9 初めての大房
金曜日の夕方。
響とファイは、早めに仕事を切り上げて、買ってきたプレゼントを抱えて大房に来た。
「ここは表通りより少し裏に入った所。ミラみたいにきれいじゃなくてびっくりするでしょ?」
雑踏とした街並み。ファイが少しすまなさそうに言うが、響としては全然である。
「ううん。アーツのみんな、あまりにいろいろ言われるからもっと荒れてるのかなと思ったけど、整備もきちんとされてるし…。」
響は、西アジアを中心に、漢方や植物に関して未開や発展途上の街も回っているので、箱入り娘と言っても実はかなり生活力がある。風呂に入れない土地で薬屋を手伝ったこともある。大人しく箱に入っていないどころか、自分でお気に入りの箱に改造してしまうタイプなのだ。お湯どころか水さえも貴重な地域にも赴くのだから、実はアーツのメンバーなど屁でもない生活チートである。
水洗の公衆トイレも無料、並木道もキレイ。毎日シャワーができる大房はそんな響から見れば、思ったより普通なところだ。ただ、歩く人々はちょっとヤンキーっぽい。
「アストロアーツ行ってみたい?」
「うん!」
「あれ?ウヌクが抜けて今誰が店長だっけ?」
ファイは思い出せないが、ヴァーゴのじいさんは継続して隣接の整備屋をしているのでいいだろうと、アストロアーツに行ってみた。
街のやや開けた場所の一本裏。ジャンクな佇まいの平屋の裏に、シャッター式の倉庫や事務所がある。
「おじさん!」
「おお!ファイ!元気か?」
「うん。修了式以来だっけ?」
それから響を紹介した。前にアーツの修了式などに参加しているじいさんだ。
「こんにちは。お顔だけ知っています。」
「あの中にいたの?」
「はい。おじ様とお話はしていませんが…。」
「こんにちは。こんなかわいい娘さんがいたんだ!おじ様とかテレるな!」
ヴァーゴ祖父は見た目だけなら、ベガスの軍人のようである。
「今あっちは誰が店長なんですか?バカらしくてもう店長不在とか?」
なぜか店長になると、一期を境にベガスに行ってしまう。
「ベガスに行くとみんな格闘術習いたいってあっちに行ってしまうからな。今回は文系を持って来た!」
じいさんは得意げに言って、二人を裏から食堂の方に連れて行った。
すると、茶髪に茶色い目の普通の好青年が、見慣れたカウンターの中にいる。
「ジジェ!なんか食いもん出してやってくれ!」
「こんにちは。」
女子二人挨拶をする。ファイの知らない人であった。
「前の店長たちの知り合いだ。」
「ああ!こんにちは。何がいいですか?何でも出しますけど。」
「これから誕生会に行くので、お茶だけでいいです。」
「そう?残念だな。」
「ウヌクとか誰かのお知り合いですか?」
「いえ、違います。住まいはここじゃなくて、学区もこの辺ではありません。」
ファイ、これなら事あるごとにやめて、いつの間にか全体店長になってしまったじいさんを困らせないだろうと安心する。
「…。」
しかし、青年。少しおめかししたロングストレートの女性に見入っている。なんというか、やはり響を見ていたのだ。響は響で、店内を見入っている。
マジか。またこのパターンか。
めんどくさいから早く終わってくれ。響さんのモテ期。
「お!ファイじゃん?」
「あ、お久。」
「お前あれから大房出て何してんだよ。俺にもいろいろ教えろよ。知ってる奴がほとんど戻って来なかったり、忙しくて会えなかったりしてさ。あの移民のベガスにいるってってマジ?」
「マジだよ。でも大房議員がこれ以上若者を連れて行くなって言うから、私からは教えない。」
「なんだそれ!シャウラもウヌクも何してんだよ。」
客の中に顔見知りがいて、そしてやはり少し離れた所にいる響の事を言ってくる。そこまでの仲でもないのにこういう時はうるさい。
「誰だよ。紹介しろよ。」
