込み終わったら、その後どうしましょっか?」

「お金を稼いだ方が、いいのかな?」

「そうですね、手持ちに余裕があるとは言っても……、う! まるでお金持ちみたいな言い回し! 本当に夢みたい……」


 少年の瞳からホロリと涙が零れ落ちる。

 確かに、浮浪者とは思えない言い回しだ。その日暮らしの生活を十年近くも続けてきたのだから、現在の所持金は大金と言えよう。

 おおよそ四十万イール。

 今回の朝食が千イールに収まる程度ゆえ、これだけのお金があれば当面は安泰なはずだ。

 しかし、安心は出来ない。

 なぜなら予定外の出費が今後も続いてしまう。


「宿代も、安くはないもんね」

「そうなんです。まぁ、でも、一泊千五百イールで済むから、許容範囲ではあるのかな? 一週間だと約一万イール、食費を入れて高めに見積もると三万イールくらい? 余裕ですね。う! 三万イールで驚かない自分がいることに感動すら覚える!」


 追加の涙がキラリ。

 草原ウサギを狩っていた頃は、一日の稼ぎは千イール前後が限界だった。

 だからこそ、現在の境遇に喜びを噛みしてしまう。

 臨時収入を得られた理由はアゲハのジャージとジーパンが売れたからであり、そういう意味ではエウィンの成果ではないのだが、彼らの軍資金であることは間違いない。


「計算、早くてすごいね」

「それほどでも。数学の本を繰り返し読んでたおかげかもしれません。三角関数? とか、虚数? そういうのはさっぱりですけど……」

「仕方ないよ。そのあたりは、普通に、難しいから……」


 注文をし終えた以上、ここからは談笑の時間だ。

 今日の予定を決めるべきなのだろうが、数学の話で盛り上がってしまう。

 残念ながらエウィンは教育機関に通えておらず、独学ゆえに誤った知識も多い。

 一方でアゲハは日本の大学に通っていたことから、先生のように正すことが可能だ。

 学業の話題は珍しかったことから、二人は夢中になって話し込んでしまう。

 その結果、暇することなく時間を潰すことが出来た。


「こちら、サンドイッチとイダンリネアティーになります」


 青髪のウェイトレスがトレー片手に現れる。

 慣れた手つきで並べられた皿とコップは、アゲハが注文した二品目だ。


「ありがとうございます。お先どうぞ」

「うん、いただきます」


 うどんの調理はこれらよりも時間がかかるのだろう。エウィンは女性職員に礼を述べながら、一先ずは背もたれに体を預ける。

 ここは食事エリアゆえ、空気は甘く、香ばしく、そして暖かい。それぞれのテーブルには訪問客の好物が並べられており、立ち昇る湯気は料理の味そのものと言えよう。

 お茶をチビチビと飲むアゲハを眺めながら、少年は聞き耳を立てる。

 賑やかな音の発生源は一つや二つではない。

 フォークと皿が接触した際の金属音。

 コップが置かれた時の接触音。

 そして、傭兵達の話し声。

 繁盛している居酒屋のような喧騒ながらも、居心地の悪さを感じない理由はここがそういう場所だと受け入れられているためか。


(アゲハさんってちょくちょくサンドイッチ頼むけど、値段の割に量が……。って考える僕は貧乏性なんだろうか? ん?)


 小さな口をもぐもぐ動かす彼女を眺めていた時だった。

 先ほどとは別の職員が他のテーブルに料理を届けるも、彼女の発言にエウィンは釘付けになってしまう。


「粗挽き羊肉の汁なしうどんでございます」

(あ、粗挽き? 汁なし? え? ど、どういうこと⁉)


 他人の料理を凝視する行為は行儀が悪いのかもしれない。

 それでも今は、そのテーブルに鎮座するどんぶりを観察せずにはいられなかった。


「ん? どうしたの?」

「あれ……、あのうどん……」


 眼前の少年が血走った眼で何かを見始めたことから、アゲハは当然のように疑問を抱く。


「あ、今の? えっと、粗挽きうどん?」

「粗挽き羊肉の汁なしうどんです」

「そ、そうだね……。わぁ、お肉がいっぱい、美味しそう」


 アゲハが盗み見るようにその方角へ振り向くと、次いで感嘆の声を漏らしてしまう。

 彼女の言う通り、どんぶりの中は焼き立ての肉でいっぱいだ。覆い尽くすほどの量ゆえ、うどんの麺は完全に隠れている。


「粗挽きって何なんですか?」

「ハンバーグとかを作る時のお肉、かな。粉々の一歩手前くらいの、状態?」

「なるほど。ウッドシープの肉を細かくして焼いたってことか……」

「あれはソースも絡めて、炒めてるっぽいよ。あ、お肉が二層になってる。そっか、牛すきみたいなお肉で蓋をして、その上にこんもりと粗挽き肉を乗せてるみたい。お肉お肉してるね」


