42・夢見の蝶
美仁は、草原の中に立っていた。すっきりと晴れている青空も、風になびく草原の青々とした緑も、妙に鮮やかだ。
…なんという事だ…。二日連続で夢を見る事になるとは思ってもみなかった。
翠山に来たカロルに夢見蝶を貸していた時は、確か三日に一度の頻度で夢を見ていたはずだ。
主の夢だからと、蝶が張り切っているのだろうか。
「どうした?変な顔を更に変な顔にして。」
現れて早々、ディディエは難しい顔をしていた美仁を揶揄う。
ちくしょう美形め…。美仁は眉間の皺を更に深めてディディエを睨んだ。
「まさか今日も夢を見るなんて思って無かったから、考えてたの。」
「だな。もう会えたから、美仁は夢見蝶を仕舞ったと思ってたぜ?」
そうだ。そうすれば良かったんだ…。
美仁は唖然とした表情で固まった。そんな美仁を、ディディエはニヤニヤと面白そうに見ている。
「………会いたい女仙様には会えたから、明日そっちに向かうね…。」
ディディエは全く悪くないのだが、美仁は恨めしそうな顔で言った。
「そっか。じゃ、カイ達に言っとく。明日の夜でやっと半分ってとこかな。とりあえずツァコアのセプシオを目指してる。そこでクエスト受けても良いし、ダンジョンのあるルチャラマまで行っても良いよなって話てんだ。」
美仁はダンジョンに潜った事が無い為、ダンジョンという言葉にワクワクした顔をした。
その顔を見たディディエは耐えきれなかったように、ぶはっと息を吹き出して笑う。
「わっかりやすっ!じゃ、ダンジョンだな。」
「…ありがとう。」
そんな分かりやすく表情に出ていただろうか、と美仁は眉を寄せた。するとディディエに眉間をつつかれる。
「そんな顔ばっかりしてると皺になるぞ。」
「わあ!もう!やめてよ…!……てゆうか、今日、長くない?」
「?」
美仁はディディエの手を振り払うと話を変えた。何の事を言っているのか分からないディディエは不思議そうな顔をする。
「昨日はもっと早く起きたと思うんだけど。」
「ああ。昨日は魔物が出たからな。起こされたんだ。」
成程。通常よりも短かった訳か。美仁は納得したが、ディディエと何を話したら良いのだろうか。
考えている顔をしながら、ディディエの顔を盗み見た。ディディエは綺麗な顔をして、遠くを見ている。
「エルフって皆イケメンなの?」
「あ?…そうだな…。大体整ってるとは思うぜ?アムルなんてな、村一番の美形だったんだ。アイツは嫌がってたけどな。」
「綺麗な顔なのに、嫌とかあるんだね。」
「アムルは女に興味無いからな~。なのに群がってくるから煩わしいんだとよ。勿体ないよなー。遊べば良いのに。」
美仁は軽蔑した目でディディエを見た。ディディエはその視線に気付き、しまったという顔をする。
「遊ぶって何よ?お付き合いするとかじゃないの?」
「あ~…俺達冒険者だし、転々とするから…。それにお互い楽しめるだろ?」
この冒険者らしい考えは、恋愛に夢を見ている美仁とは相容れない考えだった。美仁は冷めた視線を送り続けている。
「美仁、俺は暫く帽子だっただろ?元に戻ってからも移動ばっかりで遊んでないし、もう俺は…。」
ディディエが懸命に言葉を重ねる中、視界がぼやけてきた。美仁は何故か気分が悪かったので、夢から覚める事が出来てせいせいした。
ディディエが女性とどういう付き合い方をしていたって、自分には関係ない。そう自分に納得させる。
冒険者には、種族、性別に関わらず性に奔放な者は少なくない。美仁はまだそれを目の当たりにした事がなく、初めて知ったのがディディエだった。
美仁は嫌な気分のまま目を覚ました。
