表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/68

第十五話 傭兵として

 その事務所は彼女らが勤める職場だ。

 そうであると裏付けるように、多数の机と椅子が配置されている。

 整理整頓が行き届いていようと、机の上は書類や小物で散らかり放題だ。仕事に励んでいる証拠であり、それぞれがそれぞれの職務に追われている。

 薄茶色の制服はここの仕事着。女性職員は例外なくその制服を着ており、窓口担当の彼女も例外ではない。


「難易度は高いと思います。どうぞ、お気をつけて」


 受付カウンターが両者を分け隔てる。

 こちら側が職員達の空間であり、向こう側が荒くれ者達の領域だ。

 緑色の長い髪はポニーテール。今まさに、二人組に仕事を斡旋し終えた。

 ふぅと息を吐きながら、彼らの後ろ姿を見送る。

 ここはギルド会館。傭兵が仕事を求め訪れる、巨大施設。

 そこで働く職員は傭兵組合に所属しており、窓口担当の彼女もその内の一人だ。

 当番制ではあるのだが、この女性は受付窓口を担当することが多く、ゆえに傭兵にも顔を覚えられている。

 手続きが完了し、傭兵が立ち去ったことで、今は一息つける瞬間だ。窓口に依頼主、もしくは傭兵が並ばない限り、待機という名目で気を緩めることが許される。

 その隙を狙ったわけではないのだが、その呼びかけが彼女に語りかける。


「ちょっとちょっと、ムーコ」

「んー?」


 ムーコは彼女の名前だ。後頭部の尻尾を揺らしながら、声の方へ顔を向ける。


「今のって万年ウサギじゃないの?」

「そだけど?」


 その問いかけに対してムーコが平然と肯定するも、その顔と態度が気に食わないのか、もう一人の女性職員が眉間にしわを寄せる。

 現れた女性の名前はチタ。桃色の髪は長く、その髪型はツインテールだ。着ている制服は同様ながらも、胸部の膨らみが大きいことから、雰囲気は似て非なる。

 二人は同僚だ。親しい間柄ゆえ、勤務中もこうして話すことが多いのだが、今回は雑談ではない。


「さも当然みたいに言うな」

「い、いひゃい……」


 チタは困惑しながらも、ムーコの頬をぐいとつまむ。命に関わる話題ゆえ、その能天気さを受け入れられなかった。


「ちょっとその書類見せな」

「うぅ、ほっぺがー」


 同僚が涙を流そうとお構いなしだ。桃色の髪を傾けながら、机上の羊皮紙へ手を伸ばす。

 そこにはフォーマットに従って各種情報が記載されており、傭兵組合の職員なら一目で理解可能だ。

 採番された依頼番号から始まり、次いで仕事の内容が事細かに記されている。


「ヘムト採掘場に生息するスケルトンのシャレコウベを収集。数は十個。錬金術協会が依頼してきた奴じゃなかった?」

「そだけど……」

「これってかなり危険じゃん」


 チタの言う通りだ。

 スケルトン。全身が人骨だけで構成された、異形の魔物。背丈は人間と大差なく、見た目とは裏腹に身体能力は非常に高い。