 料理はアゲハの得意分野だ。見知らぬ傭兵が注文した料理の本質を、あっさりと看破してみせる。

 その説明だけで、エウィンの口内は涎で溢れかえってしまう。

 美味そうだ。空腹も相まってそう思わずにはいられない。


「で、でも、だったら何で汁なし?」

「う~ん、お肉に絡んでるソースが薄まらないため、かな?」

「あ、なるほど、汁が邪魔しないのか。絶対、美味しいんだろうな……」


 じゅわっと肉汁溢れる肉達。

 その下で待機している主食のうどん。

 このコラボレーションが不味いはずがない。少年は羨ましそうに眺めるも、その視線を動かして館内を見渡し始める。


「お、あれか。六百イール、素うどんの倍……」


 壁の記されたメニューから、粗挽き羊肉の汁なしうどんを発見する。

 エウィンが注文したうどんが安すぎるだけなのだが、比較してしまうとどうしても高額に感じてしまう。

 驚きながらも落胆していると、先ほどの女性が素うどんを届けてくれる。

 当然ながら、どんぶりの中はうどんと汁だけだ。具は一切入っておらず、その味は美味ながらもなぜか素朴に感じてしまった。


(これはこれで美味しいけど、あれを見てしまったら……。あぁ、お金があると、人間ってわがままになっちゃうんだな)


 熱せられたどんぶりを左手で持ち上げながら、麺の歯ごたえと味を噛みしめる。

 次いで黄金色のスープをすするも、その熱さを理由に風味を楽しむよりも先に舌が痛がってしまう。

 しかし、気付けとしては丁度良い。寝起きということから、この熱さが五臓六腑にしみ渡る。

 空っぽだった胃を喜ばせるようにエウィンがうどんを吸い込む一方、アゲハは慰めずにはいられなかった。


「お肉いっぱいで栄養もあるし、お昼に食べてみたら?」


 朝食を節約したのだから、昼食は奮発しても懐はさほど痛まない。

 彼女の言う通り、素うどんよりは健康的な食事のはずだ。食べ盛りの十八歳な上、この少年は傭兵なのだから、食事を軽視してはならない。

 この提案は素晴らしいのだが、エウィンは平然と言ってのける。


「二連続でうどんはちょっと……」

「あ、うん、そう、だよね……」


 悪気はない。

 寄り添ってもらえたことに気づけなかった。それだけのことだ。

 喧騒の中、二人は黙って朝食を食べ続ける。ズズズとうどんをすすりながら。



 ◆



「あのう、すみません」


 エウィンとアゲハは朝食を終えた後、建物の反対側を目指した。

 賑わうギルド会館の中で、人口が集中する場所は二か所。一つ目が食堂で二つ目が掲示板エリアだ。

 どちらも用途が異なるのだが、傭兵としては掲示板側こそが仕事場と言えよう。

 なぜなら、立ち並ぶそれらには羊皮紙が所狭しと張られており、その一枚ごとに依頼内容が記載されている。

 依頼人の望みは多岐にわたるも、そのどれもが自力では達成困難ゆえ、彼らは傭兵にすがるしかない。

 とは言え、この少年は掲示板に見向きもしない。ここには別件で訪れており、勇気を出して同業者に声をかけた。


「ん? 君は……、王国で何度か見かけたことがあったかな」


 エウィン達同様、眼前の傭兵は二人組のようだ。

 声掛けに対し、彼らはほぼ同時に反応を示す。

 返答は赤髪の男だ。身長はエウィンよりわずかに高く、年齢も一回り近くは年上か。くすんだ赤色の革鎧は魔物の皮を素材としており、金属製の鎧と比べると強度は劣るが、軽さと動きやすさの点で優れている。

