彼女の目的
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彼女は、コンビニの前で佇んでいた。
白のブラウスに黒のパンツスタイル、ヒールを履いて耳にはイヤリングが輝いている。肩にはボストンバッグを掛けているが、飲み会にしては大荷物だ。中には何が入っているんだろうか。手には細長い紙袋を提げていて、こちらは恐らくワインだろう。
そこに、パーマがやって来た。
「おまたせ。じゃあ行こうか」
その一言で、パーマと彼女は揃って歩き出した。
ここはどこだろう。街の景色からすると名古屋市内だとは思うが、中心街の喫茶店にしか行かない俺には皆目見当がつかない。
名古屋市は十六の区に分かれているが、市外住民の俺からすると、どこが何区とか全く分からない。高校は名古屋市内だったが、そういえば学校が何区だったか知らないまま卒業した。
市内住みの同級生は、△区の~とか◇区の~などと、さも当然のように言っていたが、まったく話についていけなかった。分かるのは名古屋市民だけだろう、あんなの。いけない、つい愚痴ってしまった。
彼女は、パーマと並んで歩く。
車道を見ると渋滞していた。遠くの方からは救急車の音が聞こえる。事故でもあったのだろう。金曜の夜に事故渋滞だなんて迷惑な話だ。
コンビニから歩いて5分程で、パーマがとあるマンションの前で立ち止まった。
「ここの最上階が俺の家なんだ」
「こんなに立派なマンションだなんて。こんなところ初めて入るから緊張しちゃいますね」
彼女が言うと、パーマはまんざらでもなさそうにニヤついていた。
そのマンションは彼女の言う通り立派な建物だった。西洋風の門があり、その先の玄関は大理石が敷き詰められている。玄関は当然のようにオートロックだ。玄関を抜けた二人はエレベーターに乗り、最上階を目指す。最上階は十五階で、そこの1501号室がパーマの部屋だった。
部屋に入った彼女は、リビングを見渡しながら訊いた。
「すごく広いですね。何畳ぐらいあるんですか?」
「そんなに大したことないよ。この部屋はせいぜい二十畳ぐらいかな、3LDKの狭い家さ。まあ防音性能だけは良い方かな」
パーマは謙遜というよりは、本当に大したことは無い、と思っているような態度で答えた。
それを聞いた彼女は、手を胸の前で合わせて褒めあげる。
「そんな、大したことありますよ。この一部屋で私のアパートの部屋、全部入っちゃいそう。お仕事がうまく行ってるんですね。すごいです」
「いやぁ、実は親が資産家でね。使いきれないから、代わりに俺が使ってあげてるのさ。実際、投資はお遊びみたいなもんだよ」
パーマが照れながら白状した。やはり、無職だったか。
部屋の装飾は煌びやかで、どれも高そうだ。壁を見ると、絵画が飾ってあった。モチーフが何か分からない謎の絵だが、たぶん高いのだろう。棚の上には、高そうな腕時計が数個と、シルバーアクセサリーが飾られおり、その隣には高級時計メーカーのロゴが入った置時計がある。宝石が散りばめられた文字盤には、カレンダー機能が付いていた。
今日の日付けは、4月18日金曜日、時間は19時7分か。
確かこの置時計、バカ高い腕時計を買ったら貰えるノベルティじゃなかったか。芸人が高い物を買うという、テレビ番組で見たことがある。
それにしても、持ってる奴は持ってるんだな、と羨ましくなる。俺も使ってあげるから少し分けてくれないだろうか。
彼女とパーマは晩餐の準備を整えて、彼女が持ってきたワインで乾杯する流れになった。ワインのラベルにはフクロウの絵が描いてあり、彼女曰くリーズナブルだけどおいしいらしい。パーマが高いワインを出すと言ったが、彼女は悪いからと頑なに拒んでいた。その態度に違和感を覚えたが、ワインの対価に何かを要求されるかもと、まだ警戒しているのかもしれない。
