44・ルチャラマの町
カシュが美仁の顔を微笑みながら覗き込む。面白いと言われた美仁は、カシュの瞳の奧に潜んだ熱に気付かずに明るく笑い飛ばした。
「あはは!カシュさん。冗談じゃないですよ~。ちゃんと皆で行ってきたんですよ~。」
「へぇ。詳しく聞かせてよ。この後どう?」
「美仁。」
美仁が了承しようと頷く前に、ディディエが美仁に声を掛けた。美仁はディディエの言葉の続きを少しだけ首を傾げて待った。
「今日アムルが薬を調合したいらしいんだ。俺は帰ったらすぐに寝たいから、アムルと部屋を代わってくれないか?美仁もすぐに寝るだろ?」
「うん。わかった。じゃあ私の部屋に材料を出しておけば良いよね。」
「おう。ありがとな。」
アムルはこのやり取りを極力表情を表に出さず口元だけに微笑みを浮かべて見ていた。ディディエはニッと笑いアムルを見た。
「ダンジョンに入る前に薬を作らなきゃだもんな。」
「そうだね…。」
ニコニコとご機嫌に見えるディディエに、アムルは力無く答えた。
「明日は買い出しもしなきゃだもんね。ウルバノさん達は明日からダンジョンに入るみたいだよ。」
「そうか。じゃあ今日は早く休んだ方が良いですね。」
ディディエはそう言うとカシュを見た。ディディエはニッコリと笑っているが、カシュは敵意にも似た威圧感をその笑顔から感じた。
テレンシオはウルバノとカイと話していたが、カシュの方にも耳を傾けていた為カシュ達の会話に加わった。
「そうだな。今日は早めに寝るべきだな。また会えたらこうして飲もうぜ。」
テレンシオが急に締め始めた為、カイとロンと楽しく飲んでいたウルバノは驚いてテレンシオを見た。
「まだ早いだろ?俺はまだ飲み…。」
「ウルバノ、駄目だ。カシュの悪い癖が出てる。しかも、美仁にだ。」
テレンシオが眉間に皺を寄せ声を潜めて言うと、ウルバノは呆れたような諦めたような声を出した。
「…あー……。そうだな。カイ、ロン、俺達はもう休むとするよ。また会えたら飲もうぜ。」
そう言って席を立つと、ウルバノはカシュの腕を掴んで店を出て行った。バルバラは美仁の肩に手を置いた。
「美仁…。カシュが悪かったね…。」
美仁は笑顔でバルバラの顔を見上げたが、その頭上には疑問符が浮かんでいた。その顔を見たバルバラとカテリーナは、ぷっと吹き出して笑う。
「あはははっ。美仁を攻略するのは骨が折れそうね。」
「ああ。カシュの毒牙にかからんように…って言っても、ちゃんとナイトが居るから大丈夫そうだな。」
美仁は自分の事を言われているのだろうが、その内容が自分とは関係の無い単語が並んでいる為に理解が追いつかない。
「毒…?毒なら私、効かないですよ?」
結局的外れな返答をして、バルバラとカテリーナを大笑いさせる事になった。
「じゃあ、美仁。私達も失礼するわね。」
「美仁、元気でな。」
「はい!バルバラさんも、カテリーナさんも、お元気で!」
美仁は笑顔で二人に手を振り見送る。ずっと酒を飲んでいたロンのグラスが空になると、カイ達も宿に戻った。
宿に戻り、美仁は部屋にアムルの道具を出す。薬草等はどれをどの位出せば良いのか分からない為、アムルが来るのを待った。
「ええと、美仁、ごめんねぇ。」
部屋に入って来たアムルが開口一番謝罪する。
「何で?アムルの薬、効き目もすごいし無いと困るじゃない。」
…違うんだ。美仁。謝りたいのはディディエの事なんだ…。
口に出せない想いを胸中に仕舞ったまま、アムルは薬草を出して貰い、美仁に休みの挨拶をして見送った。
そして部屋で一人ため息を吐き出すと、口実にされた薬作りを開始した。
ディディエの待つ二人部屋に入ると、ディディエは風呂に入っているようだった。シャワーの音が聞こえる。二つあるベッドの一つに脱ぎ散らかされた服がある為、もう一つの方のベッドに腰掛けた。
ディディエの後に自分も風呂に入ろうと、美仁は服を脱いでいく。脱いだ服は、いつものように水の精霊と風、火の精霊に洗濯乾燥をして貰い、アイテムボックスに仕舞った。
風呂から出てきたディディエは、下着だけを身に付けていた。美仁を見てビクッと固まると、呆れたように言う。
「お前、何て格好してんだよ…。」
湯上りのディディエは頬も体も少し赤みを帯びている。
「私もお風呂入ろうと思って。ディディエはもう寝るでしょ?お休み~。」
下着姿のディディエを見た、同じく下着姿の美仁は、全く恥じらう事無く風呂に向かった。
「俺、今日、寝れんのかな…。」
真っ赤な顔をしたディディエはポツリと憂いを口にした。
翌日、スッキリと目が覚めた美仁は、隣のベッドで既に着替えを済ませているディディエに気付いた。
「そっか。昨日はこっちで寝たんだったね。ディディエ、おはよう。起きるの早いねぇ。」
「…おはよ。何か起きちまったんだ。いつもはアムルに起こされてんだけどな。」
正しくは、眠れなかった。である。疲れた顔をした、少し元気の無いディディエは外を見た。美仁は白地に赤い椿の描かれた浴衣を脱ぐと、いつもの服に着替える。
「その寝巻可愛いな。確か夢で会った時も着てたよな。」