 腰にはスチール製の剣を携えており、その身なりは傭兵のお手本そのものだ。


「あ、僕はエウィンといいます。お尋ねしたいことがありまして……」

「それは、構わないけど……」


 対照的にエウィンからは傭兵の雰囲気が一切感じられない。

 武器も防具も携帯しておらず、風貌はこの村の子供そのものだ。

 そうであろうと、彼らはこの顔を知っている。イダンリネア王国のギルド会館で何度も目撃したからだ。

 その時は浮浪者らしくボロ雑巾のような衣服を着ていたのだが、今は質素ながらも新品のようなカーディガンに袖を通している。

 もっとも、彼らの関心は眼前の少年ではなく、背後霊のように立っている女性に向けられていた。

 顔だけで判断するのなら、美人のはずだ。

 しかし、まとう雰囲気が陰湿過ぎる。自信のなさと臆病な性格がそうさせるのだが、長い黒髪も不気味さに一役買っているのかもしれない。


「あ、こちらは仲間のアゲハさんです。あのう、王国の傭兵がこっちに移ってると聞きまして。あ、僕達はルルーブ森林に用事があったからたまたまなんですけど……。王国で何かあったんですか?」

「俺達も詳しいことまでは知らされていないけども、どうやらジレット大森林が封鎖されたらしくてね。そのせいで仕事が減ったから、久しぶりにこっちへ戻って来たってわけ。あぁ、俺達の故郷はシイダン村なんだけど、あそこってギルド会館がないだろ? だから、主戦場を王国に変えるまではここで活動しててね」


 男の名前はハイド・アーザラット。二十代後半の好青年だ。赤い髪は目にかかる程度には長く、落ち着いた物腰はキャリアによるものか。


「おまえ、確か草原ウサギの専門家だろう? ルルーブ森林に用事? 危険じゃないのか?」


 もう一人の男が、メル・ジェネーレ。威圧的に見える理由は、ハイド以上の長身とその身なりも去ることながら、ぶっきらぼうな顔立ちに起因するのだろう。

 白い髪もまた、相棒よりもいくらか長く、フード付きのローブは黒紅色ゆえ、それもまた刺々しさに拍車をかけている。

 小麦色の長杖を背負っており、この男が魔法の専門家であることは疑う余地がない。


「色々あって、草原ウサギは卒業しました。ゴブリンやスケルトンにも勝てるようになって、今はアゲハさんと二人で腕を磨いている最中です」

「へえ、それはすごいね」

「ああ、イエスだな」


 このやり取りを皮切りに三人は自己紹介を済ませるも、アゲハだけは借りてきた猫のように沈黙を続ける。人見知りに加え、エウィン以外には心を開けない。そういう性分ゆえ、少年の肩越しにやり取りを眺めることしか出来ない。