夢から覚めて、朝の仕事に朝餉を終えた美仁は、翡翠、イヌクシュクに別れを告げて飛び立った。
帰って来た時のような抱擁は無く、翡翠はあっさりと別れの挨拶をした。
いつもの翡翠だ。美仁は何だか可笑しくて、翠山を去った後も暫くは一人でニマニマとしていた。
夕方、クヤホガ南部にあるライークの町に到着した。砂漠地帯にある町で、灌漑農業が盛んな町だ。
ロンは、人の姿など確認出来ない程離れた上空でカイ達を見つけると、竜から人に変身し美仁を抱えて落下した。
重さを感じさせない軽やかな着地をすると、目を丸くして吃驚している三人が目の前に居た。横抱きにされていた美仁は、降ろしてもらうとニッカリと笑った。
「ただいま!」
「お帰り。美仁、ロン。急に現れるから、吃驚したよ。」
優しく応えてくれるのは、カイだ。明るい水色の瞳も優しい光を湛えている。
「今ちょうど宿に向かってる所だよ。」
歩き出したアムルが教えてくれる。カイ達パーティも、冒険者支援協会の提携宿を利用する。冒険者でこの宿を利用しないのは、余程お金に余裕がある者か、宿での滞在も楽しみたい者だ。
カイ達も、美仁も、寝られればそれで良い。そして安ければ最高、有難い。
「まだクヤホガだから、美仁は酒はお預けだな。」
揶揄うような事をディディエが言ってくる。だけど、美仁はこの方が良かった。ディディエは目付きは悪いがイケメンだ。美仁はイケメンが苦手だ。
「ほれ、夢見蝶。面白い体験だったぜ。ありがとな。」
ディディエは肩に留まらせている夢見蝶を指差した。美仁は夢見蝶をアイテムボックスに仕舞う。
「お疲れ様。…私のお祝いとお土産のお酒はまだだから。ロンのお酒は出すけどね。」
夢見蝶には優しい声色で言ったが、ディディエには棘のある言い方をした。数日会わずにいたのに、相変わらずどころか更に仲の悪くなった二人にカイもアムルも苦笑している。
一行は宿をとり、町を散策がてら夕食を食べる店を探した。
ライークはフラットエンチラーダが有名らしい。トルティーヤを巻かずに、具材を乗せて食べるのがフラットエンチラーダだ。
美仁達が入った店では、トルティーヤの上に牛肉や野菜を乗せてトマトベースのソースをかけ、チーズを乗せて焼いたフラットエンチラーダが出てきた。
ロン達はライトビールを頼み、美仁はレモネードを頼んだ。レモネードは自家製のもので、エンチラーダもレモネードもとても美味しかった。ロンはライトビールを何杯もおかわりしていた。
宿に戻ると案の定ロンが出して欲しい酒を伝えて来た。
「こんなに飲むの?」
「全部は飲まぬと思うが…。祝いなのだし、良いだろう?」
美仁はため息混じりにロンに着いて行く。
「祝いじゃなくても沢山飲んでるじゃない。ワインにミズホノクニのお酒にビールか…。どんなおつまみにしようかな。」
「つまみを用意してくれるのか?」
ロンが目を丸くして美仁の方を見た。いつも仏頂面だったロンだが表情が豊かになってきた気がする。
美仁は自分が酒を飲む時はつまみを作っていたが、飲めない時は枝豆を茹でるだけ、チーズやアタリメ等を出すだけにしていた。
「だってお祝いでしょ?まぁ、そんな手の込んだ物作れないけど…。」
「お前のつまみは美味いから、儂としては嬉しいが。」
今度は美仁が目を丸くする番だった。時々料理を褒めてくれていたが、改めてこのように言われるのは嬉しい。美仁は表情がふにゃふにゃになってしまった。
ロンとカイの部屋に入りテーブルを出すとベッドの間に置いた。これでベッドの間の隙間は無くなってしまう。ベッドにカイ達が座り、美仁はテーブルにロンに言われていた酒とグラスを出した。
