表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/74

第二十話 彼らの脆弱性

 夜が更けた森は、不気味な上に静か過ぎる。

 それは川沿いも例外ではない。

 そこは橋がかかっているのだが、濡れることに抵抗がないのなら歩いて渡ることも十分可能だ。浅瀬ゆえ、覗けば河底の丸石をハッキリと数えられる。

 流れも穏やかなことから、水浴びには最適な場所だ。

 もっとも、この森には漁村があるのだから、野営という選択肢は本来ならば選ばれない。彼らには彼らの都合があるのだろう。

 エウィン・ナービス。十八歳の傭兵であり、故郷を追い出された浮浪者。イダンリネア王国の貧困街にひっそりと住み着いているのだが、今はこうしてルルーブ森林まで遠出をしている。

 その理由は少々複雑だ。

 自身の実力を測るため、草原ウサギ以外の魔物と戦いたいから。

 金を稼ぎたいから。

 そして、アゲハにも強くなってもらいたいから。

 だからこその長旅だ。

 草原ウサギを狩り続けること一か月。

 その甲斐あって、彼女の体力は大きく向上した。本人もそのことを自覚しており、マラソン選手に匹敵するのではと自画自賛だ。

 その認識は概ね正しい。

 イダンリネア王国からルルーブ森林を目指す場合、マリアーヌ段丘を南下することになるのだが、その距離はおおよそ百キロメートル。

 この距離をたった一日で走り切るのだから、アゲハの身体能力は以前とは別人だ。

 その上、翌日も走らなければならない。常人ならば倒れても不思議ではないのだが、傭兵という肩書のおかげか二人は見事たどり着いた。

 目的地はここ、ルルーブ森林のど真ん中。シイダン川が西から東へ横断しており、橋を渡ってそのまま南東を目指せばルルーブ港が見えてくる。

 ゆえに野宿せずともそこを目指せば良いのだが、エウィンが帰郷を拒むことから、二人は川辺の平地に陣取る。

 楽しい夕食が腹を満たし、片付けも済ませた。

 食後のトレーニングとしてエウィンとアゲハは短剣の素振りに励み、じわりと汗をかいた頃合いに二人は別行動へ移ろう。

 水浴びの時間だ。

 月明りに照らされたところで、裸体が見られる心配は不要のはずだ。

 それでも彼らは離れた場所で身を清める。そういう年頃ゆえ、やむを得ない対応と言えよう。

 長い黒髪を揺らしながら、アゲハは川の真ん中に立っている。

 その姿は裸ではなく、非常にラフな半袖短パンだ。

 真夜中の森であろうと、誰かとすれ違う可能性はゼロではない。非力な一般人には危険極まる土地なのだが、傭兵ならば話は別だ。遅くまで魔物を狩り、このタイミングでルルーブ港を目指す苦労人がいたとしても不思議ではない。

 オレンジ色のハンドタオルを川に浸し、持ち上げて軽く絞れば準備は完了だ。

 アゲハは顔や首周りを撫でるように拭き始める。理想は裸になって全身を沈めたいのだが、野外ゆえに今回はこの方法で我慢せねばならない。

 次いで露出させた両腕を洗うのだが、その最中も彼女の顔は綻んでいた。


(嬉しそうに、食べてくれた。やっぱりわたし、料理が好き……)


 夕食の献立は二種類だった。

 歩くキノコの塩焼き。

 焼きおにぎり。

 どちらも焼き料理ではあるのだが、エウィンを唸らせるには十分過ぎた。

 ウッドファンガーの傘を適度に切り分け、塩をまぶして炙る。シンプルな調理方法ながらも、鮮度の良さとこの魔物自体に優れた風味があることから、塩で味を整えるだけで至上の味わいだ。

 焼きおにぎりについては説明不要だろう。醤油とみりんでタレを作り、おにぎりの表面塗ってこんがりと焼く。出来上がった黄金色からは香ばしい匂いが漂うため、エウィンはかぶりつく前から涎を抑えられなかった。


(いっぱい食べてくれた。二品目になっちゃったけど、量は多かったし……。今後は、お肉やお魚も欲しいな。魔物の解体、そろそろ覚えた方が良いよね? エウィンさんも、きっと喜んでくれる、はず……)


 干し肉を非常食代わりに持ち歩いてはいるものの、朝と昼にかじったことから夕食時には並べなかった。

 この森にはヒツジの魔物が生息しており、毛を剝いで可食部を切り分けられれば、料理のレパートリーは増すはずだ。

 アゲハはそういったことを思案しながらも、両手を使って全身を拭き続ける。

 両脚の半分程度が水中に沈んでおり、当然ながら体温が奪われるのだが、凍えるほどではないため、水浴びの支障にはならない。

 肉付きの良さも相まって煽情的な光景だ。大きな胸が薄いシャツを持ち上げており、薄茶色の短パンでは太ももさえも隠しきれていない。

 タオルを持った手を服の中に忍ばせ、内側も念入りに拭き取る。乳房周辺はより多くの汗をかくことから、念入りな手入れが必要だ。


(この辺は徹底的に……。あせもになりやすいし……。今更だけど、見られてない、よね?)