「ジレット大森林に行けなくなると、確かに色々困りそうですよね」


 エウィンの活動範囲は王国近隣に限定される。

 それでも、その地について何も知らないわけではない。


「ジレットタイガーが生息してるからね。この件で仕事を失った連中の一部が、新たな金策を求めてここに移動した、と。前にもこんなことあったよな? メル、覚えてる?」

「三年前」

「そうそう。もうそんなにたつのか。あの時は牙や毛皮が高騰したから、封鎖が解かれた後は稼がせてもらったよ」


 ジレット大森林は、イダンリネア王国の遠方に存在する巨大な森林地帯だ。名所は湖くらいなものだが、多くの傭兵が足しげく通う理由は他にある。

 ジレットタイガーを狩猟するためだ。この魔物はジレット大森林に生息しており、その風貌はトラと大差ないのだが、少し近づくだけで違いに気づかされる。

 人間の皮膚や肉をあっさりと切り裂ける爪。

 骨すら砕く、巨大な牙。

 そして、黒一色の体毛と発達した筋肉。

 侮れない魔物だ。

 それでも荒くれ者達が危険を冒す理由は、牙や毛皮で金儲けが可能だからだ。

 とりわけこの牙は需要が多く、それゆえに多数の傭兵がこの森で牙を収集しようと、売却価格が下がることは滅多にない。

 ジレットタイガー。通称、黒トラ。これを狩れる傭兵こそが真の一人前と言っても差し支えない。

 エウィンもこの程度の知識は持ち合わせている。

 可能ならば挑戦したいと考えているのだが、そうしない理由はアゲハの存在だ。

 ジレット大森林は非常に遠く、徒歩で向かう場合、一週間以上はかかってしまう。往復ならばその倍だ。

 彼女の体力を考慮するなら、黒トラ狩りは時期尚早かもしれない。少なくともエウィンはそう考えており、だからこそ目先の目標を鍛錬と定めた。


「あー、そんなこともあった気がします。その頃の僕はウサギ狩り一本でしたけど、いつもより騒がしかったと記憶してます」

「ジレットタイガーは生活に根付いてるから、いざ禁止されると騒ぎにもなるよ」


 草原ウサギの専門家からすれば、ジレット大森林への行き来が禁止されたところで痛くも痒くもない。

 実は、エウィンのこの考え方は完全に誤りだ。

 黒トラ狩りで生計を立てていた傭兵達が仕事を失った場合、彼らの一部がウサギ狩りに転向する可能性はゼロではない。

 ゆえにエウィンにとっても他人事ではないのだが、そう実感出来ない理由はそもそも稼げていなかったからか。

 広いマリアーヌ段丘を一日走り回ったところで、狩れる魔物はせいぜいが数体。多い日でも五体程度ゆえ、ライバルが増えたところで誤差だと思えてしまう程度には少ない収入だ。

 白髪の男、メルが指摘する。

 

「黒トラの牙は、ありとあらゆる物に使われている。武器、防具、家具、魔道具、その他色々……。ジレット大森林の封鎖は、イエスじゃない」


 安定供給が当たり前の素材が、出回らなくなる。その影響は傭兵の稼ぎだけでなく、王国の民全員に重く圧し掛かってしまう。

 その指摘はもっともなのだが、エウィンは別の理由で首を傾げずにはいられない。


「そもそもの話なんですけど、封鎖の理由って何なんですか? 今回も、三年前も……」


 この問いかけが眼前の男二人を黙らせる。

 明確な解答を持ち合わせていない証拠だ。

 しかし、憶測を交えることで赤髪の傭兵が持論を述べる。


「三年前に関しては、巨人族が押し寄せたらしい。その証拠に、王国軍が騒がしそうだったからね」

「巨人族、ですか……。僕、まだ戦ったことないからどうにも実感が……」

「西を目指せば、必然的に遭遇するよ。あいつらはうろうろしてるから。油断ならない相手だから気を付けた方がいい。でかい体が嘘のように素早いからね」


 巨人族。身長は人間の倍程度ゆえ、巨人の名に恥じない化け物だ。背が高いだけでなく、全身は筋肉の塊なうえ、両腕に関してはそれぞれが丸太のように太い。肌の色は薄い緑色をしており、体毛は一切生えていないことから、人間と見間違うことはないだろう。

 この魔物もまた手ごわい。

 それだけにとどまらず、人間ほどではないのだが知性を持ち合わせている。

 つまりは独自の文化を築いており、他の魔物と違って子を産み育てることから、そういった意味でも人間に近い存在だ。

 巨人族の掃討は王国軍の本業であり、傭兵は身を守るために戦うことはあっても、積極的に狩ろうとはしない。


「だったら今回も、巨人族が戦争を仕掛けてきたから、かもしれない? 傭兵は邪魔だから近づくな、みたいな」


 エウィンの言う通り、巨人族はイダンリネア王国を敵視している。

 人間対巨人の争いは千年近くも続いており、どちらかが絶滅するまで血は流れ続けるのかもしれない。

 少年の推測に、メルが長い白髪を揺らしながら首を縦に振る。


「その可能性が、高い。なぜ傭兵の力を借りないのか、甚だ疑問ではあるが……」

「プライドなんだと思うよ? 軍人は俺達のことが嫌いらしいし……」


 二人のやり取りは的を射ているのだが、一方でエウィンは疑問を抱かずにはいられなかった。


(そうなん……だ。だけど僕には優しくしてくれたけどなぁ。まぁ、ぼろっぼろの服を来た子供だったから、見て見ぬ振りは出来なかっただけかもだけど……)