 少なくとも、駆け出しの傭兵が立ち向かえる相手ではなく、だからこそ、彼女は異を唱えてしまう。

 一方、ムーコは痛む頬を撫でながら反論を開始する。


「あの人なら大丈夫だと思うよ」

「何を根拠に……。だって万年ウサギなんだよ?」

「そうなんだけどさ。チタちゃんは知らないと思うけど、最近のエウィンさんは頑張ってるんだよ」


 万年ウサギ。エウィンの二つ名であり、意味合いとしては侮辱が近い。

 十年近くもの年月を草原ウサギ狩りに費やした結果、傭兵が陰口のようにそう呼び始めた。

 普通なら数か月で鍛錬を終え、次の魔物へステップアップするのだが、エウィンに成長が見られず、ウサギ狩りを継続するしかなかった。

 このあだ名は職員にすら知れ渡っているのだが、だからこそ、チタは心配せずにはいられない。


「頑張るとかそういう精神論の話じゃないでしょ。スケルトンなんて明らかに格上じゃん。勝てっこないって」


 つまりはそういうことだ。

 草原ウサギは最弱の魔物であり、傭兵でなくとも数人がかりなら問題なく殺傷出来る。拳銃を用いれば単独での撃破も容易いだろう。

 しかし、今回の獲物はそうもいかない。

 草原ウサギが入門用の雑魚だとしたら、スケルトンは遥かに格上だ。一概には言えないのだが、その手強さはゴブリンと同程度とさえ噂されている。

 ゆえに、彼の現状を知らなければ、至極まっとうな反応と言えよう。


「むっふっふー。いいいひゃいいひゃい」

「気持ち悪い顔すんな。笑いごとじゃないでしょうに」

「違うんだってー。エウィンさんはもう万年ウサギを卒業したの」

「え? どういうこと?」


 エウィンに対しての解像度の差だ。緑髪のムーコは把握しており、頬を守るためにも説明を開始する。


「一か月くらい前から、依頼に挑戦し始めたんだよ」

「へ~、初耳」

「私も最初は半信半疑だったけど、ウッドファンガーの納品とか、そういった簡単なやつをテキパキこなして実績を積んでてね。しかも! おっぱいがおっぱいな女の人とペアを組んで、今では一度に二つの依頼を受注してて!」

「あぁ、そいつのことなら私も知ってる。貴族みたいに綺麗な黒髪で、毛先だけが青いんだっけ?」


 アゲハのことだ。胸の大きさだけでも目を見張るのだが、特徴的な髪や根暗そうな雰囲気は色物揃いのギルド会館でも見劣りしない。


「そーそー。あの二人ってどんな関係なのかな? チタちゃん知ってる?」

「普通に知らないし、興味もない。知ってても教えないけど」


 職員と傭兵は、ある意味で同僚だ。

 依頼という名目で仕事を発行する者。

 それを受注する者。

 立ち位置は真逆ながらも、両者が手を取り合わなければ傭兵制度は成り立たない。

 ギルド会館はそのための職場であり、今日も色とりどりの荒くれ者達が仕事を求めて足を運んでいる。


「おっぱいさんって前は変な服着てたけど、最近はいっぱしの傭兵っぽいよね。漂う色気は相も変わらずすごくて、もはや嫉妬すら出来ないけど。女の私でさえ、揉みしだくなっちゃうけど」