 心配だ。そういった性分でなくとも、この状況には疑心暗鬼にならざるを得ない。

 暗闇の中とは言え、チャプチャプと騒音が発生している。彼女の姿が見えずとも、異変に気づける状況だ。

 ましてや、川辺には彼女用に購入したばかりのマジックランプが置かれており、その光が周囲を照らしてくれている。

 心強い反面、自身の位置を晒してしまうという欠点もあるのだから、最低限の警戒は必要だ。


(エウィンさんになら、見られても、いいかな。あへ、あへ……)


 顔を赤らめながら。

 涎を垂らしながら。

 アゲハは妄想にふける。

 この気持ちが恋愛感情なのか、依存心でしかないのか、二十四歳ながらもわかりかねている。

 もしくは刷り込みか。

 アパートが燃え、彼女は業火に包まれた。一瞬の出来事だった。

 次の瞬間には黒と白が混ざり合った空間を漂っており、知らない声に話しかけられ、目が覚めたらそこは廃墟のような場所だった。

 右も左もわからない。

 ここがどこで、自身に何が起きたのか? 混乱する頭では整理することさえ出来いまま、選んだ行動は彼女らしく引きこもることだった。

 屋根すら朽ちた、ボロボロの小屋。今にも倒壊しそうなその中へ足を踏み入れると、恐怖に震えながら泣き続ける。

 それしか出来なかった。

 そうするしかなかった。

 もっとも、彼女の無力さが運命の出会いを引き寄せたのだから、九死に一生を得たとはこのことだろう。

 しかし、非力なままではいられない。

 傭兵として金を稼ぐためには、一人よりも二人の方が効率が良い。一度に二つの依頼を受注出来るからだ。

 エウィンを手伝うため、彼女は傭兵としてその背中を追うことにした。

 役に立つために。

 恩を返すために。

 そして、一緒の時間を過ごせるように。


(ぶよぶよな体、前は嫌いだった。今はちょっとだけ、本当にちょっとだけ……)


 陰気な自分が嫌いだった。

 後ろ向きな性格が直せなかった。

 友人は一人もいない。

 趣味さえも、大学を中退するまで見つけられず仕舞い。

 就職に失敗し、その結果が引きこもりだった。

 胸自体は以前から目立つ程度には大きかったのだが、体脂肪の上昇に伴いより一層際立ってしまう。

 二の腕や腹部には、掴んで余りある量の脂肪が蓄えられた。

 身長は伸びていないにも関わらず、大学時代の服はそのほとんどが着られない。

 有体に言えば太ってしまった。

 肥満気味という段階に踏みとどまれてはいるものの、他者の視線を恐れるという点においては紛れもなく悪化した。

 醜いこの体を、見られなくない。

 根暗そうなこの顔を、晒したくない。

 何より、他人が怖い。

 それゆえの引きこもりだ。母親からの仕送りに甘えることでそれは実現可能となり、アゲハは三年もの間、アパートの自室にこもり続けた。

 しかし、転機は訪れた。

 死を引き換えにたどり着いた場所が、この世界、ウルフィエナだった。

 そして、出会うことが出来た。

 若葉色の、短い髪。

 やさしい笑顔。

 ボロボロの、おおよそ言い訳の出来ない半袖と長ズボン。

 腰には使い古された短剣を下げており、日本人の感性からすれば不審者としか言いようがない。

 少年の名前はエウィン・ナービス。今日の分の食べ物を買うために、魔物を狩る貧困者。

 働かずとも、太ってしまう自分。

 働いても、満足に食べられないエウィン。

 そのような対比を思い描いたわけではないのだが、彼女は奮い立つしかなかった。

 アゲハは傭兵として歩み出す。

 その成果の一つが体力の向上であり、その甲斐あってエウィンとの旅が可能となった。

 風呂無しの野営はいささか苦痛ではあるものの、こうして身を清めることが出来ている以上、贅沢を言うつもりはない。


(汗拭きシートもあるし、何とかなっっちゃってる。自分でもビックリ……。この世界って、文明レベルは地球より劣るけど、なんか不思議。ファンタジー物なのに、どこか日本っぽい。お箸とか、食べ物とか……)


