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処刑されて20年。転生した元聖女が見たのは、変わり果てた国の姿でした。

作者: 鷹目堂

「これより、聖女イーリア・ファイスウッドの処刑を行う!」

 

 広場に響く民衆の罵声を、イーリアは断頭台に首をかけながら聞いていた。


 場の熱気は凄まじい。誰もが目をつり上げ、「早く殺してしまえ!」とイーリアを責め立てている。

 

 それをどこか虚ろな目で眺めながら、イーリアは嘆いた。

 

(……どうしてこんなことになってしまったんだろう)

 

 ぼうっと思い返し、視線を俯かせる。


 

 ――先月の暮れ、アリル王国の王太子が、何者かによって殺された。


 

 第一発見者は城に仕える使用人2人だった。

 

 夕食の時間になっても部屋から出てこない王太子を心配して部屋を訪れたところ、腹を掻っ切られた彼を発見したらしい。

 

 王太子の部屋には、第三者が侵入した形跡はなかった。

 加えて争ったような痕もなく、怪しい人間が城内にいたという証言もない。

 

 では誰が殺したのか。

 状況証拠のみが存在する中で疑われたのが、直前まで王太子と一緒にいたイーリアだった。


 当然ながらイーリアは犯人ではない。

 ただ、王宮曰くそれ以外に可能性はないのだという。


 いくら反論しても聞き入れられることはなく、結果としてイーリアは抵抗の甲斐なく牢に入れられた。


(なんで、誰も私の話を聞いてくれやしなかったんだろう……)

 

 なんて、今更遅すぎる思いが脳を巡る。


 侯爵家に生まれたイーリアは、王太子の婚約者である。

 そして、国で唯一の『聖女』だ。

 

 聖女とは、太古の昔、魔物と悪魔を封印してこの国を救った聖母アリルの末裔のことを言う。


 特別な力が使えるわけではないが、稀有な存在であることに間違いはなかった。今や罵声を浴びせられているけれど。


 ――「ねえイーリア。俺さ、君と婚約できてよかったよ」


 頭上で断頭台の鋭い刃がきらめく中、イーリアは亡くなった王太子の言葉を思い出した。


 ――「君は聖女と第一王子の政略結婚だって言うけどさ、君との婚約が決まった時、俺はすごく嬉しかったんだ」


 ――「イーリアのことが好きだったから。ずっと小さい頃、初めて君と出会った時からその笑顔が好きだった」


 ――「君もそうだろ? なんて。……ふふ、無言は肯定だよ」


 ――「……ねえイーリア、これからきっと君を幸せにするよ。どうか一緒に生きていこう」


(あ……)


 零れた涙が、頬を伝って地面に落ちる。


 無愛想なイーリアのことを、それでも愛していると言ってくれた王太子。

 苦しみながら事切れたであろう彼のことを思うと、イーリアはどうしても泣きたくなる。


(だめだ。……しっかりしなきゃ)


 ふと顔を上げると、広場の隅に見慣れた顔を見つけた。

 

 カティア・ファイスウッド。

 イーリアの2つ下の妹だ。父に付き添われ、恨みがましい顔でイーリアを見ている。


 王太子に恋焦がれていたカティアは、イーリアのことをひどく嫌っていた。


 理由は単純だ。聖女という地位を理由に、イーリアが王太子と婚約を結んだからである。


 カティアはことあるごとに嫌がらせを繰り返し、時にはイーリアのドレスを切り裂いたことだってあった。「なんでお姉様が」なんて言葉を何度聞いたか、イーリアはもう覚えていない。


 末っ子が可愛いらしい両親や兄は、いつだってカティアの味方だった。


 イーリアが無愛想な子どもだったのも原因だろう。聖女が昔ほど崇められる存在ではないことも相まって、侯爵家にイーリアの居場所はなかった。


 でももはや、家族を恨む暇さえない。


 広場に鐘の音が響き、定刻を迎えた。


「――やれ!」


 宰相が叫び、執行人が、掴んでいたロープを手放す。


 ロープに繋がっていた刃がイーリアの頭めがけて落ち、首元に鋭い痛みが走った。


(……ああ、もう終わってしまうのか)


