98 カーフよ。お前もか。
ファクトはフードを深く被っていつもと違う講堂に向かう。
『宇宙構造学』。
大学生の学部である。
またあいつはよく分からない授業を受けているな…。とファクトは聞きながらその人を待つ。宇宙学は得意な方であるが、さすがに1から聞いていないと難しい。
「つまり、宇宙を理解しようとする前に、この世界全てを全体像として理解していないといけない。いつもの基礎だな。」
先生が、科学的な話から霊性の話に移った。
「そして、世界は多重性を持っている。基本形はあるが一つの形ではない。」
「人間の霊や心はどの世界に属する?世界は大きくは二重構造だ。そして、必ず回っている。二重構造がさらに二重構造を持っていてたくさんの連帯になっているんだ。
次元の歪みを物質の話だけで解決しようとするから、宇宙が遠のくんだ。そこを理解すれば、1千億光年であろうと何であろうと、宇宙から近付いてくる。」
その話はなんとくなくファクトにも理解できる。
よく見ると小学生のような子供もいる。この時代、それなりにぽつぽつと天才的な頭脳の子たちが生まれるからだ。母ミザルを思い出す。ミザルは小学校入学前には、厄介な公式も理解し、量子コンピューターの先を見ていた。霊性も高くぶ厚い聖典やその分書の内容を把握し、宗教指導者たちとも対話ができた。そして、園児の頃から子供より大人に囲まれた人生を送ることになる。
「はあ…」
ため息が出る。息のつまる人生だ。あの子たちは、そこまでではないだろう。ミザルはつかまり立ちと同時に言葉ができたような子で、12、3歳で教壇に立つような側にいたのだ。12歳には既に学校過程は済ませ、SR社にいたとかなんとか。
そして、授業が終わると。早速目的の人物をつかまえた。
「カーフせんぱーい!」
「………ファクトだったのか…。」
「そんなこと言っているって分かってたんでしょ?先輩いつもいないのに、しっかり授業を受ける日もあるんですね。」
「先輩じゃないから、やめてくれ。」
カーフは既に大卒修士を持っているがまだ勉強をするのか。
青空の下。
二人は校舎の屋上フリースペースで、買って来たハンバーガーの紙袋を地べたに広げる。
「あのさ、率直に聞いていい?」
「聞くだけなら。」
ファクトは早速聞きたいことを聞いてみたいが、切ない返事をされる。つれない。
「チコって、何人なの?」
「………。」
何で唐突にそんなことを聞くんだと言う顔だ。
「ユラスって混血が多いけれど、何かそれとも違う気がする。ユラスの血は入ってるの?」
「私も、全部は知らない。高校生にそこまで話しは入ってこないから。」
全然高校生ズラしていないのに、今更何を言う。
「ただ、バベッジ族の血は入ってるみたいだけど。」
「バベッジ?」
ナオスとオミクロンしかあまり聴かないが、そんな民族もいたなと思い出した。
ユラス人の中で最も少数で、最も奇人が多く、頭のよかった血筋だ。ナオスにも優秀な人間は多いが、バベッジ族は全体としてその頭の良さが群を抜いていた。
あくまで歴史書の中の話だが、バベッジ族はユラスがたくさんの息子を抱え分家した少し後の時代から、優秀な聖典正統家系のヴェネレ人を婚姻関係に迎えた。その当時は正統家系の兄弟民族自体がまだたくさんあり、長男でもなかったヴェネレは聖典の中心家系ではなかったが。
先を読み取ったのか、運がよかったのか。
聖典の正統家系の兄弟たちが争いをしていた時に、ヴェネレは異母弟たちを庇った。
聖典には書かれていないが、分典にはある一節がある。
『後にそれを知った父の心は慰められた』と。
そして、聖典の歴史から外れてしまっても、バベッジ族はヴェネレの正統家系の神の守りから離れなかった。ヴェネレが神から何か一つの祝福を相続したことに気が付いていたのだ。
科学が発達する前から、自然の道理、つまり科学のヒントが正統家系に与えられていると悟っていたからだ。
これから人類は回りに回って人本主義に流れて行こうとするのに、機関車もない時代から、バベッジは聖典を追えば科学が発展することを数千年も前から知っていた。他のユラス民族も知っていたが、最初の気付きは彼らだった。
そして、知識より力だった時代に、『知識』を選んだ。
「でもバベッジ族の子供はそこまで増えなかったし、分裂したんだ。」
カーフはユラスでは知られているバベッジの話をする。
バベッジ族同士だと増えにくいから他族と結婚する。それで、力のある他の家系はだいたい家に1人2人、バベッジ族の血統を取り込んだりするんだ。」
「何で増えにくいの?人数が少ないから近親婚とかしたの?」
「いや、さすがにそこまで少なくはないよ。単に女性も仕事、研究筋の人間が多いから、婚期が遅くて子供が増えないって聞いたけれど。混血が多いから、正統血統が保てないっていうのも聞いた。」
ユラス人は、従姉弟、叔父叔母ではまず結婚はしない。仮にそういう事があった場合は、次の結婚は別の民族を入れる。
親の兄弟はあまりに血が近過ぎる。それはバベッジ族も同じ。同じ根である近縁とは血を繋げない。ユラス人の体幹が大きいのは、近親婚を避けてきたのもあるのではと言われている。
「シャプレー・カノープスもユラス人?」
「……。」
何を聞いてくるんだ?という顔のカーフ。
「母親がバベッジとナオスの血だとは聞いているけれど…。さすがにSR社のことまでは自分も…。父親にもユラスの血はあるとは聞いているかな…。」
やっぱりそうなのか。
シャプレーの霊性は何色なのだろうか。紫やピンクが入っていたらもしかしてバベッジ族の色なのかもしれない。
「…今度、ロディアさんや婚活おじさんの霊性を見てみよう…。」
「え?この前の色の話?」
ヴェネレ人の色を見てみるのもいいかもしれない。今、ベガスには経済に関してヴェネレ人が凄い勢いで入ってきている。彼らにも霊性の色があるだろうか。
「…カーフは結婚しないの?」
「え?まだファクトと同じ歳だろ?」
「チコがカーフとレサトたちをさっさと結婚させたいとか言って、みんなのひんしゅくを買っていたらしい。」
「…………」
「族長長男やその周辺だと子供の時から婚約者とかでもいるのかと思った。」
「…さすがにこの時代にそれは……。」
こんな現代な男なのか。と、疑問に思う。そんな生き方していないだろ。
ユラス人は子供を残すことを優先させるので、基本軍に行く者は早く結婚をし、子孫がいる者を優先的に戦場に送る。
「………あの人にそんなことを言われたくない………」
「………」
あの人?