 正しい商品名は拭き取りシート。彼女が日本で手に取っていたものと大差なく、拭くだけで清涼感が得られる上、汚れもしっかりと除去出来る。

 傭兵にとっては必需品であり、使い捨てられる程度には低価格なことから、常備しない理由がない。

 ゆえに、エウィンとアゲハも鞄に潜ませている。王国を一歩でも出れば、入浴はおおよそ不可能だ。今回のように水場を目指すのならば話は別だが、行先に川や湖があるとは限らない。


(明日も、焼きおにぎり、作ろう。よし、もういいかな……)


 自身の洗濯はこれにて終了だ。濡らしたタオルで拭いただけだが、不快感はすっかり拭き取れた。

 満足感を得られたのだなら、野営場所に戻るべきだろう。

 なぜならここは、魔物の縄張りだ。

 そうであることを失念していたわけではないのだが、アゲハは異音に対して即座に反応出来なかった。

 小石が転がるような、乾いた音。カタカタともコトコトとも聞こえるそれは、向こう岸から届いていた。


(ん? え……)


 ハンドタオルを洗い直し、絞った矢先の出来事だ。

 川岸に設置したマジックランプを目指そうとするも、音の発生源が彼女の思考を停止させる。

 進行方向とは逆の川岸に立つ、真っ白な何か。その姿かたちは人間と瓜二つながらも、だからこそそうではないと一目で見抜ける。

 全身が白一色だ。暗闇の中でも、そう判別出来るほどには白い。

 その理由は明白だ。

 頭も、体も、四肢すらも人骨だけで構成させているのだから、白くて当然だろう。

 それが二本の足で立っており、右手は茶色いこん棒を握っている。

 頭蓋の窪んだ部分には眼球など見当たらない。

 しかし、それが自身をじっと見つめているとアゲハは本能で察することが出来た。


(スケルトン⁉ な、何で⁉)


 ここは魔物の住処であり、ましてや今は真夜中だ。

 骨だけの異形、スケルトン。この種族は大陸全土に生息しており、遭遇する機会は稀なのだが、その内の一回が運悪く訪れてしまった。


(こん棒を、持ってる……。だったら……)


 アゲハはこの魔物について、エウィンから知らされている。

 スケルトンは低いながらも知能を持ち合わせており、その性格は凶暴と言う他ない。

 見た目に反して身体能力はかなり高く、単なる打撃で人間を容易に殺せてしまう。

 武器を扱える程度には賢いのだが、何より警戒すべきは素手の個体だ。

 腕力に自信があるわけではない。

 格闘術に秀でているわけでもない。

 何も持たないスケルトンは、魔法を使う可能性が高いと言われている。

 祈るように詠唱するだけで、標的を殺傷出来る手段が攻撃魔法だ。

 燃やし、切り刻み、凍らせ貫く。殺害方法は多種多様ながらも、生死を左右するという点では共通だ。

 そういう意味では、アゲハにとっては幸運だった。

 今回遭遇した個体は鈍器を持参しており、魔法に晒される心配はなさそうだ。

 そうであろうと取るべき行動は一つしかない。

 脱皮の如く逃げる。

 魔物は陸と川の境目に立っており、不気味な顔で人間を凝視中だ。

 両者はいくらか離れており、手を伸ばしてところで決して届かない。こん棒を振り下ろしたところで結果は同様だ。

 だからこそ、スケルトンはすぐにでも歩き出すだろう。

 もしくは、駆けるのか。

 距離を詰められたら最後、アゲハは呆気なくその命を散らす。草原ウサギを乱獲したことで体力は高まったが、この個体と渡り合うにはまだまだ貧弱だ。

 ゆえに、逃げるしかない。そうであると理解しているからこそ、彼女は敵に背を向け、水しぶきをあげながら走り出す。

 表情が歪む程度には川の水が重く、足が思い通りに動いてはくれない。

 そうであろうとがむしゃらに走る。背後のそれは自分を殺すことが目的なのだから、一刻も早く離れなければならない。

 置いていたマジックランプに一瞬だけ視線を向けるも、今は回収しない。逃げるべき方角は覚えているため、灯りなしで走る算段だ。

 即座の判断が功を奏したのか、アゲハは滞りなく岸辺にたどり着く。

 陸地にあがれた以上、ここからは加速が可能だ。それは魔物も同様なのだが、彼女は一足先に速度を上げる。


(このまま……、え?)


