20 ユラスの激情
フォーラム主催側からの最終打ち合わせも済み、夕方アーツは現場で忙しすぎて頭が回らなかった大事なことに気が付く。
「あー!忘れていた!ネット中継とかある!!」
「ぜってーイヤだ!」
様々なフォーラム、シンクタンク、ディスカッション、シンポジウムなどは基本中継されるものらしい。しかも、ネット上での討論などもあると。
なぜ世界に顔出しせねばならんのだと嫌がる下町ズ。真面目、高学歴の人間に並べられて、自分たちのアホ面を披露するのだ。絶対に嫌である。
「安心してください。VEGAは担当者以外顔出ししませんので、アーツも全部そうしておきました。メイン討論も撮影NG席です。」
裏の仕事…というのもおかしいが、顔が割れ過ぎると困る職種の人間も多いため、一般公開席とそれ以外にも分けているらしい。VEGAや一部組織は機密、軍関係の人間も多いので別にされる。だいたい、自分たちは下手をしたら聞くだけの人間だ。寝てしまって、居眠りする政治家扱いされるのも目に見える。
「サラサさん有能!」
シグマがグッドをした。ちなみにサラサは完全裏方である。
チコもどうにか持ち直して、突如連絡があった河漢民の対応に行こうとしていた。以前、交渉という接触をした組織から会いたいと。
「こっちは任せていいか?」
「どうぞ。」
サルガスが、明日のアーツ事業内容の説明を読みながら返事をして気が付く。
「…交渉?脅しじゃないのか?」
リーダー勢は河漢のあの襲撃集団をどうにかしたことだけは聞いているのだ。
「こんな時間に?気を付けてくださいねー。」
「お前ら早く寝ろよ!絶対明日会場で寝そうだからな…。集団で寝るなよ。寝るならせめて一人だ!」
「わっかりましたー!」
「一人も寝ないでください。」
サラサが怒っている。
そしてこちらは、チコを始めとするユラス勢。
「フェクダ。カウスを呼べ。」
「チコ様、カウスは連れて行かないんじゃなかったんですか?」
「今日は壊すもんないだろ。」
「何か仕掛けてたら?」
「全部ぶっ壊せばいい。」
何か知らないがまた物騒なことを言っている。あの人ユラス関係以外は超元気だな、と思うアーツ一同。カウスが何かぶっ壊さなくても、結局チコがぶっ壊すのである。
とミーティングルームを出て少しした時だった。
何かを叩く音がして誰かの引きつるような悲鳴が上がった。
驚いてアーツが顔を出すと、午前中にいた美女の一人がチコの前に立っていた。このシチュエーションは…と思ったところで、2発目がチコの頬を鳴らした。
「あなた何のつもりなの!」
そして恐ろしいことにあっという間に3発目と4発目が往復する。
その女は動かないチコの襟首を掴みもう一発入れようとしたところに、別室にいたマイラが女の手を止めた。室内で駐屯に仕事の確認をしていたフェクダも慌てて出て来た。
他の部屋からも人が覗いてくる。先の悲鳴はこの女の付き添いの女性だった。午前のもう一人の女性も少し離れたところで、この二人のやり取りを見て鼻で笑っている感じだった。
「何?離しなさい!!」
マイラに食って掛るうちに、マイラはチコにここから去るように言った。
「チコ様、行って下さい。」
「卑怯者!どこまで逃げるの?!昼はさぼって、やっと見つけたと思ったら!」
赤い顔のままチコは女に顔を向ける。女の名はソライカ。
「マイラ、いい。離せ。」
「何言ってるんですか?この場を離れてください。ユラス以外の人間もいます。」
「いい、離せ。」
マイカが仕方なく手を離した。
「10分だけ時間を取る。別室で話そう。」
「ふざけないで!あれだけ議長の面目を潰してこんな贅沢なところで遊んでいるなんて!今だって世界では水もないところで苦労している同僚がいるのに!!あんたはなんなの?!」
タウがムカついて間に入ろうとするが、サラサが止めた。
「介入しない方がいい。長老院の長ところの娘さんだから面倒事になる。」
「だからって、あんなのおかしいだろ?」
親族の権威でユラスはこんなことを放置するのか。
「お前が水のない地域に行けばいいだろって感じだよな。来んなよ、ここに。」
シグマも加勢したいが、事を大きくするなと言われしぶしぶあきらめる。
「話すと言っている。向こうに行こう。」
「そう言って逃げるクセに!何年逃げたの?!あんたの言葉なんか信用に値しない!!」
「ソライカ様やめて下さい。」
マイラの言葉にソライカは睨みつける。
「あなたも何?家門を言いなさい!あの女に懐柔されたの?地方軍を味方に付けて、国を引っ掻き回しやりたいことを好きなだけしてきたあの女に!」
興奮しているようで、共通語とユラス語が混ざっている。地方軍とはオミクロン族中心の部隊や北のカーフの故郷の軍などである。
「ソライカ、落ち着け。ここではだめだ。」
「もうあんたに名前なんて呼ばれたくないわ!今になって逃げるなら、もっと早く逃げればよかったものを!!」
