9・努力家娘と横着娘
その日はいつものように、朝起きて布団を干し、部屋を掃除してから小夜と共に家を出た。すると、いつもの光景に見慣れぬ白銀の輝きが目に入った。
「あ、おはようございます。私、昨夜からこちらにお世話になっております、カロル・ローランと申します。これからよろしくお願いします。」
微笑み頭を下げる白銀の少女は、とんでもない美少女だった。白銀の長い髪をポニーテールに纏め、少々吊り上がり気味の大きな目は濃い青色をしており、キラキラ輝いている。
「あ!翡翠様が言ってた子だね!私は美仁です。会えるのを楽しみにしてました!」
美仁が少し緊張しながら挨拶をすると、カロルはどこか嬉しそうな微笑みを浮かべて頷き、続いて挨拶をしている小夜に目線を移した。こんなに輝いていて、綺麗な女の子見た事ない…。
「今からどちらへ向かうのですか?」
小夜に、よろしくお願いします、と頭を下げたカロルは美仁に向き直り訊ねた。
「朝食の支度をしに、畑に行く所なの。」
「ご一緒してもよろしいですか?」
「うん!一緒に行こう!」
カロルからは、自分に対する嫌悪感など微塵も感じない事が嬉しく、美仁は弾むように笑顔で答えた。
畑に着き、長光と小豆に声を掛け野菜の収穫を始める。いつものように、チャクラをちょきの形にした指に纏わせハサミのように動かし野菜を切って収穫していく。
「それ…どうやっているのですか?」
後ろからカロルが興味深そうに声を掛けられた。
「ああ、これはチャクラを使っているの。翡翠様が教えてくれると思うよ。」
美仁は少し恥ずかしく感じながら答えた。美しい少女がキラキラした瞳で自分を尊敬の眼差しで見ている。美仁は頬が赤くなっているのが分かり、更に恥ずかしくなった。
一方カロルは、美仁の言うチャクラが魔力と同じものなのか、自分にもこの技は使えるようになるのだろうかと考えを巡らせていた。
「美仁様、こちらもお願いします。」
長光がホテホテと歩きながら川魚が三匹入ったバケツを持ってきた。
「長光、ありがとう。」
美仁は長光に礼を言うと、バケツをアイテムボックスに仕舞った。
「美仁様…バケツは、何故消えたのですか…?」
「え?アイテムボックスに仕舞ったんだよ?重いから。」
カロルは目を丸くして驚いている。収納術は、あまり一般的な術ではないのだろうか。そういえば、冒険者支援協会の素材買取窓口で魔物の死体を出すと、職員が一瞬驚いていたのを思い出した。確かに習得に時間もかかった術なので、広く知られていない術なのかも知れない。
朝餉の支度をカロルも手伝ってくれた。カロルの手際の良さは小夜のようで、シロの出番は無くシロが支度中にアイテムボックスから出て来る事は無かった。いつもの朝餉が出来上がり、翡翠の家で食べられるよう準備する。囲炉裏の自在鉤に味噌汁の鍋が吊るされ、塩を振った魚は串に刺して火の入った炉に立ててある。お櫃に入った炊きたてのご飯、野菜の浅漬け、塩を振ったトマト。そんな美仁にとってはいつもの朝餉を、カロルは懐かしむような暖かい眼差しで見ていた。
「早くからご苦労じゃったな。カロルも、昨晩は遅かったが、疲れは残っておらぬかえ?」
「はい、お師匠様。疲れは全く感じておりません。」
カロルは凛とした表情で答えた。美仁はそんなカロルについ見蕩れてしまう。疲れの残っていないカロルの修行は今日から始まるらしい。
「あの、こちら、よろしければどうぞ。お口に合うか分かりませんが、ガルニエ王国でよく食べられている物です。」
食事が終わると、カロルはガルニエ王国の王都で有名なお店のお菓子を出した。
「ほお。有難く頂くとしよう。」
翡翠が包みを開けると、美仁が目を輝かせた。それは、美仁がこちらの世界に来てから口に出来なかったお菓子だった。
「わぁ!チョコにクッキー!」
懐かしいお菓子の味は、王都で有名なお店のものという事もあり、日本で食べた物以上に美味しかった。三人はミズホノクニには無いお菓子を楽しんだ。
午前中の勉学の時間は美仁の家で机を並べて行った。カロルはこれからこの家で共に生活するらしい。昼近くになると小夜が現れ共に昼餉の支度をした。
昼餉の後は、カロルは翡翠から修行を受ける。最近の美仁の修行は実戦経験を積む為に、数珠丸に乗って出掛け魔物と戦って帰って来るというものだ。怠け癖のある美仁は、中級の強さの魔物を五体倒すと、数珠丸の寝ている横に座った。
「…またか、美仁。そんな横着していて良いのか?」
「いいのいいの~。これも修行の一環だよ!」
美仁はアイテムボックスの更なる拡張に着手していた。今ある家のような収納の横に、大きな塔のような形の収納を作っている最中だ。家のような収納に棚を作ると、魔物の死体をそこに収納する事が不快に感じるようになってしまった。実際、魔物の死体によって棚が汚れる事は無いのだが、一度気になってしまうと受け入れ難い。なので、魔物の死体を収納する為の新しい空間を創り出す事にした。塔のような形をイメージし、一番下の区画はドラゴンが丸々入る程に面積を広げている。少しずつ高さを出し、床を作り、高い塔の完成を目指している。