アイテムボックスで漬けておいたチーズのハーブオイル漬けを出す。更にミズホノクニの酒屋で薦められた塩辛と、もう一品何か作ろうと材料を出した。
薄くスライスしてある食パンの耳を切り四等分にすると、細かく叩いたエビと鶏ひき肉を和えたものを塗った。それを揚げ焼きにすると、エビのカナッペの完成だ。おまけに枝豆も茹でた。
「ぁあ……美味い!」
ディディエはロンお勧めのビールを飲んでいた。苦味が強いが味がしっかりと濃く、全体的にバランスのとれているビールだ。そしてディディエは枝豆をつまむ。どっしりとしたコクのあるビールに、香り良く甘い枝豆がよく合う。
「チーズと枝豆美味し~!」
アムルが褒めてくれて、美仁は余ったパンの耳を揚げながら照れた。
「うん。エビのカナッペも格別だよ。チーズも美味しい。」
「えへ…喜んで貰えて嬉しいよ。」
カイの言葉に美仁は照れながら頬を染めて喜ぶ。何故かロンが得意顔でミズホノクニの酒を飲んでいる。
「俺、これ好きだわ。」
ディディエはワインを飲みながらカナッペを褒める。皆が褒めてくれて、作った甲斐があるというもの。
美仁は鍋を水の精霊に洗って貰い、その水を火の精霊に蒸発して貰うとアイテムボックスに仕舞った。
「いつ見ても、その技はすげぇよな。」
「これ便利でしょ?私も初めて見た時は目から鱗が落ちたもん。」
ディディエが感心して言うと、美仁もそれに同意した。この方法を知ってから、洗い物の労力が無くなった。しかも洗った物は風の精霊に乾かして貰う事を思い付いてからは、拭く手間まで省けてしまった。
「いや簡単に言ってるけど、精霊に頼んでやって貰うってのが普通に無理なんだよね。」
「そうそう。精霊は自分で動いて相手を助ける事はしないからな。魔力に精霊の力を貸してくれるだけなんだ。」
「そうなんだ…。」
確かに精霊の事を教えてくれた孔雀も、精霊に語りかけてはいたが、自らのチャクラを使い精霊の力を借りて術を発動していた。
そして美仁は精霊がやってくれたのだと思っていたが、金剛はチャクラを用いて精霊の力を借りて洗い物をしていた。金剛の方法であれば、ディディエも手を使わずに洗い物をする事が可能なのだ。
「美仁は闇の王の娘だから、精霊達が助けてくれるのかもね。」
「そうだなー。そんで、美仁の精霊達は俺に全然力を貸してくれねーの。」
ディディエは横目で美仁の周りに居る精霊達を見た。美仁はサクサクに揚げたパンの耳に砂糖をまぶしたものを美味しそうに食べている。そんなディディエにカイは苦笑した。
「それはきっとディディエが美仁を揶揄いすぎだからだよ。仲良くしたら?」
カイに諌められたディディエはムスッと口をへの字に曲げると美仁を見た。
美仁はアイテムボックスから出した野営用の折り畳み椅子に座っている。背もたれが高く作られている椅子にゆったりと背中を預けてポリポリとラスクを食べるその、非常にリラックスしたその様子にディディエは頬を緩めた。
「美仁ぃ~。美味そうなの食ってるな。リーダーが仲良くしろってさ~。」
「…別に喧嘩してる訳じゃないし…。ディディエが意地悪しなきゃ良いんだよ。」
「意地悪なんかしてないぜ?俺は美仁を可愛がってんだよ。」
良い笑顔で言うディディエに、美仁はすごい嫌そうな顔をした。ラスクを乗せた皿をテーブルに置くと、立ち上がって椅子を仕舞う。
「もう寝ます…おやすみ…。」
何だか疲れたような顔をした美仁を、カイとアムルは気遣わしげに見送ると、咎めるような視線をディディエに送った。
それに気付いたディディエは気まずそうに言い訳をする。
「可愛がってるだろ……?」
「ディディエ、子供みたいだよ。」
呆れたように言うアムルに、ディディエは反論しなかった。