断末魔
「グッ!はっ!」
断末魔が聞こえた。今日は久しぶりに仲間が死んだのだろうか。最近は少しずつ、知能レベルも上昇してきてこれなら安心だと思っていたところだったのに。だが、一人で勝手な動きをして、その挙句死んだというのなら俺に責任などない。自業自得だ。そんな頭の出来の悪い奴が、この先々、俺たちの生活に役立つとは到底思えない。足手まといになって見捨てられるのがオチだろう。
こんな世知辛い世の中で情けなど無用だ。かけたものは諸共崩れていく。かけられたものは言うまでもなくすぐに死ぬだろう。いかに、人間としての思いを捨てるか。そこが生き抜く上で鍵となってくる。例えば、俺のように悪行に抵抗のあまりない者は生き延びやすいと思われる。逆に、善人だったりすると人の巻き添えを食らって死ぬことになる。かといって、完全な悪人というのも良くない。そこら辺の一般常識はこの世界でも通用してしまうようで、異世界の設定というのがどれほど複雑かよくわかる。
そして、善悪の差も生存競争の上で大事だが、もちろんまだ大切なものはある。「知力」と「体力」だ。大まかに行って仕舞えば、力と一括りにすることもできるだろう。
知力というのは言わずもがな、頭が切れるか否かだ。勉強ができるかではない。そりゃあ、本来のスペックが高くて勉強ができる人は優位だろうが、必ずしもそうだとは限らない。いかに狡猾な発想に至るか、いかに高度な考え方ができるか、それが鍵を握る。その分、ここの世界の土着の人たちは幾分か不利なように思える。元々、どうやら脳が肥大化する前の人間たちが、一部の天才たちの手によって高度な生活をすることができている、そういう構造になっているからだ。
実際、この異変が起きる前に、15年近く前のものだが、当時の医師が残していたデータを見せてもらったことがある。その中には、現世現代の知恵と同等かそれ以上に亘る細かい知識と、人間の知能に関する分析が奥深きまでに記されていた。現世でいうIQと同じ概念も記されていたが、その値は基準値が知能指数と同等にしてあるにもかかわらず、平均値が現世で聞いた数よりも5〜8程度低かったと記憶している。
このように、知力というのは個体差が生まれやすいものである。それに対して、例えば、体力はどうだろうか。筋トレみたいなことをすれば、ある程度、誰もが体力はつけることができる。ただ、その鍛錬も怠って仕舞えばいざ狩場に出て、何もできずじまいで終わること間違いなしだ。これも知力と並び、生き残るサバイバルテクニックの基礎となる点だ。いや、むしろ基本中の基本すぎてサバイバルテクニックとすら言えない。それよりも、「生存戦略」とでも訳しておいた方が的確だろう。
この全てが揃わないと、有能な人間とは言えない。だからこそ、この地域内で最も有能なのは、
現世から来た、俺なのだ。
目が覚めてから、昨晩の声を思い出した。死に際の、あの苦しみから解放されようともがいている声を。
今日は狩の担当が自分ではないことを確認して、集合住宅じみた狭い家を出た。部屋はDK、ダイニングは4畳で、20代前半、つまり大学生の部屋として考えれば狭すぎる。ダイニングの中に布団から細かい日用品まで全て寄せ集めなければならないから、身動きできる場所も限られてくる。
狩の担当というのは、この「人間が弱すぎる」世界(もしかしたら「敵が強すぎる」世界かもしれない)において必須な制度だ。例えば、猪を一頭狩るにあたって、人間は15人ほど、全員がしっかりと装備を固めて、6時間近くかかる。反撃を恐れて躊躇しているのではない。純粋に攻撃が効かないのだ。槍が刺さってもびくともしないし、火を灯した矢が刺さっても熱がる様子もなく、むしろちょうどよく痒いところに暖かいものが当たった、みたいな極楽極楽といった表情をしてくる。腹立たしい限りだ。
そのため、この辺りに住んでる人間で順番を決めて狩りに出かけるようにしている。6時間も命を賭して戦って、それを毎日繰り返していたらたまったもんじゃない。幸い、まだ生き残りは沢山いるし、ここら辺のコミュニティでは4日に一回回ってくるだけだ。もちろん、この仕事は男にだけ回ってくる。
では女は何をするとかというと、海の近くの集落ならば釣りや貝拾いなどをする。山の近くであれば、山菜取りや木の実拾い、子守りなど、さながら縄文時代のような生活をしている。ただ、縄文時代よりもよっぽどマシなのが、ネットがあることだ。
この古い生活をそのまま残してきたような世界の中で、なぜインターネットが現実と同じように存在しているのかはわからない。ただ、動物を狩るときなど、協力が必要な時は必ずと言っていいほど活用される。いくら当番制の15人がいるとはいえ、この世界ではその人数すらも心もとない。というわけで、暇がある海の方の男を呼び寄せて共闘したりするのだ。
不可解なのは、インターネットという素晴らしいものが発明されているのに、この世界の人間の知能指数は低いことである。これは平均として低いというだけでなく、押し並べて全員が低い。突出した天才というのは見たことがないし、特に目立った大馬鹿者もいない。ただ、会話してるとわかる。何かが少し違う。何かが少し足りない。
こんな知能でどうやって複雑なシステムを思いつき、実行に移したのだろうか。「異変」が起きる前のデータを見ることがたまにあるが、その文章も全て、大人が書くにしては稚拙な気がする。単語レベルもそうだが、前後のつながりが認識しにくい、そんなものが多い。
地球上、つまり現実世界での人間は高度な思考と何億年という気が遠くなる歳月をかけてインターネットを大成させた。この世界線(現地の人々は「ウルダ」と呼んでいる)の始まりに関する記述は神話的なものしかないが、長くとも2億年以上の時は経ていない。この期間で、IQの低い生命体がインターネットを作り得るだろうか?
「異変」に伴って、人間の身体にも何か変化が起こったのだろうか。いや、「異変」はたったの12年前に起こった話だ。遺伝的に変化が起こったということではないし、かといって人類全体に影響を及ぼすことなどできるはずもない。それとも、そんな考えは浅いのだろうか。こんな範疇を超えた発想で、人類は改造されたのだろうか。
いけない。つい、不思議な考えにのめり込んでしまう。まだ、この世界に慣れきっていないということだろう。今は同化して、謎を解くことに専念しなければならない。朝の鳥の囀りだなんて洒落たもの、ウルダでは聞こえないが問題ない。異世界情緒なんてものを求める面倒くさい人ではないし、代わりと言ってはなんだが、朝の狩の当番の叫び声が聞こえる。無我夢中で叫ぶせいで、何を言ってるか室内からは聞き取れたものじゃないが無音よりよっぽど良い。
今日も、暇な一日が始まるような気がした。