渋々了解したパーマは、気を取り直す様にワイングラスを掲げた。
「じゃあ二人の出会いにかんぱーい」
「かんぱーい」
彼女も応じて、グラス同士をカチンと合わせる。
乾杯でグラスに入ったワインを一息に飲み干したパーマに、彼女が次を注いであげている。当然のようにそれを受けるパーマが彼女に問いかける。
「ところでさ、アイツの何が苦手なの? いや、俺はそのおかげでこうやって、カナイさんと二人で飲めて良かったんだけどさ」
たしかに気になる。これまでの話を聞いている限りでは、どちらも等しく嫌なのだが。
彼女は、余程言いにくいのか眉尻を下げて困った表情をしている。
「なんていうのか、小さい頃に私にちょっかいをかけて来た男の子に似てて、頭では関係ないと思っていても、苦手意識を感じちゃうんですよね」
彼女は、ここに居ないツーブロックに対して申し訳なさそうに答えた。
「へぇ、カナイさんをいじめるなんて、信じられないな。大丈夫、俺と一緒にいたら手出しさせないから」
パーマはなかなかに男らしいことを言うが、そもそもスーパーで手出しをしていた側が言うと、説得力が感じられない。どちらかと言うと、ちょっかいをかける側に見える。
それからしばらくは、パーマが聞くに堪えない武勇伝を話したり、最近買ったものの自慢をしていた。だが、ある時パーマに異変が起きた。なぜか、異様に眠そうにして、瞼を閉じまいと眠気と戦っている。
「ごめん、なんか急に眠気が…」と訴えるパーマ。
なんとか眠気に抗おうとするパーマだったが、机に突っ伏して意識を失ってしまった。
彼女を見ると、特に慌てる素振りを見せることもなく、冷静にパーマのことを見ていた。いや、彼女の冷たい視線には、観察しているといった表現が当て嵌まる。
パーマが、寝息を立てて完全に寝入ったところで彼女は席を立った。
彼女は、パーマに近付いて肩を揺する。起こそうとしているのか……違う、これは起きないことを確認しているのか。
パーマが起きないことを確認すると、彼女はおもむろに持ってきたボストンバッグの中を探り出した。そして取り出したのは、手袋と登山で使うような蛇柄のロープだった。
何をするつもりだろう。まさかそっちの趣味でもあるのか。
彼女は手袋を嵌めてから、机に伏せているパーマを椅子の背もたれにもたれ掛けさせる。次にパーマの背後に立ち、ロープをパーマの首に掛けた。
まさか……。
彼女は、しばらく目を閉じて息を整えていたかと思うと、次の瞬間、背負い投げのような姿勢で一気にロープに体重を掛けた。
直後、パーマの目が開き必死の形相で暴れ出した。手足をあちこちに動かして猛烈ないきおいでもがく。パーマの足が机を押し、勢いよくスライドして棚に当たる。衝撃で棚の上のものが散乱する。置時計が床に落ちて、鈍い大きな音を立てた。机の上の皿やグラス、ワインのボトルも落ちて、けたたましい音を立てて割れる。ワインの水溜まりが広がっていく。
パーマの手は、首のロープを外そうと掻き毟っていた。だが、無駄と悟ったのか今度は四方に振る。その中のどれかが彼女の頭に当たり、敵を認識したパーマの手が彼女を掴もうとした。彼女は頭を振り乱して抵抗し、パーマの手を振り払う。
格闘は長くは続かなかった。次第に動かなくなるパーマ。
そして、パーマは完全に動かなくなった。
そんな……人を殺すところをを見てしまった。それも彼女のような人が。
恐る恐るパーマを見ると、歯を食いしばり苦悶の表情を浮かべて息絶えていた。
パーマの死を確認した彼女は、糸が切れた人形のように座り込んだ。焦点の合わない目を宙に向け放心する。エアコンの音だけが響く部屋の中で、彼女はじっと動かない。
突然、彼女の肩が震えた。
「……ふふ…………ふふふ」
彼女は、不気味な笑みを浮かべていた。