「ありがとう!浴衣で寝るとさ、朝起きた時前がはだけてお腹出ちゃってるんだよねぇ。帯だけになってるの。寝相悪いのかなぁ。」
美仁にとっての浴衣あるあるは、翡翠にはさっぱり理解されなかったものだ。ディディエは聞いているのか聞いていないのか、あらぬ方を見ている。
「でも今日はちゃんと布団掛けて寝てた!」
それはディディエが布団を掛けてあげたからである。ディディエは何も言わずに部屋を出た。美仁も後を追う。
食堂に降りると、アムルが既に座っていた。ディディエの顔を見て笑う。
「ディディエ大丈夫?今日は僕と同室で良いよね?ちゃんと寝ないとね~。」
珍しく意地悪な言い方をしたアムルを、ディディエは無言で恨めしげに睨むと首肯した。
「え?ディディエよく眠れなかったの?だから早起きしてたんだ。…もしかして、私鼾かいてた?」
「いや、俺の問題だ。」
ディディエは眉間に皺を寄せてそっぽを向いた。カイとロンも降りて来て、食事を始めた。
ツァコアの定番の朝食、カリカリに揚げたトルティーヤにサルサソースをかけて煮たチラキレス。細かく割いた鶏肉も一緒に煮込まれていて、更に上には目玉焼きが乗りボリューム満点だ。
カリカリに揚げたトルティーヤを柔らかく煮たその食感は、むっちりとしていてぬれ煎餅のようだと美仁は思った。
「辛っ。…目が覚めるわー…。」
「あれ?ディディエ寝不足?昨日早く部屋に戻ったのに。」
「大丈夫、今日はぐっすり眠れるよ。心配事が無くなるからね。」
ディディエの目が疲れているのを察したカイが心配そうに言うと、ディディエの代わりにアムルが意地の悪い笑みを浮かべて答えた。
カイは察し良くディディエの心配事に気付くとニヤニヤとディディエを見る。ディディエは二人に揶揄われ、ムスッとしながらチラキレスを食べた。
食事を終えて、町に買い出しに出た。薬はアムルが作った為包帯等の消耗品だけを買う。
食料は何かあった時の為に多めに十五日分、水樽魔石に水も補充する。携帯砥石や携帯ランプに使用する魔石等の消耗品も補充した。
「俺さ、アレ欲しいんだよね。コット。」
「そんなに寝心地良かった?」
「うん。前は荷物になるから無理だったけど、美仁がアイテムボックスに入れてくれるなら…って思って。」
美仁はディディエの言葉を聞き顔を輝かせた。パーティの役に立てるのが嬉しいようだ。
「勿論良いよ!テントは今ので良いの?」
今アイテムボックスに入っているのはカイ達が使っていた四人用のものと、美仁の二人用のものだ。
「うん。買い替える必要無いと思うよ。今回のダンジョンで不便だったら、大きいのを買おう。」
ディディエはコットを購入すると、美仁に手渡した。カイは迷っていたようだったが、今まで通りにする事にしたらしい。
買い出しを終わらせて、昼食にブリトーを食べた。小麦粉が使用された生地を具材に巻いた食べ物で、美仁は具材がたっぷり詰まったブリトーにかぶりついた。
「美味しい!色んな国に行って、色んな食べ物を食べられて、冒険者って楽しいねぇ。」
「あと、酒もな。酒も買いに行かねばな。」
「テキーラとビールだね。」
ロンの提案にニコニコと同意した美仁だったが、ディディエは呆れて二人を見ている。
「お前等まさか、ダンジョン内でも飲む気なのか?」
そのまさからしい。美仁は、なんで?と笑顔のままディディエの方を見、ロンも片眉を上げてディディエを見た。
「緊張感の無い奴等だな…。」
ディディエは更に呆れたが、美仁とロンはテキーラとビールを買い、ダンジョン内で食べるつまみまで考え始めた。
そんな二人を見てカイは面白そうに笑っている。
そして翌日、一行はルチャラマ遺跡と呼ばれるダンジョンの入口に居た。ダンジョンは冒険者支援協会が管理している物が多く、このルチャラマ遺跡もその一つだ。生まれたばかりのダンジョンや、誰にも見つからず秘境にひっそりとあるダンジョンは野良ダンジョンと呼ばれ、誰でも入る事が出来る。
冒険者支援協会の管理するダンジョンは、冒険者でなければ入る事は出来ない。冒険者カードを提示して入ろうとすると、美仁のカードを見た職員がムッとカードを持って止まった。
しかしすぐにカードは返されダンジョンに入る許可が下りた。
きっとレベルが低すぎるからなんだろうな、美仁はしょんぼりとカードを仕舞う。ロンもカードを職員にまじまじと見られていた。許可が下りたロンからカードを受け取る。
「大丈夫か?」
ディディエに声を掛けられ、美仁は力無く笑った。
「うん。冒険者カードの更新の時もこんな感じだったんだ。私、レベルが低いから。」
「ああ、お前達強いもんな。このダンジョンもレベル制限があるけど、お前達みたいな常識外れな奴等には関係ないし、気にするなよ。」
「どういう事?」
よく分かっていない美仁に、ディディエは笑った。
「お前のカード見せてみろよ。すぐに分かるから。」
そう言うディディエにカードを渡すと、ディディエだけでなくカイとアムルもカードを覗き込んだ。
「うわっ。」
三人は驚愕の表情でカードと美仁を見比べた。