湿地の魔女は住宅ローン審査に通らない
「大変申し上げにくいのですが、セレサ・ノラッコ様の住宅ローン審査は通りませんでした。そのため、ここの銀行で住宅ローンを組むことはできません」
住宅ローン担当者から伝えられたその事実に、湿地の魔女セレサ・ノラッコは思わず自分の耳を疑った。
「えっと、こんなこと言うのはすごく恥ずかしいんですけど……私のことってご存知ですか?」
「はい。湿地の魔女セレサ・ノラッコという名前を、知らない人はいないと思います。三百年前のカーネーション民主化運動では、当時無敗を誇っていた国王軍の魔術師精鋭部隊をたった一人で退ける大活躍をなされ、現在は湿地で隠遁生活を送りながらも、名だたる魔法使いを育て上げている伝説の魔女です。魔法使いとしての実力はもちろん、人徳もあり、私も幼少期にはセレサさんに密着したドキュメンタリー番組を見て、とても感銘を受けた一人なんです」
「でも、住宅ローン審査には落ちたんですか?」
「それとこれとは話が別ですので」
担当者が机の上にセレサが提出した申請書類を広げる。それから、『魔法使い』と書かれた職業欄、そして前年度の収入欄を指差しながら、審査に落ちた理由を淡々と説明していく。
「まず、魔法使いという職業は個人事業主に該当しますので、その点で会社員や公務員と比較すると、審査が厳しくなります。加えて、セレサ様のここ数年の収入は他の一般的な魔法使いよりもかなり低めです」
「お金は村人たちの相談に乗った時に謝礼として受け取るくらいですし、基本的には物々交換で済ませていることが多くて……」
「また、住宅ローンの担保として、湿地の土地を担保に設定することになっているのですが、場所が場所ですので、価値が低いんです。それにですね、セレサ様の信用情報を調べたところ、審査に不利な情報がいくつか記載されていたんです。例えば……百年前にクレジットカードの滞納をなされていたり、またここ最近、国民年金保険を支払っていなかったり、などなどです」
突きつけられた事実に、セレサは何も言い返せなかった。住宅ローン担当者は申し訳なさそうな表情を浮かべ、それから、机の下で両手をもじもじさせながら、こう言った。
「以上の理由から、当銀行では住宅ローンを組むことができません。あと、審査を落とした手前大変言いづらいんですが……サインとかってもらうことできます?」
*****
セレサの弟子の一人、ユーリ・マドルが湿地に建てられたボロボロの家を久しぶりに訪れた時、セレサはお酒が入ったグラスを握りしめ、机の上に突っ伏していた。彼女はまたかとため息をつきながらも、敬愛する師匠を後ろから優しく揺すり起こしてあげた。
「放っておいてよ、住宅ローン一つ組めないみじめな魔女なんてさ!」
一体何があったんですか? マドルが向かいの椅子に腰掛けながら尋ねると、セレサはろれつが回らない状態のまま、住宅ローン審査に落ちたことを説明した。
「どれだけ有名になったってさ、銀行からの信用も得られないんじゃ、私はその程度の魔法使いってことよ」
「そんなに落ち込まないで元気出してくださいよ。師匠ほど素晴らしい魔法使いはいませんって。内戦孤児になって、そのまま野垂れ死ぬはずだった私を拾ってくれて、こんなに立派な魔法使いに育ててくれたじゃないですか。そりゃ普段は恥ずかしくて口にはできないですけど、師匠には心の底から感謝してるし、尊敬しているんですよ」
「うるせーばか」
「(この野郎……)」
セレサはコップの底に残っていたお酒を喉に流し込み、コップを勢いよく机の上に叩きつけた。
「お金もさぁ、私だってたくさん欲しいわよ。でも、私を頼ってくる村人はみんな決まって貧乏だから、強く言えないし、私の代わりに誰か他の魔法使いが彼らの面倒を見てくれるわけじゃないでしょ? 人の役に立つことは素晴らしいことよ。でもさ、大した魔力も持たない魔法使いたちがタワマンとかに住んでるのを見てたら色々と思うところがあるの!私だって……私だって、庭付き二階建ての4LDKのマイホームが欲しい!!」