響は少しキツめで万人に好かれそうな美人顔ではないが、取り巻く空気が何だかキラキラしているのだ。
ホント面倒くさいと響をじいさんに任せ、声を掛けられた数人と少し話をしてさっさと店を出た。
「店長さん、今度リゾット食べに来てくださいって言ってた!」
響の笑った顔が、しっとりした大人にも見え、妙にかわいくも見え、これは惚れると思いながらも早く女の園に連れていこうと引っ張る。
「リゾットなら、サルガスかシャウラにでも作ってもらえばいいよ。歩いて20分くらいかかるけど、荷物もあるしタクシー乗る?」
「ううん。歩きたい。」
倉鍵のように洗練されてはいないが、なかなかいいところだ。
「あっちの方に行くと、メカニックのジャンク屋が揃ってる。ちょっとおじさんくさい通り。向こうは商店街。お店のオバちゃんが話しかけて来てしつこいよ。」
「ふーん。楽しいね!今度行きたいな。」
「そう?」
「うん!卸し市場や商店街大好き。」
二人で街並みを見ながら歩き、さらに裏に入った三階建てのアパートにたどり着いた。
オートロックのエントランスを開けると、ファイは慣れた様子で玄関まで行き、インターホンを鳴らしながらも、待つこともなく勝手にキーを開けて入って行く。
「こんにちはー。」
「おーーー!!!」
「ファイ!来たか!!」
「ファイ姉!」
10人ぐらいの女子と、数人の男子がいて、かわいい女子たちがみんな抱き着いてくる。
「フェルミオさん!」
「ファイ!」
背の高い少し褐色肌の女性の名を呼ぶと、その女性もやって来てファイを抱きしめた。恐ろしいことに、小さいとは言っても子供ではないファイを両腕で抱き上げてしまう。
目を丸くする響。
「えっと、こっちがタラゼドのお母さんで、フェルミオさん。」
「こんにちは。初めて見る子だっけ?」
「あ、ママーごめん!私聞いてたんだけど、言うの忘れてた!大房に来てみたかったんだって。ファイ姉のお友達だよね。」
妹ルオイがリビングから叫び、ファイが紹介する。
「私やタラゼドたちの近くに住んでるの。大学の先生。」
「こんにちは、響と言います。」
礼をすると、みんなが寄ってくる。
「うわー!ステキなおねーさんだね!先生なの?私ルオイ!タラゼドの妹です!」
「私はローア!こいつの姉です。長女です。あっちで手をあげてるのがリオラ。次女!」
向こうを見ると、みんな手を振っていて誰が妹か分からない。
ムギの家を思い出すが、ここにはチビッ子は4人しかおらず、年齢層は高い。聞けば、だいたいみんな20は超えていて、3人はタラゼドの妹、他は友人や親戚、その子供たちらしい。
パイの如く妹たちはタイトパンツ。中には大き目トップスを着て、下を履いているのかと二度見、三度見してしまう子もいるが、ホットパンツをはいているらしい。ピップも上がっていて目のやり場に困る。スマホをいじっている2番目リオラは細身長身でモデルのよう。背が低めのローアと背の高いルオイは、先ファイを持ち上げた母に似て、筋肉のあるしっかりしたスタイル。
「これ、プレゼント代わりのお土産です。みんなで食べてください。」
日暈の駅ビルで、買った紙袋をいくつか渡す。
「おー!高そうなスイーツやパンだ!!」
「なにこれ!めっちゃうまそう。チーズドックだよ!」
料理がいっぱいあったら申し訳ないので、日を持ち越せるものをたくさん選んだ。
「タラゼドさん甘いもの好きじゃないし、お母様がお好きって聞いたので、サーモンと生ハムも買ってきました。」
「えー?!なに?わざわざお兄に気い使ってくれてるの?!すごーい!!」
「お母様って!『様』だよ?!ちょっと、ママ!どーすんの?!」
「お兄は出されたものなら何でも食べるからいいのに!」
「ちょっと、響さんはあんたたちと違って、おもてなしも仕事だから心遣いが違うんだよ!」