 歓喜に沸く民衆の声を聞きながら、イーリア・ファイスウッドは程なくして亡くなった。


 享年20歳。

 人生の幕引きは、実に呆気ないものだった。



 ◇◇◇



「メイフェルお姉ちゃん! こっちのお洗濯物、干し終わったよ!」


 ――ぼうっとしていたメイフェルは、そんな言葉に慌てて顔を上げた。


「お姉ちゃん? ……どうしたの、大丈夫?」

「あ、……うん。ありがとうアニー、助かったよ」

「えへ、他に何かお手伝いすることある?」

「ううん、いいよ。向こうでテオたちと遊んでおいで」

「はーい!」


 孤児院の方へ元気に駆けていくアニーの姿を見送ったあと、メイフェルはふと溜息をついた。


(嫌なことを思い出したな。前世のことなんて、思い返したってなんの得にもならないのに……)


 そう独りごちる12歳のメイフェルには、生まれつき前世の記憶がある。イーリアという、濡れ衣で処刑された聖女の記憶だ。


 聖女だったイーリアと違って、今世のメイフェルは天涯孤独の孤児だった。


 修道院で開かれている孤児院に拾われ、もう12年が経つ。貧しいながらも家族愛に満ちた賑やかな暮らしは、前世の心の傷を癒してくれた。


(……処刑から、もう16年も経ってるんだな)


 あれから16年。

 短い間に第一王子と聖女を失ったアリル王国は、随分と様変わりしていた。


 まず、イーリアの処刑から4年後に王が崩御した。


 ちょうどメイフェルが産まれた辺りである。死因は心不全だそうで、長男を失った心労もあったのだろうと、孤児院のシスターが言っていた。


 新たな王位には次男が就いたが、若すぎた彼は、王としての教育を満足に受けていなかったらしい。


 悪意ある貴族に指示され、無知な王はそれを鵜呑みにし――そうして生まれた貴族の利権を重視する国政に、平民の不満は爆発しているという。


 前世での妹ことカティアは、そんな王の妻になった。


 これにはメイフェルも驚いた。

 何故って、姉のイーリアが王太子殺害の犯人として処刑されたのだ。


 家族も揃って処刑されてもおかしくないのに、それどころか妹は王妃にまで上り詰めている。普通じゃまずありえないことだった。


「なあ、メイフェル!」


 そうまた考えごとにふけっていると、今度は男の子――テオが話しかけてきた。


 テオは今年で10歳になる、孤児院の中でも兄貴分の子どもだ。メイフェルは少し屈んで彼と視線を合わせた。


「テオ。どうした?」

「遊びに行きたいんだ。森の中に入っていい?」


 そう言い、テオは付近に広がる森を指差す。

 メイフェルは眉を寄せた。


「ダメだ。この間も迷子になりかけただろ?」

「大丈夫だって! 今度は近くで遊ぶし!」

「……本当に?」

「本当に! いつものとこまでしか行かない!」


 そうキラキラした目で言われては、メイフェルも頷かざるを得ない。自分が孤児院の中で最年長だからか、何だかんだで子どもたちは可愛いのだ。


「……じゃあ、どこで遊ぶかちゃんとシスターに言ってから行くんだよ。良い?」

「もちろん! サンキューメイフェル!」

「あ、早く帰ってきなよ! 遅くなったら――」

「魔物が出るんだろ! わかってるよー!」


 もう駆け出していってしまったテオの背を見送り、ふと溜息をつく。これもまた、16年で様変わりしたところだ。


 ここ10数年で、アリル王国の周辺には魔物が出るようになった。


 ここ王都の付近はまだ安全だが、辺境の地では、魔物によって村がいくつか壊滅に追いやられているらしい。


 それに加えてあの王だ。外交もからっきしで他国の応援も望めないし、もっと言えば魔物への対策が練られているかどうかも怪しい。


 このままじゃ王都にまで魔物がやってくるのは時間の問題だろう。メイフェルは再度溜息を吐いた。


(……王妃がカティアじゃ、真っ当な政治も期待できないし。もしもの時に備えて逃げ道を作っておかないとなあ)


 メイフェルは孤児だが、前世と違って愛する家族がいる。孤児院のシスターや子どもたちだ。


 シスターは他人に過ぎない自分を拾って育ててくれた恩人だし、子どもたちなんてメイフェルを本当の姉のように慕ってくれている。


 みんな守らなければならない存在だ。あんなに愛おしい家族たちが魔物にやられて死ぬだなんて、そんなことあってはならない。


(せっかくもらった命だ。……今世こそは、大切な人を亡くしたくない)


