59・カロル
美仁がカロルがこの世を去ったと知ったのは、イザール国を旅している時だった。イザール国はガルニエ王国の西にある国で、強い魔物が多く出没する。エルブルス大陸最難関ダンジョンがある国としても有名だった。
美仁とディディエは、何処かで落ち着いて暮らそうと気に入る町を探し旅をしている。家の購入資金の為に、地獄と呼ばれるエルブルス大陸最難関ダンジョンに挑戦するのも良いと、冒険者支援協会の酒場で話していた所だった。
「それ…本当なんですか…?」
美仁は青ざめて戦士風の冒険者の男の方を見た。地獄に挑戦する話をしていた美仁達の話に、この酔った男達が割り込んできたのだ。男達の言っていたその内容を、美仁は直ぐに信じる事が出来なかった。戦士の男は美仁を見て大きく頷く。
「ああ。地獄のダンジョンを初めて攻略したのは、ガルニエ王国の前王妃様らしいぜ。」
「違います。その後に言ってた…。」
美仁は座ったまま微かに震えながら戦士の男を見ている。戦士の男はそんな美仁の様子に気付かずに続きの言葉を口にした。
「あ?ああ…。その前王妃様はもう亡くなったらしいけどな?」
「お、おい、大丈夫か?お嬢ちゃん…。」
戦士の男の仲間の魔術師の男が心配そうに美仁に声を掛けた。美仁はショックで呆然としており、開かれた目からは今にも涙が溢れ出しそうな程に涙が溜まっていた。
「ガルニエの前王妃様が亡くなったのは何時だ?」
「三ヶ月前だと聞いたが…。」
「そうか…。教えてくれて、ありがとな。」
ディディエはそう言うと、瞬きをする度に涙をポロポロと落としている美仁を立たせて冒険者支援協会から出て行った。残された冒険者達は、不思議そうに顔を見合わせ酒を飲んだ。
宿に戻ったディディエは美仁をベッドに座らせ、自身も美仁に向かい合うようにベッドに腰掛けた。ロンは部屋の入口で腕を組んで立っている。
「美仁、大丈夫か?」
「…うん。ごめん…。この日が来るのは分かってたのに…。」
美仁は喋りながらまた涙を零した。落ち着いたと思ったのに、どんどん涙が溢れてくる。向かいに座ったディディエが美仁の涙を優しく拭っている。
「ガルニエ王国に行くんだろ?俺はこのまま、地獄の町に向かう。美仁が来るのを待ってるから、ゆっくりお別れして来たら良い。」
「うん…うん…。ありがとうディディエ…。じゃあ、夢見蝶を…。」
美仁はその日の内にロンに乗ってガルニエ王都に飛び立った。美仁達は深夜に王都に辿り着き、宿に入り宿の者から王族が埋葬されているオヴィソーヌ大聖堂の事を聞いた。
そして翌日二人は、石造りの二つの尖塔と見事なステンドグラスを備えたオヴィソーヌ大聖堂に来た。リュシアン前国王の葬儀からは半年、カロル前王妃の葬儀から三ヶ月が経つが、今だ国内外から墓参りに来た人が後を絶たない。
その列に二人も並び、リュシアンとカロルの墓まで進んだ。地下にあるこの部屋は、二人の死を悼む空気に満ちている。涙している者も多く、前国王夫妻が国民から愛されていたのだとよく分かった。
美仁も涙を流しながら手を合わせている。黙って見ていたロンは、そんな美仁に寄り添い肩を抱いた。ロンは今までこんな事をした事がなかった。仲間を慰めたり励ましたりするのは、いつもカイだった。カイが亡くなってからはディディエが美仁を慰めていたが、今はロンしかいない。出会ったばかりであれば無関心に何もしなかったであろうロンが、今は美仁を慰めるようにしてくれる事を美仁は嬉しく思った。美仁は涙を拭くとロンを見上げて大丈夫だと微笑んだ。
オヴィソーヌ大聖堂から出ると、ロンに乗ってガルニエ王国をゆっくりと飛ぶ。きっと彼等はガルニエ王国から出ていない筈だ。上空から気配を探すも、それらしい気配を感じる事は出来なかった。彼等の魔力は膨大だ。恐らく気配を消しているのだろう。これを探すのは骨が折れそうだと美仁は眉を寄せた。
美仁はロンに乗って二日間ガルニエ王国中を飛び回り彼等を探したが、気配を隠した彼等の魔力の残滓を見付ける事は出来なかった。気配を消す技術は、美仁よりも遥かに優れているようだ。
美仁は上空から探すのを止め、地上から目視出来る程の高さを自分で飛ぶ事にした。しかも魔力を隠さずに。一週間飛び、探し続けたが見付ける事が出来ない。
諦めようかと溜息をついた美仁の前に、緑みの灰色の肢体に鬣は紺鉄色のズブラレウという獅子に似たモンスターが現れた。
「雪之丞!」
やっと会えたと顔を輝かせる美仁だが、対する雪之丞の表情は硬い。緊張しているような苦い表情で、ゆっくりと美仁に近付いて来た。
「美仁、そして美仁の竜よ、お前達は一体、何を探しているのだ…?」
「雪之丞達を探してたの。会えて良かった。」
自身の言葉に美仁が反応した事に、雪之丞は面を食らった顔をした。魔物であるロンの通訳無しで、美仁が返事をするとは思っていなかった。
「何故俺の言葉が分かるんだ?」
「何でか分からないんだけど、言葉が翻訳されて聞こえるみたい。魔物の言葉も分かるんだね~。」
新しい発見に、美仁はヘラッと笑った。雪之丞は溜息をつき話を元に戻す。
「俺達を探し出して、どうするつもりだ?」