「先生仲良くしよー!!」
あっちこっちから言われて響は恥ずかしくなる。初めて行く家の初めて会う方の誕生日なので気は遣うに違いない。だが、従弟と思われる男子も、「…様…。」と、なぜか様に反応している。響の世界では様はお客だけでなく家族にも普通に使う。
「大房って混血が多いんですか…?。」
ロディアではないが、パイやユンシーリを始め、女性も体格やスタイルがよくて驚くしかない。
「大房はね、けっこうサウスリューシアの血が入ってるんだよ。ラテン系だからね。」
ファイが答え、フェルミオが続く。
「前時代に工場や倉庫、地方の農家に働きに来て東アジアに定着した人たちが入ってるし、黒人との混血もそれなりにいるから。うちも祖父母が黒人やラテン系の混血なの。」
「…そうなんですね。」
サウスリューシア大陸にはもともとは東邦系の移民が多かった。その移民子孫の混血世代が東アジア地方にUターンして、大房にも入っている。現在アジアはノースリューシア、ウェストリューシア並みに混血が多い。
そこに帰って来た面倒くさそうな男。タラゼドである。
「ただいまー。」
「うわー!マジ帰って来た!!」
「1年以上帰ってこなかったのにそれだけかよ!」
「うるせーな。服や荷物取りに来ただろ。」
「会ってないし。」
「アイスとチーズと酒。買ってきてやったぞ。」
騒がしい数人の女子たちが、タラゼドの持っていた袋を奪っていく。
「ちょっと、お兄。このアイスじゃないって。ドーバだって!」
「買ってもらったのに文句を言うな。」
「タラゼド、お帰り。」
フェルミオが軽く抱擁する。
「ああ、元気?」
「もう少しこまめに帰ってきてちょうだい。」
この親子はタイプが似ているのか、起伏が少ない。長女末っ子、他の女子が騒がしすぎるのか。
「…。」
そこでタラゼドは目が合ってびっくりする。
目の前のロングスカート。
「…?なんで響さんがいるの?」
「あ、はい?!ごめんなさい!」
思わず謝って、少しドキドキする。
「なに?メールしたのに知らないの?」
「は?ファイ、お前電話の時に言えよ。メールなんていつも見ないから。」
行政の緊急速報が多すぎて、仕事関係以外、全部は見ていないのである。
「あの、ごめんなさい…。」
「あ、いいよ。びっくりしただけ。」
だいぶ分かって来た。タラゼドがびっくりしただけなら、本当にびっくりしただけなのだろう。他意はない。
「もうご飯食べちゃおうよ。お腹すいた。」
そう言う頃に、デリバリーの追加が来る。子供が多すぎたこの家は、これまでも作る余裕などなくパーティーはほとんど出前だ。数品手作りのカナッペなどあり、そこに響の買って来たサーモンをカルパッチョにして足した。
「響さん、お兄にも気ぃ使って肉系買って来たんだよ!」
妹分たちがとにかくうるさい。
「では、皆さん。とりあえずお食事しましょ。ママ、おめでとう!!」
タラゼドママやファイは教会のゴスペルチームでもある。短く誕生の感謝の祈りを捧げ、乾杯をしてからまとまりなくざわざわと食事をし出す。ルオイは母の頬にしつこくにキスをして引っ剥がされていた。
ファイや何人かがプレゼントを渡し、フェルミオがハグをする。
タラゼドと言えば、待って。と言って、お金を送信していた。
「…なんかさ、味っけない男だよね。」
「還暦祝いや遠くの祖父母や年老いた親への仕送りや挨拶じゃないんだからさ…。」
「金が一番いいだろ。」
一応、AIに母へのお祝い付けといてと言ったせいか、送信を受け取るとタラゼドに似合わないかわいい動物キャラが「わーい!お母さん。お誕生日おめでとう!」と一封送る動画が流されていた。
持ち主を理解していないAIである。
久しぶりの空間に、妹たちに囲まれて嬉しそうなファイ。
そんなファイを見るだけで、響は嬉しかった。