 死に別れてしまった王太子の姿を思い出し、メイフェルは静かに決意を固めた。



 メイフェルの予想通り、アリル王国を襲う魔物の勢いは、それから徐々に増していった。



 ◇◇◇



 ――いよいよ魔物の大行進が始まったと、新聞がそう伝えている。



 魔物は王都を目指して北上を始め、もう間も無く王城を陥れるだろうというのが記者の見通しだ。王都にいる人間は早く逃げろと、そう力強い字が訴えている。


 そこまで読んだメイフェルは、新聞を雑に折りたたんで振り返った。


 視線の先には、不安げに瞳を揺らす青年――テオがいる。


「テオ、これから私が話すことをよく聞いてくれ」


 テオは震えながら頷いた。


 怖いのだろう。当たり前だ。何せ、もう王都のすぐ近くにまで魔物が来ているというのだから。


「北に進軍している魔物は、もうあと3時間もあれば王都に到着するだろう」

「メ、メイフェル……」

「大丈夫だ。テオ、お前ももう14になっただろ? 孤児院の中じゃ立派なお兄さんだ」


 もうすっかり自分の背を抜かしたテオの肩に手を置き、メイフェルはしっかりとその瞳を見据えた。


 あれから、4年が経っている。

 処刑されて20年。メイフェルは16歳になった。



 ――アリル王国の状況は、思ったよりも早く悪化している。



 若き王と王妃のカティアは案の定、魔物への対策を練っていなかったらしい。


 1年前、第二の都とまで言われていた都市が魔物によって陥落したところでやっと焦りを覚えたらしいが、しかしそれももう遅かった。


 力をつけた魔物に、派遣した兵士が殺された。


 他国への応援要請は断られた。以前から魔物対策を練っていた周辺国は、武力もなければ魔物に対抗する手段もないアリル王国を見捨てるという、真っ当な判断を下したらしい。


 それに加え、東に位置する帝国がアリル王国への侵攻を始めたというのだから、状況は更に深刻だった。


 世界でも圧倒的な武力を誇る帝国は、この混乱に乗じてアリル王国を占拠するつもりだという。どちらにせよ、王国に未来はないも同然だった。


「テオ、良い? これから私が手配した馬車にみんなと乗って、西に向かって逃げてくれ」


 となればもう、メイフェルは自分のできることをやるしかない。


 告げると、テオは大きな目を更に見開いた。


「西の関所についたら馬車を乗り換えて、『南下しながら隣国に向かってください』って言うんだ」

「え……?」

「シスターは年配でもうあまり動けないし、私を除けばテオが最年長だろ? お前がみんなを引っ張るんだよ」


 しっかりと噛み締めるように言うと、テオが慌てたように言葉を遮る。


「で、でも、それじゃあメイフェルは……? メイフェルはどうするんだよ!」

「私は少しやり残したことがある」

「は……!? 何だそれ!」

「1人でここに残るよ。でも大丈夫だ」


 静かに頷く。テオは瞳にうっすらと涙を浮かべていた。

 そんな顔をされると、メイフェルまで悲しくなる。


「で、でも、でも俺は……」

「大丈夫。あのルートならまず魔物とはかち合わないし、西の国にはシスターの知り合いがいる」

「だから、そうじゃなくて……!」

「わかってるよ。でも私は行けないんだ。……ほら、今出れば帝国の進軍からも逃れられるだろう。早く行って」


 その頭をぽんと撫で、メイフェルは笑った。


 テオはぼろぼろと涙を流して泣いた。泣き止むまでその背を撫で、メイフェルは、何度もこちらを振り返る彼の背を見送った。


(……みんなにお別れの挨拶ができなかったのは残念だったな)


 1人きりになった孤児院で、ふとそんなことを思う。


 本当は、1人1人を抱きしめて別れの言葉を言いたかった。でもできなかった。みんなの顔を見たら一緒に馬車に乗ってしまいたくなるからだ。


(よし。……行かなきゃ)


 メイフェルにはやるべきことがある。


 決意を固めて孤児院を出たメイフェルは、混乱にざわめく王都を駆けた。向かうのは、あの荘厳な王城だ。


 メイフェルがまだ聖女イーリアだった頃、婚約者の王太子に教えてもらったことがある。


 王城にはひとつだけ鍵の壊れた扉があり、それが城の外に出る隠し通路になっているらしい。


 快活な王太子は、そうやって外に出ては時折お忍びで王都のカフェ巡りをしていたそうだ。門番は流石に誤魔化せないから頼み込んで出してもらったんだ、と語るあの笑顔を、メイフェルはまだ覚えている。


(よし、やっぱり裏門には門番がいない……!)


