60・地図制作者の男
残酷、戦う表現があります。
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地図制作者の男はハンスと名乗った。ハンスは戦う能力は皆無だと言い、地獄では自分の身を守る事も難しいと加えた。危なくなったら転移石で逃げる事も。
「じゃあ、シロに守って貰うようにしましょう。勿論、危なくなったら逃げて下さいね。」
美仁はアイテムボックスからシロを呼び出し、ハンスに挨拶をさせた。
「私はシロでございます。微力ながら、貴方をお守り致します。」
小さい魔物が言葉を話し自分に対してお辞儀をするのを見て、ハンスは目を丸くした。
「え、ええ…。よろしくお願いします…。」
吃驚しながらも返事をしたハンスに、美仁は持ち物が重ければアイテムボックスに仕舞うと言ったがハンスはこれを断った。ハンスは危なくなれば美仁達を見捨てて逃げるつもりでいるのだ。物を預けていてはそれが出来ない。だが完全に足手まといの自分に、この最高難易度ダンジョンで従魔の護衛を付ける余裕のある美仁達を見て、ハンスは声を掛けて良かったと思い始めていた。そしてその思いは、一階層目から確信へと変わる。
ハンスはこれまで他のパーティにくっ付いて地獄に入り、十五階層目までは降りていた。今まで同行した中で一番強かったパーティでも、一階層目のオーガ達を瞬殺する事は出来なかった。なのに美仁達は、オーガが何体も居るホールに入った瞬間にオーガ達を始末してしまった。
ハンスには美仁達の動きが見えなかった。ハンスがホールに足を踏み入れた時には既に、美仁とロンがオーガの死体から出た魔石やアイテムを拾っており、何故もうオーガの死体が転がっているのかとハンスは理解出来なかった。
「この階層は俺の出番は無いな~。」
ハンスと共にホールに入ったディディエは、苦笑しながら唱えていた魔法を変化させて杖から花火を打ち出すと、ホールの高い天井に綺麗な花火が大きな音を立てて開いた。
ディディエのこの言葉でやっと理解したハンスは、信じられないという表情で美仁の方を見た。目に見えぬ程の速さでオーガ達を倒してしまうなんて…。
更にハンスは美仁がアイテムボックスからテントや食料を出したのを見て、美仁とロンの理解の及ばない程の強さと能力に、地獄の地図の完成が叶う事を確信した。そして今までとは違う快適で食事の美味いダンジョンの夜に、ハンスは感動したのだった。
ハンスは十四階層目までは地図を描いていた為、そこまでは美仁達の進む早さに合わせていた。しかし十五階層目に入ってからは地図を描くハンスを待つ時間が出来た。
魔物を倒した後の部屋をハンスが歩いているのを美仁達は見て待っている。
「え?歩いて測るの?」
「はい。ハンスは歩幅を変えずに歩かれるので、歩数で距離を測っているそうです。」
ハンスにずっと付いていたシロが、目を丸くしている美仁に説明した。美仁は真っ直ぐな道ですら満足に書く事が出来ない。道幅が狭くなったり広くなったりしてしまったり、距離が途中で分からなくなってしまうのだ。
「へぇ~。プロの地図制作者はすごいねぇ。」
「勉強になります。」
シロはそう言いながらハンスの後ろを歩いている。何でも出来るシロは、ハンスを守りながら観察し、美仁の旅の助けになるよう地図を描く勉強をしているようだ。
美仁達は地獄のダンジョンを全く苦戦する事無く進んでいった。中階層に出て来たのはサイクロプス、ガーゴイル、ミノタウロスだ。それ等の魔物も、美仁とロンの相手にはならないようだった。
前回ハンスはサイクロプスとガーゴイルの群れが出て来たホールで転移石を使った。だが今居るのは更にミノタウロスが数体増えたホールだ。壁際でシロに守られながらハンスが縮み上がっていると、前方に居るディディエが炎の槍をホール中に降らせた。
ハンスはディディエを驚愕の表情で見た。仲間が居るのに、このエルフの男は魔法を使ったのだ。あの燃え盛る大量の槍は、魔物だけでなく美仁とロンにも降り注いでいた。飛んでいた全てのガーゴイルが槍に貫かれ燃えながら落ちてくる。
「ディディエ貴方…!」
魔物を倒す為だとしても、こんな事は許されない。ハンスは目尻を釣り上げてディディエに詰め寄った。
「どうした?まだ危ないぞ。」
「仲間に向かって魔法を放つ人が居ますか!貴方は美仁とロンを巻き添えにしたんですよ!」
ハンスは憤怒の形相だが、対するディディエは目を丸くした後に吹き出した。
「ははは!そうだな…。ハンスは知らなかったな。大丈夫だ。俺の魔法で美仁を傷付ける事なんか出来ねえから。炎魔法ならロンにも効かないぜ。」
笑って答えるディディエがホールの中央を指差すと、ハンスは眉間に皺を寄せてそちらを見た。焼けて黒く変色したガーゴイルが転がる床にゴーレムが崩れ落ちる。大きく斧を振るミノタウロスの攻撃を避けた美仁が、ミノタウロスの首を合口一振り切り飛ばした。ロンも一体のミノタウロスを蹴り飛ばし、もう一体のミノタウロスの腹に穴を開けていた。