雪之丞はある種の覚悟を持って美仁に聞いた。雪之丞達カロルの従魔は、カロルの体を食べた。美仁は従魔を使役している為主の最期を知っている。友を食べられた事を怒っていて、自分達を探していたのだと雪之丞は考えていた。もしそうならば、雪之丞はここで美仁に討たれるのだろう、と。
雪之丞は出会った当初から、美仁が怖かった。膨大な魔力に美仁の周りにいつも居る闇の精霊達を目の前にすると、絶対に勝てないと頭と体が理解して逃げ出したくなるのだ。だから雪之丞は、カロルのお使いを力丸に押し付けた事もある。今回雪之丞が出て来たのは、これ以上隠れて美仁を怒らせるのは得策では無いと判断したからだった。
「カロルの事を聞きたくて。カロルに会ったのは十五年位前だったから…。雪之丞達は最期まで一緒だったでしょ?」
美仁は柔らかく微笑み答えた。雪之丞は拍子抜けして安堵の溜息をつくと、カロルの事を語り出した。フォンブリューヌ公爵夫人となってからは、時々城を抜け出していた事。若い頃からずっと、リュシアンと仲が良い事は変わらなかった事。リュシアンの死後国内を旅して、亡き夫が治めていた、今は息子の治めるこの国が良い国だと、安心したように微笑んでいた事。そしてカロルの最期…。
「本当は、もっとカロルには生きていて欲しかった。だが俺達が縋って引き止めては、カロルは安心して逝けないだろう…。」
雪之丞達は、愛する主を亡くした悲しみと痛みを、まだ消化出来ていない。だが生ある限り、主の愛したこの国を魔物の脅威から守っていこうと決めていた。
美仁は涙を流しながら雪之丞の話を聞いていた。最後に見たカロルの姿を思い出しながら。そしてカロルの従魔の、主に対する想いの深さに感動していた。
「雪之丞、ありがとう。話を聞けて、良かった…。」
涙声で美仁が言うと、雪之丞はフッと笑った。
「カロルは、その髪留めを大事にしていた。時計や指輪は子供達に渡していたが、髪留めはカロルと最期まで共にあった…。大事にしてやって欲しい。」
美仁は込み上げてきたもののせいで声を出せずに、一生懸命頷いて返した。雪之丞はそれを見て安心したように微笑むと、飛び去って行った。残された美仁はボロボロと涙を零し、ロンは美仁の背中を優しく撫でていた。
暫く泣き続けて目も鼻も真っ赤にした美仁はしゃくりをあげながらも、ゆっくりと呼吸を整え始めた。ロンの優しい掌が暖かくて、落ち着きを取り戻す手助けをしてくれる。とんとんと優しく背中を叩かれ、カイを思い出させるロンの仕草に思わず笑みが零れた。
「ありがとう、ロン。最近、涙脆いや。」
「別れは辛いものだ。我慢せず泣けば良い。」
「それでも泣きすぎだよ…。」
美仁は照れ笑いをすると、すっきりとした顔で空を見た。明るい水色をした空は、地平線から少しずつ黄味を帯び始めている。
「ディディエの所に戻ろう。」
「ああ。」
美仁はロンの後ろから抱きつき、ロンは自分のお腹に回された美仁の腕に軽く触れると空に跳んだ。夕焼け空を飛び進み、空が暗くなる前に地獄の町に到着した。
ディディエと別れてから一週間以上経つが、一度も夢で会わなかった。そっとしておいてくれたディディエに、感謝の念が絶えない。
宿に着き宿の手配を終えて、ディディエの部屋に向かった。ノックをすると出て来たディディエが気遣わしげに微笑んだ。
「おかえり。」
「ディディエ、ただいま。ありがとう。」
ディディエと合流した翌日に、美仁達は地獄のダンジョンの前に来ていた。カロルがまだ学生の時に攻略したダンジョン。その後売られた情報を見た高レベル帯の冒険者達十数組のパーティが協力して攻略して以降、このダンジョンを踏破した者は出ていない。
「すいません、このダンジョンに挑戦するんですか?」
美仁達に声を掛けて来たのは、丸い眼鏡を掛け、痩せた背の高い男性だった。このくたびれた印象を与える男性の問いに、美仁は頷いて答えた。
「はい。今から入りますよ。」
「あの、何階まで行かれるご予定で?」
「最下層まで…。」
「ええっ!?」
美仁の答えに男は目を剥いて驚いた。その声が大きくて、美仁も同じ様に目を見開いて男を見る。一瞬見つめ合うと、男はコホンと息をつき美仁達を見た。この女性は最下層まで、と言っているのに荷物は無い上に武器さえ持っていない…。だが自分の提案を受け入れてくれるパーティは少ない。この男が美仁に声を掛けたのは、美仁がお人好しに見えたからだ。もし最下層まで行けなくても、危ない目に合っても、自分だけ転移石で逃げれば良いだけの話だ。男は背筋を正して美仁に言った。
「私は地図制作者です。地獄の地図を制作したいのですが、同行させて頂いてもよろしいでしょうか?」
「私は良いけど…ディディエはどう?」
美仁がディディエを見上げて聞くと、ディディエは眉を寄せて男を見る。
「別に良いが…俺の美仁に変な気を起こしたら炙るからな。」
ディディエの牽制に、男は真面目な顔をして答えた。
「大丈夫です。私はちんちくりんは趣味ではありませんので。」
「ちんちくりん…。」
美仁はかつてディディエにも言われた事のある単語に傷付いた。そんな美仁を抱き寄せてディディエは美仁の頭にキスを降らせる。
「俺は美仁がちんちくりんでも愛してるぜ。」
「…ちんちくりん…。」
全くフォローになっていないディディエの言葉に、美仁は力を落とし項垂れた。