タイミング
「新開はいま何してるの?」
俺が問うと、新開は口元を緩ませながら答えた。
「不倫調査で聞き込みをしているのですよ、ふふふ」
ということは探偵か?
……いや違う。新開の態度で思い出した。これは、俺をからかっているときの態度だ。新開は嘘をつくときに半笑いで変な口調になる癖があった。歳を重ねても変わっていないらしい。
「おい、それ嘘だろ」
俺が睨むような目つきで言うと、新開は噴き出した。
「あははっ、わかった?」
やはり、嘘だったか。しょうもない嘘をついて。
「ごめんごめん、でも聞き込みは本当」
今度は笑っていなかったが、違う、そういうことではない。
「いや、そうじゃなくて、仕事は何を……」
「あれ? 本当に知らないんだ。ちょっと待って」
新開は上着のポケットを漁り出した。しかし、なかなか目当てのものが出てこないのか、全部のポケットを探っている。
そして、やっと出てきた手帳を開き俺に向けた。
「あった、あった。はい、私、こういうものです」
そこには、『愛知県警察 捜査一課 警部補 新開真』と書いてあった。
「刑事さん、になったの?」
「そうよ、てっきり知ってるかと思ってた。高校の友達から聞いてない?」
「いや、大学行ってから疎遠になっちゃって。今じゃほとんど連絡取ってないからな」
正確には、一浪して入った大学で更に一留したので、なんとなく顔を合わせるのが億劫になったからだ。新開は知らないようなので、黙っておく。
「あらそう、まぁいいわ。ところで島津君、今どこに住んでるの?」
「ん? なんで?」
それを知ってどうする。何かするつもりか。
「いいから言いなさい」
「わかったよ言うよ、今はT市に住んでる」
強めの口調で言われると、つい素直に答えてしまう。
「そうなの、じゃあ聞いても無駄そうね」
せっかく答えたのに、無駄は無いだろう。
「なにかあったのか?」
「この間、名古屋市北区であった事件知ってる? 被害者が冷蔵庫に入ってたやつ」
「知ってる。すごく知ってる」
なんせ、一部始終を見ていたからな。犯人の次に知っている自信がある。
「アレの聞き込みしてるの。あんまり芳しくないんだけどね」
新開は首を竦めながら答える。まさか、新開がそれを捜査しているとは。
新開はそれで話が終わったのか、手を団扇代わりにしてパタパタと仰ぎ別の話題に移った。
「しかしあっついわね、一日中歩き回ってもうへとへとよ。今日はもう進展なさそうだし、せっかくだからちょっと休憩してこ」
そう言うと、新開はマスターに向かって大きく手を振った。
「マスター! アイスコーヒーくださーい!」
まさかこのまま居座るとは思っていなかったので、俺は思わず「えっ」と声を漏らし眉を顰める。
そんな俺を見て、新開も眉を顰めた。
「なによ、嫌そうな顔して。休日にこんなところに一人で本読んで、どうせ暇なんでしょ? ちょっとぐらい良いじゃない、付き合いなさいよ」
確かに暇だが、暇は暇なりに楽しんでいるので、邪魔しないで頂きたい。だが俺の抗議はスルーされ、それから一時間、ひたすら愚痴を聞かせられることになった。愚痴の内容を要約すると、どうやら捜査の進捗が芳しくないらしく、その事で上から毎日お小言を言われているということだった。
俺は途中から聞き流して、あの女性のことを考えていた。そこまで手こずっているなら、新開に俺が見たことを伝えた方が良いような気がしてきた。殺害方法や経緯、更には犯人自体を見ているのだから確実に役に立てるはずだ。
しかし、だ。一体、どうやって伝えればいいのだ? 俺があまりに詳しい情報を知っていたら、いくら同級生といえども疑われるだろう。それはごめんだ。背景をぼかして、上手いこと伝えられるだろうか。いっそのこと過去が見えること含めて、全部言った方が逆に信じるか? さて、どうしたものか……。