「知らんがな。おい、その手止めろ。触らせないからな」

「いけずー」


 当然の反論に対し、彼女は口を尖らせる。

 相対するチタは両腕で豊満な胸を隠しながら、一瞬の思案の後に持論を述べる。


「チームを組んだからウサギ狩りを卒業したってことなのかな? 確かに、ウサギだけじゃたいした稼ぎにならないだろうし。一人よりも二人、確かに傭兵のセオリーだけどさ」


 チタの言う通り、チームの人数は戦力そのものだ。

 一人では敵わない魔物も、二人がかりなら狩れるかもしれない。

 その人数が三、四と増せば、活動範囲は大きく広がるはずだ。

 しかし、弊害も存在する。

 報酬を頭数で割らなければならなず、ゆえに高額報酬の依頼に挑みたくなるのが心情というものだ。


「エウィンさんも腕を磨いてるみたいだしー? 私達は生暖かく見守るのみ!」


 ムーコは鼻息荒く姿勢を正すと、ポニーテールを躍らせながら窓口の方へ向き直る。次の客は見当たらないが、待機も立派な仕事だ。


「傭兵ならスケルトンがどんなもんかも承知の上……か。十年間も草原ウサギを狩って来た変人だし、心配するだけ無意味そうね」

「そゆこと、そゆことー」


 二人が納得したことで、この話題は終了だ。

 ムーコだけが仕事に戻るも、チタはここを訪れた理由を思い出す。


「そういえば、あんた、上からのお達しに目を通した?」

「んー? 何のことー?」


 ここからが本題だ。チタは仕入れたばかりの情報を明かす。


「未確認の巨人族をスウェイン水林で見かけたってやつ」

「へー、どんな巨人?」

「赤黒い個体だってさ。体も少し大きいらしいけど、詳細は調査中」


 巨人族。その名の通り、人間と比べると巨大な魔物だ。多少の差はあれど、成人男性の倍近い巨躯を誇る。肌は薄緑色なため、ある程度まで近づけば人間と見間違うことはない。体毛はほとんど生えておらず、鋭い眼光は傭兵でさえ委縮させるほどだ。


「そんな個体、初耳だねー。手ごわいのかな?」

「それも要調査なんじゃない? 皮膚が変異しただけの巨人かもしれないし、もっと根底から違うのかもしれない……。だけど、私達に話が下りてきたってことは、軍やお上はただ事じゃないって考えるってことなんだよ?」

「つまりー?」

「非常事態宣言もありえるってこと。何年か前に、ジレット大森林が封鎖されたことがあったでしょ? 同じようなことが起きるかもね」


 魔物一体への対処としては大袈裟過ぎるのかもしれない。

 それでも、人命に関わる以上、慎重な対応は悪手ではないはずだ。


「あー、そんなことあったねー。黒トラの牙がすっごい高騰してたなぁ」

「あそこは人気の狩場だからね。封鎖されると色々響くと言うか、傭兵だけでなく市場も一時的に混乱するのよ。あ、この件は他言無用だから。わかってると思うけど」


 チタは釘を刺さずにはいられない。

 不確定ながらも、未知の巨人族が遠方の地で確認された。

 この話がここで終わるのなら、単なる世間話として済ませても良いだろう。

 しかし、これは傭兵組合に通達されるほどの案件だ。

 もっとも、知らされた者は頭の片隅に留めながら、目の前の業務に集中すれば良い。

 チタの言う通り、傭兵に言いふらすことは厳禁だ。

 情報開示を行う際は、掲示板に張り出す。そのタイミングもまたいつの日か通知されるであろうことは、想像に容易い。


「だいじょぶだいじょぶー。こう見えて口だけは固いから!」

「どうだか……。じゃ、私も仕事に戻る」

「ほほーい」


 今度こそ、彼女らの雑談は終了だ。

 今は朝一番ということから、適度に忙しい。

 その一方で慌てるにはまだ早いことから、職員の表情に疲労の色は見えない。

 今日という一日が始まった。

 一人ひとりの一日ゆえ、過ごし方も当人次第だ。

 受付窓口にて、多数の人間と接する者。

 裏方として、事務処理に追われる者。

 受け持った依頼を終わらせるため、狩場へ向かう二人。

 始まりだ。

 今回の目的地はヘムト採掘場。新たな戦場としては申し分ない危険地帯だ。



 ◆



 草原と森の境界線。そうであると裏付けるように、二人の前後は別世界のように景色が異なる。

 後方には広大な野原が広がるも、正面は多数の樹木だらけだ。

 焚火がパチパチと爆ぜる音をバックグラウンドミュージックにして、緑髪の傭兵がため息のような呼吸を吐き出す。


(ふぅ、お腹いっぱい。何事もなく遠征一日目は終了っと。アゲハさんは少しお疲れっぽい? 足もみもみしてる姿も、なんか、その、アレだな……)


