自供
取調室で新開と対峙した金居香織は、淡々と覚悟を決めたかのように落ち着いた様子で自供した。
「巻永次の件が、ニュースや新聞で報道されていたのは知っていました。ですが、報道されてから一ヶ月経っても二ヶ月経っても、誰も私の元にやって来る気配がありません。
私は、隠蔽が上手くいったのだと思いました。いや、現実から目を逸らしたくて、自分にそう言い聞かせていただけかもしれません。新開さんに巻永次について話を聞きたいと声を掛けられた時は、ついにその時が来たのだと覚悟しました。やはり、警察を欺くことなど出来ないのだと。
それなのに、新開さんはなぜか4月18日のことばかり聞いてくるので本当に不思議でした。その日は、刈上二郎を殺した日なんですから。もしかして、実はもう刈上二郎の件も分かっていて、わざと間違えてこちらの失言を引き出そうとしているのではないかと邪推したぐらいです。
でも、話を聞くうちに、警察は巻永次が殺された日を本当に4月18日と勘違いしているとわかりました。そのとき、あの置時計の効果があったのだと気付きました。
刈上二郎を殺した際、はずみで置時計が壊れたんです。時刻は19時32分で止まっていました。それを見たときに、これは使えるのではないかと思いました。上手く行けば次の巻永次を殺すときのアリバイ作りに使えるのではないかと。
刈上二郎と巻永次の行動はある程度聞き出していましたから、友人知人との付き合いがほぼ無いのは知っていました。事件が発覚するとしたら、あとは親ぐらいでしょう。投資家と自称してましたけど、ただのニートでしたからね。
最初に刈上二郎を殺す際、計画を練ったつもりでしたが私自身のアリバイ工作は困難でした。発覚しないことを祈るだけしかできません。でも、同じことが巻永次でも続くと、捕まる確率が倍になってしまいます。だから、少しでも捕まる確率を下げようと巻永次の時には工作をしました。まあ、時計を置いただけなのですが。今思うと、気休めにもなりませんね。あの時はそれが最良の方法に思えたんです。何か縋る物が欲しかったのかもしれませんが、浅はかな考えでした。
刈上二郎を殺した日、交通事故の影響で私のアパート周辺はどこも渋滞していました。下坂酒店で18時40分頃にワインを買っていましたから、そこから巻永次のマンションまで移動したとしたら、かなり時間がかかったでしょう。恐らく、19時32分には間に合わないはずです。帰宅してから調べると、やはり間に合わないことが分かりました。もし巻永次の事件が発覚しても、私はただその時間にアパート付近に居たことさえ証明できれば良い。
新開さんが私の所に来た時点で、彼らを殺してから大分時間が経っていましたから、防犯カメラから足がつくことは無いだろうと思っていました。調べたところ、防犯カメラの録画というのは長くても一か月ぐらいらしいので、もうすでに一ヶ月以上経っているし大丈夫だろうって。
あとは、刈上二郎が見つからないことを祈るだけでした。
新開さんからもう一度話を聞きたいと連絡が来たときは、今度こそ捕まるのを覚悟していました。でも、このときも捕まることはなく、ただ巻永次との関係について聞かれただけで、刈上二郎の話も聞かれないしやっぱり大丈夫なんだと思いました。そういえば、もう一人いた男の刑事さんは今日はいないんですね。
動機は、もう知っているかもしれませんが、中学時代のことが原因です。あの二人からいじめに遭っていました。最初は抵抗していたんですけど、段々エスカレートしていきました。それで、ある日町はずれの小屋に呼び出され、二人から暴力を振るわれて、ひどい怪我を負ったんです。
でも、何故か表沙汰にはなりませんでした。後から知ったのですが、二人の親が全て揉み消したそうです。私の両親も抵抗はしたそうですが、結局、何にもなりませんでした。それで、どうしようもなくなって、逃げることを選択しました。福井県から愛知県に移ることにしたんです。
でも、そうしたら、今度は両親の仕事が上手く行かなくなってしまいました。父親は段々と酒に逃げるようになり、遂には暴力を振るうようになりました。それが原因で急激に夫婦の仲が悪くなって喧嘩ばかりするようになり、最後には離婚したんです。