 もう間も無く魔物が襲うというギリギリの時間を狙ったおかげだろう。王城は警備がかなり手薄だった。


 教えてもらった鍵の壊れた扉を開き、王城の内部に忍び込む。目的地は地下の祈祷室だ。幸い城には人も少ないし、誰かに鉢合わせる心配もない。


 イーリアの記憶を頼りに、メイフェルは城を駆け抜ける。


 そうして階段の近くに差し掛かったところで、メイフェルはふと足を止めた。



「――ふざけないで! こんなことになったのは、あんたの責任なんでしょう!?」



 近くの部屋から、聞き覚えのある怒鳴り声がする。


(……カティア?)


 メイフェルはすぐにピンときた。間違いない、前世での妹こと、カティアの声だ。


 周囲を見渡してみるが、特に人は見当たらない。


 メイフェルは壁に張り付くと、僅かに戸を開けて中の様子を見た。



 ◇◇◇



 王妃カティアは、怒りのままに怒鳴りつけた。


「こうなること全部知ってたんでしょう!? 主人のあたしに何も言わないって、どういうつもり!?」


 思い切り両手で机を叩くと、カティアの目の前にいる――否、『在る』黒いモヤのようなものが、嘲るように形を変えてクツクツと笑う。


 カティアは更に怒鳴った。


「笑ってる場合じゃない! 全部説明しなさいよ、このクソ悪魔!」


 唇を噛むと、黒いモヤは馬鹿にしたように声を発した。


「説明も何も、お前は聞こうともしなかっただろう? だから言わなかったんだ。『聖女がこの国からいなくなれば、魔物が活性化して侵攻を開始するだろう』……とな」

「は……!?」

「ハッ、まさか貴様、聖女がただの名前だけの存在だと思っていたのか? とんだ馬鹿だな」


 図星だった。

 カティアは唸り、もう一度机を叩きつける。


「ハハ、そんなわけがないだろう! この私と、配下の魔物を封印した聖母アリル――その末裔が聖女なのだぞ。この国は聖女1人に守られていると言っても過言じゃなかった」

「……は」


「そんな聖女をお前は、あろうことか悪魔の私と契約した上で『消せ』と言ったんだ。……この国を終わらせたのはお前だよ」


 黒いモヤ――カティアが契約した悪魔は高笑いし、周囲を煽るように旋回する。


(『聖女』が、……気持ち悪いあの女が、この国を守ってた……?)


 一方でカティアは、呆然とその場に立ち尽くすほかなかった。



 カティア・ファイスウッドは、ファイスウッド家に生まれた侯爵令嬢である。



 地位に恵まれたカティアは、幼少期から欲しいものは何でも手に入る生活を送っていた。


 両親はカティアに甘かったし、兄も、親戚でさえもカティアの虜。


 自分はこの世で一番素晴らしい女の子なのだと本気で思っていたカティアは、10歳の頃、どうしても手に入らない存在を知ってしまった。


 ――「ねえお父様。あたし、王太子様と結婚したいわ」


 美麗で優秀で優しく、そして未来の王となる第一王子。


 パーティーでその姿を見るなり一目惚れしたカティアは、早速父に婚約を結ぶよう頼んだ。カティアを溺愛する父に頼めばどんなものでも手に入ったからだ。


 しかし、父の返事は予想外のものだった。


 ――「ああ、……すまない、カティア。殿下とカティアは結婚できないんだ」


 カティアは戸惑った。そんなの嘘だ、とも思った。


 だって自分は、世界で一番素晴らしい女の子なのだ。好きな人と結婚できないはずがない。


 ――「え、……何で?」


 ――「第一王子は、聖女のイーリアと結婚することが決まっているんだよ。だから……」


 ――「は!? あの愚図なお姉様が、王太子様と結婚するって言うの!?」


 カティアは激昂し、父にありったけの文句を言いつけた。


 許せなかった。見下していた愚図でノロマで可愛くもない姉が、聖女というだけであの素敵な第一王子と結婚するなんて考えられない。


(そもそも聖女って、ただ手の甲にちょっとした痣があるだけで何の力もないじゃない! 何が聖女よ、許せない……!)


