30 抱えきれない宿題
ロディアは迷っていた。
大事な話をしたいのだが、サルガスを家に呼ぶとあからさま過ぎるし、自分の自宅は女子専用のヴィラである。サルガスは他の男子と寮にいるし、家には父もいるので帰りにくい。外で話す話でもなく、そんな度胸もない。
いろいろ考えた挙句、ロディアの中ではギリギリの選択で、都心の個室のある飲食店に呼ぶことにした。
「ごめんなさい、初めてのお食事がこんなお店で。」
「あ、はい…。」
周りを見渡して、驚いているサルガス。
高い天井。シンプルなシャンデリア。
それは都心の一等地にある、ホテルレストランのVIPルームであった。ロングTシャツやジーンズ、スニーカーのスマートカジュアルでもいいとのことだが、平日にわざわざ帰宅して着替え、そんな恰好で出て行ったら、うるさいアホどもにすぐに餌食にされそうだ。なので、サルガスも朝からギリギリのカジュアルスタイルで仕事場からそのままお店に来ていた。
丁寧に個室に案内される。
「あの、調べたは調べたんですけれど、ゆっくりできる個室のあるお店って、こういうところしか思い浮かばなくて。親戚の若い子たちが来た時に食事をしたお店です。もっと街中にあるようなお店は雰囲気が派手だったり、キラキラし過ぎて…。」
父が食事をするとき、人数が多かったり、込み入った話をする時は、よくVIPの個室を取っていた。
店員が入室の際も非常に気を配ってくれるし、コース以外もあるのでゆっくり話ができる。が、それなりに高いのでロディアが全額払うと言ったら、サルガスは最初くらい奢りたかったと言っている。こういう店で割り勘する客はいないし、後で食事代か部屋代を貰うのも生々しいので、サルガスに払ってもらうのは断った。父から無理に押し付けられたお見合い用のお金があると説明したら、さすが婚活おじさんと笑っている。
「初めくらい」という男性の気持ちに配慮がなかったし、最初くらいもっと楽なお店で軽く話せればよかったのかと申し訳なかったが、ロディアの中ではこの山を越えなければお付き合いは無理であった。
最初は普通に食事をする。
「本当に、突然ですみません。もっと軽くお食事でよかったですね…。まだ2人で軽食もカフェにも行ったことがないのに、突っ走ってしまいました。」
「…大丈夫。お見合いと思えば。」
サルガスは笑っているが、呆れられていることだろう。ベガスも大房も、立場の高い人間以外は、日常生活からのもっとフラットな所から関係が始まることはロディアもなんとなく知っている。父が介入しているわけでもないし、同じ状況なら父でも最初のお付き合いは相手の生活に合わせる事だろう。
日常の話をしてドリンクとつまめるデザート、それからスナックなどアラカルトでお願いした。
「………。」
「……ロディアさん、こういうお店に呼んだのは?理由があるんじゃないかと。」
「あの、気になっていたんですけれど、もし私が子供が作れない身だったら断っていました?お子さんはほしいでしょ。」
「…………正直に言えば、本当のお見合いだったらそうかもしれません…。紹介文の時点でそいうのはあり得ます。」
言葉は躊躇しているが、そこははっきり答える。まだ若いし、当たり前の感情だろう。
子供を作るには今のところ問題がない。でも、この体で妊娠したらどうするのか。トイレだって普通に行けなくなるかもしれない。それに、子供が自分のように生まれてくるのか心配になる。ロディアは先天性だった。
「でも、顔も知っていてちゃんと会って話して、いいと思ったからお願いしたし。」
「…………。」
「ロディアさん、全部ハンディにしないでください。前にも言ったけれど、どっちにハンディがあるかなんてまだ分からないことも多いから。」
「はぁ……。」
恥ずかしいロディア。紛争の被害者、難民の女性や子供が先に送られてきたこともあり、ベガスにはとにかく女性が多いし、北ユラスの女性は背も高く頭もよく美人が多い。その中で自分の何がいいのかよく分からない。
「他には……?」
「へ?」
「個室が必要だったわけは…」
「……。」
そこでロディアはさらに弱気になるが、勇気を出した。
「…足を見ていただきたくて…。」
「足?」
「はい、足です。」
「結婚まで考えるなら、やっぱり知っておくほうがいいかも…と。」
「………」
静かに手動で車椅子を動かし、食卓で向かい合わせの位置からサルガスの横に移動させた。
ロディアはいつもロングスカートを履くか、膝にショールを掛けている。車輪などに引っ掛かると危ないのでやめるとうに言われていたが、足を出す勇気はなかった。なのでサイドに巻き込み防止のガードを付けている。
お互いに静かになる。
「………。」
「ロディアさん。無理しなくていいですよ。まだ…。」
「後でいろいろ思われるより、イヤなら最初に断ってくれた方がいいので。」
「…………」
「重い女と思われるかもしれないけれど、自分の気持ちがサルガスさんに固まってから嫌がられるのはもっと嫌です。」
ロディアの顔が完全に沈んでいるが、言いたいことはそれだ。
「足が悪いのは分かっての事だから……。」
サルガスはそう止めようとするが、後であの健康美あふれる人たちを選べばよかったと離れるくらいなら、今、ロディアは終わりにしたい。
戸惑いながらショールを避けると、そこに真っすぐ伸びる足はなかった。
かわりに少し曲がって、無理に靴下を履いた右足は足先に行くほど小さくなるつま先がある。左右曲がり方も大きさも違う。下を向いているロディアの前に行く。
「…………。」
叱られて泣くのを我慢しているような顔だ。