一人暮らしだとその間取りは持て余しますよ。マドルは本音をぐっと飲み込んで、慰めの言葉をかける。しかし、セレサは不貞腐れたまま、お酒が入っていたコップの淵を舐めては、自分の惨めさを罵った。嫌なことがあったらやけ酒をして卑屈になるという彼女の一面は知っているものの、改めてマドルは面倒臭いなぁという気持ちを抑えきれなかった。
それでも、マドルはぐるっと、自分たちが今いる家を見回してみた。天井は低く、塗装はすっかり剥がれ落ちて、大きな穴が空いている。床は踏み締めるたびに心臓に悪い音が足を伝わってくるし、実際、誰かが踏み外した跡があちらこちらに存在していた。トイレはいまだに汲み取り式便所で、水道は井戸から水を引いてきているだけなので、もちろんお湯なんて出ない。数少ない部屋は、セレサが所有する魔術書や魔法具の収納と化しており、泊まりに来た時はいつも床の上で寝なければならない。
かつて、師匠から魔法を教わり、貴重な青春時代を過ごしたこの家。ここで師匠と暮らしていた時はなんとも思っていなかった。しかし、師匠から独立し、都会でそれなりの会社に就職できた自分の家と比較しても、惨めさは一目瞭然だった。
確かにたまに面倒に思う時もあるけれど、マドルは師匠を心の底から愛していた。だからこそ、師匠がいつまでもこんなボロ小屋に住んでいるのは心苦しかったし、何より、あの湿地の魔女が住宅ローン審査に落ちるなんて、これほど侮辱的なことはありえなかった。改めて師匠の置かれた状況を振り返ったマドルの心の中に、ふつふつと色んな感情が湧き上がってくる。
「師匠……住宅ローンを申請する時に提出した申請書ってどこにあります?」
今更何に使うのよ。酔っ払いのセレサがマドルに尋ねると、マドルは彼女の目を強く見つめ、答える。
「住宅ローン審査を通って、師匠を審査で落としたやつらを見返してやるんですよ。師匠が私を魔法使いに育ててくれたように、私が師匠の住宅ローン審査を通してみせます!」
*****
「まずは住宅ローンの審査を少しでも有利に進めるために、信用情報の整理を行いましょう」
住宅ローン審査をもう一度行う。そう宣言してから三日後、再び湿地を訪れたマドルはセレサにそう提案した。セレサは困惑げに眉を顰め、具体的に何をすればいいのよと尋ねる。
「まずは滞納している国民年金保険料をどうにかしましょう。将来的に帰ってこないからとあえて払わない人もいるそうですが、少なくとも住宅ローン審査においては、その考えはNGです。個人事業主として国民年金に加入している以上、支払いは国民の義務です。ここを滞納してしまうとですね、信頼情報に傷がつくことになります。一定期間内であれば、滞納分を遡って支払うことができるので、まずはそれを支払い、現在進行形で滞納しているという事実を解消しましょう」
セレサとマドルは書斎棚から数時間かけて国民年金番号が記入された書類を引っ張り出し、年金事務所にて国民年金保険料の滞納分の支払い手続きを行った。
「次は弁護士事務所です」
「弁護士? 審査を落とした銀行相手に訴訟でもするの?」
「そんなことをしても勝てるはずないじゃないですか。銀行がローン審査を行う際に参照している信用情報から、審査に不利な情報を削除してもらいに行くんです」
マドルはそのままセレサに説明を続けた。なんでも、クレジットカードの支払い滞納などがあった場合、信用情報機関というところに滞納したという事実が登録されてしまうらしい。銀行はローン審査を行うにあたって、その信用情報機関から、申請を行った人の情報を取得している。住宅ローン担当者は別の銀行口座で作成したクレジットカードの滞納の事実を知っていたが、それはここ経由で調べていたのかと、セレサは思わず納得してしまう。