 非情な現実が、逃げ切れるという思い込みを打ち砕く。

 追い付かれたわけではない。

 こん棒を投げつけられたわけでもない。

 アゲハがマジックランプを追い越した瞬間だった。

 眼前に立ち尽くす、お化けのような巨大キノコ。その背丈は彼女の胸近くにまで達しており、六本の足が自身をしっかりと立たせている。


(そんな⁉ く!)


 ウッドファンガー。この森に生息する魔物だ。これもまた、アゲハの水浴びを盗み見ていた。

 人間と魔物がぶつかりそうな距離で向き合っている。

 ならば、衝突は避けられない。

 その結果を拒むように、アゲハは右方向へ進路を変える。

 スケルトンに続き、眼前のキノコからも逃げ延びる算段だ。

 残念ながら、その努力は徒労に終わってしまう。

 巨大キノコが俊敏な動きで瞬く間に距離を詰めると、跳ねるように体当たりを命中させる。


「あぐっ!」


 ぶつかってしまった。それ以上でもそれ以下でもないのだが、次の瞬間、アゲハは走馬灯を見るかの如く、思考を巡らせる。

 咄嗟に左腕で受け止めたにも関わらず、彼女は押し戻されるように吹き飛ぶ。

 腕の鈍痛は瞬く間に脳へ達したが、それよりも今はこの浮遊感に困惑してしまう。

 この状況を、アゲハは知っている。映画等の撮影で用いられる、ワイヤーアクションという技法だ。

 取り付けられたワイヤーが俳優を普段以上に跳躍させる。

 もしくは、吹き飛ばす。

 彼女の滞空はまさしくそれらの再現だ。


「あっ! うぅ……」


 地面との衝突に一秒近くの時間を要したことからも、ウッドファンガーがいかに怪力か、思い知らされた。

 唯一の救いは、右への急旋回によって吹き飛ぶ先が変わってくれたことか。来た道を戻された場合、スケルトンに受け止められていたかもしれない。

 最悪の事態は免れた。

 しかし、この状況は手遅れ以外のなにものでもない。

 落下した場所は川縁。顔や上半身が水中に浸っており、腰から下が陸にあがっている状態だ。

 激痛の発生源は腹部と左腕。どちらも意識をかき乱すには十分な痛みながらも、先ずは体を起こさなければならない。

 呼吸のため。

 なにより、魔物から逃げるため。

 アゲハは右腕だけを使って、ゆっくりと上半身を持ち上げる。

 その結果が、悪夢のような光景だ。


「ひっ……」


 二体の魔物が眼前まで迫っている。

 骨格模型のようなスケルトン。

 一メートルにも達する、ウッドファンガー。

 それらは異なる種族ながらも、人間という共通の獲物を前に、肩を並べて歩みを進めている。

 もはや逃げられない。そう悟ってしまうほどには接近を許しており、アゲハは水浸りの顔を引きつらせながら悲鳴をあげてしまう。

 ここは戦場だ。

 にも関わらず、野営場所に選んでしまった。

 その愚かさを罰するように、骨の右腕がこん棒を振り下ろす。

 それは単なる鈍器だが、なんら支障はない。扱う者の腕力次第では、人間などいとも容易く潰せてしまう。

 その事実を証明するように、スケルトンが人間の殺害を実演する。

 アゲハに出来ることは、ただ一つ。恐怖の余り、瞳を閉じることだけだ。

 もしくは、現実から目を背けたいだけか。

 どちらにせよ、訪れた暗闇は夜中の森よりも黒く、体が何も感じない理由は肉体と意識が切り離されたからか。

 そうではなかった。


「だ、大丈夫ですか?」


 アゲハはこの声を知っている。

 この世界に転生して、初めて聞いた声。

 とても大事な人の、優しい声。

 聞き間違えなど、ありえない。


「エウィン、さん……」


 アゲハを庇うように、緑髪の少年が覆い被さっている。

 スケルトンの凶器で背中を殴られたはずだが、その顔は痛がる素振りすら見せていない。

 それどころか、心底心配そうな表情だ。


「怪我は?」

「少し、だけ。だけど、だいじょぶ、だよ……」


 その問いかけに対し、アゲハは強がってみせる。。

 命に関わる負傷ではなくとも、左腕は晴れ上がり、内臓もいくらか損傷してしまった。想像を絶する激痛のはずだが、弱音ではなく少年を安心させるような返答を選ぶ。


「良かった。とりあえず……」


 寝そべった彼女と見つめ合っている場合ではない。背後には二体の魔物が待機しており、割り込まれたことに驚きながらも冷静に様子を伺っている。

 アゲハを抱きかかえながら立ち上がるエウィン。その姿は勇敢ながらも無防備この上ない。

 その隙をそれらが見逃すわけがない。ウッドファンガーは突進の体勢へ移行する一方、スケルトンは既にこん棒を振り下ろしていた。凶器に殺意を宿し、人間の頭頂部を粉々に粉砕するつもりだ。