「………」
「…ロディアさん。大丈夫ですよ。大房やベガスにも足の不自由な人はたくさんいるし、大房なんてそれでスポーツする人もいるくらいだから。」
下を向いたロディアが突然口を開く。
「…私、本当は歩けるんです。」
「…歩ける?」
どう考えてもこの足では歩けない。歩行器など使うという事だろうか。
「勇気がなくて…。」
「………」
「歩こうと思えば歩けるんです!」
「……。」
「ずっと勇気がない、人のアドバイスを聴けない子供だと言われてきました…。」
「………ちょっと待って。よく分からない。」
「将来自立したいなら、結婚したいなら覚悟を決めなさいと言われてきました。でも、勇気がなかったんです…。」
よく分からなくて、ロディアの話をロディアのスピードで聞くことにした。
「…義足を付ければ歩けると言われました。」
「……。」
そう言ってから、左足の靴下を取って足先を出す。左足はそこまで変形していないが足が横向きだ。
「こっちの足は小さい頃に矯正したんです。」
そして、右脚は靴下を脱ぐと小さく丸まった足先が出て来た。左右比べると足の長さも違うし、まとまりも違う。
大房スポーツをしている人間なら、この足のままでも義足を付けるかもしれないと、サルガスは思った。ただ、奴らの精神力とバランス感覚や体力筋力は、ロディアのようなタイプの一般人に通用する話なのかは分からない。
その脚を軽く擦って話を続ける。
「私の足なんです……。」
「私の足………」
復唱してしばらく沈黙が流れる。
「義足を付けるには切らなきゃいけないんです。」
「……。」
意味が分かったサルガスは、ロディアの顔を見た。
「おばやおじたちが結婚のために、相手のためにも義足にしなさいって…。子供の頃から言われていて…。」
「でも、それでもこれは私の足で…変形していても私の爪で…。曲がっていてもそれ以外で不健康なわけでもなくて…。」
「…ロディアさん…。」
「母さんが私の足は大事な体の一部で大好きだよって言ってくれて…。」
ロディアの目が潤んでくる。
それは亡くなったロディア母が遺した娘への重い宿題だった。
ロディア母は足が曲がって生まれた我が子に、まずそのままの我が子を肯定する言葉をたくさん贈った。
「この全てがロディアで、全部愛していると。」
そして、それは母にとっても未来への大きな課題だった。
将来足をどうするのか。
この子に、今、手術をして歩ける世界をあげるのか。
それとも、この足と共に過ごし、自分で決意をした場合には義体にしてあげるのか。
ロディアの家には、子供の頃から成長に合わせてメカニックの義足を作り変えていくお金も十分にある。心が足踏みしてしまうので、物心着く前に施術に踏み込むべきか。
曲がっていても自分の足の感触を記憶に残させてあげるべきか。
足を残すことを決めた両親は、大きくなっていく娘とたくさん話をして、たくさん悩んで未来を決めることにした。
けれど、ロディア母は愛と肯定の言葉だけ残してこの世を去ってしまった。
当時、仕事に追われ、母を失ったショックで塞ぎ込んでいたロディアとどう向き合っていいのか分からなかった父は、安心するだろうと夕方は妻に似た母方の伯母にしばらく娘を任せた。ヴェネレでは珍しくない風習だ。
しかし、その伯母が一周忌を過ぎたころから、もう大丈夫だと義足にすることを勧めたのだ。
まだ小学生だったロディアは混乱した。伯母の家も老後を想定した大きな家でバリアフリー完備だったので、訪問には問題がない。でも、将来の為にそうしなさいと言われた。これからの高等教育にも有利で、結婚にも必要だと。
母が愛してくれた足、母からもらった体。
そして、母がいなくなってから露骨になった同世代からのイジメ。
施術をするにしても、隣りにいてくれるのは母ではないのだ。手術やその後の長いリハビリ。義足の付け替え。とてもでないけれど越えられそうにない、耐えがたいことで子供には酷だと分かっていたが、がんばりなさいと。
そして、もう1つ厄介だったのが、これが母方の伯母だったことだ。ロディア父も1年間娘を見てくれた義姉には、自分の親族のほどには強く言えない。
情緒不安定になったロディアは、カウンセリング途中で今手術をすべきでないと医師からの診断が下るまで、長く地に足がつかない思いで生きてきた。医者にやめなさいと言われ、あれほどホッとしたことはない。自分で選択しなしなくていいのだ。
「事故で足を失った、ロディアより小さい子が義足を付けているのに。」と、気が弱い仕方ない子とレッテルを張られているのも知っていた。
でも、既になくしてしまったものを補助するのと、あるものを切ってしまうのは違う。体温だって感触だってある。でも、この感覚を他人に表現できる力がまだ幼い子供にはない。
悔しくても辛くても、まだロディアの中には決定できる選択は何もなかった。
母が遺した宿題は、子供が抱え込むには大きすぎたのだ。
「…勇気がなかっ…伯母の言う事も…ううっ…」
遂にロディアは泣き出してしまった。
「………うう…」
「……。」
幼い頃の事は18歳の誕生日に父から聞いたのだ。
十分なことをしてあげられなくてすまない。これから自由に選ぶんだ。どの選択でもずっと助けるからと。
「ロディアさん…。」
ロディアは涙を拭く。
「…ごめんなさい。泣くつもりはなかったんもだけれど。このままお付き合いを続けるかは、気にしないでサルガスさんの好きに決めてください…。私のせいで無駄に不自由なこともあるだろうから…。」
「………。」
サルガスはじっと考えているようだった。




