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そのいち

あまり明るい話では有りませんが、何か感じていただけると幸いです。

 憂鬱な月曜日が来た。


 見飽きた景色しか写さない電車の窓には、心を動かされる要素が一つもない。

 そんな気だるい朝に似合わず俺は、息を整えるのに必死になっていた。


 満員電車の中、汗だくの俺に接触しないよう距離をとるOL。

 普段ならそっちを避けるであろう、禿げたオヤジに体を密着させてでも、俺には近付きたくないようだ。

 心の中で「クソビッチが」と悪態をつきながら、俺は小さなハンカチで汗を拭う。


 寝坊した。

 会社には間に合いそうだが。

 全力疾走と今ここでの冷ややかな視線を代償に、なんとか一本遅い電車に乗ることが出来た。


 どうせ、俺が遅刻しそうにならない限り、このOLや密かにニヤついている禿げオヤジとは、今後一緒の電車には乗ることは無いだろう。

 それならこいつらの迷惑なんぞに気を取られる事すら無駄だとばかりに悪びれる。

 この冷ややかな目線を隠さず向けてくるこいつらも、どうせ俺と同じことを思っているのだろう。


 そんな事を考えながら脳内でひとしきり罵った後は、汗も引き始め、そしらぬ顔でつり革に掴まった。


 一本遅い電車でも、相変わらずの景色を写し出し、そこに新たな発見も意外性も見いだせない。

 そりゃぁそうだ。

 もう3年も見続けているのだ。


 取り敢えず今日も遅れず仕事に行き、みんなが帰った後に仕事から帰る。

 そして明日もこの風景を見る。





「くそったれが」


 電車の車内案内に紛れて悪態をつく。


 俺は完全に()()()()っていた。


 こんなくそったれの人生の先に見えるものは、それが行くべき肥溜め以外考えられない。



 電車の停車案内が、ある駅名を告げる頃。

 おれは、現実逃避で学生時代の事を思い出していた。


 この駅が大学の最寄り駅だったな……


 入学と共に上京、親とは上手く行っていなかったから、独り暮らしがことのほか嬉しかった。

 次の年に両親は離婚。

 もともと俺の手が離れたらそうする予定だったそうだ。


 親父は再婚し、俺が住んでいた家は新しい家族の物になった。

 母親は彼氏の家で同棲している。


 どうやら、俺の知らないところでとっくに話はついていたらしい。


 こうして、スムーズに俺は帰る家を失った。



 しかし、それで構わなかった。

 実際に大学生活は楽しかったし、親としての責務か罪悪感か、学生時代は十分な仕送りを送ってくれたから、自由気ままなキャンパスライフというものを送れた。


 そんな薔薇色の時代を卒業して、3年後の黒色の時代の俺が、それを羨むように思い出す。


 それが、この駅に近づいたときの俺の日課みたいなものだった。



 ──その時、急なアナウンスが入る。


「緊急停車致します、手すりつり革にお掴まりください」


 そのアナウンスが終わるか終わらないかのタイミングで、電車が急ブレーキをかけたため、乗客全員がつんのめる。


 俺を極端に避けたOLも、雪崩式に押され、俺と密着する形になる。ざまぁみろ。


 なんだなんだと騒ぐ乗客に、再度車内放送。


「ただいま当車両は、人身事故を起こしました」


 端的にそう伝えると、それからはなんの情報も無くただ時間が過ぎていく。

 回りも小さくざわめき、ため息や、小声で電話を掛ける声だけが耳に入って来るばかり。


 「チッ!」


 俺は舌打ちをした。


 止まっている通勤列車ほど静かなものはなく、思ったよりその音は響いてしまい、周囲の反感を買ったように見えた。あわてて携帯を取り出しごまかす俺。


「人身事故で電車が遅れます。○○線▲▲駅近くの事故です」


 そう上司にメールを打つと、つり革にぶら下がるように下を向き、今度は回りに聞こえないようにゆっくりとため息を吐いた。


 ブラック企業に就職してしまい、仕事にも人生にも疲れ果てた俺が、今日も仕事に向かっているというのに……

 自分の弱さに負けた落伍者が、最期まで人に迷惑を掛ける死に方をしやがって!


