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美仁は異界の悪魔の子  作者: 山寺絹
62/64

62・デトのランプ

 




 それは美仁が買い物を終えて家に帰る途中の事だった。美仁は暖かく強大な気配に気付き町の外に向かった。その気配が自分を呼んでいるような気がしたからだ。敵意は感じないが、確かに自分に向けられている暖かな気配に向かい、美仁は飛んだ。

 ピコルカの町は今日も暖かい。空を飛ぶ時や丘に上ると見えるオレンジ色の屋根とアドクル海の青い色が、美仁は好きだった。


 青々と輝く草原と、透き通った青い空、美しいピコルカの町を見渡せる丘に、美仁を待つ者が立っていた。

 白いローブを着たその者の顔は、影になっている訳ではないのに何故か見えない。顔が見えないのに、優しく微笑んでいるような印象を美仁は受けた。


「美仁、待っていたよ。」


「リアツァ様、お待たせしました。お目にかかれて光栄です。」


 美仁を待っていたのは、生命の神リアツァだった。宗教画で顔の描かれる事の無い神は、本当に顔を見る事が出来ないから描かれないのだなと、美仁は納得した。リアツァの弟神、死神デトの宗教画もフードに隠れ、顔を描かれていないのは、リアツァと同じように顔を見る事が出来ないからなのだろうか。

 美仁が、見えないリアツァの顔を見上げていると、リアツァは柔らかく微笑んだ。ように美仁は感じた。


「今日、美仁の友人のカロルを送り出したよ。」


「………そうですか。ありがとうございます。」


 カロルは生まれ変わり、新しい人生を送る事になった。美仁は、胸が苦しいような、安心したような、複雑な気持ちになった。もう既にカロルはこの世にいないのに、本当に居なくなってしまったと実感し、彼女が無事に生まれ変わりを果たせた事にホッとしてもいる。


「知りたいかい?」


 優しいリアツァの声に、美仁は首を振った。


「いえ。カロルはもういないんだって、分かってますから…。」


 言いながら美仁は寂しい気持ちになった。


「今度は私の加護を授けるのは止めたよ。要らぬ苦労をかけたようだからね。」


「ふふ。カロルは感謝してましたよ。疲れないなんて、凄いじゃないですか。」


 こちらの世界の人には、精霊の加護が付いている。カロルには何故か精霊の加護は無かった。カロルは中央山の真珠の元で、自分に付けられた加護がリアツァのものだと知る事が出来たらしい。精霊の加護が無い事で『加護無し』と蔑まれた事もあったが、それを乗り越え国民に愛される王妃となったのだった。


「まぁ、タクルディーネに怒られて、カロルの精霊の加護は外されてしまったがね。タクルディーネは怖いんだ。」


 リアツァはカロルの加護の件で秩序の女神タクルディーネに怒られたと言う。生まれ変わったカロルには、精霊の加護が与えられたのだろう。

 美仁は少し微笑むと、カロルやアムル、隣人達を思い出した。


「私、いつも最期に間に合わないんです。デト様に文句を言わないと。」


 美仁は冗談めかして言った。仲の良かった隣人のパメラも、ヤムドク大陸の旅から帰った時には既に亡くなっていた。美仁はいつも、見送る事が出来ない。見送れたのは、カイだけだった。


「ははは。デトをあまり虐めないであげておくれ。優しくて気の弱い奴なんだ。」


「そうなんですね。失礼ながら、勝手に残酷な神様だと思っていました…。」


「神なんてのは、地上に生きる者からしたら皆残酷だ。地上の者はそれでも懸命に生きているから、天上界の皆は彼等を見るのが好きなのさ。」


 リアツァは大きな手を美仁の頭にポンと乗せた。


「美仁の事も、皆見守っているよ。私達の妹だ。」


 愛の女神メイリーベもそう言っていた。美仁はくすぐったい気持ちになりながらも、リアツァに礼を言う。


「ありがとうございます…。リアツァ様。」


「ああ。また会いに来よう。さらばだ、私達の妹。」


 優しい声を残して、リアツァは優しくそよぐ風に吹かれて消えた。美仁は、リアツァの立っていた所を暫くぼんやりと眺め、ディディエとロンの待つ家に帰った。



「遅かったな。美仁。」


 ディディエに迎えられた美仁は、微笑んで答える。


「うん。リアツァ様と会ってたの。カロルが無事に生まれ変わったって教えてくれたんだ。」


 それを聞いたディディエは優しく微笑む。目の横に皺が寄り、重ねた年齢を思わせた。


「そうか。俺が生まれ変わっても、美仁に伝えてくれるかな。」


 思わず美仁はディディエに抱き着いた。少し涙ぐみ、鼻がツンと痛い。


「嫌だ。聞きたくないよ…。」


 涙声の美仁を、ディディエは優しく抱き締める。ディディエは齢五百を越えてから、急激に老け込んだ。


「美仁、お前を残して逝く事だけが心残りだ。…美仁、俺はもうこんなおじいちゃんだから、俺を置いて…。」


「絶対に嫌。」


 ディディエに回した腕に力を込めて美仁は言った。溢れる涙を零すものかと、眉間や目に力が入る。

 ディディエは五百歳を過ぎた頃から、美仁と離れる事を度々口にするようになった。若い姿のままの美仁を、老いた自分が縛ってしまっていると感じていた為だ。現に美仁は、ディディエが五百歳を越えてから翠山に行くのを止めた。離れている間にディディエに何かあったらと、恐ろしく思ったからだ。

 ディディエは、自分が老いても美仁が変わらず愛してくれることに喜びを感じていたが、同時に心苦しくも感じていた。もうじき、自分の命に終わりが来る。愛する美仁を残して、この世を去る。悲しませたくはないが、死を避ける事は出来ない。