 その威力に偽りがないことを、スケルトンは別の形で実演する。

 エウィンの頭蓋を破壊するはずだったこん棒だが、何も殴れないまま縦に振り抜かれる。

 つまりは空振りだ。標的の姿が忽然と消えたのだから、当然と言えば当然だ。

 行き場を失ったこん棒が、八つ当たりのように水面を叩いてしまう。

 その結果、川の水が激しく舞い上がったばかりか、その衝撃が凄まじかったことから川が一時的に干上がってしまう。

 突然の雨に二体の魔物だけが濡れる一方、彼らは離れた場所へ避難を終えていた。


「ここで、ちょっとだけ待っててください」

「あ、うん……」


 アゲハを地面に降ろし、背もたれ代わりの樹木に支えてもらう。

 彼女の表情は苦痛に歪みながらも、問題ないことをエウィンは知っている。触れるだけで傷を癒せるのだから、心配や後回しだ。


「すぐ戻ります」


 振り向き、歩き出す。

 背後のアゲハはなんとか救い出せた。

 ゆえにここからは傭兵らしく魔物討伐の時間だ。

 前方の川辺には、獲物を見失ったスケルトンとウッドファンガーが惨めに立ち尽くしている。エウィンの足元に反応してその姿を視認するも、力量差までは見破れない様子だ。

 川だった場所から森の方へ。二体の異形が前進を開始する。

 白骨死体のようなそれは今なお右手に鈍器を携帯している。

 隣の巨大キノコは六本の根を蠢かせてその巨躯を器用に運んでいる。

 手ごわい魔物だ。アゲハにとってはそうだった。

 しかし、対戦相手が変わった以上、ここからは新たな局面を迎える。

 先制攻撃はウッドファンガーだった。先ほどは何も出来ないまま獲物に逃げられたため、うっ憤を晴らすように自身を加速させる。

 体当たりはこの魔物にとっての常套手段であり、絶対的な運動エネルギーだけで人間を壊せることは先ほど証明された。

 そうであろうとエウィンには通用しない。自動車のような勢いで人間にぶつかるも、この傭兵は一歩も下がらないどころかよろめきさえしない。

 ウッドファンガーがたじろぐ一方、スケルトンが追撃を試みる。キノコを追い越し、瞬く間にこん棒を振り下ろすのだが、轟音と共に訪れた結果と光景には、無表情なその顔を歪ませるしかなかった。

 頭部を殴られてもなお、エウィンは傷一つ負ってはいない。痛がる素振りを見せないどころか、瞬きすらせずに魔物観察を継続している。

 強者と敗者。その立ち位置が確定した瞬間だ。

 その事実を押し付けるように、傭兵が一歩を踏み出す。

 脇を締め、ただただシンプルに右腕を振り抜くと、少年の拳が真っ白な頭蓋骨が粉みじんに打ち砕く。

 よろめく首無し死体を横目に、右隣りの歩くキノコへ狙いを定めれば、この戦いは決着だ。

 瓦割りのように、手刀で魔物を両断する。

 頭部を失い、崩れ落ちたスケルトン。

 左右に割かれた、ウッドファンガー。

 そして、そこには一人の傭兵が立っていた。

 その光景を目の当たりにした以上、アゲハは右手で左腕を癒しながらも、驚かずにはいられない。


(やっぱり、すごい。何もかもが、わたしより、上……)


 成長著しい彼女だが、エウィンという人間は別格だ。

 そうであると見せつけられた以上、自分が死にかけたことさえ失念してしまう。

 一方、少年の胸中は複雑だった。勝利を喜ぶ様子もなく、俯くように悲しんでしまう。

 もしくは、自己嫌悪に陥っているのか?

 二体の魔物に勝つことは出来た。

 アゲハを救うことも出来た。

 しかし、笑顔は作れない。

 こうなってしまったことが、間違いだと気づけているからだ。

 この辺りなら安全だと、決めつけてしまった。

 水浴び理由に、アゲハを一人にしてしまった。

 そういった後悔に苛まれながら、今は静かに歩き出す。

 先ずは合流だ。

 反省会は、野営地に戻ってからでも遅くはない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] やはり笑顔を作らせるのは難しさを感じますね。その気持ちは分かります。 そして戦場で野営をするとは驚きましたが、無事である事を信じています!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