 当時のエウィンは六歳だった。

 単身でイダンリネア王国にたどり着き、行く当てもないことから貧困街に身を隠す。

 漁師がこぼした魚で飢えをしのぎながら、廃墟のような小屋の中で死んだように生きる、そんな毎日。

 しかし、心の中では呪いのような感情が膨張してしまう。

 母のように自分も死にたい。

 そう願った結果、六歳の少年は安直に傭兵を目指してしまう。

 そのための第一歩が、軍人の模倣だった。

 城下町の西側には軍区画が存在しており、隔離されてはいても、柵から内側を眺めることは可能だ。

 貧困街からはかなり離れているのだが、その移動さえも鍛錬と捉え、エウィンは軍人達が特訓に打ち込む様子をまぶたに焼き付ける。

 その際、見かねた大人達が素振りやトレーニングの方法をこっそりと教えてくれるのだが、そういった思い出が軍人への好印象に繋がっている。

 そうであろうと、これはレアケースだ。

 軍人の多くが傭兵を毛嫌いしていることは間違いない。


「軍人は統率が取れてて、しかも数が揃ってる。だったら、巨人族の相手は彼らに一任すべきだと思うけどね」


 鞘に収まった片手剣をカチャリと鳴らしながら、ハイドは自身の考えを述べる。

 この男も生粋の傭兵だ。

 しかし、そうは見えないほどの品性を備えており、ジレット大森林の封鎖に伴い仕事が減った際も、真っ先に活動拠点の変更を提案した。


「異論はない。敵の強さが見極めづらい時点で、連中との戦闘は避けたい」


 左足へわずかに重心を傾けながら、長身のメルが賛同する。

 巨人は人間と同様に、その実力は横並びではない。

 つまりは、弱い個体もいれば、手ごわい個体も存在する。

 相手が雑魚ならば、傭兵や軍人にとっては好機でしかない。

 しかし、もしも逆だったら、命を散らすのは果たしてどちらか?

 ましてや、巨人族を倒したところで傭兵は金を稼げない。それらの巨躯は売れる部位が一切ないことから、死体を放置して帰国するしかない。

 つまりは、無駄な労働だ。

 襲われたら迎え撃つしかないのだが、可能なら出くわしたくない。

 それが巨人族であり、だからこそ傭兵と王国軍とで住み分けが出来ている。

 自分の欲求を満たしながらも、依頼という形で魔物を狩る傭兵。

 王国に忠誠を誓い、王国と民を守るため巨人族と戦う軍人。

 精神的にも立ち位置すらも異なるのだから、彼らを比べる必要はないのかもしれない。

 少なくともここには、傭兵しかいないのだから。


「俺達は俺達のやり方でってこと。さて、エウィン君はこれからどうするんだい? あぁ、腕試しだったっけ?」


 この話題はこれにて終了だ。

 ハイド達も暇ではないため、話を進め始める。


「はい。昨日に引き続き、今日もキノコ狩りに励むつもりです。お二人はどうされるんですか?」

「特異個体に挑んでみようと思ってる。丁度良いのが見つかったからね」


 特異個体とは、通常の魔物とは文字通り毛色が異なる突然変異のような存在だ。

 異常発達した爪や牙を持つもの。

 体が巨大化したもの。

 本来ありえぬ殺傷手段を会得したもの。

 つまりは周囲の同族と危険度が高い。

 それだけなら問題ないのだが、被害者が出てしまった場合は傭兵組合としても動かざるを得ない。

 危険なそれの首に賞金をかけ、腕に覚えのある傭兵を派遣、駆除させる。


「特異個体、ですか……。僕、そういうのには遭遇したことないです」


 そう言いながら、エウィンはハッと思い出す。


(あ、オーディエンって化け物もある意味でそうなんだろうな。あいつはまだ掲示板に貼られてないみたいだけど……)


 思い描いた炎の魔物は、未だ手配すらされていない。

 その事実にエウィンは首を傾げたくなるも、思考を巡らせたところで答えは見つからないだろう。


「もしもやばそうな魔物と出くわしたら、その時は戦おうとせず、大人しく逃げた方がいい。俺達も過去何度殺されかけたことか。なぁ、メル?」

「腕を切り落とされた時は、死ぬほど痛かった」

「えぇ……」


 長身の男が平然と言ってのけるが、その発言は少年を驚かせるには十分だ。

 この二人がどれほどの手練れかは、エウィンにはわからない。

 それでも、歴戦の傭兵であることは雰囲気から察することが出来る。

 にも関わらず、死と隣り合わせであると彼らは言ってのけた。

 特異個体は侮れない。エウィンはこのタイミングで肝に銘じる。

 しかし、同時にこうも思ってしまった。


(特異個体だったら、僕達を追いつめてくれるのかな?)