 少年の名前はエウィン・ナービス。十八歳の健全な男子だ。年齢だけで判別すれば成人扱いなのだが、その顔はいささか童顔なため、未成年と思われることも少なくない。

 以前は浮浪者らしい身なりだったが、今は異なる。

 新調した衣服は清潔な上にほつれてすらいない。

 長袖のカーディガンは頭髪同様に綺麗な若葉色をしており、黒いズボンも新品のような色艶だ。

 残念ながら、腰の短剣だけは以前と変わりない。鞘の内側では刃が折れてしまっており、その役割は傭兵としての拍を演出することだけか。

 大地が暗闇に飲み込まれた結果、ここだけがぼんやりと明るい。

 揺らめく炎を眺めながら、少年は寡黙に思考を巡らせる。


(予定通りではあるんだけど、改めて驚かされたな。たった一日で本当ににここまで来れるなんて。今のアゲハさんって、以前の僕をもう越えてそう。いや、確実に上回ってる)


 坂口あげは。地球からこちらの世界へ転生を果たした日本人。

 夕食を食べ終え、片付けも終わらせたことから、彼女もエウィン同様に一息ついている。

 今日という一日を走ることに費やしたことから、体はすっかりヘトヘトだ。両脚は悲鳴を上げており、内部に居ついた重苦しい疲労を追い出すように、マッサージも兼ねて筋肉と脂肪を揉み解している。

 その容姿は、一か月前とは別人のように変化している。

 先ず、ジャージとジーパンは着ていない。

 代わりにリネンチュニックと呼ばれるローブを着用しており、傭兵用の素っ気ないトップスながらも、彼女が着れば色香も相まってその姿は華やかだ。

 本来ならば大きすぎる乳房のせいで太っているように見えてしまうも、そうならないための工夫がチュニックの方に用意されている。具体的には腹部付近に一体化した紐が備え付けられており、それをベルトのように巻けば、体のシルエットを見せることが可能だ。

 ズボンに関しては予算の関係で防具を諦めるも、黒一色のレギンスを選んだことからジャージよりは見栄えで勝っている。ストレッチ性に優れた生地が用いられており、アゲハの太い脚がしっかりと強調されてしまうも、エウィンの意見を採用した結果の買い物だ。

 内側に施されたスリットが美脚効果を高めるも、これもまた彼の好みでしかない。

 毛先だけが青い黒髪を揺らしながら、体育座りのままふくらはぎを労わるアゲハ。今日だけで百キロメートル近くを走破したのだから、疲れて当然だ。

 現在地は、マリアーヌ段丘とルルーブ森林の境目。

 今朝、二人はイダンリネア王国を出発した。時刻にすると十時頃であり、陽が沈む頃合いにこの地点へたどり着くことが出来た。

 休憩は昼食の一度だけ。

 エウィンは涼しい顔でやり遂げたが、アゲハは疲労困憊だ。それでも走りきれたのだから、彼女の体力は以前とは比較にならないほどには向上している。

 ゆえに己の成長を喜ぶことは、当然の権利と言えるはずだ。


(すごい。本当に走れちゃった。こんなの、マラソン選手もビックリだよ。あ、でも、本番でタイムを競いながら四十二キロも走るってことは、普段は練習でもっと走ってるのかな? だとしても、頑張れたわたし、すごい)