カーフを見ると、膝に顔を伏せている。
「………。」
「…もしかして、カーフもチコが好きなの?」
何となく聞いてみる。
「………。」
返事がない。
肯定でいいのだろうか?
「…なんでユラス人って、チコが好きなの?」
「……」
まだ返事がない。否定してくれ。
そのまま、後ろに倒れて寝てしまうカーフ。
「子供の時から憧れていたんです。」
肯定かーーーー!!!!
「すっごくかっこよかったから。子供にはやさしくて。」
「……。」
カーフでもかっこよさから憧れるのか。立派に見えても、理由はアーマーライダーに憧れるアジア人男子と同じじゃないか。一気に近親感が湧く。
「ものすごい強い人で、最初は顔も見せなくて男だと思ってたんですけれど。」
「チコの事、よく好きになるね。ユラス人は。」
「アーツにはいないの?」
カーフが横に転んで頬に手をつく。
「……アーツは多分チコを女性とは認識していないから…。」
みんなの名誉のために言うかどうか迷う。アーツの中でチコ、またはその手の及ぶ範囲は、去勢しか思い浮かばない。恐ろしくて近寄る気にもならない。そして、大房のオバちゃんとみんなに言われてから、それ以外の何にも見えない。
「性格も男だし。女性に例えてもオバちゃんだし。」
「ははは。」
「そんな畏敬の対象が、大房のオバちゃんになって、幻滅したりしない?」
「それはそれでおもしろかったから。」
「…。」
勉強熱心なので、アーツに大房のオバちゃん扱いされてから、カーフはそれも調べたらしい。バス旅行で飴や漬物を配るのは定番だ。聞くと、ユラスにも似たようなオバちゃん、おばあちゃん層はいるらしい。
「議長は議長で尊敬しているけれど、このまま離婚するのかと思ってた。」
カーフよ。お前もか。
「あのさ。議長がかわいそうだから、子供たちくらい二人を信じてあげてよ。」
やはりカーフは全部知っていたのだ。子供世代だけでも純粋に議長夫婦を応援してあげてほしい。たとえ中身がどうであろうと。
「まあ、どっちにしろ自分はチコ様の中ではファクトと同じ枠だから。弟?甥っ子?」
お互いしばらく黙ってポテトを食べる。
最近はすっかり大人に見えたけれど、じっと見るとカーフはまだ子供っぽいところもある。
「大人たちみたいに、拗らせて40近くなっても待ってるとかしないでね。チコは使命に生きる人間だから、必要なら結婚相手がサイテーの人だとしても目的を果たすまでは、それを貫くよ。」
と、一応アドバイスしておく。
「はは。」
そう笑って、カーフは起き上がる。
「あのさ、この前の色が見えるっていうの。教えてよ。」
「うーーん。」
他の霊性と同じで、集中すると見えてくるので方法なんて知らない。多分自分の特性だろう。
昼食のゴミを袋に全部入れ、胡座をかいて向かい合う。
「集中して、その力や、その発現が何かを知りたいと思うんだ。その人とか。」
「………」
「正直言うと、全然分からないけれど、チコから光が見えた時に、その光が何なのか知りたいって思ったんだ。」
「光を発することに関心があったわけでなく、それが何か、知りたいって思ったという事?」
「それくらいしか他との違いが分からない…。」
先の教授の言葉も思い出す。
『次元の歪みを物質の話だけで解決しようとするから、宇宙が遠のくんだ。』
一瞬で宇宙を越えられるもの。それは霊性なのだろう。
『宇宙から近付いてくる…。』
なぜ宇宙は存在するのだろう。
なぜ神は宇宙を作ったのだろう。
神は何を愛したのだろうか。
神は…
人間を最も愛したのだ。
そして、神と同じ性質を持っているから、好奇心旺盛の人間を万物は愛するのだ。
だから、人間が意識した場所に万物はその存在を表す。
宇宙が人間に反応するのだ。
と、ダーオの首都にあったトーチビルを思い出す。あそこから見えた光…。
チコ?そうでないなら誰だろう?
あなたは誰?
人や力の残像?サイコメトリーだろうか?
なぜチコと同じ光が?
バン!
その時、何かが弾ける。
トーチビルが一気に近付く。
いる。チコが?
ファクトはガバっと立ち上がる。
「チコ?」
「?!」
カーフが不思議な顔でファクトを見上げた。
「ごめん!ちょっと用事思い出した!」
「は?」
「少し出掛けてくる!ゴミだけ片付けとくね!」
「ちょっ…」
そう言って3階上の屋上から、所々にある突起伝いにそのまま地上に飛び降りる。カーフが屋上から地上を見ると、既にどこかに走って行ってしまい、唖然とその姿を見送った。
この時カーフはまだ学んでいなかった。
ファクトの思い付きは、いつも突拍子がないという事を。