 そしてその時は、長く生きる者にとってはすぐに訪れた。このところ、ディディエは起き上がっている時間が減っていたのだが、今日がその日なのだと美仁とロンには分かった。何故ならば、ディディエのベッドの脇に座る美仁の隣に、黒いローブの男が座っていたからだ。手には灯りの点っていない黒いランプを持っている。死神デトなのだと、美仁にもロンにも理解出来た。ディディエには見えていないようだ。


「ディディエ、ディディエ…行っちゃ嫌だ…。」


 美仁は、溢れる涙を拭う事無くディディエの手を握り、イヤイヤと頭を振る。ロンも、眉を寄せて横たわるディディエを黙って見つめていた。


「…悪いな…美仁…。俺が見送る側だと思っていたのに…。美仁を好きになった時は…その覚悟が出来てたんだけどなぁ…。」


 ディディエは困ったように美仁を見て薄く笑った。美仁に握られていない方の手を上げて、泣きじゃくる美仁の頭を撫でる。


「ありがとな、美仁…俺を選んでくれて。」


「何言ってるのよ…ディディエが先に私を好きになってくれたんでしょ…。ディディエに好きになって貰えて嬉しいのは、私の方なんだから…。」


 涙で顔をぐしゃぐしゃにしている美仁を、愛おしそうに微笑み見るディディエは、頭を撫でていた手を美仁の頬に移動させる。そしてディディエはロンに目を向けた。


「悪かったな、ロン…。俺ばっかり美仁を独占しちまって…。でも、どうしても譲れなかったんだ…。」


「何を言うか。儂は…。」


 反論しようとしたロンだったが、ディディエが口を開くとそれを止めた。


「俺が気付いてないとでも思ってたのか?本当は、死んでも美仁を独占してたいんだ…。でも俺は…美仁の幸せを願ってる…。ロン、頼んだぜ…。」


 ゆっくりと紡がれるディディエの言葉を、ロンは黙って聞いていた。ディディエの視線が美仁に移ると、ディディエは眉を寄せたまま目を閉じる。


「美仁…ありがとう……元気でな……愛して、る………。」


 最後の方の言葉は掠れてよく聞こえなかった。美仁を見つめ微笑んだディディエから力が抜け、美仁の頬に触れていた手がゆっくりと布団に落下した。


「…ディディエ…!ディディエ!…私も、愛してるよぉ……。」


 美仁は喉の奥から込み上げてくるものを我慢出来ずに、声をあげて泣いた。美仁はディディエの手を自分の頬を包むように当てている。彼が生前よくしてくれていたように…。


 もうどれくらい泣いていただろうか。泣き疲れてはいるが、喉の痛みはもう良くなっている。美仁は涙の乾いていない顔を、ずっと隣に座っていたデトの方に向けた。


「デト様、あの、すいません…。お待たせしてしまって…。」


 デトは美仁に頷くと、ランプを持つ手を上げた。するとランプは仄かに暖かく光を灯す。ランプがディディエの魂を迎え入れたのだと理解した美仁の、まだ乾いていない頬を涙が伝った。


「リアツァが言っていたんだ。美仁がいつも間に合わないと嘆いていたと。」


「…はい。今回は、デト様が来て下さったので、その時が分かりました。ゆっくり見送らせてくれて、ありがとうございます…。」


 頭を下げた美仁を、デトは優しい瞳で見た。デトはリアツァとは違い、顔を見る事が出来た。宗教画に描かれないのは、フードで見えないからなのだろう。長い前髪に隠れてしまいそうなデトの目は、優しい光を湛えている。


「生きる者には、死が約束されている。誰もその約束を破る事は出来ない。ディディエの魂は、私が必ずリアツァの庭に運ぶよ。」


「はい。デト様なら、安心です。」


 魂の中には、運ばれる途中に逃げ出してしまうものもいる。その魂は幽霊や悪霊になってしまう。そうなると、生まれ変わる事は難しくなる。だが生前悪事を重ねた者や、後悔を断ち切れない者が逃げ出す事はあった。そしてそれは、デトの運ぶ魂ではなく彼の天使達のランプからだった。ディディエの魂ならば心配は要らないが、デトが運んでくれるのならば一層安心出来る。

 美仁は、デトの持つランプを寂しそうに眺めた。


「ディディエ、さよなら…。」


 ありがとう、ディディエ…。ありがとう。一緒に居てくれて。愛してくれて。いつも楽しかったよ。幸せだった。貴方の事が大切だった。貴方の全てに感謝してるの。






 美仁はディディエの埋葬された墓に居る事が多くなった。四角く切られた墓石の前に、毎日座ってぼんやりしている。

 ピコルカの墓石庭園は、緑が青々としていて明るく美しい。

 美仁の後ろには、ロンが見守るように立っていた。寂しげな美仁の背中に声を掛ける事無く静かに見守るロンの表情は、気遣わしげであり何処か寂しげだ。

 今日もこのまま夜になり、何時もの様にロンが声を掛けるまで座り続けるのかと思われたが、美仁は突然色とりどりの花を沢山出した。そして花束やリースを作っていった。

 美仁は沢山の花束とリースをディディエの墓に供えると、立ち上がり微笑んだ。


「ディディエ、もう行くね。」


 美仁は気遣わしげに見ているロンに振り向くと、眉尻を下げて笑った。


「ロン、いつもありがとう。心配掛けたよね…。久しぶりに、翡翠様の所に行こうか。」


「ああ。」


 美仁とロンは、ゆっくりとピコルカの墓地庭園を後にした。夕日が綺麗に並んだ墓石を照らしている。爽やかな風が吹き、供えられた花を揺らしていった。

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