 己を褒めずにはいられない。全身は気怠いものの、気分は珍しく晴れやかだ。

 アゲハは変わった。

 変わらざるをえなかった。

 炎の魔物、オーディエンとの遭遇が丁度一か月前。結果的にこの出来事が、二人の背中を押すこととなった。

 最たる変化が、金欠からの脱却だ。

 もちろん、この魔物から金銭を譲り受けたわけではない。

 激戦の末、アゲハのジャージとジーパンは損傷し、着続けることが不可能となった。

 ゆえに衣服の購入を検討するも、所持金がそれを許さない。日々の食費だけでなく、宿代も支払う必要があり、エウィンの収入だけではまかなえるはずもなかった。

 だからこそ、神は見捨てない。そもそもの前提として、アゲハは神に選ばれた人間だ。この程度の逆境は、二人にとって壁ですらなかった。

 入院費の返済が滞っていることを謝罪するため、エウィンがアンジェの病院を訪れるも、雑談も兼ねてこの件を話した結果、女医は嬉々として瞳を輝かせた。

 彼女は王国一の名医であり、だからこそ、その観察眼は常人の比ではない。アゲハが着ていた服の繊維が普通ではないことも見抜いており、着ないのなら買い取ると主張する。

 エウィンとアゲハが百万イールを手にした瞬間だ。

 左肩付近が消し飛んだジャージが、五十万イール。

 膝下が失われたジーパンも五十万イール。

 合わせて百万イールという大金なのだが、アンジェは文字通りポケットマネーから支払い、その結果、エウィン達は貧困からの脱却を果たす。

 借金を支払い、アゲハの普段着を買い揃えたとしても残金は底が見えない。

 ゆえに、リネンチュニックだけでなく、エウィンの私服さえも新調出来てしまった。

 実は、残金だけならまだまだ余裕だ。

 しかし、全額を使い切るわけにはいかない。手元に余裕がある内に、アゲハの鍛錬に専念したいという思惑があるためだ。

 その成果の一つが、本日の大移動に繋がる。

 マリアーヌ段丘の縦断。

 距離にして、おおよそ百キロメートル。

 これをやってのけたのだから、彼女の成長は素晴らしい。

 当然ながら、アゲハ自身も驚きを隠せずにいる。


(毎日、ウサギさんをいっぱい狩ったもんね。これもエウィンさんの、おかげ。わたしも何か、恩返し、したいな……)


 柔らかなふくらはぎをもみながら、アゲハがエウィンに視線を向けた時だった。

 両者の瞳に互いの姿が映り込む。

 とっさの反応は、少年の方が早かった。


「足の調子はどうですか?」

「あ、うん、ちょっと疲れたけど、だいじょぶ……」


 エウィンは下心を隠したまま、見事取り繕ってみせる。

 アゲハの煽情的な肢体は、眺めているだけで目の保養になる。今以上の関係になりたいわけではないのだが、盗み見ることは止められない。

 二人は互いが命の恩人であり、現在はそれに加えて傭兵仲間だ。夫婦でもなければ恋人でもない。少なくともエウィンはそう認識している。

 ましてや、彼らの最終地点は離別だ。

 最終目標はアゲハを地球へ帰すことであり、それが果たされた際は離れ離れになるのだから、恋愛感情を抱くつもりは毛頭ない。

 そうであろうと、その胸を、その脚を鑑賞したいと思ってしまう。青少年が抱く、抗えない欲求だ。


「きつかったら遠慮なく言ってください。明日からはルルーブ森林を駆け抜けますから、魔物にも気を付けないといけませんし」

「うん」

「キノコとヒツジ、どっちも草原ウサギより手ごわいので、明日、試しにキノコを狩ってみましょう。あ、炎はきっと通用すると思うので、キックで倒せるかどうかを」


 エウィンの推測は概ね正しい。

 アゲハの青い炎は、触れた対象を問答無用で焼却出来てしまう。草原ウサギも例外ではなく、毛の一本はおろか骨さえ残さずに焼き殺すことが可能だ。

 それゆえに彼女の鍛錬が捗ったのだが、明日から訪れる土地にはより手ごわい魔物が生息している。

 ウッドファンガーとウッドシープ。どちらもこの森を縄張りとしており、その強さは草原ウサギより明らかに格上だ。

 そうであろうと、進むしかない。

 ましてや、この順番は傭兵のセオリー通りだ。

 新人は先ずマリアーヌ段丘で腕を磨き、次いで南西のルルーブ森林、もしくは北西のアダラマ森林へ進出すべきだと言い伝えられており、過去の先人達の経験則でしかないのだが、だからこそ信頼に値するとも言える。