 アゲハを庇って、自分だけが死ぬ。そのようなシチュエーションを待ち望んでいるのだから、手ごわい魔物との遭遇はむしろ願ったり叶ったりだ。

 ただし、彼女に死なれてしまっては困る。命を落としても良いのは自分だけだと自覚しており、だからこそ、アゲハには逃げ切ってもらえるだけの実力を身につけてもらいたい。


「俺達はそろそろ出発するけど、君達もしばらくはここで?」


 質問に答え終えたことから、ハイドとメルは仕事の時間だ。

 今日の獲物は決定しており、先ずはそれの生息域を目指さなければならない。

 その後は周囲の魔物を掃討しながら該当する個体を見つける必要があることから、特異個体狩りはどうしても時間がかかってしまう。

 ギルド会館でくつろいでいる間は一イールも稼げないのだから、彼らの行動力は見習うべきか。


「はい。いつまで、とかは全然決めてませんけど。少なくとも一、二週間はいると思います」

(追い出されなかったら、だけど……)


 この少年の場合、そういう条件がつきまとってしまう。

 十二年前の遺恨が残っているのかどうかは不明ながらも、家族を失った者の傷はそう簡単には癒えない。エウィンはそのことを誰よりも理解しているのだから、楽観視など出来るはずもない。

 交流会が終わり、ハイドとメルがギルド会館を去ったことから、エウィンもまた提案する。


「色々知ることが出来ましたし、今日も引き続き、キノコを狩りましょっか」

「うん」


 今回の旅の目的は、アゲハの鍛錬。そうである以上、所持金に余裕がある内は魔物討伐に明け暮れたい。

 もちろん、金も稼げるのならそれがベストだ。

 眼前にはいくつもの掲示板が並べられており、それぞれに多数の羊皮紙が貼られている。

 その一つ一つが依頼人の願望であり、それを叶えることで傭兵は報酬を受け取れる。

 同時に、依頼人は救われる。

 どちらにもメリットしかないのだから、手が空いているのなら掲示板に向き合うべきだ。

 しかし、そのためには魔物よりも強くなければならない。


「腹も膨れたことですし、いざ! あ、その前にお昼ご飯を少し買っておきましょう」

「キノコだけじゃ、味気ないもんね。ところで、歩くキノコって、草原ウサギみたいに、売れないのかな?」


 アゲハの疑問はもっともだろう。

 魔物とはいえ、ウッドファンガーの成分は菌類のキノコと大差ない。

 それどころか、栄養面、味、そのどちらもが同等かそれ以上だ。

 ゆえに、食べられる。キノコが嫌いでないのなら、食べない理由が見当たらない。

 王国にも流通しており、キノコ料理と言えば、材料はウッドファンガーが該当する。


「売れますよ。ただ、専門に狩る傭兵がいて、その人達だけで供給が事足りるんです。専属契約みたいな感じですね。だから、そういう意味では買い取ってもらえないとも言えます。既に足りてますから……」

「そうなんだ。残念……」

「ほんとーに極稀に、依頼があったりしますけどね。さすがにここでは発行されないと思いますけど」


 賑わうギルド会館の中を、二人は肩を並べて歩く。

 掲示板エリアから離れたところで、その先もまた傭兵だらけだ。

 鎧を着た男。

 短剣を腰から下げる女。

 大声で笑う若者。

 仲間との話し合いに興じる年配者。

 傭兵の数だけ声が生まれるのだから、建物内はいつも騒々しい。


「何食べようかな? アゲハさんはどうします?」

「う~ん、悩んじゃう……。焼きキノコだけでもお腹いっぱいになるし……。あ、夜は焼きおにぎり作ろうか?」

「あ~、そうか。夕食は戻って食べてもいいのか……。と、なると、お昼に焼きおにぎり食べたいです!」

「いいよ。作るね」

「だったらお昼、買い足す必要ないのか」

「そうだね」

「んじゃ、一旦宿に戻りましょう」


 エウィンの笑顔が、アゲハの心を温める。

 利用していようと。

 依存していようと。

 手を取り合って二人は進む。

 その先にいかなる脅威が待ち構えていようと、そんなことはお構いなしだ。

 無関係を装いたいわけではない。

 今は何も知らないのだから、目先の用事から片付けるしかない。

 一歩ずつ進む。

 それがエウィンとアゲハのペースであり、彼らの身の丈に見合った歩幅なのだから。

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