 その日からカティアは、姉のイーリアを虐げることに全てを注いだ。


 姉のドレスを切り裂き、靴を壊し、ネックレスを引きちぎった。


 姉が趣味で描いていた絵を思いっきり汚してやった時は最高だった。イーリアのあの悲しそうな顔なんて、今思い出しても凄まじく滑稽だ。


 でも、それも次第に飽きがくる。


 むしろ苛立ってきたくらいだ。歳を重ねるごとに精悍さを増していく第一王子を見るたび、カティアは姉が憎くて仕方なくなった。


(あんな女、死ねば良いのに……)


 そう思ったのも一度や二度じゃない。


 ――悪魔が現れたのは、そんな憎しみがいよいよ頂点に達するという時だった。



「この20年、素晴らしく無様だなあ? お前は」



 悪魔は笑い、黒いモヤがカティアの首に巻き付く。


 20年前の話だ。

 現れた悪魔は、「契約すれば、お前の大事なものと引き換えに望みを叶えてやる」と言った。


 カティアにしてみれば願ってもない話だ。

 話を聞くなり飛びつき、そしてカティアは願った。


 ――「イーリアがいない世界で、王太子様と結婚して王妃になりたい」と。


「大好きな第一王子は死に、王妃になった国は聖女の姉を殺したことで終わりを迎え、お前はもうすぐ魔物に殺されて死ぬ。……ハハ、ここまでの馬鹿も久々だ」


 カティアの願いを聞いた悪魔は、宣言通り願いを叶えてしまった。


 カティアの大事なものと引き換えにイーリアを消し去り、そして、カティアをアリル王国の王妃にしたのだ。


 そう。

 カティアの大事なもの――第一王子と引き換えに。


「一時の憎しみで姉を殺そうとしたのが全てだったなあ? 第一王子が死んだ時にさっさと後を追えば良かったものを」


 『大事なもの』が何かしらの物品を指すのだと信じて疑わなかったカティアは、その本当の意味を知って絶望した。


 激昂し、悪魔に全てを元に戻せと命令した。でもそんなことできるはずがない。


 悪魔は、確かにカティアの願いを叶えたのだ。


 イーリアは死に、そしてカティアは、繰り上がりで王太子になった第二王子と結婚することで王妃になった。カティアの大事な大事な第一王子と引き換えに。



「…………もう、終わりなの?」



 もうどうしようもないのだと悟り、カティアは呆然と呟く。


 愛した第一王子はいない。

 聖女イーリアは死に、アリル王国は魔物に襲われ滅亡の一途を辿っている。


 周辺国からの応援はついぞなかった。


 王と、そして王妃のカティアが外交を疎かにしていたからだ。圧倒的な武力を誇る帝国も侵攻を始めている今、もはやアリル王国を救おうなどと考える国はいないだろう。


「終わりだ、馬鹿な女よ。さっさと諦めて死ね」


 悪魔のそんな声が響いたと同時、カティアは膝から崩れ落ちた。


 どうして、どうしてこうなったのだろう。

 何がいけなかったのだろう。


 カティアはかっこよくて素敵で頭の良い第一王子が欲しかっただけだ。だからイーリアが憎くて鬱陶しくて、殺したくなった。それだけだ。


 愚図な姉を殺そうとして何が悪い。王妃になりたくて何が悪い。それでも責任を取るのが嫌で、国政に全く関わっていなかったことの何が。


「救いようのない馬鹿だな、お前は」


 悪魔が高笑いし、カティアは城中に響く声で叫んだ。


 わずかに開いた部屋の扉が閉まる音は、そんな絶叫にかき消されて聞こえなかった。



 ◇◇◇



(……カティア、1人で壁に話しかけて何してたんだろう)


 聞き耳を立てていたメイフェルは、再び地下を目指して城内を走っていた。


(最後はなんか叫んでたけど……もう追い詰められて限界なんだろうな。王都のすぐそこまで魔物が迫ってるし)


 そういえば、孤児院の子どもたちとシスターは無事だろうか。


 メイフェルが4年前から少しずつ計画を立てて作り上げた逃げ道だ。失敗することはないだろうが、それでも不安なものは不安である。


(西の国に着いたら、向こうの国の孤児院が受け入れてくれるはずだけど……)