ホール内の魔物が動かなくなり、落ちたアイテムを拾う美仁達を、ハンスは信じられないと目を見開いて見ている。ディディエは固まってしまったハンスの背中を強く叩いた。
「ほら大丈夫だろ?吃驚させて悪かったな。ほら、地図描くんだろ?」
「あ…はい…。怒鳴ってすいませんでした。」
ハンスは動揺しながらもキッチリと地図を描いた。このパーティは別次元の能力を持つ者の集まりだ。美仁達を化け物扱いしているディディエだって、炎魔法の威力は桁違いに凄まじい。
このパーティならば本当に地獄のダンジョンを攻略出来るかも知れないと、ハンスは思った。そしてその予想は勿論的中する。
一行が三十階層目のホールに入ると空間を割いて現れたのは、鋼色をしたアークデーモンだった。筋肉質で大きな体に老人のような顔、額から生えた角は後ろに向かって曲がり、竜の羽に竜の尾を持つ上級デーモンだ。
この恐ろしい魔物の登場に、ディディエは防御魔法を唱えハンスと自らを守った。そして美仁はアークデーモンが美仁達を見てニヤリと笑った瞬間に胴体から首を切り離したのだが、アークデーモンが動きを止める事はなかった。
「えええっ?首切ったのに動いてる!」
美仁は驚きながらアークデーモンの放った魔法を避けていた。黒い蔦が動き美仁とロンを捕らえようと動いている。美仁の見た事の無い魔法だ。更には雷の矢が降り注ぐ。
アークデーモンの頭は目を不気味に光らせ浮いていた。体も宙に浮き魔法を放ちながらロンに攻撃を繰り出している。ロンはその攻撃を受け止めながら、何故まだ動いているのかと訝しんでいた。
美仁はまだ浮いている頭を仕留めれば良いのでは、とアークデーモンの頭に素早く詰め寄り角を掴んだ。抵抗する時間を与える事無く、美仁は怒り狂った表情のアークデーモンの眉間に合口を突き刺した。美仁が合口を引き抜くと、傷口からダラリと黒い血が流れ力無く口が開いた。不気味に光っていた目がぐるりと上を向き瞼から力が抜けたのを確認すると、美仁はアークデーモンの頭をポイッと投げた。
美仁がロンの方を見ると、アークデーモンが尻尾をしならせロンの体に打ちつけている所だった。
「まだ動いてる!」
美仁は吃驚して、頭は床に転がっているのに何故だと首を捻る。ロンは面倒臭そうにため息をつくと、大きく息を吸い込んで止めた。ロンが息を止めている少しの間にも、アークデーモンの連撃は止まらない。更には魔法の槍を降らせ、黒い蔦を走らせる。
アークデーモンの尻尾が鞭のようにしなり、ロンはそれを横に跳んで避けた。しかしその先で黒い蔦に手足を絡め取られてしまう。瞬時にアークデーモンはロンの前まで距離を詰め、腕を振りかぶった。その刹那、ロンは口を大きく開けて灼熱の炎を吹き出した。熱気がホール中に広がる。その熱はハンス達がディディエの魔法防御壁越しでも感じる程だった。
ロンの灼熱のブレスはアークデーモンを真っ黒い塊にしてしまう程に熱く、アークデーモンだったものは床に転がると同時に炭屑となり崩れ落ちた。
アークデーモンでさえも、こうもあっさりと倒してしまうのか、とハンスは放心している。そんなハンスの視線の先には、アークデーモンの落としたアイテムを拾っている美仁とロン、宝箱の鍵と罠を解除しているディディエがいる。
「ハンス、最後の階層ですよ。地図を描きましょう。」
シロの声に我を取り戻し、ハンスは地図を描いた。ハンスが長年夢見た念願の地獄の地図はこうして完成し、地獄の町の冒険者支援協会で高値で買い取られた。
ハンスはこの地獄の町では悪い意味で有名な地図制作者だった。この町の誰しもが、まさか寄生虫と揶揄されたこの男が、地獄の地図を完成させるとは誰も思っていなかった。しかし協会の秘匿する錬金術師が開発した嘘を発見出来る水晶は、ハンスの言葉に嘘は無いと示した。
今まで販売されていた地図はランディの描いたもので、カロルと共に地獄を攻略した時のものだった。ランディの地図は地図制作者の描いた地図では無い為、道幅や道の距離、部屋の広さが正確では無かった。これからはハンスの描いた地図が販売される事になる。ハンスは地獄の地図を完成させた地図制作者として、同業者の中で有名になったのだった。
「本当に、ありがとうございました。」
ハンスは美仁達に深々と頭を下げた。美仁は慌てて胸の前で手を振った。
「いえいえっ。旅は道連れってやつですよ!」
「ははっ。ええ…旅は情け人は心…。身に染みました。」
そう言って笑うハンスの瞳には哀愁が宿っている。ハンスは悲しく微笑んで続けた。
「私は、どうしてもこのダンジョンの地図を完成させたかった。私には、地図を描く能力しか無かったからです…。少しでも戦う能力があれば…今とは違っていとのでしょうが…。」
目を伏せて話していたハンスだったが、顔を上げると晴れ晴れとした表情で笑っていた。
「これから、地図が無い高難易度ダンジョンを攻略するのならご一緒させて下さいね。是非地図を描かせて下さい。」
にっこりと笑って言うハンスに、美仁とディディエは顔を見合わせ笑うと頷いて答えた。
こうして美仁達は安住の地を探しながら、ハンスと共にダンジョンを攻略する旅をしたのだった。