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そのさん

 二日後、俺は中村家とかかれた矢印を追いかけて、徒歩で会場に向かっていた。


 事情が事情なだけに、こじんまりとした斎場を選択したのだろう。

 こんなところに斎場なんてあったのかと思うほどの小さな会場だった。


 在学中、美保は実家から大学へ通っていたため、地元も両親もこの辺に住んでいるのであろうと予想はついていた。


 葬儀は11時からだったが、いつものように早起きをしてしまった俺は、通勤電車に喪服で揺られて、その辺をプラプラしてから9時頃には、会場に着いていた。


 催事場はそれでも慌ただしく準備をしており、待合室には親族の方が数名下を向き、泣いていた。


 彼らに会釈をしながら通りすぎ、俺も待合室の端に座る。

 勝手に来客用のコーヒーを注ぐと、時間までゆっくりすることにした。



 もちろん、不思議な光景だっただろう。

 親族でもない者が、美保の葬儀に来ているのだ。葬儀場の大きさからして、きっと本当に近しい人にしか知らせてない筈だから。



 一人の女性がこちらに寄ってきて頭を下げた。


「美保のお友だち?」


 その声を聴いただけで、女性が美保の母親だと確信できた。


「はい、大学時代の友達で森田貴司といいます、偶然ニュースで美保さんの訃報を知り、お花だけでもと寄らせて頂きました」


 俺はとっさに大学時代の友人の名前を口にして、偽名にした。


「そうですか、美保も喜ぶと思います」

 深く頭を下げながら母親が言う。


「しかし、卒業してからあまり会うことがなかったので、なんでこんなことになったのか」


 自分でも信じられないことだが、演技ではなく涙が溢れてきた。

 急いでポケットからハンカチを出して涙を拭う。


「娘のために泣いてくれてありがとうね」

 そう言って母親は、椅子に座るように薦めてくれ、自分も机の向かい側に座った。


「娘とはどういう関係だったの?」


「美保さんは一つ下の後輩で、俺が卒業するまでは同じサークル仲間でした」


「じゃぁ、黒崎君と同じ学年だったの?」


 俺の名前だ。美保は母親に付き合っている事を言っていたんだろう。


「はい、黒崎とは同級生で、良く遊んだものです」


 娘に酒を飲ませ、門限を破らせ、清純を奪い、あまつさえ身勝手に捨てた男が自分だとは思われたくなかった。


「彼と別れて、しばらく美保は塞ぎ混んでいたの」


「そうだったんですか……」


 曖昧な返事をしながらも、俺は軽い優越感を感じていた。

 別れた後も自分の事を思ってくれて居たのかと。もちろんすぐにその卑劣な感情を恥じたが、一瞬でもそう感じたのは事実だった。


「就職はしたけど、仕事と家の往復だけで、美保は全然楽しそうじゃなかった……」


 思いだすかのように、ガラス窓の外の植え込みをみながら話す。


「だけど一年前、そんな美保の心を開いてくれる人が出来たみたいで、私たちもほっと心を撫で下ろしたものよ」


 俺以外の人間に心を許し、自分を忘れていく美保の過去に、モヤモヤとした感情を感じ。


「お母さん、自分から言い出したことですが、辛くはないですか? 無理しなくても……」


 本心はこの先を聴くのが怖くなって来ていたのだろう、話を遮ってしまった。


「ううん、今日は美保を思い出して語る日よ」


 そう言うと、気丈に振る舞うように笑ってか話を続けた。


「だけどねその人、お仕事が大変で……ブラック企業っていうのかしら。しかも、社内でいじめにもあってたみたいで。体も心もボロボロになっていったの」


「美保さんそういう人ほっとけないですよね」


 母親は大きく頷いた。

 俺も、両親の離婚のダメージを彼女に忘れさせて貰っていたのだ。


「だから美保、その彼の家に同棲して、遅くなる彼の帰りを毎日待ってあげたの、きっと少しでも彼の心を癒したかったのね」


「美保さんらしいです」


「だけど、彼の仕事はドンドンきつくなって、いじめもエスカレートしてしまった。

 彼、家に帰ってお酒を飲んで、美保を殴ったの」


 そのダメ男に怒りを感じた。

 しかし、同時に、その男に自分を重ねはじめていた。


 俺が美保と別れなければ、本当に素晴らしい未来が待っていただろうか?

 美保が居ても、小川にちょっかいを出そうとして、結局同じ状況になっていたかもしれない。

 そして、俺も、そいつと同じように。

 美保を殴ったかもしれないと。


「殴られた美保は家に帰って来たけど、かんかんに起こった父さんを止めて、こう言ったの。私が彼の逃げ場を塞いじゃった。って」


「美保さんが彼の逃げ場になってたのでは?」


 不思議な状況に俺は質問するが、母親は頭をゆっくり振って。


「彼、献身的に尽くしてくれる美保のために、頑張らなきゃって思っちゃったみたいで、逃げたいという気持ちを無理矢理押さえ込んでしまったのね」


「そんな……」


「そして、彼は、美保を殴った次の日に、電車に飛び込んで、死んでしまったわ」


「……」


「そして、お葬式も済ませた一週間後、美保も同じ電車に飛び込んだのね」



 俺が先週遅刻した電車に、彼が飛び込んだのだ。

 そして美保も、一昨日の電車に。


「これが自殺の理由なの、本当はもっとちゃんとした恋愛して欲しかった、結婚して子供を作って、長生きして……」


 美保の母は涙をこらえきれずに、立ち上がり、化粧室へと消えていった。



 俺は、ぬるいコーヒーを流し込んだ。


 そして自分の愚かさに、震えが来るほどの怒りと、後悔と、嫉妬と、拭いきれない悲しみに頭を整理することが出来ないで居た。


 ただ判るのは、俺はなんて自分勝手な男なのか、ということ。



 手酷く振った女性が、傷つき、塞ぎ混んでも知らんぷり。

 あまつさえ、今でも自分に愛情を持ってくれているだろうと信じ込み。

 命を投げ出すほどに、愛した人が俺以外に居ることに嫉妬をし。


 この場に、自分の心を満たすためだけに現れた事。



 そしてその全てが幻想で、本当はなにも残ってないと知って、狼狽えている惨めさ。




 俺は母親が化粧室から帰ってくるのを待たずに、花束だけを机に残し、葬儀場を後にした。


 ネクタイを緩め、ボタンを開けると。

 汚いドブの匂いのする風が俺を撫でるのを感じた。



 俺の携帯が鳴る。


「黒崎か?」


 あまり話したことの無い同じフロアの男性社員だ。


「はい」


「部長を殴った件で、会議があった。お前は自主退職という形でクビになる運びだ」


「そっすか」


「今回の件、先に暴力を振るったのは部長からということで、刑事事件として取り上げることはないらしい。部長も降格処分になったよ」


「そっすか」


「顔を会わせたくないだろうという計らいで、こっちで事務処理はしておく、荷物なんかは家に送るか?」


「や、そっちにはなにも置いてないんで処分して貰って良いです」


「そうか、立場上あまりかばってやれなかったが、次はいい会社に恵まれるように祈ってるよ」


「うっす」


「じゃぁ元気でな」


 事務連絡を終えると。

 俺のこの人生を棒に振った3年間は泡になって消えた。


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