「ですが、ここに登録されている情報には有効期限があるんです。本来であれば、有効期限が切れると同時に、情報は削除され、過去に延滞してしまったという情報が銀行側にバレることは無くなります。ですが、基本的にこれは自動で消えるわけではなく、弁護士を通じて削除申請を行う必要があるんです。師匠がクレジットカードを滞納したのは百年前ですので、有効期限はとっくに切れているはずです」
マドルの知り合いだという弁護士はセレサの大ファンらしく、彼女を担当することを光栄だと言ってくれた。弁護士は真摯に二人の相談に乗ってくれ、それから手際よく削除申請手続きを行なってくれた。
「そして次が、住宅ローン審査を通るために、一番大事なことです。それは、住宅ローン申請を行う銀行をきちんと選ぶこと。ちなみに、師匠が住宅ローンを申請して、あっけなく落とされた銀行ですが、どういった理由で選ばれたんですか?」
「え? そりゃ、メインで使っている金融機関だし、安心感があるかなって」
「師匠が住宅ローンを申請した銀行は国内でも屈指の巨大銀行です。知名度も高く、大量に顧客を抱えている。なので、そういった銀行では住宅ローン審査が厳しめに行われていたりするんです」
だったら、どうすればいいのよ? セレサの言葉に対してマドルが言葉を続ける。
「住宅ローンの審査は業界自体にルールが存在するのではなく、各銀行ごとに審査基準を持っています。だとすれば、話は簡単で、審査が比較的緩い銀行、例えば地方銀行などに住宅ローン申請を行えばいいんです」
「地方銀行?」
「はい、地方銀行は、メガバンクほど顧客を抱えているわけではないですからね。審査は比較的緩めになっていることが多いです。また、融資担当の人に大きな裁量が与えられているケースもあり、細かい事情などもきちんと汲み取ってもらえることがあるんです」
マドルは早速情報の収集を行った。そして、様々な選択肢の中から吟味を行い、知り合いが働いているとある地方銀行にターゲットを絞った。そして、セレサはマドルの助言をもらいながら、申請書を作成し、念願のマイホームを建てるため、再び住宅ローンを申請するのだった。
*****
「すみません、セレサさん、マドルさん。私なりにも頑張ってみたんですが、今の状態だと満額で住宅ローン審査を通すことは難しいかもしれません」
ここまで準備をしたのだから、きっと審査は通るだろう。そんな甘い考えを打ち砕くように、住宅ローン担当となった銀行員から、そのような謝罪の言葉が告げられる。言葉を失ったセレサを代わりに、同席していたマドルが詳しい情報を聞き出す。
「ここ最近他の案件でこげつきが発生しちゃいまして、ちょっと審査が厳し目になってるんです。セレサさんのことはもちろん存じ上げているんですが、やっぱり収入が不安定であることと、収入自体が低いことを上司から指摘されてまして……。今必死に説得を行っているんですが、なかなか……」
それから担当とマドルがあれやこれやと議論を酌み交わす。しかし、議論は平行線のまま進み、なかなか打開策が見つからない。いつもは冷静なマドルに少しずつ焦りの色が見えてくる。その様子をそばから見ていたセレサは小さくため息をついた。それから二人に向けて小さく「ありがとう、もう大丈夫だから」と呟く。
「もちろん住宅ローン審査を通れないのは残念だけど、これだけ頑張ってもダメだったらそれはもうきっとダメなのよ。もう諦めましょう」
「そんなこと言わないでください! 他に方法があるはずです!」
「ううん、もういいの。これだけマドルが私のために色々やってくれただけで、私は嬉しいの。こんな師匠想いの弟子を持つことができたんだから、マイホームなんてもう必要ないわ」
「でも……!」
家に帰って暖かいものでも食べましょう。セレサがマドルの顔を両手で包み込み、優しく語りかける。マドルは泣きそうな表情でセレサを見つめ返しながら、幼かった頃の記憶を思い出していた。両親を亡くし心の傷を負った自分を優しく受け止め、そして、ここまで立派に育ててくれた師匠。感謝と愛しさがマドルの気持ちを奮い立たせる。マドルはセレサの両手をそっと上から撫で、しかし、力強い目で湿地の魔女を見つめ返した。