 草原ウサギは最弱の魔物だ。

 次点がルルーブ森林のウッドファンガーやウッドシープ、アダラマ森林のアダラマクラブゆえ、どちらのルートを選ぶにしろ、傭兵はセオリーをなぞるように活動の幅を広げていく。


「が、がんばるね」

「アゲハさんは草原ウサギを蹴り殺せるようになりましたし、多分、大丈夫だと思いますよ。まぁ、今まではあいつらの可愛い外見に抵抗を覚えたと思いますが、明日からはそういうのも感じないはずです。小さくないし、ちょっとキモいし……」

「そ、そうなんだ……」


 例えば、ウッドファンガー。その姿は巨大なキノコだ。

 その大きさは一メートルにも達するため、威圧感は草原ウサギの比ではない。

 根のような足が六本生えており、それらがウネウネと動いて巨体を運ぶ光景は、紛れもなく魔物そのものだ。

 目も口も見当たらないことから、ウサギ狩りの時とは対照的に罪悪感は一切芽生えない。この点は非常に大きく、アゲハの蹴りにもためらいは見られないはずだ。


「ウッドシープは顔が可愛いので、こっちはまぁ基本無視でいいと思います。羊肉、美味しいんですけど、解体するのも面倒ですしね」

「あ、そっか。毛で覆われてるし、大きいと、確かに大変そう……」

「ウッドファンガーはちぎってヨシ。切り刻んでヨシ。さくっと焼いて調理完了なので、明日からの主食になるかもです」


 エウィンの言う通り、キノコの魔物は食材としても人気が高い。

 実力者なら問題なく狩れるうえ、ほぼ全身が可食部だ。調理も容易ということから、キノコ類が嫌いでないのなら食べない理由がない。

 問題点を挙げるなら、持ち帰ることが困難なことか。

 小さな子供と同等かそれ以上に大きいのだから、両脇に抱えた時点で手元は塞がってしまう。

 つまりは一度に二体しか運べない。重量的には問題なくとも、その大きさがネックになってしまい、大量の運搬はおおよそ不可能だ。

 荷台を使えば問題は解決するものの、傭兵は魔物との遭遇戦に備えるため、基本的には体一つで旅をする。

 ましてや走った方が時間を短縮出来る以上、よほどの事情がない限りは台車の類を用いない。


「あ、だけど、わたし達が受け持った依頼って、ウッドファンガーじゃ、なかった?」


 アゲハの疑問はエウィンの提案によって生じた。

 明日はキノコを狩る。

 そして、食す。

 それ自体は傭兵として至極まっとうながらも、彼女は首を傾げてしまう。


「そうですね。今回の依頼は、ウッドファンタ―四体と、スケルトンの頭を十個持ち帰ることです。だけどご安心を。ウッドファンガーなんて、探すまでもなくうじゃうじゃいますので。草原ウサギの比じゃないくらい、すーぐ見つかると思いますよ」

「そうなんだ」

「むしろ、ウサギの個体数が少なすぎるんです。だから、若い傭兵で取り合いが発生するんですよね。まぁ、僕達は卒業したので、今頃はライバル達も喜んでると思いますよ」


 エウィンとアゲハは二人組の傭兵だ。

 その利点として、ギルド会館で一度に二つの依頼を受注することが出来る。

 アゲハのギルドカードで受けた分が、ルルーブ森林のキノコ狩り。

 エウィンは、ヘムト採掘場に生息するスケルトンのシャレコウベを十個収集。

 ヘムト採掘場はルルーブ森林の北西に位置するため、一度の遠征で両方をこなすことが可能だ。

 だからこそ、この少年はこの二つを選んだ。腕試しとしても申し分なく、マリアーヌ段丘から飛び出す第一歩としてはいささか難易度が高いかもしれないが、今の二人なら問題ないと判断した。