 また、脳内でひとしきり罵り、無為に過ぎていく時間にさらにイライラを募らせていく。




 車両の安全確認、警察の現場検証が終わったのは45分ほど経った頃だった。


 完全に遅刻だ。


 目的地で電車を降りた俺は、また一つ大きな舌打ちをして、上司に電話をいれた。




「黒崎君、そんなに毎週人身事故で遅刻されちゃ困るよ」


 嫌味ったらしく上司が俺を(あざけ)る。

 俺を今の部署に閉じ込めたのもこいつだ。

 俺なら自殺なんかする前にこいつを刺し殺す。


「確かに、先週も同じことが有りましたが、今回は別の奴です」


「そりゃ同じ人間は二度と飛び込まんだろうな」


 下品に笑う上司に本気で殺意を覚えながらも、立場を守り敬語を使う。


「ゲンが悪いので、別の時間の車両に乗ったんですが、今度はこっちで巻き込まれてしまいました、すぐに向かいます」


「そんなの当たり前だ、遅刻した上、作り話の言い訳に付き合わされて、チンタラ来られちゃ困るね」


 そう言うと上司はさっさと電話を切った、絶対に信じてない。



 足早に職場に向かうと、折角収まった筈の汗がまた滲んでいた。

 しっかり汗を吸ってしまった小さなハンカチで、汗を拭いながらエレベーターに乗る。


 目的地の前に、誰かを乗せるために止まるエレベーター。


 扉が開いたこの先には、別の部署の女性社員。

 今一番会いたくない奴に会ってしまった。


 淡いクリーム色に染めた髪を、後ろでくるりとお洒落に束ねたこの女は、上川(かみかわ)といい、俺がこの会社に、入ってすぐに告白した女だ。


 結果はその場で撃沈。

 その後部署異動もあり、会うことはなくなったが、俺は今でも告白した事を、人生最大の汚点と思っている。


 エレベーターの中で、二人は言葉を交わさなかった。

 そのうち、俺の降りる階に到着。


 俺は知らない人間にするように、軽く会釈をしながら降りた。


 扉の閉まり際。

「汗臭っ、クククク」


 俺を嘲る声が聞こえる。




「部長、遅れてすみませんでした」

 電話で話した上司のデスクに一番に向かう。


「仕事をしろ、君の作り話に付き合うつもりはないよ。全く、三年も働いて学生気分が抜けないとは、困ったものだよ」

 目も会わせずにそういい放つ。


 俺ももう、苛立ちのピークで言葉が出ない。

 ぞんざいに頭を下げると、そのままデスクに向かう。



 俺の仕事はただただ、打ち込みの作業をずっとずっとずっとさせられるだけの仕事だ。

 簡単だが、それだけにミスが許されない。


 遅刻や、仕事のミスがあると、部長はすぐに減俸してくる。

 ドンドン押し付けて、ミスを誘っているのだ。

 一旦ミスを見つければ、鬼の首を取ったように呼びつけ、説教された上にペナルティの減俸を受ける。

 そんなことをもう二年は続けている。


 先週辞めていった同じ部署の人間に聞いて、血の気が引く程に頭に来た事実があるのだが。


 部長とエレベーターで会った上川は、ずっと付き合っているらしく。知らずに上川にアプローチした者はここに配属され、搾られるそうだ。


 しかもその、上川も経理を担当しているため。部長の「個人的なペナルティ」の罰金を、俺達の給料から(かす)めとり、自分達で使っているらしいのだ。


 つまり、まんまとクモの巣に引っ掛かってしまったという事だ。


 この仕事に意味があるのか?

 そう自問自答する日々だが、生きるためには金が要る。


 三流大学を、ダラダラと過ごして、何とか卒業しただけの潰しが効かない人間にすぐに仕事はない。


 現実、新卒の段階で100社程度受けて、ようやく入社した会社なのだ。

 中途採用の、新卒でもない人間が簡単に再就職できるとは思えなかった。



「先週に引き続き、また遅刻か……」


 先週は人身事故で仕方ないと食い下がったために、回りの目を気にしてか、部長も折れてペナルティは無かったが……


 証拠もないのに今週も人身事故ですと言っても、バカにされて突っ返されるだろう。


「そうだ、ネットニュースに乗ってないか?」


 俺は思いつき、スマホの電源を入れた。

 場所や事件の内容を検索し、一件の記事に当たった。


「元はと言えばこいつのせいなんだ」

 怒りの矛先を向けるように記事を読む。


「チッ!」

 無意識でまた舌打ちをしている。



 たが、被害者の名前を見て俺は動きを止めた。


「▲▲町在住の、中村美保(26)さん」



 それは大学時代の彼女の名前だった。


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[気になる点] > 俺ももう、苛立ちのピークで言葉が出ず。デスクに戻る 出社してすぐなので、『向かう』ではなくてでしょうか? [一言] Twitterから来ました。 暗い話との触れ込みで惹かれました…
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