俺が頭を悩ませ悶々としていると、新開の尖った声が飛んできた。
「ねぇ、ちょっと聞いてる? 適当に相槌してない? そういうところ、高校の時から変わってないのね」
そんなことを言いつつ、そちらこそお変わりない様子の新開は続ける。
「あ、そうだ、高校といえば島津君、あの事件のことまだ覚えてる? ほら、あれよあれ」
人差し指を立てて、指揮するように振る。
「ああ、覚えてるよ」
忘れるわけがない。あの事件とは、俺が人の過去を見れるようになるきっかけになった事件だ。いろいろあって、結果、俺は刺されることになってしまったから当然覚えている。
新開は、そりゃそうよねと言って、話を続けた。
「島津君、あのとき変なこと言ってたよね。なんか人の過去が見えるとか。その話、詳しく聞こうと思ってたのに、結局話をするタイミングもなく卒業しちゃったからそれっきりになっちゃった。それで犯人を見てくれれば、この事件もすぐに解決すると思うんだけどね。でも肝心の容疑者もまだ分かんないんじゃ意味ないか」
新開は何でもないように言うと、ストローを咥えアイスコーヒーを啜った。
その言葉に俺は、驚きのあまり新開を見つめたまま動きを止めた。視界の端でアイスコーヒーの嵩が減り、新開が喉を鳴らす。
まさか新開の方から、そんなことを言い出すとは。
「……あれ、信じてたのか?」
「えっ、嘘だったの?」
この反応は、俺をからかっているのではなさそうだ。真面目な顔をしている。本気でそう思ってくれていたように思えた。だが、今までも少なからずそういう態度を取ってくれる友人はいた。それでも、いざ打ち明けるとやはり疑いの眼差しを向けられたのだ。だから、これ以上深く話をするべきか迷う。
新開は、俺の回答を待ち口をつぐんでいる。数瞬のあいだ、二人の間に沈黙が流れた。
ええい、どうせもう会わないだろうから、いっそのこと話してしまえ。こんな場所で同級生に会えたという高揚感も手伝ったのだろう。俺は、そう決心した。
「本当だよ。俺には人の過去が見える。ただ、誰に言っても頭か心の心配されたから、信じる人なんていないと思ってたんだ。虚言とか妄想とかさんざん言われたからな。だから、新開が信じてくれているとは思ってもみなかった」
言い終えて俺は、新開の反応を息を呑んで待つ。
新開は、少しムッとした表情をして答えた。
「何よそれ。私はね、島津君が嘘付いてるなんて思ってなかったわ。大体、そんな嘘をついて何の得があるのよ」
まあ確かに、高校生にもなってそんな嘘ついても、普通に考えたら周囲の反応が想像出来そうなものだ。新開の言うように、何の得も無いというのはもっともではある。
続けて、新開は言う。
「それにね、そのせいで私を庇って刺されたんでしょ。あの時の状況を考えたらそのくらい分かるわ。あの後すごい悩んだけど、周囲に言う訳にもいかないからね。まぁ島津君と違って、そんなこと言ったら頭おかしいって思われるのは分かってたから、黙ってたけど」
そんな風に考えていたとは知らなかった。そうか、気付いていたのか。少しだけ、救われた気がした。しかし、良いことを言ったかと思ったら、さらりとディスってくる。なんだコイツは。台無しじゃないか。
「まあでも、さっきも言った通り容疑者すら絞り込めていないんだから、島津君がいたところでどうしようもないんだけどね」
よほど捜査が難航しているのか、新開はため息混じりに弱音を吐いた。
とりあえず、俺のことを信じてくれているようなので、それに応えてやりたいと思う。まだ少し躊躇いはあるが、しかし、俺にだって人並みの社会正義はあるのだ。殺人犯を野放しにするのは、それに反する。
だから俺は、新開に俺が見たことを告げることにした。