 と、そこまで考えたところで、メイフェルは目的地に辿り着いた。


 王城地下2階の、少し奥。


 祈祷室と名付けられたまるで聖堂のようなこの部屋は、王族の死者を悼む場所だ。


「……ここが」


 ぽつりと呟き、一歩ずつ歩を進めていく。


 祈祷室の中央には、この国を救った聖母アリルの像が祀られている。


 その下、いくつか並んだ木箱のうちの一つに、メイフェルが探し求めていたものが入っていた。


「あった……!」


 緑の宝石が嵌め込まれた、金のネックレス。


 メイフェルはそれを手にすると、思わずその場に座り込んで胸に抱きしめた。あった。ここにあった。ずっと探していたものが。


(私が、殿下に贈ったネックレス……!)


 もう25年も前になる。

 婚約が決まったその日、15歳だったイーリアは彼にネックレスを贈った。


 ちょっとした贈り物のつもりだったのだが、彼はそれを大層喜んでくれた。そしてこうも言った。「一生着けて離さないよ」と。


 あの時はリップサービスだろうと思ったものだが、違う。


 彼は本当に、本当に一生着けてくれたのだ。


 何者かに腹を切られて殺されたあの日だって、彼の首にはイーリアの贈ったネックレスがあった。彼は、イーリアを心の底から愛してくれていたのだ。


(……よかった。魔物や帝国の人間に奪われる前に見つけられて)


 ――これでせめて、このネックレスと一緒に死ぬことはできそうだ。


 時計を見た。もう時間がない。

 今から急いで王都を出たところで、魔物に追い付かれておしまいだろう。


 であればここで、彼を悼むことのできる場所で死にたい。


 メイフェルは座り直し、姿勢を正した。


 目の前の聖母アリルの像は、平たく言えばイーリアの先祖だ。悪魔と魔物を封印し、この国を救った英雄だ。


(ごめんなさい。……あなたの名前を頂いた国がこんな終わりを迎えてしまって)


 ネックレスを天井にかざし、愛する彼に想いを馳せる。


 ――次に生まれ変わるなら前世の記憶なんていらないから、どうかまたあの人と結ばれたい。



「……そこにいるのは誰だ」



 そう目を閉じたメイフェルは、響いた声に目を見開いた。


 振り返る。

 歳の近そうな男性がいた。


 隊服じゃない、ということはつまり兵士じゃない。当然のように魔物でもない。


 城内で働く人間だろうか。そこまで思考を働かせたところで、男はメイフェルの持つネックレスに目を留めた。


「お前……そのネックレスをどこで見つけた!」


 そう言うなり、男は大股で近付いてくる。メイフェルがネックレスを慌てて背後に隠すと、男は顔を顰めて怒鳴った。


「それを早く渡せ!」

「い、嫌だ……!」

「盗賊か? であれば――」

「違う! けど、これはダメだ!」


 呼応するように叫び、メイフェルは男を睨み付けた。


 その瞬間、ふと男の胸の紋章に目が留まる。


(………帝国軍の、紋章?)


 見間違いでなければ確かにそうだ。男は、アリル王国に侵攻を始めている帝国軍の人間らしい。


 しかも紋章を着けることを許されているとなると、騎士団の内部でも相当に地位が高い者と見て良い。間違いなく隊長クラスではあるだろう、が。


(なぜ、帝国の人がここに……)


 帝国軍の本隊が王都に到着するのは、早く見積もってもあと3日ほど後のはずだ。隊長クラスが部下も連れず1人でこんなところにいるというのも、妙な違和感がある。


「……どうしても渡さないと言うのか」


 男は眉間に皺を寄せると、腰の剣に手を添えた。


 渡さなければ斬ることもやむなし、ということだろう。メイフェルは一度瞬きをし、手の中のネックレスを強く握った。


「……このネックレスが欲しいなら、もう殺してくれ。私はそれで良い」

「っ!」

「これは大事な人のものなんだ。私が贈って、その人が死ぬ間際まで着けてくれていたものだ。……あなたがこれを欲しがる理由はわからないけど、でもどうしてもあげられない」