私は母親に引き取られたのですが、やっぱり母親ひとりというのは大変で。近くに頼れる親戚もいませんでしたから。母親はいろいろな仕事を掛け持ちしていましたが、無理が祟って体を壊してしまいました。それが高校3年の夏頃です。だから大学へは行かず、高校を出たらすぐに働くことにしました。
私、本当は大学に行って、将来は研究者になりたかったんです。高校の先生たちも、何とか大学へ行けるように支援をしてくれました。でも、私以外に母親の助けになれる人がいなかったので、それを選択することは私には出来ませんでした。
社会人となり働き出して、会社の人たちは良い人たちばかりで何とかやっていましたが、私が26歳の時に母親が病気で亡くなりました。
しばらくは抜け殻のように生きていました。それでも、一年もしたらしょうがないかな、と思えるようになりました。このまま何とか生きていこうと、そう思っていました。
そんな時に、偶然あの二人と遭遇したのです。
見た瞬間に、あの二人だと気付きました。でも、向こうは私のことなんて忘れていました。それを良いことに、二人に近づいたんです。何でも良いので、何か復讐が出来ないかと思って。
最初は殺すつもりはなかったんです。でも、二人から話を聞くうちに、定職にも就かずに遊んでることが分かりました。何をするでもなく、親のお金を好きなように使っているって。それを知ったとき、自分でも驚くほど怒りが込み上げてきました。それこそ、殺してやりたいぐらいに。
私は、この二人のせいで家族を滅茶苦茶にされて、やりたいこともやれずに苦しんでいたのに、原因を作った二人は何不自由なく好き勝手に生きているんです。とても許せるものではありませんでした。
それからというもの、日に日に恨みは増していきました。二人の生活スタイルは会話の中で聞き出していましたし、二人ともこっちに来てから親しい人はいないみたいだったので、もしかしたらバレずに済むかと思って二人を殺す計画を立てました。
最初に刈上二郎を殺しました。
4月18日の金曜日、19時ちょうどに彼のマンション近くのコンビニで待ち合わせをして、刈上二郎のマンションに行きました。
それから、睡眠薬を入れたワインを飲ませ、眠らせてからロープで首を絞めました。その際に刈上二郎が暴れて、置時計が棚から落ちて壊れました。
その後、浴室で彼を解体して、ビニール袋に詰めて冷凍庫に入れました。冷凍庫に入れたのは、事件の発覚を遅らせる為です。腐敗したときの臭いで通報されないように。
あとは、私が居た痕跡を消す為に、入念に掃除と片付けをしました。貴金属類を持ち去ったのは、強盗の仕業に見せる為です。これはあまり意味がなかったみたいですね。そして、部屋を出て鍵を掛けました。マンションを出て、近くの川に鍵を捨てて、その日は帰りました。
帰ってから、イヤリングが片方無くなっていることに気付きました。でも、部屋の片付けをしたときにはなかったはずなので、どこか別の場所で落としたのかと思っていましたが、あんな所にあったんですね。
持ち帰ったものは少しずつ、ゴミに出しました。貴金属類は売れば結構なお金になったとは思いますが、そこから足が付くかもしれないので捨てることにしました。
翌週の4月25日金曜日に巻永次を殺しました。
こちらは20時に、彼のマンション近くのコンビニで待ち合わせをしました。その後の流れは刈上二郎の時と同じです。眠らせてからロープで首を絞め、浴室で解体をしてビニール袋に詰めて冷凍庫に入れました。二人とも同じぐらい大きな冷蔵庫を持っていたので、このときばかりは彼らが裕福で助かりました。
そして、置時計を置いて貴金属類を持ち去り、入念に掃除と片づけをしてマンションから出ました。貴金属類は持ち去らなくても良かったのですが、置時計と同じブランドの時計を持っておらず不自然なので持ち去りました。
マンションから出てすぐに鍵を処分しようとしましたが、この時は近くに川は無かったので、側溝の中に捨てました。持ち帰ったものは刈上二郎のときと同じように、ゴミに出しました。
動機と、犯行の流れは以上です。
それにしても、新開さんって不思議な方ですね。最初に会った時から、何故か私のことを犯人だって断定しているような気がして。やっぱり刑事さんは分かるんですね」
話し終えた金居香織は、眉尻を下げて微かな笑みを見せた。