廊下に出てきている何人かのユラス人が、誰が動くか目配せしている。
が、打ち合わせに来ていたファイが、もう一発叩こうとしたソライカに反応して前に出た。
「やめて!!」
とチコの背中に抱き着いて腰を引っ張る。倒れはしないが後退りした。ソライカの手はまたマイラに拘束され、チコは顔だけで後ろを確認する。
「ファイ…」
「なに?何も知らない外国人を取り込むのね?その女、議長だけじゃない!いろんな男を垂らし込んでるのよ!アジアでも何をしてるんだか!!」
ユラス人の間ではどうだか知らないが、ここでチコに女性として手を出そうとする強者はいない。女性枠に入っていないし女帝でもなく超帝王なのだ。
「それで自分は悪くない、みじめだって顔するのね!偽善者!!」
「ソライカ、話そう。」
「マイラさん、捕まえてて。その女!」
ファイが全てを遮った。
「チコさんは用があるし、こんな話、全部が終わった週明けにしなさいよ!こんなこと、たとえ偉い様でもアジアでは暴行罪、侮辱罪だからね!」
とチコを引っ張る。動かないのでもう一度言った。
「行こ!!」
不器用にチコを押すファイ。
少し先で見ているもう一人の女にもファイはガンを飛ばして、騒ぎを聞きつけて来たカウスの所までチコを連れて行く。
「カウスさん!」
「総長、顔が…」
「大丈夫だ。」
「今日はやめますか?河漢。」
「いい、行く。いつ気が変わるか分からない相手だ。話が来た時に行った方がいい。」
「…熱いですね。湿布だけでも貼りましょう。」
カウスはチコの頬に触れて申し訳なさそうな顔をした。チコの横を離れたフェクダも謝っている。
「カウスさん。チコさん、お願いします。」
「ファイ、ありがとう。」
掛けて行く3人を、ファイは見守った。
「ほらあの女!男に顔を触らせて!!」
ソライカはマイラともう一人に拘束されて、離せと叫んでいる。しかも痴漢扱いまでされてマイラたち、哀れだ。
「…すごいですね。ウチの親父並みに強烈な人たちがたくさんいるんですね。」
イオニア兄のゼオナスが感心している。ゼオナスはチコの事もあまり知らない。あれだけされて動じもしないとは。
みんながサラサに質問する。
「あの女性、VEGAユラスの人なんですか?」
「まさか。ベガスを見に行くと言って別で来た人たちです。」
「スゲーな。」
「…入出許可を与えないでください。」
「な、ウヌク。ユラス人怖いだろ?絶対響さんに手出すなよ。チコに殺されるからな。」
「……。」
「俺ら、今までめっちゃだらしない、ひどい人間扱いされてたけど、ユラス人より普通でまともな気がする……」
「チコさん大丈夫かな…。」
普通の人なら心身ともにおかしくなっていることだろう。
「あれは絶対腫れるよ。」
「パイよりすごいな。」
「パイでも2発以上は叩かないだろ。」
ソアやイータ、そして第2弾の女性陣も心配している。
「スゲー。興味なかったけど、これが大房のオバちゃんが愛してやまない、昼ドラや夕ドラ、深夜ドラとかいうヤツか…。」
地域によってはなぜか子供のいる夕方からドロドロドラマを放映している。
「え、俺。自分もここでそのまま結婚できないかなーとか思てったのに……。このドロドロ世界はベガスに絶対持ってこないでほしい。」
西北アジア人はライたちのように真面目で性格のいい子が比較的多いので、もうここで結婚していいやん?と思っている男はけっこういるのだ。でも、今みたいなのはごめんだ。やはりユラス人は恐ろしすぎる。
「チコ…、明日動かない方がいいんじゃないか?」
サルガスが心配そうにサラサに言った。
「顔が腫れている可能性はありますね。あの容赦ない叩き方。」
タウはかなりキレている。
「ユラスはどこもあんなふうなのか?」
「そんなわけないです。でもそういう人もけっこういるのは確かかな。ユラス人は極端というか…。怒らない人は本当に怒らないし…。ソライカも2年前まではもう少し普通だったのだけど、周りにいろいろ吹き込まれてるから…。
それにタウ、大きなことをしているとああいうことにもそれなりに遭遇するから、自分を押さえる力も付けなさい。」
「でも…。」
「チコはあんなことだらけだったのよ。止めるのが遅かったのは否めないけれど、相手が悪い…。下手に手を出したら今度は現地でチコを貶めるから。行動の事でなく、怒りの事。怒りを収めなさい。」
「…。」
納得がいかない。
「そんな顔しないで。その代わりユラスにはそれなりの埋め合わせはしてもらうから。ここは東アジアでチコはここの国籍も持っているアンタレス市民だからね。」
みんな、「そりゃあチコ、ユラスに行きたくないだろうな…」と思うのであった。
そして、この場にファクトとムギがいなかったことに心底ほっとした。
とくにムギがいたら、内紛勃発であっただろう。