「ウサギさん、探すの、大変だったね。そういえば、どうしてこの辺りには、魔物が寄り付かないの?」

「う~ん、ほんと、どうしてなんでしょうね? マリアーヌ段丘のウサギは近寄って来ませんし、ルルーブ森林のキノコやヒツジも現れません。まぁ、ギリギリ森じゃないから、それはそうなのかもしれませんけど。やっぱり縄張り的なやつなんでしょうか?」


 土地と土地の境目付近は、完全な安全地帯だ。

 厳密には巨人族やゴブリンのような例外が行き来する可能性があるものの、魔物のほとんどが生息域から移動しない。

 エウィンの説明通り、ここはマリアーヌ段丘の南西であり、目の前にはルルーブ森林が広がっている。夜ゆえに木々の本数を数えることは困難ながらも、眼前が森であることに変わりない。

 不思議な現象だ。

 アゲハはエウィンの顔を幸せそうに眺めながら、自分なりに思案を開始する。


(日本だと、県境にも人は住んでるし……。あ、外国の国境が近いのかな? そういうところは壁があったりして誰も住んでなさそうだし。日本から出たことないから、完全な知ったかだけど……)


 当然ながら、彼女にも理解不能だ。

 仕組みはどうあれ、この世界においては土地と土地の中間地点に魔物は寄り付かない。

 それを見越して、エウィンは今回の旅を計画した。

 この一か月、みっちり鍛えたとは言え、アゲハはまだまだ半人前だ。体力だけなら一般市民を大きく凌駕するものの、本物の傭兵と比べるといささか頼りない。

 初日の目標地点が、ここ。仮に届かずとも、その手前の掘っ立て小屋で一泊するつもりでいた。

 二日目、つまり明日からはルルーブ森林に足を踏み入れる。目的地のヘムト採掘場を目指してはいるものの、魔物への警戒が必要なため、速度はどうしても低下してしまう。

 可能な限り、近づきたい。理想は明日中の到着ながらも、アゲハを連れている以上、軽率な進行は避けるべきだ。


(魔物の気配を感じ取れるから危ない目にはあわないと思うけど、安全第一で進もう。まぁ、多少の怪我ならアゲハさんが治してくれるし、今回の遠征は無謀なようでそんなことはない……はず。と言うか、回復魔法って必須だよな、チームを組むなら魔療系から集めるってのも納得。そういう意味でも……)


 彼女には感謝してもしきれない。

 この女性と巡り会えたからこそ、エウィンは殺されずに済んだ。

 さらには、成長を妨げていた壁が取り除かれた。

 今ではこうして遠征に同行してくれるのだから、彼らの前には無限の選択肢が広がっている。

 枯れ技がパキンと爆ぜる音を聞きながら、少年の考察は止まらない。


(僕一人なら二日もかからない。だけど、二人ならおそらくは一週間くらいの旅になる。それでも、収入は申し分ない。スケルトンの方が三万イールで、キノコが五千イール。賢い人なら一日当たりでいくらになるのか、そういう風に考えそうだけど、鍛錬も兼ねてるんだからうだうだ考えても……ね。アゲハさんがウサギ狩りを終えた以上、順番通りにルルーブ森林でいいはず……。もっともっと強くなってもらって、そのついでにお金も稼ぐ。そして、僕も負けじと成長するんだ)


 彼女が傭兵になって、既に一か月。

 オーディエンと名乗った魔物と遭遇して、既に一か月。

 アゲハを地球に帰還させるための手段が見つかって、一か月。

 魔物は言い放った。

 自分を負かすことが出来たのなら異世界に戻れるよ、と。


(あいつの言葉を信じても良いのか、本当はそこから疑うべきなんだろうけど、それでも今はすがるしかない。あいつを倒せば、地球について知ってる魔物が僕達の前に現れる。そうすれば、アゲハさんは故郷に戻れる。だから、僕はオーディエンを倒す。この命と引き換えにして……)


