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探偵は難しい  作者: ひっこみ事案
一章:島津 前 1
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過去を見る

 五月の連休が終わり、心地の良い陽気が暑気に変わり始める頃。

 名古屋市の中心街、大通りに面した喫茶店の窓際の席で、今日も俺―─島津 前(しまづ ぜん)―─は趣味の人間観察に精を出していた。

「あの人も大変だな、いや俺よりはマシか?」

 そんなことを呟きながら、冷めたカフェラテを口に含む。

 窓の向こうに道行く人々を眺めながら、休日に行きつけの喫茶店でのんびりと過ごす。この何の生産性もない時間が、俺の人生における数少ない楽しみのひとつだ。

 三十代になってしばらく経つが、将来を共に歩んでくれる相手はいまだ現れない。この先ずっと独身貴族でいることに腹を括ろうかと思い始めている。

 中堅自動車部品メーカーの係長で、平日は仕事に追われて深夜まで働くこともざらだ。仕事場とアパートの間でひたすら反復横跳びをしている気分で、なかなか体が休まる暇もない。だから休日は一日中寝ているか、外出してもこうしていつも決まった喫茶店でのんびり過ごすぐらいだ。

 一昔前に比べて社会は高度に発展しているのだから、そろそろ人間があくせく働かなくても済む時代が来てもおかしくないと思うのだが。世界はそう都合よく出来ていないらしい。

 ところで、人間観察が趣味というと大抵は容姿、服装、持ち物などの、表面上の特徴を手前勝手に解釈して、上から目線で当たりもしない評価をする、鼻持ちならない奴という感想が一般的だろう。俺なら、そんな気持ち悪い奴とはなるべく関わり合いになりたくない。

 だが、俺の人間観察は一味違う。


 俺は()()()()()()()ことが出来る。


 自分でも何故だか分からないが、学生時代に遭遇した、とある事件を境に見えるようになった。いや、なってしまった。それについて話しをすると長くなる為、今回は割愛する。

 そんな訳で、ただの人間観察とは一線を画した、真の人間観察が俺には出来るのだ。

 試しに、いま横断歩道を渡ったグレースーツの男の過去を見てみよう。



─*─*─*─*─*─


 ここは、どこかのオフィスの会議室だろうか? 中央にオーバル型の会議机が置かれた、十畳ほどの無機質な部屋だった。机の周りにはグレースーツの男を含めて五人いる。全員ぴっちりとスーツを着込んで、グレースーツ以外は全員椅子に座っていた。グレースーツが一番下っ端なのだろう。

 天井から降りたスクリーンには、資料が映し出されている。内容はよく分からないが、『不具合』や『経過』の文言が見えるので恐らく不具合対策の経過報告だろう。既視感がある。

「それでは、時間になりましたので、報告を始めさせて頂きます」

 グレースーツが宣言し、なにやら報告会が開始された。

 報告している内容は、やはり不具合の経過報告だった。知らない分野のため詳細は分からないが、要約すると、新しい材料を使った製品を量産する段階になって不具合が頻発し、更にその不具合の原因が今の所不明でこのままいくと量産化出来ないかもしれない、という内容だった。

 控えめに言って最悪といえる状況で、同じサラリーマンとして自分だったらと思うと背筋が凍る。下手なホラーよりもずっと恐ろしい。

「―以上で報告を終わります。ご指導お願い致します」

 最後にグレースーツが定型文で締めくくり、報告は終了した。

 さて、他の面々はどういった反応をするのだろう。他の会社のこんな場面を見るチャンスなど滅多にない。そう思い待っていたが、誰も口を開かない。どうしたのだと見守っていると、グレースーツの向かいに座る年配の男の肩が震えていることに気付いた。年配男は顔を真っ赤にして眉間に皺を深く刻み、拳を握りしめている。

 次の瞬間、年配男は噴火するかのように握った拳を机に振り下ろした。激しい音が会議室に鳴り響く。そして、それに負けないぐらいの剣幕で怒鳴り散らした。

「こんなクソみたいな報告しやがって! 今までいったい何をしてたんだ! 何で言われたことすら出来ないんだ! どうなってんだ!」

 恐らく部長か、役員か、とにかくかなり上の役職なのだろう。怒鳴ることが仕事と思っている手合いと見た。嫌いなタイプだ。

 年配男からの叱責を受け、グレースーツはしどろもどろするばかりだ。みるみるうちに顔が蒼くなっていく。グレースーツは、周りにいる恐らく上司たちに助けを求めようと目線を送った。だが、皆一様に下を向いて手元の資料を見る振りをしている。

 残念ながら助けは期待出来ないようだ。なんて会社だ、弊社と同じではないか。

「も、申し訳ありません……」

 グレースーツは、何とか絞り出したか細い声で謝罪を口にした。

 こういうときは何を言っても火に油なので、とにかく平謝りを繰り返し全身で反省を表して切り抜けるしかない。よく分かる。

 ……この人の過去はこのくらいでやめておこう。他人事とは思えない。俺まで辛くなって来る。


─*─*─*─*─*─



 さて、どうだっただろうか。といってもこの一例だけでは分からないと思う。それに何故だか今とても辛い気分なので、口直しに幸せな過去が見たい。誰か別の人を見ることにしよう。

 次に過去を見る人物を品定めをしていると、向かいの歩道に良さそうなカップルを見つけた。仲睦まじく手を繋いで、表情は見ているだけでこちらも笑顔になる程にこやかだ。まさに幸せの権化といった雰囲気があり、きっと良いものを見せて貰えるに違いない。


 俺は期待を込めて、女性の方に視線を向けた。

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