数珠丸は小言も程々に目を閉じた。美仁が怠けている事は翡翠も知っている。だが自分でノルマを設けてそれをこなし、残りの時間も遊び呆けている訳では無いので黙認している。
一方カロルは、美仁も行ったチャクラを練る修行を始めた。カロルは普段錬金術を行ったり、生活に必要な道具を使う為の魔法は使っていた為、魔力を使う事には慣れていた。その為美仁が苦労していたチャクラを感じるという段階は飛ばして、チャクラを練る修行に入っていた。そもそもこの世界は魔力が扱えないと生活するのにも苦労する。灯りを点けるにも、料理の際に火をおこすにも魔力を使う。そういった魔具が主流の世界なのだ。魔力に関する生まれつきの病気もあるが、最近はそれを補う装飾品や道具も開発されている。
夕餉の支度中にカロルが倒れた。カロルはチャクラを常に練り続けるという修行中で、チャクラ切れを起こしたのだ。美仁は慌てて駆け寄り以前翡翠から渡された丸薬を渡す。カロルは丸薬をガリッと噛むと少し眉を寄せた。美仁はこの丸薬を飲んだ事が無かったが、実はこの丸薬ものすごく苦い。残念ながらカロルはこれから度々この丸薬の世話になる事になる。
「美仁様、ありがとうございました…。」
「いえいえ!この修行、何回もチャクラ切れになって倒れるらしいから!カロルもこの薬持ってなよ。私は使わなかったから、いっぱい余ってるの。」
美仁はカロルに丸薬を手渡した。小さい声で礼を言うカロルの笑顔が少々苦い。
「おや、妾が助けてやろうと思うておったが、美仁に先を越されたな。」
翡翠が優雅に歩いて来て、カロルに更なる丸薬を手渡す。カロルは礼を言うが、笑顔に苦味が深まった。
「これも持っておれ。少々苦いが、遠慮せず、飲むのじゃぞ。」
翡翠は面白そうにくっくっと笑うと家に戻って行った。
そういう訳で、今夜からカロルの枕元には監視の数珠丸が横になり、美仁は自分も数年前にやった修行に懐かしい気持ちになりながら眠りについた。カロルの寝付きは素晴らしく早く、修行一日目の今夜は数珠丸に何度も起こされ、すぐに眠りにつくを繰り返していた。
だがカロルは、この修行をたった一週間で終わらせてしまった。夜、数珠丸の尻尾も静かなものだ。この修行は、美仁がチャクラを感じられるようになってから習得までに三ヶ月かかった。美仁は純粋にカロルを尊敬していた。
そしてカロルの修行も次の段階へ移る。チャクラを変化させる修行だ。美仁が畑で野菜を収穫する為に使っていた技である。この修行をするカロルは、今までの修行よりも修行に対する意気込みが違った。チャクラを様々な形に変化させ、強力な技を編み出していった。それは翡翠も驚く程にバリエーションに富んでおり、この修行も一週間で終了した。カロルがこのように様々な技を編み出せたのは、彼女がガルニエ王国では学生で、魔法学を習っているという下地があった為だった。カロルは勤勉で努力家だった。自分に出来ない事を、何とか出来るようにと努力していた結果が今回このように実を結んだのだ。
そしてこの日は、翡翠がカロルを連れて孤島に行くと言う。数珠丸も七星も連れて行くそうなので、美仁は翠山でお留守番だ。小言を言う翡翠も数珠丸も七星もいない今日、美仁は家でゴロゴロと自堕落な午後を楽しんでいた。
「美仁よ…翡翠様がおられぬからといって、怠けすぎではないか?」
美仁は持っていた煎餅をバリッと噛むと恐る恐る入り口の方に顔を向けた。入り口の扉は開かれ、呆れた表情の七星と翡翠が部屋を覗いていた。
「まぁよい七星。美仁の怠け癖はいつもの事じゃ。目に余る様ならきついお仕置きも考えてあるからのお。」
翡翠は七星へ顔を向け話しているが、目は美仁を見ており口元は面白そうに笑っている。美仁は反射的に飛び上がり、正座で着地した。
「翡翠様!お帰りなさいませ!お早いお戻りでしたね!」
「数珠丸がカロルに付いておるからの。大丈夫じゃろうと妾は戻ったまでじゃ。最近構ってやれなかったもう一人の弟子はどうしておるかと覗いてみれば…。」
「え…えへ…。」
美仁は言い訳の言葉が思い浮かばず、笑って誤魔化そうとした。だが残念ながら完全に面白がっている翡翠が誤魔化される事はなかった。
「よし。妾の可愛いもう一人の弟子よ。妾は今夜はケラガーヴの肉が食べたいのう。」
「…翡翠様、牛じゃ駄目なんですか?」
「妾はケラガーヴの赤身が好きなのじゃ。ほれ、あの柔らかい肉を噛んだ時に出る旨みよ…。」
「はい…。行ってきます…。」
うっとりし始めた翡翠に抵抗を諦めた美仁は足袋を履き草鞋の紐を手早く結ぶと七星に乗った。
「楽しみにしておるぞ。」
「…はぁい…。」
黒い笑顔で手を振る翡翠に見送られ、美仁を乗せた七星は流れるように飛び立った。空を駆けながら、七星も翡翠同様面白そうに笑っていた。