 刺し違えるつもりだ。

 この少年が見出した、新たな欲望。

 もしくは野心か。

 どちらにせよ、目標は完全に定まった。

 今よりも遥かに強くなって、オーディエンと戦う。

 そして、倒す。

 その際、己の命が燃え尽きるのならそれこそが本望だ。

 自分を庇うために、母が死んだ。

 その状況を再現することが、生きる理由になってしまった。呪いであり、悔いているからこその心理状態と言えよう。


(今の僕じゃ、まだまだ手も足も出ない。あいつは、紛れもない化け物なんだから……。と言うか、強くなる以前に自分の実力を把握し終えないと。ほんと、先は長そうだ……)


 アゲハのおかげで強くなれた。

 その弊害として、己の強さがまるでわかっていない。

 草原ウサギにはもはや苦戦すらしない。

 ウッドファンガーも同様だ。

 ゴブリンにすら勝てたのだから、スケルトンにも負けないのだろう。

 では、それ以外の魔物には?

 手ごわいことで有名な、巨人族には?

 わからない。

 わかるはずもない。

 実際に戦わなければ、力量差を計ることなど不可能だ。

 そういう意味でも、今回の遠征は腕試しとして適している。

 アゲハは次のステップとして、ウッドファンガーと戦う。

 エウィンは確認のため、スケルトンに挑む。

 問題はないはずだ。

 それでも、焦ることなく一歩ずつ進む。

 自身が死ぬことは構わない。むしろ本望だ。

 しかし、保護すべき対象が同行する以上、彼女だけは生かさなければならない。


「明日もがんばりましょう。と言うことで、日課のトレーニング始めます」

「あ、うん、わたしも、しようかな……」


 決意表明と共に、エウィンは力強く立ち上がる。

 夕食を食べ終え、本当ならばゆるりと過ごしたい時間帯だ。

 それでも、強くなれるのならば鍛錬を優先したい。


「まさかご飯食べた後が最も効果的に筋トレ出来るなんて、アゲハさんと言うか日本の人達って物知りなんですね」

「激しい運動は、よくないんだけどね。栄養が筋肉に行きわたるとか、何とかって……」


 この知識は正確ではない。

 食後すぐの運動は消化を妨げてしまう恐れがあるため、直後ではなくいくらか時間を空けるべきだ。

 残念ながらアゲハは専門家ではないため、うろ覚えの教養をエウィンに伝えてしまった。

 もっとも、この傭兵の体力ならば問題ない。


「スクワット数百回じゃ汗すらかかないですし、全然余裕です。その後の素振りは集中しますのでちょっと疲れますけど……。あ、アゲハさんは十分運動しましたし、無理なさらない方が……」

「た、たしかに、足が棒になっちゃってる……」


 アゲハの体力は限界寸前だ。なんとか立ち上がるも、体の揺れを抑え込めない。

 その様子を目の当たりにした以上、少年は当然のように助言を送る。


「ここまで来れたことが上出来ですし、今日はゆっくりとくつろいでください。何より、明日の出発は今日よりも早いですしね。あ、何時に起きたいとかってありますか?」

「う、ううん。いつも通り、雰囲気と言うか……」

「多分、太陽の光に叩き起こされそうですよね。それもまた野宿の醍醐味なのかも?」


 焚火が照らす、草原の終着点。

 そこには二人の姿しか見当たらないが、彼らは孤独ではない。二人っきりではあるものの、一人ではないのだから。

 新たな旅が、始まった。

 己の実力を推し量るため。

 強くなるため。

 金を稼ぐため。

 様々な理由を言い訳に、エウィンとアゲハは走り出す。

 ゴールは遥か彼方ながらも、諦めるにはまだ早い。

 死に場所を見出すために。少年は傭兵として進み続ける。

 アゲハを帰すという大義名分を手に入れたのだから、胸を張って死地へ赴く。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 冒険が始まりましたが、あげはは新たな衣装に変化しましたね。これからの展開がどうなるのか楽しみにしています!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