「以前、私がどうしても一つの魔法を習得できず、苦しんでいた時、師匠は何度も諦めないでといってくださいましたよね? あの時の師匠の言葉は、今でも私を支えてくれる大事な言葉なんです。だから、師匠。今回だって、諦めたくないんです。私、言いましたよね? 師匠が私を魔法使いにしてくれたように、私が師匠の住宅ローン審査を通してみせるって」
「マドル……」
「腹は括りました。三十分だけ……三十分だけここで待っていてもらえますか?」
何をするつもりなの? そんな言葉を口にする間も無く、マドルは瞬間移動魔法の詠唱を始め、数秒のうちに二人の目の前から姿を消してしまった。残されたセレサと住宅ローン審査担当者はお互いに顔を見合わせ、眉をひそめる。そのまま時間が過ぎ、30分ほどしてようやくマドルが再び二人の前に姿を現した。
そして、マドルはセレサの前に、一枚の書類を叩きつけるように置いた。
「これって……どういう意味?」
「どういう意味も何も、そのままの意味ですよ」
セレサは自分の目を念の為こすり、もう一度目の前に置かれた紙の内容を確認してみる。しかし、何度見ても、そこには『婚姻届』という文字が印字されていた。
「師匠、住宅ローン審査の際、配偶者の収入を合算することができるんです。師匠の収入は確かに低いですが、私は大手企業の魔術顧問として働いているので、収入は高く、安定しています。師匠一人だと通らない審査も、私の収入を合算すれば通るでしょう。そして何より、この国では同性による結婚が何十年も前から認められています」
そこまで言い終わったマドルはポケットから先ほど買ってきた指輪を取り出し、そして、セレサの前に掲げた。
「師匠……いや、セレサさん。住宅ローン審査のため、私と結婚してくれませんか?」
セレサは驚きでポカンと口を開けている。マドルは師匠の手を優しく持ち、指輪を左手の薬指にゆっくりとはめていった。
「念の為言っておくと、審査が通ったら離婚するとかそういうことじゃないです。もちろん審査を通すための結婚ではあるんですが、何よりもやっぱり……」
マドルは少しだけ恥ずかしそうに頬を赤らめ、言葉を続けた。
「せっかくの庭付き二階建て4LDKですから、二人で暮らさないともったいないじゃないですか?」
*****
セレサとマドルは住み慣れた家の窓から、隣の土地に少しずつ家が建っていく様子をぼんやりと眺めていた。マドルはセレサの片腕に抱きつき、寄りかかっている。自分がマイホームを建てることもそうだけれど、まさか自分が弟子と結婚するなんて思ってもいなかった。カンカンと心地よい金属音に耳を澄ませながら、セレサは隣にいる元弟子であり、今は配偶者となったマドルへ視線を送った。
「師匠、忘れてるかもしれないですけど、住宅ローンは組んで終わりじゃないですからね」
セレサの視線に気がついたマドルが、セレサに対して呟く。
「住宅ローンを組んだ後は、住宅ローンの返済計画に則ってきちんと決められた額を毎月支払っていく必要があります。今回、現在建設中の家とこの湿地が担保として設定されているので、滞納が遅れてしまうと、これらが競売にかけられてしまいます。なので、収入源を増やすなど、今の生活を一から見直してみるのも必要ですね。あ、そうそう。まだ随分先の話にはなりますが、住宅ローンが完済できたら、きちんと抵当権の抹消をしておかないとダメですからよ」
「マドルの言う通り、住宅ローンは支払って終わりじゃないものね。だって、住宅ローン審査を通すため、マドルは私と結婚までしてくれたんだから」
「ええ、もちろん。審査を通すために仕方なく結婚してあげたんだから、頑張ってくださいよ。師匠」
実は結婚だけではなく、養子縁組でも同じようなことができたということは黙っておこう。マドルはそんなことを思いながら、セレサと共に、建設中の庭付き二階建て4LDKのマイホームを眺めるのだった。
※本作品はフィクションであり、登場する人物・団体・法律などはすべて架空のものです