 そう言い、メイフェルは上を向いて首を伸ばした。


 どうぞ斬ってくれという意思表示だ。どうせ近いうちに死ぬのだ。今更命乞いなんてしない。


「……」


 男はメイフェルの瞳をじっと見つめ、唇を噛んだ。


 その表情はどこか寂しそうに見える。何故だろうと思案する前に、男が口を開いた。


「……お前、名前は」

「メイフェル」

「苗字は」

「ない。孤児なんだ」

「いくつになる」

「16」


 そこまで聞き終え、男は剣から手を離す。


 まさかここにきて殺意が失せたか。メイフェルは眉を寄せ、もう一度ネックレスを握った。


 男は、なぜか躊躇うようにして言葉を紡ぐ。


「俺、は、アルブレヒトと言う」

「ああ」

「帝国軍の部隊長をしている」

「そうか」

「20になる」

「だからなんだ」


 まさかこんなところで見合いをするつもりでもあるまい。メイフェルが苛立ったように尋ねると、男はその場に静かに跪いた。


 座り込むメイフェルと男の視線が絡み、数秒の沈黙が場を支配する。


 メイフェルは口を引き結んで何も言わない。


 やがて声を発したのは、男の方だった。


「なあ」

「……」

「まさかとは、思うんだ」


 声に震えが滲んでいる。メイフェルはじっと押し黙った。


「馬鹿馬鹿しいとも思うんだ、でも目を見ていたらそうだとしか思えなかった」

「……」

「聞いていいか」

「……」


 メイフェルは何も言わない。


「……無言は、肯定だ」


 その言葉に既視感を感じた気がした、その時だ。



「もしかして君は、………イーリア、なのか?」



 確かに音となった名前が、メイフェルの耳を鳴らした。


「……は」


 心臓が跳ねた。

 目を見開く。


 男は瞳を揺らしてこちらを見ていた。不安げな表情が、慈愛を隠した双眸が、記憶を掘り起こしてやまない。


「……あ……」


 喉から声が漏れ出る。


 まさか、まさかとは思うが、彼は。



「エリオット様、ですか………?」



 呆然と呟くと、彼は瞳を大きく揺らした。


 メイフェルの視界が滲む。

 泣いている、と気付いた時には地面に涙が落ちていた。


 あの頃とは違う。


 見た目も、名前も、立場も、何もかもが違う。

 でも彼だ。エリオットだ。


 あの日死んでしまった、イーリアの愛おしい婚約者。将来を誓い合った人。


 また彼と結ばれたいと願った、ただ1人の。


「君が、……君が処刑されたと聞いて、俺はどうにかなりそうだった」

「っ、エリオット様……!」

「君との思い出を失いたくなかったんだ。だからどうか、君がくれたそのネックレスだけはと……」


 彼の震える指先が、手の中のネックレスを指差す。


「……君とまた会いたいと、ずっと思ってた」


 メイフェルは何か言おうと口を開いた。

 しかしもう、涙と嗚咽しか出てこない。


「イーリア、……いや、メイフェル」


 彼の大きな手が、メイフェルの頭を静かに撫でる。


 メイフェルは震えながらネックレスを差し出した。


 それを受け取ると、彼は柔らかく、和やかに微笑んだ。



「心から愛してる」

「……っ!」


「君は、また俺と一緒に生きてくれるだろうか」



 言葉が出ない代わりに何度も何度も頷き、メイフェルは彼の胸に飛び込んだ。


(……まさか、悪い夢じゃないだろうか)


 懐かしい匂いがする。

 暖かくて優しくて、まるで陽だまりのような匂い。


 エリオット、――否、アルブレヒトは立ち上がり、未だ涙が止まらないメイフェルを軽く抱え上げた。


 もう時間がない。王都はもうすぐ魔物によって占拠されるはずだし、そうなる前に逃げ出さなければならないだろう。


「笑ってよ、メイフェル」

「む、……むりです」

「無理じゃない。俺は君の笑顔が一番好きなんだ」


 そう言われたらもう拒否なんてできない。メイフェルは辛うじて頬の筋肉を緩め、泣き腫らした顔でどうにか笑ってみせた。


 そんな下手くそな笑顔に、アルブレヒトは愛おしそうにキスをする。そうして2人は、混乱渦巻く王都を抜け出した。



 アリル王国は、その後まもなく陥落した。


 魔物は圧倒的な武力を誇る帝国の兵によって掃討されたという。元アリル王国は帝国の統治下に置かれ、現在復興が進められている。



 ある軍人と1人の孤児が帝国で新たに結婚生活を始めたのは、また別の話だ。

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