エピローグ
八月に入り、俺は念願の夏休みを迎えていた。
窓の外を見ると、揺らめく空気が尋常ではない熱気を物語っている。この暑い中、わざわざ外に出るなんて正気の沙汰ではない。エアコンを作ったエンジニアに感謝の念を送りつつ、アイスを食べながら映画を見る。
画面の中では、スーツを着た白人男性が東洋系の顔立ちの忍者と死闘を繰り広げていた。やられていく登場人物を嫌な上司たちに置き換えて、日ごろの恨みをささやかながら解消する。
そうやって休みをだらだらと過ごし、心行くまで満喫しようとしていたのだが、水を差すように電話が鳴った。
「もしもし? 私、私」
また新開からだ。もしかして誰にでもこう言って電話をしているのだろうか。そういえば、ニュースで事件解決は知っていたが、特にかける言葉も思いつかず連絡していなかった。
「また何か用か?」
「第一声がそれ? もうちょっと何か言うことあるでしょう。ニュースぐらい見てないの? 事件が解決したんだから」
「はいはい、おめでとう。犯人はやっぱりあの彼女だったな。俺の推理が当たってたってことが証明されて良かったよ」
「馬鹿言わないで、逮捕できたのは推理のお陰じゃなくて地道な捜査の賜物よ。まあでもそうね、島津君のおかげでとっかかりが出来たのは事実かな。署内で私の株もあがったし、お礼は言っておくわ」
「どっちにしろ役に立てて良かったよ。要件はそれだけか?」
今映画が良い所だから、鑑賞に戻りたいのだが。
「とりあえず私の所もひと段落ついたから、祝勝会でもしましょう。パーッとビールでも飲みたい気分なの。夏休みだから暇でしょ? 場所は前と同じところで、今日の18時ね。じゃっ」
「あっ、ちょっと」
俺が文句を言う前に、通話は打ち切られた。
***
俺は、せっかくの夏休みに何故かまた新開と飲んでいた。場所は、もはや定番となった手羽先屋だ。一応、事件解決の打ち上げということだし、多少なりとも関わったのだから、付き合うのは吝かではないが。
「めでたく事件が解決したことをお祝いして、かんぱーい」
新開が威勢よく言いながらグラスを宙に掲げる。
「はい、かんぱい、かんぱい」
俺は小さい声で応えながら、グラスを少し持ち上げた。
乾杯をした後、新開が事件のあらましを教えてくれた。といっても犯行自体は見ていたから、動機とかその辺りの外郭についてだ。
新開から聞かされた話は、なんとも同情を誘うものだった。よほどの恨みでもあったんだろうとは思っていたが、そんなことがあったとは驚いた。彼女の方は、人は見かけによらない、という言葉が当てはまるが、パーマとツーブロックの二人は、ある意味見かけ通りだったということか。俺の偏見だが。
話の中で、「そういえば」と新開が疑問を口にした。
「金居香織の供述で、犯行日時がわかったの。刈上二郎が4月18日、巻永次が4月25日だったわ。それで疑問なんだけど、何で島津君が見たのが刈上二郎だったのかしら? 直近の、巻永次の方が記憶に残りそうなものだけど」
確かにそうだが、俺にはひとつ心当たりがあった。
「たぶんとしか言えないけど、やっぱり一回目の方が印象に残るからじゃないか? ほら、新開の過去見た時も、そんなことあっただろ。地獄から主人公やらヒロインやらが這い出てくるやつ」
同じ展開が続くと、人は慣れるものだ。最初の方が強く印象に残ってもおかしくはない。俺が最初からそれに気付いていれば、もっと早く事件解決できたかもしれない。いや、それは結果論だな。
「ああ、確かにそんなことあったわね。まったく、ややこしい能力ね」
新開は手羽先の油で手をベタベタにしながら言う。もう少しスマートに食べられないのか。
しかし、我ながら本当にややこしい能力だと思うので同意しておく。
「そうだな、そう思うよ」
使いようによっては便利な能力だとは思うのだが、やはり俺の知性では有効活用は難しいらしい。今回のことで嫌と言うほど思い知った。
いくら犯行の瞬間を間近で見ていても、小説の中の探偵みたいに鮮やかに事件を解決するのは、とてつもなく難しいのだということを身を持って実感した。
俺に、探偵は難しい。
俺に思い付けるこの能力の活用方法は、やっぱり暇つぶしぐらいだ。休日にのんびりと喫茶店でカフェラテでも飲みながら、道行く人を眺めてみんな大変なんだなと納得し自分を慰めることぐらいが丁度良い。
いや、一人だけこの能力を知る人間が増えたから、話のネタにすることぐらいは出来るようになったか。
せっかくだし、ひとつ話でもしてやるか。
「この間見た人の過去なんだけど、これがまた不思議でさ……」
<了>




